日本裁判官ネットワークブログ
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先日,西日本法曹テニス大会が岡山であり,参加してきました。ひどい暑さで,こんな時によくテニスをするものだ,ともうろうとした頭の中で妙に自分に感心していました。案の定,一人の参加者が熱中症で救急車で運ばれるという事態が発生しましたが,幸い早期に回復したようでした。

休憩時間などにテニスの腕前上位ランクの弁護士たちが冗談まじりに話していたのが,法曹人口をこれ以上増やさないで欲しいというものでした。なぜなら,門戸を広げるとテニス部などで鍛えた若手法曹プレーヤーが続々誕生し,彼らが勝てるチャンスが減るから,というのです。

もちろん冗談ですが,そんな話が出るくらい法曹人口についての弁護士の関心が高いことは間違いないと感じました。

他方,その大会の帰りの列車で一緒になった,ある尊敬する先輩弁護士が,町村官房長官の「弁護士会の見識を疑う」という発言は,誠にもっともで,弁護士会が国民のためにと旗を振っておいて,今になって生活ができなくなるから目標を下げようという議論は,弁護士の理解は得られても,国民の理解は絶対得られない,と強い口調で言っておられたことも印象的でした。「花」



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 猛暑である。休みの日,何にもする気が起きない。
 わが家の猫の顎ほどの(額の広さもない)庭で野菜を作っている。少しばかりの樹木もある。この時期,その水やりだけはさぼれない。
今夏は,キューリとトマトがしっかりとれた。キューリは,どうしてもうどん粉病にかかってしまう。あまり薬を使わないので仕方がないのかもしれないが,定年後,時間がたっぷりできたら,うどん粉病にかからないキューリ作りを「研究」したいものだ。
 水やりを,余りしょっちゅうしすぎると,野菜や樹木は,「ほしい,ほしい」とわがままになって虚弱になってしまう,と,あるベテランから教えて貰った。それを幸いに,ぎりぎりの線まで我慢させ(こちらの勝手な判断だが),最後に水を与えることにしている。なにやら,子育てにも似たところがあるような気がする。
 ちょうど,そんな折,隣家のご主人から,本格的家庭菜園でとれたトウモロコシ,インゲン,トウガンなどを頂いた。見た目もうま味も,まことに見事である。教えを請う必要がありそうだ。
 現代に生き残る物々交換も,なかなかにさわやかで気持ちがいい。
(蕪勢)


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 このところ,目を覆うばかりの惨事が続いている。秋葉原や八王子等の事件である。傷害を負った被害者の方々や亡くなった被害者の遺族の方々には,掛ける言葉もないくらい気の毒としか言いようがない。もちろん,亡くなった方には,ご冥福をお祈りしたいこと当然である。もっとも,将来,裁判所で審理が開始される可能性があるから,これ以上個別の事件に詳細に立ち入ることは避けざるを得ない。
 しかし,もう一方で,同様の事件がまた起きてしまうのではないかと漠然とした不安も持たざるを得ない。これは,何故であろうか。
 私は,裁判官,法律家であって,精神医学や社会学・心理学等を専門的に学んだわけではないから,何らかの意見を述べても,素人の意見にしかすぎないところがある。その意味では,こんなことをブログを書くのも意味がないのかもしれない。ただ,裁判の現場にいると,上記のような凄惨な事件(多くは刑事事件であろう。)を実際に担当するかはともかくとして,私のように,日常,民事事件や家事事件の担当している人間にとっても,ここ数年,何か日本人が大きく変わってきたように感じられてならないのである。具体的に言うと,民事事件や家事事件,特に家事事件で,心を病んだ人に出会うのが実に多いのである。最近は,ほんの1日でも,特に家事事件の期日指定の日があると,何人かの心を病んだ人,特にうつ病やうつ状態の当事者を見かけることが多い。民事事件でも,10年以上前には感じなかったことであるが,最近,うつ病やうつ状態の当事者を見かけることがちらほらある。これは,いいようのない不安を覚える大きな原因であり,凄惨な事件が続いていることとどこかでつながっているような気がするのである。もちろん,うつ病やうつ状態で全てが説明できるわけではないことは当然であり,多様な分析が必要で,原因は当然一つではないし,病気とはいえないものもあるのであるが,うつ病やうつ状態の人の多さは,日本人の変化を何か象徴しているような印象を持っているということなのである。
 若い人と話した時に,その若い人の友人には,うつ病やうつ状態の人は沢山いると耳にしたことがある。裁判所に来られる人だけではなく,世間の人の中にはストレスなどからうつ病やうつ状態に陥り,苦しんでおわれる方々が数多くおられるのであろう。統計的なことは正確にはわからないが,欧米に比べると,まだまだ日本人にはうつ病やうつ状態少ないようではあるけれども,急速に増えているような感じがしてならない。
 私たちは,裁判の現場で,そうした心を病んだ人の事件を,個別にどう考えるか,というアプローチをせざるを得ないのであるが,それだけでは時に無力感に襲われることがある。心を病んだ人を少しでも減らせるようにするにはどうしたらよいかと考えてみるが,原因が複雑に絡まっていて,到底答えが出せるわけではないし,素人の個人の手には余るというのが正直なところである。ただ,裁判の現場で経験していることが,何か解決に役立たないのか,他の専門家と協力すれば,一助になれることがあるのではないかなどとふと思う今日この頃である。
 おそらく,同じ思いをしている法曹の人は案外多いのではなかろうか。(瑞祥:なお,こういう内容の時には,このペンネームは気が引けるのが正直なところである。)


