日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
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1 今年の春はわが家の庭に,水仙やチュ-リップ,ヒヤシンスその他沢山花が咲いて,念願の花屋敷になった。写真も沢山撮影したので,来年は事務所に飾ることができそうである。庭の花を切って,何度も事務所の花瓶に飾ったりした。何んだか嬉しくなり,来年に向けて更に一層庭作りの工夫をする気になっている。ところで今年は野菜の栽培も頑張っている。

2 私は最近みそ汁に凝っている。毎夜の帰宅後に熱心にみそ汁を作る。我ながらみそ汁の味には自信があるのである。今減量対策として低カロリ-のつまみを研究しているが,みそ汁をつまみ代わりに一杯飲むというのも,意外な名案であることを発見した。みそ汁を少し飲んで,残りを翌日の三食のおかずにする。みそ汁を飲み過ぎて病気になる心配はあるのだろうか。塩分過多による高血圧の心配がありそうであるが,その点は3か月ごとに行なっている血液検査などでチェックできるだろう。そのみそ汁の具にする野菜を少し自分で栽培しようという魂胆である。最近の私は「みそ汁研究家」なのである。

3 庭には犬がいて,あちこちにおしっこをする。いかに愛犬であるとはいえ,犬のおしっこがかかっているおそれのある野菜を食べる勇気はない。そこでプランタ-を活用することになる。
(1)まずネギであるが,買って来て食べた各種のネギの根を全てプランタ-に植えることにした。みそ汁にも使えるが,日本ソバやソ-メン,冷や奴などの薬味として活用できる。
(2)カイワレ大根のみそ汁もおいしい。一般にみそ汁にはできるだけ豆腐を併せ活用する。プランタ-の短い方の縦一列だけ,カイワレ大根の種を撒くと約2週間で収穫となる。毎週一列ずつ種を撒いてゆくと,毎週1回カイワレ大根のみそ汁を味わうことができることになる。名案というべきであろう。最近妻が私に無断で「窃取」して,野菜サラダに利用していることが判明した。
(3)その他に,ニラ,春菊,ミツバ,セリなどを栽培している。セリは買ってきた10束くらいの根を植えている。実験としてセリのプランタ-には毎日セッセと水遣りをしている。おそらくセリは水が好きだと思うからである。
(4)これはみそ汁にはならないが,今年も昨年と同じように,レタスとサニ-レタスを3本ずつプランタ-に栽培している。毎日2枚程度葉をもいで,自分で工夫した自作で自慢の酢みそで食べるのである。そのうち昨年のように紋黄蝶の幼虫が,これらの葉の上でタコ踊りをする日がやってくるに違いない。蝶の幼虫を退治してしまうか,レタスとサニ-レタスを蝶の幼虫の餌に提供するかは案外悩むところである。昨年は結局一部食べた残りが蝶の幼虫の餌になってしまったが,少し後悔した。今年は心を鬼にして幼虫を退治してしまおうか知らん。それとも6本の苗の内1本だけを餌に提供しようかな。いずれ近く悩む日が来るだろう。これも妻が勝手にもいで使っている。
(5)アスパラガスは以前からあるが,数が少ないので,今年は苗を沢山買ってきた。絹サヤと空豆とミョウガを植えた。またフキの根を買ってきて植えた。来年はふきのとうのテンプラを食べるのだ。私がシイタケの原木を買おうとして,夫婦でもめて中止したが,やはり来年は買うことにしようと思っている。

4 少し前にテレビでおいしいアサリのみそ汁の作り方を放送したので,ビデオに録画しレジュメに纏めて,そのとおり作ってみた。ダシの素とこんぶと料理用日本酒を使い,みそは薄味にするという本格的なものである。すごく美味しい。日本酒を使うとコハク酸が増えて味がよくなるということである。余りみそ汁を好まない妻も,これは美味しいと言った。わが事務所は月1回昼食会を行っており,行列ができるお気に入りの店に行くことがある。その店はアサリの潮汁が好評なのであるが,先日妻とその店に行き「どうだ!」と言った。私のアサリのみそ汁と食べ比べさせたのである。妻は私のみそ汁に軍配を挙げた。最近の工夫として2週間に1回アサリのみそ汁を作ることになり,弁当に持参することにした。「アサリのみそ汁屋」を始めると,行列ができそうな気がする。

