日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
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 文科省が小中学校の学習指導要領改定案を発表した。
40年ぶりに理数科を中心に授業時間を増やした。日本が知識集約型あるいは科学立国の道を歩むことを考えると理数科教育を充実させることは必然だろう。
ただし、子供たちを科学に引きつけ、科学に馴染ませる実効的な教育をするためには、現場での自由な発想による創意工夫が不可欠である。
指導要領は相当細かく規定されているようだが、これをマニュアル的に実施すれば教育目的が達成できるものではないだろうし、杓子定規に実践することを強制することは、百害あって一利なしということになるのだろう。
教師自身が主体的に教育方法を考え、自ら楽しみながら、生き生きと教育に打ち込めるような環境が保障されることが大前提となるのだろう。
疲れ果てて、ただただ指導要領を形だけなぞっているような教育現場にだけはならないで欲しい。
 
 少年審判において、非行少年に感じた共通の問題点がある。
それは、自己表現能力の乏しさである。自己の内面を的確に表出する表現能力を持ち合わせていないことから、暴力やいじめや暴走行為や種々の非行が自己を表現する歪んだ方法になっていると感じさせるケースが少なからずあった。

来年からは、否応なしに裁判員裁判が始まる。死刑宣告も考えられるような重大事件について、裁判官3名と、選挙人名簿の中からくじで選ばれた国民6名が、対等の立場で評議して、有罪・無罪及び量刑を決するというのっぴきならない共同作業をすることになる。
 人の話を聞かず一方的に自己の意見を述べ固執する人、主体性がなく無批判に大勢に流される人、考えを整理することができず、混乱してしまって決断ができなくなる人、自己の考えを表現する能力に乏しい人、論点を噛み合わせて話をすることができない人で構成される裁判体ができたとすると、評議は煮詰まらず、裁判員裁判は、原則拘束期間である3日間では到底終局しないばかりか、誤審の危険を孕む。


 可塑性に富む時期に、討論能力、自己表現能力を培っておくことは極めて重要である。
人の話をじっくりと聞く能力、情報を整理しながら正確に理解して吸収する能力、論点に集約して考える能力、自己の考えを整理してまとめる能力、自己の考えを的確な言葉や表情に乗せて表現する能力、そして、種々の価値観の存在を許容しながら、これを検証し、納得のいくまで考え抜いて自己の考えを築き上げる能力は、平和で民主的な社会の基礎となるものであるが、ひいては裁判員制度成功の基礎になると思われる。
 
 国語科目を中心とした「読み」「書き」「聞き」「考え」「話す」主体的な訓練と体験の学習を充実させて、討論能力、自己表現能力を育てていただきたいと思う。
(あすなろ)

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 日本に輸入された中国製ギョウザから、高濃度の有機リン酸系殺虫剤「メタミドホス」や「ジクロルボス」が検出された。 
 
 購入者の被害の甚大さはもとより、国内のギョウザの製造、販売業者やその周辺産業に関わっている人たちまで甚大な被害を受けている。
 食の安全システムの不整備、日本の食糧自給率の低さの問題が改めて問われている。
  
日本では殆ど使われていない「メタミドホス」という薬物名が、わたし達になじみのある言葉になってしまった。
 メタミドホスやジクロルボス(中国では「敵敵畏」と呼ばれている。)は、中国において、報復などの動機で犯罪の凶器として使用されることが多発しているものであるという。
 
 真相解明のための調査が日中双方で進められているが、難渋しているようだ。中国側では、何者かが故意に殺虫剤を混入した疑いが濃いと分析している。今後の真相究明が待たれるが、仮に中国側の分析のように故意犯によるものであるとすれば、愉快犯等の異常犯罪や政治的動機、商売上の動機にからんだ犯行か、あるいは不満や「怨念」等によることが想定される。
 
