日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
ホームページhttp://www.j-j-n.com/も御覧下さい。
 



以下は,27日の例会で話した内容の要旨です。ホームページ掲載予定ですが,一足先にブログでもお読みいただければと思います。2時間余りの話の要旨で舌足らずの点があるかもしれませんがご容赦ください。
                       ネタ切れの「花」


私の裁判官生活は何だったのか(40年間の総括と展望)
           
1 はじめに
 私は,今年(2008年)6月23日に,約40年間の裁判官生活を定年で終えました。
 今回裁判官ネットワークの例会でお話をさせていただく機会を得ましたので,これまでの裁判官生活を振り返り,今後に役立つものがあるかを検証してみたいと思います。

2 40年の裁判官生活の実態
 私は,司法修習生の時代に体験した裁判所の自由闊達な雰囲気にあこがれて張り切って任官しました。昭和46年(1968年)広島地裁に新任判事補とてし赴任したときの期待に胸膨らむ感じは今でも良く憶えています。
広島に着任した同期の2人とともに,勉強会をしながら,勾留裁判を厳格にする努力をしたり,先輩裁判官との暖かい交流に楽しい毎日が続いていました。
 しかし,私が尊敬していた広島地裁の長谷川判事が転任拒否をしたことに対する再任拒否,青法協加盟を理由にしたと疑われる宮本判事再任拒否事件が立て続けに起き,いやおうなく司法の危機の渦中に巻き込まれていきました。理不尽な事態に対する激しい怒りがこみ上げるとともに,先輩裁判官が右往左往する姿に官僚組織のいいしれぬこわさを実感したものです。
 このころ合議体で,それまで先例のない屎尿処理場建設差し止め仮処分決定を出しましたが,果敢に新たな判断に踏み込む裁判長の姿勢に勇気を学びました。
 その後名古屋地裁豊橋支部,名古屋地裁を経て,東京地裁で初めて単独事件を担当するようになりました。いきなり無罪判決を2件出し,それが確定したことは大きな自信につながりました。また法服を着ない参与判事補制度について,裁判官会議でおそるおそる反対論を展開したこともありました。
 はじめて大阪高裁に勤務したのが昭和56年(1981年)でした。高名な刑事裁判官である石松竹雄裁判長のもとで大いに勉強したものでした。最初の起案は全部書き直しでした。ショックを受けました。また当時の事件数はかなり多く,貧血で倒れそうになったこともあり,高裁の仕事の厳しさも知らされました。
 もう一度平成元年(1989年)から4年間大阪高裁に勤務しましたが,2度の高裁経験で自分が一審の裁判長になったらああもしたい,こうもしたいという夢がいろいろ生まれたのが大きな収穫でした。
 その後,平成5年(1993年)から10年間,神戸地裁姫路支部と大津地裁に勤務し,裁判長として自分の頭で考えた訴訟指揮をするようになりました。
 検察官の起訴状,冒頭陳述を被告人にも書面交付し,それに対する被告人の意見を聞く,いわゆる要旨の告知は省略する,事実を争う場合には,弁護人に冒頭陳述を求め,検察官に反論を促す,争点が明確になるまで証拠調べに入らない,判決を言い渡す場合は,判決文を被告人,検察官,弁護人(希望があれば被害者の遺族にも)に交付して朗読する,量刑理由は特に考慮した数項目を必ず明示するが訓戒はしない,贖罪寄付や社会奉仕活動を積極的に勧告する,などがそれです。
 大津地裁で逮捕手続きの適法性が争点となった事件で,警察官が逮捕手続きについて偽証したことを理由に,証拠収集手続きの違法を宣言して無罪とした事件が最高裁で是認されたことが私の誇りになっています。
 広島高裁岡山支部長を経て,最後の仕事が松山家裁所長です。
 家裁では非公開手続きが多く,市民の理解が進んでいないと感じ,司法記者に家裁の特集を依頼したり,休日に家裁探検ツアーを実施して市民に家裁を開放し,調停や審判,裁判員裁判の説明コーナーを設ける,調停委員の公募制を試みるなどしてみました。

3 このような裁判官生活をどうみるか
 判事補としての10年間は,無我夢中の時期で,判事としての30年間のうち,前半の15年は勉強の時期,その後の15年間は,ようやく自分なりの訴訟指揮や判断ができるようになった,いわば自立の時期といえます。
 そうすると,前半の25年間は一人前の裁判官とはいえなかったということになり,いささか裁判官として遅すぎる自立ともいえます。
 その原因として,私の性格的な弱さ,勉強不足などともに,新任当時に感じた得体の知れないこわさにあらわれたように,裁判所の管理的雰囲気から抜け出すのが難しかったことがあったといえます。

