日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
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1 春はまだこない。今は一年で一番寒い季節である。梅も数輪咲いている程度である。ようやく水仙が咲き始めた。誰の言葉であったか忘れたが,「暖かい春は厳しい冬のあとからくる。可愛いふきのとうは霜の下で用意された」という言葉がある。また「厳しい冬があるからこそ,春に美しい桜が咲く」ともいう。

2 昨年まで数年間はわがやの庭に出ることが少なかった。今年は割合頻繁に妻と庭に出ている。多少気持ちに余裕が出てきたということであろうか。毎朝午前7時半から約30分間,近くの川原まで犬と散歩しているが,帰宅後5分位庭に出ることが多い。そういえばローバイが咲き始めた。背丈の高さの「きんかん」の木から,毎朝1個実をもいで食べることが楽しみとなっている。

3 そういえば,以前庭に「ふき」があり,毎年数個の「ふきのとう」が採取できたのに,最近見えなくなっている。これは私が夏水撒きをサボった罰である。そういえば,以前冬の間熱心に庭の植木の枝に,半分に切ったりんごとみかんを刺してやり,小鳥が沢山集まって,にぎやかだったこともあったのに,最近それをサボっているのに気がついて,先日から再開した。

4 昨年秋に,妻とパンジーをいっぱい買ってきて,庭中がパンジーだらけになった。そして冬の初めに,売れ残りのチューリップの球根を数百個も買ってきて,そこら中に植えた。今少し芽を覗かせている。わがやを花屋敷にしようという「花屋敷大作戦」である。「早く芽を出せチューリップ」というところである。

5 菜の花の種も沢山撒いたが,まだ芽は出てこない。最近も何かにつけて花の苗を買ってきて,熱心にあちこちに植えている。先日も「忘れな草」と濃い紫の小さな「都忘れ」の苗を沢山買ってきた。都忘れは承久の乱で佐渡に流された順徳帝が名付けたという説がある。「とほく灯の ともりし都 忘れかな」(倉田紘文)。

6 この冬には,伯耆大山の雪の写真の撮影に出かけ,事務所に飾ることになっているが,まだ実現できないでいる。事務所は今,「梅」と「ローバイ」と「水仙」の写真が,早春の雰囲気で顧客を出迎えている。この額の写真が遠からず,岡山後楽園の桜の蕾や満開の桜並木の写真に取り替えられる時が来る。そしてわがやの庭はチューリプを初めとする草花で満開となる春爛漫の日が来るだろう。その日のためにも早く仕事を片付けて,満開の花々を楽しめるように,ひと頑張りもふた頑張りもしようと思うのである。春はもうそこまでやってきているに違いない。楽しみに春を待つことにしよう。「春よこい!,早くこい!」(ムサシ)。


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 瑞祥さん出演の「日めくり万葉集」、今朝5時からの分を早速見た。
 と言っても、むろん、この時間に起きて見るわけはない。
 予約録画した番組を、後で再生してみただけである。
 しかし、天皇・皇后両陛下は、この番組を見るのを日課になさっている
そうだから、朝5時からご覧になるのかも知れない。とにかく瑞祥さんの
ような裁判官がいることは、畏きあたりまでも聞こし召されて、「こんな
裁判官もいるんだね」などと話題にされているのではないか(ごめんなさい。
各界を代表する選者のお一人だとは、初めて知りました)。
 今日取り上げられた歌は山上憶良の「天さかる鄙に五年住まひつつ
都の手ぶり忘らえにけり」だった。瑞祥さんばかりでなく、多くの裁判官
にとって、身につまされる詠み口に違いない。
 私には、「貧窮問答歌(びんぐもんどうか、と読むらしい)」を綴った憶良が、
21世紀の派遣村を目の当たりにしたら、どんな感懐をもらすかという思いが、
すぐ頭に浮かぶ。
 また百済系帰化人の子孫とも言われ、漢学の素養が深かったとされる
憶良が漢文学からどんな影響を受けたかも知りたい。あまりそういう
探求を可能にする資料はなさそうだが。
 そんなことが気になり出したのは、万葉集の編者大伴家持が、防人の歌を
採録したことに、杜甫や李白の影響があったろうかという疑問を、ふと抱いて
からだ。家持が718年ごろの生まれとすれば、彼の生涯は、712年生まれの
杜甫とは、ほとんど重なり合う。
 しかし、ちょっと調べてみると、李白・杜甫の存在が日本で広く知られるように
なったのは、はるかに後年のことらしい。
 家持が杜甫の「兵車行」などを読んでいた可能性は、まずなさそうだ。という
よりも、そもそも杜甫の作品が唐の領域内で、どれほど読まれていたかが
わからない。
 だが、家持にも漢文学への関心がなかったわけではあるまい。
 父大伴旅人の属僚であった山上憶良は、家持よりはほとんど60歳も年上で
あったはずだが、世を去ったのは家持が15歳のころであったようだ。
 二人の間に交流はなかったか。
 仮に交流がなかったとしても、貧窮問答歌を含めて、多くの憶良の作品を
万葉集に拾い上げた家持は、この不遇であったかも知れない父の属僚の
作品を、どのように理解し、評価していたのか。
 そんな取り止めのないことについても、いつか瑞祥さんの話をききたい。
 とにかく、次の放送日時を、忘れないようにしなければ。(守拙堂)