5 健康のためにできるだけ豆腐とわかめのみそ汁を食べている。できるだけキノコを入れる。また冷蔵庫で腐りかけの野菜の処理方法としてもみそ汁(と野菜イタメ)が活躍している。

6 最近は,朝犬の散歩から帰ると,毎日のように軍手をはめビニ-ル袋と剪定ばさみを持って庭に出る。ほんの5分ほど,草取りや水撒きや,野菜の状況の観察などをし,時に剪定し,庭の花を切って事務所に持参する。庭の雑草も減り,チョコマカ主義が成果を挙げている。(ムサシ)


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それでは、裁判員制度の成果を検証し発展させるために、評議の秘密をどのような方法で一部解除するのが妥当か。
ささやかな私の腹案を順次示していく。

(腹案1)
評決の結果は、判決主文から判明する有罪・無罪に加えて、判決理由中に、評決の内訳を次の限度で記載することにする。
A 主文の結論は、裁判員6人のうちの多数意見(4~6人の意見)であったか否か。
B 主文の結論は、裁判官3人のうちの多数意見(2~3人の意見)であったか否か。

なーんだと言われてしまいそうだが、「コロンブスの卵」の故事もある。
それに、簡単なアイディアのようだが、これでも色々と検討を要する点がある。有罪か無罪かの二者択一なら良いが、意見が3種類以上に分かれ得る量刑については、どう表示するのか。逆に、これ以上に踏み込んだ内訳の表示は不可能なのか、等々。

まずは、先に指摘した必要条件である「個々の裁判員の意見は不明のままになっていること」及び「総体としての裁判員の意見がどうであったのかは正確かつ客観的に明示されていること」を十分に満たしているかという点から、引き続き厳密に検討した上で、私の成案としていきたい。
(チェックメイト)

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裁判員制度が施行された。
ただし、制度設計に対して特にマスメディアからの批判がますます強まっている論点の一つは、評議・評決が全面的に秘密とされていることへの不満である。これではせっかく裁判員が参加したことによる成果が検証不能ではないか、という疑問は至極もっともであろう。

しかし、評議の秘密の解除はそれほど簡単な問題ではない。マスメディアも含めて、そもそも裁判の歴史の中で、評議が秘密とされてきた意義に対する洞察や理解が乏しいように思う。合議体として一つの判決をする以上、個々の意見の相違を昇華した一心同体の判断を示すことも重要なのであって、個々の構成員の意見などは明らかにされない方が一般的には好ましい。これを自由に公表してよいことにすれば、裁判の権威は少なからず失墜するだろうし、個々の裁判員が様々な圧迫や攻撃に晒されることを心配しなければならなくなるだろう。

もっとも、日本の裁判制度の中でも、最高裁だけは唯一の例外として、裁判官が判決に個別の意見を明示している。しかし、これは国民審査の必要性との兼ね合いで要請されているものである。また、最高裁の裁判官の間でも激論が闘わされ、なおかつ意見が分かれるほどの難事件だと天下に明らかにするわけだから、むしろ最高裁判決の権威や納得性を高めている側面もある。しかし、下級審判決について、これと同列には論じられない。

それに、評議の秘密を個々的に漏らすような人が、本当のことを正確かつ誠実に言うとは限らないのではないか。このことを(暗黙にしろ)前提としていない議論をする人たちは、あまりにも人が良すぎると思う。我が身可愛さからの我田引水で評議経過を喋りたくなるのも人情であって、他の人々は秘密を守ってくれるのならば、言った者勝ちのいい子になってしまう危険がある。禁を破って喋った人が本当のことを言っているかどうかは、それこそ検証不能であろう。

さはさりながら、せっかく裁判員が参加した裁判の評決結果が全く不明のブラックボックスというのは、やはり疑問である。法改正を要することになるが、裁判員制度を発展させるためにも、評議の秘密を一部解除する合理的な方法の発明・工夫ができないものか、みんなで知恵を絞りたいものだ。

以上の立場からのアイディアの必要条件は、個々の裁判員の意見は不明のままになるようにしておきながら、なおかつ総体としての裁判員の意見がどうであったのか、ある程度まで明示されるような正確かつ客観的な方法で、評議の秘密を一部解除することである。

全くの思い付きであるが、私の腹案は、次回の投稿で発表したい。
(チェックメイト)

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蕪勢さんが元気に定年退官を迎えられました。1年前にお先に定年退官した私としても感慨一入です。

ともかく蕪勢さんとは,コート21時代から一緒に歩んできましたから,いわば苦労をともにしてきた仲というところです。

飾らない人柄とシャイな性格はネットワークの発展,特にファンクラブの拡大に大いに貢献していただきました。(失礼!)