 この「怨念」というものは曲者である。
 中近東のある国で起こった殺人事件が2代か3代前に起こった私的紛争の報復を動機とするものであったことを聞いたことがある。
 
 紛争に至るには種々の原因があるが、お互いの無理解や誤解が導因になっていることが多い。情報が自由に交換され、相互理解が深まっているところでは、紛争は起こりにくい。 しかし、不幸にして紛争が生じ、これを当事者間で自主的に解決できない以上は、第三者が間に入って公正な手続きによる公平な解決を図る途をとらなければ、裸のままに怨念が発現する結果となりがちで、暴力的な形となって殺人にまで至るような悲劇をも生みかねない。
 訴訟手続は、紛争当事者の怨念をチャネル化し、正当なルールの下で理性的に争わせる役割を果たす。しかし、勝つか負けるかという決着では、かえって怨念を募らせる結果になってしまう場合が少なくない。
 紛争の大部分は和解による解決が望ましいように思える。
 紛争の根幹を把握し、双方が求めるものを相互に得ることができるよう知恵を絞って調整し、後顧の憂いのないような納得のいく紛争解決を図って、怨念の根を断つ途を追求することが法律家の役割であることを痛感している。
(あすなろ)

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  私たち人間の体や生命に関する科学の進歩が加速化している。
山中伸弥京大教授が、皮膚細胞からiPS細胞を初期化することに成功した。
これから生命として生長しうる他体の受精卵からES細胞を作出するのとは異なり、人倫上の問題がクリアできるし、拒絶反応を生じないし、増殖力も高く、万能細胞としての実用化が期待できるという。
画期的な研究成果であるが、この成果の実用化に向けて各国の研究プロジェクトが熾烈な競争状態に入っているらしい。
万能細胞実用化に係る知的財産権としてどこかが確保してしまうと、コンピューターシステムにおいてせっかく日本で開発されたトロンがその価値を十分に開花できなかった二の前を踏むことになりかねない。
京大を中心にiPS細胞の研究開発が組織化され、国も支援するようであるが、是非ともがんばっていただきたいと思う。
もし万能細胞が実用化すると、多くの医学的な問題が解決すると期待されるが、脳だけは、取り替えてしまうと自己同一性がなくなってしまうから、生まれてから死ぬまで替えることはできないことになるのだろうか。

その脳についても、脳科学の発達がめざましく、これまでわからなかった多くのことが解明されているようだ。
証言や供述の信憑性についても、脳画像で見定めることができるようになってくるのだろうか。

また、ベンダー博士の研究所がマイコプラズマ・ゲニタリウムという細菌のゲノムの完全合成に成功した。
微生物の設計図を人為的に描いて人工生命作りをすることができる道が開かれたことになる。
これは利用価値は大きいが、悪用されると大変なことになる。
科学の進歩をはかる環境を整える一方で、その実用化の方法について真摯に考える機関を立ち上げその機能を充実させて行くことが求められていると思う。
(あすなろ)

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 大寒のころらしい寒さが続く。
 寒いのが苦手な私が、この寒さになんとなくほっとするのは不思議だ。
 このところ、四季感がうすれる気候が続き、しとしと雨よりもスコールに似た雨が多くなるなど、日本が亜熱帯化するのではないかと感じさせる不気味さがある。
 
 NASAは、地球温暖化に伴って、南極の氷床が解けるペースが96年から06年の10年で1.75倍になったと発表した。
 
 折しも、ダボス会議で福田首相が、途上国の温暖化対策の経済的支援や温室効果ガスの国別総量目標を設定するなどの包括的な地球温暖化対策を発表した。EU等の厳しい削減目標に比べて、まだ後ろ向き過ぎるとの批判もあり、まったなしの温室効果ガス削減競争の時代に入った。
 
