日本裁判官ネットワークブログ
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1 最近また面白いTVの健康番組を見た。肩懲り防止体操である。また7時間睡眠による「睡眠ダイエット法」の本も読んだ。先頃感動的な便秘解消法をTVで見たし,魔の3時間対策や歯周病予防法などもある。最近の私はチョッとした機会があれば,これらの方法を無理矢理人に教える「変なおじさん」になっている。
2 最近睡眠時間は7時間を目指すことになった。ある本を読んだ結果である。7時間睡眠は体が勝手に痩せて行く回路にスイッチを入れる睡眠法だそうで,睡眠中に「痩せホルモン」が出て,自然に痩せるという素晴らしい理論である。「痩せホルモン」とは,成長ホルモン,レプチン,グレリン,セロトニン,メラトニンの5種類だそうで,食欲を抑える働きなどそれぞれに効用があるらしい。7時間睡眠は痩せホルモンをうまく出す「睡眠ダイエット法」だそうであり,大規模な調査の結果,睡眠時間が7時間より長過ぎても短か過ぎてもダイエットにならないそうで,痩せるためには7時間睡眠が不可欠だというのである。寝る1時間前に入浴すると,眠りに入る頃体温が下がることにより眠り易くなるほか,眠りが深くなるので効果的だという。ただ年齢を重ねると7時間よりも早く目が覚めるので,意外に難航しており,眠るための更なる工夫が必要となりそうである。(「睡眠ダイエット」(宝島社刊,本体743円)参照)。
3 次に朝起床前の布団の中での「10分間うつ伏せ法」である。この実行開始前にトイレに行き尿を出しておくのがよい。もう1か月以上種々実験したが,結果はまさしく感動的便秘解消法であった。私は無理なく続けるための工夫として,この時間を読書タイムとして活用しており,成功している。時間も少し長く15分にし,目覚まし時計で15分間をセットし,その間本を読むので毎日楽しい。体を軽く上下左右に10回程度揺することを3回繰り返すのがよいようである。この15分で腹痛状態になるが,そうならない場合にも,起床後暫くすると,毎日のようにトイレに行きたくなることが分かってきた。今やわがうつ伏せ法はほぼ完成したと思っている。朝の時間に余裕のない忙しいお母さんの場合には,かなり工夫が必要であろう。1度試みたがうまく行かなかった人も,休日などに粘っていろいろと試していると,必ず自分に合った方法が見つかると思うので,工夫しながら粘ってみるのがよいと思う。
4 その後起床すると洗面所に直行して,水で強く歯をすすぐ。1口10回を3口,合計30回行なう。歯磨きをして寝ても,睡眠中に数億個に増えている歯周病菌を洗い流すためである。高血圧や原因不明の流産を防止するとされており,私はもう5年くらい欠かしたことはない。最近は更に工夫して,昼食前,夕食前,就寝前の1日4回行なうという,我ながら感心な人になっている。
5 そして魔の3時間対策である。起床前後の3時間の間に,「のんちゃんとしんちゃんが遊びに来たがる」のだそうである。言わずと知れた「脳梗塞」と「心筋梗塞」である。睡眠中にかく汗により血液が濃くなる結果だそうで,その防止策として水分補給のために,睡眠直前と起床直後の2回,コップ一杯の水かお茶を飲むべしというものである。最近はトマト中心の野菜ジュースを飲むことにしたが,コップ1杯で約50円であり,健康によい赤い色素のリコピンを大量に摂取できるのが嬉しい。たばこは1箱460円なので,たばこをやめてジュースに代えたと考えると,たばこ2~3本分の値段なので,安価だし健康にもよいので,代金も苦にならないことになる。(ムサシ)



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  上記期間の観劇記録をまとめると、以下の通り。

   ◎は大満足、○満足、△まあ満足

  <>内の出演者はあえて一般的な知名度のある方に絞っています。あしからず

  3月  テアトル・エコー「病院ミシュラン」(恵比寿エコー劇場)

      「病院あるある」ものとしては笑えるのだが、病院を舞台にするならもっと色々作り方があったのではないか、という気がしてならない。これではアンジャッシュのコントではないか、という感想を払拭するには、例えば「良い医師とは何か」といった方向性での膨らみが欲しい。元文学座俳優の某弁護士は、大変楽しく鑑賞されたとのことなので、私が欲張りすぎなのかも知れないが。