退官とは,裁判所を去ることであり,長年親しんだ職場を離れることは大きな変化ではありますが,蕪勢さん自身に,その前後で何の変化もないといえばいえないこともありません。

これからも家庭と社会生活とネットなどとの調和をとりながらのご活躍を是非お願いしたいと思っております。

                         定年の先輩「花」

 

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18 一般にわが国民は,すぐに他人を信用し,欺されて後で後悔するというパタ-ンである。振り込め詐欺のような犯罪が易々と成功するのも不思議である。これ程ニュースになっているのに,被害者が後を絶たない。余りにも無防備であるという他ない。多少年老いた人の弱点を利用されており,やむを得ない面もあるのだろうが,どうも「自分のことは自分で守るのだ。」という自覚と,危険を嗅ぎ分ける鋭敏な嗅覚を磨く心構えが足りないようである。毎日のように新手の詐欺が次々にニュ-スとして報道されている。冷静に考えれば,あり得ないような儲け話に乗って,まんまと欺されて,老後の蓄えを失ってしまう。そううまい儲け話などある筈がない。うまい儲け話はまず疑ってかからねばならない。欺された後で弁護士に相談しても時既に遅しである。

19 「名前を借りるだけだから,迷惑をかけない。」と言われるとすぐその気になって,契約内容もロクに確認しないで署名押印する。金額欄が空欄のままで安易に連帯保証人として署名押印しておいて,「500万円という話だったではないか。5000万円の連帯保証などしたことはない。」などと言うのである。また白紙委任状に署名押印して,後で「そんな委任をした覚えはない。」などと言う。契約書など自分で署名押印すべきところを,他人に記載してもらうことも平気であり,後で誰の筆跡かが問題となったりする。物事は最初が肝心なのである。後で後悔して泣くのではなく,契約の最初にシッカリと身構えてチェックする必要がある。可能な限り用心深く,打てるだけの手は打っておく。「自分のことは自分で守るぞ。」と決意する。誰も自分を守ってはくれないと考える。それでも困ることが起きるのが人生である。そして困ったことになれば,自分勝手な判断で行動する前に,早めに法律実務の専門家に相談するのである。今の社会は「法化社会」としては甚だ頼りない状態にある。

20 国民の法的素養を高めることは,焦眉の急を要する事態である。私は高校の社会科の授業で法教育をもっと充実させるのがよいと思う。一人前の社会人となるためには一定程度の法的素養が不可欠である。「自分のことは自分で責任を持つべきこと」,「何事にもキッチリとした契約書を作成すべきこと」,「紛争は未然に防止すべきものであること」,「安易に人を信用してはならないこと」など,法化社会人としての法的な基礎を教えるのである。法律を教えても面白くなければ身につかない。できれば法律実務家が,様々な法的教訓を含んだ具体的ケ-スを持ち寄って,面白くてためになる社会科の副読本を作成してはどうだろうか。生徒が目を輝かせて,身を乗り出して聞くような,面白い法教育をするのである。そうすれば,もっと法的素養のある自覚的社会人が増えて,今の社会に溢れているウンザリするような低レベルの紛争が減り,もっと活力のある,もう少しハイレベルの法化社会が実現し,名実ともに誇るに足る高度な文明社会が実現するような気がするのである。完(ムサシ)
               