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1 私は最近無駄遣いが少なくなった。無駄遣いを避けるために実践的で役に立つ家計簿で無駄遣いのチェックをしているためだと思われる。
 先頃家と事務所のテレビとレコーダーを一新し,デジタル放送やDVDを見ることができるようになったし,ワウワウやスカイパーフェクトTV(スカパー),有線放送(オニビジョン)などを見ることができるように整備した。その結果ではないかと思われるのであるが,これらの機器をフルに活用したいと思うようになり,いろいろと意欲が高まったのではないかと感じている。そしてこれまでに,よい番組であると評価して録画したものの,整備しないで放置してきた大量のビデオテープを少しずつ見直して,残しておくものと消去するものを整理し始めたのである。
2 そして最近音楽のCDと優れた映画のDVDを毎月1枚ずつ購入し,整備することに決めた。例えば先月は「武士の一分」(木村拓哉主演)なるDVDを購入し,事務所の昼休みの食事中に何日かに分けて見た。
 よい作品は子や孫にも見せようという大作戦ともなるものである。
3 更に最近は本を整備しようと思うようになり,これまで読んで感動したが,今はわが家には存在しない本などを買い集めて整備し,わが家を小さな図書館にしようという構想が浮上している。
4 仕事はできるだけ減らしたい。そして私が得意としているスポーツなどの訓練と,できるだけ多くの読書時間を確保したいと思うようになっている。これまで読んだ本も読み返すほか,新たな本も衝動買いで一杯買い込んで,手当たり次第読破しようというのである。そしてセッセと読書ノートを作るという構想である。
5 小説の場合には,① 荒筋 ② 作者の主張(この小説を書いた意図)③問題点(主人公の生き方や考え方で自分とは異なる点や自分ならどう考えてどう行動するかなど)を,A4で2ページの範囲で纏めてみようと思うのである。小説以外の本の読書ノートはどうするかはまだ明確ではない。いずれにしても本を読んで単に面白かったし,何らかの糧となるだろうということで済ますのではなく,その内容を蓄積し活用できるようにしたいのである。例えば飲酒の席で他愛のない話をすることもそれ自体楽しいことではあるが,時にはその会話が膨大な読書と,それを整理したり思索した蓄積がほとばしるような,質の高い内容に溢れた大ブレイクの場所になるとしたら,どんなに楽しいことだろうかと思うのである。
6 私はこれまで多忙な人生を歩んできた。色んなことがあり,65才になった。これからも必死に多忙な人生を頑張るというのではなく,今後は私の人生の収穫期と考えて,人生の纏めをしたいと思うのである。その意味で,今後の人生の収穫作業が豊かで質の高い内容を有するかどうかで,私の人生が豊かであったかどうかが決まるような気がするのである。
 まだこれからも様々な努力が必要であろうが,その努力はとても楽しい努力であるに違いない。そして様々な努力はまだスタートしたばかりであるが,1年後にはある程度の努力の成果を実感できるように,楽しみながら頑張ってみたい。そのために必要な文化的投資は惜しまず,大胆に投じたいと考えている。またできれば週1回,少なくとも2週に1回程度は,タップリ時間をかけて書店をうろついて,本などの衝動買いをしてみようと思うのである。余り本代などを使うと大山山荘計画に支障を生じるという問題もあるので,バランスの取り方には工夫が必要であるが,それもまた楽しみというものであろう。
7 私は仕事上片道1時間ないし1時間30分程度のマイカー出張をすることが案外多い。この途上の時間の有効利用の工夫も不十分である。CDで音楽を聴いたり,TVを音声だけで聞くことも多いが,もっと有効利用の工夫はないものか。英語力をつけるために時事ニュースのCDを英語で聞くとか,優れた人物の講演のテープなどを聞くのもよい方法だろう。いずれにしても漫然と時を過ごすのではなく,もっと有効な時間の利用方法の工夫をしたいのである。
 そしていつの日か,もっともっと心豊かで内容のある人間に成長したいと思っている。(ムサシ)


