日本裁判官ネットワークブログ
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 NHKのHigh Vision で、「華麗なる宮廷の妃たち ― 西太后 ― 」を見て、独裁権力を握り、「垂簾聴政」を布いていた西太后が、日々決裁を求めて山積する案件の中から、ある刑事事件の一件記録に目をとめ、「この裁判はおかしい。調べ直せ」と命じた結果、妻が隣人と密通し、共謀して夫を毒殺したとして、死刑を宣告されていた男女二人の罪が無実と認められ、大勢の役人たちが裁判を誤った責任を問われて処罰されたという話が出てきたことに、本当かと驚いた。
 危うく死刑を免れた女は、通称小白菜、本名畢秀姑、巻き添えにされかけた隣人の男は楊乃武で、小白菜の夫は病死していたのに、毒殺を疑った官憲が残酷な拷問を加え、二人を冤罪に陥れたという話のようだ。
 中国では、この話は「清末四大奇案」の一つとされ、何度も映画やTVドラマになっているのだそうだが、露知らぬことだった。
 西太后は国を破滅させた悪女の代表とされるのが常で、内外を通じてすこぶる評判が悪いが、この「華麗なる妃たち...」では、最近の中国で、これまで世の爪弾きにされてきた西太后の縁者たちが、ようやく内輪だけに伝えられてきた通説とは異なる話を語り始め、もっと客観的に新たな評価を促す史料も発掘されはじめたことが紹介されている。
 番組の画面に登場して語り合うのは、中公新書の評伝「西太后」の著者で明治大学教授の加藤徹氏、精神科医の名越康文氏、脚本家の田淵久美子さん、女優の國生さゆりさんの4人で、真っ先に國生さんが、「この人大好き」と、過激とも思われる発言をする。
 もっともこの番組を見ても、西太后が庶民や弱者への思いやりを示す人であったというような話が出てくるわけではないが、皇帝の気まぐれ次第で浮き沈みする当時の後宮の女たちが、お召しがかからずに終れば一生飼い殺しにされる運命にさらされていたことを知れば、西太后も本来はもっとおだやかに生きられたかも知れないのに、生き残るために手段を選ばない夜叉への変身を環境が強いたという見方を受け入れ易くなる。
 彼女は、たまたま咸豊帝に気に入られ、男児をもうける幸運に恵まれたのだが、帝の死後、数え年の27歳で寡婦となった後、わが子を帝位に就けるために、宮廷の海千山千の大臣たちを向こうに回して、食うか食われるかのクーデターをやってのけ、最大の危険人物に有無を言わさず謀叛の罪を着せて処刑してしまい、まさに修羅場を走り抜けて、絶対権力を掴み取った。
 それから始まった彼女の治世が何をもたらしたか。けなす種はいくらでもあり、ほめるべき点を見つけるのは困難であろうが、加藤氏の評伝は、植民地化の危機を前にして、よく頑張ったと言える部分もあろうとして、見直しを促しているようだ。加藤氏は、彼女が負わされた悪名についても、多くは事実無根だとしている。しかし、彼女の悪名を決定的にした「珍妃の井戸」事件については、さすがに歯切れがよくない。
 北清事変で連合軍が北京に迫り、宮廷が右往左往の混乱に陥ったとき、西太后は光緒帝の最愛の妃とされていた珍妃が、紫禁城からの脱出を拒否し、ここに踏みとどまると言い張ったことに激怒し、衆人の面前で珍妃に自害を迫り、色を失った珍妃の命乞いにも耳を貸さず、宦官に命じて井戸に投げ込ませたというのが、「珍妃の井戸」事件だ。
 西太后一人の怒りの前に、その場にいた光緒帝以下全員が震え上がり、誰も止め立てせずに珍妃を見殺しにしたという。あまりにもひどすぎ、ほとんど理解を絶する話で、「中国とは、こういう国だ」と決め付けたがる議論には誂え向きだ。
 日本では、皇室は言わずもがな、徳川将軍家でも、さらに昔の権力者たちにも、こんなむちゃくちゃをやってのけた実例は、まずあるまい。これほどな権力の暴走が、まかり通ってしまう国柄は、今、どれほど変ったか。
 それはさておき、冒頭で触れた冤罪事件に関連して、名越氏は西太后の頭の冴えを高く評価し、恵まれた天性の直感力に、さらに磨きをかける努力をした人であったから、記録にさっと目を通しただけで、あやしいと気づいたのだろうと言う。
 手続法などに縛られない時代の独裁者だったから、あやしいという勘だけで突き返せたのだと、現代の裁判官は言うだろう。
 むろん、それはそのとおりだ。
 ただ不評山積の敵役に、まじめな為政者を顔を見出すのも、人間の営みの複雑さを学ぶよすがとなろう。
 とにかく、知らずにいたことをせっかく知らされたので、忘れないうちに記しておく。
 


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 無実の被告人が公判廷で、何の抵抗も示さずに有罪を認めるということは、そもそもないはずだというのが、裁判官に共通する信仰である。大部分の裁判官は、そういう信仰が揺らぐような実例には、遭遇せずに職歴を全うする。
 それが安易な思い込みに過ぎない場合があるということが、無実の菅家さんを17年間獄につないでしまった足利事件で実証された。
 菅家さんは6月4日に千葉刑務所から釈放された。私は、たまたま、その日の昼前に、ここに勾留されている被告人に会いに行って、報道陣で埋め尽くされた刑務所の門前で、何事かと訝った。しばしば足を運んでいるこの施設の中に、無実の受刑者がずっと閉じ込められていようとは、思いも寄らなかった。その2日後に、司法研修所15期裁判官の最後の一人となった泉徳治さんが、地裁高裁よりは5年長い最高裁判事の定年70歳を迎えて、ようやく「ゴールイン」した機会に、同期の裁判官経験者が催した旧交を温める集いに、私も参加した。 そこでこの事件について耳にしたのは、もし自分が裁判にかかわっていたとすれば、実際に裁判に当たった裁判官たちと同様な判断をしていただろうという告白ばかりだった。
 むろん、裁判所が誤りを犯したことを、避けようがなかったと免責しようというのではない。
 ただ、われわれが同じ過ちを(多分)犯さずに済んだのは、たまたま冤罪者が公判廷で真実に反する自白をするような事例に当たらなかったからに過ぎないというのが、共通する思いであったろう。
 冤罪者が公判廷で無実を訴えようとしない、訴えることが出来ない場合もあるということに、自分は目を開いてきたと、口には出さずとも、ひそかに自負できた人が、そこに何人いたか。

 では、菅家さんが公判廷で最初から無実を訴えていたら、冤罪を免れることが出来たか。
 その可能性も、かなり乏しかったのではないか。
 被告人が捜査段階での自白を法廷で覆しても、多くの場合、前にした自白が信用できると判断され、有罪と断じられているのであって、前の自白が信用できないとされることは、例外と言えるほどに稀である。
 菅家さんの場合、警察の取調べでも、早くから被疑事実を認めていたと言われるが、無実ならもっと抵抗できたはずだと決めつけてしまうのが、大方の裁判官の論理であろう。
 裁判官は、証拠が明白であるにもかかわらず、見え透いた否認をする被告人には慣れている。
 何度か、そういう経験を積むと、被告人は嘘をつくという思い込みに、我知らず陥ってしまいがちである。むろん、頻度から言えば、被告人の否認がでたらめであることの方が、そうでないことよりも多いに決まっている。
 
