日本裁判官ネットワークブログ
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 先週お話しした私の初めての高裁判決は,残念ながら逆転実刑判決でした。
 私としてはドキドキとはいえ,結構自信を持って判決に臨んでいただけに,強いショックを受け,しばらく落ち込んでおりました。

 まだ20代の被告人が1審再度猶予の判決を受け,喜んでいただけにかわいそうなことをしたと思いました。お母さんもショックで泣いておられましたが,ただ私の非力を謝るしかありませんでした。

 判決理由を聞いていると,被告人に有利なところは一般的量刑傾向で切り捨て,不利なところは推認でさらに補うように部分があり,どうも納得ができませんでした。

 いずれにしても敗訴は動きませんが,あらためて裁判のこわさを知らされた一日でした。弁護士の重責を考えつつ新規まき直しを考えていきたいと思います。
                 
                        敗訴の落ち込む「花」


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戦時中の翼賛選挙を無効にし,東條英機首相と争ったとして最近有名になった吉田久裁判長がドラマになります。NHKの8月16日放映のドラマ「気骨の判決」です。同名の著作(http://www.shinchosha.co.jp/book/610275/)は,法曹界でも話題になりました。是非手帳にチェックして当日ご覧下さい。お盆には,白洲次郎のドラマもあり,話題満載ですね。(瑞祥)

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 私のパソコンには,時々地元のケーブルテレビを通じて警察からの親切なお知らせが流れてくる。先日,このようなものが流れてきた。

 6月22日札幌市内で、警察署の代表電話を表示させた、万引きの示談を騙った振り込め詐欺容疑の不審電話がありました。犯人からの電話は『息子は今警察に泊まっている。弁護士料20万円かかる』との内容で、被害者が交番に相談して未然に防止されています。着信表示の電話番号が偽装されることもあります。現金を要求する電話は『振り込め詐欺』と疑い、必ず自分で調べた電話番号にかけ直すなどして確認して下さい。(配信:○○警察署)

 「ふーん,最近はディスプレイをいじくる技術もあると聞いていたが,ここまできたか。最近の警察署はどこも下4桁を0110に揃えているからな。」と思っていたら,数時間後に時事通信から以下のようなニュースが配信された。

 「警察官を語った新手の振り込め詐欺」と北海道警が報道発表した事案が実は、静岡県警からの問い合わせだったことが24日、分かった。道警札幌中央署が同日午後訂正した。
 同署などによると、静岡県警沼津署が22日、札幌市のタクシー運転手の男性(68)の携帯電話に、長男が起こした万引き事件について問い合わせをしたのが発端。同署は、長男が略式命令を受けた場合、20万円程度の罰金を支払えるかどうか照会したが、男性は「示談金として20万円かかる」と言われたと勘違い。不審に思い、札幌中央署の交番に相談したという。
 同署は携帯電話の着信履歴から、沼津署に万引き事件が実際にあったかどうか問い合わせたが、沼津署は男性に電話をした22日に該当する万引き事件の照会と受け止め、「ない」と返答。札幌中央署は、実在する警察署の電話番号を携帯電話に表示させる手口と思い込み、未遂事件として23日に発表した。

 上記2つの情報の混乱ぶりから見て,一般の方にとっては
「略式命令(りゃくしきめいれい)」
「示談金(じだんきん)」
「弁護士料(べんごしりょう)」
全て外国語のように伝言ゲーム状態なのであろうと推察される。

 そういえば最近,こういう話を被疑者の家族から聞いた。
「警察の人が『オタクに50万円くらいのお金がありますか。逮捕したご主人に聞いたら奥さんに家計を任せているので分からないと言われた』と言うので『色々かき集めたらそれくらいあります』と答えたら,『ああ,それならだめだなあ』と言って電話を切られました。これはいったい何だったのでしょう。」
 このやりとりを読み解くには,以下の条文の存在と,第37条の3第2項の基準額が50万円であることを知らなければならない。

第37条の2 死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮に当たる事件について被疑者に対して勾留状が発せられている場合において、被疑者が貧困その他の事由により弁護人を選任することができないときは、裁判官は、その請求により、被疑者のため弁護人を付さなければならない。ただし、被疑者以外の者が選任した弁護人がある場合又は被疑者が釈放された場合は、この限りでない。
2 前項の請求は、同項に規定する事件について勾留を請求された被疑者も、これをすることができる。
第37条の3 前条第1項の請求をするには、資力申告書を提出しなければならない。
2 その資力が基準額以上である被疑者が前条第1項の請求をするには、あらかじめ、その勾留の請求を受けた裁判官の所属する裁判所の所在地を管轄する地方裁判所の管轄区域内に在る弁護士会に第31条の2第1項の申出をしていなければならない。
3 前項の規定により第31条の2第1項の申出を受けた弁護士会は、同条第3項の規定による通知をしたときは、前項の地方裁判所に対し、その旨を通知しなければならない。
第31条の2 弁護人を選任しようとする被告人又は被疑者は、弁護士会に対し、弁護人の選任の申出をすることができる。
2 弁護士会は、前項の申出を受けた場合は、速やかに、所属する弁護士の中から弁護人となろうとする者を紹介しなければならない。
3 弁護士会は、前項の弁護人となろうとする者がないときは、当該申出をした者に対し、速やかに、その旨を通知しなければならない。同項の規定により紹介した弁護士が被告人又は被疑者がした弁護人の選任の申込みを拒んだときも、同様とする。

