日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
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1 先頃ある病院に10日間入院して退院し,仕事に復帰した。血液検査の結果,現代の奇病(?)「栄養失調」ということで,「蛋白質が足りないよ」というのである。昨年9月に妻を亡くした悲しみと寂しさを紛らすためと,酒に強いという過信から飲酒過多になり,肝臓疾患が原因の極端な食欲不振によるもので,総蛋白の数値が正常値よりもかなり低く,アルコール分解酵素量に関するγGTPの数値が異常に高かったということである。肝臓以外は全て異常はなく,膵臓も正常であった。高校のクラスメイトである担当医師は,「おかしいな。普通はもっと数値に異常が出る筈なんだけど。」と言った。
2 私は,日頃基礎体力に自信があって,今回も格別疲れるなどという体調の異常も感じていなかったし,体重に変化もなく,普通に仕事もしていたので,不覚にもそんな危険な状態になっているとは思っていなかった。そしてある日の午後,少し寒気がしたので,事務所で体温を測ると38・5度であったので,インフルエンザに罹患したのかも知れず,事務員に感染すると困ると思って,掛かりつけの医院で検査を受けてその日は帰宅し,翌朝検査の結果を聞くために医院を訪ねたところ,インフルエンザではなかったが,すぐ入院しなさいということになったのである。
3 その友人の医師には「死ぬつもりなのか。」と,とても激しく怒られた。東京など遠くに住んでいる子供たちからも「どんなに心配しているか分かっているの!」と怒られた。自殺する気などないが,食事に関する多少の面倒くささと,そんな危険な状態になっているとは思いもしなかったという,医学的知識の欠如も原因であったかも知れない。
4 入院後は,当初は全く食欲はなかったが,とにかく全部食べる決心をした。すると食欲も日ごとに回復し,完食状態が続き,日々劇的に回復して行ったようで,2~3日ごとの血液検査の結果は医師も驚く数値の改善があった。総蛋白も1週間で正常値になり,γGTPの数値も急速に改善しているが,まだ正常値ではない。体調もよく,入院10日間で退院し,仕事に復帰した。
5 友人の医師からは,自分がOKを出すまでは飲酒しないこと,完治後の飲酒量は酒が百薬の長とされている1日に日本酒で1・5合(270CC)を厳守するように厳命されており,厳守することを約束し,深く反省した。
6 好きな歌人である若山牧水の好きな短歌に「寂しみて 生ける命の ただひとつの 道連れとこそ 酒を思うに」というのがある。この歌と決別するのはとても不可能である。決別はせずに,飲酒許可後は日本酒のワンカップ1個を道連れとすることにした。
7 今後はかつての健康オタクに立ち返り,できるだけ長く仕事を頑張り,生きている限り頭がボケないように工夫と努力をし,「ショボクレ爺さん」ではなく,「素敵な老紳士(?)」を目指すことにしようと思っているが,果たしてどうなることやら。
8 裁判官や弁護士としての仕事を通じて,夫婦間や社会生活における国民の心のあり方には甚だ問題があると思っている。夫婦の3分の1が離婚する社会になっているが,どうして生涯を通じて夫婦間で優しくできないのだろうか。どうして平然と自己の利益ばかりを優先して,他人からの信頼を失なうことが平気なのであろうか。どうして信じられないような異常な事件がこんなにも多発するのであろうか。10日間病院のベッドで思いを巡らすと,こんな社会では到底合格点は与えられないと思った。そして心のあり方として,なるほどと心に沁みる本を1冊書きたいと強く思ったのである。(ムサシ)



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1 先日,当地のある大学教授が,私の自宅までお出で下さり,昨年9月に死亡した妻に線香をあげて下さった。そして外で食事した際,「元気を出すように。」と励まして下さったが,「なかなか元気が出ません。」と泣きごとを述べたところ,教授の定年までの1年余り,月1回一緒に食事した後に,カラオケに行くという合意が成立した。
2 私は別のルートで,2か月に1回程度の割合で,カラオケだけにご一緒する,当地の元弁護士会長がおられることから,2つの会を合体することになった。そして先日第2回目の会が行われたのである。
3 第2回目の会は,私の妻の追悼カラオケ大会ということになり,お2人とも熱唱して下さり,3人で約30曲を歌った。大学教授は酒も強く,歌のレパートリーも広い。また元弁護士会長は体調の関係で酒は控えておられるが,元々は酒も強く,歌唱力もレパートリーもお2人はいいとこ勝負である。第3回目からは,ある法曹関係者で,歌も酒も好きという強者がもうひとり増えることになっている。また元弁護士会長の奥さんも一度行ってみたいと言っておられるようである。
4 何年か前に「月1カラオケ健康法」なる健康法を唱えていたが,「年1カラオケ健康法」になっていた。最近はこの会を楽しみに日を過ごしており,レパートリーも増やすことにして,何かの機会に耳にしたよい歌を調査して,CDを買ってきて練習することにした。最近オール巨人の「男の子守唄」に挑戦している。(ムサシ)

 