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今日、記念切手が発行されたので、さっそく買い求めて来ました。
デザインは「裁判員制度のシンボルマーク」と「天秤と9羽の鳥」の2種。
写真のような互い違いの連刷で1シート10枚800円です。
日本切手カタログを見ると、裁判関係の記念切手の発行は、今から10年前の、
1999年6月16日「家庭裁判所50周年記念」
以来のようです。
これまで他には、
1971年10月1日「調停制度創設50年記念」
1974年5月23日「最高裁判所庁舎落成記念」
1990年11月1日「裁判所制度100周年記念」
1997年5月2日「最高裁判所50周年記念」
といった例がありますが、新しい裁判制度の発足時の記念切手は初めてのようです。
何周年という記念切手が出るような成果を上げたいものです。
(チェックメイト)




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 いよいよ今日から裁判員制度がスタートです。司法制度改革審議会が発足したのは平成11年で,裁判員制度を提案した意見書を提出したのは平成13年でした。このころ,刑事裁判に対し,国民の司法参加が実現するには幾多の困難があるとの意見もありましたが,立法や実施に向けの準備期間も終わり,いよいよ発足の運びとなりました。刑事裁判に市民の感覚を取り入れる制度ですので,刑事裁判や裁判所に対する信頼も高まることが期待されます。大事に育てたいものです。

 ところで,一足先に国民の司法参加を実現した韓国では,2008年6月末日でのアンケートで,陪審員等の満足度がとても高い結果が出ています(昨日引用した今井論文)。公判手続は満足79.8%,普通19.2%,不満1.0%,評議・評決は満足75.9%,普通24.1%,不満0.0%のようです。候補者待機,選任手続では満足度がやや落ちるようですが,それでも韓国のアンケート結果は注目すべきものです。日本の裁判員制度も,韓国以上の満足度が得られれば,と期待しますが,日本でも検察審査会を経験した人たちの評判がよいことを考えると,決して夢ではないと思います。共に努力しましょう。(瑞祥)

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 今井輝幸大阪地裁判事補の「韓国における国民参与裁判の現状」(刑事法ジャーナルNo.15(2009年)65頁~,ブログ上では今日以後「今井論文」といいます。)によると,昨年1年間の国民参与裁判がなされた数は,韓国全土で60件だそうです。そして,日本でも,裁判員の負担の軽重を考える点で関心の高い審理日数ですが,60件のうち,56件が審理1日,4件が2日で,その審理日数で判決までなされています。これはホントに驚きです。

 具体的には,午前9時半から選任手続が始まり,午後8時前後に判決というのが典型的な進み方のようです。時に,判決が深夜に及ぶことがあるようですが,これは,できる限り1日で審理を終えようとする法曹三者及び陪審員の努力と熱意によるものであろうと今井論文はコメントしています。ただ,この審理日数の点については,対象が重大事件なので1日に拘泥しすぎるのはどうかなど批判もあり,今年になってからは,審理2日の事件が増えていると仄聞するところです。

 当ネットで勉強会をした際には,上記現状に対する評価は別にして,とても興味深い運用であるという意見が出されました。そして,以下のような質問事項がだされました。

・審理期間が原則1日,例外的に2日と短いようですが,公判準備での争点の絞り込みに弁護人がかなり協力しているからではないでしょうか。国選専担弁護士(こういう制度ができています。)の水準が高いからでしょうか。

・審理期間が原則1日,例外的に2日と極めて短いと聞きますが,無理があるのではないでしょうか,長時間の審理で陪審員,判事も疲れ,冷静な判断ができないおそれはないでしょうか。
 
 6/6企画の講師である李教授にも上記質問事項をお送りしています。ご講演で何かお聞きできるかもしれませんね。 (瑞祥)

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 昨年1月に実施が開始された韓国の国民参与裁判については,当時の朝日新聞が概要を伝えています(http://www.asahi.com/special/080201/TKY200802270042.html)。
要領よくまとまっています。参考にして下さい。以下では,上記概要の他,今井輝大阪地裁判事補による「韓国における国民参加裁判」(法曹691ー32)を参照しています。

 国民参与裁判は,日本の戦前の陪審裁判に似て,被告人に陪審制の選択権があり,陪審評決・意見は,裁判所への拘束力がないところが特徴的に思われます。
 
 裁判員制度に似ているところは,対象事件が,殺人や強盗など量刑の重い刑事裁判(一審のみ)であること,陪審員の資格は,満20歳以上の韓国国民で,地方裁判所が予め陪審員候補予定者名簿を作成し,事件ごとに無作為に陪審員を選定すること,陪審員が、所属する会社などから不利益を受けることを禁じる保護措置を法律に明記していること,陪審評決の他,量刑についても陪審の意見が開陳できること,連日開廷を可能にするため,公判準備手続が新設されたことなどでしょうか。

