日本裁判官ネットワークブログ
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 今月,梶田英雄元裁判官がお亡くなりになられました。高名な石松竹雄弁護士(元裁判官,司法修習2期。司法研修所教官,大阪地裁部総括判事,大阪高裁部総括判事などを歴任。刑事司法について著作が多く,「刑事裁判の空洞化」(1993年,頸草書房)等々があります。)から追悼文のご寄稿をいただきましたので,掲載します。

          梶田英雄さんの逝去を悼む
                           石松竹雄
     
 2009年8月7日梶田英雄さんが不帰の客となられました。大脳皮質基底核変性症という難病に加え、膀胱がんに罹患され、少なからぬ期間の闘病生活を続けられた後、確固とした信念に貫かれ、誠実に歩いてこられた一生を終えられました。享年75歳、現在の平均寿命からみれば、決して長命とはいえないご他界でした。哀悼の念に堪えません。謹んでご冥福をお祈りいたします。ただ、その一生は、決してはなやかではありませんが、この上なく充実したものであり、梶田さんご自身、なすべきことはなし終えたという思いを抱いて、人生を終えられたこととお察しできることが、私どもにとっても心の救いであります。
 往時茫茫としてはっきりしませんが、梶田さんが大阪地家裁に転勤されて来られたのは、昭和38年4月だと思います。その頃から、梶田さんは、高揚期の判事補会活動や青法協活動に尽力され、私は、青法協会員ではありませんでしたが、時に呼ばれて語り合っていた記憶があり、昭和40年4月私が大阪地裁から転出するころには、昵懇の間柄になっていたような気がします。その頃、梶田さんは、私が前に所属していた大阪地裁の吉益裁判長の部の右賠席裁判官となり、数々の名判決を残されました。 
 その後、梶田さんは、柳川支部勤務を経て、昭和45年4月再び大阪地家裁勤務となられました。その頃から、司法部は、宮本再任拒否事件などの諸問題に象徴される裁判官の身分保障への攻撃、司法権の独立の侵害、それに加えて、刑事裁判におけるいわゆる荒れる法廷に対する対処など、司法の危機と呼ばれる時代を迎えました。この間にあって、梶田さんは、日本国憲法の定める基本的人権を擁護し、司法権の独立を守る精神に徹し、青法協活動・裁判官懇話会活動の推進者・実践者として目覚ましい働きをしてまいりました。その結果、梶田さんは、当時の反動的司法行政当局によって甚だしく憎まれるところとなり、昭和48年4月からの佐賀地家裁の勤務を経て、津山支部、彦根支部、大津地家裁、大阪家裁、大阪高裁(陪席裁判官)という経路を辿り、司法部内に流行している俗的評価に従えば、甚だしい冷遇を受けて定年退官を迎えられました。しかし、その間、梶田さんは、少しも動揺することなく、本来の裁判事務において優れた業績を残されるとともに、与えられた条件のもとで、裁判官の組織的活動を含む裁判所の民主化のため精力的な努力を続けられました。そのいぶし銀のような業績は、必ず後輩裁判官によって受け継がれることを、私は信じて疑いません。
 また、退官後は、当番弁護士や国選弁護人の仕事を含め、刑事弁護人として被告人の権利の擁護に精力的に取り組まれました。私も2件ばかり、梶田さんを含む大勢の弁護士と共同弁護に当たりましたが、その冷静で的確な指摘は、それぞれの事件の弁護活動の進展に大きな力となったことでした。
 これまであまり意識したことはありませんでしたが、梶田さんは私と同じ九州の出身のようです。私の卒業した九州の旧制高等学校の校風は、「剛毅木訥は、仁に近し」でありました。剛毅は、必ずしも猛々しいことを意味する言葉ではありません。この句の意味は、同じく論語の中の「巧言令色は、鮮(すく)ないかな仁」と対比すれば明白であります。存命中およそ巧言令色と無縁であった梶田さんは、今浄土で、全く憂いも悔いもない心境でおられることでしょう。合掌


