日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
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 本日は、裁判官ネットワークの例会でした。その様子は、後日誰かブログに書くことと思います。でも、私は、私と一緒に仕事した書記官同士の結婚式と披露宴が九州であったために例会を欠席しました。すいません。
 でも、結婚式と披露宴は、何回出席してもいいものです。未来と夢があって、それを親戚や友人・知人が集まって祝福するのですから・・・。最近は、結婚しない男性・女性が多いですから、結婚すると聞いたときから、嬉しくて仕方がないのです。
 今日の2人も未来と夢があって、とても嬉しそうで、いい結婚式に招いていただいたと思いました。美男美女の2人でしたが、3年半かけて熟成させて結婚に至ったのですから、互いに一生相手のことを思い続け、よき夫婦であり、よき家庭を作って欲しいと願うばかりでした。(瑞祥)


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1 日常生活の中では仕事も含めて様々な用事をこなしてゆかなければならないが,それを記憶で処理していると,多くの用事をし忘れることになりかねない。それを避けるためにはメモ用紙を活用するのも一方法ではあるが,それでは十分ではない。また期日簿や期日手帳への記入もかなり制約がある。そこで私は様々な試行錯誤を経て,期日簿の他に大学ノートをメモノートとして活用する方法を思いついた。これは案外優れものでお勧めである。
2 法廷の事件の日程は誰もが利用しているような期日簿や期日手帳があるが,それとは別に大学ノートをメモ帳として使用するのである。小さなメモ帳は案外散逸したりするが,大学ノートなら散逸することがない。そして使用開始の段階で,その1頁目から最終頁まで,月日と曜日を記載してしまう。そして頁の真ん中に線を引き,月曜から金曜までは1日を1頁とし,土,日は2日で1頁とするのである。私が愛用しているノートは50枚(100頁)であるから,1冊で3か月半程度利用できることになる。
3 このノートに忘れては困る一切の事柄を記入をするのである。仕事に関すること,私的な用事,仕事や私用で電話すべきこと,新聞広告などで見て買いたいと思った本の題名や出版社名,妻へ話しておくべき用事,買い物など,思いついたことは全て即座にメモするのである。いつもこのノートを携帯しておいて,いつでもどこでもメモできるようにしておく。しかも暫く先の予定なども書くことができ,とても役に立つ。済ました用事は斜線で消してゆく。
4 これが発展すると次のようになる。もっと詳しいメモノートを別に1冊作成するのである。案外机に向かっているときよりも,別のことをしているときに,例えば犬と散歩したり,テニスの壁打ちをしたりしているときなどに,ハッとよいことを思いつくことがある。あの事件のあの論点については,このような論理の展開がよいのではないか。ネットのブログにこのテーマで書こうなどというようなアイディアなどが閃くのである。帰って来てからメモしようとすると忘れてしまって,思い出せないことが多い。夜寝床の中で思いつくこともある。それをすぐに,後で思い出せる程度のエッセンスをメモしておくシステムとして機能させるのである。
5 このような実践を始めてから2年余りになり,ノートは11冊目を進行中である。この2種類のメモノートと「トレーニング計画表」が十分機能し,私の生活をコントロ-ルしているときは,精神的に充実しているときである。。これらをいつもそばに置いて眺めたり,書き込んだりし,更に必要に応じてフロッピーに纏めたりすることもある。最近の私は,これらのノート類が活躍しているように感じられるし,フロッピーの書き込み量も増えている。(ムサシ)

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先日,毎年恒例の憲法週間に行われている最高裁判事の視察がありました。こられた方は割合ざっくばらんな方で,懇談会ではけっこう和やかな雰囲気で活発な議論がなされたように感じました。1審・2審で,正式の和解勧告ではなくても事実上の和解勧告がなされたような場合は記録上明らかにしてほしい,との最高裁判事の希望に対し,ある裁判官がそのような扱いをすると最高裁になにかメリットがあるのですか,と切り返し,最高裁でも数は少ないが和解勧告をしたい場合があり,その場合の参考にするためです,とにこやかに受け流していました。
その最高裁判事は,最近の正当防衛ついての最高裁決定(平成20年5月20日,先制攻撃をした場合にその被害者から反撃を受けた場合には原則として正当防衛は成立しない,とした。)について,裁判員裁判を念頭に分かりやすさを意識した決定ではないかと話されていました。ドイツ流の正当防衛に関する精緻な議論は到底裁判員に説明しても分からないのではないか,英米法流の陪審員を意識した議論の方がこれからは参考になるのではないか,との趣旨の話しもあり,私としても正当防衛に関し,急迫性と防衛意志の関係など何度読んでも頭に入らない議論に悩まされていただけに,なるほどと思った次第です。
 裁判員制度によって,訴訟法のみならず実体法解釈も大きく変化する可能性があるように感じました。「花」