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ある医院での会話である。

患者 「先生,妻を亡くして5か月になり,寂しくて食欲が無くて餓死しないかと心配です。」
医師 「食べたいと思う物は何もないんですか?」
患者 「ええ。でも強いて挙げれば,鰻の蒲焼きとホタテ貝の刺身とイクラなら何とか食べることはできるんですが。」
医師 「ところで,例の無色透明の液体はどうですか?」
患者 「それだけは,相変わらず美味しいです。」
医師 「少し茶色い方はどうですか?」
患者 「それも美味しく飲んでいます。」
医師 「少しは痩せたんですか?」
患者 「はい。もう2キロも痩せてしまいました。」
医師 「ムサシさん。あなたのような状態を,食欲が無いとは言わないんですよ。丁度よい機会だから,本気で餓死する

  つもりで,今年中に10キロ痩せることにしてはどうですか?」
看護師 「先生,それがいいですね。」
患者 「(ウー,家出してやる!)」
                 (ムサシ)

 



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8 正月は上京し,茨木県取手市にある長女の夫の実家に2泊し,2人の孫たちと遊んできた。初詣に近くの神社に行き,広々とした利根川の土手を1キロほど歩いたが,男の子の孫が買っていた「ドローン」を操縦して遊んだ。操縦は格別難しいというほどではないが,そう簡単でもなく,とても面白く気持ちがよかったので,密かに自分で買う決心をした。もっともドローンを飛ばす広い場所があるかなあ。岡山後楽園の芝生は広々としているが,きっとドローンは禁止されているに違いない。旭川の河原も結構広いが,操縦ミスをすると水の中に落ちそうであるので,まず操縦場所を調査することにした。
9 神社からの帰途,どんぐりの実が沢山落ちていた。それを長女の4歳の女の子(孫)が夢中になって拾ったのである。私は「これも妻の遺伝だな。」と思いながら,その様子をジッと見ていた。以前私にどんぐりを呉れた次女の女の子は,この日取手市には来なかった。取手の家に帰って,「おじいちゃんにどんぐりをお呉れ。」というと,「いいよ。」と言って3個呉れた。
10 その家には,インターネットでテレビに接続している最新式のカラオ装置があり,2日間,飲酒酩酊しながら沢山歌った。「あなたのすべてを」,「星に祈りを」(佐々木勉)や,小椋佳の歌も沢山歌った。長女の夫の父や,そちらの孫なども沢山歌っていた。
11 2泊して3日目にわがやに帰ったが,その昼間に次女夫婦と2人の孫が合流し,孫は4人になった。そして近くの公園で拾ったという次女の女の子から,車輪梅(しゃりんばい)なる木の実を1個貰ったのである。
12 わがやへの帰途は,次女がグリーン車に乗るように手配してくれたので,飲酒したり眠ったり,読書したりしながら,楽しく帰宅した。そして大切に持ち帰ったどんぐり3個と,車輪梅の実1個を追加して,妻の位牌の前に供えた。「これらはみんな君の遺伝だよ。」と言いながら。
13 郷里にある大きな神社の裏山に,大きな実がなるどんぐりの木がある。この秋はまだそのどんぐりの実を拾うことができないままであるが,近く車で出かけて,沢山拾ってくることにした。それを仏壇に供えることは勿論であるが,何とかしてどんぐり好きの2人の孫にプレゼントするつもりである。「どんぐり好きのおばあちゃんに頼まれたんだよ。」と言うことにしよう。(ムサシ)

 

 



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9 妻の死による最大の教訓は,健康に少しでも異変があれば直ちに検査すべきであるということである。少し前に検査をして異常がなかったとしても,放置してはならない。前の検査でミスがなかったという保証はないし,前回の検査の時点で異常がなかったとしても,その後異常を生じたかも知れないのである。
 私としては,何としても直ちに妻を検査に行かせるべきであったと痛恨の思いでいる。妻という存在は(夫もそうであるかも知れないが),夫の言うことを余り聞こうとしない存在のようである。友人の皆さんがそう言っている。「俺をひとりにしてくれるな。」と土下座してでも頼めばよかった。それでもダメなら,暴力亭主か鬼になって,強引に妻を病院に連行すべきであった。私は今後の生涯において,この点に関して自分を許すことは決してないだろうと思っている。そしてまた,その時の判断ミスの結果を,今自分の人生の様々な思いとして,悲しさや寂しさ,痛恨の思いに苦しむというツケを自分で支払っているということになっているのである。
10 私の親しい高校のクラスメイトで,乳ガンに詳しい医師の友人がおり,結局その友人に頼んで検査を受け,手術をして貰ったのであるが,妻が検査に行こうとしなかった時点で,直ちにその友人に電話して,どうしたものかと相談すればよかったと思うのである。その友人は,きっと直ちに検査を受けるべきだとか,乳ガンにもいろんな種類のものがあって,驚くべき速さで成長する乳ガンがあるという恐ろしい話を教えてくれたに違いない。やはり私が必死になって,ベストを尽くさなかったということであろう。
11 妻は,このたび階段を下りる際に,両手に荷物を持っていたようである。階段は危険な場所であるので,荷物は片方の手に持つだけにして,手すりに近寄って階段を下り,バランスを崩したような場合には,直ちに空いた手で,手すりを掴むことができるように心掛ける必要があったということである。そして階段は危険な場所であることをよく認識して,注意深く一歩ずつゆっくりと下りるべきであるということであろう。
12 私は,機会があるごとに,私の痛恨の思いを多くの人に伝えることにした。このような痛切な思いをする人をひとりでも少なくしたいと思うのである。「後悔は先に立たず」というが,今身に沁みてそれを実感していることになる。またその思いは今回の判断ミスという点だけではなく,結婚してから妻を亡くするまでの40年の結婚生活を振り返るときに,さまざまな小さな場面でそう思うのである。私は暴力亭主ではなく,比較的に細かな点に気付く人間であると思っているが,いざ妻を亡くして,もはや何もしてやることができなくなって仕舞うと,あの時もっと優しくできなかったものかとか,細かな点に気付かなかったこととか,寂しい思いをさせたのではないかなどと,甚だ多くのことを思うのである。それは,全く何もできなくなってしまった時に初めて,多くの後悔の念として頭に浮かんでくるような気がするのである。最近の私は,友人などに会うたびに,「奥さんに優しくしてる?」などと,余計なお節介発言をしているのである。
13 夫も妻も,配偶者との長年の生活に慣れて,謙虚に相手の意見や忠告に耳を傾けなくなって仕舞っているかも知れないが,「後悔先に立たず」と悔やむことのないように,まだ間に合ううちに,そっとひとりで反省し,密かに自分の態度を改めて,「出会いの頃」の気持ちを思い起こして一層優しくし,改めて妻に対して「再びの恋」をしたかったと,つくづく思うのである。(ムサシ)