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 裁判所時報(最高裁事務総局発行の裁判所職員向け情報誌)第1488号(21年8月15日号)に,司法統計から見た平成20年の民事・刑事事件概況が報じられています(家事・少年事件については1486号)。
 平成20年には,刑事事件,少年事件,破産事件の新受件数は,平成16年からの減少傾向が続いており,強制執行事件は若干の増加に転じただけであるのに,民事の訴訟事件は,平成16年以来,激増を続けており,折れ線グラフの角度は60度を超える上り勾配です(家事事件の新受件数は,平成2年以後,約45度の上り勾配で増加中)。数字で示すと,地裁の民事訴訟の新受は,平成16年に14万件であったのが,平成20年に20万件(43%増)となり,簡裁の民事訴訟の新受は,平成16年に35万件であったのが,平成20年に55万件(57%増)となっています。
 長引く不況による企業活動の混迷,国民生活の困窮を見事に反映しているといえますが,平成21年に入ってもその傾向は止むことを知らず,私の所属する簡易裁判所の訴訟事件の新受は,今年の6月末時点で4000件に達し,去年の同時点では3000件だったので,33%の増加です。貸金・立替金業者の庶民に対する請求事件及び庶民のサラ金業者に対する過払金返還請求事件が増えているからです。
 ちなみに,最近,私が受けた1ヶ月の新受事件は約180件で,その内80件が貸金・立替金業者が起こした事件,80件が庶民の過払金返還請求事件,残りの20件が通常の市民型事件です。
 貸金・立替金業者の事件では,被告(庶民)の家計の窮状のため,分割払の和解ができない事件が多くなっています。過払金返還請求事件も,サラ金業者の財務状態が苦しいようで,和解が出来にくくなっており,毎週,過払金事件だけでも判決を5~6件書いている状態です。この状態が何時まで続くのか暗たんたる思いです。(瑞月)


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1 2週間前に,産休中の事務員が無事出産した。嬉しいことである。無事に生まれるだろうとは思っていたが,生まれるまでは心配した。私たち夫婦と事務員2人の4人でお見舞いと称して赤ちゃんを見に行った。二重瞼風の可愛い女の子で,もう髪の毛が黒く,指がスラッとしている。順番にみんなで抱っこをさせてもらった。ふざけて「おじいちゃんですよ。」と言うと,その事務員が笑いながら,「3人目のおじいちゃんですね。」と言った。もう20年以上も前に,わが子2人を抱いた記憶がかすかに蘇った。この子を預ける乳児保育園は,事務所から50メートルの所にあり,とても便利である。1年もしないうちに,この子が笑い声をあげながら,わが事務所をヨチヨチ歩き回っているに違いない。

2 彼女が勤務していた法律事務所の元裁判官であった弁護士が,定期の健康診断でガンであることが判明し,別の事務所で客員弁護士的立場にいた私が,応援のためにその事務所に移転し,彼女と知り合ったものである。その後半年余りでその弁護士が逝去され,私は彼女と2人でいろいろと大変な思いをした。事件に関しては彼女の方が詳しいことも多く,きっと彼女の方が精神的に大変だったと思う。

3 その後,近くに新しい事務所ビルが建築されたので,そこに移転し,妻の帰郷に備えた。しかし事務員は彼女1人のままで経過した。彼女の仕事は大変であったと思うが,還暦近くまで裁判官であった私が,事務員を2人に増やす余力はなく,彼女の苦労の日々が続いたのである。

4 昨年3月末に,待望していた5年間の仕事上の別居が解消し,妻が裁判官を退職して帰郷した。弁護士登録の審査が少し遅れ,妻は最初の4か月間は専業として法科大学院の教授を,5か月目からは弁護士登録もできて,超多忙になった。この時点で初めて本気で事務員の増員を考えることになったのである。

5 そして昨年9月中旬ころ,大学法学部の学生で,ほぼ卒業に必要な単位を取得済みで,卒業後は法律事務所に勤務することを希望している女子学生が見つかった。そして卒業まではアルバイトとして,卒業後は正規事務員として働いてもらうことが決まった。このたびお母さんになった事務員は,おそらくこれまで自分が頑張らねばと張りつめた気持ちでいたに違いないが,ホッとしたと思われる。それから間もなく彼女が妊娠した。妻から,彼女はこれまで妊娠したくても妊娠するわけにはいかなかったのではないか,それは私のせいであると非難され,私も率直にそれを認めた。

6 法律事務所の女性事務員は,妊娠して出産が近くなると退職することになる例が多いようである。身分保障が不十分なのである。このたび主として妻が,女性事務員が出産して退職しなければならないのであれば,その立場は甚だ不安定で,女性がもっと安心して働ける職場でなければならないという持論を展開した。私も同感であったために,彼女との雇用契約は継続し,産休後復帰することになった。社会保険労務士にも相談して,各種社会保険等への加入手続きを取った。産休期間中の給与も一定割合が保障されることになる。

