日本裁判官ネットワークブログ
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産経連載「君たちのために」第39回(07年12月26日大阪版夕刊)

                         弁護士 井垣康弘

悩める親たちのために

田村裕著『ホームレス中学生』のお母さんの子育てを「母親の普通の愛情」だと説明させてもらった。すると、早速読者(母親)からお便りをいただいた。

「紙面を読んでいる最中から涙があふれ、切り抜いて職場の昼休みにまた読み、1人声を押さえて泣きました。(育てた男の)子どもがそんなささいなことをうれしく思ってくれているとは知りませんでした。子どもにはお金を掛けるなど特別なことをしてやらないとダメな親だと思い込んでいましたが、今まで自分が実際にしてきたことで良かったんや!と自信が持てました」。

このお便りは、うれしかった。田村裕少年のお母さんは、「子育て」をたっぷり楽しまれた。この読者も、ご自分のこれまでの「子育て」に自信を持つことで、今後の息子さんとの関係が豊かなものになり、かつそれが人生の楽しみの1つになるだろう。

市民講座で、少年たちによる「リンチ傷害致死事件」について、具体的な例をあげて講演したことがある。5人組のうち4人が傷害致死で刑事・民事の責任を負ったが、1人はその場から逃げて、何の責任も負わなかった。その子は、険悪な雰囲気が高まり、今にもリンチが始まろうとしたその瞬間、「ボク、塾の時間や」とうそを付いて一目散に走り去った。

講演のメインテーマは、加害者4人と被害者遺族との間の謝罪や償いのための対話(修復的司法)であったのに、参加者からの質問は「どうすればそのような機転のきく賢い子どもに育てることができるのか?」と逃げた子どものことに集中した。「ごく普通に愛情をそそいで育てたら、子どもは非行に走りません」と力説したが、全く納得いただけなかった。

今回、『ホームレス中学生』が出版されたおかげで、親が楽しんで子育てしておれば、何の心配もいらないことを理解していただけたと思う。

しかし、実際に「悩んでいる親」はたくさんいる。我が子の「非行」に悩んだ親たちの自助的活動の中から生まれたNPO法人に、非行克服支援センターというものがある。ここが、年3回定期雑誌の発行を始めた(私も編集委員である)。「ざ ゆーす」(新科学出版社(840円)といい、書店で注文もできる。

創刊号は「子どもの問題と家族」を特集している。その中の1つに、評論家の芹沢俊介さんの「子どもにとって家族とは」という原稿がある。小さい子どもが親の側に来て「ねえ」と言ったときに、今していることを止めて即座に「なあに」と対応すべきである。それをしないで、「ちょっと待って」と言い、結局そのままになってしまうことが積み重なると、子どもは「親ないし大人」を信頼しなくなり、その結果は恐ろしいとのことである。この話は良く分かる。一読を強くお勧めしたい。


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産経連載「君たちのために」第33回(07年11月14日大阪版夕刊)

                      弁護士  井垣康弘

母親の普通の愛情


「どうしたら子どもを非行に走らせないことができますか」という質問を受けたら、私は「ごく普通に愛情をそそいで育てたら、子どもは非行に走りません」と断言するが、納得してもらえず困っていた。

だが、最近出版された田村裕著『ホームレス中学生』に登場するお母さんの子育てを「普通に愛情をそそぐこと」の具体例として説明すると、全員が即座に「分かった!」と顔が輝く。本当に助かる。

田村少年は、中学2年生の夏、一家が突然「解散」して公園でホームレス生活をせざるを得なくなった。公園の草やダンボールまで食べたが、飢え死に寸前の状態で、コンビニのパン売り場の前に行き、よだれを垂らした。盗むか盗まないか迷いに迷った。

そのとき、小学校5年生のときに死んだお母さんの顔が浮かんだ。お母さんが見ていたらどんな顔をするか、それを考えると、どうしても盗む気になれなかった。腹の虫が負けて公園に帰ると幸い、パンの耳を鳩にあげているおじさんに出合い、それを分けてもらって食べ、命がつながった。

 田村少年は、「あの日、もしパンを盗んでいたら僕の人生がどうなっていたかを考えると、ぞっとする。お母さんが見ていてくれた。お母さんが止めてくれた。お母さんが守ってくれた」と喜ぶ。

 ところが、このお母さんが、
ごく普通のお母さんなのである。田村少年の頭を何度も巡るお母さんとの温かい思い出が30ほど書かれている(幼児期に万引きをして叩かれたことも入っている)が、主なものを要約させてもらう。この親子関係が田村少年の万引きを阻止したのである。

◇外で遊ぶのが好きで、いつも服や靴下をドロドロにして帰ったが、お母さんは「もう、こんなに汚して」と口では言いながら、うれしそうな表情を浮かべていた。そして真っ白に洗濯してくれた。