     ○新国立劇場「アルトナの幽閉者」(新国立劇場小劇場)<岡本健一、辻萬長、美波>

          非常に緊張感のある対話劇。サルトル原作というので身構えたが、むしろ父子を中心とする家族の関係から戦争犯罪の問題を身近に感じさせる作品だった。戦争がいかに人を傷つけ、その関わった責任を長い時間にわたって突きつけていくものなのか実感させられる。再演を見て鑑賞を深めたいと感じた。

          ○東京芸術劇場「おそるべき親たち」(東京芸術劇場シアターウエスト)<麻実れい、中嶋朋子、佐藤オリエ、満島真之介>

      ジャン・コクトーの作品。佐藤オリエさんの存在感が素晴らしい。二つの家の明と暗を対照させる舞台芸術も印象的。冒頭のやや不自然な母子関係から、ある程度結末が予測されるのが難点か。

      パンフレットには、法務監修・福井健策と書かれている。

      劇団銅鑼「女三人のシベリア鉄道」(六本木俳優座劇場)<鈴木瑞穂>

      あんなに面白い原作本(森まゆみ)を、こういう風に戯曲化すると台無しになります、という見本のような作品。特に前半は、原作者に脚本を委ねた場合のマイナス面がもろに出ている。「女三人」と銘打った以上は全員出さないといけないのだろうが、説明台詞が多く人物が膨らまない。与謝野晶子は、本人が十分規格外なんだから、あんなにエキセントリックに演じる必要は無い。それこそ、企画の谷田川さほさん(色んなちょい役で登場)が、演じれば良いのに。幽霊形式もありはありだろうが、それなら主人公である筆者自身の人生の分岐点に、幽霊がからむ形等に再構成すべきではないかなあと感じた。

     ◎加藤健一事務所「あとにさきだつうたかたの」(下北沢本多劇場)<加藤健一、加藤忍>

      文学座の女優山谷典子さんが書き、自らが主宰する演劇集団Ring-Bongで上映した作品。一昨年にたまたま小竹向原のスタジオで観劇し、ずっと心に残っていた作品で、翻訳劇中心の加藤健一事務所が上演すると知って、大いに驚き、観劇することにした。加藤健一事務所のホームページを見ると、ラストシーンの加藤健一さんの「がんばれ」という叫びに感動したという声が多いようだが、私と妻は、逆にこのラストに少しひいた。父のようには生きまいと思った科学者が、別の形で「罪」を背負ってのラストなのだから、こんなに大見得を切られると違和感があるのだが。