4 なぜ自立が可能となったか
 遅かったとはいえ,それなりに自分の頭で考える裁判ができるようになったのは,一つは高裁時代のいろいろな経験が糧となったこと,もう一つは平成4年(1992年)に発足した裁判官ネットワークの前身ともいえる「コート21」での勉強会,その後平成11年(1999年)に発足した裁判官ネットワークでの議論が,私に大きな影響を与え,自分の頭で考えるよう促したことは間違いありません。
 それは,裁判所という組織内で,苦悶するだけでは新たな発想はなかなか生まれない,相互に励まし議論し合う自主的組織がどうしても必要であることを示していると考えられます。

5 おわりに
 以上の点から,裁判官が自分の頭で考えることが大切であること,そのためには裁判官ネットワークのような緩い形の組織が有益であることが示されていますので,私としては,これからもサポーターとしてネットを全力で支え,その発展をはかりたい,また,裁判官が市民と対話する裁判員制度もあらたな裁判官像を生むものとして積極的にとらえ,今後弁護士としてできるだけ参加して行きたいなどと考えております。

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 27日(土)神戸で日本裁判官ネットワークの9月例会が開催されました。
 安原浩元会員による刑事裁判官生活40年を振り返っての講演と浅見宣義会員によるアメリカ短期留学報告の二本立。どちらも興味深い内容で,60名の会場一杯の参加者に大きな感銘を与えたようです。
 安原氏は,裁判官40年の前半は,様々な失敗・後悔を重ねたが,後半になって,ようやく自分の裁判のあり方を見つけたことを率直に話され,来年からの裁判員裁判に繋げる内容で,後輩の裁判官にも勇気を与えてくれるものでした(要旨は,HP10月号に掲載予定)。
 懇親会でも,皆さんから安原氏の功績と人柄を称えるメッセージが続き,ファンクラブ会員から安原氏に花束贈呈の一幕もありました。
浅見さんの話は,アメリカの州における民事裁判の実態,日本との違いを鮮明に浮き上がらせる内容で,当事者主義の徹底が改めて認識され,わが民事訴訟を,良い意味でも悪い意味でも,考えさせられるものでした。(蕪勢)

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 日本裁判官ネットワークのホームページでもお伝えしていますが,本日は,9月例会の日です。メンバー,サポーター,ファンクラブの人が集まりますので,一般の方も是非ご参加下さい。開催要領は,下記のとおりです。
 最近退官された安原元裁判官の40年に亘る裁判官経験から,刑事裁判についての貴重な提言等が聞けると思います。併せて,私が,アメリカへの短期留学経験を報告し,アメリカの司法と比較して,アメリカの司法から学ぶべき点や,日本の司法が自信をもってよい点などを皆さんと共に考えてみたいと思います。(瑞祥)

9月例会のご案内
 日本裁判官ネットワークの次回例会を以下のとおり開催します。
会員,サポーター,ファンクラブの方々はもちろん,一般の方も,どうぞお気軽にご参加下さい。
日 時 平成20年9月27日(土)午後1時から5時ころまで
場 所 ホテル北野プラザ六甲荘(神戸)
神戸市中央区北野町1-1-4
JR・阪急・阪神・地下鉄「三宮駅」より北へ徒歩約12分
新幹線・地下鉄「新神戸駅」より南西へ徒歩約12分
徒歩用アクセスマップ

テーマ
(1)安原浩氏の講演
「日本の刑事裁判の現状と将来」
~刑事裁判官生活40年を振り返って~
(2)会員裁判官による短期留学報告
「アメリカの裁判所」(仮題)
懇親会 希望者のみ 同日午後5時ころから(同会場)



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1 平成20年9月11日(木)に新司法試験の合格発表があった。新試験の合格者数は2065人で,私が関与している大学では先日合格祝賀会があり,私も参加した。合格者は2桁に乗ったものの,結果は厳しいものであったといえよう。昨年はいいとこ勝負をしたライバル校には今年は大差をつけられていた。その理由は真剣に検討するに値するといってよい。

2 法科大学院は2年コースもあるが,多くの学生は3年コースで学んでいる。授業を充実させ,授業における討論を重視する方針であるため,学生達は授業の予習に追われて忙しい生活を送っている。その授業が試験に出題される範囲の内容であれば格別問題はないと思われるが,試験に出題されない内容の科目についても予習に力を入れざるを得ない状況にあるようだ。その予習をしないと授業で発言できないし,場合によってはその授業の単位が取得できないという事態も生じて,卒業ができないことになり,「法科大学院を卒業した」という受験資格を取得できないことになりかねない。

3 そして授業の予習を頑張っていると,受験に役に立つ勉強で,自分で勉強したいところを勉強するための時間が十分取れないというのである。学生達は,授業が盛り沢山で高度な内容を教えられるため消化不良で,必死に頑張って勉強しているのに,思ったほど実力がつかない状況であえいでいるというのである。