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 オバマ大統領の就任式。
 「プレジデント・エレクト、バラク・エイチ・オバマ」と呼ばれて壇上に立つ。
大差で圧勝した新大統領が勝ち名乗りをあげる晴れの舞台で、フセインという名前を避けて、頭文字だけ読ませたのは、日本でなら縁起担ぎということなのか。
 いくらフセインがありふれた名前でも、アメリカ人の大多数にとって、この名前には暗い連想が、こびりついているのだろう。
 それでもオバマは空前の支持を集め、期待の重荷を担って、世界最高の権力の座に登りつめた。
 彼にとって命がけの冒険であることは、誰もが承知している。
 「ブッシュの8年」がなかったら、アフリカ系アメリカ人で、しかも、まぎれもなく奴隷の子孫である女性を伴侶とするオバマが、この奇跡を実現することがあり得ただろうか。
 2000年の選挙ではゴアが得た票数の総合計では明らかにブッシュを凌ぎ、本来合理性がない旧来のルールによっても、もし、すべての州で票の正しい集計がされていたら、やはり勝っていた可能性が濃いとされるが、不幸にしてブッシュが辛うじて当選者と認められた。
 もし、この選挙にラルフ・ネイダーが出ていなければ、彼が得た票の多くはゴアに回り、ブッシュに勝ち目はなかったはずなので、「ブッシュの8年」が世界にもたらした災厄にはネイダーも少なからず責任を負うべきだろう。
 もっとも、たとえ2000年にゴアが当選していても、9・11の惨劇が避けられたとは思えないが、ゴアならアフガニスタンのタリバンを叩くことはしても、9・11とのつながりが全く証明されていないイラクに戦争を仕掛けるほどの無法は犯さなかったろう。
 ブッシュは、結局、麻生さんとどっちがましかと言ったら麻生さんに失礼かもしれないくらいの「人材」が、間違って超大国のトップに担ぎ上げられてしまったために、えらそうに見えただけだった。
 この政権が世界とアメリカをめちゃくちゃにしたおかげで、さもなくば未だに「オバマって、誰?」と首をひねられていたかも知れないhybridが、イラク戦争に始めから反対した実績を高く買われ、「黒人の血を引く大統領」こそ、アメリカを徹底的に変えることが出来るという希望を託されて、この世紀の初めには、まだ誰も信じなかったに違いない奇跡をもたらしたと言えるだろう。
民主主義と自由選挙は、間違った選択を避けるための特効薬ではあり得ないが、政権の交替を暴力によることなく、秩序整然と実現するという点では、しばしば、よくぞと感嘆させられる実績を示す。
 ブッシュとは対極にあることを最大のセールスポイントとしてきたオバマが圧勝し、ブッシュもチェイニーも面目丸つぶれで、すごすごと退場するというどんでん返しが、一発の銃声にも妨げられずに現実となる。
 こんなことが中国で起きるには、この先、まだ何十年かかるか、わからない。
 しかし、オバマは200万人の歓呼を浴びて大統領の座についたとは言え、彼の約束するチェンジを実現するには、超能力者といえどもたじろがざるを得ないほどの困難が前途に立ちはだかっている。
 オバマがもたらそうとする変化によって、不利益を被ると判断した途端に、オバマを丸め込み、むしろオバマを、彼に希望をつなごうとする全世界の抑圧された民衆を丸め込む道具に使おうとする勢力が、必ずや彼の前に立ちふさがるに違いない。
 イスラエルの戦争犯罪を糾弾する声は世界に広がりかけているが、もともとアメリカこそ、戦争犯罪の本家本元に違いないのだから、世界最高の権力の座を占めたオバマといえども、自国の悪業を棚に上げて、イスラエルに自制を要求することは、たとえ彼にその意欲があっても、むつかしいに決まっている。
 しかもオバマの周囲には、ヒラリーをはじめ、イスラエルの強力な後ろ盾として知られる連中がひしめいているはずだから、イスラエルは今のところ、ブッシュほどには自在に操れないかもしれない大統領が現れたと警戒しているとはいえ、いずれはオバマなんか怖くないと甘く見る態度に戻るかも知れない。
 オバマを大統領に押し上げた力と、その期待を捻じ曲げようとする力のせめぎ合いは、これから、どう展開して行くのか。

 オバマの当選が決まった後で、U-Tubeを通じて聴いたマケインのconcession speechに、心を打たれる言葉があったので、ここに書きとめておく。
 Senator Obama has achieved a great thing for himself and for his country. I applaud him for it, and offer him
my sincere sympathy that his beloved grandmother did not live to see this day. Though our faith assures us she is at rest in the presence of her creator and so very proud of the
good man she helped raise.
 オバマを育てた母方の祖母が、孫が大統領に当選する直前に世を去った不運を悼んだことに、good loserの人柄と気配りが感じられた。
 麻生さんは、このマケインの言葉を耳にしないで、オバマとの最初の通話に出たのではないか。
 オバマ本人は勝利演説の中で、And while she’s no longer with us, I know my grandmother is watching. Along with the family that made me who I am. I miss them tonight,and know that my debt to them is beyond measure. と述べていた。(守拙堂) 



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 昨年NHKのハイビジョンで放送された「日めくり万葉集」が,今年NHK教育で,午前5時,午後1時55分に再放送されています。明日1/29(木)は,再び小生が出演します。5分間だけですが,1日2回あります。今回の分を1回として,小生の分は合計で3回(あと2回は2~4月)あると思います。

 講談社からテキスト的なものも出ていますので,万葉集に興味のある方は是非お読み下さい。歴史の勉強にもなります。(瑞祥) 


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 「聴覚障害を持つ陪審員の審理参加について」と題するアメリカ合衆国の実例紹介が,「法曹」1月号に載っています。
 それによると,アメリカ合衆国には,市民権立法の一つとして,「アメリカ障害者法(連邦法)」があり,公共機関に対して障害者等へのバリアフリー措置を取ることが義務づけられているそうです。裁判所も,同法に基づき,公費で聴覚障害者に手話通訳者をつけており,ジョージア州での実例では,1人の聴覚障害者のために,陪審候補者の段階から,2人の手話通訳者が選任され,陪審選任手続,公判,評議とも当該2名の手話通訳者が交代で通訳をしたようです。日本と異なることとして注目されるのは,こうした手話通訳の営利業者が成立しており,手話通訳者は,法廷通訳だけでなく,警察での取調べや交通違反の略式裁判に立ち会うこともあるようです。
 とても興味深い実例紹介ですが,こうした紹介は,日本における裁判員制度の整備に役立つのではないかと思われます。当ブログにも,聴覚障害者の方が裁判員になった場合の措置について,意見が寄せられていますが,こうした実例紹介が早急に施策に生かされるといいですね。(瑞祥)