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 表記についての記載に一部誤りがあるという事務員の指摘があり,

一旦全文を削除して,訂正を検討することになりました。

 お詫びを申し上げる次第です。(ムサシ)



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1 先日用事があって上京した際に,池袋に住んでいる次女夫婦の家に泊めて貰った。来年小学入学の男の子と4歳の女の子の2人の孫と遊んできた。男の子とはオセロの真剣勝負で,接戦であったが2連敗した。ふざけて「こんなチビに負けてたまるか」などと悪態をついていたので,孫は大喜びしたようで,近くまた勝負をすることになった。
2 下の女の子は「木の実博士」で「どんぐり」が大好きで,そこそこ大きい箱にどんぐりを沢山拾い集めていた。近くのあちこちの公園に行くと,どんぐりの木がないかと探すのだというのである。私も妻も2人の子も大のどんぐり好きで,夫婦裁判官として転勤するごとに,転勤先の宿舎の近くの公園などで,どんぐりの木を見つけては,拾って箱に集めたものであった。
3 そうすると,下の女の子のどんぐり好きは遺伝ということであろうか。「おじいちゃんに一番大きなどんぐりをお呉れ。」と言うと,「ダメ」と拒否されてしまった。しかしなお執拗にせがんでいると,中ぐらいのどんぐりをひとつ呉れた。
4 そのどんぐりを自宅に持ち帰って,仏壇に祭ってある妻の位牌の前に,「君の遺伝だよ。」と言って,そのどんぐりを供えたのである。
5 もう20年も前のことだと思うが,私の郷里の桃太郎を祭っているとされている有名な神社の裏山には,桃太郎の古墳があり,その頂上近くに大きな実のなるどんぐりの木を見つけて,親子4人でどんぐりを拾ったことがあった。そのとき次女はまだ小学生であったような気がする。そのどんぐりは,孫が集めていたどんぐりの一番大きなどんぐりの2倍はあるのではないかという気がする。そのどんぐりを沢山拾っておいて,今度上京するときに,孫にプレゼントすることにしようと思っている。そして,私も孫から,この前貰ったどんぐりよりも大きいどんぐりを沢山貰ってきて,妻の位牌に供えてやろうと思っている。きっと妻も喜ぶに違いない。
6 寺田寅彦随筆集の「どんぐり」という一文がある。妊娠中に肺結核になった奥さんが,ある体調の良い日に,近くの小石川植物園に行きたいというので,夫婦で歩いて出かけたところ,奥さんがどんぐりの木を見つけて,夢中になってどんぐりを拾い,自分のハンカチが一杯になると,夫のハンカチを借りてまた一杯にして喜んだという,微笑ましい夫婦の光景が描かれている。
 その後奥さんが亡くなり,奥さんのお墓に苔(こけ)の花が何回か咲いたころ,6歳になった忘れ形見の長男を連れてその植物園へ遊びに出かけたところ,その子が夢中になってどんぐりを拾い,5~6個拾うごとに息をはずませて,父のそばに飛んできて,父の帽子の中に広げたハンカチに投げ込むことを繰り返すのである。その様子を見て,父は母の遺伝だと思うのである。「大きいどんぐり,ちいちゃいどんぐり,みいんな利口などんぐりちゃん」と歌いながらどんぐりの頭をつつく長男の姿に,懐かしさと悲しい思いで亡き妻を忍ぶのである。そして亡き妻の長所も短所も全て遺伝して差し支えないが,母の悲しい運命だけは,この子に繰り返させたくないものだと,しみじみそう思ったというのである。明治38年の作品である。
7  わがやはみんなどんぐりが大好きであるが,そんなことから私は寺田寅彦一家に,わが家との類似性を見い出して,この随筆が大好きになったのかも知れない。(ムサシ)

             



