日本裁判官ネットワークブログ
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先日家庭裁判所体験ツアーを開催しました。土曜日の午後からの日程でしたが約100名の参加者が,模擬少年審判,調停コーナー,成年後見コーナー,裁判員裁判コーナーに分かれて熱心に質問などをされ,その後,庁舎見学をし,さらに普段開放していない屋上からの眺望を楽しんでもらいました。

家庭裁判所はプライバシー保護の見地から非公開の手続が多く,家族という社会の基本的要素にかかわる大切な仕事をしている割には,あまりこれまで知られていない地味な存在でした。しかし,これからは積極広報をして,家裁をもっと利用しやすくするとともに,そこに働く裁判所職員の生き甲斐も高めていきたいと考え,プロジェクトチームが熱心に検討して実施した企画です。

参加者のうち77名の方からアンケートに回答をいただき,特に模擬少年審判が好評でした。
少年がひったくりをした際に高齢の被害者が負傷した,という強盗致傷の事案での模擬審判でしたが,ほとんどアドリブにもかかわらず本物の少年審判の雰囲気が伝わる迫力あるものでした。裁判官(審判官)役に会場の参加者が二人飛び入り参加しましたが,途中で涙を流すほどでした。配役のほんんどが家庭裁判所調査官でしたから,彼らの心理学あるいは教育学的な実力を見直した次第です。

その他のコーナーでは,特に裁判員裁判コーナーに人が多く集まり,施行日決定のニュース後,急速に関心あるいは緊迫感が高まっている感じがしました。
来年も是非このような催しをして欲しいとの意見が圧倒的で,主催者の側としてほっとした次第です。「花」

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1 「裁判官はいかなる場合にも法を守るべきか」などというと,一体何を言い出すのかと怒られそうである。しかし私は裁判官になって間もないころ,法を厳格に守ったために困ったことがあった。
 私は大学在学中の昭和40年に普通車の運転免許を取得した。自動二輪も運転できることになっている。「ナナハン」のバイクを買って,高速道を時速100キロで走ってみたいという衝動もある。
 私は教習所に行かず,大学の自動車部に入れて貰って,大学の敷地の隅にあったとても狭い練習場で,スーパーオンボロ練習車でチョコチョコと練習しては,図々しくも直接警視庁の運転免許試験場で試験を受けて不合格を繰り返し,運よく4回目で合格した。私は貧乏学生であったが,甚だ安い経費で免許を取得したことになる。私は甚だ練習不足の未熟な免許取得者であった。
2 私は昭和56年に中古車を購入しオーナードライバーとなった。宿舎の近くで少し練習した後,ある日曜日に練習のため,家族を乗せて長距離運転に出かけた。片側一車線で追越し禁止の黄色の線が引かれている交通量の少ない道路を,制限速度の時速40キロを厳格に守って運転していたところ,ふと気がつくと私の後方に10数台の車がピッタリと列をなしてくっついていた。私は裁判官なので,それでも厳格に制限速度を守って運転していたところ,ついに後続車の運転手が怒り出して,ブーブーと執拗にクラクションを鳴らされてしまった。やむなく道路の左端に停車して,後続車を全部やり過ごしたのであるが,あくまで制限速度を守って運転するか,流れに乗って約10キロの速度違反の運転をするか,困ってしまったものである。
3 その後私は転勤による宿舎の関係で,片道30キロ程度のマイカー通勤を繰り返したため,今では総走行距離40万キロ余となり,既に距離的には月までの38万キロを超えているというベテランドライバーになっているが,流れに乗って大体10キロオーバーで運転していることが多い。制限速度を厳格に守ることは事実上不可能であるが,それで格別の問題を生じていない。
4 話は変わるが,私が裁判官になって間もないころ,私の裁判長が自転車を盗まれたことがあった。自転車で1人でスナックに行き,しばし飲酒した後店の外に出てみると,自転車が無くなっていたというのである。翌日合議体で被害届けを出すべきかを議論した。裁判長は出さないと言われた。私は出すべきと主張した。今から30年近く前の話であるが,裁判長が当時の最新の三段切り替えの高級自転車を購入し,嬉しくてその自転車で飲みに行ったのである。裁判長は,被害届けを出さない理由として「裁判官が飲酒して自転車に乗ることを前提とする行動を取ってよいのか」というのである。私は返答に窮した。
5 早速道路交通法を調べてみた。正確な法の定めは以下のとおりである。「何人も,酒気を帯びて車両等を運転してはならない。」(法65条1項)とされ,「車両」は「軽車両」を含んでおり,「軽車両」には自転車が含まれている(法2条1項8号,11号)から,誰も飲酒して自転車に乗ってはならないことになる。しかし処罰については,自転車の酒酔い運転は処罰されるが(法117条の2第1号,5年以下の懲役又は100万円以下の罰金),酒気帯び運転は処罰されない(法117条の2の2)。酒気帯び運転で処罰される「車両等」から「軽車両」が除かれているのである。
6 結局裁判長は被害届けを出されなかったが,しかしその後も自転車で酒を飲みに行かれていたようだ。裁判官も自転車で飲酒しに行かないように心がけているという話は余り聞かない。ある元裁判官は酒が好きで,しばしば深酒して自転車に乗り,転倒して顔に絆創膏を貼っていた。本来なら酒酔い運転として処罰されるべき場面である。警察も裁判官が酒酔い状態で自転車を運転しても,他人に衝突させて怪我をさせたというように,他人に害を与えた場合でなければ問題にしないと思われる。裁判官が自動車で酒を飲みに出かけたということになれば,新聞などでも強く非難されるのであろうが,自転車で飲酒しに出かけたとして問題にされたことは聞いたことはない。
 私は今まで,裁判長は被害届けを出せばよかったのにと思ってきた。
7 ところが最近のテレビニュースで,ある検察官(と聞こえた)が,深夜自転車で転倒し,倒れている状態で通行人に発見され,「自転車で酒を飲みに出かけたことは間違いないが,飲酒後自転車に乗ったかどうか覚えていない。」と答えたと報道されたのを見た(正確ではないかも知れない。)。この発言は自ら酒気帯び運転ではなく,酒酔い運転であることを認めたことにほかならないと思われるが,検察庁は,「しかるべき処分がなされることになるだろう。」という趣旨の対応をしたということであった。
 私は今でもしばしば自転車で飲酒に出かけるが,そのような場合に自転車を盗まれたことはなく,被害届けを出そうかどうかと迷う場面はなかった。もっとも最近私が乗っている自転車が余りにもオンボロのママチャリなので,盗む側も私の自転車を避けているのかも知れない。
 他人に害を与えたわけではない場合にも,飲酒量が多い場合には,自転車の酒酔い運転で処罰されることになるというのであれば,いささかせちがらく,住みにくい世の中になったものだという気がする。(ムサシ)