      山谷典子さんの「才気」は、再度鑑賞して舞台のそこここに感じることができたので(ラジオに登場人物が相づちをうつシーンなど)、今後の一層のご活躍を期待したい。



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1 この冬は甚だ変な天気で寒かった。そのためか,春になると咲き遅れていた花が一斉に咲いたようである。私はわがやの庭に咲く花を事務所の花瓶に飾ることを趣味としている。この春は何だか庭に花が咲き乱れて,百花繚乱の趣きがあった。どうやら妻が昨秋の頃から,沢山球根などを植えていたためのようである。水仙,雪やなぎ,チューリップ,十二単(じゅうにひとえ),はなももなどを事務所に持参した。
2 また私は,事務所にある4か所の額に,私が撮影して「半切」の大きさに引き伸ばした花の写真を,2週間に1回の割合で4枚纏めて取り替えて飾ることを趣味としている。事務所内の季節を世間よりも少し早めようというのである。もうすぐ梅が咲きそうだという季節になると,その2週間程前に咲き始めの梅の写真を飾るという具合である。この春は花が咲く早さに負けて,この写真の取り替えが後手に回った。
3 私が事務所に花を持参したり,写真を取り替えたりするごとに,事務員に対する「恐怖の花テスト」が行われることになる。主としては花の名前テストであるが,水仙の英語名は何かとか(ナルシサス),その名の謂われについてギリシャ神話を知っているかがテストされたりする。2人のベテラン事務員は,もう何年も私のテストを受けてきたので,ほぼ正解に達するようになっているが,新しく事務員になった者の場合は,よほど花が好きでない限り,大体1年間は花テストに苦しむことになる。正解に苦しむ花としては,「忘れな草」,「ホトトギス」,「はなもも」,「十二単」などであろうか。
4 最近わがやの庭に咲いた一枝の黄色い花を事務所に持参したところ,ベテラン事務員たちは,「また始まった」という顔をして微笑んでいた。まだ2年目の事務員に対する花テストである。昔室町時代の後期に,後に江戸城が築かれた場所に城を築いた太田道灌という武将がいた。その武将がとある農家の近くで雨に降られたため,農家に立ち寄り,蓑(みの)を借りたいと頼んだところ,美しい娘が出てきて,蓑の代わりに黄色い一枝の花を差し出したというのである。教養ある武人であった道灌も,直ちには娘の意図を理解できなかったが,後にある和歌を知って感服するとともに,自らを恥じて努力し,後に日本一と言われる歌人になったという話である。「一体娘の行為はどういう意味か」というのが,私の恐怖の花テストである。いささか高度な教養を要することになる。
5 「七重八重 花は咲けども  山吹の 実の(蓑)ひとつだに なきぞ悲しき」というのが正解である。後拾遺和歌集にあるのだそうである。娘の無言の回答は,「貧しいためにお貸しできる蓑はひとつもないのです。ごめんなさい」ということである。なるほど山吹という花には実はならないようである。
6 この話は,昔高校の国語の教科書で読んだような気がする。私は小学生の頃から国語の教科書が大好きで,繰り返して読んだ。そのせいかどうかはよく分からないが,私は国語は大の得意科目で,テストではいつもよい点だった記憶である。
7 その後この話は,婚約者になる前の妻に試みて,得点稼ぎに成功したような気がする。太田道灌が,その娘を妻にしたかどうかについては調査未了であるが,そうなっておれば素敵な話ではある。
8 私はいつの頃からか,このような「チョットいい話」や気に入った短歌などを集めて,メモノートを作るようになったが,自分の人生を振り返ってみると,妻と婚約するに至る強力な武器になるなど,案外それが役に立ったような気がするのである。(ムサシ)



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1 妻が病気になり,昨年5月に手術を受けた。幸い手術は成功し,手術から10か月が経過した。転移などの畏れが全くないわけではないが,妻は元気で飛び回っている。どうやら手術前よりもかなり多忙になっており,子供らも事務員も周囲の者はハラハラして妻の健康を心配してくれているのに,本人はそれに気付いていないふしがある。
2 妻は手術の前からかなり多忙であった。私は妻に,自分が病気であることを自覚して,健康を最優先し,今後仕事や雑用などを極力最低限に絞るように求めた。妻は「ハイハイ」と答えた。例の「ハイはひとつ!」というやつである。
3 妻は,弁護士の仕事と当地の法科大学院の教授と弁護士会の義務である2つの委員会の委員としての仕事に極力制限する筈であった。私は妻にそれ以上は全部断ることを要求した。もっとも,その時点で既に新たに関与しかけていることも少しあったが,とにかく可能な限り多忙となることは避けるという約束であった。
4 しかしその後妻は,何やら忙しそうにしているのみならず,夜になるとしばしば疲れた様子で,テレビをボンヤリ見ていたり,妻の頼みで長時間妻の肩揉みをすることも多くなった。
5 その内,事務所が開く朝9時前から,当地の大学から事務所のパソコンに多数のメールが入るし,何となく妻と事務員が私を避けるようにして,ヒソヒソ話をしている気配であることに気がついた。妻の外出も格段に増えた。これはただ事ではない。
6 そこである時,私は妻に,どうなっているのか説明を求めた。すると既にびっくり仰天する事態になってしまっていた。その実態をここに全て書く気など毛頭ないが,実際大丈夫かと心配になるような状況になっていたのである。妻は県の労働委員会の委員や,義務とは別に新しく弁護士会の重要な二つの委員会の委員になっていた。それらの話があった段階で,私はそれらを全て断るように強く迫ったが,妻は返事をしなかった。挙げ句の果ては地元の大学の卒業式で変な角帽やガウン姿で壇上の椅子に座るという事態になっていて,テレビニュースの遠景写真に写った。まだ他にもある。私は「話が違う」と激怒した。「お前は死ぬ気なのか?」と。
7 しかし「時既に遅し」ということであろうか。私がいくら怒っても,何も問題は解決するわけでもない。妻が何を考えているのかはよく分からないが,病気を忘れて,忙しく飛び回るというのも,考えようによれば,それができる健康状態だということになるので,結構なことなのかも知れない。
8 そこで私はすっかり観念し,「恐れ入りました」と敗北を認めることにした。それならもう何も言うまい。「君は思うままに自由にやりなさい」。それが妻の生き甲斐になっているかも知れない。ただ決して体に無理はしないで貰いたい。
9 そこで私は次のように決めた。私は妻からの希望がなくても毎日1時間妻の肩揉みをする。食器洗い,洗濯,ゴミ捨て,風呂の管理,部屋の掃除,猫の世話など全ての家事は当面私がする。そして決して怒らず,いつもニコニコ笑っている。
10 これは,私が唱えている「キャインキャイン亭主論」の先を行く「満点亭主論」ではあるまいか。ただし,これは緊急事態下という「期間限定亭主論」なので,緊急事態が解消すれば,「キャインキャイン亭主論」に復帰することになる。(ムサシ) 