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 将軍家定が薨去した後、どんな話の運びになったかと気になって、久しぶりに「篤姫」を途中から見始めたら、いきなり家定公母君本寿院様が、ひれ伏している篤姫に向かって、そなたが将軍家を毒害し奉ったのであろうと罵り、打ってかかろうとする場面が現れた。「宮尾篤姫」にこんな修羅場があったっけ。
 次に驚いたのは、篤姫の前に家定の側室お志賀さんが現れて、「御台様は公方様に愛されておいでだったではございませぬか」と言う。
 「愛されて」なんて表現が、この時代にあったのかね。
 むろん時代劇をその時代の言葉で演じろというのは、もともと無理な註文で、できるわけがないし、現代語を使わなければ現代人に通じないのは当然だが、お志賀さんは「私は愛していただけなかったのに、御台様は愛された」と歎く。 何を言いたいのか、演じる方も見る方も、全然わかるまい。
 もっとわからないのは、生前の家定が篤姫に向かって、「紀州の慶福が世継ぎに決まったからには、そなたが幼い慶福を後見して天下の政治にあずかれ」と将来を託する。
 これは遺言ではなく、家定は笑顔でこう告げるのだが、いくら世継ぎが決まったからと言って、現職の家定が曲がりなりにも生きている限り、幼い慶福が世を継ぐわけがない。家定がまもなく隠退するか、死ぬかしない限り、こんな言葉が出るはずがないではないか。せめて「わしはもう隠退するぞ」とでも言わせれば、一応筋は通るはずだが、そんな言葉があってもなくても、篤姫としては、「上様、何事を仰せられます」と顔色を変えるのが当然だろう。
 誰が考えてもあり得ない発言だが、今夜の篤姫は、生前の家定にこう託されたことを前提として、井伊大老を呼び出し、その言葉に従えと詰め寄る。
 もっとも、時代劇ではこの程度のおかしさは誰も気にしないのが普通で、歌舞伎の時代物なら全く当たり前の話だろう。
 有名な劇作家の話の中で、これよりもはるかにすごいデタラメの実例が紹介されたことがあった。
 関ヶ原合戦に勝った東軍の陣営で、「これで徳川三百年の天下の礎が定まったぞ」と 勝ち鬨があがったという話だ。徳川の天下がこれで始まるか、始まったとしても十年二十年後にどうなるか、当時、 誰にもわかるわけがない。第一、家康がその後十五年も健康で生きながらえ、若い秀頼にチャンスを与えなかった こと自体が、家康の超人的な執念と努力の賜に違いなく、幸運にも支えられてのことで あったはずで、淀殿が家康はいずれ死ぬと信じていたとしても、何の不思議もなく、彼女の愚かさを指摘する議論は結果論に近い。
 現代英語で言えば、Monday morning quarterbackの言い草だろう。 
 ところが歴史の結果を知っている後世の人間は、関ヶ原の勝利だけで徳川の天下が定まったと錯覚し、歴史の流れは無数の偶然の積み重ねで決まり、その万分の一の変化が起きていても、全く別の結果が生まれていたはずだとは思わない。
 だから怠惰な自称現実主義者は、イラク戦争前夜の反戦運動のむなしさを嘲り、それが何も変えなかったではないかと指摘することで、さかしらぶって自己満足するのだ。
 われながら、ひどい脱線をしてしまった。 
 「大河」にケチをつけても始まらないことは、わかっている。結果だけを先取りする歴史観からは、豊かな物語は紡ぎ出せないと言いたかっただけだ。
   (山田眞也,サポーター)