 自白のあるなしにかかわらず、被告人を無罪とすることが、自らの無能の告白にならないかという不安は、多くの裁判官を支配しがちな心理であろう。自信なしにはできないはずの有罪認定に比べて、無罪という結論は、裁く立場にある側の能力の限界を認めることである。
 一方、有罪者を免れさせる結果への不安を克服することもむつかしい。
 特に、この犯人を草の根を分けても見つけ出せという社会の強い要求がある事件で、証拠上、真犯人である蓋然性が高いと疑われる被告人を免罪し、その被告人が刑事責任を問われる可能性を全く消してしまう選択の前には、誰しもたじろがざるを得ないであろう。
 冤罪を生んではならない。しかし、罪ある者を免れさせてもならない。
 この二つの要求を両立させる能力は、誰にもない。
 裁判官はしばしば、そういう矛盾に直面して、綱渡りを迫られる。

 広く関心が寄せられているアメリカの刑事裁判の一つに、Scott Peterson という被告人が、妻殺しの罪に問われて死刑を宣告された事件がある。
 英語が達者な人には、websiteで情報の山が提供されているはずだ。私にはとてもそれらを読み解く能力はないが、状況証拠は圧倒的に被告人に不利だが黒と断じる決め手はなく、被害者がどんな方法で殺害されたのかも特定できないという難件であるようだ。
 黒にすこぶる近い灰色は、黒とすべきか、灰色とすべきか。
 そこで無罪であるかも知れないわずかな可能性のために、不利な証拠を積み上げられた被告人を免罪する陪審員や裁判官は、どこの国でも稀なのではないか。

 しかし菅家さんの場合は、鑑定技術の進歩によって真犯人ではないことが確実に認められたという稀有な例である。
 かつ弁護人の指摘が正しければ、確定裁判の上告審の段階で、当時は弁護人が密かに手に入れた菅家さんの髪の毛を資料としたというものであったが、有罪の認定が誤っていた可能性を示す鑑定がすでに現れていたというのであるから、もしここで裁判所も疑問なく受け入れられる方法で鑑定がやり直されていれば、それだけで事案の黒白が明らかになったと言えるはずだ。
 そうならなかったのは、痛恨の極みと言わざるを得ない。
 ただ証拠調べをしないことを建前とする上告審で、原判決の事実認定を覆す(あるいはその正しさを確認する)結果につながる再鑑定を求めるには、大きな障害があったはずだとは思う。
 この事件でDNA鑑定が決定的な証拠となるはずだという認識が、当時すでにあったかどうか、私にはわからないが、おそらく最高裁の裁判官たちは、DNA鑑定が無罪の決め手になるかも知れないなどとは思わず、刑訴法の規定に従う限り当然な結果として、上告を斥けたのであろう。
 15期裁判官の集いでは、木谷明さんにも会った。
 刑事裁判官としての木谷さんの業績は誰もが知るところ。無辜の救済を使命とする心構えに徹し、それを実践した人である。そこで木谷さんから、10チャンネルTVで今度の事件についての話を求められていると聞き、6月7日の日曜日の夜にその番組を忘れずに見た。
 画面に現れた木谷さんは、今日はどうも被告席にいる思いがするともらし、日ごろよりは歯切れがよくないと感じられたが、やむを得ないことであったろう。
 
 今、始まっている再審公判で、無罪の判決が確定した後、検察庁も警察も、それぞれ非を認めているのに、裁判所は何も反省を示さなくていいのか。
 そもそも検察庁や警察が自らの誤りを認めるということは、きわめて異例であり、今回の対応は、菅家さんが真犯人ではあり得ないことが、DNA鑑定で疑問の余地なく明らかにされたという稀有な事情に基づく。
 これまでは検察庁は再審開始手続でも再審公判でも、確定裁判に誤りはなかったと主張するのが常であった。
 そういう対応を許されなくした稀有の事情からすれば、裁判所も菅家さんに対して、非を詫びることが求められるのではないか。
 実は再審公判で無罪を言い渡した被告人に対して、裁判所が、かつて先輩が、あなたを冤罪に陥れ、あなたの人生を失わせた誤りを詫びると述べた実例がある。
 私が初任の判事補として名古屋地裁に着任した当時、名古屋高裁が吉田石松さんに対する再審公判の判決で述べたことである。
 裁判所内部では、公然とは現れなかったものの、この判決の評判は悪かったと思う。あるいは、よく言ったと密かに賛同した人がいたかも知れないが、私が耳にしたのは、裁判所内で力があると奉られていた人が、「どっちが誤判か、わかるものか」ともらした言葉だった。
 この再審を実現し、無罪判決に至るまでの推進力となったのは、成田薫さんであったと思う。多くの人の尊敬を集めた裁判官だった。
 裁判所は非を認めたり謝罪してはならないと説く人は多いに違いなく、その主張には相当な理があるとも思う。
 しかし無実の人を17年も獄につないだ結果に対して、裁判所が何らかの反省を示すことなくしては、裁判所に対する信頼は、結局低下するのではないか。
 「公判廷で、いいかげんな自白をされちゃ困るんだ」と言う言葉も、interviewで
現れた。しかし、虚偽の自白に追い込まれやすいのは、菅家さんに限ったことであろうか。そういう立場に置かれた経験がない人が、この人の「気の弱さ」を、どれほど論えるのか。少なくとも今後の裁判官は、自白を鵜呑みにしがちな裁判官自身の弱さへの警戒を怠ってはならない。それも無論、言うは易く、行なうは難い要求に違いないのだが。



















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 毎度一人合点の落書きで、このblogの知的水準を低下させることにのみ貢献しているようで、少しは気が引けるのだけれども、それほど先が長くないかも知れない
と思うと、やっぱり誰の役に立たずとも、今まだできることを今のうちにしておかないと、後悔するかも知れない、なんぞと勝手な理屈をつけて、また先日の投稿の続きを投稿します。

newcomerの白いネコの名前は、maleだからマロでいいということになり、一方、古株のキキには「お局様」という尊称が与えられた。
 ところが今月17日、土曜日の朝になって、前日までマロと追いかけっこをしていたミュウが急に元気を失い、うずくまったまま、動かなくなった。
 もうだめかと失望しかけたが、とにかく町内で行きつけの小山動物病院に連れて行くと、熱が39度5分あり、風邪でしょうという見立てで注射され、薬ももらって帰り、二階の一部屋に隔離して静養させた。因みにネコの平熱は38度だそうだ。
 注射の効き目があったのか、夕方には復活の兆しが見え、一階に下ろしてやると、また元のように、マロとからみ始めた。

 このネコ3匹は、今年初めからいるキキを含めて、屋内だけで暮らさせ、庭にも出さずにいる。
 庭には犬たちがいるだけでなく、オッチョコチョイの仔ネコたちが、もし外に出てしまえば、どんな災難にあわないとも限らない。
 交通事故で死んだネコを見かけることは、ここでも稀ではない。いなくなったネコに気をもむよりは、初めから外に出さない方がましだ。
 18日の日曜日に新しい山種美術館の速水御舟展で見た絵の中に「翠苔緑芝」と題する大作があり、その右端近くに、枇杷の木の下にうずくまる黒猫がいた。毛の色は違うが目つきがキキに似ていると感じて親しみを持てた。

 今ではマロは体重1・1キロぐらい、ミュウは1・5キロぐらいになった。
 朝から2匹で追いつ追われつ、組んづほぐれつ。ネコがこれほど遊びに熱中する生き物だとは、初めて知った。
 これから捨て猫の啼き声が気になり出すと厄介だなと思う。
 「捨てるな!」と叫びたい気がする。