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1 今年が3回目の新司法試験が5月14日から5月18日まで行われた。法務省のホームページで見ると出願者は7842人で,男性がほぼ7割,女性が3割となっている。今年の合格率は35パーセント程度と言われているようである。短答式試験の成績発表が6月5日(木),最終合格発表が9月11日(木)とある。
2 試験問題が公表されているので,インターネットによりパソコンで印刷した。問題を検討してみたが,中々容易ではない。私も妻も法科大学院に関わっているので,試験の結果については大いに心配である。
3 もともと法科大学院は,以前の司法試験の定員が500人程度で競争率が50倍を超えているという超難関の試験であったために,受験勉強が大変で,受験生が合格用の勉強以外の勉強をする余裕がなく,法律実務家としていかにあるべきかというような問題意識が不足し,人材が育たないという弊害を指摘されたため,法科大学院に入学すれば,あとは8割程度が合格できるというシステムにして,幅広く勉強できるだけの余裕を持つことを可能にして,人材の育成をしようと構想されたものである。
4 しかし現実には,年々合格者数が増加してはいるものの,最終的には1年間に法科大学院の定員約5800人の半数である3000人程度しか合格できず,かつ受験資格が5年内に3回の受験に限定されているために,単純に計算すると5年間に2万9000人の法科大学院生が誕生し,その間に1万5000人が合格することになるから,合格率は約52パーセントということになる。そうすると半数近くは合格できないままに受験資格を失うことになる。
5 このことは,もともとの制度の構想とは異なるものである。確かに合格者数は大幅増員し,合格率も以前に比べると飛躍的に高くなってはいる。しかし法科大学院に合格はしたものの,司法試験の合格は必ずしも容易ではなく,しかも5年間に3回という受験制限のために,返って旧司法試験のころよりも厳しくなっている面もあるから,受験競争は激しく,受験生の精神状態としては以前よりも追いつめられている部分もあるのである。
6 法科大学院で学ぶためには多額の資金が必要である。そしてその投資の結果,当初構想された8割以上が合格するというのではなく,約半数が合格できないままに受験資格を失うというような制度は,早晩行き詰まることになるだろう。法科大学院を希望する学生を一定数以上確保し続けることは困難であると思われるからである。
7 合格者が2000人という段階で,既に弁護士希望者は極端な就職難となり,新制度が発足した当初から破綻状態になっている。なぜこのようなことになってしまったのだろう。法科大学院の定員総数と新司法試験の合格定員に大きな差がある以上,今後も合格できないままに受験資格を失う者が大量発生することになることは避けられないところである。早急な対策が必要であることは明らかであると思われる。(ムサシ)


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 1年でもっとも昼間の長い時節になった。午後7時はまだまだ明るい。暑くもなく,もちろん寒くもない晴れ渡った5月の空。薄い雲に夕焼けがみごとだ。「きれいな夕焼けを見ていると,この世界は神様が作られたことが素直に信じられるんだ」,クリスチャンの先輩判事の言葉を思い出す。遊歩道のケヤキ並木も形よく新緑を天空に伸ばしている。頬をよぎる風が何とも心地よい。
 誰にでも小さな幸せはあろうが,私にとっては,役所からの帰り道,暮れなずむ街を歩きながら,そんな空を見上げるときが,代え難い至福の瞬間である。当面心を悩ます事件はない,明日も少年院に送る予定の子供はいない,しばらく続いた腰痛もようやく落ちついた,ともなれば,いうことはない。電車の中で読み進んだ小説が感動続きであった日には,心はいっそう弾んで来る。
 ささやかな晩酌を楽しみに帰宅するや,家人から「朝,頼んどいた食パン,買い忘れたの?」と叱られる。とたんに小さな幸せは胡散霧消し,夢は消え,「厳しい現実」に引き戻される老ジャッジである。(蕪勢)