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昨日の日経新聞に表記のような記事が出ていました。

法務省が勾留中の被告人に,着脱式ネクタイや革靴式履き物を貸し出し,入廷前に手錠等を外し,着席位置も弁護人の隣とする,刑務官の位置も見直す,という方針を検討中,というものです。

いずれも裁判員が被告人の外観から有罪の予断を持ってしまわないようにするための対策として考えられているようです。

私も被告人の着席位置を弁護人の前にすることは実行していましたが,弁護人の隣としたことはほとんどなく,入廷前の解錠は,少年の刑事事件について1回実施したことがあるだけでしたから,記事の内容に少々驚きました。

最も反対しそうな法務省から上記のような大胆な提案がなされること自体に,裁判員裁判制度の持つ刑事裁判改革への並々ならぬマグマを感じるのですが,いかがでしょうか。
楽観主義的「花」

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 「10回裏切られたら,11回信じよう」
 今は退職された元中学教師の生徒指導時代のモットーであったという。 ある勉強会で,この先生のお話を聞くことができた。
 昭和50年代後半,中学校が最高に荒れまくっていた時代に,生徒指導を担当し,非行に走る子ども達と,昼となく夜となく「格闘」してきた。退職した今も,非行問題と取り組むボランティア活動をしておられる。その先生の言葉である。
 「子どもは過ちを繰り返しながら立ち直っていく」とも,先生は言う。その変化と成長を信じ切る気持ちが先生の仕事を支えていた。そうした信頼に,子ども達はいつの日か答えてくれる。最高にやんちゃであった学年の「ワル」たちも,それぞれに一人前の社会人となり,何人かからは,結婚式にも招かれている。退職したときには,その「ワル」らが呼びかけて,盛大にお祝いの会を開いてくれた。
 いつの時代にも,熱血先生がおられるものだ。その情熱を支えるのが,生徒らに対する愛情と信頼なのであろう。

 少年審判を流れる基調も,少年たちの健全育成であり,教育的役割は大きい。しかし,残念ながら「11回信じる」ことはできない,それどころか,1回目の非行は大目にみたとしても,2回目の同じような誤りに対しては,厳しい対処で臨まざるを得ない。場合によっては,少年院に収容して教育を受けさせることだってある。
 学校教育と司法の場との違いに考え込まざるを得ない。しかし,司法においても,少年たちの成長を信じる気持ちを失っては,教育的機能を果たすことはできまい。自戒を込めて,あらためて思う。(蕪勢)

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 私が3月まで勤務していた大分地方裁判所の書記官が夏の便りを送ってくれた。その中で,大阪・道頓堀の「大阪名物くいだおれ」の看板人形「くいだおれ太郎」が,卒業旅行として大分県を訪れ,「豊の国かぼす特命大使」に任命されたというのである。また,大分県内では,別府市を始めとして,「くいだおれ太郎」を大歓迎したようである。こうした便りは,以前の職場や任地を思い出させてくれて,嬉しいものである。

 ところで,「豊の国かぼす大使」というのは,大分県の代表的な特産カボスから名をとったもので,観光,産業,文化など大分県のPR大使という位置づけである。大分県に縁のある人や,大分県内で働いた人などが数多く任命されている。私も,大分県に4年間勤務し,大分の歴史や文化がとても気に入った1人なので,転勤後に大使の1人に加えてもらっている。いろいろ調べていると,大分県は,瀬戸内海に面し,畿内や中国・四国地方との関係が深く,その歴史や過去の偉人にはとても興味深いものがある。