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24 断酒は38日間続いた。39日目に妻と,親しい友人の3人で食事したので,その際飲酒した。ビールと日本酒の美味しさが胃に沁みた。多少多めに飲酒したので,翌日も断酒できるか不安であった。それまでの緊張感がプッツンして,断酒以前の状態に戻ってしまうのではないかと心配したのである。しかし大丈夫そうである。私のトレーニングメモに,飲酒しなかった日は○(勝ち),理由のある飲酒は△(引き分け)と記載される。何としても正当な理由なく飲酒して×印(負け)と記載することは避けたいという思いが強い。×印がつくということは,固い筈の決意が崩れたことを意味する。それは怖いということである。しかし飲酒した翌日も案外淡々として断酒できた。一つの山を越えたというのか,健康に関する一つの新たなシステムができたということかも知れない。
25 わが家には,今年私が作った梅酒が3瓶ある。いずれも1800CCである。氷砂糖を少なめにしたのでとても美味しくできた。1瓶の半分くらい飲んだ状態で断酒に入ったので,まだ沢山残っており,危ない。梅も美味しくなっている。断酒後は,梅酒の梅を1日1個だけ食べてよいことにした。また酒粕は健康によいとされている。以前NHKの「ためしてガッテン」で見た記憶である。ビタミンと繊維質が多いという内容であったと思う。以来この数年間,健康のためにと称して1日小さな1切れの酒粕をしぶとく食べてきた。そして最近新種の酒粕を見つけてしまった。「大吟醸」と名付けられている。しかも水分(絞り残りの酒)の量がとても多く,「これは美味い」という話である。食べ過ぎると酔うかも知れない。
26 最近のノンアルコールビールは驚くほど美味しくなっている。これまではとてもまずいと思っていた。今のところ3社のノンアルビールを試飲したが,1社のビールは私には合わない。他の2社のものはとても美味しい。このノンアルビールと梅酒の梅と酒粕「大吟醸」を活用することで,飲酒したいという欲望との格闘に勝利できそうな気がしている。種々策を練っているということである。
27 例年どおり今年もお盆明けに,1泊の人間ドックの検査が予定されている。断酒の効果はどうなのか。高校のクラスメートである担当医師を驚かせてやろうと,今から楽しみである。血糖値については5年位前に,ゴーヤジュースを始めた効果として血糖値が下がり,「君のその体型からみても,この数値はおかしい」と彼を驚かせたことがあった。今年はきっと,γーGTP(飲酒量の数値)でも,中性脂肪の数値でも,彼を驚かせることになるに違いない。できれば「脂肪肝よ,さようなら」となりたいものである。
28 このところむやみに空腹感が強く,まるで中高生に戻ったかのようである。体調がよいということなのかも知れない。体重はゆっくりと減っているが,今年末には70キロを切るつもりでいる。これは私が高校を卒業した頃の数値である。
29 今後,飲酒の結果を○勝○敗○引き分けとして,統計を取り,最近新たに作成した「健康ノート」に記載することにした。毎月の結果と連勝記録を纏めてみようというのである。家には50グラム単位で測定できる「精密体重計」もある。体重についても,結果を纏めることにした。単なる遊びに過ぎないが,甚だ愉快な気分ではある。毎日トレニングメモに結果を記入するのが楽しい。今年の末頃には一体どんなことになっているのか,それを楽しみにして頑張ってみることにしよう。(ムサシ)



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16 私とも親しかった50歳を過ぎたばかりの働き盛りの弁護士が,飲酒過多が原因と思われる肝臓ガンで亡くなったという出来事に,飲酒に関して日頃から反省気味の私は衝撃を受けた。丁度その直後に,私が年3回受けている健康診断の時期がやってきたので,私は掛かり付けの医院で血液検査を受けた。厳しい節酒を決意し,断酒状態になってから13日目のことであった。そして医師に,私が「肝臓ガンの心配はないか検査して戴きたいのです。」と告げた。
17 その数日後血液検査の結果を聞きにその医院に出かけた。医師は,従来とは別の検査を行なって下さっており,その腫瘍マーカーの数値を示して,「肝臓ガンの心配はないと思いますよ。」と言われたが,更に私が強く希望したため,すぐにCTスキャン検査もして下さったが,やはり肝臓ガンの心配はないとのことであった。但し脂肪肝であると告げられた。
18 血液検査の結果では,暫く飲酒していないためか,中性脂肪の数値が大幅に低下し,ほぼ正常値になっていた。血糖値を示すHbA1c(ヘモグロビンエイワンシー)は5・9(6・2以下が正常値)であった。飲酒量に関するγーGTP(ガンマジーティーピー)は少しだけ数値が低下していたが,正常値ではなかった。医師は,「この数値の低下にはもう少し時間がかかる。」と言われた。
19 そして医師は笑いながら,「この検査結果では,ほんの少し栄養失調ですね。」と言われた。赤血球数などがほんの少し不足しているというのである。「エッ!本当ですか?嬉しいです!」などという妙な会話が交わされた。
20 家でも外でも正当な理由なく酒を飲まないと決意してから,なぜか外での飲酒の機会もなく,1か月が経過した。多い時は週2~3回飲んだことも少なくないので,また近く飲酒する時が来ることは間違いない。正当な理由があれば飲んでよいことになっている。久しぶりに酒の味を思い出した後も,「家でも外でも正当な理由なく飲酒しない。」という決心が崩壊しないでいられるかについては,依然として宿題のままである。現在31連勝0敗0分けである。「分け」は正当な理由があって飲酒した場合に記載される。
21 この間少し時間をかけて,「トレーニング一覧表」を改訂した。内容もきめ細かく充実し,使い易くなった。朝の起床時から夜の着床時まで,運動でのトレーニング項目や仕事や読書や趣味などの計画も記載される。従って,その一覧表に記載された項目を順番に従って淡々と実行してチェックして行けば,いつの間にか多くのトーニングができてゆくという話である。これは役に立つ「システム」のような気がする。
22 体重を1日30グラム,月1キロのペースで減らそうと思っていたところ,この1か月で2キロ余りも痩せてしまった。飲酒したい思いと断酒が続くことの喜びとの葛藤に,断酒の喜びが勝利しているということのようである。
23 今後どのような展開が待っているのかは不明であるが,何となく面白いことになりそうで,期待できそうな気もする。そういえば以前「いつまでもデブと思うなよ」(岡田斗司夫著)という本を読んだことを思い出した。1年で体重を50キロ減らして67キロになったというのである。私も少なくとも1年で10キロ減らして,70キロを少し下回る体重を目指すことにし,脂肪肝ともサヨナラしたい。(ムサシ)