7 彼女の産休中に事務員が1人では仕事が処理できないので,事務員をもう1人増やすことになった。幸い同じ法律事務所で彼女の前任者であった女性が,出産と子育てが一段落し,仕事を探していることが判明して,タイミングよく来てくれることになった。

8 かくして,わが事務所には産休中の事務員の他に2人の事務員がいることになった。働きやすい職場にするためには,われわれ夫婦が頑張って経済的に安定した基盤を確立することが不可欠であり,これからが正念場ということになるだろう。頑張らねばならない。

9 そうしているうちに,結婚している共働きの長女の妊娠の報告が届いた。いよいよ本物の「おじいちゃん」になることになった。この夏は飼い猫の死という悲しい出来事もあったが,嬉しいことも続いている。人生とはそういうものなのであろう。(ムサシ)


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遅くなりましたが,HPの8月号がアップしました。内容はとても充実していると思います。

メンバーだった伊東さんの退官記念講演録(抄)は力の入ったものですし,平賀書簡事件が起きた際の,守屋さんの裏話の紹介などは,へーと声を出してしまいそうです。ミドリガメさんの裁判員裁判への感想や,評判のよい労働審判制度をさらに発展させるための高木さんの提案(調停官(非常勤裁判官)の活用)など盛りだくさんです。他にも,玉稿が並んでいます。

知り合いの方に是非紹介して下さい。アドレスは,http://www.j-j-n.com/です。



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1 以前何回か,わがやに数名の友人を招いて,1泊でテニス合宿をしたことがあったが,暫く中断していた。今年久しぶりにそのテニス合宿が復活した。8月のある土曜の午後テニスコートに集合して3時間テニスをした。夜は宅配の握り寿司などで飲酒歓談し,大いに盛り上がった。テニスをしない友人も懇親会に参加した。翌朝は,かねてその時に備えて研究してきた自信作の私の自作のソーメンのつゆと,木箱に入った少し高い古ソーメンを使って,私が茹でたソーメンを食べたのである。とても好評だったので安心した。「わがB級グルメ道」が役に立った場面である。翌日の日曜のテニスは,1か月前の予約時に予約が殺到したため,3時間のうち1時間だけクレーコートの予約になっていたが,夜間の雨で濡れたクレーコートが使用禁止となり,オムニコートで2時間だけテニスをした。

2 テニスでは,私と妻は殆ど休憩することなく出場した。2人ともそれだけの体力があったということである。友人たちは適宜交替して休憩していた。これは夫婦で行なっている週1テニスの練習と犬の散歩(ジョギング付き)のお陰である。テニスも結構楽しかった。テニス終了後,かねて予約しておいた駅の近くの安い中華料理店で,打ち上げの懇親会(昼食会)をした。生ビールの大ジョッキを何杯もお代わりした。とても楽しいテニス合宿であった。来年は伊豆半島で,友人の別荘に1泊してテニス合宿をすることになった。今から楽しみである。既にこれまで数回伊豆でもテニス合宿を行なってきたが,今後は場所を1年交替にして,年を取っても粘って継続しようということになった。ますます腕を上げておくことにしよう。わがテニスの腕前は,今がわが人生で最も上手くなっているような気がする。「老いてますます盛ん」ということになろうか。毎週1回,土か日に,妻と2人で1時間半程度テニスの練習をするのがこの上ない楽しみとなっており,ストレス解消に役立っている。後期高齢者になるまでは(なってからも)テニスを続ける決意である。テニスができるということは若さと健康の証でもある。

3 今年はテレビでもよく世界のテニスの試合を見たし,DVDに録画もした。7月初旬のウインブルドンテニスの男子シングルスの決勝の試合を見てとても感動した。世界NO1のスペインのナダルが膝痛で欠場し,NO2のスイスのフェデラーが優勝したが,アメリカのロディックが驚くべき大変身を遂げていたのである。ロディックは世界1桁の順位であり,世界最速のサーブの持ち主であるのに,これまで試合になると淡泊で,勝負に弱かったのであるが,この1年で別人のように進化していた。コーチが代わったお陰のようである。まず体重を確か10キロ落としたようだ。脚力も鍛え,徹底して粘り強いミスの少ないテニスに変身していた。特に精神力が強くなったとの解説である。決勝戦は,ロディックが押し気味に2セットオールとなり,最終セットは短縮方式のタイブレークではなく,正式に2ゲームアップまでデュースを繰り返した。両者ともミスがないので,どちらが勝つかも分からないし,いつ試合が終了するのだろうかと心配もした。私も翌日は仕事日だったのである。結局録画もしたのに,途中で寝ることができず,最後まで見てしまった。4時間16分という歴史に残る死闘の末,第5セット第30ゲームで,ロディックのたった1球の致命的ミスで,16対14でフェデラーが勝った。