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1 その日の夕方6時から通夜が行われ,私と事務員1人が参列した。遺族は数名しか集まることができていなかった。事務所名他数個の生け花が飾られていて,ほっとした。
2 通夜の後で,喪主となる孫と翌日の葬儀の予定などを打ち合わせた。あす住職へのお礼を用意しておくので,喪主から住職へ渡してもらうことにした。領収書を求めないことも説明した。私は火葬場へは行かないが,その後に行われる初七日の法要には参列すると伝えた。
3 翌日午後1時から葬儀がしめやかに行われた。孫夫婦やその子供なども関東から駆けつけていた。最後のお別れに,棺の蓋を開けて合掌し,冥福を祈った。花を沢山入れてあげ,棺が花で一杯になった。確か夏目漱石の俳句に,「ある花を みな投げ入れよ 棺の中」というのがあるが,このような状況を詠んだものだろうと思った。安らかで美しい顔だったので,嬉しかった。
4 葬儀が終わり,遺体と遺族が火葬場に向かうのを見送って,事務所に帰った。私は,事務員にお婆さんの公正証書遺言と半年前に作成していた会計報告書を,相続人の数だけコピーして貰った。
 そして初七日の法要が,大体午後6時ころからだが,正確な時間は連絡をもらうことになっていたが,連絡がないので,少し遅れて出かけたところ,すでに初七日の法要は終わっていた。火葬場の職員の話として,頭部に出血の痕跡があったということだったそうである。
5 翌日老人ホームに午前11時に集まることになり,遺品の整理などを行うことになった。私は相続人全員に遺言書と会計報告書のコピーを渡し,翌日私が遺産について説明するので,読んでおくように伝えた。
6 翌日老人ホームに出かけた。重要そうな書類を私が預かることにし,遺言執行者である私の報酬や,相続人が取得することになるおおよその金額を説明し,預金の解約その他の手続きへの協力を求めた。
 その後年が明けて49日の法要にも参列した。今遺言執行者としての手続きをしているところであるが,間もなく終わるだろう。
7 結局おばあさんは意思能力が不十分となる前に亡くなられたので,家庭裁判所が任意後見監督人を選任することがなかったため,法律の規定により任意後見契約は効力を生ずることなく終了した。
8 半年近くの余裕がある筈だったが,できるだけ万一に備えて準備を急いでおこうと思っていたのに,その心づもりよりもずっと早く事態が急展開した。一時期一体どうなることかと心配もしたが,運よく何とかこれまで職務を遂行できたと思ってホッとしている。事務員2人も大活躍してくれて,本当に助かった。
 それにしても,おばあさんは少し前まであんなに元気だったのにと,人生のはかなさを実感した。私は二人目の母を失ったような淋しさの中にいるが,気を取り直して元気を出そうと思っている(完 ムサシ)。


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2月21日に名古屋で開かれる刑事弁護経験交流会(日弁連,中弁連等主催)の「裁判員裁判と量刑」にパネリストとして出席予定になりました。内容はこれから相談することになっていますが,ひとつの論点として,最終弁論の際に弁護人が妥当考える刑期を述べることの是非が取り上げられると思われます。

量刑は裁量といわれるものの,いわゆる量刑相場があり,検察官と弁護人が当該事件の特殊性を明らかにすることによって,量刑相場からどの程度重く,あるいは軽くするのが妥当かという判断が可能となり,予測可能性があるのが通常と思われます。

そうすると,量刑は裁判官の温情にすがるものではなく,あるべき量刑をそれぞれが主張し,裁判官に判断を迫るものではないか,と考えられます。

従来の弁護活動の多くが,できる限り寛大な刑をお願いする,という論調に終始したのは,問題があるのではないでしょうか。

しかし,仮に弁護人の述べた量刑意見より軽い刑が出た場合,弁護人の立場はどうなるのか,という問題もあります。

私は,模擬裁判の経験から,裁判員が想像以上に検察官の求刑を基礎に考えようとする傾向が強いのに驚いています。この影響を薄めるためには弁護人の求刑が必要と考えておりますが,いかがでしょうか。

                       量刑について考える「花」

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日本裁判官ネットワークの1月31日名古屋例会のご案内(最終版)です。

 日本裁判官ネットワークは,下記の要領で例会を開催します。修習生,法科大学院生,学部学生の皆さんの参加も歓迎します。
 企画の順序が下記のとおり確定しました。
 退官記念講演をする丹羽日出夫元裁判官は,昨年11月に名古屋家庭裁判所を定年退官した名物判事であり,その人間臭さにビックリされることと思います。
 東海テレビ「裁判長のお弁当」は,ギャラクシー大賞を受賞した傑作番組です。プロデューサーとディレクターが裁判所・裁判官を密着取材して感じたことや苦労話を聞いて,裁判所がマスコミや市民からどのように受け止められているかなどを議論したいと思います。

例会 日本裁判官ネットワーク名古屋例会
日時 2009年1月31日(土)13時から17時まで
場所 アイリス愛知(旧地方公務員共済会館) 会議室
〒460-0002 名古屋市中区丸の内2-5-10 Tel:052-223-3751
  (JR名古屋駅から地下鉄桜通線二つ目の駅「丸の内」下車,4番出
口を出て,東へ二筋目の本町通りを北(左)へ徒歩8分)

企画
  1 13時から15時まで
     退官記念講演:丹羽日出夫元名古屋家裁判事
   2 15時から17時まで
     東海テレビ:ドキュメンタリー番組「裁判長のお弁当」上映
    講演・阿武野勝彦プロデューサー及び斉藤潤一ディレクター

