日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
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 前々回,続けている習慣として「水泳」の話をしたが,もうひとつ,続いているものとして,ラジオのドイツ語講座がある。大学生のころ「ドイツ文化研究会」という旧制高校的クラブに入って,ドイツ文学に親しんだが,卒業後しばらくは,ドイツ語からは遠ざかっていた。あるとき(もう数十年前のことになる),急に懐かしくなって,NHKのラジオ講座でドイツ語を再開した。以来,熱心に聞くかと思えば,フランス語やスペイン語などに浮気をし(当然ながら,いずれもものにならなかった),しばらく離れると寂しくなって,また聞き出すという繰り返しであったが,最近の10年はとぎれることなく続いている。

 そもそも始めたきっかけは,ドイツ語を流暢に話したいという目的が第1だったが,継続しているわりに上達しないので,それは断念した。ドイツ旅行の際に少しは役立つかもしれない,という気持ちもないではなかったが,実際の旅行では私のドイツ語より家内の英語の方が通用するので,成果があがっているとはいえない。そうなのだ。すでに目的はどうでもよく,ただ,耳にドイツ語が飛び込んでくるのが,なんともいえずうれしいのだ。大学の教養部時代という限られた期間ではあったが,2年間ドイツ語づけになったことで,身体にしみこんだのかもしれない。まさにアンゲネーム(快適)だ。

 こうして,気楽にドイツ語と取り組むと,かえって余裕ができるのか,またドイツ文学を読み返したくなるから不思議だ。カフカの「変身」を取り上げたシリーズがあったので,それをきっかけに,同書を読み返すとともに,裁判所の友人たちとしている読書会で,「審判」を推薦したりもした。そして,先日の放送では,主人公がドイツを旅する金曜日の講座で,作家シュトルムの故郷フーズムが登場した。青春時代,彼の「みずうみ」に心ふるわせ,涙したのは,私だけではないだろう。10年も前になるだろうか,はるばるシュトルムの生家を訪れたことがある。彼は元裁判官であった。生家の管理人とおぼしき女性に,日本からやってきた裁判官で,若い頃彼の小説を読みました旨告げると,「はるばるよく来られましたね」とほほえんでくれた。このように,ラジオ講座は,心の奥底にしまわれていた記憶を呼び起こしてもくれる,宝物のような存在だ。

 これからも,人生の習慣として,生きている限り,聴き続けたい。  (風船)

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 将棋ファンであれば説明は不要なのだが,毎年3月の初旬,将棋界で一番長い日といわれる日がある。A級順位線の最終日で,A級に属する棋士10名が,名人位挑戦と残留をかけて,いっせいに対局するのだ。そして,いつのころからか,その模様を衛星放送が実況するようになった。放送は,朝から始まって昼頃までし、その後3時から夕食休憩の6時まで,そして、夜10時45分から明け方2時まで放送するのだ。

 私は,今回,3時から6時からの分を録画しておいて,夕食時,それを早回しにして見たあと,10時45分から,リアルタイムでみた。私がひいきにしている谷川9段は,「勝てば挑戦者決定」の羽生2冠と対決したが,残念ながらいいところなく破れた。谷川の光速流といわれる攻めを封じた羽生の作戦は,見事というほかなく,挑戦者はあっさり羽生と決まった。将棋界の一番長い日で,誰もが注目するのは残留争いで,降級者2名のうち一人は行方8段に決まっていて、あとは久保8段か、佐藤棋聖のどちらかが貧乏くじをひく。但し、佐藤が負け、久保が勝ったときのみ佐藤棋聖の陥落という状況であった。

 米長永世棋聖は、自分にとっては大一番ではなく相手にとって大事な一番のときほど、必死に頑張り、全力投球をしてきたという。今回、佐藤棋聖と対戦した木村8段の戦いがまさにそうであった。角桂交換のコマ損で、解説者の言によれば必敗の形勢から粘りに粘り、一時は逆転したかにみえるところまで、佐藤棋聖を追いつめた。佐藤棋聖の終盤の空ぜきは有名だが、今回はその咳もあまりでないほどで、ゆがんだように見える顔など、およそ佐藤棋聖とは思えないほどであった。結局、指運にめぐまれて、佐藤棋聖の勝利におわったが、まさにこれぞ、プロの勝負というもので、本当に興奮し、感動した。

 私は、子供のころから将棋が好きで、一応有段者だ。20年ほど前、裁判所のレクレーションで、全国大会の予選があり、広島高裁管内の代表となったこともある(残念ながら、本大会直前体調を崩して東京にいけなかった)。そのときに体験したのだが、将棋でも必死に考えると、本当に疲れてしまい、最後は体力勝負になってしまう。プロの真剣勝負をみていると、命を削るような戦いだ。さらに今回は、三浦8段と久保8段の勝負が千日手(同じ手順を繰り返し無勝負となる)指し直しとなり(その時点で、羽生を星一つの差で追っていた三浦は羽生の勝利を知らず、久保は久保で、佐藤が木村相手に大熱戦を演じていることを知らなかった。一種の不文律らしいが、当然とはいえ、なにかすがすがしいものを感じさせる。)、午後11時半、初手からやりなおすという、大変なものであった。