 こんな世の中なので,被疑者国選弁護や当番弁護からの被疑者援助を受任して被疑者家族に電話するときに,ものすごく気を遣う。早期の被害弁償が望まれる事案では猶更である。最近は「振込詐欺とお思いかもしれませんが」とわざわざ断っているくらいだ(←かえって怪しい)。状況によっては先方から事務所の電話にかけ直してもらったり,日弁連のホームページで私を検索してもらったりしている。幸いまだガチャンと切られて途方に暮れたというケースには遭遇していない。
(くまちん)


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(本稿は,「日本そばの話」(3)(平成20年6月26日)に続くものである。)
1 先日上京した際に,東京駅18番ホームの北端近くの立食そば店で掻揚げ天そばを食べた。私はこのところ2か月に1回程度上京する機会があるが,上京する際には何食かの食事の1食分として立食そばを食べることが多い。美味しいかというと,決してそう思うわけではない。なぜ食べたくなるのか,実は自分でも不思議に思っている。

2 私は高校の頃まで日本そばを食べた記憶がない。おそらく私の郷里では,当時日本そばを食べるという習慣はなかったのではないかと思う。高校のころ「諸君はいずれ東京に出ることもあるだろうが,ザルそばを食べるときには決してそばつゆをそばにかけてはならない。ザルそばの底はザーザー漏れるぞ。」とか,「そばは噛まずに飲み込んで胃までつながっているのがそば通の食べ方である。」とか,「えびの天ぷらは尻尾まで食べるのが通である。」などと,漢文の先生が面白おかしく生徒を笑わせて,爆笑の渦となった記憶である。

3 東京の大学に進学した後,さして日本そばを食べ歩いたという記憶はないが,私はいつのまにか日本そば好きになっていた。大学を卒業して公務員になったのに,突如気が狂ったかのごとく退職して無職となり,弁護士を目指して勉強を開始したが,当時親から勘当されて仕送りを受けることができず,自分でもどうやって食べていたのか不思議な時期が続いていた。弁護士事務所の事務員として働いた時期もあるが,両親を相次いで失った後は,医師である私の兄が,私の自殺を心配して経済的な援助を申し出てくれ,事務員の仕事もやめたのである。私が公務員を辞めてから試験に合格するまでの期間,私はしばしば駅の立食そば店で掻揚げ天そばを食べた。当時間借りしていた部屋から100メートルくらいのところに私鉄の駅の立食そば店があり,主としてそのそばと,炊飯器で炊いて自分で作った握り飯などで,細々と命を繋いでいたように思う。

4 東京の立食そばは濃い醤油味で,決して美味しいとは言えない。いつも食べ終えると,「まずいなー」と思って食べたことを後悔したものである。しかし不思議なことに,3日くらいするとまた食べたくなるのである。ある落語に,「酒のない 国へ行きたい 二日酔い また三日目に 帰りたくなる」というのがあるが,何だかこれに似て,「また三日目に 食したくなる」のである。

5 私は司法試験に合格して裁判官になり,全国を転々としたが,その住居となった町ごとに,美味しい日本そば屋を捜して通いつめたものである。今も郷里の日本そば屋を本で捜して,何十軒も食べ歩いて,ついに満足できる安くて美味しい店を見つけて,行きつけの店としている。また本で研究した結果,気に入った「そばつゆ」を自分で作ることができるようになったので,健康法として日本そばに含まれている抗酸化物質(ポリフェノール)であるルチンを摂取するために,週2回程度日本そばを食べることにしており,自分で茹でてザルそばを食べているが,大変満足している。おそらく遠からず,そば粉を買ってきて,自分でそばを打つことになるだろう。そのための本も5冊位買ってある。

6 東京の立食そばは決して満足できる美味しさではない。しかし上京するたびに食べたくなるのはなぜなのだろうと不思議に思うのである。きっと私が不遇な青春時代を送ったころ,「志を果たして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと」という望郷の思いを胸に,まずい東京の立食そばで命を繋いでいたころの青春の日々を懐かしく思い出すからではないかと思っている。
 「江戸そばは まずさもまずし 懐かしき」。これは,川柳「碁敵(ごかたき)は 憎さも憎し 懐かしき」をもじったものである。そのうち本で調べて本格的な東京の美味しい日本そば屋の食べ歩きをしてみようかと思っている。さすが本場の味というザルそばに出会うかも知れない。そのときはえびの天ぷらも注文して,尻尾まで食べてみることにしよう。(ムサシ)


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裁判員制度・評決公表のアイディア(6)

量刑で意見が3通り以上に分かれ得る場合には、どのように内訳を表示すべきか。前回提示した私の(腹案2)の是非を検証していきたい。
(腹案2)
量刑については、裁判員6人のうち最も重い1人と最も軽い1人を除いた中間の重さの4人の意見と、裁判官3人のうち中間の重さの1人の意見とを、判決理由中に記載して明示することとする。

(検証)
この(腹案2)のメリットは、裁判員6人と裁判官3人の全員の意見は判明してしまわないように配慮されていながら、なおかつ、それぞれの中心的な意見の分布が表示されることである。
ちなみに、両極端の2人の意見を除外する(その上で平均値を採る)といった手法は、古来、オリンピックの採点競技などでも採用されているオーソドックスなものである。