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 4月の週末は,狂おしくせわしない。
「せわしない」という言葉も面白い。「ない」は,否定語ではなく,「甚だしい」という意味だそうだ。
 初旬は,桜の開花が待ち遠しく,週末は花見の予定でそわそわしている。天気も気になって仕方がない。お出かけを予定していても,週末にそこがちょうど満開で,しかも天気に恵まれるという幸運は,そうはない。
 今年は最高についていた。2週連続で京都と琵琶湖(長浜・彦根)のそれぞれで快晴の下,満開の桜に酔いしれることができたのだ。
 日頃のおこないが良いせいであろう。

 桜が終わってほっと一息していると,庭先のハナミズキが白さを競い,路傍のツツジが色づき始める。
 その頃から,野菜作りに備えて,畑が気になりだす。
 猫の顎ほどの(額の広さもない)わが家の菜園であるが,それでも,雑草を抜き,鍬を入れ,元肥を置いて,石灰をまいて畝を作る。それなりの時間と体力がいるのだ。鍬を持つ腰の力が年々衰えて,改めて歳を感じたりする。ミミズに出会い,畑が健康であることを確認する。
 準備の整った菜園に,連休の頃,定番のトマト,キューリ,ナス,ピーマンを少しづつ植える。年々歳々,自然の営みを感じるときである。
 今年は,はやりのゴーヤにも挑戦してみようか。 (蕪勢)