 将棋にしても、碁にしても、勝負ごとを職業にするのは大変で、趣味として楽しめることの幸せをあらためて感じた。           (風船)

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先週の土曜日、高校の同窓会があったので、出席した。

 1年に1度開催されており、これまで時々参加しているので、一別以来初めてという人はそれほど多くないが、なかに、40数年ぶりに会う友がいた。40年というと,まさに相当な年数だが,それでも当時の面影が残っていて,名前を確認すると,確かに「友達」だった。そして,一堂に会すると、やはり、話は当時のころにもどっていく。受験戦争といわれた時代ではあったが、勉強したことよりも、柔らかいボールで野球(三角ベース)をしたり、柄にもなく入った柔道部で、毎日投げられてばかりしていたことを、なつかしく思い出す。

 不思議なのは,少し不良ぽかった者が教師になったり、教育委員会に勤めたり,とぼけた感じの学生が精神科医になったりしていることだ。それぞれがどのように人生を歩んできたか、想像するだけでも楽しい。私自身も、そのころから駄洒落をいっては人を笑わすことを生き甲斐にしていたので、自分が「裁判官」になっていることが信じられない。同窓生にそれとうち明けても、最初はなかなか信じてもらえず,一般の人が裁判官に対して抱いているイメージが固定化しているのがよくわかった。裁判官であることがわかってしまうと,今度は,医者や,原発会社の管理職等になった人から,裁判所は医療や原発のことをわかっていないのではないか,と厳しい攻撃をしばしば受ける。批判が正当かどうかは別として,こうして異業種の人と話をするのも,楽しい。

 楽しいといえば,青春時代をともに学び,遊んだ女性と,何十年ぶりに会えるのがなんといっても楽しい。同窓会に参加する最大の理由だろう。ほのかな,あこがれの気持ちをずうっーと持ち続けていたものの,手紙ひとつだせないまま,消息不明となっている彼女が現れたら,どんなにか素敵なことだろうと思うのだが,現実にはそのようなことは起こらない。いや,実は10年ほど前にそういうことが起こったのだが,残念なことに,彼女の参加はその年だけで,次の年からはぷっつりこなくなってしまった。世の中は,そんなにはドラマは起こらない。

 普通の友達であった女性の何人かは,毎回出席だ。かわいかった女子高生も,今は,お孫さんのことを楽しそうに話する。そして,きまって,我々男性を○○君と呼びかける。そう,女性から「君呼び」されるのは,おそらく,同窓会だけであろう。普段は聞けない言葉の響きが,私をあの時代に連れて行く。しばし,その心地よさにひたる。映画「母べえ」のなかで,かっての恩師である「父べえ」から「杉本君」とよばれた取調べ検事が,「おれを侮辱するのか」とどなる場面がある。おなじ「君よび」のなんという格差。

 最後にある元教師が発言した。「教師を定年退職したあとは,中国の辺鄙な田舎に行って子供を教えるのが夢であった。それが腎臓を悪くし,週3回透析する身体となって,いけなくなってしまった。今日は,来ようか来まいか迷ったが,皆さんに会えるのを楽しみにきた。来年参加できるかどうか,わからないけれど,きょうは来て本当によかった。」と。友よ、来年もきっと会おう。  (風船)

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 5年位前、近所にスポーツジムが開店した。糖尿病の持病を持つ私としては、医者から運動の重要性を指摘されていたこともあって、早晩入会するつもりをしていたが、家内が早速にも(もちろん、私の不承不承ではあれ承諾を得た上であるが)、「家族会員」の入会手続を済ましてきたことに驚くとともに、無駄遣いならないかとの懸念を抱いた。

 しかしながら、当初はともかくとして、半年をすぎた時点で、一番多くジムに通うようになったのは、ほかならぬ、この私である。初期の段階では、ランニングマシーン、「自転車」さらには、筋トレのマシーンにも挑戦していたが、最近はもっぱらプールである。私のメニューは、プールで20~30分泳ぎ、ジャグジーで身体をぬくめ、そのあとお風呂に入り、最後はサウナて汗をかくという段取りだ。正味1時間ないし1時間半にすぎないが、心身ともにリラックスできるので、やみつきというか「人生の習慣」のようになってしまった。

