日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
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 桜が開花し,いよいよ春本番である。
 歳を重ねるにつれ,桜にあくがれ,待ちどおしく思う心が強くなる。
昔から,人々は,桜にさまざまな想いを託してきた。

  今さらに春を忘るる花もあらじ
       やすく待ちつつ今日も暮らさむ 
   西行

 西行という人は,桜に特別の思い入れがあったようで,沢山の歌を詠んでいる(山家集・岩波文庫)。
 当時はソメイヨシノはまだなく,ヤマザクラを愛でていたのである。
老境をうたう歌が,私には,とりわけ心に沁みる。

  わきて見む老木は花もあはれなり
       今いくたびか春にあふべき

 これは少し寂しすぎる。次の二首には,むしろ突き抜けた明るさがある。
 
   ねがはくは花の下にて春死なん
       そのきさらぎのもち月の頃
 
   佛には櫻の花をたてまつれ
       わが後の世を人とぶらはば 
(蕪勢)

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 今週も司法関連のニュースは多かったのですが,気になったのは,法科大学院のいくつかが,評価機関によって不適合評価されたことです。
 「大学評価・学位授与機構」は,今回評価した9校のうち一橋(東京都)、北海道、千葉、香川の4校に対し、授業を受ける人数が多すぎたり専任教員の資質に問題があったりして、機構の定めた基準に適合しないと判定したようです。これで,法科大学院は全74校のうち24校が認証評価を終え、そのうち2割以上の5校が「不適合」とされたようです(朝日)。「日弁連法務研究財団」も,今回対象となった7校のうち、愛知大(愛知県)について、新司法試験の対策に著しく偏ったカリキュラムを問題視して「不適合」としたようです(毎日)。
 不適合となった理由を追っていきますと,細かな事柄もあるようですが,それにしても,不適合の数が多くないでしょうか。法曹人口拡大が議論になる中で,法曹養成の基礎機関としてがんばってほしいものです。この関連では,3月25日,閣議で法曹人口問題が出たとのニュースが流れていますが,詳細はまだつかめていません。情報をお持ちの方はコメントして下さい。
 その他には,やはり刑事関連のニュースが目を引きました。「テレビ電話で容疑者や被告と接見 東京拘置所で4月から」(朝日),福岡では08年3月から一般電話で話せるようになっているそうです(朝日)。また,「各署に「巡察官」や「監督官」、取り調べ適正化で警察庁」(読売)とのニュースもありました。内部監督機関を強化するのは,批判をかわすためという冷めた意見もあるでしょうが,取調べの適正・可視化の流れに沿った動きであるのは間違いないでしょう。内部監督といえば,目的や性格は違いますが,お金を扱う郵便局や銀行で,内部監督が一定の成果を上げているようです。