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 今週の日曜日に、3匹目の猫がきてしまった。先月やってきたのはメスの三毛猫で、950グラムだった体重が、どんどん増え、ミュウという名前をつけられて、今ではこの家に住むのが当然である如く、家中を走り回っているが、今度きたのは白いオスで、体重750グラムぐらい。
 動物病院の先生の見立てでは、ミュウの方は生後4ヶ月ぐらい、新入りの方は生後50日ぐらいだろうとのこと。結膜炎で目が赤くなっているこのnewcomerは、ミュウにもまして元気がよく、すぐさま一回り大きいミュウと、追いつ追われつ、じゃれ合っている。ミュウは先日二階の廊下から一階に転落したばかりだが、昨日の朝は2匹が階段を上がって二階へ探検に出かけた直後に、newcomerの方が、やはり同じように転落した。どちらも飛び降りたわけではなく、まだ引力の作用をわきまえずに落ちてしまったに違いないが、さすが猫だけあって、脳震盪を起こしたり、ギャアと悲鳴をあげたりはしなかった。
 もっと世慣れた猫になると、結構見栄っ張りで、高い場所に飛び上がろうとして飛びつきそこなうというような失敗を認めたがらず、何も失敗なんかしていないような振りをするという、すこぶる人間的なごまかしや照れ隠しをするものだが、この2匹は、まだそこまで成長してはいないので、人間に見られたことを気にして、平気を装ったわけではあるまい。
 今では古顔となったキキの方は、メタボの体を持て余してか、坊ちゃん嬢ちゃんの相手はできないとでも言いたげな顔つきで、超然あるいは憮然と構えて、年寄りの貫禄を示している。

 世のネコ派の中で代表選手を探せば、「哲学するネコ」の著者である学習院大学文学部左近司祥子教授の右に出る人は稀だろう。
 左近司さんに養われている猫は、常に40匹ぐらいいるようだから、ギリシア哲学の専門家であるこの人は、おそらく始終、猫の死をみとるという重荷をも担っていることになるだろう。
 動物を飼うということは、「生者必滅、会者定離」の法則を、否応なく学ぶことでもあるが、どんな広い家があろうと、豊かな身代があろうと、最後の「みとり」ということを考えると、よほどな覚悟がなければ、40匹も飼えはしない。
 しかし左近司さんのような人も、犬や猫を捨てる人がいなければ、好き好んでそれほどの苦労を背負い込みはすまい。やはり捨てる人間が悪い。

 犬2頭、猫3匹となったわが家の同居者たちは、すべて元homelessである。
 まだ草深いとも言える環境で暮らしているおかげで、隣近所とのtroubleもなく、犬や猫たちには、都会では望めないような暮らしをさせているつもりだ。もっとも彼らがそう認識しているかどうかは疑問だが。特に猫にとっては、住みよい家であるはずだ。
 それでも捨てられて寄る辺なくうろついている犬や猫には、なるべく出会いたくない。目も耳も塞ぎたい。そこで目や耳を塞げないのが「哲学するネコ」で描かれる左近司さん一家の人々だ。
 その中で、「お助けレイディー1号」として登場するのは、1988年司法試験に合格、司法研修所43期にその人ありと知られる(多分)現職裁判官。私が定年後に千葉県弁護士会に登録した当時は、千葉地裁刑事部の単独事件係と合議部の陪席を兼ねていて、再三、法廷で顔を合わせたことがあったが、今では東京高裁第9刑事部の陪席判事で、気安くは傍に寄れない。
 祥子先生は、この長女が「うちの多くのネコの拾い手」で、「家族泣かせのお助けレイディー」だとおっしゃるが、命あるものを見殺しにできない気質がある裁判官の方が、冷ややかに見殺しにできる裁判官よりは、よほどましではあるまいか。 もっとも、そういう裁判官が出世できるかどうかは、保証の限りではないが。
 この駄文がご当人の目にふれて、お叱りをこうむると困るので、ここは「哲学するネコ」その他もろもろの左近司教授の著作を、皆さん、お読みくださいと提灯持ちすることで、お見逃しを願うことにしたい。

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 長編「チボー家の人々」の半分以上を占める「1914年夏」は、第一次世界大戦直前の風雲急を告げる情勢から始まって、反戦陣営の瓦解に絶望したジャックが、飛行機でフランス軍とドイツ軍が睨み合う前線に飛び、空からビラをまいて両軍の兵士に戦闘拒否を訴えようという捨て身の企てに、飛行機の墜落で空しく挫折し、重傷を負った末、敗走するフランス軍の錯乱した一兵卒に射殺されるまでを描く。
 こうしてジャックが最期を迎えることは、この巻の結びとなる第85章で描かれ、8月10日、月曜日の出来事とされているが、第73章は、その8日前に遡り、8月2日、日曜日の朝、ジャックがジェンニーに向かって、«Repose-toi,» と口を開く場面で始まる。
 この一言には、実は重い意味があり、それは白水社版の「休んでいるといい」という邦訳では伝わらないが、日本語では外に訳しようがない。
 これまで二人は、互いに相手との距離を取る二人称の vous を用いていたのが、親しさを示す tu に変ったのは、このときからである。
 ジャックはさらに«Moi,je vais conduire Antoine au train. A la
fin de matinée, je reviendrai ici te prendre.»(ぼくは兄貴を汽車まで送ってくる。昼近くに君を連れに帰ってこよう)と続けるが、ジェンニーは即座にこの切り替えができず、やっと«Vous…tu m’y
trouveras si tu veux, en sortant de la gare du Nord.»(あなたは….北停車場を出て、もしよかったら…) という言葉で、vous と言いかけながら口ごもり、自分も初めて tu という二人称を用いて、二人がもう他人ではなくなったことを認める。
 ジャックがジェンニーに最後にvousを用いて語りかけたのは第71章で、«Pauvre,pauvre chérie… Il est tard… Vous n’en pouvez plus… Il faut aller faire un grand somme… Dans votre lit.» と言った言葉で、ごくやさしい言葉遣いであるのに、まだtu とは言っていない。しかし二人は、この後ですぐに抱き合って床をともにする。
 この8月1日、土曜日の夜が、二人の初夜であり、ただ一度の交りであったはずなのだが、この小説の筋の運びは不自然に回りくどく、第63章には、その前日の7月31日にも、二人が抱き合って眠ったというくだりがある。
 ここで既にジェンニーはジャックに、«Serrez-moi fort. Plus
fort… Encore plus fort… » (しっかり抱いて、もっと、もっと…)と迫り、結びの一節にも、Elle eut la sensation délicieuse que
c’était à lui, plus encore qu’au sommeil, qu’elle s’abandonnait.(彼女は身を任せたのが眠りというよりも、むしろジャックであったことに嬉しさを覚えていた)とあるので、このとき既に男女の交りがあったと理解するのが当然でありそうなものだが、それにしては翌日のジャックもジェンニーも、二人にとって新しい人生が始まったという思いにふけりもせず、vousから tuへの変化も生じていないのだから、7月31日の夜には、二人は抱き合いはしたものの、まだ結ばれてはいなかったということになろう。ジャックの禁欲的な性格が欲望に負けるには、手間がかかったとでも解すればいいのか。
 ともあれ、この8月1日には動員令(la mobilisation)が発せられ、愛国主義の狂気がフランス全国を覆い、社会主義者は総崩れとなって戦争協力に走り、ジャックがジェンニーに会うのも8月2日が最後となり、結局、二人のtutoyerは、わずか半日で終ってしまう。
 ジェンニーは、ただ一夜の交りでジャックの子を身ごもり、ジャン・ポールと名づけられる男の子を産む。
 ジャックの兄のアントワーヌは軍医として従軍中に毒ガスに侵され、余命いくばくもないことを知り、ジャン・ポールの将来のために、自分とジェンニーが婚姻して、二人の子としてジャン・ポールが生まれたという戸籍上の体裁を整えることをジェンニーに提案するが、ジェンニーは社会の卑劣な偏見と妥協するために実体のない身分関係を装うことは、ジャックが断じて許さない裏切りとなると決めつけて、アントワーヌの申し出を一蹴する。
 このあたりは、いま伝えられるフランスの離婚率の高さなどは、予想もされなかった時代の現代との隔たりを思わされる。