4 他方で,合格者から勉強方法を聞いてみると,授業の準備を熱心にした者が合格しているということになる。それ以外の勉強はできない状態なので,当然といえば当然のことである。そこで大学側では現在の授業の方針は正しいと考えているようである。しかしその方針が正しいのであれば,もっと合格者が多くてもよいのではないかという疑問が残る。多くの学生達には今の勉強の方法で本当に合格できるのかという不安が大きいように感じられる。どんな状況にあっても合格できるような優秀な学生だけが合格しているということに過ぎないのであれば,授業のあり方が正しいということにはならない可能性がある。

5 全国的に新司法試験の合格者の質が低いのではないかという声が強いように感じられるが,学生達は基礎を勉強する時間が不足していると思われる。基礎的な勉強が十分なされることなく,盛り沢山に詰め込まれるのであるから,実力が不足しているのも当然といえば当然のことであろう。法律の勉強で何よりも大切なのは基礎をしっかり勉強することであるが,それができない環境にあるのだから,実力がつかないのも最もなことである。

6 法律を勉強していると,あるとき突然勉強が面白くなってくるものであるが,それは基礎がしっかり理解できたときであると思う。どうあっても合格する学生が合格することで満足するのではなく,今のままでは合格出来ないかも知れない学生をどうやって合格させるのかが教師の腕の見せどころではあるまいか。自らの体験からも,いやいやながら嘆息まじりに勉強しているのではなく,法律の勉強が面白くて仕方がなくなれば,必ず合格できると思うのである。どうやって学生達に法律の勉強が面白くて仕方がない状態にさせるのか。それはまず,じっくりと基礎を勉強させることと,その応用として自分でジックリ考えさせることであろう。しかし学生には時間がなく,それは困難な状況にある。学生に自分なりの勉強方法を把握させ,自分が合格軌道に乗っていることを実感させるためのノウハウを,教師がまず編み出すことが必要なのではあるまいか。それは甚だ困難な作業であるに違いないだろう。(ムサシ)


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 このところ、日本で最も注目されている海外の裁判。
 9月23日、サイパンからロサンゼルスへの移送が認められた。
 日本の裁判所では、妻に対する、元女優との共謀による「殴打事件」は有罪、寿司店員との共謀による「銃撃事件」は無罪、という結論が既に確定している事案だが、こんな形で蒸し返される巡り合わせになるとは。
・日本の刑法にはない妻に対する殺人「共謀罪」の成否
・同罪につき「国際的一事不再理」の該当性
・外国判決に対する「一事不再理」適用を排除した法改正は遡及処罰禁止に反しないか
・そもそも移送の可否の決定の中でそれらの論点を判断できるのか
といった超難問の論点が噴出し、サイパンの裁判官たちも頭を悩ませているようだ。
 それはさておき、法廷の撮影も可能で、裁判所の売店では録音テープも販売されているという開放的な裁判所には、驚かされた。今回の報道で、最大の収穫かも知れない。
(チェックメイト)
 
(読売から抜粋)
 1981年11月のロス疑惑「一美さん銃撃事件」を巡り、米自治領北マリアナ・サイパン島で逮捕された元輸入雑貨会社社長、三浦和義容疑者(61)(日本で無罪確定)のロサンゼルスへの移送の可否を決める審問が23日、北マリアナ最高裁判所で開かれた。
 同最高裁は、三浦元社長の移送を認めた北マリアナ上級裁判所の決定を支持し、元社長側の上訴を退けた。

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 終戦直前に,翼賛選挙無効の判決を出した吉田久大審院判事の人となりと当時の情勢をかなりわかりやすく書いた,読みやすい本でした。(NHK記者清永聡著,新潮新書)
 
 そのような裁判官がいたことはうっすら知っていましたが,改めて当時の裁判官を取り巻く国策協力強要の雰囲気といつ爆撃の犠牲となるかわからない中で,敢然と百名以上の証人尋問を鹿児島で実施し,昭和20年3月1日に鹿児島2区衆議院選挙無効判決をしたその気迫には圧倒されました。東条英機と闘った裁判官の副題もオーバーではありません。

 自分がそのような気合いと信念を持って裁判官生活を送っていたか,と聞かれると穴に入りたい気持ちです。

 その中で,当時の書生から正義とは,と聞かれて,吉田判事が「倒れているおばあさんがいれば,背負って病院に連れて行ってあげるようなことだ」答えたというエピソードが挿入させていましたが,気負いのない,しかし足が地に着いた発言として,大変感心した次第です。

 他方で「かく解することは,いわゆる国策に合するものというべし」と判決理由に臆面もなく書いた裁判官もいたと紹介されていましたが,いろいろな意味で考えさせられる本でした。