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1 私がこれまでにやり残したことは沢山あり,今後やりたいことも多いのであるが,どうしても達成したい目標を3つに絞った。勿論それ以外にもいろいろと努力するつもりではある。
 その1はテニスでA級になることである。テニスのことは前回書いたので詳細は省略する。A級になるというのは,岡山法曹テニス大会は,A,B,Cの3クラスに分けて試合をすることが多く,岡山は層が厚いため,私は不本意にもB級なので,A級入りをするということである。1年計画で目標を達成すべく,練習計画を作成し,実践を開始した。テニスの本も買ってきた。テニスは妻も一緒に上達したいと言っている。このままB級で終わるというのでは自分を許せないので,土,日を中心に,壁打ちや乱打や遊び試合を多くして,多少本気になることにした。これは「再びの恋を母ちゃんと」という私の秘策の一部ともなるものである。
2 その2は囲碁である。私は現在年2回行われている岡山法曹囲碁大会に初段で参加し,勝敗相半ばしている。囲碁を始めた大学生のころ,とりあえず3段になることを目標にし,最終目標は5段だった筈である。熱心に碁を打った時期もあったが,仕事が忙しかったため中断していた期間もかなり長い。囲碁は少しずつでも続けていると面白くなって,毎日でも打ちたくなるが,中断していると囲碁大会に参加するのもおっくうになる。そこで秘策として1日おきに週3回,1回15分間だけ定石を並べることにした。これをこの4月から2年間続け,囲碁大会に3段で出るようになるという計画である。厚さ6センチの本カヤの碁盤(但し接ぎ木細工の安物)と蛤の碁石(これも安物である)を買ったのは上達の決意表明である。事務所の隅で数秒の準備で碁石を並べ始めることができる体勢にした。できれば程よい碁仇を見つけたいと思っている。「碁仇は 憎さも憎し 懐かしし」という。囲碁はボケ防止の効果も大きく,不老長寿に役立つのではあるまいか。
3 その3はクラシックギターである。これは貧乏学生だったころ8000円のクラシックギターを4回の分割払いで購入した。熱心に演奏していた時期もあった。実はこのギターは私の人生に大きな意味を持ったのである。妻に出会ったころ,あるとき「禁じられた遊び」「鉄道員」「太陽が一杯」などを演奏して聞かせたことがある。妻も裕福ではない家庭育ちであるが,妻の母の強い希望でピアノを習ったそうで,私にショパンの「ノクターン」(夜想曲)やベートーベンの「乙女の祈り」「月光の曲」などを演奏してくれた。このような出来事も婚約に至る一因となったのである。
 その後意に反してギターを手にする機会は少なく,上達もせず,これまで長期間気になっていたのである。
4 私は小椋佳の歌が好きで,よくカラオケで彼の歌を歌うが,実は彼とは大学のクラブの友人である。彼が全国行脚の公演会で3回岡山でも公演したが,その都度聴きに出かけて,公演終了後楽屋を訪ね握手をした。そのうち我が家にも泊まるように話したこともある。
 そういえば私は,大ブームを巻き起こし一時期社会現象となったと言われたYMO(イエロー マジック オーケストラ)のドラマー高橋幸宏が小学6年生のときの家庭教師でもある。彼との連絡は今は途切れている。
 いずれ機会を見て彼らをそれぞれ我が家に泊めて,美味しい地酒でご馳走しようかと思っている。宿泊料として色紙を書いてもらうのはどうだろう。
 実はギターの上達計画は,私が彼らの前でギターを演奏して聴かせてやろうという密かな野望に基づくものである。そのためには猛練習が必要かも知れないが,とりあえずは帰宅後15分間,週3回の練習を2年間継続するという計画である。名曲「アルハンブラの思い出」をトレモロで演奏したり,伴奏を上達して小椋佳や色んな曲を弾き語りができるようになりたいと思っている。そのためにも1年後には目覚ましい上達をして,少し高いギターを買うことにしたいものだ。8000円のギターでは彼らに失礼というものだろう。頑張って20万円位のギターを目指してみようかと思っている。そのようなギターを買う気になるレベルに到達するかどうかということだろう。
 自宅の部屋の隅に,帰宅して着替えをすると瞬時に練習に入れるように,譜面台に楽譜をセットし,椅子や照明などの準備が不要となるように工夫した。このギターの上達も,「再びの恋を母ちゃんと」作戦の一部となるものでもある。
5 最近は何かと意欲が強まって,飲酒の時間が惜しくなり,酒量が減り余りやけ酒を飲まなくなっており,健康の増進や不老長寿にも好ましい状態になっている。但し減量にはもう少し時間がかかりそうである。(ムサシ)


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浅見判事の説によると、最も激しい紛争は、兄弟喧嘩だそうである。
確かに、私もそういう事例に接したことが少なくない。
その類型は二種類。
一つは、親の遺産相続を兄弟姉妹で激しく争うという、よくあるケース。
もう一つは、被相続人の配偶者×兄弟姉妹で遺産分割を争うケースである。
実は、後者の類型は、遺言で予防することができるのだが、裁判所に来るのは、遺憾ながら被相続人にその知恵がなかったケースである。
しかし、いっそのこと、兄弟姉妹に4分の1の法定相続分を認めた民法の規定は廃止してもよいのではないだろうか。
(チェックメイト)

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 我々の裁判官ネットワークは,ある意味でインターネット技術に支えられてきたと言っても過言ではありません。全国各地に散らばるメンバーやサポーターが,日常的に情報や意見交換をし,団体としての意思疎通が可能となったのはメール交換ができたからこそです。われわれの企画したシンポで直接語りかけることのできる100人前後の人たちを超えて,多数の方々に我々の意見や研究成果,感想などを広報できるのもインターネットのおかげといえます。もしこのような技術がなければ,頻繁に手紙,電話,会合などによって代替しなければならないことになりますが,本来の仕事以外にそのような煩瑣な活動を時間外に行うことはほとんど不可能なことで,早い段階で団体の実態が失われていたと思われます。

 1999年の発足当時は,たしか「パティオ」とかいう細々としたメーリングリストで始めたと思いますが,パソコンに強い人だけが利用できるようなシステムでした。今やメンバーやサポーターが気軽に使える便利なソフトができ,相互の情報や意見交換は盛況となっています。また,ブログやホームページを通じた意見発表の機会も容易になり,その意見に対する反応をを参考にすることもできるようになりました。
 