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 4月25日が近づいてきた。3年前の平成17年4月25日は、106名の乗客が亡くなり、500名を超える負傷者を出したJR福知山線の事故の日である。
 あの日、私は、九州の任地にいて、ニュースで事故を知り、驚いて関西で働いている妻に電話をした。すると、妻は、開口一番、「うちの事務員さんが死んじゃったねん」。力なくいう言葉に、最初は何のことかわからなかったが、妻が経営者の一人を務める弁護士事務所で働き、妻の片腕だった事務員さんが、その日の列車事故に巻き込まれて命を落としたというのである。不運にも、その日に限って、いつもよりも遅い電車の、しかも2両目に乗ったために、助からなかったらしい。子細がわかって、私は絶句した。私は、家のことで、九州の任地から、よく妻の事務所に電話をしたが、その際にいつも明るく対応してくれて、しかも妻が万全の信頼を置いていた事務員さんが死んだというのである。家も買って、旦那さんと一緒に仲良さそうな夫婦であったと聞いていた。人間の手に負えない「運命」というものは、あるのだなとつくづく感じさせられることになった。
 今年は、あの事件のことが、まざまざと思い出されることになった。この春の転勤で、私は、JR福知山線で職場に通うことになったのである。毎日、事故の現場を通る。列車から、事故現場のマンションが目に入る。その度に、当時のこと、あの事務員さんのことが思い出されて、何ともいえない気持になる。思わず手を合わせる毎日である。おそらく、事故から立ち直れていない方々は、数多くおられることと思う。現場に行くのもつらいという人も多いに違いない。愛する人、親しい人を亡くした人の気持は、計り知れない。誰にどれだけ責任があるかは別にして、こうした事故が二度と起きないように、関係部署が、できる限りの再発防止策を徹底することを願わずにはいられない。
 ところで、あの事故の約3か月後、最高裁で歴史的な判決が出た。今、簡裁や地裁の民事事件の多数を占める不当利得返還請求事件を掘り起こす一因になった最高裁平成17年07月19日第三小法廷判決(民集第59巻6号1783頁参照)である。要旨は、「貸金業者は,債務者から取引履歴の開示を求められた場合には,その開示要求が濫用にわたると認められるなど特段の事情のない限り,貸金業の規制等に関する法律の適用を受ける金銭消費貸借契約の付随義務として,信義則上,その業務に関する帳簿に基づいて取引履歴を開示すべき義務を負う。」(最高裁HPから)というものである。法曹関係者なら誰でも知っている。貸金業者の方々、そして、過払金の請求をしておられる方々も皆ご存じであろう。そして、その判決の中で、弁護士事務所の事務員として出てくるのは、亡くなったあの事務員さんなのである。うちの妻は「あの事務員さんのお陰で出た最高裁判決やねん」という。そして、判決を墓前で報告したというのである。人生には、言葉にならないことが起きるものである。
 あの日を前にして、妻とともに、再度、心から合掌をしたいと思う今日この頃である。(いつものペンネームを使うのは、今日は差し控えます。)

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1 妻の帰郷から2週間が経過した。別居期間は5年で,その前にも4年間の100キロ程度の近距離別居もあったが,それ以外の20数年間は同居していた。しかし以前の同居生活をどんな風にして暮らしていたのか細かいことを忘れてしまい,戸惑うことが多い。共働きなので生活費も折半となるが,以前はどうしていたのか思い出せない。仕方なく台所の机の上に空の菓子箱を置いて,その中に2人同額の数万円ずつ入れて食費に使うことにした。なくなったら補充することになるが,節約・減量モードなので,余りお金が減らない。
2 帰郷1週間後の先週金曜日の夜は,妻もその週の大学の授業を何とか切り抜けたので,外食して祝杯を挙げた。その帰途家までの約2キロを散歩することになり,途中後楽園のすぐ近くの川岸にある満開の桜並木をブラブラと通り抜けた。今年の桜はなかなか散らず,2週連続で土・日の満開の桜を楽しんだ人も多いと思われる。「花の雲」という表現がふさわしく,今年の桜は稀に見る見事な桜であったと思う。
3 その翌日の土曜日の朝7時ころ,私の土日の日課で朝のトレーニングとなっているテニスの壁打ちに行こうとして,そっと抜け出そうとしたところ,妻も行きたいという。そこで車で約10分の所にある壁打用の壁で15分壁打ちをした。テニスコートの一角に長さ約40メートルの壁打用の壁があり,壁に少し角度がつけられていて,打った球がやや上向きに返ってくるので打ち易い。既に何人も壁打ちに来ていた。私はかつて得意としていたフォアの強打の復活を目指しているので,10分間ひたすらフォアを打ち続けた。壁には程よい間隔で7~8か所,小さな白いビニールテープでネットの高さの目印が付けられている。最近では目標とするほぼ同じ所に20回くらい続けて打つことができるようになっており,上達している気配である。その後約5分間,フォアとバックのサーブを15球ずつ,これも全力で強打した。15分以上はしないことになっている。「疾風(はやて)のように現れて,疾風のように去って行く」という自称「月光仮面方式」の電光石火型トレーニングである。継続するために余り時間をかけないのである。
 翌日の日曜日の朝も,私がそっと抜け出そうとすると,妻が気がついて,また行きたいというので,2人で15分打ってきた。
 いずれ土・日早朝の15分ずつの壁打ちと,土曜日の午前10時ころから約2時間の所属のテニスクラブのコートでの遊びテニスが定例化することになるだろう。
4 今後少しずつ2人の生活のペースが整備されてくると,生活の幅が広がるに違いない。やがて散歩やハイキングも生活に組み込むことができるだろう。妻は足利市でオカリナを多少上達して帰ってきた。いずれ私のギターとの合奏も試してみたい。無理をせず,しかししっかりと,抜かりなくいろいろと試みたいと思っている。
5 ごみ置き場のようになっていた我が家も,見違えるようにきれいになった。庭も少し手入れをした。よく切れるのこぎりを買ってきたので,何本かの枯れた木を切り倒すことになる。妻に呆れ顔はされたが,覚悟していた程には怒られずに済んだ。お詫びの印に植木の剪定の仕方とサクランボなど果樹の鉢植えの本を2冊買ってきた。大き目の植木鉢を活用した果樹栽培と犬もいるので健康面からプランターでの野菜の栽培を工夫したい。果樹は楽しみとして,野菜は自家栽培の野菜を沢山食べようというものである。そしてできれば狭い庭であるが,我が家を花屋敷にするべく奮闘することにしたい。(ムサシ)