4 世界の男子の試合を見ても技術的には余り参考にならないと言われる。まるで完璧なテニスロボット同志の試合を見ているような気分で,単に「すごいな」と感心するだけである。しかしいかなる場合でも決して諦めないという精神面ではとても参考になるし,ロディックが驚くべき大変身を遂げたと知って,自分が案外軽薄な人間であることを証明することにもなるのであるが,「見ておれ!俺も」と思うのである。人間は元気であれば,死ぬまで変化し,進歩できる存在であることを,ロディックは証明してみせたのではあるまか。そして私も刺激を受けて,テニスの腕前はともかくとして,人間が死ぬまで変化し得る存在であることの証明者の1人に加わろうと思ったりするのである。

5 それにしても錦織圭(にしこりけい)の欠場は心配である。大活躍を始めて間がないというのに,平成21年の全豪は1回戦で敗退,その後肘痛で,全仏,全英に続いて,近く始まる全米テニスも欠場するようである。ゴルフでは17歳の石川遼が大活躍しているが,テニスでは19歳の錦織が稀に見る逸材として才能を評価されている。期待できる若者が2人同時期に現れたということである。錦織は右肘の疲労骨折ということなので,練習のし過ぎなのであろうか。その後右肘関節の軟骨損傷が発見され,手術による治療をしたという説もある。無理はしてほしくないが,是非来年はこれらの若者達の大活躍の年にしてほしいものである。そうなると,何かと暗い世相が一変して明るくなりそうであるし,「軽薄な」人間である私は,その影響をモロに受けて,一層テニスを(ついでに仕事も減量も水泳も)もっと頑張ってやろうと思うに違いない。そしてそれは決して悪いことではないと思うのである。(ムサシ)

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 6月29日欄で紹介した吉田久裁判長のドラマが本日あります。午後9時からNHK(http://www.nhk.or.jp/nagoya/kikotsu/yoshuu/index.html)
です。是非ご覧下さい。戦時中の翼賛選挙を無効にし,東條英機首相と争ったとして最近有名になった裁判長に関しての,同名の原作のドラマ化です。上記原作の著者は,上記NHKのHPで,「取材から見えてきたのは、吉田たちが社会や業界の「常識」に流されることなく、一般の倫理観を保ち続けることができた、ごく普通の人だったということでした。私はそんな彼らの姿を、普遍的な職業人の物語としてまとめたつもりでした。」と述べています。スーパーマンではなく,普遍的な職業人の姿というところに興味がわきます。ご覧になられた方は,感想など是非お寄せ下さい。(瑞祥)




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1 先日わが家の飼猫の「ウリ」が死んだ。14歳であった。老衰とこの夏の異状な暑さに負けたのだと思われる。それまでまあまあ元気そうにしていたので,こんなにあっけない別れの時が来るとは予期していなかった。死ぬ10日くらい前から,しきりに横になっていた。おかしいとは思ったが,餌もよく食べていたし,いつものように体をすり寄せて来ては,お気に入りの耳を引っ張ったり,頭や喉をさするようにせがんだりしていたので,まだ元気だろうと思っていた。

2 死の前日の朝,私が犬の散歩から帰って,犬を庭に放して間もなく,突如庭の奥で騒ぎが起きた。急いで行ってみると,ウリは冷たい土の上に寝そべったままで,ウリと仲のよくない飼犬の「ムサシ」が,ウリに向かって吠えているのに,ウリは動こうとせず,牙をむき出して,うなり声で対抗していたのである。犬が噛みつくと大変なことになりそうだが,ウリはもはや走って逃げる体力がなかったのであろう。