 このようなインターネット技術の発展は,裁判官ネットワークのみならず,社会に大きく貢献し,社会を変えるほどのインパクトを持つようになったと考えられます。
それは,インターネットによる情報が,即時性や情報の多さ,距離的制約がないことのほか,人為的捜査が困難なほどの多様性を持っていることによると思われます。
 知事選挙などで,大新聞,テレビなどの事前予測と異なった結果がたまに生じていますが,おそらくインターネットを通じた有権者の意見交換などがあったことも背景となっているのではないでしょうか。

 これほどお世話になっているインターネットですが,最近はその限界や問題点についても考えるようになりました。活字メディアと違って速報性が要求されるため,その内容が簡潔明瞭なものとなり,逡巡やとまどい,疑問,比較検討といった,人の思想を伝えるのに不可欠な要素が省略される傾向があること,匿名性が高いことがマイナス面としてあると思います。 私たちの間の議論でも,面と向かって話したり,詳しく手紙に書いたりすればそれほど熱くならなくても済むようなテーマで,メンバー同士がメールでけんか腰のような状態になった経験が過去何回かありました。
最近では,医療問題について触れたメンバーのブログに100件以上のコメントがありましたが,単なる匿名の誹謗としか理解できない無責任なものもあるように見受けられました。

 インターネット社会特有のプラスマイナスがあることをもっと自覚して,プラス面をのばし,マイナス面を減らす努力が必要と感じています。「花」

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 井垣さんの主宰する少年問題の勉強会に参加して,篤志面接委員をされている方のお話を聞くことが出来た。
 篤志面接委員というのは,刑務所や少年院に出向き,受刑者や在院者に対して,相談に乗ったり,勉強や趣味を教えたりしながら,その更生と社会復帰を手助けする民間ボランティアの方を言う(それにしても,名前がちいと古すぎるなあ)。
 少年院の院内視察をすると,どこかの部屋で,版画をやっていたり,音楽を楽しんだり,あるいは算数の授業をやっていたりする。少年らが落ち着いて楽しそうに講師と語り合っている場面をみると,何かほっとしたものを感じる。あの人たちが篤志面接委員なのだと,あらためて思い当たった。
 先日出席した少年院の卒業式でも,式の間,ずっとピアノの前でバックグランドの演奏を続けていた女性の講師がいた。少年たちの誓いの中には,音楽の授業の楽しかったこと,講師に対するお礼の言葉が沢山あった。少年らは,こうした講師との出会いや交流を通じ,教官からの指導とはまた別に,人間信頼の心を回復しているのだと思う。

 勉強会でお話が聞けた大川哲次弁護士(大阪弁護士会)は,刑務所や少年院の篤志面接委員を長年やって来られた方である。受刑者や在院者からの法律相談を担当しているという。交通費も自弁だという無償のボランティア精神には頭の下がる思いがした。
 大川弁護士は,心ある人は,彼らの更生と社会復帰のために,何でもいい自分の特技を生かして,このボランティア活動にぜひ加わってほしいと訴えておられた。 (蕪勢)


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 今週はちょっと,趣向を変えて・・・。
 NHKのBSハイビジョンで放送されている「日めくり万葉集」をご存じでしょうか。NHKのHP(http://www.nhk.or.jp/manyoushuu/)で紹介していますから,是非ご覧下さい。(瑞祥)

 縁があって,瑞祥が今まで2回出演しています。今回は,3月18日(火)でしたが,明日23日朝6時半から再放送(一週間のまとめ)があります。
 今回の歌は,大伯皇女(伊勢神宮斎宮)が,訪ねてきた弟大津皇子を大和に帰すときに,見送った際の歌です。後に,大津皇子は,謀反の疑いで処刑されますから,伊勢で2人は何を話し合ったのか,いろいろ想像させられますね。

「我が背子を 大和へ遣ると さ夜ふけて 暁露に 我が立ち濡れし」(巻2・105)
 弟を思う姉の心情がとても表れています。今回この歌を選んだのは,日常,裁判で兄弟間の紛争を多く経験し,「兄弟こうありたいものだ」と切に思うからです。以下,番組中のコメントの一部です。
 「僕も今裁判官、出向時代も含めて二十年目なんですけど、一番激しくてですね、一番感情がこもってて、かつ一番長引く紛争、何なのかと思うと、これ兄弟の争いなんですね。兄弟がやっぱり親の介護を巡って争い、親が亡くなった後財産を巡って争いと」「そういう意味で、やっぱり兄弟を歌って、本当に心配して歌った歌っていうのが、何か仕事柄ですね、とてもいいなと。」
 「大伯皇女と大津皇子がこれを歌っている頃は、まだ若いんですよね。」「いろいろ年取ってから起きる紛争を経験する前にね、ある意味で、大津皇子が亡くなっちゃったんで、兄弟喧嘩をせずじまいで終わっちゃたのかもしれませんね。」