 まだお読みでない方には是非お薦めしたい一冊(680円)です。
                       考え込む「花」     

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 今週はハラハラドキドキの1週間だった。米国で証券業界4位のリーマン・ブラザーズが経営破綻し,連邦破産法第11条(日本の会社更生法)の適用を申請したと発表し,同業界3位のメリルリンチは,米国銀行界2位のバンク・オブ・アメリカに身売りすることとなった。その後,米国保険業界最大手のAIGも経営危機となり,連邦制度準備理事会(FRB)が最大9兆円を緊急融資すると発表した。

 こうした事態に対して,当然のことながら,市場で株価が暴落したり,合併など金融界の再編の動きが伝えられている。米国政府も,金融不安の深刻化を食い止めるため,金融機関における不良資産の買取り(数千億ドル(数十兆円))を進めるようである。背景には,サブプライムローン問題という不動産バブルに期待したローンの問題があるようである。これは,不動産バブルへの期待があって,返済資力が十分でない債務者へ融資がなされた住宅ローンの問題である。この住宅ローンが,昨年夏あたりから大量に不良債権化し,証券化等を通じて資金提供していた金融機関が経営不安となり,株価が下がって資金調達ができず,悪循環の末経営破綻しているのである。

 日本の報道でも伝えられているが,米国の今の事態は,平成8年ころからの日本の金融危機ととても似通っている。日本でも根本には,平成2,3年ごろのバブル崩壊があり,不動産の値上がりを期待して融資を拡大した金融機関ほど打撃は大きく,かなりの数の金融機関が倒れることになった。銀行の再編が行われたのもそのせいである。

 今後,米国の金融不安がどうなっていくのか,日本ほかにどの程度波及するのかについて,目が離せないところであるが,過去には,日本も苦しみながら,いくつもの対策を取ってきたのであり,米国には是非参考にして欲しいと思う。日本も,金融危機の前に米国で行われたS&L(貯蓄貸付組合)の破綻処理を参考にした歴史があり,今回はブーメラン効果のように,日本からの米国が学んで欲しいと思うのである。大きな金融機関の破綻処理は,日本の方が先輩ともいえるからである。

 ところで,日本の金融危機の際には,法律家がかなりの役割を果たしたのであるが,そのことは,今では忘れられているかのようである。改めて記憶喚起をしておきたい。日本では,銀行や信金・信組が破綻すると,営業譲渡や不良債権の買取りが行われたが,営業譲渡の中で生じる様々な法律問題には,裁判官や検察官が預金保険機構(http://www.dic.go.jp/)に出向して取り組んだ。不良債権の回収や,破綻金融機関の幹部に対する民事的な責任追及は,整理回収機構(RCC)に弁護士が多数協力して行った。刑事的な責任追及は,預金保険機構に出向した検察官(警察官も多数協力した。)が主に担った。このように,個別の事件を超えて,国家的な課題に法律家がまとまって取り組んだことは,日本の法律家の歴史において,画期的なことのように思われるし,日本の法律家もこのことにもっと自信をもっていいのではなかろうか。私も,平成11年から同13年にかけて,預金保険機構に出向して,法律家による取組みの末席を汚させていただいたが,一法律家としてはとてもやりがいのある仕事であった。いつか,そんな話もできればと思っている。

 金融危機の後では,社会保険庁の年金記録不備問題で,領収書など証拠がないケースの年金支給の是非を審査するため設置された第三者委員会の委員に,弁護士が全国で動員されている(昨年のブログ7月17日欄)。これは昨年の司法10大ニュースにもいれておいた(12月29日欄)。金融危機や年金問題に限らず,前例のない事態が各分野でおきる時代である。そうした前例のない事態の中には,公正,透明な解決のために,法律家の出番があるものが少なくないはずである。前例のない事態の再発防止や予防策のためにも同様であろう。法曹人口が増える中で,法律家の登用をもっともっと考えてもよいのではなかろうか。(瑞祥)