 書記官からの便りを見て,「くいだおれ太郎」とともに,関西で大分のPRができないかなどと頭をかすめたが,最近,大分県の教員採用をめぐる事件のニュースを毎日のように目にするので,ちょっと気分が萎え気味である。古い体質の制度や運用が,いろいろな場面で許されなくなっているが,この事件もその一場面であろう。当該事件は,これから裁判所に係属するかもしれないので,これ以上のコメントは避けるが,何かよい出来事で,大分県のイメージアップがなされることを願わずにはいられない。(瑞祥)


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1 暑い日が続いている。今年は例年よりも暑く感じる。ビールが恋しい季節であるが,年中ビールが恋しいという人も多いだろう。かくいう私もそのひとりである。
2 夕方6時に事務所の営業時間が終わり,事務員が帰宅すると,今日はビールを飲むかどうか迷うことになる。ビールを飲むと自宅までの1キロを自転車で帰宅することになり,これはいささか面倒であるし,飲酒して自転車に乗ってよいのかという難問も生じる。また夜の仕事にも差し支える。できたら帰宅後の夜11時ころまで我慢して軽く一杯飲んで寝たいものだ。
3 夕食は昼食に続いて,自作の野菜と魚中心の2食目の弁当を事務所で食べる。ビールを飲むかどうか余り迷っていると大体負けてしまう。そこで迷い始めるとすぐにお茶を飲むか,弁当を食べ始めるのである。事務所には賢明にもアルコールの買い置きはない。ビールを買いに出かける余裕を与えずに,一気にビール恋しさからサヨナラするのがコツである。空腹感が解消すると,たちどころにビール恋しさが消滅するから不思議である。空腹感と喉の渇きは同質のもののようである。
4 ということで,最近は事務所でビールを飲むことは殆どなくなり,夜の仕事を終えて10時から11時の間のマイカーでの帰宅途中に,ビールを1缶買って帰ることになる。ところが不思議なことに最近は余りビールを美味しく思わなくなった。コンビニでしばしの間,今日はどのビールを買おうかと迷うことが多くなった。また日本酒も焼酎も余り飲みたいと思わないのである。それでは今日は何も買わずに帰ることにしようと思って,買わずに帰る日も増えた。そして冷蔵庫のノンカロリーコーラを飲むのである。しかし案外帰宅後フラフラと自転車で近くのコンビニに出かけたりする。アルコールが全くないのも寂しい。
5 かくして「そこでムサシは考えた」という講談の一節に到達することになる。考え方の基本は「酒を百薬の長」として,1日30CCまでのアルコールの摂取は許すというものである。さて何か魅力的な飲酒法はないものか。
6 河島英五の歌を好きな人は案外多いと思われるが,私も「酒と泪と男と女」や「時代遅れ」をスナックで好んで歌っていたことがある。ところで彼の歌に「野風増」というのがあるが,その一節に「お前が20才になったら 酒場でふたりで 飲みたいものだ ぶっかき氷に 焼酎入れて」というのがある。かねて私の頭の片隅にこの歌詞が宿っており,これを試してみたいと思っていたようである。これはグッドアイディアではあるまいか。
7 ある日,日用雑貨店で電動氷かき器を見つけて買ってきた。1980円である。ついでに焼酎も買ってきた。電動氷かき器用の製氷器で氷を作り,かき氷に焼酎をかけてみた。おいしい。これはいける。毎日焼酎のワンカップ1本の範囲で実験を始めた。やみつきになり,今のところ大成功の気配である。電動氷かき器も快調である。これは素晴らしい「消夏法」になりそうに思える。
8 先日ウインブルドンテニスを見ながら,焼酎のかき氷を食べた。やはりワンカップ1本では治まらず,追加を買いに出た。まあ土,日は少し量を増やしてもよいだろう。とか言いながら,氷切れにならないように毎日熱心に氷を作っている昨今である。
9 困ったことがひとつある。わがやの愛犬は柴犬の雄の12歳で「ムサシ」という。愛称は「ムーちゃん」である。柴犬は番犬として優秀でよく吠える。ムーちゃんも異変に対して敏感に反応する。そして電動で氷をかくガリガリという音に毎晩うるさく吠えるのである。その時間帯には犬を玄関の内側に鎖で繋いでいるから,近所に迷惑を掛けているというほどではない。ただ毎晩氷をかく音に吠えるムーちゃんには,「バカヤロー。いかに番犬といえども,いいかげんにせーよ。」といささか閉口しているのである。(ムサシ)