 あとは番組をご覧下さい。他の選者の方の歌もとてもいいですよ。私も,多分もう一回出演すると思います。
 

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1 年1回行われている全国規模の東西対抗法曹テニス大会は,かつては参加者が300人に達するという盛況を誇ったこともあったが,徐々に参加者が減り,今では100人をかなり割り込んでいる。これも若手法曹が余りテニスをしないことと,かつて熱心にやっていた人達も年を取ってきたためと思われる。その中にあって,岡山法曹テニスクラブは一時期に比べると参加者が減少してはいるものの,全国的にみると今なおかなりの盛況を見せている。
2 私はいろいろとスポーツを得意としており,テニスも好きであるが,私としてはその腕前や戦歴において今いち不満な種目である。私は司法試験に合格して間もない昭和50年12月ごろ,婚約者であった妻と2人で硬式テニスのラケットを購入し,その後細々ながら途切れることなくテニスを継続してきたので,テニス歴は既に30年を超えている。しかし我ながら不思議ではあるのだが,期待する程にはテニスの腕は上達しておらず,あまり目立つ戦歴はないと言ってよい。
3 私が裁判官になった昭和53年4月には,初任地である和歌山の裁判所には軟式テニス部はあったが,硬式テニス部はなかった。そこで硬式テニスに熱心であったある裁判官を中心に硬式テニス部を結成することになり,私も参加した。しかし一面しかないテニスコートを軟式と硬式の両テニス部がどのように使い分けるかで問題を生じたりしたため,何人かの裁判官は両テニス部の融和のために両方の部に所属して,両方のテニスをした時期もあった。
4 私が3年間の和歌山の勤務を終えて転勤することになったときには既に硬式テニス部の送別テニス大会が定着していた。そして送別大会の日に一歳になったばかりの長女がお父さんの応援に行くと言うので,妻と3人で和歌山まで出かけた。ダブルスで1人4試合というものであった。
 試合が始まって暫くしたころ,何だか「ワーワー」と大きな声が聞こえてきた。何だろうと思って声の方向を見ると,長女が審判台の上に上がり,腕を突き出して,「お父ちゃん,頑張れ!お父ちゃん,頑張れ!」と叫んでいたのである。この応援は試合の間中,間断なく続いたように思う。そして4試合ともこの応援が繰り返され,私は4勝した。やがて試合が終わり,子供は満足して帰って行った。その後の懇親会でひとしきりその応援が話題となり,「お嬢さんの応援に負けました。」と皆さんに言われた。
5 また松山地家裁今治支部に勤務していたとき,松山地家裁全体のテニス大会があり,現在四国の某地裁所長である裁判官と組んで出場し,優勝したこともあったし,そこそこの優勝経験もないわけではないが,わがテニス歴を振り返って,しきりに反省している昨今である。。
6 岡山の法曹テニスクラブは優れたシステムができており,テニス人口が全国的に減少している中にあって,珍しい活気を維持している。岡山法曹テニスクラブはあるテニスクラブに団体加入しているので,岡山法曹テニスクラブに加入すると自由にそのテニスコートを利用できることになる。そして毎年岡山で東西対抗法曹テニス大会の西軍の順位決定戦を行っているほか,年10回程度岡山法曹テニス大会を行い,毎回25人前後が参加しており,大会ごとに懇親会を行っている。この懇親会は各自が好き勝手な挨拶をするのであり,これがとても楽しく,参加した人は全員親しくなるので,仕事の上でも目に見えない効用があるのではないかと思われる。また年間を通じてのポイント制で総合順位を争うことになっており,上位に入ると忘年大会で豪華な賞品が授与されることになっている。裁判官も数名が参加しているが,多忙のためか参加が少ないのは残念である。
7 私としては,いささかテニスの腕前に不満がある。才能に恵まれながら器用過ぎて無冠のままに終わりそうな某野球選手と比較などすると怒られそうであるが,私も多少運動神経に自信があったために,上達種目を絞らず,何にでも気の赴くままに手を出し過ぎたようである。ただこの結果として甚だ人間関係が幅広いのも,いささか誇るに値するのではないかとは思っている。
 私は,テニス,ゴルフ,ソフトボール,ボーリング,卓球,水泳,囲碁,釣りなど,いずれも格別得意というほどではないが,そこそこの腕前であり,これらの競技で総合得点を競う機会があれば,かなり上位に食い込むのではないかという自信はある。
8 この4月に,5年間仕事上別居していた妻が裁判官を辞職することになり,5年振りで同居することになった。妻は最近の2年間は関東地方の某裁判所支部の支部長であったが,テニス部長も勤めたとかで,かなりテニスの特訓を受け,テニス中毒気味のようである。もしかすると私にサシの勝負で勝つつもりでいるかも知れない。帰省後は熱心にテニスをするのだと言っている。私もこの際反省を生かしてテニスを頑張ってもう少し上達することにした。壁打ちの回数を増やすなども含めて,本気でテニスに打ち込んでみようと思っている。
9 最近錦織圭という18歳の若者が日本選手としては16年振りとかで,テニスの国際大会で優勝したという快挙があった。またある弁護士は仕事も頑張りながら年間150回以上テニスをするという目標を立てているという話もある。これらは他人事ではあるが,耳寄りな話として大いに参考にすることにしたい。年を取っても単にテニスを続けているというのではなく,80歳まではかくしゃくとして,チョコマカと活発に動き回るプレイを目指して,60歳から80歳までを名実ともに人生の黄金期とするために頑張りたいと思っている。(ムサシ)