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1今回は私たち夫婦のテニスのまとめである。
 今年3月末妻が30年に及んだ職を辞し,地元の大学に奉職し,5年間の別居が解消した。何の準備もない状態で教壇に立つことになったので,妻は前半の半年間は徹夜まがいの生活が続き,見るからに大変そうであった。私もいろいろと心配し,資料も提供し,側面から協力した。私も仕事が忙しかったので2人とも帰宅が遅く,夜12時を過ぎて,我が家の駐車場でバッタリ顔を合わせたことも少なくない。
2 妻はその仕事のストレスをテニスで解消しようと考えたようである。仕事に少し余裕ができた5月の連休の頃から,私が妻にテニスの特訓をすることになった。そこで家から車で10分の所にある県営の運動公園の中のテニスコートのそばの壁打ち用の壁で,壁打ちをすることにしたのである。壁打ちは20分に限定した。車で片道10分とロスタイム5分,全部で50分を必要とする。週1回を原則とし週2回を目標とした。壁は40メートル位の長さである。壁打ち用に壁に角度が付けられた本格的な壁である。
 この壁打ちは無料だし,時間制限もなく,誰でも利用できるので好評で,混雑する。最初は多くの利用者に混乱が見られたので,密かに私が白色のビニールテープで,5メートル間隔でネットの高さの印を付けたので,混乱は収まった。壁打ちは中々の盛況である。
3 またそのころから,夫婦とも会員となっているテニスコートでの練習を開始した。原則として格別の用事がない限り土曜日の午前9時に夫婦でコートに行くのである。その時刻に練習するのは我々夫婦だけであるので,他の会員が練習を開始してコートの独占ができなくなるまでの1時間ないし1時間30分,タップリと練習できた。
4 また夏休みには,壁打ちに出かけた際に,テニスコートに空きがあれば,壁打ちをせず,620円を支払って,午前7時から8時までの1時間,コートで練習をした。これはとても優れたアイディアである。
5 これらの練習時間については全てトレーニング計画表に記録してある。かくして夫婦の多忙さから考えると,信じられないような量の練習をした。極限まで考え抜き,練習方法を工夫した成果である。まさしく疾風のように現れて,疾風のように去って行く月光仮面の気分である。そして練習が面白くて仕方がなくなってきた。これは軽度の「テニス中毒」に違いあるまい。このテニスの練習は,「わが不老長寿法」の一部をなすものである。
6 そして待ちに待っていた9月中旬の地元の法曹テニス大会に夫婦で参加した。妻にとっては5年振りの再デビューである。この日を楽しみに夫婦で練習も頑張ってきた。そして結果は何と夫婦ともに全敗したのである。私の方は3試合のうち2試合は惜敗であり,妻は3試合とも完敗であった。しかし夫婦とも練習の成果を実感できており,結果でガッカリなどしていない。
 私は余りつまらぬミスをしなくなった。球がよく見えるようになり,フォアの強打が復活した。ダブルスなので,私が腕を上げても勝つとは限らないが,いずれ遠からず,練習の成果を結果で示すことができるだろうと実感している。
 妻も女性同士のペアーであったため全敗したという面もあるが,練習ではミスしないような球を,なぜかしばしばミスしていた。試合に緊張して力んでいたようである。ただ正式試合後の遊び試合では,堅さも取れてミスが少なくなっていたので,今回の大会で手応えは感じたと思う。
7 妻は最近弁護士登録をした。仕事も益々忙しくなるだろう。しかしいよいよ「時は秋」であり,スポーツのシーズンである。錦織圭の活躍も楽しみである。彼の影響でわが国のテニス界はプロもアマも活性化するに違いないし,我が家も益々練習の強化を目指すことになりそうである。そのためにも5分を惜しんで仕事をしておかねばなるまい。(ムサシ)


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 青い空に映える万国旗がさわやかな秋風にはためいていた。丘陵の緑に囲まれた高台にある広い運動場。児童自立支援施設「○○学園」の体育祭である。
保護者,小さな弟妹,在籍する学校の先生方,来賓などがにこやかに見守る中,小学6年生から中学3年生まで男女児童生徒約30人が午前一杯を伸びやかに走り回った。
障害物競走では,ハードル,竹馬,網潜りなどおなじみの障害物のあと,ゴール前に,「7×6」とか「14+7」などと書かれた大きなカードが女性職員から一人一人に示される。大声で答えて正解ならゴー。日頃の学習成果が試される,学園ならではのユニークさ。
 保護者,来賓などが総出演の綱引きは,迫力があった。
親子ゲームは,赤白二組に分かれ,土木作業用の一輪の手押し車を,親子ペアで,一方が乗り他方がこれを押す。ヒヤヒヤ,ハラハラのリレー。親子の呼吸や思いやりが試される。題して「届け,愛の宅急便」。
 跳び箱とマットを使った器械体操では,一人一人が練習成果を見事に披露し,盛んな拍手をあびていた。
 混合リレーは,児童生徒ふた組,保護者組,施設の職員先生組,こども家庭センター(児童相談所)の職員組,学校の先生組の合計6チームに分かれての真剣勝負。生徒児童組は,学校の若い先生方の全力疾走に一歩及ばず,2位と4位。全員の一生懸命さが気持ちいい。保護者組の母親アンカーが,一週遅れで1人走っていた。見かねた生徒の1人が飛び出して伴走をする。息子であろう。大きな笑いと満場の拍手でゴールイン。
 圧巻は,児童生徒全員による和太鼓の演奏であった。十数個の和太鼓が迫力ある響きとなって気持ちよくグランドに轟き渡る。和太鼓の合奏は,他との呼吸のあったばちさばきが命である。他人を思いやれる人間にと,毎日学んでいる成果でもあるのだ。