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6 今年5月末ころ,ふと節酒しようと思い立った。文字どおり酒を「百薬の長」にしようと思ったのである。しかし一旦飲酒を開始すると,その日の飲酒量を低量に押さえるのは容易ではない。百薬の長であるためのアルコールの量は純粋アルコールで30CCなので,ビールなら500CC(ロング1本),日本酒なら1合である。
7 結局節酒開始を思い立ってから連敗を続け,6月前半は3勝12敗という結果であった。家では一切飲酒しないという限定的断酒を決意したが,容易ではなかった。そこで6月前半の最後の日である6月15日の夜,自宅での飲み納めのつもりで,多目の飲酒をした。「明日からは絶対家では飲酒しないぞ。」という決意表明であり,自分に言い聞かせ,納得させようとしたのである。
8 その後不思議なことに,1滴も飲酒しない日が継続できるようになった。なぜかたまたまこの間,懇親会などもなく,飲酒しない日が今日で20日目となっている。6月の後半は,全く飲酒しない日が15日間継続したので,事務員には,相撲風に「6月後半『場所』は全勝優勝です!」と伝えた。家の外での飲酒の際に,飲酒量を控え目に押さえることができるかどうか,その日の帰宅後飲酒しないでいられるかどうかは宿題のままである。自信はないが,自らの尊厳を懸けてやるしかないということになる。
9 私は自作のトレーニング一覧表に,トレーニングの成果を記録している。最近,飲酒に関する記入欄を充実させた。全く飲酒しない日は◎,外での許される飲酒は△,外での許されない飲酒と自宅での飲酒は×が記入される。
10 その後体重は期待するほどには減量しないが,少しずつ減少してはいる。体調も何となくよいようで,なぜか以前よりも空腹感が強くなっている。胃腸が健康になっているということなのかも知れない。とにかく10キロ減量することにした。毎日体重も記録されている。
11 私が変則的な断酒を開始して間もないころ,身近な所で,ある衝撃的な出来事が発生した。当地の50歳を過ぎたばかりの弁護士が突然病死したのである。死因は肝臓ガンだそうであるが,彼は酒好きで,かなり肥満体であった。妻とその話をした時,妻は,「次はあなたかもね?」という眼をして私を見た。この出来事も私の断酒の決意を本気にさせる原因となったことは間違いないところである。
12 また久しく飲まないうちにノンアルコールビールが予想以上に美味しくなっていたことにも助けられている。
13 「さびしみて 生ける命の ただひとつの 道連れとこそ 酒を思ふに」(若山牧水)という短歌がある。私は,「さびしみて」生きているわけでも,酒を「ただひとつの道連れ」と思っているわけでもないが,私はこの短歌が好きである。酒を愛する者としての共感ということなのであろう。断酒や節酒をしても,この短歌が好きであることに変化はないだろう。
14 いずれ本当の「酒の達人」となって,外でも家でも適度に酒を楽しむことができる人間を目指して,名実ともに「酒を百薬の長」にしたいと思っているが,それは遙か未来の夢物語なのかも知れない。
15 そして,私が断酒を本気で決意した真の理由は,乳ガンに罹患している妻の病気に対して私の切なる願いが込められているということである。(ムサシ)