この(腹案2)で明示される裁判員4人と裁判官1人の合計5人の意見が、主文との関係で、あるいは9人全員の中で、どんな位置になり得るのかを検証しよう。

通常は、判決主文の結論になるのは、重い方から5人目の意見である。これは、明示された裁判員4人の意見の幅の範囲内におさまることが圧倒的に多いことがわかるだろう。
例えば、机上の設例だが、裁判員の意見が、懲役9年、8年、6年、5年、2年、1年、裁判官の意見が7年、4年、3年と分かれた場合は、主文は5年となり、明示されるのは、裁判員の8年、6年、5年、2年の意見と裁判官の4年の意見となる。
主文を導いた各意見の大勢は、これで十分わかるだろう。

例外的に、明示された4人の裁判員の意見の幅の範囲から逸脱した量刑の主文になるのは、次の場合のみである。
裁判官3人の意見が軽い方に集中したため、重い方から5人の中に裁判官が1人も含まれなかった場合。この場合は、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」67条2項の規定により、表示されていない裁判官3人の内の最も重い1人の意見が主文となる。
例えば、裁判員の意見が、懲役9年、8年、7年、6年、5年、4年、裁判官の意見が3年、2年、1年と分かれた場合は、主文は3年となる。しかし、明示されるのは、裁判員の意見の内、8年、7年、6年、5年、裁判官の意見の内、2年だけである。
しかし、なぜ主文が3年となったのかは、自ずと明らかになる。つまり、裁判官の内で最も重い意見が3年であったことは自動的に判明する。
そして、この場合こそが、意見の内訳を表示することが最も重要な意義をもつケースである。

なお、逆に裁判官3人の意見が重い方に集中した場合は、このように明示された4人の裁判員の意見の幅から主文が逸脱するという現象は生じない。9人の内で重い方から5人目の意見、すなわち、裁判員6人の内で2番目に重い意見、つまり明示された裁判員4人の意見の内で最も重い意見が、主文と一致することになる。

もちろん、実際には、これほど意見が区々に分かれることはないだろうが、いずれにせよ、主文の量刑に、裁判員グループ、裁判官グループのいずれの意見がより大きく影響したかについては、私の(腹案2)の範囲で意見分布を判決理由中で明示しただけでも、十分に判明するはずである。

(チェックメイト)

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 弁護士となって早くも約8か月となりました。

 裁判官から弁護士となって何が一番変わったかと良く聞かれますが,なんといっても自分で決められないもどかしさでしょうか。

 本日午後,高裁で担当事件の判決があります。

 これは,私が弁護士となって初めて担当した刑事事件で一審で再度の執行猶予がついた事件です。
 被告人と共に喜んだのもつかの間,検察官控訴があり,本日に至ったわけです。

 私からみれば,再度の猶予は誰が見ても当然と思われる事件なのですが,なんといっても判決は裁判所が出すものですから,弁護人として不安は尽きません。困難な事件に直面したときの裁判官の心境とは異なるドキドキがあります。

 さて初めての高裁の判決の結果がどうなったかは,またお伝えしたいと思います。

                       不安に震える「花」


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1 刑事事件の被害者が加害者に対して損害賠償を請求する場合の負担を軽くするために,損害賠償命令制度が平成20年12月から施行された。甚だ偶然のことではあるが,最近私が居住する県内で第1号の事件として私が担当したため,マスコミの取材を受けて,NHKの地元のテレビで放映されたり,地元の新聞にも掲載されるという事態となった。

2 刑事裁判で被告人に有罪判決が出た場合に,事件の内容を詳しく知っているその刑事事件の担当裁判官が審理を行い,短期間で損害賠償について命令を出すという制度である。刑事事件として被告人が起訴された後,審理の終結(結審。判決よりも前)までに裁判所に損害賠償命令を申し立てる必要がある。

3 裁判官は,公開の口頭弁論を開く場合もあるが,口頭弁論を開かないで,非公開で審尋(事情を聞く手続き)をする場合もある。特別な事情がなければ4回以内の審理期日に審理を終結することになっており,その後決定までの期間については規定はないが,およそ2週間前後と考えてよいようである。

4 損害賠償命令に対して当事者に不服がある場合には,決定書を受け取った時から2週間以内に異議を申し立てることができ,異議が認められると正式の民事訴訟を提起したものとみなされることになる。

5 私の場合には当番弁護士として,未成年者に対する強制わいせつ事件で逮捕後勾留された被疑者に面会(接見)し,その後父母に連絡を取ったことから,刑事事件の私選弁護人となった。父母ないし被疑者本人が刑事弁護人の弁護士費用を支払うということである。そして刑事事件の弁護人としての弁護活動を行い,刑事事件の判決が宣告された。

6 刑事事件の判決は幸い執行猶予付きで,被告人は判決後直ちに釈放されたが,それに引き続き,裁判所の別室で損害賠償命令の審尋手続きが行われた。申立人には代理人として弁護士がついていなかった。その日はなぜか被害者の父母である申立人らが出頭しなかったため,次回期日が決められた。次回までに損害賠償命令申立事件の相手方代理人として,私が答弁書と参考になる類似の命令などの資料を提出すると述べた。

7 次回期日が実質的な第1回期日となり,申立人らも出頭した。私は答弁書と若干の資料を提出した。答弁書の中で損害額の根拠や,被害者が事件前から精神的に不安定であったかどうか,その治療経過などについての報告を求めた。また裁判官は,申立人らに対して若干の質問をして,いくつかの宿題を出した。私もその日の手続きを踏まえて,準備書面を提出する旨述べた。