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「あなたは目前にとらわれて視野が狭いですね。いやなもの,避けたいものを見つめているとかえってそちらに近づいてしまうものです。」「まっすぐ行くということはどういうことか考えてください。矢が的に向かうときは高速度カメラで見るとたわみながら直進しているそうです。だからもっと全体の姿勢をゆったり,余裕を持つようにしてください。」「まっすぐ前だけを見ていると周囲がよく見えなくなります。前後左右に幅広く目配りしてください。」「大回りはまあまあですが,小回りができませんね。」「失敗したときあわてるのが一番よくありません。まず落ち着きましょう。」 
 
 私が日頃気にしている欠陥をこれだけ複数の人に,次々としかも遠慮なくずけずけ言われました。それは裁判官の徳性のときももあるんだ,などと叫びたい氣にもなりましたが,ぐっと押さえ「わかりました。気を付けます。」としか言えませんでした。

 かくして私のペーパードライバー講習は構内教習が1時間増え,路上教習もいつ解放になるか不明で費用もどんどんかかるという状況です。やれやれと慨嘆する毎日です。
「花」

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 中学生の非行事件を担当していると,少年や保護者から,学校の先生に対する厳しい批判,というより非難を聞かされることがある。
「あの先生は,私にばかり服装のことで細かい注意をしてくる」
「あの先生は,うちの子のことをちっとも理解してくれない」
 だから,少年は,「学校に行く気にならない」,「先生に暴力を振るってしまう」となり,不登校や非行の弁解,口実になっている。

 少年がそのような考えを抱いているとき,その保護者も同様の批判を持っている場合が多い。いや,むしろ,保護者がそういう考えを持っているから,子供が,自らの非を棚に上げ,教師に対する不満不平を前面に押し出すようになるというべきだろう。

 しかしながら,少なくとも義務教育の場では,教師に対するこのような批判は,子供の教育上決してプラスにならない 
未熟な子供への教育は,「教える側」にある種の絶対的権威が必要である。教えられる側が,教える人を,否定的にみてバカにし,特に人格批判が度を超し,その「教え」を受け付けなくなったのでは,少なくとも初中級教育は成り立たない。
 保護者は,子供の前で,決して教師の悪口を言ってはいけない。子供の教師批判に同調してもいけない。

 もちろん,学校側・教師側に非のあるときもあるだろう。保護者がそれを批判し是正を求めることが必要な場合もあろう(もちろん,自子主義からではなく)。しかし,その方法は,慎重に選ぶべきである。子供の目の前でそれをすることは最大限に避けるべきであろう。

 「オレ様化」することによって,教師の権威を否定する子供達が増え,これが教育現場を影を落とし,非行対処に困難をもたらしている。
 これは,「モンスターペアレント」「自子主義」とも関連しているのだ。   (蕪勢)