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1 突如として「断酒?宣言」をすることになった。正確には「節酒宣言」ということになる。病気だから酒を止めようということではなく,一応健康体なのであり,弁護士としての仕事はまだ暫くは続ける予定であるので,職業上必要な飲酒の機会には,今後も飲酒は続けるつもりである。そこで「断酒」ではなく,「節酒」ということになるが,家でひとりでは絶対に飲酒しないことにしたのである。結構固い決意ではある。「酒は百薬の長」であるので,飲酒量を減らすという選択肢もある。しかしその方法では必ず失敗するに違いないと思うのである。懇親会の場合にも,酒量は大幅に減らし,帰宅後は飲酒しないことになる。「断酒?」は既にある程度実験済みで,成功する自信ができたので,この一文をこのネットのブログに投稿することにしたのである。
2 私は以前ヘビースモーカーで,1日2箱の喫煙をしていたが,忘れもしない昭和53年5月の給料日にピタリと喫煙を止めたのである。「健康のために強い意志でキッパリと煙草を止めた」というような,そんな格好いい話ではなく,意志の弱い男の笑い話に過ぎない。その年の4月私は判事補として和歌山地裁に着任したが,釣好きの先輩裁判官から「和歌山は釣りのメッカで,堤防からの紀州釣り(ぬか団子釣り)でチヌ(黒鯛)がよく釣れる。」と言って釣りを誘われたのである。私も釣りは好きで,キスの投げ釣りは得意であり,投釣用の竿は数本持っていたが,チヌ釣りの経験はなかった。そこでチヌ竿などの釣具を買うために,同期の裁判官であった妻に小遣い値上げ請求をしたところ,「煙草を止めて釣竿を買ったらどう?」と即座に拒否されて,やむなくそうしたのである。その年の5月の給料日にチヌ竿を1本買って,煙草を止めた。煙草とチヌ釣りのどちらかの選択を迫られて,やむなく釣りを選択しただけのことであるが,そのお陰で,結果として現在も肺ガンなどにならず,健康であるということなのである。「母ちゃん,小遣い値上げ請求を拒否してくれて本当にありがとう。君のお陰で今も肺ガンなどにならず元気なんだよ。」という笑い話なのである。もっとも当時はまだ煙草が有害であるという説を聞いた記憶はなかったが。
3 ところで,断酒や禁酒と禁煙はどちらが困難であろうか。実は私はこれまで長期間に亘り繰り返し「節酒」を試みたが,見事に失敗してきたのである。酒が百薬の長であるためのアルコール量は,純粋アルコールの量にして30CCであるとされている。ところが節酒の決意はいつも,飲酒開始後に脆(もろ)くも崩れ,一旦飲酒するとアルコール量を30CCに押さえるのは至難の業である。そして「今日1日だけはオーバーを許すが,必ず明日からは・・」となり,それが実現できる明日は永遠にやって来ない。
4 このたびは変形の「断酒?」が成功しそうな気配であるが,妻は全く信じてくれない。私は断酒の策として,毎日ビール350CCと日本酒ワンカップ1本(1合)を飲んだことにし,その酒代を500円とみて,断酒貯金として毎日500円を貯金することにした。そのために空になったペットポトルをハサミで切断して,マジックで「断酒用貯金箱」と記載した貯金箱を作成した。そして毎日500円硬貨1個をそれに投入している。不思議なことにこの工夫により,私の断酒の決意は強化され,飲酒しようとする衝動との戦いに連日勝利している。いずれ「断酒貯金」により巨万の富を貯めようかと,認知症老人の夢を見ている気分であるが,この貯金は案外楽しみになっている。
5 そして私が断酒を本気で決意した真の理由は別にあるが,今は書かない。(ムサシ)



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26 ヒトラーは政治権力を握ると,他政党や党内外の政敵を弾圧し,極端な独裁政権を樹立して,政敵などを殺害粛正し,ひいては第二次世界大戦を引き起こした。そしてユダヤ人などの民族的な虐殺政策と狂気の独裁政治を推進し,結局敗戦して自殺したのである。これはヒトラーの特殊な個性による部分が多く,また時代背景も異なるし,現在の日本がこのようなことになるなどとは思わない。しかし少なくとも,憲法を改正することなく,結果として憲法よりも法律の効力を優先させたという点では,現代のこの日本において,かつてのドイツと同じことが起きており,異常事態だということになる。
27 私は戦前の日本の歴史も,極端な政府の暴走であったと思っているが,ヒトラーと同じように,憲法をないがしろにし,憲法違反をしたのかどうかはよく知らない。
28 ヒトラーを支持したドイツ国民は,余りにも軽率で愚かで無責任であったと私は思う。そしてその結果としての悲惨な「つけ」は国民が支払ったのである。またわが国の戦前についても同様であると思う。軍部が無謀な戦争に突っ走り,戦争に反対すると治安維持法等で逮捕された。しかし私は,そうなった歴史については,やはり日本国民の責任が大きいと思うのである。仕方がなかったでは済まされない。そして歴史の教訓は大切にしなければならず,愚かな歴史は繰り返してはならないのである。政府の暴走を放置してはならない。主権者である国民がしっかりと自覚して政治を監視しなければならないし,国民には大きな責任があるのである。
29 憲法の規定に反する法律は無効である。これは明確なことである。現在の日本においては,現政権が暴走し,憲法違反という事態が生じているということである。歴代の政権も,憲法学者の殆ども,そして国民も,これまで日本国を挙げて違憲だとしてきた内容の法律を,国民が納得できるような説明もなく,国会の多数で強引に押し切って法律を成立させてしまったものであるから,そのような政治を信頼できる筈がない。わが国が良識ある理性的な現代の法治国家であり,立憲主義国家であるためには,まず国会と内閣が憲法を厳守するという強い決意を持つことが必要である。国会と内閣は,主権者は国民であることをよく認識し,謙虚に国民の声に耳を傾けて,国民が納得するような見識ある政治を行なうことが求められている。
30 国民は主権者である。国民一人の力は大きいわけではないが,国民のひとりひとりが,自分は主権者であることを自覚して行動するならば大きな力になるということである。
31 歴史を振り返って見ても権力を握ると人は変化し,堕落することが多い。 違憲であるかどうかの判断は,最終的には裁判所ないし最高裁の判断になるにしても,その前の段階で憲法の専門家である憲法学者の意見は尊重されるべきであると思うのである。憲法学者の圧倒的多数の意見を無視して,それに反する結論の法律を,国会の多数で押し切るような政治は,到底まともな政治ではないし,まともな国家である筈がない。やはり国民は,呑気にボンヤリしていてはならず,戦争に巻き込まれる前に目覚めなければならないと思うのである。(ムサシ)