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 チェックメイトさんは,自家用車で通勤している裁判官は見たことがありませんとのこと。確かに,マイカーで通勤の人はほとんどいないでしょう。私の経験では,裁判所の駐車スペースは限られているので,利用者(当事者,弁護士)優先にして,裁判官,職員は,鉄道などの公共交通機関を利用させるためです。確かに,裁判官や職員が駐車場を使うと,職務時間中駐車場を占領してしまうために,利用者に不便を来します。これも,「利用しやすい裁判所」の一環なのでしょうか。かつて,裁判官や職員のレクレーション用(国家公務員法73条1項3号には,公務員の勤務能率の発揮及び増進のために「職員のレクレーションに関する事項」を樹立し,実施に努めなければならないとあります。)にあったテニスコートも,最近ではすっかり姿を消し,駐車場になっているところもあります。
 ところで,テェックメイトさんが触れていた裁判官の運転免許ですが,これを持たない裁判官の比率が、一般より相当高いのではないかといえるかどうかは,私はよくわかりません。若い人はみんな持っているような気がします。ただ,交通事故が恐ろしいために,免許はあっても乗らないという人はそこそこおられます。職務上当然予想できますね。また,裁判官になってから私が感じたのは,免許をもっていて,しかも車も乗っていたのに,一般の人に比べて,早めに運転をやめる人がある程度いるということです。おそらく,若いころは,子供の体調の急変や,家族との旅行等で,病院に行ったり,ドライブしたりするには,車が便利で仕方がないのですが(特に,公共交通機関が少ない地方に赴任した場合など),子供が皆独立し,家族そろっての遠出などがなくなると,車は要らなくなるのでしょう。また,そのころ(50歳台前半くらいでしょうか。)になると,動体視力や瞬発力の衰えを如実に感じるのかもしれません。これに職責上のことを考えて早めに車の運転をやめるのだと思います。一般の人は,50歳台前半で車の運転をやめる人はそう多くはないと思いますが,どうでしょうか。かくいう私も,そんな年がだんだん近づいてきました。(瑞祥)




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2週間前の出題に、予想外に多くの反響が寄せられました。
元々、「TVタックル」で「裁判官は満員電車には乗らないでしょうから」とコメントされたのを小耳にはさんで、何でそんなことを知っているのだろう?と疑問に感じたことから、出題させていただきました。

もちろん、他の裁判官にアンケートを取ったわけではないので、唯一の正解があるわけではありませんが、私は幸せなことに、
②満員ではない電車で通勤している。
が最も当てはまります。
おそらく、同様の裁判官も少なくないと思われます。
都会では現実的には難しいのではと思われたようですが、それが可能な理由は、
第1に、午前中の開廷時刻が概ね10時前後に設定されているため、出勤については一般より遅めの「時差通勤」が可能であること(その代わり、遅くまで居残るか、持ち帰りで「残業」をしています。)、
第2に、都市部であっても、比較的都心に近い住居(自宅・官舎)から近郊都市の裁判所支部等へという、一般と「逆方向通勤」になるパターンが多くなることです。

ちなみに、
③黒塗りの専用車は、各裁判所の所長・支部長のほか、東京高裁の裁判長クラスのうちの希望者くらいに限られると思われます。そもそも、専用車はそんなに台数はありません。昔は法廷の撮影ができなかったので、裁判長が黒塗りの専用車から降りて来るシーンが必須でしたが、そんな舞台装置も不要になりました。
④送迎バスは、大きな官舎に入っていて便があれば可能ですが、最近は乗る人が極めて減っているのが実情です。
⑤バイク・自転車は、少なくとも都市部ではほとんどないと思われます。東京地裁にはこれを予定した駐輪場さえありません。
⑥ジョギング・徒歩も、よほど近くに住んでいないと無理ですね。
⑦裁判所(敷地内の官舎)に住み込みというのも存在しないでしょう。所長・支部長はともかく、一般の裁判官の官舎はそんなに近隣にはありません。
⑧その他では、御指摘のとおり、致命的な出題ミスを犯しました。
自家用車を選択肢に入れなかったことです。出題者自身が、自家用車通勤は想定外という先入観をさらけだしてしまっていました。実際にも、自家用車で通勤している裁判官は見たことがありません。そもそも、運転免許自体を持たない人の比率も、一般より相当高いのではないかと推測されます。それがなぜなのかは、また一つの問題です。
(チェックメイト)



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 先日,地裁の応援ということで,模擬裁判員裁判の評議の裁判長をさせてもらいました。

