日本裁判官ネットワークブログ
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裁判員制度の下で、初の裁判が終わった。
審理経過で細かい改善点はいくつか見えてきたが、第1号としては大成功だったと思う。裁判員の皆さんの労をねぎらいたい。

さて、今回の事案で最も知りたいのは、やはり評決の内訳である。
結論しか判らない制度になっているのだが、全員一致ではなく評決(多数決)をとったとすれば、裁判員と裁判官の意見分布の大勢はどうだったのだろうか。
判決主文の懲役15年は、刑事裁判の従来の量刑相場からはやや重いと受け止められているようだ。
ならば、裁判員、裁判官のいずれかの意見が結論に大きく影響したのかどうか、ぜひ知りたいところである。

おそらく、今回はさほど大きな意見の開きは無かったのではないかと推測する。しかし、理論上は、同じ懲役15年でも次のような両極端のケースも考えられる。

A 裁判員6人がそれぞれ、20年、19年、18年、17年、16年、15年を、裁判官3人がそれぞれ、15年、14年、13年を主張した結果、裁判官の中で最も重い15年になった。

B 裁判官3人がそれぞれ、20年、19年、18年を、裁判員6人がそれぞれ、16年、15年、14年、13年、12年、11年を主張した結果、全体で重い方から5人目の15年となった。

Aは裁判官によって極端な厳罰化が阻まれ、Bは裁判員によって極端な厳罰化が阻まれた、というように見られるだろう。

これまで連載してきた私のアイディアによると、判決理由中に次のようにそれぞれの中間的意見を表示することになる。
A 裁判員の中間4人は、19年、18年、17年、16年、裁判官の中間は、14年であった。
(この場合は、裁判官の中で最も重い意見が主文の15年だったことも自動的に判明する)

B 裁判員の中間4人は、15年、14年、13年、12年、裁判官の中間は、19年であった。
(この場合は、残りの裁判官2人の意見がそれぞれ、19年以上と、15年以上19年以下だったことも、理論上判明する)

(チェックメイト)

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裁判員制度・評決公表のアイディア(6)

量刑で意見が3通り以上に分かれ得る場合には、どのように内訳を表示すべきか。前回提示した私の(腹案2)の是非を検証していきたい。
(腹案2)
量刑については、裁判員6人のうち最も重い1人と最も軽い1人を除いた中間の重さの4人の意見と、裁判官3人のうち中間の重さの1人の意見とを、判決理由中に記載して明示することとする。

(検証)
この(腹案2)のメリットは、裁判員6人と裁判官3人の全員の意見は判明してしまわないように配慮されていながら、なおかつ、それぞれの中心的な意見の分布が表示されることである。
ちなみに、両極端の2人の意見を除外する(その上で平均値を採る)といった手法は、古来、オリンピックの採点競技などでも採用されているオーソドックスなものである。

この(腹案2)で明示される裁判員4人と裁判官1人の合計5人の意見が、主文との関係で、あるいは9人全員の中で、どんな位置になり得るのかを検証しよう。

通常は、判決主文の結論になるのは、重い方から5人目の意見である。これは、明示された裁判員4人の意見の幅の範囲内におさまることが圧倒的に多いことがわかるだろう。
例えば、机上の設例だが、裁判員の意見が、懲役9年、8年、6年、5年、2年、1年、裁判官の意見が7年、4年、3年と分かれた場合は、主文は5年となり、明示されるのは、裁判員の8年、6年、5年、2年の意見と裁判官の4年の意見となる。
主文を導いた各意見の大勢は、これで十分わかるだろう。

例外的に、明示された4人の裁判員の意見の幅の範囲から逸脱した量刑の主文になるのは、次の場合のみである。
裁判官3人の意見が軽い方に集中したため、重い方から5人の中に裁判官が1人も含まれなかった場合。この場合は、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」67条2項の規定により、表示されていない裁判官3人の内の最も重い1人の意見が主文となる。
例えば、裁判員の意見が、懲役9年、8年、7年、6年、5年、4年、裁判官の意見が3年、2年、1年と分かれた場合は、主文は3年となる。しかし、明示されるのは、裁判員の意見の内、8年、7年、6年、5年、裁判官の意見の内、2年だけである。
しかし、なぜ主文が3年となったのかは、自ずと明らかになる。つまり、裁判官の内で最も重い意見が3年であったことは自動的に判明する。
そして、この場合こそが、意見の内訳を表示することが最も重要な意義をもつケースである。