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今日の朝刊一面トップに「正義のかたち 裁判官の告白」が掲載されています。
刑事裁判官の言葉を通じて「人を裁く」意味を考える連載だそうです。
第1回は、最高裁で無期懲役3人、死刑2人と意見が割れた先月の判決などを取り上げています。
才口裁判官の反対意見は「死刑の量刑基準を、裁判員制度を目前に明確にする必要がある」と付言したそうです。しかし、これに対しては、それは裁判員の意見で決めていくべきだという異論もありそうです。
(チェックメイト)

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 妻が入院した。もともと,先天的に股関節に問題を抱えていたようだが,結婚当初はもちろん,約20年間はそれとは感じさせず,元気に歩いていた。その後,少し無理をすると痛みが出るようになり,昨年初めころから悪化のスピードが速まった。この状態では近い将来外国旅行も不可能になると感じた私は、昨年の夏、妻をドイツ還暦(感激)旅行に誘った。ゆったりとした旅程を組んだつもりであったが、実際に彼地に着くと、どうしてもみたいところばかりで、あちこち足を運んだのがたたり、帰国後は、数歩歩くのも困難という(見ていても痛々しい)状況となったので,人工股関節手術を検討することになった。昨秋,医者の診断を仰ぐと,「即手術」状態だと宣告を受けるも,順番待ちで,5ヶ月先になるという。ほかに選択の余地はなく,ただ待つことになった。

 今年の2月になって,どういうわけか、予定より早い入院の知らせをうけた。毎日のように痛み止めの薬をのみつつ、その頻度や量が増しつつあった状態を嘆いていた妻にとっては、願ってもないことであった。

 1週間ほど,いろんな検査を経て,明日が手術という前夜,担当の医者から説明を受けた。股関節の現状や手術のやり方等についてレントゲンや図面を示しつつの懇切な説明に,親切で優しい先生だなと,好感を覚えつつ聴いていると,次に危険性について説明をします,とおっしゃる。そして,①麻酔事故,②出血,③手術中の骨折、この3つが大きなリスク要因で、いずれも絶対にないとはいえないと,いわれた。もちろん,あくまで万一だし,相応の準備はするので大丈夫ですが,一応承知はしてくださいと念押しされた。手術を間近に控えた家族としては,今さら,考えさせてくださいとはいえない。よろしくお願いしますと,頭を下げるだけである。以上で,インフォームド・コンセント終了。

 当日は,役所を休んで待機。しかし,手術が始まってしまうと,することがない。「待機」は娘にまかせて,当方は税金の申告等に出かける。敵前逃亡のようだが,実は,あの「待つ」状態がいやなのだ。以前,子宮筋腫の手術で,手術室に向かった妻を見送って,病室で待機したことがある。予定の2,3時間をすぎても,看護婦等から何の連絡もない。5時間以上経過したあと,無事終了しましたよと,看護婦から告げられ,大手術だったのですかと尋ねると,「いえ,そうではありません。前の手術が長引いて開始が2時間遅れただけです。」とごく当たり前のような返事。「それならそれでどうして言ってくないの」と口まで出かかったが,手術が無事すんだことの安心感から,怒る気力が失せていた。
 そういうことで,病室での待機を回避して,用事にかまけたわけだが,手術は予定を少し超過したものの,無事終了。さすがに安堵した。

 ところが,麻酔の薬があわなかったのか,同日夜から,すべての飲食物を拒否し,胃液まで出るという嘔吐の連続。あたりに人声や人のいる雰囲気自体が気に触るのか,看護師さん以外は入室禁止。私も近寄り難い状況で,接近禁止命令をうけたDV加害者同然の有様で退散した。翌々日の朝,娘の「おかゆさん」でなんとか食欲が回復し,顔色にも生気が戻る。本来なら,血栓発症に伴う塞栓事故の予防のための歩行をすぐに始めなければならないのだが,上記の状況で1日目は取りやめていた。しかしその日から,医師の強い励ましと,本人のやる気で,歩行練習とリハビリが開始され,ひと安心。