8 第2回期日には,またもや申立人らが欠席した。日を間違えたというのである。私は準備書面を提出した。

9 第3回期日には申立人らも出頭し,宿題に対する回答の書面などが提出され,裁判官が若干の質問などをして,手続きが終了した。決定は2週間以内には送付するということであった。

10 そして8日後に,裁判所から決定を取りに来るようにとの連絡を受けて,事務員が受け取ってきた。約500万円の請求に対して,120万円を支払えという内容であった。私は依頼を受けている加害者の父に電話して決定の内容を伝えるとともに,決定書の写しを送付すること,決定に異議を述べないことを求める意見を伝え,意見は一致した。双方ともに2週間以内に異議を述べず,決定は確定した。私が金銭支払いの手続きを行い,私が領収書の案を作成し,この金銭の支払いで,全て解決済みであることを確認する条項を入れて,被害者の父に電話で読み上げて,了解を取った。

11そして全て無事に手続きを終えた。被害者の父は,この制度のことを検察官から教えられたとのことであった。この制度のことが広く国民に知られることになると,被害者との直接の示談交渉が多少難しくなって,弁護人の腕を振るうには,やや困難を招来することになりそうではある。しかし被害者救済のためにとてもよい制度ができたと思う。大いに活用されるべきであろう。  (ムサシ)



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有罪か無罪かの意見分布については、私の(腹案1)のような限度において公表したとしても、個々の裁判員や裁判官の意見の秘密は守ることができると証明された。
これは、例えば、有罪を前提とした量刑の評議で、死刑と無期懲役との二者択一となるようなケースでも同様である。

死刑の話が出て来たので、本論からは脱線するが、「死刑に限っては全員一致」を要求すべきだという説が昔から有力に主張されている。
しかし、まず、これまで論じてきたように、そうすると「死刑」判決を言い渡した瞬間に全員の意見が「死刑」であったことが自動的に判明してしまうという問題がある。したがって、評決の秘密は空文化するという点は直視しておくべきだろう。具体的に言えば、死刑反対団体からは全員が激しい非難の的にされるかも知れない。
また、たった1人にしろ、たまたま死刑絶対反対という意見の持ち主が入っていたかどうかという偶然で、死刑の適用が左右されることも想定される。公平を極めて重視する日本国民に耐えられるのか、疑問を禁じ得ない。
「裁判員には死刑の判断は負担が重過ぎるから、対象事件から外してはどうか」という説も含めて、死刑を特別扱いしようとすればするほど、むしろその存廃自体を問題にせざるを得なくなってくるのではなかろうか。

閑話休題。

さて、次の検討課題に移ろう。
量刑で意見が3通り以上に分かれ得る場合には、どう内訳を表示すべきか。

個々人の意見が特定されないようにするという必要条件だけに限れば、実は、二者択一の場合よりも3通り以上に分かれる場合の方が、かえって守りやすいようである。
裁判員6人の意見と裁判官3人の意見がバラバラに分かれた場合は、それぞれ全員の意見を列記しても、どれが誰の意見かは特定されないだろう。

ただし、たまたま全員が同じ量刑意見だった場合は、記載することができなくなってしまう。
また、あまりにもバラバラの意見分布をそのまま羅列すれば、裁判の権威も失墜しかねない。

したがって、裁判員グループ、裁判官グループの、それぞれ中心的な量刑意見を表示するルールにした方が良さそうだ。裁判員の意見と裁判官の意見とを対比して検証するという目的は、それで十分に達するだろう。

では、具体的にはどのように表示すべきか。
思い付きだが、素案を次に示し、その是非の検証は次回に行うこととしたい。

(腹案2)
量刑については、裁判員6人のうち最も重い1人と最も軽い1人を除いた中間の重さの4人の意見と、裁判官3人のうち中間の重さの1人の意見とを、判決理由中に記載して明示することとする。

(チェックメイト)

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 先週われわれの例会にご出席いただいたばかりの韓国警察大学校李教授が兵庫県弁護士会の招きで6月13日再度来日され,2時間の講演とその後弁護士からの質問攻めという,一週間前と同じハードな日程をこなされました。終始いやな顔一つせず誠実に対応されていた姿勢に本当に頭が下がりました。

 弁護士の関心を反映して韓国の取調可視化についてのお話しが半分くらいを占めていました。

 韓国では警察官調書は,不同意の場合には証拠能力がないとされているため,あまり無理な取調をする意味が無く,普通の取調は大部屋に仕切りをしただけのところで一斉に複数の取調をするため,大声や暴行はそもそもできない環境でおこなわれているそうです。

 ところが検察官調書は,不同意でも証拠能力が認められているため,これまで密室の無理な取調がなされていたこともあったようです。
 いつも検察官の指揮下でしか捜査できない不満のある警察では,対抗策として警察の取調の透明性を世論にアピールするため,最近の司法改革のかなり前から取調の録画を実施していたようです。そのためその法制化には抵抗はなかったようです。

 これに対して,検察庁は可視化に猛反対したようですが,有識者を中心とする司法改革委員会は,それなら検察官調書の証拠能力を警察と同じにすると対抗したため,可視化が法制化されたようですが,妥協の末,取調全体の可視化ではなく,裁量でしかも各取調の最初から最後までの録画,つまり取調全部の最初から最後までではない一部録画が実現したという実情だそうです。