 昨年、温暖化により海中に沈みつつあるツバル諸島(ポリネシア)で生活する島民の様子と、石炭採掘によって日々の生活費を稼ぐ中国の労働者の様子と、排出権の投機的取引をするニューヨークの商人の様子を同時中継したテレビ番組があった。その中で、「神は私たちを見捨てはしない」と信じるツバルの長老の家が海水につかって行く場面は衝撃的だった。
 ゴアが制作に関与した「不都合な真実」の映画でも、温暖化に伴って、ハリケーン「カトリーナ」が猛威を振るうなどの気候変調が現実のものとなり、近い将来、地球上の多くの都市が水没する危険が迫っていることなどが生々しく描かれている。
 
 早急な地球温暖化対策が必要であることが、ようやく、多くの人々の共通の認識になってきた。
 
 石油産出で外貨を稼いでいるUAEのアブダビでも、高額な資本を投入して、太陽光発電などの技術開発を進め、低炭素化社会を実現しようとしているという。

裁判所でも冷暖房制限や、電気の消費抑制等がなされ、私たちもクールビジやウオームビジで対処しなければならなくなっている。
 私たちが文明の意味について考える良いチャンスだとも思う。
 省エネ・エコ生活もなじめばそれなりに快適である。
 星空を眺めるゆとりを持つためにも、夜間の不必要な照明は、それぞれが自覚して抑制したいものと思う。
(あすなろ)

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大学入試センター試験が全国各地で実施され、54万人の若者たちが受験した。
 「ゆとり教育」の中で教育されてきた世代である。
 折しも、中教審が「ゆとり教育」を転換する答申をした。
 江戸時代から、「学校の衰えは世の衰えの基となる」(中井竹山)と言われてきた。
 イギリス等でも、いわゆる「ゆとり教育」が経済の後退を生んだとして教育改革論が政治の焦点になったことがある。
 次代を担う若者たちの教育をどうするかは国の運命に関わる。
 
 
 他方で、朝令暮改による弊害も大きい。振り子のように極端な改革にならないようバランスのとれた教育政策がとられることを望む。
 
 どの時代にも、「近頃の若い者は…」と言われるが、若者たちの活躍はめざましい。
 早大の「ハンカチ王子」は好感が持たれているし、ゴルフ界でも「はにかみ王子」がプロとして活躍し、フィギュアスケートでは浅田真央が鮮やかな演技を披露し、囲碁界や卓球界でも若者たちの活躍が目立つ。
 昨年11月に日本で開催された技能五輪国際大会でも、青年技能者たちが匠の技を競い、日本の若者たちが、造園、洋菓子製造部門で初めて金メダルを獲得したのを初めとして、47種目中16種目で優勝した。
 スポーツ、文化、科学、奉仕等あらゆる分野で若者たちがその能力を開花している姿には目を見張るものがある。
 
 その一方で、ネット等を利用したいじめや虐待、ワーキングプア等、若者たちの自己実現を阻み、成長を阻害する問題が絶えない。社会全体で真剣にその解決を考えなければならないと思う。
 
 法曹界では、法科大学院で教育を受け、新司法試験に合格して、1年間という短縮された実務修習期間を経た新法律家が生まれるようになった。司法の行く末は、近い将来司法を担っていく若者たちに対し、私達がどのように支援し、その研鑽に協力して行くかにかかっている。
 
 「君の行く道は果てしなく遠い」
  でも、「空にまた陽が上るとき若者はまた歩き始める」
  そして、「君の行く道は希望へと続く」
(あすなろ)

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 中東に有利な判定があったとして国際ハンドボール連盟が北京五輪アジア予選を東京でやり直す異例の決定をした。「中東の笛」といわれる偏頗な審判がなされたと指摘されている。
ハンドボールだけでなく、サッカー、バスケットボール等多くのスポーツ競技においては、審判が反則をとるかどうかで試合の流れが変わり、たちまち勝敗に影響する上、不服申立もできないから、審判は絶対者である。
 柔道でも、国際試合において、日本選手が一本勝ちしたはずなのに逆に負けの判定をされてしまったと思われる場面を一度ならず見た。
 