 同様の経験が前にもありましたが,その際は評議用の資料をいろいろ作り,検察官,弁護人の意見を聞いて修正するなどし,準備は完璧と評議に臨みましたが,評議そのものはいまいちでした。それは,模擬裁判の制約とはいえ短時間で見ず知らずの人が活発に議論すること自体に無理がある,ということに原因と感じました。

 そこで今回は,ペットボトルのお茶を用意し,最初に自己紹介(ネームプレートも)や雑談をし,裁判官も含め,お互いを「さん」付けでよぶことなど提案し,ある程度気分のほぐれたところで議論を始めました。

 自己紹介のところで,「私は無口でしゃべるのが下手で人前で議論は苦手です。日本人に裁判員制度は合わないのではないかと思っています。」と言っていたご老体が一番活発に話されていたのが大変印象的でした。

 今回の体験から学んだことは,実際の裁判員裁判では,いろいろな場面で,あるいは休憩時間などにする,いわゆる中間評議が大変重要ではないか,という点です。
 中間評議が全く非定型的なため,その弊害を心配される向きもあるかもしれませんが,何気ない雑談からお互いの気心が知れ,意見が言いやすくなるのはわれわれが日常的に体験していることではないでしょうか。

 そうでなくても緊張されている裁判員の皆さんの意見を活発化する秘訣は雑談にあり,というところでしょうか。「花」

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 裁判員裁判が国民に負担をかけるものであることは間違いない。
 それだけに,負担をおかけするに値する,十分に意義のある制度であることを理解して貰うことが,何よりも大切である。
 これまで裁判所側は,この裁判員制度の意義について,「刑事裁判に対する理解を深め,司法に対する信頼を高める」ためというふうに説明してきた。
 そこでは,従前の職業裁判官による刑事裁判に何も問題はなかったのだが,これを広く国民に理解して貰うための広告宣伝のために裁判員制度を作った,というふうにみえる。裁判員は宣伝員なのか,忙しい国民を宣伝役だけに使うのか,ある論者がこのように批判していた。裁判所は痛いところをつかれている。

 しかし,最近は,裁判員裁判の意義について,「ひとつは,刑事裁判の世界に,国民の皆さんの感覚を取り入れたい,ということです。プロの法律家だけで裁判をやっていると,どうしても,考え方の幅が狭くなってしまうところがあります」と説明することもある(島田仁郎最高裁長官「司法の窓」72号12頁)。正鵠を得ていると思う。
 これまでの職業裁判官だけによる裁判には,自分たちでは必ずしも気がつかなかったのだが,その判断に狭量さや浅薄さがあったかもしれないことを自覚すべきである。そして,裁判員裁判は,この問題点を補強するためであることを改めて認識すべきだと思う。
 私の経験でも,合議の中で,有罪意見と無罪意見が鋭く対立し,激しい議論となった事件がいくつもあった。その多くは,あの証言が信用できるかとか,被告人の言っていることは本当のことか,などを巡って意見が分かれていたのである。あの議論に裁判官と違う社会経験を持つ裁判員が加わっていれば,裁判員はどちらの意見に与したであろうか,あるいは別の結論が出たかも知れない,と思うときがある。
 一橋大学の後藤昭教授が,そのあたりのことについて,「法律家は,事実認定の問題を類型化して捉える傾向がある。つまり,この事情とこの事情があれば,たいていは,事実はこうなのだ,というふうに事実認定についての相場観をもっている。これに対して,法律家でない人々は,事実をあくまで個別的なでき事として見る傾向がある。そのために,被告人の弁解が,ふつうはあまり起きそうもない話であっても,真実はそうだっかもしれないと素直に考えやすい。」と指摘して,裁判員が加わることで,判断が質的に高まることを期待しておられる(雑誌「世界」08年6月号 96頁)。
 職業裁判官の判断が「類型的」になりがちなことは指摘のとおりであろう。「有罪慣れしている」と警告する安原判事の指摘とも一脈通じる点である。

 新たな刑事裁判は,素人の裁判員が加わることで,職業裁判官だけによる判断の限界を克服して,新鮮な目で証拠をみて貰い,柔軟で高い質の判断に到達しようとする。それだけ意義の大きい制度なのである。
 国民の皆さまには,ご負担ではありましょうが,ぜひ参加していただきたい。(蕪勢)