3 私が犬を追いやって,ウリを抱いて玄関に連れて入ると,ウリはユックリ歩いて,客間の廊下に横になった。間もなく私は外出しなければならないし,妻は既に外出していたので,私は餌や水の容器や猫用のトイレなどを,ウリの近くに移動し,少し頭をなでてやったりしたが,フト思いついてウリの写真を何枚も撮影した。

4 ウリはその日の夜はまだ元気で,2階のベランダの冷たいタイルの上を時々移動しながら過ごしていた。よく晴れた満月の夜で,夫婦で「ウリは一晩月見をするのかも知れないね。」などと話した。

5 翌朝もまだ元気で,ウリは時々起き出してノロノロと移動して,別の場所に横になっていた。おそらく体温で床が暖かくなるので,冷たい場所へ移動しているのだろうと思った。

6 その日の夜,私が10時ころ帰宅すると,ウリは居間の板の床に横たわっていた。私が「ウリ元気か。」と声をかけると,目を大きく開いたまま,小さな声で「ニャー」と鳴いた。暫く頭や喉をなでてやったが,それから暫くして小さく体を痙攣させた。そこへ妻が帰宅したので,状況を説明して,「もうダメかも知れないよ。」と言うと,妻は「ウリ!」と声をかけた後は無言のまま長時間,耳を引っ張ってやったり,頭や喉や体中をさすってやっていた。妻は泣いていたのだと思う。途中1度だけウリは,「ニャー」と鳴いた。そして動かなくなった。普段薄いピンク色の鼻や足の裏が,白く変色していた。

7 こうしてウリは死んでしまった。普通,猫は死の直前に姿を隠すと言われているが,ウリは我々夫婦の帰宅を待っていたかのようであった。バスタオルで包んでやり,大き目の紙の箱に入れて,蓋をしないで,一晩客間に安置した。安らかな死であった。

8 翌日は土曜日であったが,市役所に電話して事情を話すと,午前中に手続きをすれば今日火葬できると言う。当直の職員が有料の許可書を発行してくれ,火葬場で荼毘(だび)に付し,骨を少しもらってきた。そして庭のキンモクセイの根元に埋葬してやった。2人の子供にも顛末を電話で伝えた。悲しそうにしていた。今から13年ほど前に,子犬をオートバイ事故で失ったときも,同じように火葬にして,骨を庭に埋めてやったことを思い出した。

9 私の帰宅後いつも側にやってきて,私に頭をすり付けて,耳を引っ張ったり,頭や喉をさするようせがんで甘えたウリの姿をもう見ることはできなくなった。平成7年5月に,借家して間もないわが家の軒下に1週間粘って,わが家の住人になったウリは,果たして幸せな猫の生涯を過ごしたと言えるのだろうか。飼猫が死んだからといって,大騒ぎするようなことではないが,人生にはジッと耐えるしかない悲しみがあることを改めて思い知ることになった。

10 わがやは,子供2人は独立し,夫婦だけの生活である。もう子猫を飼うのは無理だろう。私は今飼っている犬の「ムサシ」が,いつまでも元気に生きるような気で生活しているが,考えを改めることにした。毎朝犬と30分散歩しているが,この散歩は私の健康に不可欠となっている。また毎晩犬とボール遊びをして遊んでいるが,これらがいつまでも続くわけではないことをウリは教えてくれた。私は,これまでごく当たり前のこととして,漫然と犬や猫との時間を過ごしてきたが,これからはもっと大切な時間として,犬との触れ合いの時間を噛みしめて生きてゆきたいと思ったのである。家族や兄弟や親戚の者との関係についても,同様のことが言えるのかも知れない。(ムサシ)



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 いよいよ裁判員裁判が始まりましたね。思いつくままに感想を述べてみます。

○ 上々の滑り出しでよかったですね。

 第1に,傍聴希望者が沢山来てくれたこと。関心の高さを示しています。法廷の傍聴席が狭く,せっかくきてくれたのに傍聴できなかった人が気の毒でした。
 第2に,裁判員候補者の出席率が大変良かったこと。覚悟を決めて休暇を取ってきてくれて,選任されないで帰る人のことももっと考えなければいけませんね。
 第3に,抽選とは思えないほどに裁判員及び補充員のレベルが高かったこと。模擬裁判で裁判員を頼んでもこれほどの人がそろうだろうかと思うほどでした。日本国民のレベルが高いと言うことでしょうね。
 第4に,裁判員経験者の記者会見での発言もまじめなものだったこと。補充員から裁判員になられた方も渋くてよかったですね。案の定記者会見のアンコールまでされていましたが,こういう人生経験豊かな方でなければ,この事件の被告人の酌むべき点を見出すことは難しいかも知れませんね。
 第5に,女性裁判官の存在も光りましたね。女性裁判員が雰囲気に早く打ち解けるのに大変役に立ったようでした。これからもできるだけ女性裁判官を一人構成に入れるようにしたいですね。
 いずれにしても,良いことがそろって,願ってもない第1回の裁判員裁判ができ,この制度にとっては素晴らしい出発になりました。