 不服申立の点では、国技である相撲において、行司の判定に対し、「物言い」という不服申立により審判役が合議して判断するのが興味深い。
 
 審判に対し誤審をしないための訓練や研鑽がなされているようであるが、一瞬の場面では、見る角度等によって判定を誤ってしまうこともあるだろう。
 先回のワールドカップでは、多くの中から選ばれて日本人の審判が出場した。檜舞台の審判に選出されるまでの過程を収録した報道番組を見たが、選手以上の過酷なトレーニングを積まなければ一流の審判にはなれないことを知った。
試合の流れをつかみ、選手以上に走りまわって、たえずボールを中心とする現場に自己を位置させ、選手の動きを正確に把握できる角度に目線をおいておかねばならない。

 テニスの試合では、セルフジャッジが主流になってきた。
 自己のコート側のボールについての判定は自らがすることになるが、スポーツマンシップに則り、疑わしきは自らに不利益に判定することになる。第三者審判の方が自己に有利になる場合もある。
 
 裁判の場合、我が国においては廉潔性に信頼をおくことができ、手続保障があって、原則として不服申立ができ誤審が是正される途が確保されている点で、前記のスポーツ審判の場合とは似て非なるものがある。
 廉潔性の伝統を揺るがすことなく、自らも汗を出して正しい位置に目線を保ち、健全な裁判官シップに則った仕事をして行きたいものと思う。
 (あすなろ)
 

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あっという間に年末、年始が過ぎた。

判決起案、決定書起案をするために借出手続きをして重い記録を持ち帰っていたが、そのうちの約半分はそのまま裁判所に再運搬する羽目となる。
そのしわ寄せによる過密スケジュールを覚悟しなければならない。
 
この間、届いた500通余りの年賀状から、送り主の住所、電話番号、家族の変化、近況等の情報を住所録に書き込んで整理しているが、この個人情報の管理には注意を要する。

 一昔前は、裁判所関係者に年賀状等を送付する際には、発行される名簿を見て住所を記載していた。
しかし、最近は、不測の事態を懸念して、当該名簿には裁判所の住所しか記載しない人が多くなったため、自己の持つ住所録によらなければ住所が判明しない状況になってきた。職員同士で個人的な連絡をとるには不便な面がある。
 
 学校関係でも誘拐事件等不測の事態を懸念して、生徒の住所録あるいは連絡票の作成をしなくなって久しい。保護者相互で連絡が取り合えないのみならず、学校側から生徒の保護者に対して連絡をとることも困難になっていると聞く。
そのために、保護者相互、学校保護者間の交流が妨げられているとしたら改善を要する。

 個人情報保護法が制定されてから、本来伝えられるべき個人情報までもことさらに秘密にされたり、法の射程範囲を超えて過剰に個人情報の規制がなされ、窮屈になってしまった面があるように思われる。
 
 その一方で、簡単に個人情報がハッカーや取引等によって流出しているようである。
 私のところへも、どこから私の住所や電話番号を知ったのか、先物取引の勧誘や、不動産投資の勧誘が再々ある。
あまり気分はよくないが、勧誘の実態を体感することができて仕事上の参考にはなる。
(あすなろ)

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 季節感のないまま、年の瀬も早や一日となった。
どうにか仕事も一段落して、年賀状を書いている。

 年々歳々、今年こそは、郵便局の指定する12月20日までには、出し終えようと決意するものの、結局は仕事等を優先する結果となり、12月30日前後の2,3日、年賀状書きに追われるのがここ10何年かのお決まりコースになってしまっている。
 約500枚を手書きすることは短時間ではできないので、表書きも裏書きもパソコン印刷に頼ることになる。
 肉筆で書く部分を少しでも多くしようと思うのだが、時間切れで「本年もどうぞよろしく」と書き添えることすらできないで投函してしまうこともあった。
 科学技術の進歩は大したもので、今年は、新調したプリンターが、約30分で表書きを完成してくれた。これで明日にかけて肉筆で書き添える時間が例年よりは多くとれる。