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転勤  


 転勤の季節になった。私も、九州から、関西に異動であった。

 転勤間際は、判決等がたてこんで、裁判官は皆大変である。ただ、当事者にとっては、裁判官の転勤も関係がないから、できるだけ転勤の影響がないように判決等を書かなければならない。でも、数が通常の2倍、3倍になることもあるので、つい弱気になってしまうこともある。次の裁判官任せようか、などと。しかし、現地に行った事件や証人尋問した事件は、どうしても最後を締めくくるのが担当裁判官の責任というものである。歯を食いしばって、3月31日まで仕事をする裁判官は多いのではないだろうか。私もそうであった。計画的に対応すべきとは昔からよく言われるが、なかなか計画通りにはいかないものである。

 転勤してからは、懐かしい顔によく出会った。九州に行く前も関西の裁判所勤務だったからである。大阪の淀屋橋から裁判所に向かう道すがら、昔事件でお会いした弁護士さんに何人も出会った。相手はこちらに気づいていないようであったが、意外とこちらは覚えている。逆に、私の気づかないところで、こっちが覚えていないのに、相手が覚えているということもあるであろう。そんなことを考えながら、ちょっと歩いていただけなのに、知った弁護士さんに会うと、昔のいろいろな事件が思い出された。
「懐かしき 人に出会うや 春の道」そんな感じであった。

 裁判所でも懐かしい顔によく出会った。久しぶりでびっくりする顔も数多くあった。言葉には出さなかったが、お互い健康で再会できることが何よりの幸せなのだろうと思う。関西を離れていた4年間にも、亡くなる人もいたからである。新しい職場では、昔一緒に仕事した速記官の人が、調停委員として挨拶にこられた。また会うとは思わなかったので、びっくりしたが、縁というものはあるのだと思う。今後、一緒に、調停成立のためにがんばりたいものである。

 新しい任地にも、数多くの事件がある。3月31日までに沢山の事件を締めくくってきたはずなのに、また新たな事件が山ほどあるのである。それが裁判官だと言ってしまえばそれまでだが、世に紛争の種は尽きないとつくづく思う次第である。(瑞祥)

 
 

 