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1 テニスがドクターストップになっている。妻が帰郷する前の3月中旬ころ,私の右膝に軽い痛みが生じ,検査の結果膝に水が溜まっていることが判明した。体重のせいで,膝に負担がかかったため,膝が炎症を起こしているというのである。おそらくテニスが原因と思われる。
 早速治療として注射器で水を抜き,ヒアルロン酸液を注入された。毎週一回,五回のヒアルロン酸液の注入と毎日の消炎鎮痛剤の服用により痛みはなくなった。医師は今暫くはテニスは中止と言われる。
2 まさかこのような事態になろうとは予想していなかった。いよいよ減量が緊急の課題となってしまった。キャベツなどの野菜を沢山食べ,「日本で一番沢山野菜を食べる人になる」という目標はほぼ達成されつつあるというのに。理論的にはドンドン痩せている筈の生活をしていると思うのだが,やはり宴会の時にコントロールが不足しているということであろう。
3 最近「食べない健康法」(石原結實著,東洋経済新報社刊)を買ってきた。1日1食ないし2食主義を主張されている。まだ読了はしていないが,空腹に対する対処法が十分記載されているのかが問題である。
4 このところ,脂肪の摂取を減らすこと,蛋白質を不足させないこと,野菜をしっかり食べることなどには成功している。血液検査の結果もよい。今挑戦しているのは,1日交代で朝食時と昼食時にデンプンを摂取しないということである。
5 納豆,豆腐,ヨーグルトを健康3食品として,また野菜もしっかり食べている。「食べない健康法」の本を参考にするなら,1日交代で朝食と昼食を抜くのがよいのだろうが,なかなかそうもいかない。空腹対策としては低カロリーのゼリー飲料を活用している。
6 医師に聞くと,膝に負担のかからない散歩,自転車,水泳は構わないというのである。それなら,それた球は追いかけないという,膝に負担をかけない方法によるテニスの壁打ちも構わないのではないかと思うのであるが,もう少し我慢することにしよう。(ムサシ)

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最近日本の古武道が見直されているようです。明治以降の剣道,柔道を中心とするスポーツの要素を取り入れた武道と違い,江戸時代以前に,時には命のやりとりをする侍が身に付けていた武術を総称して古武道と言うようですが,中でも当時の居合い術,杖術,槍術などを研究し,昔の侍の体捌きを現代に応用することを提唱する甲野善紀氏の著書と実践の影響が大きいようです。巨人の桑田選手や陸上の末續選手らが弟子入りして成果を上げたということで,マスコミに登場することも多くなっています。

 私は以前居合道を練習していた時期があり,実力はさっぱりでしたが,その合理的な考え方に支配された居合いの実技(居合道の各流派はそれぞれ古い伝統や形式にとらわれているところがありますが)には大変魅力を感じていましたので,甲野さんの著書やDVDを買い込んで,なるほどと肯いています。

 ナンバ歩きと言って,昔の日本人の歩き方は刀を身につけていたため体を捻らない歩き方をしていた,走るときも蹴って走るのではなく,体重を前に倒すことで重力を利用して走っていた,など現代の常識とは違う発想がたくさん出ています。

 甲野さんのユニークなところは,このような古武道的身体操作法を,疲れず,腰痛,膝痛を防ぐ健康法として,あるいは介護施設職員に負担のかからない被介護者の態勢移動の方法として,さらにいろいろなスポーツの上達のこつとして,生かしていきたいと考えているところです。

 古武道を現代によみがえらせた功績は多大と思います。
 皆さんも健康法,スポーツ上達法,介護方法等いずれの関心事からでも一度甲野さんの本をひもといてみられることをお薦めします。「花」


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 「少年の犯罪の多くは,親に愛された感覚を持てない子供が起こしている。愛情を求めても与えられなかった少年たちに厳罰を科すことで更生できるとは思えない。」
 神戸の弁護士で,保護司もされていて,少年の矯正分野にも熱心に取り組んでおられる野口善国氏がインタビューに答えている(5月10日朝日新聞神戸版朝刊)。
 「再犯を招かないよう少年をしっかりサポートすること,保護司でも学校の先生でも,児童相談所でもいい。誰か一人でも正面から向き合い,寄り添う大人がいれば少年は必ず変わる。愛される感情を持てなかった少年が,思いやりを持って接してもらうことで,初めて,自分の存在価値を見いだしていけるようになる。なぜ罪を犯したのか,どうすれば防ぐことができたのかを内省し,自分で更生の道筋を立てるのはその次の段階。」と野口弁護士は語る