今年の漢字には「偽」が選ばれた。
不二屋が消費期限切れの牛乳でシュークリームを製造販売したことが発覚したことに始まり、ミートホープが偽牛ミンチを出荷していた事件、比内地鶏の原材偽装事件、「白い恋人」・「赤福餅」の賞味・消費期限改ざん事件、料亭船場吉兆が消費期限切れの生菓子を販売するなどしていた事件等、食品偽装の発覚が相次いだほか、有価証券報告書の偽装などが明らかとなり、国民が、「ブルータス、おまえもか」という不信感を持ったことが背景にある。

内部告発による情報提供が保護されるよう法整備がされたことから、透明化が進んだ結果でもあり、今年になって急に「偽」が進んだわけでもないと思われる。
しかし、姉歯構造計算書偽造事件をはじめ、種々の偽装事件が明るみに出て、企業のコンプライアンスが日常的に叫ばれる中で、これまでの悪習を断つことなく平然と続けていた感覚はどこからくるのであろうか。
偽りでも隠し通せばどうにかなるという確信がさせたのであろうか。
「悪事千里を走る」とか「真理は時の娘」とか「天網恢々疎にして漏らさず」といった古今東西の格言が頭をよぎる。 


 訴訟においては、双方が「相手の言っていることはすべて偽りである」「正直者がばかを見るような判断をしないで欲しい」などと相互に言い合う場面も少なくない。
 そして、双方の供述の齟齬が見方の相違による結果であることも多いが、どちらかが虚偽の主張をしているとしか考えられない状態で、自由心証による事実認定をせざるを得ないことがある。
その場合、裁判官は動かせない事実、資料を基礎にしながら、さまざまな角度からの推認をし、自己検証しながら、事実認定作業をすることになるが、虚偽の事実を述べて自ら墓穴を掘っているケースもあり、また、その人の虚言が紛争を大きくしてしまったと見られるケースもあって、「偽り」の持つ「負」の価値を思い知らされる。

来年は、「偽」などというやるせない漢字とは無縁の年であって欲しいと願う。
(あすなろ)

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先回、自己に何らの落ち度もないのに難治のC型肝炎に罹患した薬害被害者の想いを汲んだ最大限の救済措置がとられるよう希望する趣旨の投稿をしたところ、想定外の反響があった。
 国及び製薬会社による薬害被害者の救済の必要性を語ったつもりで、医師の責任の点については全く念頭になかったところ、思いがけず、医師の方々から医療訴訟に関連した御批判をいただいて驚いた。ブログに投稿し始めて3度目になるが、このブログを様々な分野の方々がご覧になっていることを改めて認識し、ありがたいと感謝するとともに、表現方法の配慮の視点を持たねばならないことを再認識している。
 寄せられたコメントから、医師の方々の中に医療訴訟に対する不信感を持っておられる方が少なからずあることを改めて実感している。
 相互理解を深めるため、各地で、医療者側と裁判所の関係者を含めた医療に関する連絡協議会が、定期的に持たれているところではあるが、そのうちに、このブログでも相互理解を深めるために医療関係訴訟についても触れてみたいと個人的には思う。
 
 さて、本題に戻るが、薬害C型肝炎集団訴訟では、第1次和解案による和解は決裂したが、大阪高裁が第2次和解骨子案を出す方針であると報じられた。
 マスコミに公開しながら和解手続きを進めて行く結果となっていることが興味深い。
 和解の方法については、同席和解方式(当事者が同席のもとで和解を進める方式、透明性を確保し当事者の主体性を引き出すことができるといわれる)も採用されてはいるが、個別面接方式(当事者は相互に対面せず、裁判官が各当事者と個別に面接して和解を進行する。情報は裁判官を通じてしか相手方に伝わらない)が実務では多く行われている。
 今回の方法は、「公開方式」とでもいうことになろうか。
 