それなら日本の一部録画(取調の一部のしかも特定の場面のみ)とあまり変わらないのか,というと大違いのようです。
 韓国の取調は,日本のように生まれ育ちから始まり事件外のすべてを語らせるような取調はせず,ほとんどが1回で終わるというもののようです。2回目があっても聞き漏らしたことの確認程度だそうです。
 そうすると,1回分の取調の最初から最後までという法制度は実質的には,全部録画に近いといえるのかもしれません。

 いろいろ外国の実情は聞いてみないとわからないものだと感じた次第です。

                       可視化ついて勉強中の「花」

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 物議を呼ぶこと必定の書き込みであるので,冒頭に投稿者の立場を明かしておく。私は現職裁判官ではなく,北海道の弁護士で,ネットワークでは元裁判官のサポーターという立場で投稿している。したがって,地元以外の現職裁判官を擁護することに殆ど職業上のメリットがないこと,何より以下に取り上げる裁判官とは一面識もないことを断っておく。

 A地裁の刑事部裁判官は,一躍時の人となってしまった。1年2ヶ月の実刑判決を一旦言い渡した後(法律的には言渡し自体は終わっていないところがミソ),検察官から求刑2年6ヶ月に対して低すぎるとイチャモンがついて,結局暫時休廷後に,求刑を1年6ヶ月と誤解していたと謝罪して,同じ被告人に2年の実刑判決を言い渡したというアノ人である。
 私も最初に今月9日の東京新聞朝刊の記事を羽田空港から日弁連に向かうモノレールの中で見たときには,同じ会の若手弁護士と共に「バカだなあ」と言ってしまったものである。かように弁護士の反応は厳しい。何よりも「裁判官の実刑時の量刑は求刑の8掛けが相場です」という市民感覚では理解しがたい,しかし我々にとっては「常識」の事実を,晴れて満天下に公にし,なおかつ是認した点が憤怒をかっている。自分が自信を持って1年2ヶ月が妥当と判断したのであれば,自らの良心に基づく独立した判断を維持すべきであり,新たな証拠調べもしないで一旦事実上宣告した主文を変更するというのは,裁判官の風上にも置けないという批判は誠にごもっともである。
 しかし,今少し冷静になって考えてみると,私のような弱い人間は,この裁判官が憎めないのだ。私であればどうしたかと考える。この事件では裁判所書記官の作成した調書には検察官の求刑は1年6ヶ月と書かれていたそうだが,だからといって私には,刑事訴訟法52条の排他的証明力で突破する度胸はない(また,してもいけない)。このままでは検察官の求刑の半分以下の量刑をしたことになり,検察官から量刑不当で控訴され,被告人に控訴審審理の負担をかけた上に,より重い判決が言い渡されてしまう。そんなご迷惑を被告人にかけるくらいなら,率直に誤りを認めよう。おそらくこの裁判官の心の中はこのようなものであったろう。
 私が胸を突かれるのは,この裁判官が被告人に対して「謝罪」したということだ。彼がNHKの「ジャッジ」を見ていたかどうかは知らないが,法廷で真摯に頭を下げる裁判官には滅多にお目にかかれない。また,彼は最終の言渡しで,執行猶予をつけたもう一人の被告人については,求刑から6ヶ月を削って2年という主文を言い渡している。そこに彼のせめてもの「意地」と「気骨」を見る。執行猶予判決を言い渡すときに検察官の求刑を削っている裁判官がどれくらいいるのだろうか。もしこの裁判官に石を投げる刑事裁判官がいれば,己の過去を振り返ってみていただきたい(かくいう私も,求刑を削って執行猶予を付した裁判官に対して検察官が取る執拗かつ嫌味な態度を知らないわけではないのだが)。
 この裁判官が「悪い裁判官」,「要領のいい裁判官」,「傲慢な裁判官」であれば,このような騒ぎにはならないお利口な解決を選んだだろう。でも彼はそれを選択しなかったのだ。さすがに前任地の口うるさい札幌弁護士会のアンケートでも比較的高評価だった裁判官だけのことはある。
 この裁判官には間違ってもこれを機に裁判官を辞めたりしないで欲しい。そして,この裁判官らしい,貴方にしかできない裁判をして欲しい。被告人に「謝罪」した貴方にならそれができると信じている。
 しかし私とて,手放しでこの裁判官に拍手を送るわけではない。彼が自分のプライドを捨ててまで「謝罪」したとしても,それは所詮業界内の「内向きの論理」を前提としたものでしかないからだ。さっき自分に堂々と1年2ヶ月を宣告した同じ裁判官が,急に検察官からあれこれ言われたからといって,数十分後に刑期を10ヶ月も上げたら被告人はどう思うだろうか。刑事裁判慣れした一部の被告人にはともかく,一般市民にはとても理解できないだろう。

 裁判員制度は,日本の刑事裁判の良きも悪きも全てを明るみに出すだろう。その中で我々法律家が肝に銘じなければならないことは,第一に裁判官も検察官も弁護士も,これまで以上に真摯に市民に向き合わなければならないということだ。そして,これまで法律家の間で当然とされてきた慣行・常識を一から市民に理解してもらわなければならないし,仮に理解されないものは疑い,時には捨て去る勇気を持たなければならないということである。上記の一件が投じた一石は,「バカな裁判官がいた」で終わらせていい話ではないと思う。
(くまちん)