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私のメールアドレスは,日本語表記をそのままローマ字に変えた形で使っています。つまりファミリーネームが先にきていることになります。

これは前から,ローマ字表記にする際に英米流に名前を先に,姓を後に変える慣習に抵抗感があったためです。

氏名はそれぞれの国の固有のもので,発音もその国の流儀に従い,ローマ字にしたからといって前後入れ替えるのはおかしいのではないでしょうか。

たとえば,韓国の元大統領金大中氏を「きんだいちゅう」と呼ぶの固有名詞の発音としては不正確で,やはりその国の発音にならって「キムデジュン」と呼ぶべきだと思います。さらにローマ字表記にした場合でも,デジュン,キムとするのは個人の特定としては正確ではないと思うのですが,いかがでしょうか。「花」

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 プリントゴッコの製造が終るという小さな記事を目にして、一時はメーカーが「国民的行事」とまで謳って売りまくったこのヒット商品のひそやかな退場に、またしても、あまりに早すぎる世の移ろいを感じた。
 ワープロは、あっという間に消えた。
 そのワープロを使い始めて、「キリシタンバテレンの妖術」と感心したのは、昭和が終り、新しい元号になじみ始めたころだったろうか。それもわずか数年のうちには、「まだ石器時代のワープロを使っています」とぼやくようになったが、その前後から、年の瀬が押し詰まると、「ワープロガタガタ、プリントゴッコバタバタ、住所印ベタベタ」と、文明の利器に頼って、年賀状を仕上げるのに、 それほど骨が折れなくなくなった。
 ソ連が崩壊して、ゴルバチョフが退陣したころだった。
 当時は奈良の家庭裁判所に腰を据えて、志賀直哉の旧居がある高畑町の宿舎に住み、朝夕に興福寺の鐘の音を聴き、鹿が餌をねだりにくる環境を、これ幸いと楽しんでいた。
 大阪の家庭裁判所に転勤してからも、奈良から近鉄電車で通っていたが、間もなく裁判官一人が一台のパソコンを使う時代になり、ワープロの影は薄くなった。
 やがて自宅にもパソコンを備えるようになると、一世を風靡したプリントゴッコも、ワープロとともに、忘れ去られる時がきた。
 ケータイが、これもあっという間に、津々浦々に出回ったのは、やはりそのころだったろうか。
 ケータイと言えば、私は今でもなじめない。小学生の孫娘が、私のケータイで、チャッチャッと写真をとるのを、口をあけてみている始末だ。
 この間、ゼロックスからファクス・コピー兼用機の点検に来てくれた30代の人に、「昔のテープレコーダーはオープンリールで、大きくて重たくって」という話をしたら、「オープンリールって何ですか」ときかれた。
 やはり同じ年ごろの人に、「昔、二等車に乗って大学の入試に行くのは、医者の息子くらいだった」という話をしたら、「二等車」という言葉が通じなくて、「今ならグリーン車」と言い直した。
 「プリントゴッコ」という商品名も、もうすぐ忘れられるだろう。
 顧みれば、天地開闢以来、私たちの世代ほど、変化が早い時代に生きた世代はない。
 有り難いのは医療技術の進歩だが、有り難くないこともいっぱいある。
 ハトに豆をやると叱られる、落ち葉焚きができないなんて、童謡の歌詞が、まるで否定されている。
 だんだん、年寄りの繰り言めいてきた。この辺でやめて、気を取り直すことにしよう。
  (山田眞也,サポーター)