 なによりも、泳ぎ出すと、なにもかも忘れるのがいいかもしれない。大江健三郎は、泳ぎながら、イエーツの、スィフトは航行をおえて休む、そこでは野蛮な腹立ちも胸を切りさくことはできぬ、世の人よ、できうるものならば模倣せよ、かれは人間の自由につかえた、といった意味の短詩をよく思い浮かべるらしい(朝日新聞昭和61年8月9日夕刊「しごとの周辺」)が、私は詩歌はもとより、目下起案中の事件のことも忘れて、ただ泳ぐだけである。それでも、スタイルの素晴らしい女性スィーマーが同じコースに現れると、胸騒ぎものであるが、そのようなことはあまりないので、多くは忘我のうちに時間がすぎてしまう。水泳の効果は抜群で、血糖値を食べる割には危険値まで上昇するのを防いでくれるし、風邪もひかなくなった。昔は、自転車がなにより好きであったが、高齢化にともない、水泳が一番になってしまった感がある。

 おそらく、これからも、水泳は、私の同伴者として、これからも寄り添ってくれるであろう。もちろん、水泳の難点がないわけではない。一番の問題点は、ひと泳ぎすると、どうしてもビールが欲しくなり、その誘惑に負けてしまうからだ。そして、ビールを飲んでしまうと、水泳で筋肉をつかっているためか、たちまちに、睡魔がおそってくるのである。お酒に弱くなったせいもあるが、缶ビール一杯で、「スィーマに睡魔」と洒落をいういとまもなく、寝入ってしまうことも再三である。でも、このときの、幸福感は、何事にもかえられないほどだ。後で、やらなければならない仕事が残っているのに気付くのだが、まさにあとの祭りである。これから先、このような形で「後のまつり」を何度祝うことになるであろうか。                 (風船)

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 ブログに初登場した際、アナログ人間であることを標榜したが、そのひとつの証左として、いまだにケータイを持たずに生活している。もっとも,ケータイに触ったことがないわけではなく,役所の職務の必要上、ケータイの所持を義務づけられたことがある。その折りは、家を出る際、その都度、忘れてはいないかと、確認するのが苦痛であった。忘れることも何回かあり、そんなときに限り、緊急連絡があったようで、かえってトラブルが生じたりした。あとで、ケータイはもってこそ「携帯」なので、不携帯では困りますと注意を受けたこともある。本当に厄介なしろものである。

 どうも,「携帯」という形態がなじめず、肌に合わないのだ。街を歩いていて、いきなり「もしもし」と呼びかけられたと思ったらケータイの会話だったことが少なからずあり、そのたびに心の平穏を侵されたようで、腹がたつ。こちらの都合も考えずかかってくることから、電話が大嫌いだといったのは、たしかサマセット・モームだったと思うが、自宅でもそうなのに、外出した際にでも、いつ何時、かかってくるかもしれない、という恐怖を携帯するのは真っ平だという気持がどこかにある。

 最近では、電話よりも、むしろ「メール」が主役になっているようで、周囲に対する迷惑も「騒音被害」の面では解消されたことはそれなりに喜ばしい。しかし、電車を待つプラットホームでも、あるいは、進行中の車内でも、メール画面に食い入ったり、脇目もふらずに文字を打っている姿は、どうしても好きになれない。他人の姿はどうでもいいのだが、携帯を持ってしまうと、そのような姿を世間にさらしかねなくなるのがいやなのだ。

 そんなわけで、周囲がケータイだらけになっても,当分は持つまいと思っていた。ところが、先週の土曜日、亡父の法事を泉北の実家で執り行ったとき、ちょっとしたハプニングが起こった。母と、我々夫婦と、娘だけのこじんまりとした法事であったが、お坊さんのお経を聞いている間に、雪が降り出し、食事の会場に行こうとするころには5センチ近く積もって、タクシーを呼んでもきてくれないという事態に直面した。母も妻も足が悪くて、雪道を歩くのは大変なのだが、とにもかくにも、バス停まで歩いていった。折からバスがきたのだが,これからの道中,電車への乗換え等を考えると,そのままバスに乗っても前途が思いやられ、乗ろうか乗るまいか逡巡した。ちょうどそのとき、乗客を乗せたタクシーが目の前を通過したのを見た娘が、瞬時に携帯でタクシー会社に連絡をしたところ、たまたま付近で乗客を降ろしたばかりのタクシーがいて、運良く乗ることができた。タクシーに乗らなければ、おそらくずいぶん難渋したと思われるのに、携帯一本で助かったのである。

 偶然もあったが,携帯のおかけで、無事、時間どおり、目的の場所に到着することができた。そのとき、携帯も悪くないな、と正直思った。そして、いま、携帯を持とうかな、という気持になりかかっている。                                              (風船)

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 今週の月曜日の昼休みのこと。少し早めに昼食をすませ、いつもどおり、資料室に新聞でも読みにいこうと思っていた矢先、書記官から来客を告げられた。以前、模擬裁判等で知り合った「S」と名乗る人だという。とっさに誰だか、思い出せなかったが、断る理由はない。