 なお,陪審員は法定刑の軽重などによって,5人,7人,9人で構成されるようです。 (瑞祥)


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   ~来週,裁判員制度スタート

「平成16年5月21日「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が成立し,平成21年5月21日から裁判員制度が実施されます。裁判員制度とは,国民のみなさんに裁判員として刑事裁判に参加してもらい,被告人が有罪かどうか,有罪の場合どのような刑にするかを裁判官と一緒に決めてもらう制度です。」
 以上は,最高裁のHPにおける裁判員制度の紹介ですが,上記の5年の準備期間も終わりに近づき,来週5月21日には,いよいよ裁判員制度がスタートです。この間,模擬裁判等を通じて,各地の法曹三者が試行錯誤を重ねてきました。国民の皆さんに参加してもらうための工夫は,刑事訴訟手続に限らず,いろいろなされてきました。関係者のご努力には改めて敬意を表したいと思います。また,まだまだ不安を持っておられる国民の皆さんもおられるとは思いますが,私は,裁判所の中でながめていて,5年という準備期間はとても有意義なものだったと感じており,国民の皆さんに安心して参加して下さいとお伝えしたい気分です。

 ところで,お隣の韓国では,日本より一足先に,「国民参与裁判」という陪審制度を2008年1月からスタートさせています。「国民の刑事裁判参与に関する法律」が制定されたのが,2007年6月1日ですから,わずか半年余りで実施に移されており,日本が5年の準備期間を置いたのとは対照的です。ただ,韓国の国民参与裁判は,「試験実施」という位置づけで,2012年末までの5年間が試験実施のようで,この期間の実施を通じて最終的な制度設計をするための機関が設置されています。こうしてみると,形は違えど,両国とも5年位は準備期間なのかもしれませんね。ただ,先に運用のスタートがなされた韓国の運用状況は,日本の実務にも参考になるところが大だと思います。
 そこで,当ネットワークでは,裁判員制度実施を祝し,また,韓国の運用状況に学ぶべく,李東熹韓国国立警察大学教授をお招きして,来月6日,大阪梅田で講演会を開きます(当ネットワークのHP(http://www.j-j-n.com/)に6月例会としてお知らせがあります。)。李教授は,国民参与裁判はもちろんのこと,韓国における被疑者取調べの可視化についてもお詳しいようです。日本語も堪能で,わかりやすい講演になると思います。是非ご参加下さい。 
 なお,当ブログでは,裁判員裁判実施と上記講演会のために,韓国の制度実施状況も含めて,いろいろ情報提供していこうと思っています。(瑞祥) 


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13 よく言われる典型的な話ではあるが,「絶対に迷惑をかけないから連帯保証人になってほしい。」と頼まれて,その言葉を信用して連帯保証人になったという話は今でも少なくない。しかし余程資産が多い人でなければ,決して安易に連帯保証人などになってはならない。連帯保証人になってほしいと頼む人が,「迷惑を掛けることになるかも知れませんが」などとは決して言う筈がない。そんなことを言えば,連帯保証などしてくれる筈がないからである。連帯保証人になるということは,保証する金額によって異なることではあるが,主たる借り主と一蓮托生の運命になり,場合によっては「破産宣告を受けて財産を全て失うことも覚悟せよ」ということである。連帯保証をするためにはそれだけの覚悟がいるということである。

14 「絶対に迷惑をかけない」と言われればそのまま信用するというのは,余りにも脇が甘いのである。連帯保証をするに際して,「一体どの位の借金があるのか」,「どの位の資産があるのか」,「破産宣告を受けそうなのか」などと問い質したという話を聞いたことがない。そんなことも聞かないでおいて,相手の言うままに信用して連帯保証人になり,後で話が違うなどと大騒ぎするというのは,余りにも愚かなことなのである。 頼まれてキッパリ拒否できないのであれば,連帯保証人として署名押印する前に,弁護士に相談すべきである。時には非情に徹して,友人を失うことになったり,親族としての関係を絶つことになっても,自分や家族を守らねばならないこともある。署名押印した後で,何とかしてほしいと泣きつかれても無理なのである。