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1 私は米子市にある名峰伯耆大山に小さな山小屋を作り,老後を大山で過ごしたいという熱い思いがある。その思いは年々強まっているのであるが,実現の可能性については何とも言えない。しかしとにかくお金を貯めてみて,山小屋取得が可能になった後でどうするかを考えることにしようというのが現在の心境である。借金が残るのは家族も困るだろうが,予期せぬ「隠し預金」が残るというのであれば大歓迎というものであろう。霞ヶ関の「埋蔵金」のようなものである。
 ローンを組んで山小屋を取得したり,ローンを組まないまでも,金銭的な余裕がないのに無理をすると,その後の管理に苦労するという声もあり,正論ではある。夢のまま終わることも計算に入れて,遊び心で夢を楽しむというのもまた一興であろうか。
2 今から1年余り前の平成19年2月に「大山山荘計画預金通帳」なるものを作成した。そしてそれ以前の数年間,特別な目的もないままにテニスボールの空き缶10缶余りに溜めていた小銭を全てこの通帳の預金にした。いろいろの種類を取り混ぜてテニスボールの空き缶1個の小銭で約3万円である。したがってその時点でそこそこの金額が預金されたことになる。これで飲酒すれば結構楽しめる金額である。
3 薩摩藩の500万両の借金を帳消しにしたという家老調所広郷ほどの才覚はないが,その後私もいろいろと工夫して資金捻出の秘策を編み出した。
 その1は,既に以前書いたように釣り銭は一切使わず,全て預金するという秘策である。買い物は全てお札でするので,必然的に無駄遣いが減るが,毎月お釣りの硬貨がテニスボールの空き缶500CCにほぼ一杯になる。これで約3万円であるが,これはその後も1年以上継続した。
 その2は,飲酒しなかった日にはそのご褒美として1000円を缶に入れるというものであるが,これは完全に失敗した。飲酒量は格段に減少したが,1日頑張ったご褒美として,寝る前に養命酒代わりにコップ1杯の酒を飲むことは許されてよいという結論になった。毎日軽く1杯を飲むのでこの秘策は今のところ失敗している。ただ今後新たな展開をする可能性がないわけではない。
 その3は,新種の秘策であり,これが大成功を治めているのである。それは私の個人の通帳に入る収入の全てに1割の源泉徴収を課してピンハネし,これを全て「大山山荘計画預金通帳」に移転するという方式である。農民からいかにして年貢を搾り取るかという,徳川時代の悪代官的発想でいろいろと知恵を絞って思いついた名案で,この結果飛躍的にこの預金が増えているのである。
 私は元裁判官として既に年金を貰っているので,2か月に1回年金が入る。この1割が徴収されるのである。
 また私の事務所は法人化していないので,事務所の預金も全て私の個人資産になるのではあるが,一応扱いは別になっている。そして毎月私の個人の通帳に定額の給与が支払われるし,年2回ボーナスも支払われ,これらからも1割が徴収される。
 更に最近はやけ酒も止めたし,生活費や小遣いの無駄遣いが減ったため,年金と給与による私の月収よりも生活費の方が遙かに少ない。この差額の半分を徴収することにした。そのことは益々生活費を切りつめる動機として機能するようになっている。
 実はまだあるのだが,この程度にしておこう。
4 この源泉徴収方式は中々の名案であって,釣り銭預金と相まって,大山山荘資金も結構嬉しいペースで増加している。格別私の総資産が増えるということではないが,最近ではこの通帳の預金額が増えることが,私の人生の大きな喜びになっており,私の精神の充実に著しく貢献している。飲酒量が減り無駄遣いしなくなったのも,この預金のお陰のような気がする。第一次目標額の500万円を変更する日も案外遠くないかも知れない。最近は実践的で役に立つ家計簿が機能するようになっている。飲酒量や無駄遣いが減れば体重も減るという相関関係もあるかも知れない。今や薩摩藩の切れ者家老調所広郷のような心境である。
5 この4月からの妻との同居により,一層家計の無駄も減りそうである。飲酒も減らし,無理にならない範囲で根を詰めて仕事とトレーニングを頑張り,さらに秘策を練ってお金も貯めてみよう。山小屋を取得するか,山小屋計画を諦めて民宿やホテルの利用にするかはお金が貯まってから考えれば足りることである。いずれにしても結論を出す前に,今年から妻と一緒に年3~4回山陰に出かけて,大山登山や境港の小鯵釣り,天の川探しや大山の秋の散策など,充実した人生の黄金期を追い求めてみようと思うのである。暫くそうしておれば,何が何でも山小屋を取得したいということになるのかどうか,自然に結論が出ることになるだろう。(ムサシ)



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私の運転免許は昭和48年取得と記載されています。当時豊橋支部勤務で少年交通事件を担当することとなって,事件処理のための知識習得のつもりで教習所に通ったものの,自分でもあわてものの自覚があったため,事故のおそれがあると考え,免許取得後に実際の運転は全くしてこなかったので,当然のことながら燦然と輝くゴールド免許を持っています。

このたび定年後の仕事や行動に必要かも知れないと考え,運転を再開してみようと中古車を購入し,ペーパードライバー講習に通うことにしました。

昔の車はクラッチ操作が面倒で厳しく指導された記憶が残っていますが,その点オートマチック車は楽と考えていましたが,35年前の車と比べ各種スイッチ類が多いこと,どうすれば操作できるか呆然とすることもしばしばです。

現在,構内運転をおそるおそる始めている段階ですが,教官からもっとアクセルを踏んで,などと危険な言葉が飛び出し冷や汗をかいています。結局,構内5時間,路上10時間乗れば大丈夫でしょう,との判決でした。

35年の空白を回復するには,それなりの出費を伴うことを実感しました。

「花」

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 東京はとっくに満開だというのに,暖かいはずの関西が遅れるのはどうしたことか。
 一極集中,関西の地盤低下が桜前線まで影響したか。
 老ジャッジは僻みっぽくなっていた。
それでも,ようやく,ようやく満開となった。
 
 春爛漫。週末は心も弾むサクラ三昧。

 金曜日の夕方は,帰り道,街中を歩いて10分の小川沿いに100メートル以上は続く桜並木。絢爛豪華なサクラ,サクラのオンパレード。相当な老木ばかり,見事というほかなし。「どこへ行くよりここが一番」と,近所のおばあさんが誇らしげに見上げている。