なお、逆に裁判官3人の意見が重い方に集中した場合は、このように明示された4人の裁判員の意見の幅から主文が逸脱するという現象は生じない。9人の内で重い方から5人目の意見、すなわち、裁判員6人の内で2番目に重い意見、つまり明示された裁判員4人の意見の内で最も重い意見が、主文と一致することになる。

もちろん、実際には、これほど意見が区々に分かれることはないだろうが、いずれにせよ、主文の量刑に、裁判員グループ、裁判官グループのいずれの意見がより大きく影響したかについては、私の(腹案2)の範囲で意見分布を判決理由中で明示しただけでも、十分に判明するはずである。

(チェックメイト)

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有罪か無罪かの意見分布については、私の(腹案1)のような限度において公表したとしても、個々の裁判員や裁判官の意見の秘密は守ることができると証明された。
これは、例えば、有罪を前提とした量刑の評議で、死刑と無期懲役との二者択一となるようなケースでも同様である。

死刑の話が出て来たので、本論からは脱線するが、「死刑に限っては全員一致」を要求すべきだという説が昔から有力に主張されている。
しかし、まず、これまで論じてきたように、そうすると「死刑」判決を言い渡した瞬間に全員の意見が「死刑」であったことが自動的に判明してしまうという問題がある。したがって、評決の秘密は空文化するという点は直視しておくべきだろう。具体的に言えば、死刑反対団体からは全員が激しい非難の的にされるかも知れない。
また、たった1人にしろ、たまたま死刑絶対反対という意見の持ち主が入っていたかどうかという偶然で、死刑の適用が左右されることも想定される。公平を極めて重視する日本国民に耐えられるのか、疑問を禁じ得ない。
「裁判員には死刑の判断は負担が重過ぎるから、対象事件から外してはどうか」という説も含めて、死刑を特別扱いしようとすればするほど、むしろその存廃自体を問題にせざるを得なくなってくるのではなかろうか。

閑話休題。

さて、次の検討課題に移ろう。
量刑で意見が3通り以上に分かれ得る場合には、どう内訳を表示すべきか。

個々人の意見が特定されないようにするという必要条件だけに限れば、実は、二者択一の場合よりも3通り以上に分かれる場合の方が、かえって守りやすいようである。
裁判員6人の意見と裁判官3人の意見がバラバラに分かれた場合は、それぞれ全員の意見を列記しても、どれが誰の意見かは特定されないだろう。

ただし、たまたま全員が同じ量刑意見だった場合は、記載することができなくなってしまう。
また、あまりにもバラバラの意見分布をそのまま羅列すれば、裁判の権威も失墜しかねない。

したがって、裁判員グループ、裁判官グループの、それぞれ中心的な量刑意見を表示するルールにした方が良さそうだ。裁判員の意見と裁判官の意見とを対比して検証するという目的は、それで十分に達するだろう。

では、具体的にはどのように表示すべきか。
思い付きだが、素案を次に示し、その是非の検証は次回に行うこととしたい。

(腹案2)
量刑については、裁判員6人のうち最も重い1人と最も軽い1人を除いた中間の重さの4人の意見と、裁判官3人のうち中間の重さの1人の意見とを、判決理由中に記載して明示することとする。

(チェックメイト)

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私の(腹案1)に対する前回の検討の最後で留保した、残る問題とは、裁判官の側では3人の意見が露見してしまうケースが出現することである。

具体的には、
●○●23
○●○60・50・40
の場合である。
つまり、「主文の有罪は、裁判員の少数意見、裁判官の多数意見であった」と示すと、裁判官は3人とも有罪意見であったことが自動的に判明し、取りも直さず個々の裁判官の有罪意見が判明してしまうという事態が生じてしまう。
同様に、「主文の無罪は、裁判員の少数意見、裁判官の多数意見であった」と示すと、裁判官は3人とも無罪意見であったことが自動的に判明し、取りも直さず個々の裁判官の無罪意見が判明してしまう。

ただし、これは、裁判官の側だけに生じる現象だから、職業裁判官としては受忍すべきであるというふうに、消極的に割り切ることも可能であろう。
さらに進んで、裁判員の多数意見が裁判官の全員一致の意見に阻止されて採用されなかったとの情報は、公開すべき価値が特に高いという理由で、評決の秘密が一部破られるという例外的な現象を、むしろ積極的に正当化する考え方もあり得よう。