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3月29日付けの朝日新聞朝刊の「記者有論」という余りなじみのない欄に「最高裁長官退任 改革の意思受け継いで」という題名で、さいたま総局長渡辺雅昭氏が書いた記事が目にとまりました。

同記者の論旨は、長官が強い指導力を発揮して司法改革をすすめた、しかし、例えば裁判員裁判で供述調書朗読が横行するのはおかしい、と長官が言い出すまで現場の裁判官から声が上がらないのは嘆かわしい、長官の強いリーダーシップが現場を萎縮させた矛盾は確かにあるが、現状に甘んじる裁判官に人権を守る重大な職責は期待できない、怖い長官が去ったと安心するのではなくなぜ長官がげきを飛ばし続けたかに思いを致して欲しい、と裁判官の奮起を促すものでした。

最近のベストセラーとなっているらしい「絶望の裁判所」でも、前長官は矢口元長官より強権的と批判されていますが、どうでしょうか。

今回の司法改革には、いろいろ批判すべきところもありますが、裁判員裁判や労働審判の導入といった司法に対する国民参加の促進は、主権者たる国民が司法権を身近に、しかも自分たちが責任を持つべき課題であるという自覚を促した、という点で画期的であり、今後も着実に定着していくであろうことにあまり異論はないことと思われます。

しかし、裁判は自分たちがするものという感覚の従来の裁判官の意識には、そのような改革が容易には受け入れがたいことも想像に難くありません。

現場から司法改革に向けた声やアイデアがなかなか出てこないこともそのようなところに起因していると思います。

だからといって、上からの押しつけで本当の改革でなされるとも思えませんが、真の改革に向けた地道な活動には気の遠くなるような時間が必要です。

竹崎長官はそのようなジレンマをかかえた時代の長官として、国民のための司法の実現は待ったなしの課題と考えたのではないかと勝手に推察します。

その意味で渡辺記者の記事に共感をしました。

ただ、同記者が指摘した現状に流されやすい体質は、裁判官のみならず、弁護士、おそらく検察官にもある、あるいは私にもある法曹全体のものかもしれないと、自戒しなければ、とも思います。                                                 子鉄あらため小鉄