懇親会
日時 同日17時30分から2時間
場所 アイリス愛知 宴会場
内容 例会出席者による立食パーティー
     懇親会参加費用
     ベテラン法曹1万円,その他の法曹6000千円,一般の方3000円
  以上です。(メンバー小林克美)

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  北澤さんが j-sup-4727 で示された
 「裁判員制度も,柔軟に改めるべきところは改めるという姿勢が必要だと
 思います。被告人側の選択権を認めること,裁判員は有罪無罪だけを
 判断し,量刑については意見を述べることができるにとどめるのがベターの
 ように思っています。」という意見は、棘のない言い方ではあるが、私が
 裁判員法実施延期を求める理由の一部と同じだ。
  もっとも北澤さんは実施延期まで求める意見ではなさそうだし、裁判員対象
 事件を一律に定めることに対する意見も示されてはいない。
  しかし、被告人の選択権を認めないということは、裁判員法の基本的な前提
 であって、これを認めれば、重罪事件で起訴された被告人の9割は、裁判員を
 加えた裁判体を選ばないであろうし、弁護人も同意見であろう。
  私は昨年、引ったくりの被害者に追いかけられ、逃げようとして被害者の顔を
 殴り、傷を負わせたとして、強盗致傷罪に問われた被告人の事件で、裁判員
 事件の予行演習のような裁判に立ち会ったが、基本的な事実に争いはなく、
 裁判員が加わることのメリットがどこにあるのか、とんと納得しかねた。
  むろん、裁判官も検察官も、裁判員法では外に選択の余地がないのだから、
 法の要求に従っているだけであったろう。
  それでも裁判員が、検察官が調書の内容を読み上げるのを聞くだけで、その
 全部がすらすらと頭に入るとしたら、それはよほど注意力や集中力が優れた
 人だろうと感じた。
  しかし、いずれにせよ、裁判員の役割は、量刑を決めることに限られるはずだ が、 求刑は懲役8年で、判決は法定刑の下限の6年だったから、裁判員がいて もいなくても、選択の幅は狭いに決まっていた。むろん、これが普通であること は、多言を要しない。
  ただ裁判官にとっては、審理が終った次の日に、もう判決を言い渡すことを
 求められるのが、かなりの負担と感じられたであろう。
  とにかく下限の刑を言い渡されたのだから、被告人は納得するはずであった  が、実はこの被告人は、公判中に、千葉管内ではなく、都内で出店荒らしの余罪 があり、神田警察署の取調べを受けて、その事実を認める上申書を出したことを 告白して、どうなるんですかと不安を示していたのに、千葉地検の検事は、その 余罪の存在について、何も知らされていなかったようであり、裁判所も、弁護人 である私も、被告人の不安に答えないまま、予定どおり次の日に判決が言い渡さ れたところ、その直後に神田署の捜査員がまた調べに来て、被告人は、やはり起訴されそうだという不安を弁護人に訴え、懲役6年の判決に対しても控訴を申し立てた。
  その後、この被告人が神田署管内の事件でさらに起訴されたかどうかは確かめ
 ていないが、とにかく裁判員事件の予行演習という趣旨で直ちに判決を言い渡し たことが、被告人の利益を害したのではないかという不安を感じている。
  こういうことは、裁判員法が実施されれば、起こりがちになるのではないか。
  裁判員の負担を軽くするために審理を急ぐことが、被告人の利益を害する
 可能性は、小さくはないのではないか。
  北澤さんの意見のように、裁判員は有罪無罪だけを判断するということになれ ば、被告人が争わない事件は、最初から裁判員対象事件にはならないはずだ。
  裁判員制度というものを現実に運用していくためには、そういう仕組みを選ぶ のが 当然なのに、裁判員法は量刑も裁判官だけには任せられないという発想から、すべてを組み立て、だからこそ被告人の意思に反しても、裁判員裁判を押し付けなくてはならない結果になり、さらにその当然の結果として、数が少ない重罪事件だけを、一律に裁判員事件と定めることになるのだ。
  そうして裁判員法は、冤罪の救済という課題を放棄し、被告人のための制度で はないと宣言されてしまっている。
  法推進派は、延期を求める意見を、裁判員制度反対派と一括りにしがちな傾向 があるが、私自身は別に裁判員制度に反対しているつもりはなく、裁判員法に反 対しているだけだと思っている。
  法推進派がなすべきことは、裁判員に負担がかかりそうな事件でも、こうすれ ばやれるよという具体的な工夫を示し、また有罪明白で被告人が争わない事件で も、裁判員が加わることに有益性があると論証することではないのか。
  それが今できないのであれば、なぜ、そんなに急ぐのか。今年5月が来年5月 に延びたって、もっとまともな制度を工夫した方が、いいに決まっているではな いか。

  つい4年前、国民は「郵政民営化」という掛け声に惑わされ、それが既得権益 を打ち破って社会に活力をもたらす特効薬であるように思い込まされて、民主主 義の失敗例として歴史に残るような愚かな選択をした。
  裁判員法については、国民が全く乗り気でないという点では、郵政民営化とは
 大違いだが、私には裁判員法丸呑み論者の皆さんは、郵政民営化の幻想に踊ら
 された大多数の有権者と同様な、思い込みにかられているのではないかという気
 さえする。
 「行政事件にも裁判員を参加させようよ」というような声をあげてもらえるな  ら、私のそういう「偏見」も雲散霧消するのだが。(山田 眞也)




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 風船さんはドイツ語の造詣が深いだけでなく、将棋でも有段者の実力をお持ちの由。こういう趣味について、もっと語る人が増えてもいいと思う。
 私は、碁を打ちはするが、将棋にはほとんど通じていない。しかしTVに出るタイトル戦の番組は、碁だけでなく将棋の場合も関心を持って見ることが多い。
 将棋が強いときいている現職の裁判官への年賀状に、こんな文面を綴った。