けれども、やはり裁判官の個々の意見も絶対に特定されないようにしたいというのであれば、裁判員の意見が3対3に割れた場合(△印)を「同数であった」と表示するのをやめて、主文を基準にして「多数意見ではなかった」という方に分類して表示すればよい。
そうすると、
●△●33・32は●○●と
○△○31・30は○●○と
表示したのと同じことになるので、
●○●23・33・32
○●○60・50・40・31・30
と、場合分けが修正される。
こうすると、裁判官の意見が3対0の全員一致であったと特定される事態も完全に回避できる。

つまり、「主文の有罪は、裁判員の多数意見ではなかったが、裁判官の多数意見であった」と表示すれば、裁判官の有罪意見が3人全員ではなく2人であった可能性も残るから、個々の裁判官の意見は特定されない。
また、「主文の無罪は、裁判員の多数意見ではなかったが、裁判官の多数意見であった」と表示すれば、裁判官の無罪意見が3人全員ではなく2人であった可能性も残るから、個々の裁判官の意見は特定されない。
以上により、私の(腹案1)を採用すれば、「総体としての裁判員の意見がどうであったのかは正確かつ客観的に明示されていること」という点はもとより、裁判員だけでなく、裁判官についても個々の意見が特定されずに済むということが証明された。QED
(チェックメイト)

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ちなみに、従来の裁判官3人による合議制においては、評決の内訳を示すことはできない。
まず、例えば「全員一致で有罪」と言うのは、3人それぞれが有罪の意見だったことを漏らしてしまうことになるから、評決の秘密を守ったことにはならないので、断じて不可である。

つまり、「2対1」だったこと自体は判明してもよいが、「3対0」だったことが判明してはならないのである。
それならば、「2対1」の場合だけ「2対1」だったと表示してもいいのではないかとも考えられるが、もしそうすると、その反面として、表示しなかった場合は「3対0」だったことがバレてしまうので、そういうわけにもいかない。

以上のことを念頭において、同様の問題が生じないかという点に留意しながら、前回提示した下記の「腹案1」が「必要条件」を満たしているかどうか、検証してみよう。

(腹案1)
評決の結果は、判決主文から判明する有罪・無罪に加えて、判決理由中に、評決の内訳を次の限度で記載することにする。
A 主文の結論は、裁判員6人のうちの多数意見(4~6人の意見)であったか否か。
B 主文の結論は、裁判官3人のうちの多数意見(2~3人の意見)であったか否か。

(必要条件)
「個々の裁判員の意見は不明のままになっていること」
「総体としての裁判員の意見がどうであったのかは正確かつ客観的に明示されていること」

(検証)
それでは、数学的に場合分けをして、厳密に検証していこう。

まず、モデルをなるべく単純化するため、有罪●か無罪○かの二者択一のケースで検証する。

裁判員の有罪意見の人数は6から0までの7通り、裁判官の有罪意見の人数は3から0までの4通りである。
したがって、7×4=28通りの場合分けをして、全部並べてみよう。
下記の例えば
60○●○
は、評決が、裁判員が6人とも有罪意見であったのに対し、裁判官は有罪意見が0人(つまり3人とも無罪意見)であった場合である。
この場合、被告人に不利益な有罪意見に裁判官が1人も含まれていないため、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」67条1項の規定により、判決主文は○無罪となるが、裁判員の多数意見は●有罪、裁判官の多数意見は○無罪である。
これを、主文、裁判員の多数意見、裁判官の多数意見の順に、○●○と表示したものである。
私の腹案1によれば、この場合は、判決理由中に、主文の無罪は「裁判員の多数意見ではなかったが、裁判官の多数意見であった」と記載することになる。

なお、裁判員の意見は3対3の同数になることもあり得るので、これはとりあえず△で表示することにする。

評主裁裁
    判判
決文員官
63●●●
62●●●
61●●○
60○●○
53●●●
52●●●
51●●○
50○●○
43●●●
42●●●
41●●○
40○●○
33●△●
32●△●
31○△○
30○△○
23●○●
22○○●
21○○○
20○○○
13○○●
12○○●
11○○○
10○○○
03○○●
02○○●
01○○○
00○○○