 もちろん,問題のない普通の家庭の子供でも,何かの拍子に,遊びの延長として非行に走ることはある。しかし,その場合の多くは一過的な過ちとして,立ち直りはそう難しくない。
 しかし,家庭的に,特に愛情面で不遇な少年は,自分に自信を持つことができず(学校の勉強についていけなくなるとなおさら),たとえば,不良交遊の場に居場所を求め,わずかに,そこでのみ自己の存在価値が感じ取れるようになる。一度非行に走り,保護的な措置がとられても,他に居場所を見つけられない少年は,そこから抜け出すことができにくい。
 こうした関係の中で起こる非行の根は深く,繰り返されがちである。再非行は,一層自信を失わせ,自らの心をも傷つけ,歪めてしまう。
 野口弁護士の指摘は的確であり,重い。(蕪勢)

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1 連休も何かと忙しく過ごしたが,あっという間に過ぎてしまった。親戚の結婚式などもあった。別居中の五年間,ごみ捨て場のようになっていた家の中の片付けもあと少しとなった。庭も枯れた木を含めて何本も切り倒したり,雑草を抜いたりしたため,かなりスッキリした。何だか私の心も掃除され,整頓されたような気がする。
2 時間をかけて少しずつ庭の整備をしたいと思っている。自慢だったのに枯らしてしまった深紅の宮城野萩も復活させたい。キンモクセイやサンショの木も枯れてしまった。以前のようにサンショの木がアゲハチョウの幼虫の住み家となるようにと思う。
3 野菜も沢山栽培したいが,昼間犬が庭で過ごしているため,食べるためにはプランターに栽培するしかない。サニーレタスやキュウリ,ナス,ミツバ,エンドウなどを植えてある。今年はいろいろと実験してみて,来年からは本格的に役に立つ野菜栽培をしたいと思っている。
4 この数年間,余り庭に出る気にもなれなかったが,今は毎朝庭に出て,水やりをするのが楽しみになっているから不思議なものだ。種まき用の苗床も作った。コスモスや朝顔やホオズキやホウセンカやフウセンカズラなどの種をまいた。わが家を花屋敷にするための実験の第1段階である。今後2年程度の時間をかけて,庭を整備しようと考えている。
5 果樹も整備する予定である。サクランボの木が大きな植木鉢に植えてある。高知で買った木イチゴや松江で買ったジャンボグミもそれぞれ生き延びている。ユスラウメとリンゴを植える予定である。
6 事務所に季節感あふれる写真を飾るための撮影を開始してから間もなく1年が経過する。これまでは季節の後追い写真を飾ってきたが,間もなく季節の先取り写真を飾ることができるだろう。写真も更に気に入った写真に整備してゆく予定である。
7 別居が終わって,私の心も少しずつみずみずしさと弾力を回復しているようである。
 足の具合もかなりよくなってきた。この機会に,トレーニング計画や減量計画など,人生の諸計画を練り直してみたい心境である。(ムサシ)

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 朝日新聞の10日付「be on Saturday」に,わらべ歌「通りゃんせ」の発祥の地について紹介がされている。紹介されているのは,埼玉県川越市の三芳野神社である。
 文献や資料はないそうだが,上記発祥の地と地元の人が強調するのも理解できるし,この種の言い伝えは,夢があって,無碍に否定するのも大人げない。そして,川越は,関東でも,江戸時代情緒が残っており,私の大好きな町でもあるので,ついひいきをしたくなってしまう。川越は,司法研修所がある町と同じ沿線にある町なので,法律家の人に身近かと思うとそうでもないようだ。法律家以外の人も含めて,是非足を運んで欲しい町である。「チェックメイト」判事もおられる。
 ところで,わらべ歌「通りゃんせ」の歌は,信号機の音声メロディーに採用されている。なるほどと思われる人も多いであろうが,この歌は国学者で有名な本居宣長の子孫「本居長世」の編曲によるものだそうである。「童謡の父」と呼ばれたそうだ。このことは,朝日の記事で知ったが,私は,昔,三重の津地家裁に勤務したことがあり,本居宣長の活躍した松阪がとても身近で,何度か足を運んだことがある。この町も大好きである。
 裁判官は,転勤が大変であるが,身近になった土地やそこにいわれのある人がマスコミなどの記事等で取り上げられると,自分のことのように嬉しくなってしまう。もちろん,世間を騒がせる事件等ではない記事が前提ではあるが・・・。転勤が多くなると,そんな土地も多くなる。今も,歴史のある伊丹の町をもっと歩きたいと思っているが,仕事とのかねあいでなかなか難しいのが悩みの種である。(瑞祥)



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