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1 先日,大学のクラスメイトが急死したという連絡を受けた。彼は極めて健康そうな様子であったから,突然の訃報である。彼は社交ダンスを愛好しており,しばしば社交ダンスを楽しんでおり,その練習の帰途突然倒れたというのである。心筋梗塞ということであり,ショックを受けた。

2 おそらく本人には,日頃からそれなりの不安はあったものではあるだろう。健康というのは,日常生活において,いかに体に優しい生活を送っているかというトータルな結果である。タバコを吸ったり,大酒を飲んだりしながら,長生きしようというのは滑稽な話なのである。野菜やビタミンや繊維質や乳製品をいかに摂取しているのか。しっかり睡眠や休息を取り,適度な運動をしているのか,ストレスを溜めていないかということである。そのような努力をしていても,いろいろと起きるのが人生である。健康法というのは,目に見えないところで,健康の敵をボディブロ-しているということである。健康法というのも,かなり努力をしたとしても,せいぜい10年長く生きるかどうかという程度のことに過ぎない。
 そこで一句。「健康法 効果は定かに 見えねども 髪の黒さに 驚ろかれぬる」

3 今回から数回は減量作戦の新展開の話である。減量報告はまだできないが,その後も工夫は進化しており,間もなく公表の時が来そうである。この4月末に脳ドックの検査を受け,異状はないとの結果であった。その際病院は私に減量の説明をするとの話であったが,丁重にお断りをした。これまで減量の話は何度も聞いたが,全く効果がないからである。

4 この10年余り毎年お盆休みの頃,消化器関係で1泊の人間ドックを受けてきた。脳ドックは思いついた時に2年に1回程度受診してきて,今回3回目である。今後これらを定例化し,毎年8月に消化器の人間ドックを,その半年後の2月に脳ドックを年1回ずつ受診することに決めた。こうすれば血液検査などの各種の基礎的な検査が,時期的な重複を避けて半年ごとに行われることになるので,年齢からみても最も効率よい健康チェックが可能になる。これは名案である。この検査を受診しておれば,とりあえず検査後1年間は大丈夫だと一応保障された気分になるし,仮に見落としがあって手遅れになったとしても,なすべきことをなした上での結果になるので,諦めもつき安いというものである。

5 飲酒量はこの間かなり減らしたので,飲酒量の指標となる「ガンマGTP」の数値は今や正常値となっている。これも酒と戦って勝利したという格好いい話ではなく,「恥ずかしながら」格好悪く,しかし頭で勝利したということになろうか。その工夫として家には飲酒可能なアルコ-ルは一切置かないことにしたが,その作戦が成功しているに過ぎない。飲酒不可能なアルコ-ルとして料理用日本酒は置いてある。何度か妻に隠れてそれを飲んでみたが,さすがに飲む気にはなれなかった。もっとも料理用日本酒にも2種類あって,実は飲めるものもあることに気付いてはいるのだが,飲める方は家には置かないことにした。かなり前に料理用日本酒の中味を密かに美味しい日本酒に取り替えておいて,家族を騙していた時期もあるが,妻は騙せても自分は騙せないので,自ら恥じてやめた。妻がお気に入りで買い置きしている1000円のブランデ-を盗み飲んで,密かに時々同じビンを補充しておいて素知らぬ顔をするという作戦も止めることにした。妻はそれに気付いていたが,呆れたというよりも,私を憐れに思ったようで,咎めることはしなかった。そして私は,夫の健康のために妻用のブランデ-も置かないか,置く場合には,私が捜しても見つけられないように隠しておくように妻に頼んだのである。
(ムサシ)





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という見出しで、今日の朝日新聞朝刊に「元裁判官の弁護士 安原浩さん」の写真入りインタビュー記事が掲載されています。
社会面の連載「裁判員時代」です。
ご一読下さい。

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私の(腹案1)に対する前回の検討の最後で留保した、残る問題とは、裁判官の側では3人の意見が露見してしまうケースが出現することである。

具体的には、
●○●23
○●○60・50・40
の場合である。
つまり、「主文の有罪は、裁判員の少数意見、裁判官の多数意見であった」と示すと、裁判官は3人とも有罪意見であったことが自動的に判明し、取りも直さず個々の裁判官の有罪意見が判明してしまうという事態が生じてしまう。
同様に、「主文の無罪は、裁判員の少数意見、裁判官の多数意見であった」と示すと、裁判官は3人とも無罪意見であったことが自動的に判明し、取りも直さず個々の裁判官の無罪意見が判明してしまう。

ただし、これは、裁判官の側だけに生じる現象だから、職業裁判官としては受忍すべきであるというふうに、消極的に割り切ることも可能であろう。
さらに進んで、裁判員の多数意見が裁判官の全員一致の意見に阻止されて採用されなかったとの情報は、公開すべき価値が特に高いという理由で、評決の秘密が一部破られるという例外的な現象を、むしろ積極的に正当化する考え方もあり得よう。

けれども、やはり裁判官の個々の意見も絶対に特定されないようにしたいというのであれば、裁判員の意見が3対3に割れた場合(△印)を「同数であった」と表示するのをやめて、主文を基準にして「多数意見ではなかった」という方に分類して表示すればよい。
そうすると、
●△●33・32は●○●と
○△○31・30は○●○と
表示したのと同じことになるので、
●○●23・33・32
○●○60・50・40・31・30
と、場合分けが修正される。
こうすると、裁判官の意見が3対0の全員一致であったと特定される事態も完全に回避できる。