 薬害エイズ訴訟では国と製薬会社が被害者全員に一律4500万円を支払うとの和解が、薬害ヤコブ訴訟では国が被害者全員に一律350万円を支払うとの和解が成立し、今回の薬害C型肝炎訴訟でも原告らは被害者一律救済を求めている。
 本件とは態様を異にするが、ハンセン病訴訟では、熊本地裁において、国と原告らが和解して、国において謝罪し、ハンセン病発症後の期間等に応じて解決金を段階的に設定した上で国がこれを支払うことを合意し、今後提訴するハンセン病患者あるいはその遺族に対して和解による解決金を支払う準則についての取り決めをし、これに基づき、その後提起された多数のハンセン病訴訟において和解解決がなされた。
 
 今回の薬害C型肝炎訴訟の和解については、双方が、血液製剤投与の期間を限定して期間外の投与者について解決金を少なくするかどうかについて見解が対立し、今後提起されることが予想される訴訟の原告らとの関係をどうするかについての問題があるが、双方ともに和解によって早期に薬害被害者の救済を図ろうとしている点では共通している。
 例えば、①今後の薬害防止についての厚生行政の指針等を盛り込んだり、②(C型肝炎の肝細胞癌末期までの進行には相当程度の時間があることから、)完治のための治療法を発見するための研究開発費用や当面の治療費用に当てるための基金を被告らの支出によって設ける条項等将来に向けての解決条項を入れるなどして、原告らの一律救済の要求の調整を図ることはできないのだろうか。
 
 是非とも相互に知恵を絞り、接点を見出して和解成立に漕ぎ着け、早期救済を図って欲しいと思う。
 
 ここまで書いたところで、政府が議員立法によって一律救済を図ることを決定した旨報道された。政治のダイナミズムが問題点の解決地点まで情況をいっぺんに飛び越えさせた。
 さらに医療科学の進歩が被害者たちの完治地点まで情況を飛び越えさせることを願う。
(あすなろ)


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私の兄が亡くなってから10年になる。
通夜の時にも兄の遺体から血液が流れ出て止まらなかった記憶が鮮明に残っている。
血液中の血小板がほとんどなかったために血液が凝固しなかったのだ。


 兄は、工学部を出てエンジニアとして働いた。
勤めていた会社がプラントを輸出していたことから、工場を造るために、海外に出張することが多かった。
辛いことや苦しいこともあっただろうが、怒ったり、不満を言う姿を見たこともない。
その人生の時間の殆どを仕事と妻子のために費やし、自ら遊んで楽しむようなことはなかった。
その兄が会社の健康診断でC型肝炎に罹患していることがわかった。
そのときには既にC型肝炎は相当進行していてインターフェロン治療もできない状態となっており、数年して肝硬変に移行し、さらに肝細胞癌に移行した。
癌細胞を摘出するための手術をしたときには、施術をした医師によると肝臓そのものがボロボロになっていて機能不全に近い状態になっていたという。
手術後、一時改善があったものの、腹水で腹部が膨満する病状が続き、その苦しみから解放されるようにして死を迎えた。

 感染原因は判然としない。
血液製剤フィブリノゲンやクリスマシン等のウイルスの混入した製剤の投与による可能性も否定はできないが、予防接種等の注射針や注射器を介しての感染である可能性もある。
少なくとも覚醒剤等の回し射ち等自らの責任による結果でないことは明らかであり、信頼して医療行為を受けたことによって感染した蓋然性が高く、無念というほかない。

 まして、血液製剤フィブリノゲンやクリスマシン等のウイルスの混入した製剤の投与によって感染したことが判明した人たちにとっては、無念ということをはるかに超えて、薬害を防止すべき国や製薬会社に対する憤りを押さえることができないことは当然であろうと思う。

C型肝炎による不安や苦しみから少しでも薬害被害者を救済するために、訴訟物を超えて、最大限の措置がとられるよう望む。
また、C型肝炎が完治できるような治療方法を発見する研究開発のためのさらなる予算措置がとられることも必要であろうと思う。
 