 審判の時は,ややすねた表情であった子どもが,屈託なく笑い,競技の折は,真剣な顔つきで全力疾走をしていた。その姿を見てほっとするものがあった。多くのことを学んで,1日も早く,家族の元に,そして,みんなと一緒の学校生活に戻れる日の近からんことを願わざるを得ない。
 施設の先生や職員の献身的な努力もかいま見せて頂いた。ご苦労様でした。(蕪勢)

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1 今回は全米オープンテニスのまとめである。日本の錦織圭が3回戦で世界4位に勝利し,ベスト16に進出した。71年振りの快挙となったが,残念ながら4回戦は世界17位にストレートで敗れ,8強には入れなかった。しかし目を見張る活躍で,日本のテニスが突如世界の注目を浴びることになった。彼は世界126位から81位になった。
2 錦織を破ったアルゼンチンの世界17位(19歳)は世界6位のイギリスのマレー(21歳)に敗れた。そのマレーは何と準決勝であの世界1位のナダルを3対1であっさりとの破って決勝に進み,世界2位のフェデラーと対戦した。これまでの対戦でマレーに1勝2敗と負け越しているフェデラーがストレートで勝ち,全米オープンテニスを5連覇した。84年振りの快挙だそうである。優勝賞金は1億6200万円とある。羨ましい。
3 フェデラーは確かこれまで4年半もの長期に亘り世界1位を維持してきた。昨年までウインブルドン5連覇で,今年6連覇はならなかった。全英と全米の両方での5連覇は史上初だそうである。しかし今年全仏と全英,オリンピックで優勝しているスペインのナダルに8月20日ころ世界1位を明け渡し,2位となっている。
 既に何年も前のことであるが,フェデラ-の全盛期には,その風貌も含めて正確でミスしない完成品の「テニスロボット」の感があって,これ以上の選手は二度と出て来ないのではないかと思ったものである。その後ある時からフェデラーがしばしばイージーミスをするようになり,そしてやがて時々試合に負けるようになった。「フェデラー衰えたり」ということかと思っていた。フェデラーは今27歳でまだ若い。
4 ところが今回そのフェデラーが自信を回復し復活した。再びミスしないフェデラーに戻ったのである。そして優勝した。
 解説を聞いていると,フェデラーのミスが増えたのは,フェデラーが衰えたためではなく,対戦相手の腕が向上した結果だという。フェデラーがミスするような球を打つ相手が増えたというのである。
 ところがそのフェデラーが再びミスしなくなり,私が言う正確無比の「テニスロボット」として復活したのである。それは彼の技術が更に向上したということであろう。フェデラーは紳士的で常に冷静で,これまで余り感情を露骨に表現することはなかったのに,最近彼に変化が生じて,感情を強く表現するようになったという。しばしば大きくガッツポーズをし,雄叫びを上げるというのである。
5 フェデラーの復活は私にとってとても嬉しいことである。世界1位を失ってショゲている筈なのに,それをきっかけにして,更に飛躍したように思える。世界1位を失ったとき彼は人知れず涙を流したに違いない。そして密かに世界ナンバーワンへの復帰を決意し,激しい練習と工夫をしたのだろう。そしてそこに人間の心の有りようの大切さを読み取るのは深読みのし過ぎであろうか。
6 日本の大相撲を見ていて不思議に思うことがある。先場所あんなに大活躍した力士が,今場所は全く不甲斐ない相撲を取っており,とても同一人物とは思えないということがよくある。その原因として怪我をしたという場合もあるが,そうでない場合もあり,その原因は何なのだろうか。私はそれは心の有りようの違いではないかと思うのである。このことはスポーツに限らず,人生全般についても言えることであろう。更にいえば人間は同程度の素質を有していても,その志の高さと明確な目標を持つかどうかで,その人の到達する人間的な高さが大いに異なってくるのではないかということである。
7 フェデラーを見ていると参考になることが多い。あの小さなスイスという国のフェデラーが一体なぜテニスで長期間世界1位となり得たのだろう。これはとくと考えてみる価値のあることではあるまいか。我々はフェデラーの人生から我々の人生にとって何を参考にできるのだろうかと考えることは大きな意義があるように思うのである。
8 イギリスのマレーは不思議な選手である。他の選手はストロークを強打するので疲れが早いが,彼は見るからに軽々と打つので余り疲れないようである。しかし相手が打つ打球の力を上手に利用しており,彼の返球も球速が速く,ストローク戦のさなかに一瞬の隙をついて相手のサイドを抜いたりするのである。相手の球がバウンドをして最も高くなった時に軽く打つとそうなるようで,他の選手よりも打つタイミングが少し早いのである。この打法は大いに参考になりそうである。今回彼がナダルを破ったとき,彼の疲れは大したことはなかったように見えたが,相手のあのタフなナダルがしばしラケットを杖にして肩で息をする場面もあり,ヘトヘトに疲れていたというのである。解説者はナダルのこんな姿は初めて見たと言った。
9 それにしても世界は広い。ウインブルドンにおけるフェデラーに対するナダルのバック攻めの工夫といい,今回のマレーの打法といい,あのジャンプして打つ「エアー圭」といい,世界には面白い工夫をする人がいるものだと感心した。アルゼンチンの19歳,イギリスの21歳。あのスペインのナダルは22歳であるし,フェデラーはまだ27歳である。錦織は今18歳ではあるが,世界のそうそうたる選手もみんな若い。その中で錦織が世界のトップ10となって活躍するには強敵は余りにも多い。油断なく頑張って来年までにはトップ10になってほしい。そしてグランドスラムで優勝し,密かに彼を応援している私を含めた日本の応援団が感涙にむせぶ日が1日も早く来るように切に願っている。(ムサシ)