 


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 十三妹とは世を忍ぶ假の名、後に本名は何玉鳳と知られる明眸皓齒の佳人が、女だてらに鬼をもひしぐ技を磨いた劍と弓矢で、旅人を襲う兇賊一味を苦もなく退治してのけ、彼らの虜にされて切りさいなまれる寸前の良家の子息安驥や、この小説の二人目のヒロインとなる張金鳳一家の命を救う。
 こんな活劇で始まる「児女英雄傳」は、先に筋書きを知ってしまうと、儒教文化への著者の手放しの心酔ぶりに呆れ返り、本文を読む意欲をなくしそうな通俗小説である。
 讀書人にとっての最高の價値が、石にかじりついても科擧合格を果たし、政府高官に取り立てられて、榮達への道を歩むことであった時代に、ついにその夢を遂げられずに終った著者文鐡仙、實名文康が、空想の中で描き出した立身出世物語に、一人の若者が二人の美女に妻としてかしづかれ、合格めざし一直線の受験勉強をシャカリキに後押しされるという、いかに儒教全盛の時代であろうと、あまりにも虫がよすぎる幻想まで取り入れ、首尾よく成績第三位「探花及第」の譽れに輝き、一家繁榮、富貴長壽が約束される「めでたし、めでたし」の千秋樂で結んでしまったお話だから、誰にでも安心して「面白い」と薦められる本ではない。
 また筋書きを知らずに最初から読む人にとっては、ヒロイン十三妹が日本刀をふりかざして悪黨どもを片端からバラリズンと斬って捨てる前半が気に入れば気に入るほど、この女侠が彼女に命を救われた弱蟲安驥の父親で、儒教道徳に手足が生えたような君子人安學海の説得に抗いかね、彼女自身が張金鳳を妻に押し付けた安驥の何と二人目の妻となり、夫の尻を叩いて受験に勵ませ、繪に描いたような良妻賢母への變身を遂げる後半部に、龍頭蛇尾と言うか羊頭狗肉と言うか、とにかく詐欺にあったような不満を覚えるおそれがある。
 しかし著者は大まじめで、十三妹こと何玉鳳を丸め込んでしまう安學海を儒教文化の神髄の代表者として描き、中國を萬國に冠たる受験地獄の総本山たらしめた科擧という制度を、著者自身の苦澁に充ちた挫折體驗にもかかわらず、禮讚してやまないのだ。
 こういう著者の思想は、その當時としても、現実に目をふさいだ體制ベッタリズムとして、笑われても不思議はないものだが、そんな十三妹の變身を承知の上で、小むつかしいことを気にせずに読めば、「児女英雄傳」の語り口は、讀者を樂しませるという点では満点に近い。
 中國では古来の男尊女卑のお國柄にもかかわらず、男どもを尻目に絶倫の武勇を発揮する女英雄やリーダーとして卓越した統率力を示す女傑の話が、案外に好まれるようだ。
 日本ではあまり知られていない「楊家將演義」に登場する佘賽花、穆桂英らの楊家の女將軍や、遼の皇太后蕭銀宗が、そういうキャラクターの代表的な例と言えるだろう。
 武侠小説と一括りにされる傳奇物語にも、十三妹のような女侠が活躍する話は稀でないようだ。
 この小説では、危うい命の瀬戸際を十三妹に助けられた安驥が、恐怖のあまり失禁していた場面(他又俄延了半晌、低聲慢語的説道:「我溺了。」)や、十三妹に斬り捨てられた強盗坊主が住職に納まっていた古寺で、張金鳳も十三妹も尿意を催し、便器(淨桶)がないというので、坊主が使っていた洗面器で用を足す、その後で何も知らない安驥が、濡らしてしまったズボンを同じ洗面器で洗うというような場面が、はばかりなく描冩されていることが目に付く。 日本では、あまり例があるまい。
 安學海は、息子の命の恩人である十三妹こと何玉鳳が、実は旧師の孫に当たると知り、彼女の父母とも親しく交わった仲で、乳飲み子の玉鳳を抱かせてもらったこともあるという思い出を玉鳳に語るところで、「あなたはそのとき私の着物に便をもらしたので、あなたのお母さんがあわてて洗わせようとなさったのですが、私はそのしみを全部落とさずに残してもらいました。将来、あなたが私を他人扱いしたときに、そのしみを見せれば、グウの音も出なくなるでしょうから、と言って」と、人前であけすけな話をきかせる。
(你不曾小解、倒大解了我一褂袖子!那時候你家老太太連忙叫人給我收拾、我道:『不必、只把他擦乾了、留這點古記兒、將來等姑娘長大不認識我的時候、好給他看看、看他怎生合我説嘴。』)
 模範的な儒者であり君子である安學海が、若い娘にこんな話をしても、誰もあやしまず、玉鳳も気を悪くしなかったらしい。こういう神経の太さが中國人共通の特色なのか、そうだとすれば時代による變化はあるのか、どなたかの教えにあずかりたい。 



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 (ペットとの触れ合いを大切にしている人が多いと知って、自分が今年の二月に個人blogに書いた記事も、もっと大勢の人に読んでもらいたくなりました。ご笑覧ください。)

猫一匹と最初に記したのは、その方が口調がよさそうに感じるからであって、別にネコ派だというわけではない。もっとも猫は散歩に連れて行く手間がかからないだけ、犬よりも飼い易いという取り柄はある。
  奈良から連れて来たキティが死んだのは、去年の九月十四日、日曜日の夜明け前だった。一週間ほど前から食事がとれなくなり、やがて水も自力では飲めなくなったが、苦しさを訴えることはなく、ほとんど声もあげずに部屋の隅や庭の木陰で、ひっそりとしていた。食道癌であったのかもしれないが、十三年は生きたはずだから、ほぼ天寿を全うしたと言えよう。最後は日ごろ人間といっしょに夜を過ごす寝室の隅で、誰も目を覚まさないうちに息を引き取っていた。
 最後まで名前さえつけてもらえなかったのに、今なおその存在を天下に知られている漱石の猫が死んだのは、明治四十一年九月十三日だそうだ。
 翌日、漱石が門下生らに猫の死を知らせたはがきの文面には、
 「辱知猫儀久々病気の処 療養不相叶昨夜いつの間にか裏の物置のヘッツイの上にて逝去致候。埋葬の儀は車屋をたのみ箱詰にて裏の庭先にて執行仕候。但し主人『三四郎』執筆中につき御会葬には及び不申候。以上」とあり、やはり誰も知らないうちの臨終であったことがわかる。
 明治四十一年は即ち1908年だから、わが家の猫は日本文学に不朽の貢献をした明治一代猫の百回忌の翌日を命日とする縁を得たことになる。
 もっとも当の猫の身になれば、漱石の長女筆子の夫松岡譲が「最初ひどく虐待されたが、何かの拍子に福相があるとわかって優遇され、そのうちに一躍天下に大名を轟かすに至った」と書いてはいるものの、「無名なのに有名とは、これいかに」と、首をかしげているかも知れない
 しかし、そもそもは猫嫌いの鏡子夫人に何度つまみ出されても、へこたれずに上がりこみ、漱石の「そんなに入ってくるなら置いてやったら」というお声がかりで、やっと宿にありつき、たまたま出入りの按摩のお婆さんが「珍しい福猫でございます。飼ってお置きになると、きっとお家が繁昌します」という見立てをしてくれたおかげで、俄かに優待されるようになったという強運の猫だから、名前などつけてもらわずとも、誰にみとられなくても、安んじて成佛を遂げたであろう。
 ここまで書いてから、動物は成佛できるのかと気にかかり、「猫は成佛するか」と検索したところ、49万6000件の記事があると知って仰天した。「成佛します」という記事が続々と出てきたことは言うまでもない。大阪府箕面市には、この世でペットの霊を救うために降臨した唯一の観音様「放生観音」の霊場があるお寺(曹洞宗幸福山太春寺)があるそうだ。
 飼い主にとって猫が犬より楽な点の一つは、往生した後で手間がかからないことだ。
 キティもすぐに庭に穴を掘り、毛布にくるんで土をかけた。
 平成九年にこの家に越してきてから、それを待っていたように十八歳近くで寿命が尽きた犬も、この庭で眠っているが、さらに何頭もの犬を葬るにふさわしい場所は、そう残っていない。
 ご近所のラブラドル・レトリーバーのマックス君は、大分ぼけてきたようだが、ペットの葬儀社に頼むと大型犬は五万円かかるそうで、「五万円貯まるまで死ぬんじゃないよ」と言われている。
 とにかくキティがいなくなって、犬三匹が残った。
 ハスキー系のチロ、プードルのラッキー、とことん雑種のゴン太という面々。いずれも元ホームレスばかり。
 飼い主の方もいつ往生するかわからないので、もうこれだけでいいと思っていたが、先月の半ばごろになって、また寄るべない猫がやってきた。やはり追い払うのは寝覚めが悪く、とりあえず扶持を与えることにしたが、メス猫なので行き付けの動物病院で、格安の料金二万円で不妊手術をしてもらえた。とりあえずキキという名前にしたが、まだ気を許して寄ってはこない。
 この猫が十何年も生きたら、先にこちらにお迎えが来そうだが、そこまで苦にするにも及ぶまい。