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12 捜査官が事件の筋書を作るのは当然のこととしても,捜査官にとっても大切であるのは「真実な何か」ということであり,「無辜(むこ,無実)の者を処罰してはならない」のである。作成した筋書に疑問が生じた場合には,その疑問に対して謙虚でなければならない。筋書に反する内容の被疑者の弁解に謙虚に耳を傾け,真実を見つけ出そうとする姿勢が大切であって,筋書に反する弁解は虚偽であると決め付けて,強引に筋書を認めさせようとすると誤判の原因となる。
13 現実に弁護士として仕事をしていると,無実を主張した場合には有罪を認めるまで,担当警察官が調書を作成してくれないと,接見時に被疑者に訴えられることも決して少なくない。また被疑者が「私は絶対やっていない。」というので,「あなたを信用していいですね。」と何度も確認して,「無罪で頑張る。」と約束し,調書の内容が間違っておれば,署名も指印もしないことを確認して,数日後に接見に行くと,「実は私はやっていないんですが,認めれば罰金刑で済ませると言われたので,認めてしまいました。否認していると,身体の拘束が長く続くので,会社を首になってしまう。」などという話は枚挙に暇がない。多くの弁護士とそのような話をすると,概ね「わが国の軽微な事件の冤罪はかなり多いに違いない。」という認識で一致する。先日,袴田事件で再審開始決定が出された後のテレビ番組で,痴漢冤罪事件の映画「それでもボクはやってない」の周防正行監督も,「日本の軽微な刑事事件においては,かなりの高率で冤罪事件が存在するのではないかと考えている,。」と発言しておられたが,私も全く同感であり,日本の刑事司法は深く病んでおり,重篤な状態にあると考えている。
14 そうしてみると,個々の警察官や検察官にも問題はあるが,そのような捜査官を生み出している警察や検察の組織自体にも問題があるということなのであろう。裁判員裁判の場合には多少事情は異なるが,一般に刑事事件の判決の内容は法廷ではなく,裁判官が机に向かって警察官と検察官が作成した調書を丁寧に読んで決まることになる。そうすると調書の内容が真実に反しておれば,必然的に判決も真実に反することにならざるを得ない。本書に書かれているような調書作成の方法からすると,甚だ多くの弁護士が平野教授と同じように,わが国の刑事裁判にかなり絶望的になっているのではないかと思われる。
15 今からもう40年近くも前のことではあるが,私は司法試験に合格して東京で実務修習を受けた。検察修習では取調修習といって修習生が簡単な刑事事件の被疑者を取り調べて調書を作成し,処分を検討した。私が担当した簡単な窃盗事件の被疑者は「実は私はやっていません。」と否認したので,「警察の調書では認めているのに,どういうことですか。」と聞くと,「私がいくらやっていないと言っても,警察官は聞いてくれず,認めた方が軽く済むと言われたので,仕方なくやったことにしたのですが,実はやっていないんです。」と涙ながらに訴えたのである。妙なことだと思って色々と突っ込んだ質問をしたが,被疑者の弁解はなるほどという内容で,真実と思えた。そこで被疑者の弁解を纏めて,無罪を内容とする調書を作成し,修習指導官を補佐している若手の検事に提出したところ,「君のこの調書では被疑者を有罪にできないではないか。」と強い口調で怒られてしまった。私も種々反論したので激しい議論となった。私は,これで検察の実務修習の成績はひどい点がつけられるだろう,将来の進路として裁判官を志望していたので,おそらく裁判官になるのは無理だろうと覚悟した。ただどうしても納得できなかったので,私は指導責任者である修習指導官に直訴した。そして種々説明して「色んな角度から被疑者に聞いてみたのですが,私にはどうしても彼が犯人とは思えないのです。」と述べた。指導官からも色々と質問を受けた後,指導官は私が作成した調書を読んでから,「よく分かった。君の調書で行こう。無罪でよい。」と,ニコニコしながらおっしゃったのである。私は裁判官を棒に振ることも覚悟した悲壮な思いでいたために,このような検察官がおられることに感動し,そして尊敬した。
16 この指導官は検察官として優秀で,「切れ者」と評価されていたが,人間的にも魅力ある人物で,この検察官の影響を受けて,検察修習開始時には弁護士志望であった何人かが検察官に志望を変更した筈である。私はこの指導検察官の度量のお陰で無事志望どおり裁判官になることができたと,今でも心から感謝している。その人は先頃まで週1回テレビで拝見していたあの揉み上げの人である。
17 私は村木さんの本を読んで,検察官が,「疑わしい人は,例え真犯人ではなくても,全て有罪とする」ことに血道を上げるのではなく,検察官が国民の期待に応えて,「真犯人だけを有罪とし,例え疑わしくても,真犯人ではない者を誤って処罰することのないように」,本来の責務を十分に果たして欲しいと,改めて強く思ったのである。(ムサシ)



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