○ 第1回の裁判員裁判の初日に合わせて裁判員制度反対のデモもありましたが,判決後に反対者の立場からのコメントが報道されなかったことと,裁判員の記者会見で反対されている理由について感想が聞かれなかったことが残念でした。

○ 一つ気になったのは,抽選の結果裁判員の男女比が1対5とアンバランスが余りにもひどかったことです。今回は被告人が男性,被害者が女性でしたので,被告人も男女差が気になったのではないかな。もしかしたら,そのことが被告人の言い分が聞いてもらえず,刑が重かったことにも影響があったと考えたのではないかとも想像します。
 事件によっては,今回と逆に男性優位になって公平でないと見られることもあるのではないでしょうか。いっそ男女3対3になるように抽選することも考えられますが,裁判官も含めた男女比率も問題になるのでそう簡単ではありません。何かアンバランスを解消する工夫がないものでしょうか。立法論ですが,まず,男女の比率だけを表示して,裁判官も含めて男女のアンバランスが著しい場合は,被告人・弁護人,あるいは検察官から,これでは被告人に不利益な判断が出るおそれがある,あるいは公平な裁判ができないおそれがあるという異議を出してもらい抽選をやり直すことも考えて良いかも知れませんね。


裁判員裁判と量刑問題
とくに検察官の求刑をどう考えるか。

○ 第1回の裁判員裁判の報道を見て,私が気になった一番大きな問題は量刑です。裁判体の構成がその事件によって全く違う以上,個別の事件で重いとか軽いとかが生じるのは想定の範囲内です。私が考えている問題は,もう一歩踏み込んだ「検察官の求刑の機能」のことです。

 これから述べることは,私の独自の意見で皆さんにそうではないと叱られるかも知れませんが,従来,検察官の求刑というのは国家の訴追機関である検察庁の意見としての重みを持っていたということです。法定刑,従来の同種事件の量刑の実情,さらにその種の犯罪の動向,国民感情なども加味するかも知れませんが,これらを踏まえて検察組織としての求刑基準に従って求刑意見が形成され,上司の決裁を受けているのです。したがって,被害者の代理人の意見とは全く重みが違うということです。

 私の経験から言うと,これ自体犯罪の性質及び態様を中心としてかなり類型的に形成されていると感じられるもので,被告人の側の事情は余り酌まれていないので,私はおそらく最大限に見積もってこれくらいという趣旨の意見だと思っています。検察官の提示した公訴事実がそのとおり認定された場合であっても,裁判所は被告人に有利な様々な事情を十分に取り入れて量刑をするので,実際の宣告刑は大なり小なり求刑を下回ったものになる必然性があるのです。現実の量刑は求刑の8掛けとか7掛けとか揶揄されていますが,検察官の求刑はある意味で上限を提示し,宇宙のように広いわが刑事法の法定刑の中で量刑のアンバランスを防ぐための大きな役割も果たしていたと思うのです。そのような意味では,刑事裁判実務において検察官の求刑は尊重されてきたといえるでしょう。たまに求刑どおりあるいはこれを上回る実刑判決があると,これ自体なんら違法でないにもかかわらず,検察官は驚いて,裁判官が変わっているのか(半分冗談です。),求刑が軽かったのだろうかと部内で真剣に検討するということを,噂ですが,聞いたことがあります。