 裁判官室の隣の和解室で、対面して、すぐに誰かと理解した。2001年(平成13年)9月、当時はまだなじみのない、模擬裁判員裁判に、われわれ日本裁判官ネットワークが初挑戦した。そのときに、裁判員をつとめてくれた、学生さんである。聞けば、私の勤務する裁判所に自分の裁判のためにやってきたという。

 S君は、当時、京都の大学で学んでいて、たしか、三鷹事件に興味を覚えて勉強しているという話をきいたことがある。三鷹事件といっても、今の人はおそらく知らないので、面白い学生という印象を持った。その後、1年ほどして、ある法学雑誌に、彼の文章が載っていた。その三鷹事件を例に出して、次のように述べている。ある確信を持って裁判をしたのに、上級審で覆ると、その裁判官は悩み苦しむだろう。市民でもそれは同じではないだろうか。「それは被告人も自分と同じ世界に住む人間であり、人が人を裁く重みである。それ故に、裁判員を終えた人に何らかの心のケアーのようなものが必要なのではないだろうか。それがなければ裁判員をつとめたその人の人生を狂わせかねないからである。」

 彼が自負しているように、裁判員の心のケアーの問題に言及した、日本で最初の文章ではないだろうか。少なくとも私が見聞きした範囲ではそうだ。それはともかくとして、私は、法学部2年生の学生の慧眼に兜を脱いだ。

彼は、その後、いろんな事情で法科大学院に進むことを断念し、別の分野で活躍すべく就職活動をしているという。法曹になる希望を完全には捨てきれない様子が窺えたが、私は何もいえなかった。
 その夜、彼から早速メールが来て、裁判は和解で終わったこと、会えてうれしかったこと、自分がデーターベース化した資料にすごいアクセスがあること、これから就職活動を頑張りたいとのこと、が述べられていた。

 S君の前途に幸多かれと、祈らずにはおられない。        (風船)

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旭川在住のN弁護士のメールに接して、北海道を旅したことを思い出した。
もっとも、北海道に行ったのは合計3回にすぎないので、思い出もほんの一握りのものでしかないが、そのうち一回は、冬の札幌だった。
 
 10年近く前のことと思うが、ネットワークのメンバーが毎年、札幌の市民集会に招待されていたことがあった。ある冬、それに応募した形で、家内を同伴して訪れた。寒いのが苦手なので、風邪を引かないよう、行く前からかなり用心し、また凍結した道路で滑らないようにと、近所の靴専門店で「スベラーズ」を買い求めて、出発した。札幌のホテルで、その滑り止めを靴につけようとしていたら、地元の人から、そんなのを着けている人はいないよと笑われてしまった。それでも、こけたら大変なので、しっかり着けて、集会に出たように記憶している。

 集会では、裁判所のなかに市民が「裁判をする人」として来ることを歓迎する趣旨のことを話したように思う。くわしいことは忘れたが、冒頭、札幌に来たのは初めてなので、冬なのに「キンチョー」(緊張)していますとしゃべって、笑いをとったことはしっかりと覚えている。次の日、小樽に足をのばしたが、折から吹雪に見舞われた。普通なら、寒さでぶるぶる震えて、外に出るのもいやがったはずだが、興奮していたのか、それとも小樽の街のたたずまいが気にいったのか、足下の雪をむしろ楽しみつつ、運河沿いをゆっくりゆっくり歩いた。

 ところで、最近、きっかけがあって、三浦綾子の「氷点」「続氷点」を読んだ。「氷点」は、新聞連載以来であり、「続氷点」は初めてだ。ご承知のとおり、自分の娘を殺した犯人の娘を養女として迎え、その子を育てていくという筋立てで、かなり不自然な設定のうえ、読者に想像を許させない書きぶりなど、気にいらない部分もあるのだが、「続」になると、そうした嫌みも薄れ、結構、読み応えがある。なんといっても、北海道が舞台であることが「救い」になっているし、とりわけ、最後の「流氷」の場面が感動的だ。

 裁判官としての終点が近くなって、定年後のことを時々考えるようになった。大好きなドイツに長期滞在するのが一番の夢であったが、本を読んだあと、北海道を旅するのも悪くはないなと、いう気になった。そう思うと、早く定年がきてほしいような気になってくるから不思議だ。もっとも、目の前の仕事が壁のようにたちはだかっているので、夢想を楽しむにはまだ早いのだが・・
                             (風船)

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 今年の年末までには裁判員候補者の名簿が作成されるというのに、まだまだ、裁判員制度に対して疑問の声が強いようです。一方、裁判官としては、後戻りができないので、そうした時期に至って、裁判員制度が違憲かどうかを論じるのは、うしろ向きではないかといわれそうですが、自分の頭のなかの整理の意味でも、もう少し考えてみたい。