 あとは,順調な回復を待つばかりと思っていたが,物事は必ずしも単純に進まない。私はあとで知ったのだが,術後縫合していたところの端が、うまくひっつかず、再度の縫合が必要となる事態となった。ひと針分だけなので、かなり痛い麻酔の注射をうつのとは変わらないということから、麻酔なしでの縫合をした模様。これを聴いて,痛がりの私の方が,がたがた震えた。
 
 妻の回復をめざす意欲は強く,その後,熱心に歩行(練習)に励んだ結果,当初の予定通り,手術後約3週間で,無事退院した。自宅復帰後,病院での節制生活の成果がでて,妻の体重は減少。一方,メタボ進行中の私の体重は,水泳に精を出すも,妻の留守をいいことに相当量の酒量を確保した生活を続けたので,やや増加。そのため、信じがたいことに、結婚以来はじめて、私の体重が妻の体重を上回ったのだ。妻にとって,減量は好ましいことなので,喜ばしいが,実は、ずっと以前に、妻との間で,「体重が逆転すれば,相当額の金員を贈与する。」との約束をしていたことを思い出した。絶対あり得ないとたかをくくっていたので、かなり高値に設定したはずだ。

 ひと息ついた今、この贈与約束を実行するかどうか,思案中だ。                                      (風船)

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 昨日の撫勢さんの感想に関連して,最近の少年院教育の変化について書かれた論文の紹介をさせていただきます。前に「心からのごめんなさい」という本の紹介をしましたが,その本の陰の主人公が,執筆当時広島少年院首席専門官の向井義さんです。
 
 家裁月報57巻12号(平成17年12月)掲載の,「少年院における年少少年の処遇について(「発達課題」の視点からの構築~宇治少年院の実践から~」がその論文です。
 門外漢の私の紹介ですから理解の誤りがあるかも知れませんが,次のような内容と思いました。
 
 14歳から16歳の年少少年の処遇については,ライフサイクルを通した発達的な視点が重要である。ライフサイクルとは,思春期に入り,少年が大人として自立していく過程において人格形成に必要な,その年代ごとの課題の変化をいうもので,エリクソンの仮説ともいわれ,0歳から22歳までの各年齢分布ごとに,その年代ごとに確実に体験していることが望ましい事柄,すなわち発達課題を明示し,非行少年にはどこかの段階で特定の発達課題を適切に体験できなかったことがうかがえ,それが非行の要因となっているのでないか,と考え,その発達課題を早期に見つけ出し,少年院で改めてその課題を体験させ,いわば育て直しをしてみよう,という試みです。
 
 例えば年少少年の前期には,集団同一性(同一世代への所属意識)が,後期には個の同一性(同世代とは違う自分への自信)が発達課題とされ,その喪失が引きこもりや自殺,反社会的行動に結びつきやすい,というのです。
発達課題が体験できなかった原因として,経済問題や親の養育態度,学校での不適応などの社会的要因と本人の資質や性格,発達障害等の個人的要因が考えられ,それらが非行のリスク要因となるが,他方発達課題が克服できないものの非行に至らないケースの分析から保護因子も分析し,少年院教育では個人別の発達課題をテスト等で早めに発見して対応教育プログラムを組み,さらにその課題に有効な保護因子についても集中的に教育することが効果的と,いうものです。
 
 詳細は,論文に譲りますが,これまでの個別処遇プログラムよりかなり教育目標が絞られ,その少年固有の問題点に迫るため,宇治少年院でも少年の見違えるようなやる気の引き出しに成功しているようでした。
 このような試みが全国の少年院に広がっている様子もあるようです。「花」