 土曜日は,山歩き仲間と京都へ。寒くない。絶好の行楽日和である。朝9時半,蹴上駅を出発して,南禅寺境内を抜け,蹴上船溜へ。ここもサクラが今を盛り。京都を見下ろす白一色の斜面は,すでに相当の混雑である。さらに小さな山を越え,桜名所の一つ山科疎水へ。川面に枝を伸ばす満開の桜がこれでもかこれでもかと連なる。
 仲間も,子供の遠足のようなはしゃぎよう。医療保険制度の「後期高齢者」のネーミングがけしからんと,「後期熟年」は衆議一致し,まだまだ意気軒昂である。花の下で弁当を拡げた後は,小関越で三井寺へ。わずか小一時間で到着。境内の桜を見下ろしてまたまた歓声。ここも満開である。その先にヨットの浮かぶ琵琶湖がキラキラ輝いている。

 日曜日は,カミさんとふたりで,ウォーキングをかねて近くの公園にささやかなお花見。缶ビールで乾杯。心地よい陽光の中,さまざまなグループが,満開の花の下でお昼を楽しんでいる。幸せな春の日の光景である。
 
 こんな贅沢な週末を過ごさせて貰って,申し訳ない。(蕪勢)
 

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1 今日(平成20年4月4日)の夕方,単身赴任していた妻が栃木県足利市から帰郷することになり,5年振りの同居が始まる。30年勤務した裁判官を退職し,地元の法科大学院の教授になるのであるが,近く弁護士登録もすることになるだろう。夫婦で同じ事務所で机を並べることになる。私達は夫婦の裁判官であったが,5年余り前に私が裁判官を退職したため,夫婦の弁護士と裁判官が近接した地域で仕事をすると,夫が関与する事件を担当することになった妻が担当を回避するなど,いろいろと面倒な問題が起きるので,妻の郷里である千葉市に転勤になっていたのである。そして3年間過ごした千葉市から,2年前になぜか更に遠く足利市へと転勤したため,不便な日々を過ごしてきた。この間単身お留守番の私が犬や猫の世話をしてきたのでとても大変だった。義務として毎日犬と散歩したお陰かも知れないが,健康を害することもなく,よくぞ生き延びたという思いがする。家の中はごみ置き場のようになったり,庭の夏の水やりをさぼったので,花も大きくピンクの濃い宮城野萩など妻のお気に入りの植木も随分枯れてしまった。きっと怒られるに違いないが,土下座でもして詫びるしかあるまい。以前のようにまた2人で植木を買ってきて,セッセと庭を整備して思い出に残る植木を増やしたいと思っている。
2 妻の帰郷に備えていろいろと今後の人生設計を練った。できるだけ2人で一緒に色んなことをしようと思っている。上達種目としては2人でテニスを頑張りたい。非上達種目としては,後楽園の散歩,近くの2か所の山(丘)のハイキング,週末の食べ歩きや,月1回の映画や何か月に1回かの観劇などである。私が会員となっている水泳クラブに入会して妻も水泳をする気でいるようだ。最初に作成してからもう20年以上にもなる「わがトレーニング計画表」に,これまでも修正を重ねてきたが,このたびもかなり手を加えて改善した。これに1か月の予定を鉛筆で印をつけてみると案外忙しいことになりそうで楽しみである。人は忙しい時の方が,あれこれやりたくてもできない故に,返って意欲が強まる傾向があるように思う。仕事から引退して「毎日が日曜日」(「サンデイ毎日」というそうである。)になると,今のようにあれもこれもやりたいという意欲が低下するかも知れない。
3 私は人生の黄金期を60歳から80歳までとする説に賛同しているのであるが,80歳までは健康でかくしゃくと過ごしたい。医師日野原重明さんは96歳でありながらかくしゃくとされ,若々しい容姿であるのをテレビや書物で拝見するにつけ,私もそれを他人事と思わず,貴重な参考例として日野原さんのようになろうと強い刺激を受けるのである。そして80歳までは走り回るチョコマカテニスと,タイムを短縮する水泳を目指したい。先日のNHKの水泳の王者フェルプスのトレーニング法の放送は感激した。ビデオで録画したので繰り返して見て参考にしようと思っている。
4 私はまだ暫くは仕事も趣味も無理をしない範囲で,しかしシッカリ頑張って多忙で意欲的な日々を送りたい。そして仕事も楽しみながら頑張るという発想で,人生の黄金期を思う存分楽しもうと思うのである。そうすれば自然に不老長寿という結果になるのではあるまいか。(ムサシ)