 



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1 5月の連休中に次女とその子2人が4泊5日でやってきた。上が男の子で来年小学1年生入学,下の女の子は子供の日が誕生日で,4歳になった。孫は全部で4人いるが,長女の2人の子は今回は来ることができなかった。孫が4人揃うと大変なことになる。
2 早速「虫取網はないか」と注文が来た。そういえば,うかつにも以前あった虫取網もいつの間にか処分してしまったようで,見つからなかった。しかし以前私が熱心に釣りをやっていたころの,鮎用の柄の短い網と,チヌ用の玉網が見つかった。庭では丁度アゲハ蝶の幼虫が羽化するシーズンである。2人の孫は,その網でアゲハ蝶を捕らえようとしていたが,うまく行かなかったらしい。「おじいちゃんはアゲハ蝶だ。捕まえろ。」と言って,2人の孫がそれぞれ網を持って追いかけてきた。「ヒエー,助けてくれ。」と言って庭を逃げ回ったが,とうとう私の頭は,同時に2本の網の中にスッポリと捕獲されてしまった。「助けてくれ。」と頼んだが,なかなか許してくれなかった。
3 その後間もなく,下の女の子が,昔母親たちが使った小さな籠を見つけてきて,花を摘んで籠に入れ始めた。あっという間に籠は摘み取られた花で一杯になった。それをどうするかと思って見ていると,台所のガラス容器を取り出して少し水を入れ,その上に花を並べて行ったのである。青とピンクの矢車草,金魚草,紫露草,シラン,ヒナギク,ペチュニア(朝鮮朝顔)などでが40~50個ある。花飾りは案外綺麗にできた。「おじいちゃんも手伝って」と,何度も庭に呼ばれて,花飾りは4個になった。なかなか見事である。庭には矢車草の大きな株が5株あり,1株に100個以上の花が咲いていたので,庭が悲惨な事態にはならなかった。孫は花の部分だけ摘んで,枝を折ることはしなかったのである。そういえば,以前も同じようであったことを思い出した。
4 次の日の昼前に,家から500メートルの所にある岡山後楽園まで5人で歩いて出かけた。車で行くと,孫たちが余り疲れないので,朝5時過ぎに起きるので,親がグロッキーになってしまう。孫たちを疲れさせる作戦であった。公園の入口近くで,美味しい桃の冷凍ジュースを飲んだ。公園の中を半周位したとき,皆で広い芝生に寝転んで大の字になり,青い空を見上げた。久しぶりにジックリと空を見た。夏目漱石が重症の胃潰瘍から生還した伊豆の修善寺の大患の後で詠んだ俳句である「生きて仰ぐ 空の高さよ 赤とんぼ」を思い出した。風が心地よい。孫たちは靴下と靴を脱いで芝生の上を走り回ったり,ごろごろと転げ回って,オオハシャギをしていた。2人の孫の肩車もさせられた。重かった。梅入りで少し酸っぱくて美味しいソフトクリームも食べた。
5 夜は長男とオセロゲームをした。駒の白と黒を使って,挟んだ駒を自分の色にひっくり返して,駒の色の多さで勝負が決まる。案外手強い。「クソ-,負けてたまるか」,「チビのくせになかなかやるな」,「その手は桑名の焼き蛤」,「しまった,その手があったか」などと,ふざけて大騒ぎした。結局夜3敗,次の日の早朝5時半から3敗,通算6連敗である。「ワーイ,勝った,勝った!」と長男が大喜びしたことは言うまでもない。
6 最後の日は空港まで車で送りに行った。空港で昼ご飯を食べて,所定の時刻に孫たちは飛行機の搭乗口に向けて去って行った。夫婦で手を振って見送った。それから約2時間後に,次女から電話があった。無事羽田空港に着いたこと,長男が「帰りたくない。」と言って飛行機の中で大泣きしたという報告であった。また遊びに来るように伝えて貰ったが,わが夫婦の心が温かい思いに溢れたこともまた言うまでもない。(ムサシ)

 