15 一般的に言えば,わが国は高学歴社会であり,高度な文明社会であると言われるが,その割りには,意外に「法化社会」としてのレベルは高いとは言えないようである。社会の各人が対等な立場で契約を締結するという「契約社会」としての自覚が甚だ低いし,「自分のことは自分で守る」という心構えも不足しており,甚だ脇が甘いのである。学校教育のある時期に,例えば高校の社会科などで熱心な法学教育を行い,国民の法的素養をもう少し高める必要があるということではあるまいか。

16 日本人の一般的傾向としては,物事の当初は甚だおおらかで善良な態度であるのに,いざ紛争になってみると,余りにも細かいことを言い出す人が多いと感じられる。将来の紛争を防止するためには最初が肝心なのである。法律関係を生じる当初から多少ドライに,契約の細部に亘り,シッカリ自分の希望も述べて話を詰めた契約書を作成しておくべきである。そうしておけばその後の多くの紛争は未然に防止できると思われる。契約書も作成されておらず,口約束となっている甚だあいまいな事案でも,いざ紛争となると実に細かいことで対立する。現実にはそういうあまりレベルの高くない事件が訴訟となって裁判所に数多く持ち込まれているのである。要するに多くの民事訴訟の内容的なレベルは余り高くないのである。

17 そうならないように,社会全体として各人がもう少し自覚を高めて,「法化社会の構成員」にふさわしく,キッチリと契約し,契約書を作成することが当然であるという社会に進化すべきであろう。そうすれば現在裁判所に持ち込まれている民事事件は大幅に減少するに違いない。
 「契約書は必ず作成しよう。」これが法化社会の第一歩である。 自分たちで契約書を作成するのが困難であれば,法律実務の専門家に頼めばよいことであり,余り費用がかかるわけでもない。(ムサシ)


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 先日,テレビ朝日の企画で裁判員裁判実施直前の,5月17日午後2時からの放映予定の「ザ・スクープ」の一部ということで,裁判官ネットワークに打診のあった鳥越さんとの対談を,元裁判官でも良いということで,私が引き受けました。

 番組は再審事件などを中心に取り上げ,おそらく最後の方で裁判員裁判でえん罪は無くなるのか,という視点で何人かのインタビューがあり,場合によっては私と鳥越さんとの対談も出る,という予定のようです。

 私の話があまりおもしろくない場合は全部カットの可能性もあります(かつてそういう体験もありました)が,ご用とお急ぎでない方はご覧いただければと思います。

 鳥越さんは,癌との闘病中という素振りを全く見せず,刑事裁判官が検事よりに偏っていないか,裁判員裁判の評議をそういう裁判官がリードしすぎないか,評議の中身を報道機関としてはどうしても検証したい,などと熱心に語りかけて来られました。

 鳥越さんのえん罪を無くしたいとの強い執念に,私も刺激を受けた1時間余りの対談でした。

                     鳥越さんに圧倒された「花」

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 政府は,5月8日,給与関係閣僚会議を開き,国家公務員の今年の夏のボーナスについて,景気の急激な悪化で民間企業の水準が大幅に下がることが見込まれるとして,人事院の臨時の勧告に基づき,10%程度減額することを決めたと報道されています(NHKニュース)。臨時勧告に基づき国家公務員のボーナスが減額されるのは,1948年に人事院勧告制度が始まってから初めてのようで,それだけ景気が悪化しているということでしょうか。

 ところで,裁判官の場合は,またまたやっかいな問題が生じます。「最高裁判所の裁判官は,すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は,在任中,これを減額することができない(憲法第79条6項)」「下級裁判所の裁判官は,すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は,在任中,これを減額することができない(憲法第80条2項)」との規定が憲法にあるからです。