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先週の「兄弟喧嘩をなくすには」の投稿に批判のコメントを複数いただいた。
確かに「知恵がない」という表現は良くなかったと感じられる。
ただ、この投稿の主眼は、結びの一文「しかし、いっそのこと、兄弟姉妹に4分の1の法定相続分を認めた民法の規定は廃止してもよいのではないだろうか。」にあった。
つまり、民法900条3号「配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは、配偶者の相続分は、4分の3とし、兄弟姉妹の相続分は、4分の1とする。」という規定は(関連して兄弟姉妹の相続権について規定する民法889条の規定も)、そろそろ改正を考えてはどうか、ということである。
このような規定を合理的と考えて、法教育などで周知すべきという方向の意見ではない(一般論としては、法の周知が大切なことには、もちろん異論がない)。
被相続人に、兄弟姉妹しかいない場合であればともかく、配偶者もいる場合に、兄弟姉妹にも4分の1の法定相続分があるということは、現代では相当な違和感を生じつつあるのではないだろうか。「配偶者に全部相続させる」との遺言書を残す(兄弟姉妹には遺留分までは無いので、これだけで対策としては必要十分である。)ことによって紛争を予防しなかった被相続人の中には、想定外だった人が多いだろうと推察している。そうであったとしても、無理もないのではないか。
皆さんは、この点についてはどのように感じられているだろうか。
(チェックメイト)

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 裁判員制度について違憲論が出されていることはご承知のとおりですが,この点について,最近かなり詳細な合憲論を展開した論文を目にしましたのでご紹介したいと思います。
岩波講座「憲法」4 変容する統治システム の中に収録された土井真一京都大学教授の「日本国憲法と国民の司法参加」という論文です。全文52頁の長さですが,私なりに要約しますと,以下のとおりです。
 
 まず,大正年間に議論された陪審制度導入時の反対論としては,主として
1 帝国憲法には陪審制度についての規定がないのは,これを否定する趣旨ではないか
2 帝国憲法は,司法権は天皇大権の一つとし,司法権の独立を定めているから,陪審の  決定に裁判官が拘束されることは,天皇大権を侵し,司法権の独立に反するのではな  いか
3 帝国憲法は,日本臣民に裁判官による裁判を保障しているから,陪審裁判は憲法に抵  触する
の3点が主張され,賛否両論の激論があったが,結局,
1 陪審員は裁判官ではなく,裁判所とは別の合議体を構成して裁判に関与するにすぎな  い
2 裁判所は陪審の答申を不当とするときは新たな陪審の評議に付することができる
3 被告人には陪審を辞退する権利がある
という内容の陪審法が制定されて,陪審の拘束性が弱められたため,その後は合憲論が大勢となった。と戦前の議論を資料を駆使して紹介されています。

 次に,戦後の憲法問題調査会や帝国議会等でも陪審・参審導入の是非が議論となったが,戦前の議論を踏まえ,憲法32条の「何人も,裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」という新たな条文の解釈として,政府委員側から「本条は陪審,参審等の採用にも支障なきものと諒解する。」との見解が出されていた,というような制定経過を紹介しています。

 さらに,実質的な合憲論の根拠として,司法が国民主権の一部をなすものであり,制定経過からも憲法が陪審・参審の導入の余地を残した,と解するので自然であり,憲法に規定がない,司法権の独立を侵す危険がある,憲法は裁判官による裁判を保障しているはずである,といった陪審制度違憲論と同様の裁判員制度違憲の主張は,そのような反論を前提として議論された結果制定された日本国憲法の解釈論として説得力を持たないのではないか,と述べています。
 
 また,被告人の選択権を認めるべきかの論点については,よりよい司法制度の設立という立法政策として裁判員制度が採用された以上,被告人に他の選択ができる権利を認める,というのは整合性がない,裁判員となる義務を課することは意に反する苦役とならないか,という論点については,「憲法の趣旨に照らしてよりよい司法制度となるように,憲法の枠内において必要かつ合理的な参加を求められれば,それに応じるのが,国民主権原理に内在するところの主権者の責務でありまた権利であると解することができる。」となどと主張され,最後に,主人公は誰なのかを主人公自身が自覚しなければ,物語は始まらない,と結ばれています。

 これまで,違憲論を詳細に展開した論文はありましたが,正面から反論した文章は少なく,私も前に合憲論を内容とする小文を書いたこともありますが,それとは比較にならないほど懇切丁寧に書かれていると感じました。
 この制度について,憲法解釈上の疑問を持たれている方は少なくないと思いますので,できましたら原文を読んで頂いてご検討をお願いしたいと思って紹介した次第です。「花」


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