心ある国民は、そのために税金が使われたとしても、異議を述べないだろうと思う。
 (あすなろ)


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守屋前防衛事務次官の軍需専門商社に絡む収賄事件の捜査が進んでいる。

 どこの世界でも悪貨が良貨を駆逐しているのだなといまさらながらに思う。
ゴルフ代や家族への便宜等に係る賄賂を受け取った疑いがあることをまつまでもなく、記者会見等での受け答えを見る限りでもトップの器とは思えない。

そのような人がなぜ、4年間も防衛庁(省)のトップに居座り続けることができたのか。

彼以上の器量を持つ人材はいくらでもいたはずである。
しかし、良貨は駆逐されて悪貨が残るという不公正な悲劇が起こってしまった。
あるいは、守屋前次官も任官する際には理想に燃えた有能な人材であったのかも知れない。
そうであるなら、彼をスポイルしてしまうものが官僚世界にあったのだろう。
スポイルされた現在の彼を上に押し上げるような不公正な力関係が働いていたのだろう。
その陰で国民にとって財産というべき有為の人材がどのくらいつぶされてしまったのだろうか。
 
裁判所も司法の危機といわれた1970年ころから少なくとも「司法改革」がなされた2003年ころまで(裁判所の冬の時代)にはあからさまに、悪貨が良貨を駆逐するといわれても仕方がない人事が続けられた。

不公正な人事行政の中で有為な人材が失意のうちに裁判所を去って行き、事件に目を向けず、上にばかり気を遣う「ヒラメ裁判官」を続けるうちにスポイルされる者を出し、これが裁判内容にまで影響を与え、利用する多くの国民が目に見えぬ被害を受けた。

「司法改革」の中である程度は改善された面があるが、現在、公正な人事がなされているといえるであろうか。

裁判をなすのは人であり、人を生かした人事の運用がなされければ、社会的な損失である。
特に憲法でその独立の重要性が規定され、国民の権利義務を左右する裁判官が不公正な処遇を受けて人材として有効に活用されず歪んでいるとしたら国民にとっても悲劇である。
 
私たちは、人事についても関心を持って、絶えず公正な運用がなされるように改善を求めて行くことが必要とされているように思う。(あすなろ)
 

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 はじめまして
初投稿する裁判官ネットワーク会員の判事あすなろです。

 昨日は、岡山で、「裁判官爆笑お言葉集」の著者長峰超輝氏をお招きしてトークとディスカッションが行われました。
 会場からもさまざまな発言があり、午後2時から午後5時までの3時間にわたり、休憩もとらずに話が盛り上がりました。
 

「裁判官は弁明せず」というのが私たちの伝統であり、裁判書のみによって説明責任を果たすべきものといわれてきました。

 それはそれで正しい面を持っていると思います。
しかし、裁判官が当事者の言い分に十分に耳を傾け、親身になって身を乗り出して審理をするならば、
そこに必ず、感性が動員されることになり、
悲しみ、喜び、怒り、敬意、感動等が生まれるはずです。
それをすべて覆い隠し、淡々として、無表情で裁判するというのは裁判が人間の営為である限り不自然であると思います。

裁判の場も人と人との関わり合いの場であることは否定できません。
人と人との触れあいによる相互作用が働く場面であり、一期一会の場面であることに変わりはありません。
「法は人なり」です。
裁判官が冷静さと公正を保ちながら、謙抑的に、自らの想いを表現することが必要とされる場面があることを痛感しました。


 今日の午前は、岡山で引き続き裁判官ネットワークの総会が開かれました。
裁判官ネットワークの輪をどのようにして広げていくかが真剣に討議されました。
裁判官懇話会が幕を閉じた今、多くの裁判官が自主的に研鑽し合う場を作らなければ国民に開かれた裁判所への展望は開けません。


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