 前回は、裁かれる側からの違憲論だでしたが、今回は、裁判員としてよばれる一般市民の立場からの違憲論をとりあげよう。嵐山光三郎氏は、「日本の論点2008」で次のようにいう。「要するに、お上が『一般国民にも裁判官をやらせてやるから、おまえら、指名されたら断るんじゃないぞ。断ったら罰金だ』といっている。裁判官の徴兵制というべき制度である」といわれ、指名されたら、国外逃亡を考えるという。

 裁判官出身の学者である西野喜一氏も、善良で誠実な市民が、ある日から突然に何日も裁判所に引っ張られて自分の本来の仕事もできず、家族の世話もできず、朝から夕方まで法廷に端座させられるのは、「意に反する苦役」(憲法18条後段)にほかならないと、いわれ(「裁判員制度の正体」講談社現代新書)、違憲論の急先鋒にたっています。

 このようにはっきりいわれる(「苦役」と言う言葉に出会うのも司法試験の勉強以来です)と、来てもらうおうとする側の裁判官として、少し「申し訳ない」気になるが、はたして、憲法は、国民に対し裁判所に来ることを義務づけることを許していないとまでいえるでしょうか。細かな論証は省きますが(詳細は、土井真一「日本国憲法と国民の司法参加」<岩波講座・憲法4所収>参照)、憲法が、国民参加により司法の充実を図ろうとすることを禁じているとは思いませんし、司法が本来は、国民の一部によってもり立てるものではなく、国民自身のものである以上、国民は利益のみを享受するだけではなく、責任も分担しなければならないのではないでしょうか。どうか、市民の皆さん、裁判員の仕事を「苦役」ととらえずに、積極的に来られることを念じています。

 なお、最近出た憲法の教科書を読んでいましたら、裁判員を辞退できる事由をあまりに厳格に運用すると、「苦役」となる余地があると書かれていました。機会があれば、この問題についても、考えたいとおもつています。     (風船)

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  裁判員制度について(その4)  -違憲論について-

 裁判員制度に対する逆風については、安原判事がホームページ(19年10月)のオピニオンで述べておられるが、なお、その風はおさまるところがない。最近発行された、文藝春秋編「日本の論点2008」でも、嵐山光三郎氏が、「裁判員に公正な判断は可能か」という題のもとに、自ら裁判員になりたくにないし、被告になってもプロの裁判官に裁かれたいと述べられていた。

 ところで,裁判員制度批判論,なかでもこれを違憲とする主張が,これが立法化されて相当な期日が経過した現時点でも衰えないというのは,その実施まで1年余りとなったこの時期からすると,決して好ましい事態とはいえないであろう。

 裁判員制度違憲論が、一番力点を置くのは、国民は、裁判官による裁判を受ける権利を保障されているところ、「裁判員は評決に当たり裁判官と同じ1票を持つから実質的に裁判官だ。これは憲法80条1項の『下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって内閣で任命する』との規定に抵触する。裁判員が裁判に関与する根拠は、憲法のどこにもない」(元東京高裁部総括判事・大久保太郎・朝日新聞19・12・30)という点であろう。重罪に問われた被告人が、従前どおり裁判官だけの裁判を望んだ場合でも「裁判員裁判」を強いられるのは、制度論としても、やや硬直化していることは否めないし、アメリカのように「陪審裁判を要求する」権利として、構成すべきであったようにも思う。

 しかし、憲法を厳密に解釈すると、憲法32条は、「裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と規定して、「プロの裁判官だけによる」裁判に限定していないし、憲法からみると下位規範ではあるが、裁判所法は「刑事について、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない」(3条3項)と規定していることからみて、憲法は、裁判所の構成自体は、法律に委ねたとみることは十分に可能だと考える。そして、現に法制化された以上、現職の裁判官としては、この点にこだわって、違憲ゆえに裁判員制度に反対ということはできない(現に裁判で被告人からこの点を争われた場合に、違憲立法審査権を持つ裁判官としてもう一度真摯に検討すべきことは当然である。)。むしろ、理想的な「裁判員裁判を実現するために、どうすれば実質的な評議を確保することができるかどうか、について努力を傾けるべきであろう。

 もちろん、裁判員制度が軌道に乗った段階で、あらためて、被告人に、裁判員裁判を選択する権利を与えるかどうか、見直すことは必要ではないか、と考えている。                       (風船)



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 我が家では、正月の恒例行事として百人一首をする。子供が字を覚え、たどたどしいながらも札を読めるようになって以来、夫婦で対決してきたが、場に札が多くある前半は、「手が早い」私が優位にたつものの、終盤になって残り札が少なくなると、うたを覚えている家内の独壇場になってしまい、たいてい、逆転負けを喫する。競技の前日、にわか勉強で、せめて一枚札の「むすめふさほせ」だけでも、と懸命に暗記するけれども、思うように札が出てくれず、徒労に終わることが多い。 

