1 「ム-ちゃん」というのは,わが家の愛犬「ムサシ」の愛称である。まもなく13歳になる。わが家にはムーちゃんの前に別の犬がいたが,まだ子犬のころ,早朝わが家の駐車場の隙間から家の前の通りに出て遊んでいて,オートバイに撥ねられて死んでしまった。可愛そうなことをした。子供らは大泣きをした。火葬場で灰にして貰い,その灰を少しわが家の庭に埋め,その上にキンモクセイの木を植えた。
2 その犬は,長女が高校に入学して間もなく,クラスの友人から,家に生まれた沢山の子犬の一匹を貰ってきたものであり,とても可愛がっていた。犬が死んで暫くしたころ,次女が「お父さん,またぜひ犬を飼いたい。」という。心にポッカリ穴が空いたようで,その隙間を埋めることができないというのである。私も犬好きなので,子供達にまたクラスの友人などから犬を貰っておいでと言ったが,うまくいかなかった。
3 それから暫くしたころ,新聞に「犬あげます。」という広告を見つけた。早速ある日曜日に家族みんなで車で30分の所まで犬を貰いに出かけた。可愛い子犬がたくさんいて,気に入った子犬がいた。子供がこの犬が欲しいという。そこで私は「この犬を下さい。」と言った。只だと思っていたが,よく見ると「5000円」と書かれていた。妻が5000円札を出すと,相手は怪訝な顔をしている。よく見ると,「50,000円」となっていた。要するに犬のペットショップだったのである。
4 「高いな-」と思ったが,子供が犬を抱きしめて,もう離さない顔付きである。やむなく私が,車で郵便局を探して,郵便貯金から5万円を下ろしてきた。柴犬の雄で,血統書がついているという。もっとも後日送ってくることになっていた血統書は結局送られてこなかった。必要もないだろうからと催促するのはやめることにした。
5 約束では,毎週の休日は子供らが責任をもって犬の散歩をすることになっていた筈であるが,結局散歩の殆どは私の仕事になった。犬は間もなく13歳で,子供たちも2人とも家を出て結婚してしまった。もっともその犬との散歩のおかげで,私の健康が維持されていることになるので,感謝すべきことにはなる。
6 わが家の庭と通りを仕切る塀に3か所の風通しの格子があり,その一か所がム-ちゃんの見張り場所になっている。犬が前足をその塀にかけて,後ろ足で立って,しばしば通りを監視している。不審な風体の人が通ると猛然と吠える。柴犬は番犬に向いているそうで,よく吠えてうるさい。これでは泥棒も入れないだろう。
7 食事は1日1食である。猫の餌をピンハネして食べている。台所の板の間で遅い夕食が終わると,犬用に放置されている硬式テニスボ-ルを咥えて,テレビの前の私の側にやって来る。わざとポトンと落として,ボ-ル遊びを催促する。ボ-ルを咥えて頭を下げて,獲物に飛びかかる姿勢で,私の顔色を横目で窺っている。私もふざけて,「ウ-!」とうなって,犬と同じ姿勢で,ボ-ルの奪い合いが始まる。ときにミスして噛みつかれて指に血が出ることもある。この毎日のふざけ合いのせいか,犬も甚だ若々しい。「これがム-ちゃんの不老長寿法だな」と思うことがある。犬も買主に似て,アホになっているのだという説もある。暫く遊んだ後に,玄関の内側の毛布で,鎖で繋がれて寝る。
8 庭の一部が芝生になっている。冬は枯れた芝生が日だまりになり,格好の昼寝場所になっている。私がいやな仕事でため息をついているとき,枯れた芝生にだらしない格好で,気持ちよさそうに昼寝をしているム-ちゃんを見ると,羨ましくて犬と入れ代わりたいと思うことがある。「私は犬になりたい!」って。(ムサシ)
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