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 少年院の卒業式に参列した。
 正確には「中学校卒業証書授与式」という。
 少年院の教育は,通常の場合でも,仮退院までに概ね1年程度かかる。中学3年生の途中で入った場合は,その期間は,卒業時期をまたがることになる。
 不登校を重ね,ほとんど勉強をして来なかった中学生も,ここでは勉強せざるを得ない。目に見えて学力は上がる。漢字を覚え,計算に長け,文字式,英語にも親しむことになる。何よりも,そうした学力向上により,物事を考える力がついてくる。そして,3月には卒業時期となる。
 だが,残念ながら,元いた中学校の同級生達と一緒の卒業式には参加できない。
 そこで,この少年院では,保護者,来賓を招いて,盛大な「卒業式」を催し,みんなで卒業を祝うのである。それぞれ出身中学校の校長先生から,一人一人に卒業証書が手渡されるのだ。
 この日,24人の中学3年生が,卒業の日を迎えた。私が送った4人の少年もこの中にいた。
 在校生,保護者,来賓,講師,教官ら多数が着席する体育館。卒業生達は,一人づつ,大きく手を振り,しっかり足を挙げ,入場してきて,前二列に着席する。院歌斉唱等の後,卒業生が3人づつ壇上に登り,一人一人,出身校の校長先生から卒業証書が読み上げられて授与される。校長は,にこやかに大きな声で「おめでとう」と言葉を添える。生徒らの登壇,授与,降壇,着席までのきびきびとした動作は気持ちがいい。
 式辞,祝辞,来賓紹介,記念品授与,生徒代表の「贈る言葉」と続く。
 圧巻は,卒業生24名が全員壇上に登って披露した「僕たちの決意」であった。一人づつ,スポットライトを浴びる中,しっかりとした大きな声で述べる。これまでの非行と生活態度を振り返ったこと,被害者に大きな心身の傷を与えたこと,家族を心配させたことを訴え,そして,更生への固い決意を力強く誓うのである。多くの子ども達は「お父さん,お母さん,本当に,ごめんなさい!」と,ひときわ大きな声でお詫びの言葉を加える。
 審判の時のあの不安そうな顔,泣きわめいた顔を思い起こしながら,胸の熱くなるのを感じた。保護者席からは,すすり泣く声も聞こえる。
 式のあと,見送ってくれた卒業生と握手を交わす機会があった。どこの中学生にも負けない晴れやか顔が何よりも嬉しかった。ここまで指導するには,少年院の教官や講師たちは大変なご苦労があったと思う。
 少年院教育の尊さを改めて感じさせてくれた1日であった。
(蕪勢)

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 今週は,ビッグニュースがありましたね。度々話題になる取調過程の可視化ですが,「警察庁が調べ録音・録画試行へ=来年度、警視庁などで-全国に拡大し成果検証・警察庁」(時事通信)というニュースです。2008年度から警視庁などで試行する方針とのことです。従前,取調べの録画等は,検察庁だけが試験的に行っており,その証拠としての価値をめぐって弁護人側と争いになったりしていましたが,方法論は別にして,有用性自体については認めざるを得ないように思われました。そして,ついに警察も腰を上げたというところでしょうか。政治の動きも背景にはあるようです。裁判員裁判には朗報といえましょう。この動きは,自白偏重の捜査を変えていくかもしれませんが,一方で,自白に頼らない他の捜査手法の必要性,相当性を議論する必要もあるかもしれませんね。

 楽しいニュースでは,「夜桜法廷:司法制度への理解深めて 徳島地裁、28日に /徳島 」(毎日)とのニュースです。日本裁判官ネットワークのHPでも,「コートオープンデー」という裁判所の催し物を取り上げたことがありましたが,この種試みは,日本中の裁判所で数多く行われています。ただ,夜のイベントは珍しいですね。徳島の方々は,是非訪れてみて下さい。感想もお願いします。

 個別事件のニュースでは,横浜事件(治安維持法違反被告事件)で,最高裁で免訴が確定したこと, 刑事事件や少年事件で,無罪(東京・町田の放火殺人事件の控訴審,横浜の男児交通死亡事故事件の一審)や非行なし不処分(新潟県長岡市の男児産み落とし事件)が続いたことでしょうか。無罪判決のニュースは最近よく目にしますね。

 ちょっと変わったところでは,「山形県弁護士会と北海道の旭川弁護士会が業務内容などで連携を図るため、「姉妹弁護士会」の盟約を結ぶことになった。」(山形新聞)とのニュース。法曹人口問題で揺れる弁護士会ですが,これも何か弁護士会の危機感の表れでしょうか。弁護士会の交流が広がるのはとてもいいことですが。(瑞祥)

 

 