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 有楽町駅から東京駅まで、高架線下の近道をたどって行くと、「シャノワール」という喫茶店の看板が目に入る(ここはもう過去形で書かねばならず、この店は消えてしまっただろう)。
 その前を通るたびに、これと名前が同じ喫茶店は日本中にいくつあるだろうと思う。
 その数はおそらく「ブラックキャット」という店より多いに違いない。いや、そもそも「ブラックキャット」なんていう店が見つかるだろうか。無論どこかにはあるだろうが、探すのに骨が折れそうだ。 「黒猫」という店はあるだろうか。エドガア・アラン・ポオを愛読する探偵小説ファンなら、そんな名前をつける気になるかも知れないが、いまどき同好の士が集まる溜まり場には、まずなるまい。でも「シャノワール」だったら、県庁所在地くらいの街へ行けば、すぐに見つかる.....
 こんなふうに思うのがまるで見当違いでないかどうか、実証的な調査をしたわけではないから判らないが、私の感覚では、黒猫とブラックキャットは同じものであってもいいが、シャノワールは違うのである。シャノワールは(何もノワールに限る理由はないが)、人間の目をかすめて魚をさらったりはしない。生まれたときから雨風にさらされる苦労とは無縁で、いつもMadameの膝に抱かれて音楽を聴いているというimageがあって、だから喫茶店の名前になる。
 これはフランス語で言えば何でも上等にきこえてしまうという日本人にだけ多い有り難がりやの思い込みだろうか。
 辞書でchatの項を引くと se faire chatte という成句が出てくる。日本語の「猫をかぶる」とは大分違うようだ。英語にこれと対応する表現があるかどうか判らないが、私がみた辞書にはそれらしいものは見当たらない。むしろcatにはtoughな、しぶといやつのimageがあって、A cat has nine lives. とか Care killed the cat.とかいう。
 やっぱりchatとcatは違うのではないかしら。これをそれぞれの言葉のconnotationが違うのだと言えるだろうか。
 漱石のフランス語訳で知られている天理大学教授の Olivier JAMET さんは猫がお好きときく。いつか先生のご意見を承りたいと願っている。
私がconnotationという言葉を耳にしたのも、JAMETさんからだったと思う(多分、奈良フランス語クラブの集いで、オウムの犯罪を話題にしたときだった)。それ以来、日本語で「国家」とか「官僚」とかいう単語につきまとうマイナスイメージが(そう感じるのも今はもうminorityのsignになっているのかも知れないが)、英語やフランス語で言えば消えてしまうのかどうかが気になっているが、これはもちろん、ずっと大きな、別の問題になる。


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 森法相がカルデロン一家の特別在留許可を、不法入国をした夫婦については認めないと述べたという。
 これについてカルデロン一家の代理人弁護士渡辺彰悟氏の主張の一部を引用する。
 
 「のり子ちゃんの両親は確かに不法入国をしました。
 しかし,その後15年以上の長きに渡り日本の社会の中で懸命に生き,そして子どもを育ててきました。
 父親であるアランさんは会社で信頼される人間であり,仲間に支えられ,そして職長として日本人の人たちに仕事を教えることのできる立場にある人です。
 確かに,ご両親の入国時の行為は正しくなかった,これはそのとおりです。しかし,入国時の過ちのみによって,現在のこの局面で彼らを退去に追い込まなければならないほどのものでしょうか。日本社会の中で定住してきた彼らを日本社会から引き剥がすことは日本の社会にとって必要なこととは思えません。
 非正規滞在者の資格を正規化するという方法はいろいろとあります。個別事案ごとに判断する手法を日本はとっていますが,諸外国には一定の基準を満たせば,在留資格の正規化を認めるというシステムを用意することもあります。例えば,「7年以上滞在している家族で子どものいる家族に在留資格を与える」というような基準を決めている国もあります。このように多くの場合に見られるのは,やはり子どもを抱えている家庭の保護です。そこに子どもの利益という観点があることはもちろんですが,それだけではなく,非正規滞在者の置かれている労働環境や社会環境の健全化ということが意識されています。長期に非正規滞在者が不健全な環境におかれていることを国が回避しようとする考えです。この考えには非正規滞在者であっても一人の人間であって,その人たちも人権の享有主体であるという考えが通っています。」

 この問題は個人の問題ではなく、日本という国のあり方そのものにかかわる。
 不法入国を水際で防ぐことには困難が伴い、テロリストを含む犯罪者の入国は、どの国にとっても深刻な脅威をもたらす。
 たとえ不法入国者であっても日本で子どもが生まれれば退去を免れるということが通例になってしまえば、これを悪用して生活能力がないのに子どもをもうけたり、子どもがいるような偽装工作を企てたりする不届き者が現れることを予期しなければなるまい。
 現にカルデロン一家と同様な境遇にあって、強制送還の対象とされかかっている不法残留者は、相当な数になるはずだ。千葉県東金市にも、同様な一家がいる。
 しかし日本で生まれ、日本語しか話せない子どもを、著しく不利な環境に追いやることが許される理由は、彼らが日本人ではないこと以外にはあり得ない。
 そういう差別を許さないことを国是とするという選択はないのか。
 世界の経済的に優位にある国で、移民問題、難民問題に悩まされていない国はあるまい。
 島国の日本は、そういう悩みが少ない国ではないのか。
 この不平等な世界が天国と地獄に分かれているとすれば、日本が天国に近いことは確かであろう。
 日本国民が、この列島は先祖代々ここに住む我々だけのためにあると主張し、日本で生まれても親が日本人でない子どもにその権利はないと宣言することはできる。
 それでもイスラエルのように、先祖が住んでいた土地を取り返すと称して、他民族が現に住んでいる土地から彼らを追い出し、自民族中心の国を建てて近隣諸国の憎悪を招くよりは、よほどましであるに違いないが、国際的な尊敬を得るためには、日本で生まれた子どもをその出自によって差別しないと決めた方がいい。
 それが国民のどれほどの負担を要することなのか、あまり掘り下げた議論はされていないと思うが、外からの無法な攻撃に対する有効な防御手段が乏しい日本の安全保障のためにも、そういう投資が役に立つのではないか。
 そう考えれば、この問題は、直接には少数者の利害のみに関するとしても、日本の国家像を左右する問題として、各政党が、あるいは政治家の一人一人が、どんな道を選ぶかを明示すべきことではないか。
 現実にはまだ社民党も共産党も、そういう選択を示してはいないと思われるが、それでいいのか。 (守拙堂)