 「二〇〇八年は井山裕太と羽生善治の年という印象が濃かったと思いますが、最後には二人とも、挑戦者として優勢でスタートしたタイトル戦に逆転負けして、ちょっと残念でした。
 どちらも挑戦者の方に十九歳名人や永世七冠の実現を期待するファンが、タイトルの防衛を期待するファンより多かったと思われるので、ディフェンダー側の名人・龍王には、心理的負担が重かったろうと想像するのは、勝負師の鍛錬を知らぬ素人の思い過ごしでしょうか。
 羽生が最初に負けた第四局と、大詰めで負けた第七局とは、どちらも目まぐるしい追いかけっこで、二つとも羽生が勝ち将棋を落としたようです。
 特に第四局では打ち歩詰め禁止のルールが渡辺龍王を救ったことに関心をひかれました。このルールの根拠や起源が、どこにあるのか知りたいですね。
 鍋に入れた大魚を逸した羽生がNHKの番組で、第七局の自戦解説者として悠然と現れ、悔しさの片鱗も見せなかったことには、さすがと感心しました。」

 実は以前から、打ち歩詰めを禁止するルールの根拠がどこにあるのかが気になっていた。WIKIPEDIAという、正確性の点では批判もあるWEB百科には、「打ち歩詰め」という項目があり、その起源についても諸説が紹介されていて、一応そうかと思わされるものもあるが、権威ある説といえるものはなさそうである。
 今回の第四局では、渡辺龍王もほとんど負けを覚悟しながら、最後に自玉が打ち歩詰め禁止で、かすかに詰まないと気づいたらしい。
 かつて羽生名人が「打ち歩詰め禁止がなければ先手必勝」と述べたと言われているようだが、事実かどうか、定かではない。
 ただ、このルールがあることで、反則を避ける工夫が必要になるだけ、詰め将棋の奥行きが深まるとは言えるのだろう。
 この疑問について、風船さん、またはチェックメイトさん、その外どなたでも、何か教えていただければ幸い。(守拙堂)

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一生に人の読む本は知れたもの
        思ひ思ひ過ぎぬこの幾年か
  法曹歌人鈴木忠一、筆名落合京太郎の作とされるこの歌を目にしたのは、雑誌「法曹」の誌面だった。
 どんな機会に、どんな思いをこめて作られた歌かは、知らない。
 ただ、意味は単純明快。いささかでも読書に心を傾ける人であれば、誰がこの歎きを覚えないであろうか。
 定年後は読書三昧と誰しもが思う。
 それを実現している人も稀ではなかろう。
 しかし、私の場合は、読書三昧には程遠い日常である。
 時間はあるが根気がない。何か本を読み出しても、すぐに飽きて別の本に関心が移る。
 思うに、昔の人がえらくなれた理由は、読書の敵がなかったことによる。
 ラジオもテレビもDVDもなかった。一番いいことには、パソコンがなかったから、インターネットもなかった。メールやブログにうつつを抜かすことがなかった。
 今の自分は、進行性電脳中毒の第3期ぐらいだろう。
 本をいくら図書館から借りてきても、一度パソコンの画面に向かうと、そのまま何時間でも費やしてしまう。
 Selbstentfremdungというドイツ語は、こういう状態を指すのではないか。
 すなわち、人間が人間の便利のために発明したはずの道具の奴隷になること。
 昔から、「本を読まず、本に読まれる」とは言うが、パソコンが人を支配する力は、書物のそれとは比較にならない。
 最近、何とか読み上げたまとまった本は、「アレクサンドル2世暗殺事件」ぐらいなものだ。
 ドストエフスキーが、革命の敵としての立場を鮮明にしながら、実は皇帝暗殺計画に嵌まり込んでいたグループの誰かを取材目的などで近づけ、その関係が明るみに出れば、破滅を免れない深みに陥りかけていたのではないか。そういう秘密を抱えていたことが、作家の死に関連があるのではないか。
 そして全ロシアに衝撃を与えた作家の急死の直後に、皇帝暗殺が決行された。
 この本が、どこまで史実に忠実な姿勢を貫いているかは、わかりようがないが、日本ではほとんど知られていない帝政末期のロシアの実像への関心を高めてくれる本だ。
 皇帝一人を倒しさえすれば、全人民が体制打倒に起ち上がるだろうという革命派の恐るべき幻想が、皇帝の命と引き替えに彼らを破滅させた。
 一方、皇帝は権力の絶頂で孤立し、体制の内部に、皇帝を消す意図を秘めて、革命派を泳がせた勢力があったのではないかという指摘も興味深い。

 それにしても時間の流れは速い。いつプッツンするか知れない身で今年の読書の成果は、あまりにも乏しい。
 「だが、」と気を取り直す。
 ソクラテスよりは、もう大分長生きした。ソクラテス先生は、プラトンを信じれば、多分60歳を過ぎてから、3人の男子をもうけていたはずだが、それでも70歳に至っては、長生きは不幸につながると説いて、死刑を怖れない態度を示した。
 ソクラテスとは月とスッポン、というもおろかな自分が、この上、何をジタバタすることがあろう。
 いつでも、死神が迎えに来た時に、プッツンすればいいのだ。
 誰にも遠慮は要らない。
 かの鈴木忠一にして、「一生に読める本は知れたもの」という嘆息があったのだから、私如きがクヨクヨするのは笑止でしかない。
 とにかく、今日一日を、活用することだけを考えよう。

 ここまでで投稿を終えたつもりだったが、保存してあった古いはがきのファイルの中に、こんなことを書いたのが残っていた。
 「本屋にもめったに行けないので、このごろインターネットで古本を探すことを覚え、筑摩書房から出て絶版になっていたトーマス・マンの「ヨセフとその兄弟」全三巻の揃いを静岡の書店から取り寄せたら、何と読みごたえがありそうなこと。全く、今書架に眠らせてある本だけでも、命があるうちに何冊読む根気があるのだろうとため息が出ます。それでも本探しをやめられないのは、ほとんどビョーキですね。」
 この本、買ったことも、もう忘れかけていた。
 往生した後で、「全く、もう。かさばるばかりで、お金にならないものばかり残して行くんだから」と、こぼす声が聞こえそうな気がする。(守拙堂)