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1 法曹ソフトボール大会は,かつては全国各地で盛んに行われていたが,今では余り行われていないと思われる。それは若手法曹が余りソフトボールをしないことと,かつて熱心にやっていた人達も年を取ってきたためである。しかし姫路のように,今でも春と秋の年2回の大会が続いており,異様に盛り上がっている所もないわけではない。姫路の弁護士会報には法曹ソフトボール大会の顛末が毎回とても面白く描かれている。私もかつて姫路に住み,神戸地家裁社(やしろ)支部に勤務していたころ,姫路の法曹ソフトボール大会に熱心に参加し,裁判所チームのピッチャーとしてそこそこ活躍した。
2 私は小学生のころ熱心にソフトボールをやっていた。毎週のように土曜日の午後,学校に残ってソフトボールをして遊んでいたのである。私はソフトボールが好きであり,得意でもあった。しかしその後,中,高,大学と殆どやる機会はなく,野球部やソフトボール部に所属したこともなく,ズブの素人に過ぎない。
3 私が再び熱心にソフトボールをするようになったのは裁判官になってからのことである。その後転勤するたびに,各地で熱心に法曹ソフトボール大会に参加した。私はピッチャーとして案外活躍してきたと言ってよいだろう。かつて鳥取地家裁米子支部に勤務し,松江市に住んでいたときには,子供の小学校のPTAのソフトボール大会でピッチャーとして参加したこともある。高知の裁判所に勤務したときは,裁判所の本庁と支部などで6チームを編成し,私は民事部のピッチャーとして優勝し,最高殊勲選手(MVP)に選ばれたこともあった。
4 私が郷里の岡山家裁の裁判官として勤務するようになったのは平成11年4月のことである。そのころ岡山では春はボーリング大会,秋はソフトボール大会を行っていたように思う。この年私は裁判官チームのピッチャーとして3勝し,裁判所は久しぶりに優勝した。私はバッターとしても11打数7安打,2ホームランという成績で,当然MVPに相当する活躍をした。しかし私がMVPとなると最優秀投手賞を受ける人がいなくなるという妙な理由で格下げとなり,MVPは別の人が獲得することになって,いささか釈然としなかった。
5 その試合の後の懇親会で,参加者全員がそれぞれ好き放題の挨拶をして大いに盛り上がったが,私は「人は勝った試合よりも負けた試合の方が遙かに多くを学ぶことができる。今日負けたチームの皆さんは,多くのことを学んで下さい。勝った私達は,今日は学ぶことはしないで,勝利の美酒を存分に味あわせて頂きます。」と挨拶をして拍手喝采を浴びた。
 この大会では私の同期の裁判官が裁判所チームの監督をしていたが,優勝を喜んで裁判官チームだけの2次会を企画し,優勝カップでビールの回し飲みをしようと主張した。よく見るとメッキが禿げかけていて,見るからに汚い優勝カップであり,みんなギョッとしたと思う。みんな内心は「バッチイ」と思って反対であったと思われるが,監督が回し飲みを強く主張して聞かないので,監督の迫力に負けて結局回し飲みをした。ビールはとても美味しかった。
6 今は岡山ではソフトボール大会はできなくなってしまい,年1回やっとボーリング大会が行われているに過ぎない。私は毎週土か日に30分,近くの川原のコンクリートの水門に向けてテニスの壁打ちをしているが,その際今でも密かに30球ソフトボールのピッチング練習を続けており,いつでもピッチャーとして登板できる体勢にある。しかしおそらく再び岡山で法曹ソフトボール大会が復活することはないであろうし,私も既に65歳であるから,今後私がピッチャーとしての勇姿を見せる機会もないだろうと思うといささか寂しい思いがする。
 今後はボーリング大会の優勝を目指して秘密特訓をすることにしようかな。(ムサシ)

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 超党派の国会議員でつくる「死刑廃止議員連盟」(会長・亀井静香衆院議員)が、市民の裁判員と裁判官計9人が多数決で決める量刑について、死刑判決の場合に限っては全員一致を条件とすることを柱とする裁判員法改正案を提出する方針を決めた。

 賛否は保留するが、果たして全員一致を要求するのが良いことなのか、色々と考えさせられた。
 確かに昔から、死刑判決には裁判官の全員一致を要求すべきという議論がある。実際にも、最高裁判決で反対意見付きの死刑判決というのは見たことがない。下級審判決でも同様に全員一致を追求する運用がされている可能性もあるが、少数意見が表示される制度になっていないので外からは分からない。唯一、例の袴田事件の1審判決のみ、元裁判官の告白が真実だとすれば、2対1の多数決で死刑判決がされたと公になった例ということになる。
 よく考えてみると、裁判員にとっては、全員一致を要求された方が、悩みは確実に深くなると思う。もし自分1人だけでも反対していたら死刑にならなかったことになるが、本当に自分の判断はあれで正しかったのだろうかと後で深刻に思い悩む人が出て来るかも知れない。多数決であれば、そういう形の悩みにはならないだろう。
 何よりも、全員一致制は、評議の秘密と両立しない部分が大きい。この例でいえば、死刑判決が出た瞬間に全員の意見が判明してしまう。評議の秘密の最も重要な部分が空文化することになる。評議の秘密には、結論は合議体の全体のものとして提示すれば足りるとすることによって、個々の構成員に対する無用の攻撃等を回避するという意味もあると思う。

 このような難問が次々に派生して来るのは、元々、死刑という刑罰自体が、殺人を罰するための殺人という究極の矛盾をはらんでいるからなのだろう。全員一致制の提案の背景にも、そういった問題提起があるのではないか。
(チェックメイト)


 

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