つまり、「主文の有罪は、裁判員の多数意見ではなかったが、裁判官の多数意見であった」と表示すれば、裁判官の有罪意見が3人全員ではなく2人であった可能性も残るから、個々の裁判官の意見は特定されない。
また、「主文の無罪は、裁判員の多数意見ではなかったが、裁判官の多数意見であった」と表示すれば、裁判官の無罪意見が3人全員ではなく2人であった可能性も残るから、個々の裁判官の意見は特定されない。
以上により、私の(腹案1)を採用すれば、「総体としての裁判員の意見がどうであったのかは正確かつ客観的に明示されていること」という点はもとより、裁判員だけでなく、裁判官についても個々の意見が特定されずに済むということが証明された。QED
(チェックメイト)

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テレビドラマ「サマヨイザクラ」をみて考えた。
      ー裁判員裁判のよさとはなんだろうか。

○ このドラマでは,引きこもり青年である被告人が中年女性3人を殺害したという殺人事件をめぐる裁判員裁判のドラマである。被告人の一家は被害者らから集団いじめに遭っていたという背景設定がある(ただし,被告人の家族が,いじめられた事情や,いじめの程度は余りはっきり描かれなかった。)。被告人は,いじめ集団の一部である中年女性3名が,被告人の家の前の空き地にあるさくらの木をを切ろうとしたことに反発して,女性3名を刃物で殺してしまったと自白した。そして,付近の土管に住むホームレスの父子のうち幼い少女が犯行を目撃していたという。そこで集団いじめが殺人の動機となる殺人事件であると評議は固まった。しかし,死刑か死刑回避かを決める量刑評議において,裁判長は,このような動機事情は死刑を回避すべき事情として評価できないと断言し,他の誰も反論できなかった。

 しかし,そのような断定は誤りではないかと思う。集団いじめで,社会的,心理的に追い詰められていることはよくあり,そのためにいじめ被害者が自殺することだって珍しくない。もし,被告人が,そのようないじめが原因で引きこもり,心身のバランスを欠いた状態にあって,さらに犯行直前に加害者らからいじめ被害を受けると感じたときに感情が爆発して殺人行為に至ったと認定できるとすれば,犯行動機を形成する重大な事情として酌量すべきかどうか大いに議論すべきものと考えるのである(ただし,ドラマでは,後にこのような事実はなかったし,犯人も被告人ではなかったということになるがそれは別論である。)。

このドラマでは,このような重大な問題点の議論かがきちんとなされずに,裁判長の軽薄な断定で済んでしまうのは,残念というほかない。視聴者にはこれから裁判員になる人も多いであろうだけに,悪影響を与えないか心配である。

○ ドラマ「サマヨイザクラ」では,最後にどんでん返しが起こる。被告人は犯人ではないことがわかるのである。「お宅系」の若い裁判員が,たまたま犯行当日にある催しに参加し,記念に写したケータイ写真の中に,被告人が写っているのを発見し,被告人が第1回公判で自分をじっと見詰めていたのはこのせいかと思い至り,被告人の犯人性に疑いを持ち,現場に出かけていくのである。そして,やはり被害者らからいじめにあっていたホームレスの親子が被告人の家の近くの土管に住んでおり,その父が実は犯人だということが明らかになっていく(その父は犯行後行方をくらまし,人知れず自殺していた。)。被告人は,犯人の幼い娘から話を聞いて事情を知ったが,仲良くしていたその娘のために自分が身代わり犯人になり,娘を犯行の目撃者に仕立ててしまっていた。

 この真相に迫る過程に脚本家の時代感覚の乏しさと,裁判員制度に対する認識の浅さが出ている気がしてならない。実際に無罪判決に至る場合は,ふとしたことがきっかけで検察官の立証に疑いを抱く,そうして記録を見直すと,別の角度から光が当たったように,今まで気付かなかったことが見えてくる。そして,事件の真相に疑いが深まるということがある。私の経験した控訴審で一部無罪とした事例を挙げるてみよう。内縁関係の男女の共謀による3件の窃盗事件の控訴審で,内縁の夫の事件を担当したが,3件のうち1件だけは特異なものがあった。2件は被告人らがそれぞれの犯行現場へ行っていて,女性が盗みをし,2人で売りに行ったことが明らかであった(それでも内縁の夫は,窃盗には関与していないと一応争った。)。しかし,残りの1件について,女性被告人は,ある薬屋の店頭に飾っていたマスコット人形を別の男性から預かっていて,後日内縁の夫と一緒に売りに行ったに過ぎない,その男性の名前は言えないと言い張り,男性被告人は,自分はその件には全く関係ないと一貫して弁解していた。この1件だけは他と違うなと感じたのがきっかけになって,女性を証人として調べ直し,なぜ預かった人の名前を言えないのか,そのために内縁の夫が有罪になってもいいのかと追及し,結局この1件だけは内縁の夫は関与していない可能性があるとして無罪にしたことがあった。

 このドラマでいえば,被告人がなぜ3人の中年女性に殺意を抱いたのか,3人の女性を殺すまでの理由があったのか,凶器の刃物は予め準備をしていたのかどうか,などということから,疑問を持って事実関係を見直す。そして,果たして被告人が犯人だろうかと疑問を持つのが自然であり,もしやったのが本当だとしたら責任能力も疑ってみることもあるのではないか。このドラマのような真相発見のあり方は,あまりにも偶然に過ぎて現実性がなく,いかにも作り物然としている。