 今年は、長男の配偶者が新たに参加することになったので、われわれ夫婦、娘夫婦及び息子夫婦の、夫婦対決となった。最初に、娘夫婦と息子夫婦が対戦したが、新嫁が百人一首が初めてのうえ、緊張で手が伸びず、一日の長がある娘夫婦が勝利した。続いて、われわれ夫婦と長女夫婦が雌雄を決することになったが、1回戦で夫婦ともども「読み手」を務めているうちに、少なからず思い出す札があり、それを頭にたたきこんだ成果が出て、われわれ高齢者夫婦が圧勝した。負けず嫌いの長女は、惨敗がかなりこたえたようで、配偶者と修行を積んだ上で再戦したい、と早くも雪辱に意欲的だ。

 先日のテレビで、小倉百人一首競技大会(毎年正月に近江神宮で行われる)で10連覇をはたした名人が登場して、その実力ぶりを披露していた。すべての札を最初の「出だし」で暗記していることはもちろん、読み手の発語を子音の段階で聴き取る能力、さらには、並べられているふだがどこにあるかを正確に把握する「空間(位置)認知力」等、すべてが超能力といってよい、その凄さにたまげてしまった。それと比較するのもおこがましいが、下手は下手なりに楽しめるのが百人一首の魅力である。

 こうした、ご愛敬にすぎない百人一首も、回を重ねていると、おのずと、好きなうたが何首かできてくる。「みちのくの」「しのぶれど」「恋すてふ」で始まる三首が私のベストスリーで、これらの札をとられるのは、勝負に負けるよりもくやしい。これらが自分の方の取り札にはいっている場合、なるべく、相手がとりにくい場所におくし、相手側にある場合には、さりげなく捜してそれだけは逃すまいとするのだが、相手もそのへんのことを百も承知なので、いつも熾烈な争奪戦になる。

 上記三首はいずれも恋のうただが、最近、これらにかわって、どうしても相手に取られたくない札ができた。清少納言の、つぎのうただ。
  夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

 そのようになったいきさつは、ほかでもない、そのうたを本歌として、つぎのようなざれ歌をつくったからだ(「裁判官は訴える」47頁参照)。大阪家裁で遺産分割事件を担当していたときにつくったうたで、なかなか傑作だと自分では思っているのだが、どうだろうか。
   策こらし 遺産分捕り 図るとも 世に大阪の 家裁は許さじ 
                                (風船)

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 新年も早や3日となり、明日はもう御用始めです。
 今年の年賀状では、やはり裁判員裁判に触れる年賀状が少なからずありました。裁判官では、企業訪問の苦労を訴える方や、当事者主義に徹しようとするものの、まだまだ裁判所の訴訟指揮等に期待する傾向が強い風潮を嘆く感想をもらす方がおられました。職員の方では、模擬裁判の段取りに時間をとられて大変だとか、あるいは裁判員候補者名簿の調整が今から思いやられるとの意見がありました。

 旧ろう29日、NHKが「ザ・判決」と題し、イギリスの実際あった難事件を題材にして、市民裁判官(?)がどのような心証を抱き、評議を行っていくかに焦点をあてた番組を放映しました。私も興味深く拝見しましたが、短時間に証拠を示さなければならないので事件(あるいは事故)の全体像がとらえにくい印象を持ちました。元裁判官の宮本さんが、「モルヒネの注射を受けた患者がどの程度苦しんでいたのか」「治療行為としてモルヒネの大量投与が必要であったかどうか」肝心な点が明らかにされていないと指摘されていましたが、たしかに、裁判(事実認定)としては物足りない一面があったことは否定できません。

 それにもかかわらず、私は、このような難事件を題材にしてでも、「市民(及び裁判官と)の評議」を可能かかどうか、について番組を制作したNHKの意図及び努力を買いたいと思っています。なんでも、イギリスの公文書館にあたって資料を検討したと聞いています。そして評議部分はシナリオがなく自由発話だったそうですが、結構活発に評議されており、市民もやるではないかとの印象を持ちました。もっとも、この点は、「裁判員制度賛成」というバイアスがかかっているので、個人的感想にとどめますが・・・。

 なお、問題のアダムズ事件については、この事件に関与したパトリック・デブリンが「イギリスの陪審裁判」(回想のアダムズ医師事件」という本を書いています(内田一郎訳、早稲田大学出版部。1990年初版発行)。
 それによりますと、実はアダムズ事件より6年後の1956年に起きたハレット夫人死亡事件というのがあり、それもロールスロイスを遺贈されたというものでアダムズ事件と酷似しているのですが、その事件は死因審問で自殺と評決されました。その後、警察は、アダムズ医師を危険薬物の件で捜索した際、以前にモレル夫人に処方した麻薬が彼女に投与したことを同医師自身がいったため、6年も前の事件が告発されるにいたったのです。つまり最初から、少しいわくつきの事件で、とても、ダイジェストでは理解しにくい事件だと思います。 