 しかしながら,最高裁は,過去同様の問題が生じた際,裁判官会議を開き(平成14年9月4日)公務員全体と足並みをそろえ,全裁判官給与を一律に引き下げることは,司法権の独立や裁判官の身分保障に対する侵害には当たらず,合憲と判断し,現行憲法下で初めて裁判官給与を引き下げることを認めています。その後,2回位同様の事態がありましたが,全て他の公務員と同様に引下げが認められています。前回平成17年の引下げは,形式的には一律引下げを一旦した上で,民間賃金が高い地域には,3パーセントから最大18パーセントまでの地域手当を支給し,実質的には一部の人の減額になる可能性があったのですが,結果的に減額になる人には,減額分を差額支給するという経過措置が取られ,一部の人のみの引下げにならないような工夫がなされていました。今回は,一律引下げの範疇に入るのだと思います。

 平成17年の引下げの際には,当裁判官ネットワークで,裁判官の報酬についてのシンポジウムを開催しました。その際,学者の方から,「日本には,裁判官報酬を減額してはいけない旨の憲法上の規定があるが,これは弁護士から裁判官を任命する法曹一元を前提とする英米法系の国で採用されている制度であり,実際イギリスでは,どんな不景気でも,裁判官の報酬はほとんど減額されていない(確か,例外的に歴史上2回だけはあるようです。)。キャリア裁判官制度を前提とする大陸法系の国には同様の規定や運用は存在せず,ドイツなんかは裁判官の報酬は,行政官と同様に減額は何回もある。日本は,憲法上は,英米法系の裁判官制度になっているが,実際はキャリア裁判官制度を前提とする運用がされており,ねじれ現象がある。したがって,英米法系の裁判官報酬減額禁止規定を形式的に運用することは難しいのではないか。」という趣旨のことを言われたのが印象的でした。今回の事態で,またその学者の方の意見を思い出しています。

 なお,前回平成17年の引下げの際の私の意見は,当裁判官ネットワークHPのオピニオン「● Judgeの目 その8  裁判官の報酬には哲学が必要だ~人事院勧告を直ちに裁判官に準用してもよいのか。」
(http://www.j-j-n.com/opinion/s_judge_eye/judge08_051001.html)を,最高裁判所長官,最高裁判所判事に提出した当裁判官ネットワークの緊急アピール(意見文,平成17年8月30日付け)は, 同HP(http://www.j-j-n.com)のオピニオン(~ 2005年 )「裁判官報酬における人事院勧告等の受け入れについて」を参照して下さい。裁判官の報酬制度を考えることは,日本の裁判官制度を考えることにもつながります。(瑞祥)


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6 ウリの色は白を基調とし,少しだけ黒模様のマダラになっており,猫としてはかなり小柄である。なかなか器用で頭のよい猫のように感じられる。以前はよくネズミを捕まえて来た。子猫のころはよくカ-テンをよじ登って,カ-テンレ-ルの上を行ったり来たりして遊んでいた。時に騒動を起こしたこともある。借家の庭の松の木から二階建ての隣家の高い屋根に飛び移って,降りることが出来なくなり,ニャ-,ニャ-鳴いていたのである。確か私が,偶然借家にあった梯子を使って降ろしてやった記憶である。

7 ウリは次女にオモチャにされて,しょっちゅう悲鳴を上げていた。しばしば襟巻きにされたり,両手を持ってぶら下げて,バンザイをさせられ,ブラブラ揺らされていた。夜は次女の布団で寝ていたようである。

8 借家して半年が経過したころ,ウリが出産をした。驚いてすぐに避妊手術をした。 子猫は「小ウリ」と名付けられ,「コ-ちゃん」と呼ばれていた。小ウリは母猫以上に器用で,カ-テンをよじ登ることなどは朝飯前で,吊して干してある洗濯物に飛びついてブランコ遊びを得意としていた。それから半年が経過したころ,突然コ-ちゃんがいなくなった。車に撥ねられたのではないかと家族で心配して,皆で手分けして自転車で探し回ったが,結局見つからず,帰ってこなかった。

9 借家して1年後にマイホームを新築した。その後間もなく犬のムサシがわが家の住人になった。そのころには既にウリが子猫の域を過ぎていたため,ウリがムサシを警戒して,二匹は仲良しにはなれず,お互いに嫉妬しあうライバルになってしまった。同時期に小犬と小猫として飼うことになっておれば,仲良しになった可能性はあったと思うと少し残念な気がする。