 考えてみると,裁判員が多様な社会経験からふと抱いた疑問を,裁判官を含め構成員みんなが大切にして考え意見を交換する,そのことこそが「裁判員と裁判官の協働」の最も重要な場面なのであり,市民参加制度の真骨頂なのではないのか。裁判長が物事を断定したり,スーパーマン裁判員が場外で活躍するのは裁判員制度がめざすものではないと思う。

裁判員制度発足という大事な時期である。せっかく裁判員裁判ドラマを作るなら,制度を単なる背景や刺身のつまとするのではなく,もちろん批判的視点でもいいから,しっかりと裁判員裁判の本質に焦点を当てて取り組んで欲しいものである。

それにしても,裁判員裁判ドラマでは,なぜ裁判長は,裁判員の意見を真摯に聞かず,無茶な押しつけをするというワンパターンな態度をとるのだろうか。それが国民一般に普及した認識であるなら,その認識を改める努力をする必要がある。

☆尊敬する刑事裁判官に投稿してもらいました。「専門家の目で批判しすぎるのはどうか。ドラマなのだから」といった批判があるかもしれません。コメント宜しくお願いします。(瑞祥)


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1 万歩計を買った。私の健康上の最大の課題である肥満解消作戦の一環として毎日1万歩歩こうと思ったのである。種々の試行錯誤を経て,この6月から満を持して本格的な減量作戦を開始した。栄養失調などの心配がないように,シッカリ食べながらということになる。このたび失敗するなら,もう二度と減量を口にすることはしないつもりである。
 ところが困ったことに,万歩計で測定した結果,既に毎日1万歩を歩いていることが判明したのである。犬との散歩で毎朝約3500歩(約35分,100メ-トルを6回走る)歩いており,事務所にこもったままの日は約8000歩,法廷などに外出する日は1万歩を超えていることが分かったのである。目標1万歩では減量にならない。目標を高めて1万5000歩に変更したが,なかなか大変である。

2 今から15年も前のことであるが,約10キロ痩せたことがある。そのときは家族と焼肉を食べに行ってもビールを飲まなかったから,かなり本気だったと思う。ただ家族に言わせると(自分では全く気がつかなかったが),私がいつもイライラして機嫌が悪かったそうで,「そんなに機嫌が悪くなるのなら,痩せなくてもいい。」と家族に顰蹙(ひんしゅく)を買っていたというのである。反省!

3 今回はニコニコ減量で行くことにしよう。減量のための作戦もほぼ完成しているが,わずかな隙が計画を失敗させるし,日頃の節制が宴会などの機会に反動となって,ビ-ルを飲みまくったりして,また別の顰蹙を買うという恐れもないわけではない。
 5月末に,わがトレ-ニング計画表に種々の工夫を加えて改良した。新たな決意表明である。成功のためには飲酒の喜びよりも,減量の喜びの方が遙かに大きくなる必要がある。毎朝精密体重計で体重を測定し記録しているが,その瞬間の喜びの大きさが勝負であろう。

4 私は健康法に関して多くの意見やアイディアがあり,それを多くの機会に発言してきた。最近私の小学校時代以降の各種の同窓会などによく出席するが,同年齢の友人たちを見て,「自分はこんなにも老人だったのか」と思い知らされてギョッとすることが多い。66歳の同級生が(年相応に)みんな(中には例外の人もいるが)年老いてしまったような印象である。若さを保つにはそれなりの方法があるが,かなり工夫と努力が必要である。しかし意識して努力すれば,確実に成果を挙げることは可能であると思う。しかしながら私の友人達は,私が年齢から見てかなり若いと認めつつも,「遺伝だろう」とか,「お前が異状なのだ」などと言って,不思議なことに私の健康法を多少なりとも参考にしようという気には余りならないようである。その原因は単に私が肥満体(約80キロ)であるというひとことに尽きるように思うのである。

5 確か刑事法の団藤重光元東大法学部教授(のち最高裁判事)だったと思うが,「私が1日勉強を怠ると,わが国の刑事法学の進歩が1日遅れる」と言われたと聞いたように思う。誰かの本で読んだ記憶であるが,定かではない。その自信はさすがというところであるが,勉強家として有名であった団藤先生は私の高校の先輩であり,長年年賀状の返事を頂いていたうえ,かつて私たちが新任判事補であったとき,最高裁判事としての新任判事補研鑽の講演の中で,「若い諸君が,未熟であることを恐れずに,合議事件の評議の際に,経験の深い裁判長に対して,毅然として自分の意見を主張するようでなければ,わが国の司法は発展しないだろう。大胆で優れた地裁の判決が最高裁の判決を発展させるのだ。わが国の司法の将来は,若い諸君の肩にかかっている。」と講演されて,感動したことがあった。

6 私も団藤教授の論理を借用して,「私の減量が1日遅れると,私の友人たちの老化が1日進行する」などと,いささか荒唐無稽な論理で,友人たちに老化防止にもっと関心を持ってもらうためにも,このたび減量に本気で取り組むのだという話である。団藤教授からは,「後輩とはいえ,余りにも話のレベルが違い過ぎるのではないか」と叱られそうである。もっとも例え私が減量に成功したとしても,私の友人たちは,私の研究と努力の成果を認めず,相変わらず「遺伝だろう」で済ましてしまうのではないかという気がする。(ムサシ)



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