 裁判員制度は、いろんな問題点があるかもしれませんが、私は、問題点があるゆえに葬り去るのでなく、「理想的な形で」実現すべきものと考えています。
                               (風船) 

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皆様あけましておめでとうございます。
大晦日の夜から元旦にかけて、皆さんはどのようにすごされたでしょうか。

私は、以前は紅白歌合戦を見ないぞと決め込んで、2年越しの読書に挑戦し、藤村の「夜明け前」やドフトエフスキーの長編を読了したこともありましたが、近年は根気が続かず、ちょっとした読み物でお茶を濁すことが多くなっていました(紅白は、小林幸子の出番だけ見逃さず見る、という変則的見方でした)。

ところが、この冬は、NHKの「絆」の前宣伝につられて、紅白をほぼ完全にみてしまいました。2007年もいろんな歌が新しくでていたのですね。普段、歌からほど遠い生活をしていることがよく分かりました。私の一押しの歌は、すぎもとまさとの「吾亦紅」とコブクロの「蕾」。なかなか聞かせました。

紅白歌合戦が終わると、定番の「ゆく年くる年」。歌合戦の喧噪とうってかわった、降りしきる雪の中の社寺のたたづまい。その対比が、なんともいえませんね。かって近くに住んだことがある、尾道の「西国寺」からの中継が飛び込んで、なつかしい思いがこみあげました。

0時半ころには就寝し、元日の朝は、6時半ころ起床。早速コンビニにでかけて、日頃購読していない、読売新聞と産経新聞をかってきます。両方で250円で、その分量からするとお買い得といえます。朝風呂にはいって、お雑煮を食べたころに、年賀状が到着。裁判所を退職された方ののびのびとした生活ぶりをうらやましく拝見しながら、自分ももう少しだなと、思うのが近年の状況です。

今年一年が、明るい一年になりますよう、祈らずにはおられません。(風船)

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裁判員制度について(続)

裁判員制度に対する私の「推進」意見について、「人生幸朗」さんの、ネットの裁判官ですら、制度ができれば推進するしかないのか、との意見に考え込んでいます。
まず、ネットのなかにも、裁判員制度に反対の方もおられますので、ブログでの意見は個人的意見にすぎないことを確認させてください。

以下、あくまで私個人の意見です。
私は、もともとは陪審賛成論で、参審制度には懐疑的でした。しかし、審議会の審議がすすむうちに、比較的早い段階で陪審制度の採用が遠のいてしまいました。私は、その時点で、仮に、参審の方向に行くにしても、陪審制の長所とすべき部分がとりいれられればいいなあ、と思うようになりました。結果的に、裁判に関与する市民が無作為抽出で選出されること、裁判官3人に対して市民が6人も参加する制度になったことに、不十分にせよ、市民参加の制度としては評価できると考えました。喜びすぎたかもしれませんが、この裁判員制度が失敗すれば、陪審はもちろん、市民参加の制度は革命でもおきなければ実現できないと思いました。それゆえ、その後は、裁判員制度の推進派になったわけですが、市民のみなさんから、問題が多すぎるのではないかとの意見が、その後も続出しています。
 私自身、もう一度、この問題について、腰を据えて考えたいとおもっています。 具体的な問題点については、次回以降に述べたいと思います。(風船)


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われわれ、裁判官ネットワークへのご意見、ご感想を拝見していますと、離婚に際しての子供の親権・監護権を巡っての、当事者からの不満の声が最近とみに多いように思います。特に,離婚紛争の渦中にある父親から,どうして子供の親権者になるのに,父親と母親とで「格差」があり,原則として母親になってしまうのか,という不平・不満であり,子供に対して従来から愛情を持って接してきて,妻(子供にとっての母)以上に面倒もみ、子供もなついてくれるのに、離婚となると,引き離されてしまう結果になるのは納得がいかないという訴えが目立ちます。

現在の家事事件のなかで、最も、裁判官(家事審判官)や家庭裁判所調査官を悩ましているのが、この子供の監護を巡る問題です。具体的な事件についてお話しはできませんので、以下、一般論になりますが、述べたいと思います。