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1 先日2泊の地元の法曹テニス合宿があって,私は土曜日の1泊だけで参加した。日頃細々ながら壁打ちを続けてきた成果を実感できて,なお一層の上達を密かに決心した。
2 その日曜日の夜,ウインブルドンテニスの男子シングルスの決勝が放送され,密かに応援していたフェデラーが6連覇を逃し,ナダルが初優勝した。試合時間は4時間48分で,これまでの記録を30分以上超える史上最長の記録を樹立したそうである。どちらが勝っても不思議ではない試合であったが,これでフェデラー時代が終わるのであろうか。
3 稀れに見る激戦であった。フェデラーはウインブルドン5連覇中であり,欠点の少ないオールラウンドプレーヤーである。ところがナダルはフェデラーの弱点をついて成功したというのである。バックを両手打ちするナダルが,回転をかけたボールをフェデラーのバックに集めたという。フェデラーのフォアは強烈で,フェデラーがフォアで左右に打ち分けると到底ナダルは球に追いつけないというのである。フェデラーはバックも得意であるが,バックは主としてスライスボールなので楽に追いつけるし,しかもフェデラーはバックも片手打ちなので,高くバウンドした球に対するコントロールが甘く,次第にミスが増えたという。無理してフォアに回り込んで凡ミスもしたとも言っていた。
4 しかし2セットオールとなり,5セット目も7オールとなったのである。ほぼ互角である。結局5セット目を9対7でナダルが制したのであるが,確かフェデラーは26歳,ナダルは22歳の筈である。天才の名に恥じず,精密機械のように正確なフェデラーのことであるから,今回の敗戦からいろいろと学んで修正するだろう。しばらくはこの2人が覇を争う時代が続くような気がする。フェデラーがバックを両手打ちにすることなどはないのだろうか。
5 日本の18歳の錦織圭(当時世界第103位)は1回戦で敗退したが,世界60位くらいの相手に1セットを先取した。1セット目の途中から腹筋を痛め,第2セットは惜敗し,第3セット目で棄権して敗れた。第1セットの放送を見た限りでは圧勝の気配であった。ウインブルドン直前の別の試合で,錦織圭はあのナダルと対戦して2対1で敗れたが,1セットを奪い,ストロークでは優位に立ち,ナダルをして絶賛させたという。頼もしい限りである。錦織圭が世界の檜舞台で活躍し,大試合で優勝する日も遠くないだろう。
6 この間テレビを買い換えて深夜のテレビに釘付けの日々を過ごしたが,ただ面白く見たし感動もしたというだけであれば余りにも平凡ではないか。彼らの戦いの姿から,一観客に過ぎないとはいえ,我々は一体何を学び,何を考えるべきか。 そこには我々の生活態度に反省を迫り,学ぶに値する人生の貴重な教えが多く潜んでいるに違いない。(ムサシ)

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 定年退官の日から2週間が経過しました。まだ引越荷物の整理が半分程度しか終わっておらず,慌ただしい日がしばらく続きそうです。なにせ前の官舎の3分の1程度の我が家に大量の本などを収納しようとしているのですから無理があります。
 
 退官に際しては多くの方から暖かい激励の言葉をいただきました。心から感謝しております。とりわけ私のにわか運転で高速道路を約300キロ運転して(その半分は娘の運転でしたが)実家に帰ることができたことについては,無事で良かったと皆さんから言われました。私自身,鬼のような形相で必死に運転していましたから,我が愛犬と家内もずっと緊張しっぱなしでした。教習所で視野が狭い,判断が遅いなどと裁判官の資質に欠けることを指摘され続けましたが,なんとか実用に近づきそうです。
 
 さて,私は退官後は,これまでの仕事や時間に追われる生活から脱却して,ゆっくりしたペースで生活し,本を読み思索するスローライフを夢見ていました。弁護士登録もできるだけ遅らせてのんびりするなかで,従来より少しでも物事を深く考えられるのでは,と思っていましたが現実はそうでもなさそうです。

 毎日が日曜日状態は,私の場合,単にあまりものを考えずに先に延ばすということを意味しているようです。ストレスがないため,たしかに脳のしわが少しずつ伸びている感じがします。その人の性格にもよるのでしょうが,私の場合は,圧力釜のようにいつもプレッシャをかけていないと動かない,考えない,ということに気づきました。残念ながら貧乏性が身についてしまっているようです。早期にスローライフから脱却しなければとも考えている昨今です。
                  素性がばれているらしい定年退官者「花」
















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 少年たちを励ましに,時々,少年院を訪ねる。
 院長室で雑談をしているとき,部屋の片隅にガラスケース入りの野球バットが飾られているのが,前々から気になっていた。
 あるとき,院長に尋ねてみると,その質問を待っていたかのように誇らしげな顔になって,こんな話をしてくれた。