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 人の一生に読める本の量など、所詮、高が知れている。
 いつ余命一年と宣告されても不思議はない年になっては、一冊の本に義理を立てて通読する閑などありはしない。
 それでも、これこれの本を読んだぞと誰かに知ってもらい、できれば少しでも関心を分かち合える相手を求めるよすがとしたいという、はかない期待から、手が届く本のうちで、ここがさわりだと思う部分だけを気ままに取り上げて、思いつきを書き散らしてみる。誰にも読まれなくても、自分ひとりのために書けるうちに書くだけで、気晴らしにはなる。
 ホメロスの「イーリアス」は、むかし晩翠の文語訳で読んで以来、いつか原語で読みたいという願望を抱くだけで、ほかの邦訳本を読み直す意欲はわかなかった。
 ギリシア語を学びたいという気持は、私だけでなく、多くの人が一度は抱く願望らしいが、ほとんど誰もが学習書の100ページも繰らないうちに挫折するようだ。 少なくとも、自分を尺度として判断する限り、そうだと思う。
 代表的なwebsiteの一つ、ARIADNE: Language Lessons には、冒頭に「いくたびか美しく(嘘)燃えつきた、トホホの古典ギリシア語熱…周期性のあるこの病、ネットは最後の"頼みの網"?」という殺し文句が掲げられているくらいだ。
 それでも命があるうちに、イーリアス冒頭の「メーニン アエイデ テア ペーレイアデオー アキレーオス」とか、末尾の「ホース ホイ ガンピエポン タポン ヘクトロス ヒッポダモイオ」とかの一行ずつだけでも、門前の小僧が経を読むように口ずさんでみたいと思う。
 
 世界文学は「怒り」で始まると、以前は思っていた。
 つまり、イーリアス冒頭の単語「メーニン」がそれだ。
 英語、ドイツ語、フランス語などの翻訳でみると、たいてい冠詞がついているようだが、ギリシア語の原典では、なぜか知らないが、いきなり無冠詞で投げ出されているのが、一層強く響くのではあるまいか。
 「愛」を意味する単語で始まってくれればよかったのに、イーリアスは自我に凝り固まった男が誇りを傷つけられたことへの怒りで始まってしまう。
 それがギリシアを源流とする文明の根底に潜み続ける我執を予告するように思える。
 今ではイーリアスよりも先にギルガメシュ王の物語などがあったと知らされているから、「メーニン」が世界文学最初の単語だとは言えないが。

 法曹界で博識をうたわれる元裁判官の倉田卓次さんは、晩翠訳ホメロスの愛読者のようだ。
 「夜の俄かに寄するごと 凄く駈け来るアポローン
  怒りの神の肩の上、矢は戛然と鳴り響く
  やがてアカイア水軍の まともに立ちて鋭き矢
  切って放てば銀弓の 絃音凄く鳴りわたり…」というような迫力は、文語訳でしか生まれないだろう。聖書の口語訳が読むに耐えないと言われるのと同じことだ。
 この「銀弓の絃音凄く鳴りわたり…」という句が、上田敏がホメロスならではの声調の美と称讃した「デイネー デ クランゲー ゲネ タルギュレオイオ ビオイオ」に当たる。たしかに母音豊かなこの句は、吟遊詩人がここぞとばかり力を込めた聞かせどころであったろう。
 「イーリアス日記」(春風社)の著者森山康介氏は、「弓矢の音が聞こえてくる。前半は放たれた瞬間の音、後半は残響だ」と記している。
 しかし、当然のことながら、3000年前のギリシア人が愛誦したイーリアスは、「力は正義なり」とする信仰が何のはばかりもなくまかり通っていたジャングルの時代の産物である。
 トロイ戦争が侵略戦争そのものであることはもとより、物語の中心である英雄アキレウスからして、起句「メーニン」が示すとおりのジコチューの見本であり、己の名誉欲を充たすためには、味方であるアカイア勢のさんざんな負けいくさを願いさえし、親友の弔いにはトロイア方の捕虜を手当たり次第に生贄として殺戮する。ソクラテスはなぜ、こんな男を死を怖れぬ勇者として称賛するだけで、その残忍さを咎めないのかと訝りたくなるが、現代の日本人も赤穂浪士の討ち入りを義挙として賛美することをやめないのと、同じだというべきか。
 今ではこれほどに露骨な力の信仰が、建前としては通用しなくなっただけ、人類は進歩したと、一応は言えるのだろう。 (守拙堂)

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 瑞祥さん出演の「日めくり万葉集」、今朝5時からの分を早速見た。
 と言っても、むろん、この時間に起きて見るわけはない。
 予約録画した番組を、後で再生してみただけである。
 しかし、天皇・皇后両陛下は、この番組を見るのを日課になさっている
そうだから、朝5時からご覧になるのかも知れない。とにかく瑞祥さんの
ような裁判官がいることは、畏きあたりまでも聞こし召されて、「こんな
裁判官もいるんだね」などと話題にされているのではないか(ごめんなさい。
各界を代表する選者のお一人だとは、初めて知りました)。
 今日取り上げられた歌は山上憶良の「天さかる鄙に五年住まひつつ
都の手ぶり忘らえにけり」だった。瑞祥さんばかりでなく、多くの裁判官
にとって、身につまされる詠み口に違いない。
 私には、「貧窮問答歌(びんぐもんどうか、と読むらしい)」を綴った憶良が、
21世紀の派遣村を目の当たりにしたら、どんな感懐をもらすかという思いが、
すぐ頭に浮かぶ。
 また百済系帰化人の子孫とも言われ、漢学の素養が深かったとされる
憶良が漢文学からどんな影響を受けたかも知りたい。あまりそういう
探求を可能にする資料はなさそうだが。
 そんなことが気になり出したのは、万葉集の編者大伴家持が、防人の歌を
採録したことに、杜甫や李白の影響があったろうかという疑問を、ふと抱いて
からだ。家持が718年ごろの生まれとすれば、彼の生涯は、712年生まれの
杜甫とは、ほとんど重なり合う。
 しかし、ちょっと調べてみると、李白・杜甫の存在が日本で広く知られるように
なったのは、はるかに後年のことらしい。
 家持が杜甫の「兵車行」などを読んでいた可能性は、まずなさそうだ。という
よりも、そもそも杜甫の作品が唐の領域内で、どれほど読まれていたかが
わからない。
 だが、家持にも漢文学への関心がなかったわけではあるまい。
 父大伴旅人の属僚であった山上憶良は、家持よりはほとんど60歳も年上で
あったはずだが、世を去ったのは家持が15歳のころであったようだ。
 二人の間に交流はなかったか。
 仮に交流がなかったとしても、貧窮問答歌を含めて、多くの憶良の作品を
万葉集に拾い上げた家持は、この不遇であったかも知れない父の属僚の
作品を、どのように理解し、評価していたのか。
 そんな取り止めのないことについても、いつか瑞祥さんの話をききたい。
 とにかく、次の放送日時を、忘れないようにしなければ。(守拙堂)