◇(よく忘れ物をするのに)僕が大好きだった牛乳だけは一度も買い忘れがなかった。

◇お風呂で、頭のてっぺんから足のつま先までしっかり洗ってくれた。湯船に一緒に浸かると、僕の肩に手でお湯をすくってチャプチャプ掛けてくれた。すごく好きで、とても気持ち良かった。至福の時間だった。毎日お母さんと一緒に風呂に入った。

◇幼稚園のころからお母さんがスーパーのレジで働き出した。毎日迎えに行った。晩ご飯の買い物をしてお母さんと手をつないで一緒に歩いた。安心感に満ちた楽しい帰り道だった。

◇湯豆腐は苦手で、「熱くて食べられへん」とダダをこねると、豆腐をフーフーして食べさせてくれた。それだけで不思議と豆腐を美味しく感じた。お母さんの不思議な愛の調味料(だった)。

◇こたつで寝ると、布団まで抱っこしていってくれるので、
何度もこたつで寝たふりをして抱っこしてもらった。

◇小学校5年生のとき、お母さんは病院でがんで亡くなったが、最後まで家族に心配を掛けまいと笑顔だった。


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産経連載「君たちのために」第3回(07年4月18日大阪版夕刊)

           弁護士 井垣康弘

少年院へ行くか、行かないか

 毎年何十人もの中学2、3年生の身柄付き審判をする。少年鑑別所に入れて、心身の鑑別を受けさせ(報告は書面でもらう)、審判の席に、鑑別所の職員が(手錠を掛けて)連れてくるのを、身柄付き審判と言う。

 進んで、「少年院に行きたい」と言う中学生は1人もいない。全員が、「懲りた、家に帰りたい、学校に行きたい、勉強も一から頑張りたい」と半泣きの顔で言う。審判の席には、親の他、中学の先生方も見えている。校長・生徒指導・担任のセットが一番多い。   

 神戸家裁の実際では、審判の何日か前に、中学の先生が裁判官室を尋ねてきて、「あの子には手を焼いています。少年院に入れてください」とこっそり言う例が多かった。その種の陳情と分かっていて平気で取り次ぐ調査官には驚いた。私は、もちろん、「ご意見は審判の席上少年本人の前で述べてください」として全部お引取り願った。

 すると、審判まであまり日数がないが、学校側と少年側とで、真剣な話し合いが始まるのだ。先生たちが何回も鑑別所に通って少年と面接を繰り返し、親とも話を詰める。審判の前日は徹夜の交渉だったというケースもあった。

 ともあれ話がついて学校が引き取る決断をした場合、それを無視して少年院に送った例はない。

 校長が、その中学校始まって以来最悪の不良とされていた少年と鑑別所で直談判し、2人だけの秘密の約束をした。何と校長の趣味である毎週末のハイキングに卒業までの半年間少年が付き合うことになったのだそうだ。実践の結果はなかなかのものだったらしく、ビデオに撮ってある、卒業式での少年の「ボクと校長」という「謝辞」は、校長いわく、「教育にたずさわる人間として、自分をほめてやりたい宝物だ」そうである。

 話がまとまっていない場合は、審判の席で、「条件闘争」が始まる。まず、学校側が、その子のためどのように困っているのを具体的に語る。そして、学校に戻りたいのなら、「あれこれを親子とも全部守ってほしい」と多くの条件が示される。

 たいていは、「ともかく実践してみるので…」と約束し、半信半疑の学校側から「家裁の調査官による支えがほしい」との要望が出されて、試験観察になることが多い。

 しかし、親子とも、「全部実行できる自信がない」と正直に告白することもある。そして、「少年院ってどんなところですか?」と質問攻めに会う。親は、普通、「ひどいイジメに会い、悪いことを一杯教えられて箔が付いて帰ってくる」と恐れおののいている。詳しく説明すると、では「半年ほど少年院で頑張ってこようか」という流れになる。教師も「月2回面会に行きますから…」と助太刀する。裁判官も「一度は会いに行くよ」と励ます。そのようにして少年院に送った中学生の場合、少年院での成績がよく、その後の経過もすばらしい。



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産経連載「君たちのために」第2回(07年4月11日大阪版夕刊)
         
 弁護士   井垣康弘

みんな「良い子」だったのに

 中学2、3年生ころになって非行に走った子どもたちに限って言うと、小学生の段階では、みんな「とっても良い子」であった。

後で分かった問題は、本人が「勉強をしたくない」、親も「まだまだ構わない」、小学校の先生も、「親子がそれで良いならば」で過ごしてきたことである。

この子たちは、授業中にウロウロしたり、学校で暴れたり、先生に楯突いたり、不登校になったりはしない。

分からなくても、授業時間の間、おとなしく、教室の机に座っている。終わったら、一目散に帰って友達やゲームで遊ぶが、家のお手伝いは何でも良くする。犬の散歩はお得意の一つだ。近所のお年寄りにも、丁寧なあいさつができる。