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 当ブログの8月30日欄で紹介しましたが,今年の9.11,つまり本日,予定どおり新司法試験の合格発表がありました。目安よりも若干下回った数字になり,これをどうみるかですが,下記東京新聞記事(抜粋)には,目安を下回ったという認識はないとの法務省人事課のコメントが掲載されています。ご意見のあるかたは是非どうぞ。なお,正式の法務省の発表内容は,法務省のウエブサイトをご覧下さい(http://www.moj.go.jp/SHIKEN/SHINSHIHOU/h20kekka01-4.pdf)。(瑞祥)
                記

 法務省は11日、法科大学院修了者を対象とする2008年新司法試験の合格者2065人を発表した。今年の合格者は2100-2500人が目安とされたが届かず、合格率も前年を7ポイント下回る33%。

 法務省人事課は「合格者が目安を下回ったという認識はなく、10年ごろに年間合格者を3000人にする政府方針に変わりはない」としている。


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 相撲界が大麻問題で動揺しているようです。疑われている力士の弁護人がテレビに出演し,懸命に尿のすりかえの可能性を指摘しているを見て「ふーん,なるほど」と感じました。

 覚せい剤事件で,警察官が,故意に成分を混入させた,他人の尿とすりかえた,という被告人の主張は珍しくなく,数は少ないものの,その可能性を否定できないとして無罪判決が出ている例もあり,上記弁護人の主張もあり得ると思ったからです。

 しかし,よく考えてみると,警察に反発しているような被疑者に対し,その報復として,あえて有罪にしようとして警察官が作為をする可能性は絶無とはいえませんが,スキャンダルをおそれる相撲協会関係者がわざわざそのような作為をする動機は一般的には考えにくいようにも思います。

 このような場合は,弁護士としては,協会関係者の悪意を想像させるような特別の事情を調査して,可能性があり得ることを主張すべき,ということになるのでしょうか。
 
このあたりになると,まだ無職の私には決断がつかないところではあります。
 
                            迷える「花」

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 尾崎豊,大谷昭宏,石川達三(敬称略)・・・歌手,ジャーナリスト,作家として著名人ばかりだけれど,どういう関連があるのかと思われる方が多いでしょうね。さて,共通項は何でしょうか。
 正解者は少ないかもしれません。答えは,皆さん兄弟に法律家がおられることです。伝説の歌手で,今もファンの多い亡尾崎豊さんは,兄さんが現役の弁護士です。テレビによく出られる元読売新聞大阪社会部の大谷昭宏さんは,弟さんが,現在の最高裁事務総長です。びっくりですね。初回芥川賞受賞作家の亡石川達三さんは,弟さんが,元東京高裁部総括裁判官です。おそらく,同種の著名人はほかにもおられることと思います。
 さて,今日,特に取り上げたかったのは,亡石川達三の弟さんで,石川義夫さんという方です。私より約40年も先輩の裁判官で,今は弁護士も辞められているようです。1年半ほど前に話題になった石川さんの本で,「思い出すまま」(れんが書房新社)という回想録があります。実は,私は,最近になってその本を読みました。これがとても興味深く,戦後司法の一断面を紹介し,裁判所も日本文化や時代の波の中にあったことを改めて感じさせてくれます。石川さんは,最高裁事務総局経理局主計課長や司法研修所教官も務められた方なのですが,主計課長時代は,経理局が大蔵省主計局幹部や自民党法務部会の会員などの国会関係者をもてなす席があったことや,司法研修所教官時代は,当時の矢口最高裁事務総局人事局長(後の最高裁長官)に呼び出され,青法協に所属する修習生が判事補任官を志望した場合,いかに処置するかということで,矢口局長から,「研修所教官の方で,疑わしい連中の試験の成績を悪くしておいてくれれば,問題は解決するじゃないか,何とか考えてくれ」と言われたこと(上席教官が拒否の返答をしたそうです。)などを赤裸々に告白しています。びっくりしますが,そうしたことのほかに,自分の琴線に触れることがあると,黙って自分を押さえることができず,上司や最高裁事務総局に特殊な発言をしたことがあることを認めながらも,全体としては,裁判所が自分にとって寛大な場所であり,心の中で感謝しながら裁判所を去ることができたと述べられています。裁判官の独立が保障されているために形作られる裁判所組織文化のよさを感じると共に,石川さんが,裁判や裁判所を愛した人なのだなと実感させられます。興味のある方は,是非読んで下さい。(瑞祥)
(追伸)
 コメントで,亡尾崎豊の兄さんは,弁護士任官により,名古屋地裁判事となられていることが判明しました。コメントありがとうございます。この点,本文の記載には不正確な部分があることになりますが,コメントを生かすために,本文を残し,追伸の形で訂正します。