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きたる2月28日(土曜日)と3月1日(日曜日)の2日間にわたり,北海道旭川市にある旭川トーヨーホテル(旭川市7条通7丁目,昭和通沿い,JR旭川駅から徒歩約10分,旭川空港から車やバスで約45分)において,日弁連等主催の「第19回全国付添人経験交流集会」が開かれる。ここでいう付添人というのは,少年の刑事事件について,家庭裁判所の少年審判手続の中で弁護人同様の役割を果たす弁護士のこと。少年事件に熱心に取り組んでいる全国の弁護士が300人程度旭川に集結する。それこそ,先進的な「経験」を「交流」し,吸収できる貴重な機会である。
 1日目の2月28日(土曜日)の全体会(午後1時30分開始)では,19年間裁判官を勤められ,昨年に退官された横山巌弁護士が「家裁裁判官から見た付添人活動-付添人に期待すること- ~自らの若干の付添人活動経験をも踏まえて~」と題して講演される。同期の横山さんは,判事退官の挨拶状に「少年事件では,一人の人間として少年に全身全霊を傾けて接しました。人と関わることで,少年が大きく変化し,成長していく姿を見ると,関わりを持てたことに喜びを感じました。」と記された上,多数回の審判を開き,夜間の現場検証,実験等をして,非行なし不処分で終結した体験が忘れられない出来事だったと書かれた方であり,若い弁護士に大きな影響を与える話をしていただけるものと期待している。また,「自由と正義」の昨年10月号や「季刊刑事弁護」の最新号にも論文を執筆されている川村百合弁護士から「少年事件の裁判員裁判について」というホットな問題についての特別報告がなされる。全体会については,市民の方々にも開放されているので,ご興味のある向きは旭山動物園観光がてら御参加いただければ幸いである(ちょうどその直前に映画「旭山動物園物語」が封切られる。)。
 土曜日の夕刻から日曜日の昼にかけて開催される分科会は,「少年事件の裁判員裁判にどう取り組むか」,「少年審判と被害者」,「弁護士は,社会と少年院との架け橋になれるか-保護観察と社会復帰を考える」,「格闘! 地方における重大少年事件」,「児童虐待は今」といった興味深いテーマが並んでいる。
 開催地実行委員長の私としては,全国各地からお越しの弁護士の方々に,厳寒期の最果て旭川を体感していただき,過疎地での弁護活動について相互理解を深め,現実的な議論を進める一助にしたいと考えているところである。
 (くまちん)


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「呪縛は、なぜ解けなかったのか」
                      山田 眞也

63年前の夏の記憶を探りかけて、当時、耳にした歌のメロディーと歌詞の一部が頭に浮かび、「ああ防人の昔より」という句だけを頼りに検索してみた結果、作詞:杉江健司、作曲:大村能章の「必勝歌」と題する歌がそれだったことがわかった。
 記憶に残っていたのは歌詞は、その最初にあった。

 今日よりはかへりみなくて大君の 醜の御楯といでたつ我は
 ああ防人の昔より 御民我等の雄心は
 皇国の護り富士が嶺の 千古の雪と輝けり

 これは確か、国民義勇隊の歌だったような気がする。
 国民義勇隊とは、アメリカ軍の本土侵攻に備えて、兵役についていない男子を俄か戦闘員として駆り出し、それこそ鎌や竹槍を持たせて戦闘に参加させる目的で編成されかけた集団の名称と言えばよかろう。
 私がこの歌を聴いたのは、おそらく敗戦の二、三ヶ月前、当時通っていた愛知県三河広瀬の小学校の教室であったはずだ。