 ところで,東京地裁で行われた第1回の裁判員裁判では,検察官は懲役16年の求刑をし,判決では懲役15年が宣告されました。おそらく大方の実務家や法学者は「重い」と思ったでしょう。法廷を傍聴していない私にはその是非は論じられませんが,感覚的には重いと思いました。ただ,被告人には余りよい情状はなかったかもしれないけれども,昔から「泥棒にも3分の理」といいます。どんな被告人にも何か有利に酌むべき点はあるものです。従来求刑から2,3割は減らす刑が多いと言われるのはそういうことだと思います。私は,裁判員は検察官の求刑をどう考えたのかな,裁判長はどう説明したのかな,ということが気にかかりました。しかし,もし,裁判員において上記のような求刑の役割について理解がなかったとすれば,さらに本件では被害者代理人の女性弁護士が懲役20年の意見を述べているのですから,これを平気で16年以上の意見が出されたのではないかと想像するのです(あてになりませんが。)。検事OBのコメンテーターとしても有名な方が,裁判員裁判では,情状が悪いときは従来よりも重く,情状が良いときはより従来よりも軽くなる可能性がある,量刑のばらつきが大きくなるだろうとしながらも肯定的な感想を述べていました。この問題は,被害者参加の新制度と共に刑を重くする要素となる大きな問題点ではないかと考えるのですが,みなさんはいかがでしょうか。(ミドリガメ)


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東京地裁の第1回裁判員裁判が終わりました。
予想されたこととはいえ,マスコミの過熱ぶりはあきれるほどで,裁判員の服装から目線まで報道するのにはびっくりするとともに,裁判員の方が気の毒になりました。

もっとも,刑事裁判の結論ではなく,その過程にこれほどまでに関心が集まるということはこれまでにないことで,裁判員裁判制度の特色をあらわしているともいえます。

供述調書も使われたようですが,あくまで脇役で公判廷でのやりとりが中心であったからこそ,裁判員も傍聴者も身を乗り出して聞いたのだと思います。

呼び出しを受けた裁判員候補者は,賛成反対を問わずほとんど出席し,抽選に当たった裁判員の方が緊張の中,懸命に的確な質問をしている姿をみると,日本のこれまでの経済発展をささえた日本人のきまじめさを痛感しました。

懲役15年が重いのではと心配する実務家が多いようですが,私は必ずしもそう思いません。判決要旨を読むと,犯行後の態様がひどく一般の人の反発を買うのもやむを得ない事例だと感じました。

ただ,判決理由でもう少し弁護側の主張を排斥した理由を記載して欲しかったこととある補充裁判員の方が述懐していましたように,弁護側の求刑をした方が量刑の議論が活発化してよかったのではという感想も持ちました。

                   さいたま地裁も注視する「花ジュニア」



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1 最近の道路交通法の改正で,原則として自転車が歩道ではなく車道を走行することになった。歩行者の保護のために,自転車が歩道を走行しないことになったものである。
通行区分として,道路交通法17条1項で,「車両は,歩道又は路側帯と車道の区別のある道路においては,車道を通行しなければならない。」と規定され,この「車両」は,軽車両である自転車を含むものである。また第17条の2第1項で,「軽車両は,・・・著しく歩行者の通行を妨げることになる場合を除き,路側帯を通行することができる。」としている。また第18条1項で,「・・・軽車両にあっては道路の左側端に寄って・・・当該道路を通行しなければならない。」と左側通行を規定している(最もこのたびの法改正で,どの条文がどのように改正されたかについては,まだ正確に把握できていないのではあるが。)。

2 しかし車を運転する者の立場からは,自転車が車道を走行することになったことにより,甚だ交通事故の危険が増加したのではないかと心配である。自転車の被害者が著しく増加したという事実はないのであろうか。

3 顕著に感じるのは,自転車が右側通行しているのを目撃することが増えたことである。これは甚だ危険であり,常識に欠けた行為であると思う。大通りの右側通行は余り見かけないが,片側一車線程度の狭い道路では,右側通行している自転車は決して少なくない。車の運転者から見ると,全く予期せぬ所を自転車が走行することになり,甚だ危険に感じるのである。

4 また夜間前照灯を点灯していない自転車が多く,甚だ危険に感じる。道路交通法52条1項は,「車両は,夜間(日没時から日出時までをいう。)道路にあるときは,・・・前照灯・・・その他の灯火をつけなければならない。」と規定している。ざっとした感じでは,夜間走行している自転車の8割は無灯火ではないかと思う。おそらく発電機を回すと足への負担が増え,疲れるという理由なのであろう。
 しかし夜間には自転車の前照灯は点灯すべきである。これは前方を照らすことにより,自転車の運転者が進行方向の安全を確認するという意味も大きいが,それよりもその場所を自転車が走行していることを他人に認識させることで,危険を回避できるという効果が大きいのである。つまり自動車の運転者や自転車や徒歩による他の通行人に対して,自転車の存在を知らせる意味があり,これにより様々な危険を回避できるのである。