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1 全米オープンテニスでは,日本の錦織圭が世界32位を相手に1回戦を,世界100位に2回戦を,世界4位に3回戦を勝利し,ベスト16に進出した。実に71年振りの快挙だそうである。残念ながら4回戦は世界17位にストレートで敗れ,8強には入れなかったが,この間わが国のテニスファンはもとより,テニスに関心のない人をも興奮させたに違いない。
2 彼は確か今年2月に世界12位を破ってツアー初優勝して鮮烈なデビューをした。今回世界4位に勝利しているし,ウインブルドンの直前の6月の大会で,当時世界2位であり,その後世界1位になったあのナダルから,破れはしたものの1セットを取っている。ただならぬ若者であることは間違いない。彼は今18歳であり,今後の目覚ましい活躍を期待してよいだろう。来年までにどんなに成長するか楽しみである。
3 彼はまずサーブを強化する必要がある。破れた4回戦の相手は19歳で,彼より1才歳上に過ぎないが,既に世界17位とのことである。敗因はサーブの差のようであった。両者ともストロークは正確であるが,それでもやや錦織が押され気味であった。これもサーブに原因があるという解説である。テニスでは一般にサーブする者がそのゲームをキープするとされている。しかし彼が敗れたゲームでは,彼のサーブで相手の体勢を崩せず,対等の打ち合いになり,相手のサーブが速いため,相手サーブのゲームでは彼の体勢が崩れて,その後のストロークで押され気味になったというのである。それ以前の試合ではサーブをキープしているので,この日は調子がよくなかったのかも知れない。この敗戦の中に彼が成長し,飛躍してゆくための貴重な教訓が多く含まれているに違いない。
4 また世界1位のナダルなどを見ていると,どうあってもミスしないようなしぶとさを感じるが,彼の場合には案外アッサリとミスをする。ただ華麗で意表をつくショットには目を見張らせるものがあり,ジャンプしてストロークするので「エアー圭」というニックネームがあるそうである。おそらく天賦の才能を持って生まれた幸運児なのであろう。
 彼が敗れた相手も,その後イギリスの第6シードの選手に敗れている。その試合を見なかったのは残念であるが,世界は広いということであろう。
5 どのような分野の人であれ,誰か1人の日本人が活躍することで,我々の気持ちが明るくなったり,嬉しくなったりするから不思議である。更に言えば,その影響を受けて自分ももっと仕事や人生を頑張れないかなどとも考えたりする。もっともその気持ちは一時的なもので案外続くことは少ない。でも他人の快挙を人ごととして済ますのではなく,敏感に反応することは悪いことではないだろう。
 私もささやかながらテニスを楽しむ人生を歩んでいるし,妻も近く地元の法曹テニス大会にデビューする。そうであれば,今回の鮮烈な出来事が私たち夫婦のテニス人生に何らかの意味を持つようなことがあってもよいのではないかと思うのである。(ムサシ)


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昨晩も例によって本や書類の整理をのんびりとやっていました。そこへ突然福田首相辞任のニュースです。なんの前兆も感じていなかっただけに,皆さんと同様「えっ」と大変驚きました。安部首相の時も驚きましたが,当時はかなり行き詰まりの感があったように記憶しています。
 
 今日の新聞を読むと,やはり見えないところで行き詰まりがあったように解説していますが,外には見えなかったのでしょうか。
 これから,また騒がしくなるのでしょうが,できれば,司法改革関連は政争の道具にせず,粛々と進めて欲しいと願っていますが,どうなることでしょうか。
 
 それにしても定年退官後,社会との接点が減っているのを痛感しました。今のところ11月弁護士開業を目指して頑張っていますが,もう少し早めることも考えた方が良いのかとも思っております。少し反省気味の「花」

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