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1 私は,かつてたばこを1日2箱吸うヘビースモーカーであったが,今から30年余り前にキッパリと止めた。そして今,「健康のためにたばこを吸う?」などと,妙なことを言い出したのである。私は「健康オタク」を自称しており,これまでも何かと「健康遊び」を実行してきたが,このたびその「健康遊び」を強化しようということである。
2 たばこは1箱440円位のようである。1月で約1万3000円になり,健康被害も無視できないことになる。ガンは約10年かけて発症するのだそうである。
3 たばこを吸うと肺ガンや色々な健康被害の原因となる。しかしたばこを吸ったことにして,煙草代相当額を全額健康のために投入することにすると,何か面白いことが起こりそうな気がする。たばこを吸ったつもりになると,この資金の投入が全く惜しいという気持ちにならないで済む。これは名案ではあるまいか。私はこのたびいろいろと考えて,更なる「健康遊び」として,「たばこ代健康法」を実験することにしたのである。さしたる動機はなく,ふとした思いつきに過ぎない。
4 私は以前から,健康に有用な3食品として,納豆,豆腐,ヨーグルトをセッセと食べることにしてきたが,「たばこ代健康法」の一工夫として,最近ヨーグルトに含まれている乳酸菌やビフィズス菌を多く摂取しようと考えて,そのカプセルを飲むことにしたのである。私はもともと自称「快便児」なのであるが,このカプセルの飲用を開始してから,その傾向は強まっており,腸が活性化している実感があって,甚だ痛快である。
5 最近,米ぬかの抽出物である「フェルラ酸粒」を,通販で購入して飲んでいる。健康雑誌の影響である。「脳活性食」とか,「認知症防止剤」とか言われているので,脳の老化防止効果があるということなのであろう。何せまだ認知症の気配はないので,健康遊びとして甚だ気楽な話である。しかし楽しみではある。
6 抗酸化作用の強いポリフェノールとして「アスタキサンチン」がある。これは鮭に含まれている赤色の色素であるが,ビタミンCの約6000倍の抗酸化作用があるとのことであり,サプリメントも案外高額である。もう何年も飲んでいる。
7 私は,昨年夏に緑内障と白内障の治療をかねて左眼を手術し,今年1月に白内障の治療のために右眼を手術して,それぞれ一応成功した。私は10年以上も前から,両眼の健康のためにブルーベリーから抽出された紫色の色素であるアントシアニンの錠剤を飲用してきた。直接目の健康に効果があったという実感には乏しいが,各種の目に見えない効用があったに違いないと思っている。アントシアニンはビタミンCの約50倍の抗酸化作用があるとされており,「たばこ代健康法」の重要な内容になる。
8 私は以前から,ミネラル入りの総合ビタミン剤を飲んできた。そして最近本気で減量するための努力の一環として,お茶の「ヘルシア」を2日に1本飲むことにした。
9 私は,これまで散歩その他の運動や,野菜果物などの摂取に気を配ってきた。その結果かどうかは定かではないが,70歳を過ぎても髪は黒く,血糖値も正常である。そして今回の「たばこ代健康法」のために,前記の金額を全額使い切ることにした。効果の有無などどうでもよい。妻と2人で,とりあえず半年間実験するつもりである。まだこれでもたばこ代相当金額を全部使い切る計算にはならず,「たばこ代健康法」も案外大変で,更なる頑張りが必要になりそうである。もっとも,気楽な実験なので,「やはり止めました」ということになるかも知れない。(ムサシ)



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18 憲法や法秩序を無視するような政治の暴走は,一時的に成功するかのような状況となることがあったとしても,結局長続きする筈はない。主権者である国民はそこまで愚かではないし,政治の暴走は必ず早晩破綻するに違いないと私は思う。
19 人類は比較的近い過去の歴史の中で,もっと極端な政治の暴走と悲惨な結果を経験している。第一次世界大戦に敗北したドイツは,帝政ドイツが崩壊した後の1919年8月にドイツ共和国憲法を制定した。これがワイマール憲法であるが,この憲法は,国民主権を規定し,自由と正義のもとで内外の平和に貢献し,社会進歩を促進させることを目指しており,社会権保障を志向するなど,現代憲法への転換がなされ,その後に制定された諸外国の憲法の模範となったとされており,当時世界で最も民主的な憲法とされていたとのことである。
20 ところが1929年の世界恐慌で大量の失業者が溢れたという事情などもあって,ドイツでは急速にナチスが勢力を伸ばして,1933年1月にヒトラー内閣が誕生した。そしてその僅か2か月後には「全権委任法」が成立したのである。この法律は,ヒトラー内閣にワイマール憲法に拘束されない無制限の立法権を付与したものであり,憲法違反の法律であるが,ワイマール憲法は改正や廃止の手続きが取られることなく,事実上停止状態になった。つまりワイマール共和政は崩壊したということになる
21 なぜそのようなことになったのか。それには理由がある。初期のヒトラは国民から熱狂的に支持され,民主的手続きを経て首相に就任しているのである。1934年には,大統領と首相を統合した「総統」職を新設して,自らその職に就くために国民投票を実施したところ,賛成票は実に90%を超えたというのである。
22 ヒトラーは,失業率30%,失業者600万人を抱えて麻痺していたドイツ経済を4年間で,アメリカに次ぐ世界第2位の活気に溢れた経済に一変させたという。それは奇跡的な成功であったものであり,当時の経済学の理論に反した方法で成し遂げられたというのである。ヒトラーは有効需要を国が生み出すという経済政策を推進したのであるが,それは経済学者のアドバイスを無視して,社会保障と福祉を中心にして,生産力の拡大と完全雇用を目指した失業抑制政策であり,ヨーロッパの各国の失業者が1個のパンを求めてうめいていたときに,ドイツ経済を活気に溢れた経済に一変させたというのである。
23 ナチスドイツには,シャハトという天才的な経済担当者がいたのだそうで,第一次世界大戦の敗戦で,賠償金の支払いで不況のどん底であえいでいたドイツを,アッという間に救ったというのである。その成功は,失業をなくしインフレを抑えたということである。
24 それから40年後に,当時世界の最先端を行った経済学者であったガルブレイスは,「ヒトラーの経済政策は,現代の経済政策を予見していた。」と評価したそうであるが,「それはヒトラーの経済学の知識によるものではない」とも付け加えたという。
25 ヒトラーには優れた才能があったということではあるのだろうが,一体彼はなぜ致命的に間違ったのか,ヒトラーを熱狂的に支持した国民にはどのような責任があったということになるのか,興味を覚えるところではある。(ムサシ)



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