 何年か前,今をときめく日本人大リーガー(あえてイニシャルも伏す)が,シーズンオフに,この少年院に激励に来てくれた。
 輝かしいシーズン記録を背に一時帰国した大リーガーの動静は,マスコミを賑わせていた。そんなある日,突然,マネージャーから少年院に連絡が入ったのだ。外部には一切伝えないでほしいとの要請があった上で,全く極秘裏の激励訪問の日程が決められた。少年院でも,その意向を汲み,この日の来院を知っているのは,ごく少数の幹部教官だけであった。

 100人近い少年たちには,この朝,野球教室を開くとだけ教えて,全員をグランドに集合させていた。ほとんどの教官も,誰がコーチをするのか,知らされていなかった。
 そして,突然に,颯爽と,大リーガーが少年たちの前に姿を見せた。
 どよめきが起こった。が,今ひとつ歓声には至らない。誰もが知る細身の大リーガーだが,「そっくりさんだ」という疑いもあって,半信半疑なのである。
 院長の紹介があって,ようやく大歓声となった。
  ウッソー! ヤッター!! 

 少年たちの得意げで,満面の笑顔が忘れられない,と院長は話す。
それから,数時間,大リーガーは,少年たちの手をとり,足をとって,一人一人懇切丁寧な指導をしてくれた。少年たちは,天にも昇らんばかりの感激ぶりであった。
 噂を聞きつけ,近くの教官宿舎の夫人達も,総出で,ネットに張り付き,嬉しそうに見学している。
 少年院が興奮に包まれた数時間となった。
 そして,記念のサイン入りのバットが院長室に飾られることになったのである。

 誰にも知らさず,こっそりと少年たちを激励した大リーガーが,私はすっかり好きになった。(蕪勢)

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1 最近バナナ健康法の本が出版され,早速買ってきた。テレビでもやっていた。朝食をバナナ2本と水だけで済まし,昼食と夕食は普通に食べるというものである。2年間で15キロ程度痩せたということである。
2 ひところキャベツダイエット法やカンテン減量法などが一世を風靡したが,私の身近なところでそれを今も継続しているという話は余り聞かない。ただ私は密かにしぶとく継続しているのである。
 私は昼食と夕食は自分で作った弁当を食べているのであるが,昼と夜事務所で食べるインスタントみそ汁に粉のカンテンを適量入れるのであるが,余り何かの効果があったという実感はない。ただ健康に悪い筈はないのでしぶとく続けているのである。
3 キャベツもほぼ毎日食べているが,キャベツは余り美味しいとはいえない。私は日本で一番野菜を食べるおじさんを目指してセッセと野菜を食べてきたが,最近考え方に変化を生じている。それは野菜を食べる量を少し減らそうということである。
 毎日の私の弁当箱の一つに,キャベツの千切り,キューリのスライス,ブロッコリーの芽,サラダ用セロリーがほぼ一杯に詰められている。これを昼と夜で食べ切るのであるが,その量を従来の2分の1に減らしたのである。従来は食べ切れず残すことも多かったが,最近は殆ど残すことはなくなった。
4 さてバナナの話も耳寄りな話ではある。バナナをどのように活用するか,今いろいろと実験中である。3回の食事のうち,1回主食を抜いて,代わりにバナナ1本を食べるというのはどうか。また食事を全体として減らすため,夜空腹に堪えなければならないことになるので,そのときバナナを1本食べるというのはどうか。結局1日2本のバナナを食べることになる。また低カロリーのゼリー飲料も活用するのである。
5 テニスの試合中に選手がバナナを食べている姿が放映されることがある。東京マラソンでは沿道の各所に設置された机に大量のバナナが用意されたとのことであった。バナナは値段も安いし,美味しくて食べやすい。食物繊維も多いそうであるし,抗酸化作用も強く健康増進に役立つようである。
6 私はこのところ2日に1回の割合で朝食にザルソバ60グラムを食べているが,この1か月余り毎日バナナを2本食べるという生活が続いている。また主食替わりに,豆腐,納豆,ヨーグルトを食べているので,案外米のご飯を食べる機会が減っている。今暫くはいろいろと実験を続けてみて,栄養失調にならないように注意しながら,減量に挑戦しようと思っている。ポイントはいかにして淡々と「食べる量を減らすか」ということに尽きるように思われる。(ムサシ)


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