裁判官を定年で退官し,弁護士登録をして3年半が過ぎた。かなりの事件に関与したが,引き受けなければ良かったと後悔している事件が2,3ある。世間を知らないために引き受けてしまったものであるが,後悔先に立たずである。使命感と少しの同情がかえって仇になってしまったのである。当事者双方も,自分も,悩んだだけで,何にもならなかったという虚しさである。法的紛争の正体は,いったい何なのか深刻に考えさせられる。
こうした落ち込んだ精神状態の時に,支えとなるのは,報酬と関係のない人権訴訟に関与している自分の存在感の自覚である。報酬と関係のない事件は「蟷螂の斧」を振るうのに似ているが,自分にとっては,昔から握り馴れた「杵柄」である。法曹として生きることができる心棒のようなものである。
訴訟は「狂気の沙汰」と思うことがある。これは皮相な,未熟者の見方かもしれないが,そうした訴訟は法的平和の実現とは逆のものである。正義感だけでは,こうした訴訟から逃れられないと感じている。弁護士としての勘が働く場面かもしれない。こうした勘は,一朝一夕で養われるものではなく,若いころから苦しみ,努力しなければ養われないものであろう。定年まで裁判官をしていた世間知らずの者には,こうした勘を会得するのはできないかもしれないと感じている。
あることがあって,少々落ち込んでいるため,こんなことを考え,皆さまに愚痴をこぼした次第である。
ところで,高い山の紅葉はそろそろ盛りである。なかなか出掛けられないが,出掛ける準備だけはしておこうと思う。準備だけをして,シーズンが終わってしまうことも多いが,それでも良いのである。
(万太郎)