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 オバマ大統領の就任式。
 「プレジデント・エレクト、バラク・エイチ・オバマ」と呼ばれて壇上に立つ。
大差で圧勝した新大統領が勝ち名乗りをあげる晴れの舞台で、フセインという名前を避けて、頭文字だけ読ませたのは、日本でなら縁起担ぎということなのか。
 いくらフセインがありふれた名前でも、アメリカ人の大多数にとって、この名前には暗い連想が、こびりついているのだろう。
 それでもオバマは空前の支持を集め、期待の重荷を担って、世界最高の権力の座に登りつめた。
 彼にとって命がけの冒険であることは、誰もが承知している。
 「ブッシュの8年」がなかったら、アフリカ系アメリカ人で、しかも、まぎれもなく奴隷の子孫である女性を伴侶とするオバマが、この奇跡を実現することがあり得ただろうか。
 2000年の選挙ではゴアが得た票数の総合計では明らかにブッシュを凌ぎ、本来合理性がない旧来のルールによっても、もし、すべての州で票の正しい集計がされていたら、やはり勝っていた可能性が濃いとされるが、不幸にしてブッシュが辛うじて当選者と認められた。
 もし、この選挙にラルフ・ネイダーが出ていなければ、彼が得た票の多くはゴアに回り、ブッシュに勝ち目はなかったはずなので、「ブッシュの8年」が世界にもたらした災厄にはネイダーも少なからず責任を負うべきだろう。
 もっとも、たとえ2000年にゴアが当選していても、9・11の惨劇が避けられたとは思えないが、ゴアならアフガニスタンのタリバンを叩くことはしても、9・11とのつながりが全く証明されていないイラクに戦争を仕掛けるほどの無法は犯さなかったろう。
 ブッシュは、結局、麻生さんとどっちがましかと言ったら麻生さんに失礼かもしれないくらいの「人材」が、間違って超大国のトップに担ぎ上げられてしまったために、えらそうに見えただけだった。
 この政権が世界とアメリカをめちゃくちゃにしたおかげで、さもなくば未だに「オバマって、誰?」と首をひねられていたかも知れないhybridが、イラク戦争に始めから反対した実績を高く買われ、「黒人の血を引く大統領」こそ、アメリカを徹底的に変えることが出来るという希望を託されて、この世紀の初めには、まだ誰も信じなかったに違いない奇跡をもたらしたと言えるだろう。
民主主義と自由選挙は、間違った選択を避けるための特効薬ではあり得ないが、政権の交替を暴力によることなく、秩序整然と実現するという点では、しばしば、よくぞと感嘆させられる実績を示す。
 ブッシュとは対極にあることを最大のセールスポイントとしてきたオバマが圧勝し、ブッシュもチェイニーも面目丸つぶれで、すごすごと退場するというどんでん返しが、一発の銃声にも妨げられずに現実となる。
 こんなことが中国で起きるには、この先、まだ何十年かかるか、わからない。
 しかし、オバマは200万人の歓呼を浴びて大統領の座についたとは言え、彼の約束するチェンジを実現するには、超能力者といえどもたじろがざるを得ないほどの困難が前途に立ちはだかっている。
 オバマがもたらそうとする変化によって、不利益を被ると判断した途端に、オバマを丸め込み、むしろオバマを、彼に希望をつなごうとする全世界の抑圧された民衆を丸め込む道具に使おうとする勢力が、必ずや彼の前に立ちふさがるに違いない。
 イスラエルの戦争犯罪を糾弾する声は世界に広がりかけているが、もともとアメリカこそ、戦争犯罪の本家本元に違いないのだから、世界最高の権力の座を占めたオバマといえども、自国の悪業を棚に上げて、イスラエルに自制を要求することは、たとえ彼にその意欲があっても、むつかしいに決まっている。
 しかもオバマの周囲には、ヒラリーをはじめ、イスラエルの強力な後ろ盾として知られる連中がひしめいているはずだから、イスラエルは今のところ、ブッシュほどには自在に操れないかもしれない大統領が現れたと警戒しているとはいえ、いずれはオバマなんか怖くないと甘く見る態度に戻るかも知れない。
 オバマを大統領に押し上げた力と、その期待を捻じ曲げようとする力のせめぎ合いは、これから、どう展開して行くのか。

 オバマの当選が決まった後で、U-Tubeを通じて聴いたマケインのconcession speechに、心を打たれる言葉があったので、ここに書きとめておく。
 Senator Obama has achieved a great thing for himself and for his country. I applaud him for it, and offer him
my sincere sympathy that his beloved grandmother did not live to see this day. Though our faith assures us she is at rest in the presence of her creator and so very proud of the
good man she helped raise.
 オバマを育てた母方の祖母が、孫が大統領に当選する直前に世を去った不運を悼んだことに、good loserの人柄と気配りが感じられた。
 麻生さんは、このマケインの言葉を耳にしないで、オバマとの最初の通話に出たのではないか。
 オバマ本人は勝利演説の中で、And while she’s no longer with us, I know my grandmother is watching. Along with the family that made me who I am. I miss them tonight,and know that my debt to them is beyond measure. と述べていた。(守拙堂) 



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 風船さんはドイツ語の造詣が深いだけでなく、将棋でも有段者の実力をお持ちの由。こういう趣味について、もっと語る人が増えてもいいと思う。
 私は、碁を打ちはするが、将棋にはほとんど通じていない。しかしTVに出るタイトル戦の番組は、碁だけでなく将棋の場合も関心を持って見ることが多い。
 将棋が強いときいている現職の裁判官への年賀状に、こんな文面を綴った。

 「二〇〇八年は井山裕太と羽生善治の年という印象が濃かったと思いますが、最後には二人とも、挑戦者として優勢でスタートしたタイトル戦に逆転負けして、ちょっと残念でした。
 どちらも挑戦者の方に十九歳名人や永世七冠の実現を期待するファンが、タイトルの防衛を期待するファンより多かったと思われるので、ディフェンダー側の名人・龍王には、心理的負担が重かったろうと想像するのは、勝負師の鍛錬を知らぬ素人の思い過ごしでしょうか。
 羽生が最初に負けた第四局と、大詰めで負けた第七局とは、どちらも目まぐるしい追いかけっこで、二つとも羽生が勝ち将棋を落としたようです。
 特に第四局では打ち歩詰め禁止のルールが渡辺龍王を救ったことに関心をひかれました。このルールの根拠や起源が、どこにあるのか知りたいですね。
 鍋に入れた大魚を逸した羽生がNHKの番組で、第七局の自戦解説者として悠然と現れ、悔しさの片鱗も見せなかったことには、さすがと感心しました。」

 実は以前から、打ち歩詰めを禁止するルールの根拠がどこにあるのかが気になっていた。WIKIPEDIAという、正確性の点では批判もあるWEB百科には、「打ち歩詰め」という項目があり、その起源についても諸説が紹介されていて、一応そうかと思わされるものもあるが、権威ある説といえるものはなさそうである。
 今回の第四局では、渡辺龍王もほとんど負けを覚悟しながら、最後に自玉が打ち歩詰め禁止で、かすかに詰まないと気づいたらしい。
 かつて羽生名人が「打ち歩詰め禁止がなければ先手必勝」と述べたと言われているようだが、事実かどうか、定かではない。
 ただ、このルールがあることで、反則を避ける工夫が必要になるだけ、詰め将棋の奥行きが深まるとは言えるのだろう。
 この疑問について、風船さん、またはチェックメイトさん、その外どなたでも、何か教えていただければ幸い。(守拙堂)