一般論をいいますと、ごく常識的のことになりますが、親権者をどちらにするかは、父親と母親がどれだけ子供に愛情をもっているのか、これまでの結婚生活において、子供に対してどのような養育態度であったか、今後、子供を養育していくについて、生活環境、経済的能力等はどうか、親が昼間働いている間の、監護補助者となるその両親(子供からみて祖父母)の監護能力はどうか、さらには、こども自身の希望はどうか、といったことを総合的にみて判断します。昔から、親権者の選択について、母親優先の原則といわれていましたが、最近の少子化の趨勢のもと、子育てをしたいという父親が増え、またその両親すなわち祖父母もまだ元気で「孫」を育てたいという希望も強く、「子供が小さいからお母さんに」という、単純な論理では解決しにくくなっています。離婚紛争にかかわる調停委員会でも、そうしたことを十分承知のうえで、双方の言い分をきいたうえ、話し合い解決をめざし、時に調停委員会としての意見をいうこともあると思いますが、私の考えでは、原則としては、意見を押しつけるのは妥当ではなく、当事者が自分の判断で選択すべき問題だとおもっています。したがって、そこで双方がどうしても親権者は自分がなりたいと主張すれば、離婚訴訟で決めるしかありません。

 あくまで、一般論ですが、母親が監護者として不適当な事情が認められない場合、父親が親権者の点だけで裁判をするのはどうかと考えて、諦めることも少なくないため、結果的に母親が親権者になるケースが多くなるように思います。その場合、母親が、父親に対して子供との「面接交渉」をこころよく認めれば、父親も不承不承であれ納得するのですが、それが認められない場合に、対立が深刻化し、話し合いでの解決が困難となります。

 こうした場合、裁判所(調停委員会あるいは離婚訴訟の担当裁判官)としては、、面接交渉に消極的な母親(親権者が父親が相当な場合には父親)に、「夫(妻)」としては問題があったかもしれないが、「父親(母親)」としてはそれほど問題がないから面接交渉を認めてはどうかと、説得するのですが、感情的対立もあって、それを認めない当事者がまだまだおられます。面接交渉の問題は、とことん争われますと、「審判」でしか解決できないのですが、その強制執行をどうするかという点で隘路があり、今、家庭裁判所の裁判官や調査官が最も頭を悩まし、心を痛めている問題といってよいでしょう。当事者の方からみると、裁判所のやり方にご不満が残るかもしれませんが、裁判官及び調査官は、具体的事件において、子供の福祉を第一に考え、妥当な結論になるよう努力していることを理解していただきたいと思います。

翻って、日本の民法が原則としてきた、離婚の場合の「単独親権」について、このままにしていいのか、という疑問が、最近提起され、それに関する書物もでています。早晩、真面目に取り組むべき問題といえるでしょう。      (風船)

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作家柴田翔の裁判員制度に対する意見について

柴田翔といえば、昔、「されど我らが日々」という小説で、芥川賞をとり、一世を風靡した作家である。中高年の者にはなつかしい名前であり、同書を青春のバイブルとして愛読した人も多いと思う。しかし、現在の私にとっては、すでに過去の作家となり、最近では思い起こすこともほとんどなかった。その柴田翔が、日経の夕刊にコラム「明日への話題」として短文を書いている。12月4日には、裁判員制度に触れて、つぎのようにいう。

「不勉強を棚上げにしていえば、一般市民の裁判参加が一般市民の不参加のまま、決まった、という印象があった。、<職業裁判官による閉じた法廷を市民の常識に開く>という根本理念は分かるし、法曹界が自らそこに踏み切るにはそれなりの必然性があったのだろうが、その理念が具体的にどういう形をとるのか、とるべきなのか。」かと

司法に従事する者にとっては、「市民の司法参加」についてずいぶん議論したつもりであったが、残念ながら、専門家と一部関心のある人たちだけで論じられた嫌いはなきにしもあらずだ。もう少し、一般の市民を巻き込んでの議論がなされていたら、よかったかもしれない。もっとも、仮に広範囲に、つまりもっと国民を巻き込む形で議論が展開されたとしたら、裁判員制度が日の目をみたかどうか、疑わしい。重要な改革が、必ずしも、世論の後押しで行われるとは限らない典型例かもしれない。

柴田翔は、さらに、重大事件を裁判員裁判の対象とするよりも、「むしろ判断するものの世界観、倫理観が直接に反映する事件こそが、職業裁判官とは違う一般人の常識を裁判へ導入する裁判員制度にふさわしいのではないか。」とされ、その例として、「選挙区による一票の価値はどの程度まで許容すべきか。長時間勤務で疲れ切った医師の過失はどの程度まで罪に問えるのか。過密運行の鉄道の踏切事故の責任は誰に帰するのか。尊厳死、臓器移植はどんな条件の下なら認められるのか。」といった事例に、裁判員制度がいかされるべきではないか、と主張する。

傾聴に値する意見であり、私もその趣旨に賛成だ。そういった裁判への市民参加を実現するためにも、(少しずるいいい方だが)これから始まる重大事件に関与する裁判員裁判を成功させる必要があるように思う。仮にも、裁判員制度が市民の不協力により失敗したとしたら、少なくとも今後50年は市民参加の機運は遠のいてしのまうのではなかろうか。そのつけは決して小さくない。とにもかくにも、市民の理解を得るため、法曹界にいる人間として、最大限、がんばらねばならないと思う。  (風船)

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