10 私が週日は留守だったので,ムサシの散歩は妻がしていた。休日には家族全員でムサシを連れて散歩に行くことが多かった。そうするとウリが嫉妬して怒るのである。家族で散歩に出かける気配を察知すると,ウリは玄関の近くの塀の上に寝そべって,みんなを睨みつける。そして「ニャオオ-ン」と遠吠えをするのである。最初の頃は,遠吠えをしながら100メ-トルくらい散歩について来ていた。その後ついて来なくなったが,ウリの遠吠えはいつも遠くまで聞こえていた。

11  動物を飼うと必ずいつか別れの時が来る。動物の寿命は短いので,老衰のため死ぬこともあるし,交通事故やウサギが猫に襲われて死んだりという突然の別れもある。またいつのまにか行方不明になって,帰って来なかったりもする。動物を飼うと,子供がこのような悲しい思いをすることになるので,飼わないことにしているという人も少なくないようである。しかし私はそうは考えない。 確かに子供たちは悲しい思いをして何度か大泣きしたが,動物を愛する喜びや,その世話することの大変さ,愛する動物を失う悲しみを知ることは,人として生きることの深い喜びと悲しみを知ることになる。そしてこのような喜びや悲しみを知ることは決して無駄ではないと思うのである。 これは人生のとても貴重な経験であるし,豊かな感情を育てるうえでとても大きな意義がある。動物を愛(いと)しいと思う感情は,異性を愛しく恋しいと思う感情ととてもよく似ている。可愛がっていた動物の死によって受ける悲しみの感情は,子供たちを深く悲しませることにはなるが,しかしそのような経験を経て,子供たちが愛することの喜びと悲しみを深く理解することのできる人間に大きく成長することは間違いないと思うのである。(ムサシ)

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年々5月3日の意味が薄らいでいる。今年はETC値下げによる高速道路の渋滞情報に完全に埋没しているザマである。ETCが売れると儲かるの誰でしたっけと嫌味の一つも言いたくなる。

1973年5月3日,一人の裁判官が日記にこう記した。
「平和と民主主義の憲法。高らかにうたい上げられたこの憲法も26年もの間,蝕まれ続けた。時の政治権力に有利な憲法は十二分に利用される。時の権力に不利な憲法は無視される。そして裁判所は何とか理屈をつけて,その政治権力を弁護してやる。それが裁判所というものの本質なんだ(少なくとも今までは)。長沼訴訟はこのような今までの裁判の本質を国民が知り,そしてそれを元の姿に戻そうとした,いわば最初の訴訟であろう。」
裁判官の名は,福島重雄。彼はこの年の9月に裁判長として長沼訴訟一審判決を言い渡す。

上記日記の記載は,連休中に一冊くらいは憲法関係の本を読もうと思って手にした「長沼事件 平賀書簡 35年目の証言」(日本評論社)からの引用である(上記日記は91頁)。
改めて,時の政治権力からのすさまじい圧力を受けながら,裁判官の良心を貫き通した先達に感銘を受ける。「『何で違憲判決したのですか』と取材されたって,僕は仕事をやっただけと答えるだけです。何も変わったことはやっていない。むしろ,憲法判断を避けた人に『どうしてそうしたのか』と聞いてほしい。」(129頁)という,福島さんの発言が素晴らしい。
平賀書簡問題を扱った第二部も,西郷法務大臣の「裁判官が条例を無視する世の中だからね。国会では面倒を見ているんだから,たまにはお返しがあってもいいんじゃないか」という発言を,石川義夫氏が「思い出すまま」で明らかにした,昭和43年の司法予算折衝過程とリンクさせているところ(145頁)など,興味深い。
2008年に,イラク派遣訴訟名古屋高裁違憲判決が出された今日,若き法曹の方々にも是非手にとって欲しい一冊である。

なお,あとがきで触れられている,福島重雄氏が91年に出演したテレビドキュメンタリー「閉ざされた法廷-証言・裁判所は今・・・」は,横浜地裁の向かいの建物にある放送ライブラリーに保存されていて,無料視聴できる。
(くまちん)

追記 法学館憲法研究所主催・伊藤塾後援の元裁判官の連続講演会「日本国憲法と裁判官」第2回(6月19日)に,福島重雄氏が登場されるようである。上記書物の第二部座談会に登場した裁判官も続々登場される。
http://www.jicl.jp/jimukyoku/backnumber/20090413.html


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