以上を逆に、判決の主文と理由中の内訳表示のパターンの側から分類整理すると、次の8通りとなる。
主裁裁
  判判
文員官
●●●63・62・53・52・43・42
●●○61・51・41
●○●23
●△●33・32
○△○31・30
○●○60・50・40
○○●22・13・12・03・02
○○○21・20・11・10・01・00
なお、当然のことながら、
●○○
○●●
●△○
○△●
となる場合は存在し得ない。

上記のように、8通りに集約すると、左側のどの表示からも、裁判員の有罪意見が6又は0のいずれであったと特定されることはないと分かる。したがって、前記の必要条件「個々の裁判員の意見は不明のままになっていること」は満たしている。

しかし、なお問題は残る。
その点は、次回に論じよう。
(チェックメイト)

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それでは、裁判員制度の成果を検証し発展させるために、評議の秘密をどのような方法で一部解除するのが妥当か。
ささやかな私の腹案を順次示していく。

(腹案1)
評決の結果は、判決主文から判明する有罪・無罪に加えて、判決理由中に、評決の内訳を次の限度で記載することにする。
A 主文の結論は、裁判員6人のうちの多数意見(4~6人の意見)であったか否か。
B 主文の結論は、裁判官3人のうちの多数意見(2~3人の意見)であったか否か。

なーんだと言われてしまいそうだが、「コロンブスの卵」の故事もある。
それに、簡単なアイディアのようだが、これでも色々と検討を要する点がある。有罪か無罪かの二者択一なら良いが、意見が3種類以上に分かれ得る量刑については、どう表示するのか。逆に、これ以上に踏み込んだ内訳の表示は不可能なのか、等々。

まずは、先に指摘した必要条件である「個々の裁判員の意見は不明のままになっていること」及び「総体としての裁判員の意見がどうであったのかは正確かつ客観的に明示されていること」を十分に満たしているかという点から、引き続き厳密に検討した上で、私の成案としていきたい。
(チェックメイト)

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裁判員制度が施行された。
ただし、制度設計に対して特にマスメディアからの批判がますます強まっている論点の一つは、評議・評決が全面的に秘密とされていることへの不満である。これではせっかく裁判員が参加したことによる成果が検証不能ではないか、という疑問は至極もっともであろう。

しかし、評議の秘密の解除はそれほど簡単な問題ではない。マスメディアも含めて、そもそも裁判の歴史の中で、評議が秘密とされてきた意義に対する洞察や理解が乏しいように思う。合議体として一つの判決をする以上、個々の意見の相違を昇華した一心同体の判断を示すことも重要なのであって、個々の構成員の意見などは明らかにされない方が一般的には好ましい。これを自由に公表してよいことにすれば、裁判の権威は少なからず失墜するだろうし、個々の裁判員が様々な圧迫や攻撃に晒されることを心配しなければならなくなるだろう。

もっとも、日本の裁判制度の中でも、最高裁だけは唯一の例外として、裁判官が判決に個別の意見を明示している。しかし、これは国民審査の必要性との兼ね合いで要請されているものである。また、最高裁の裁判官の間でも激論が闘わされ、なおかつ意見が分かれるほどの難事件だと天下に明らかにするわけだから、むしろ最高裁判決の権威や納得性を高めている側面もある。しかし、下級審判決について、これと同列には論じられない。

それに、評議の秘密を個々的に漏らすような人が、本当のことを正確かつ誠実に言うとは限らないのではないか。このことを(暗黙にしろ)前提としていない議論をする人たちは、あまりにも人が良すぎると思う。我が身可愛さからの我田引水で評議経過を喋りたくなるのも人情であって、他の人々は秘密を守ってくれるのならば、言った者勝ちのいい子になってしまう危険がある。禁を破って喋った人が本当のことを言っているかどうかは、それこそ検証不能であろう。

さはさりながら、せっかく裁判員が参加した裁判の評決結果が全く不明のブラックボックスというのは、やはり疑問である。法改正を要することになるが、裁判員制度を発展させるためにも、評議の秘密を一部解除する合理的な方法の発明・工夫ができないものか、みんなで知恵を絞りたいものだ。

以上の立場からのアイディアの必要条件は、個々の裁判員の意見は不明のままになるようにしておきながら、なおかつ総体としての裁判員の意見がどうであったのか、ある程度まで明示されるような正確かつ客観的な方法で、評議の秘密を一部解除することである。

全くの思い付きであるが、私の腹案は、次回の投稿で発表したい。
(チェックメイト)

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