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一生に人の読む本は知れたもの
        思ひ思ひ過ぎぬこの幾年か
  法曹歌人鈴木忠一、筆名落合京太郎の作とされるこの歌を目にしたのは、雑誌「法曹」の誌面だった。
 どんな機会に、どんな思いをこめて作られた歌かは、知らない。
 ただ、意味は単純明快。いささかでも読書に心を傾ける人であれば、誰がこの歎きを覚えないであろうか。
 定年後は読書三昧と誰しもが思う。
 それを実現している人も稀ではなかろう。
 しかし、私の場合は、読書三昧には程遠い日常である。
 時間はあるが根気がない。何か本を読み出しても、すぐに飽きて別の本に関心が移る。
 思うに、昔の人がえらくなれた理由は、読書の敵がなかったことによる。
 ラジオもテレビもDVDもなかった。一番いいことには、パソコンがなかったから、インターネットもなかった。メールやブログにうつつを抜かすことがなかった。
 今の自分は、進行性電脳中毒の第3期ぐらいだろう。
 本をいくら図書館から借りてきても、一度パソコンの画面に向かうと、そのまま何時間でも費やしてしまう。
 Selbstentfremdungというドイツ語は、こういう状態を指すのではないか。
 すなわち、人間が人間の便利のために発明したはずの道具の奴隷になること。
 昔から、「本を読まず、本に読まれる」とは言うが、パソコンが人を支配する力は、書物のそれとは比較にならない。
 最近、何とか読み上げたまとまった本は、「アレクサンドル2世暗殺事件」ぐらいなものだ。
 ドストエフスキーが、革命の敵としての立場を鮮明にしながら、実は皇帝暗殺計画に嵌まり込んでいたグループの誰かを取材目的などで近づけ、その関係が明るみに出れば、破滅を免れない深みに陥りかけていたのではないか。そういう秘密を抱えていたことが、作家の死に関連があるのではないか。
 そして全ロシアに衝撃を与えた作家の急死の直後に、皇帝暗殺が決行された。
 この本が、どこまで史実に忠実な姿勢を貫いているかは、わかりようがないが、日本ではほとんど知られていない帝政末期のロシアの実像への関心を高めてくれる本だ。
 皇帝一人を倒しさえすれば、全人民が体制打倒に起ち上がるだろうという革命派の恐るべき幻想が、皇帝の命と引き替えに彼らを破滅させた。
 一方、皇帝は権力の絶頂で孤立し、体制の内部に、皇帝を消す意図を秘めて、革命派を泳がせた勢力があったのではないかという指摘も興味深い。

 それにしても時間の流れは速い。いつプッツンするか知れない身で今年の読書の成果は、あまりにも乏しい。
 「だが、」と気を取り直す。
 ソクラテスよりは、もう大分長生きした。ソクラテス先生は、プラトンを信じれば、多分60歳を過ぎてから、3人の男子をもうけていたはずだが、それでも70歳に至っては、長生きは不幸につながると説いて、死刑を怖れない態度を示した。
 ソクラテスとは月とスッポン、というもおろかな自分が、この上、何をジタバタすることがあろう。
 いつでも、死神が迎えに来た時に、プッツンすればいいのだ。
 誰にも遠慮は要らない。
 かの鈴木忠一にして、「一生に読める本は知れたもの」という嘆息があったのだから、私如きがクヨクヨするのは笑止でしかない。
 とにかく、今日一日を、活用することだけを考えよう。

 ここまでで投稿を終えたつもりだったが、保存してあった古いはがきのファイルの中に、こんなことを書いたのが残っていた。
 「本屋にもめったに行けないので、このごろインターネットで古本を探すことを覚え、筑摩書房から出て絶版になっていたトーマス・マンの「ヨセフとその兄弟」全三巻の揃いを静岡の書店から取り寄せたら、何と読みごたえがありそうなこと。全く、今書架に眠らせてある本だけでも、命があるうちに何冊読む根気があるのだろうとため息が出ます。それでも本探しをやめられないのは、ほとんどビョーキですね。」
 この本、買ったことも、もう忘れかけていた。
 往生した後で、「全く、もう。かさばるばかりで、お金にならないものばかり残して行くんだから」と、こぼす声が聞こえそうな気がする。(守拙堂)



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 これも去年の投稿。「篤姫」がなぜ人気があったのか、未だにどうもわかりません。鳥羽伏見の戦いで幕軍が敗れたのは、錦の御旗に怖れおののいたからだ(外に敗因はなかった)と言っているようなドラマが、なぜ受けたか。多分、女性には血が流れる戦闘描写などなく、あっさりパスしてしまう方が、見やすいのかもしれない。
                               守拙堂                       

 昔、「信長を死なせないで」というファンの投書がどっとNHKにきて、「大河」担当者に頭を抱えさせたが、今年は、「家定を死なせないで」という註文が、また、どっときたらしい。
 通説では、家定は「うつけ」で、その上にimpotentだったと信じられている。もしimpotentでなければ、相手は選り取り見取りの公方様が、子つくりという将軍家本来の業務に、全く実績を残せなかったはずはないと誰でも思うから、実は子つくりにも励んでいたとしても、そういう証言者が現れない限り、信じられる見込みはない。
 しかし、「相手は選り取り見取り」の身分であれば、好き放題なことをしないのがおかしい(自分だったら、きっと....)と思い込むのは、われら下々のやからの妬み、そねみから生まれる「決め付け」であって、そんな天国のような環境にあっても、誰でもその特権を活用して、うつつを抜かすとは限らないのではないか。
 ルイ14世、15世は、ともに多くの愛人を持ち、好き放題な楽しみにふけったが、ルイ16世が王妃以外の女性と交渉を持った事実は知られていない。 彼には肉体的障害があり、手術でそれが除去されるまでは、王妃との結合もなかったことが、あるいは歴史の流れを変える遠因の一つになったかも知れないと指摘する説もあるが、とにかく王妃との間では子をなしているのだから、「不能」ではない王様でも、王妃以外の愛人を持ちたがらない実例は確かにあると言える。そうだとすれば家定も「本来の業務」に熱心でなかったと言えるだけで、肉体的条件がそれを妨げていたに違いないとまでは断定できないことになる。
 昭和天皇も、皇室の伝統に明らかに反して、「男子をもうけるために側室を」という要請を拒否し続けた。
 側室を持たない天皇など、天皇の本分に忠実であったとは到底言えないのであって、皇后との間に4人の男子をもうけた大正天皇以外に、側室を持たなかった天皇の例を挙げようとしても、女帝か、女性に触れる年齢に達することがなかった天皇の外には、ほとんど見当たらないであろう。
 昭和天皇の側近にいた近衛公爵などは、その方面では、およそ禁欲的ではなかったはずであるし、英国王室の行状に至っては、言うもおろかで、昭和天皇もそういう立派な模範について無知ではなかったろうが、それでも、もし皇后に男子が生まれなくても、弟たちが控えているとして、周囲の要請に応じなかった。
 これは皇后への愛情が深かった結果か、環境からは生まれにくいはずの倫理観が色欲を克服させたのか、そうだとすれば、それは並外れた克己心の強さを示すものなのか、それとも、もともと欲望が淡白な天性によるのか。
 こういうことは判断のしようがない。
 昭和天皇の場合に限らず、何でもしたい放題に振舞える身分なのに、凡人なら勝てないはずの欲望とは、全く縁遠い生き方を選ぶ人のすべてについて、同じことが言える。
 お釈迦様は別格として、たとえば西行がそうだ。
 金があって、スポーツ万能で、歌才豊かで、お偉方の覚えもめでたい。
 そんな男が何で妻子を捨て、墨染めの衣をまとわねばならぬのか。
 金がなく、運動神経がゼロで、ことスポーツに関しては、一生フラストレーションに悩み続けてきた私には、西行の前身の佐藤義清が羨ましくてならず、彼の出家を思うたびに、「何であなたが」と呟き続ける。
 もっとも、もし佐藤義清が出家しなかったら、源平動乱の中で、どんな運命を迎えていたかも知れないから、それを思えば帳尻は合っているのだろうが。
 もっと身近なところで考えてみると、今時の女が、「男なんか」見向きもせず、束縛されない人生を選ぶのは、わかるような気がするのだが、30、40の男が、いくら見向きもしてくれない女が多いからと言って、「おれはどうしても嫁さんがほしい」という悲願にかられず、結婚願望を忘れたようにして、平気で生きて行けるのが不思議でならない。
 なぜ、そうなってしまうのか。やはり人類の終焉が近いのだろうか。

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