10歳の子どもにも、山本五十六大将が戦死して元帥に列せられて以後の、日に日に悪化する戦局は、それなりにわかっていたが、今にも敵軍が上陸して、全国民の命が脅かされるという恐怖感まではなく、教え込まれた神州不滅の信念を疑うこともなかった。この戦争が100年続いても、最後には必ず勝つと言われるままに、不安なく暮らしていた。
アメリカは手ごわくても、そのうちには蒋介石が手を上げはしないかというような期待を持って、ニュースに関心を寄せていたと思う。
戦争が始まり、大勝利のニュースが連日紙面を賑わした当時から、新聞を熱心に読んでいたから、マレー沖海戦でプリンス・オヴ・ウェールスとレパルスが撃沈された記事を読んで「断末魔」という言葉を覚え、降伏したイタリアの首相バドリオ元帥を罵る記事で、「売国奴」という言葉を覚え、またムッソリーニがドイツ軍に救出されたころ、ヒトラーの演説を褒め称えて書かれた記事で、「獅子吼」という言葉も覚えた。「鬼畜米英」、「撃ちてしやまむ」という標語を、しっかり覚えたことは、言うまでもない。しかし、ついにヒトラーが自殺し、新聞は「総統薨去」と書いた。
ヒトラーの後継者はゲーリングと思っていたのに、デーニッツが指名されたという記事を読んで、不思議に思うくらいの知識があった。
 それでもドイツが敗北して完全に孤立した日本が、なお戦い続けることを不思議とは思わなかった。
 今では、あのころのことを思うたびに、なぜ沖縄の日本軍は、戦力が尽き果て、他国の軍隊であれば、圧倒的な敵に対して白旗を掲げることが当然とされたはずの事態に至っても、降伏することができなかったのかと、誰も言わないことを頭に浮かべる。
 もし沖縄の日本軍が、全滅よりは降伏を選んでいたら、さすがの日本軍部も戦争継続を断念していたであろう。そうしていれば原爆の投下はなく、ソ連の参戦もなかった。アメリカも、そこで日本が停戦を求めれば、日本本土占領までをごり押ししたかどうか。流血を避けるためになら、相当な妥協に応じたのではなかろうか。
しかし沖縄守備軍の指揮官が、日本以外の国であれば正当と認められる理由がどれほどあろうと、生き残った将兵と住民の命を救うために、降伏を選ぶ可能性は、全くなかったに違いない。
おそらく日本軍の指揮官で、そのような選択をする可能性がある軍人は、一人もいなかったろう。
仮に指揮下の部隊の戦力が尽き果て、戦闘を継続することの軍事的な意義が失われた状況で、指揮官が軍人としての義務を尽くし切ったとして、名誉ある降伏を部下に命じようとしたら、おそらく幕僚の誰かによって、「武士の風上に置けぬ卑怯者」として、たちどころに斬り捨てられたであろう。
旅順のステッセル将軍は、戦力がまだ尽き果ててはいない状況で、市民への配慮を優先させたものかと思われるが、日本軍に開城を申し出た。そのために彼は後に軍法会議で死刑を宣告され、皇帝によって減刑された。
シンガポールのパーシヴァル中将も、日本軍に降伏したが、それは上級司令部の判断に従ったもので、パーシヴァルの責任ではなかった。
スターリングラードのドイツ軍を指揮したパウルス大将は、敗色が明らかとなった後で、ヒトラーによって元帥に昇進させられたのに、結局ソ連軍に降伏してヒトラーを激怒させた。
また、パリ守備軍の司令官コルティッツは、「パリを焦土とせよ」というヒトラーの厳命に背き、妻子が処刑される危険を顧みずに、連合軍に降伏してパリを救った。
世界の戦史をみれば、軍人の本分は戦力が続く限り戦い抜くことにあり、軍事的には無意味な流血を最後まで続けることにあるとはされていないはずだ。
 しかし日本軍は捕虜となることも許さず、いわんや降伏など論外の沙汰として、刀折れ矢尽きるとも、死に至るまで戦うことを強制する軍隊であった。
 どんな指揮官も、この呪縛から自らを解き放つことはできなかったに違いない。 そういう呪縛さえなければ、沖縄の悲劇よりも前に、玉砕に次ぐ玉砕が伝えられていた時期にでも、日本軍の守備隊が敵に降伏し、そのことが国民の戦う意思を失わせ、軍部も戦争継続をあきらめる事態があり得たのではないか。
パーシヴァルを降伏させた山下大将が、フィリピンでマッカーサーに降伏していたら、そのとき戦争は終っていたであろう。
もし、そうなっていたら、沖縄の悲劇はなく、沖縄が今日なおアメリカの占領下にあるに等しい状況も、当然生まれはしなかった。
大日本帝国は自滅した。
その惨禍を一身に担わされた被爆者の苦しみは、63年を経た今も続いている。原爆は明らかな戦争犯罪だが、そこに至るまで無意味な戦争を続けた指導者が、結局アメリカと結託して戦争責任を免れた状況で、日本人がアメリカの戦争犯罪を指摘することができなくなったまま、今日に至っている。






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 旧長銀の経営陣に対する最高裁の判決は、逆転無罪だった。一方、堀江貴文氏に対しては、二審でまた実刑判決が出た。これらの事件は、裁判員法が定める裁判員対象事件ではないが、もし第一審の審理に裁判員が参加していたら、どんな影響があったろうか。
 おそらく裁判員の多くは、被告人に対し、きびしい態度を示したのではないか。国民の中には、どうせ裁判員に選ばれるなら、殺伐な重罪事件の裁判よりは、むしろ、こういう事件においてこそ、自分の意見を述べたいと望む人がいそうに思える。殺人事件の裁判では、事実に争いがないのが普通であり、裁判員がいても、いなくても、結果に影響があるとは、ほとんど思えない。それよりも人数から言えば、どんな大量殺人の場合よりも、はるかに多くの人々に重大な損失をもたらした上に、裁判の結果がはっきり予想しにくい、ライブドア事件の方が、よほど関心を持つ理由がある事件ではないか。
 一方、被告人や弁護人の立場からすれば、裁判員などには全然出てきてもらいたくあるまいと想像する。
 国民の司法参加ということが、裁判員制度の目的に掲げられ、そういう目的に対しては、ほとんど誰も異議を唱えないが、母親がわが子を殺し、さらに隣家の子までを殺したというような事件の裁判と、堀江被告や旧長銀経営陣の裁判と、どちらが国民の司法参加に、よりふさわしいであろうか。
 国民は、社会における成功者に対しては、ジェラシーに基づく敵意、反感を持っているのがふつうだから、そういう人たちの裁判に出てきてはいかん、引っ込んでいなさい。
 そういう声が聞こえてきそうだが、それでは大部分が社会の下積みに属する、弱い立場にある被告人の裁判だけが、国民の司法参加の対象にふさわしいと言える理由は、どこにあるのかね。
 いわゆる重罪事件を裁判員裁判の対象と定めた合理的な理由は、一つしか考えられない。事件の数が限られるからだ。
 しかし、仮に裁判員制度の目的の一つに、冤罪の防止を掲げるなら、一般国民の立場からすれば、殺人罪で濡れ衣を着せられるようなことは、よほど運が悪くなければあり得ないが、痴漢事件となると、誰でも、いつ、どこで巻き込まれるかもしれず、つかまったら最後、否認すれば否認するほどひどい目にあい、裁判所は半年でも一年でも平気で勾留したあげくに、否認したのが許せないとして実刑を言い渡しかねないのだから、こちらの方がよほど冤罪防止の必要性が高いはずで、これを裁判員裁判の対象から外すのは、本音では冤罪の防止など、裁判員制度の目的としては、全然考えていないことの証拠だといってもいいくらいだ。
 いくら国民の司法参加というお題目を唱えたところで、すべての裁判に裁判員が参加できるはずはないが、事件数が少ないからいいというだけの理由で、重罪事件の審理にだけは参加させてあげます、これで満足しなさいというような立法が、本当に司法参加の実をもたらすと言えるのか。
 事件数を限定する必要があるのなら、いっそ一般社会人には心理的負担が重過ぎる、血が流れた事件などは、きれいさっぱり対象から外し、裁判官だけにお任せして、大臣、国会議員、都道府県知事、大企業の役員のような、えらい人にだけ敬意を表して、こういう人たちが刑事被告人になった事件だけに裁判員を参加させるという法律を作ってもいいではないか。
 そんなの差別だ、憲法違反だという声が、特に「えらい人たち」の間から、一斉にあがるでしょう。実は私も憲法違反じゃないかとは思うが、それでも
来年5月に実施を予定されている裁判員法に比べれば、まだましな案ではないかと思う。
 はっきり言えば、血が流れた事件などは、専門職に任せておけば充分なのであって、国民は、「われわれは、そんな気の重い事件にかかわりたくない。どうぞ裁判官だけでおやりください。そのために給料をお払いしているのですから」と、きっぱり言えばいいのだ。それが司法参加の責務をわきまえない逃げ腰の態度だなどと言われる理由は全くない。国民は、もっと身近で、切実な関心が持てる事件で、司法に参加すればいい。
 現行犯で逮捕された無差別大量殺人。国民は、何でそんな被告人のために、見たくもない深淵を覗き込む必要があるのか。
 そういう裁判に国民を巻き込んで、国民の権利の実現だなどというのは、パンを求める者に石を与えるに類する。
 検察審査員は、検察官に対する目付け役としての役割を予定されているからこそ、それが存在するだけで、検察官に緊張を促す効果がある。
 裁判員制度には、権力監視という役割が、全然予定されていない。
 裁判官から見れば、裁判員は世話が焼けるお客様でしかない。
 そうならざるを得ない仕組みになっている。あるいは、そうなることを防止する工夫がどこにもない。
 そこに制度の基本的欠陥がある。
                              山田 眞也