実際、勉強こそしないが、親子兄弟の間で話もちゃんと出来るし、人に優しいとても良い子なのである。

大人(親や先生など)からもほめられ、本人も自己評価が高い。将来、非行を行う(ましてや中学生の段階で少年院に行く破目に陥る)とは、親子も先生も全く思っていない。

だから、参観に行った少年院での中学卒業式で、卒業生代表の話が、「何と言っても皆3年前の入学式を思い出す。桜が咲き誇る校門を期待に燃え、ニコニコしながらくぐった。お母ちゃん(2年後には、ババア、ウルセイ、ダマレとののしる相手であるが)と仲良く手をつないで、ルンルン気分で、行った子もいる。しかし勉強が分からず、部活につまずき、不安でいっぱいで、それを紛らすために『ワル』になって行った。でも本当は寂しかった。そしてとうとう少年院に来てしまった。でも、これからやり直せると言う確かな手応えを感じているので、割と明るい。頑張るので期待してください」ということになるのである。

 実際には、小学校で、読み書き算数が皆目分からない子が、中学校の授業に普通に付いていける訳がない。見る見る引き離される。本人たちは、決して言葉として語ろうとしないが、その「劣等感」やすさまじいものがあることだろう。

 少年審判の席で、少年たちから「ボクは万引が上手だから一生食うに困らないと思っていた…」とか、「ちょっとにらんで貸せと言ったら学生から簡単に金がせびれた。優越感を味わっていた…」とか、「ボクはひったくりの名人で、とった金を一千万円貯めて何か事業をしようと思っていた…」とか、「学校の先生や親は、『ウルサイ!』と怒鳴ったらそれでおしまいだった…」とか言う言葉を聞く度に、それらは「落ちこぼれ」にされた子どもたちの苦しみや恨みの裏返しの表現だと思った。

 少年院に入ってからとはいえ、毎日何時間も頑張り、漢字の読み書きだって、「アッと言う間」に修得し、人生に対する期待に満ちあふれるようになるわけだから、そもそも本人たちに努力不足の責任があったことには間違いがない。


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産経連載「君たちのために」第1回(07年4月4日大阪版夕刊)

                 弁護士 井垣康弘

初等少年院での変化

 わが国の安全神話が崩れ、少年犯罪も凶悪化・低年齢化し、恐ろしい世の中になったと皆が思うようになった。

 「子どもを生み育てることも怖い」という感覚が一般に広がれば、少子化を後押しし、やがては民族の滅亡に至るかもしれないとさえ思う。

 仕事柄、中学三年生を何十人も少年院に送った。何度捕まっても懲りない札付きの子どもたちだ。コンビニを自分個人の冷蔵庫だと思っていて、働かなくても一生食い物には困らない結構な身分だとうそぶく。街路は、ひったくり・かつあげ・おやじ狩りの獲物をあさる草原だと思い込んでいる。茶髪・ピアス・まゆ毛のそりこみで、おとなしそうな生徒から小銭をせびるのは簡単だと言う。ひったくったかばんの中から、一万円札が何枚も現れたときのうれさは言葉で表せないと得々と語る。おばあさんからひったくったかばんの中に250万円を見つけたときは、携帯電話を掛けまくり、地域のワルを全員集め、朝までドンチャン騒ぎをしたそうな。
 
 どのような中学生かと言うと、大体学力が小学校3年生レベルだで止まっている。漢字はほとんど分からず、新聞も本も読めない。九九も全部は言えず、分数は皆目分からない。

 従って授業はひたすら苦痛である。高校にも行けそうになく焦る。しかし、何かトラぶると教師から「来なくてもよい」とのメッセージが発せられる。家庭でも、親からうるさく言われる。心が安らぐのは、地域の似たような仲間(先輩や同級生)と一緒にいるときだけ。その唯一の居場所で、ワルの学習をしっかりするのである。
 
 このような中学生を捕まえて、初等少年院で教育する。品川裕香著「心からのごめんなさいへ」(中央法規)は、宇治少年院を描いている。

 「少年の日記の変化に驚いた。」と書かれている。入院当日のある14歳の少年の日記はこんなふうだったと言う。

 「僕は、さいやくな人げん、だとおもいました。にどと、こんなことお、やらないように、どりょくします。口でゆうのわ、かんたんだけど、それお…」

 それが、一カ月半後にはこのように変わるのだ。

 「2週間ぶりに訓練体育に出ました。とても体が鈍っていました。…(略)…入院した時より僕は漢字が書けるようになりました。もっといろんなことを覚えたいし、勉強もしたいです。そして早く新聞を読めるようになりたいです」

 しかし、少年院で教えられることが、なぜ義務教育の過程でできないのかと、同書は鋭く問い掛ける。






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