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 159国会の衆議院・参議院各法務委員会議事録を開いて、文字が小さすぎるので、コピーペーストしてから拡大して、ざっと目を通してみた。
 探したのは、なぜ陪審員制度ではなく、裁判員制度を選ぶのか、被告人の意思にかかわらず、裁判員裁判を一律に強制するのは、なぜか、憲法違反の疑いはないのか、なぜ、この範囲に対象事件を限定するのか、裁判員の誰にとっても、被告人が身近な存在ではなく、「排除すべき他者」に対するまなざしのみが予想される種類の事件に、裁判員の参加が、どんな効果をもたらすのか、量刑についても裁判員の判断を求めることの意義はどこにあるのか、さらに、そもそもこの法案は、実施可能なのか・・・
 そういう議論が、まさか、すっ飛ばされてしまったわけではあるまいと思って、それらしい部分を探したのだが、ほとんど見つからなかった。
 裁判員の選び方とか、守秘義務の範囲とか、そういう議論は、むろん、あったが、それで守秘義務がどこまで及ぶのか、答弁者自身にも、具体的には全然わかっていないことが、よくわかった。
 しかし、そんなことよりも、なぜ陪審員ではだめなのかという議論が、どこにも見つからなかったのは、衝撃的だった。
 それはないはずはない、ここにあるよと指摘できる方、どうぞ教えてください。
 陪審員がだめだという理由は、およそ想像がつく。
 裁判官が事実上コントロールできるとは言え、やはり建前として、事実認定を陪審員だけに任せてしまうのが、不安だったに違いない。
 しかし、被告人に選ばない自由があるはずの陪審員ではなく、その選択ができない制度にした理由はどこにあるのか。
 被告人の選択を許さない結果、対象事件の範囲が大幅に広がっても、裁判員の選任が、それほど困難ではなく、その「やる気」を維持するにも大きな障害はないと判断できる根拠が、どこかに示されているのか。
 いったい、どこで、そんな議論が済んだのか。

 国会の議事録になければ、司法制度改革審議会の議事録だ。ここにあるに違いないと思って探してみた。
 しかし、ここでも、論戦が交わされたらしい痕跡は見つからない。もっとも
大量の議事録を一々開く根気はとてもないから、見落とした可能性は大いにあるが、数時間を費やしてわかったのは、平成13年6月12日付けの意見書で
「裁判員制度の導入目的は、国民が国民主権に基づく統治構造に参加することであって、被告人のためではない。だから、従来の裁判官のみによる裁判を、被告人が選択することは許せない。」という居丈高な断定が示されていることだけで、どんな議論を経てそういう結論に到達したのか、さっぱりわからなかった。

 裁判官でもあった江田五月さんを含めて、弁護士で国会議員に選ばれている
人は大勢いるはずだが、その人たちは裁判員法の審議に当たって、どんな意見を述べたのか。
 福島みずほさんが今頃になって実施延期を唱え出したのを、裏切りだと憤慨
する人がいる。たしかにお粗末だが、「ここまできたら、イチカバチか、突っ込むしかない」などというよりは、よほどまともな針路変更だろう。
 このまま突っ込んだら、「氷山めがけて、まっしぐら」になりかねないという心配はありませんか。
 たしかに、国民の一部にでも、積極的に裁判員を受けようという人が、必要な人数を満たすだけいれば、大部分の争いがない事件は、円滑に処理できる
でしょう(税金がいくら、余計にかかるかは、気にしないことにする)。それは、やってみなければわからないところもある。
 しかし、裁判員に選ばれて、こんなひどい目にあったという人が、出てくるのは時間の問題ではないのか。
 裁判員に選ばれただけで、自殺する人が出るかも知れないという指摘がある。
 私も、そんな心配が絶無ではないと思うけれども、国民だって、すぐに身を守る知恵がつく。
 裁判員に選ばれそうになったら、「死刑には絶対に反対です」と言えばいい。
 そんな嘘をつくのはいやだという正直な人は、「警察がすることは信用できません」と言えばいい。これなら誰にでも言えるでしょう。
 それだけ言えば検察官の方が、あなたを候補者から外してくれるはずだ。

                               山田 眞也

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