5 夜間前照灯を点灯していなかった自転車が歩行者に衝突し,歩行者が転倒して運悪く縁石などで頭部を強打し,死亡するという事故も決して少なくない。その様な場合に,自転車が前照灯を点灯していたかどうかが問題となり,自転車の過失割合を大きく認定される根拠になるのである。

6 夜間前照灯を点灯しない自転車運転者は,発電機を回転させることによる運動量の増加を避けて楽をしようと考えているに違いない。しかしそう考えるのではなく,発電による運動量の増加は顕著に健康にプラスになると考えるべである。そもそも自転車に乗ること自体は,歩くのと同様に,甚だ優れた健康法であるが,夜間自転車の前照灯を点灯することで,自然に交通事故の危険を回避できるし,健康にも一層プラスになるのであるから,一石二鳥であり,発想を転換することで,夜間自転車に乗ることが甚だ楽しくなることは間違いない。ついでに夜間カラオケの練習をしながら自転車に乗ると,歌うことによるエネルギー消費も加わって,甚だ健康によいという説もある。しかし夜間,放歌高吟するうるさい自転車が増えるのも迷惑な話であろうから,鼻歌程度がよいかも知れない。かつて「ビリーズブートキャンプ」がブームになったこともあることからすると,「夜間自転車健康法(鼻歌・ライト付)」がブームになる可能性が全くないとはいえまい。「暇な夜は30分,鼻歌を歌いながら,ライトを点灯して自転車に乗ろう。」という新式健康法は,交通事故の増加につながりそうでもあるので,警察からはクレームがつきそうであるし,これがブームにならないだろうかと心配するのは,単なる「真夏の夜の夢」に過ぎないように思われる。

7 自転車が歩道ではなく,車道を走行することになった結果,自転車運転者の交通事故被害が増えたかどうか,いずれ遠からず報告される日が来るだろう。私はきっと大幅に自転車の交通事故が増加しているに違いないと思っている。

8 道路交通法に違反して,自転車の右側通行や夜間無灯火通行が横行している現状からみると,自らの危険を自分で守るという国民の自覚と,遵法意識もまだまだ不十分ということであろう。(ムサシ)


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裁判員制度の下で、初の裁判が終わった。
審理経過で細かい改善点はいくつか見えてきたが、第1号としては大成功だったと思う。裁判員の皆さんの労をねぎらいたい。

さて、今回の事案で最も知りたいのは、やはり評決の内訳である。
結論しか判らない制度になっているのだが、全員一致ではなく評決(多数決)をとったとすれば、裁判員と裁判官の意見分布の大勢はどうだったのだろうか。
判決主文の懲役15年は、刑事裁判の従来の量刑相場からはやや重いと受け止められているようだ。
ならば、裁判員、裁判官のいずれかの意見が結論に大きく影響したのかどうか、ぜひ知りたいところである。

おそらく、今回はさほど大きな意見の開きは無かったのではないかと推測する。しかし、理論上は、同じ懲役15年でも次のような両極端のケースも考えられる。

A 裁判員6人がそれぞれ、20年、19年、18年、17年、16年、15年を、裁判官3人がそれぞれ、15年、14年、13年を主張した結果、裁判官の中で最も重い15年になった。

B 裁判官3人がそれぞれ、20年、19年、18年を、裁判員6人がそれぞれ、16年、15年、14年、13年、12年、11年を主張した結果、全体で重い方から5人目の15年となった。

Aは裁判官によって極端な厳罰化が阻まれ、Bは裁判員によって極端な厳罰化が阻まれた、というように見られるだろう。

これまで連載してきた私のアイディアによると、判決理由中に次のようにそれぞれの中間的意見を表示することになる。
A 裁判員の中間4人は、19年、18年、17年、16年、裁判官の中間は、14年であった。
(この場合は、裁判官の中で最も重い意見が主文の15年だったことも自動的に判明する)

B 裁判員の中間4人は、15年、14年、13年、12年、裁判官の中間は、19年であった。
(この場合は、残りの裁判官2人の意見がそれぞれ、19年以上と、15年以上19年以下だったことも、理論上判明する)

(チェックメイト)

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東京の裁判員裁判がスタートして,マスコミの報道も過熱化している様子ですね。
どういう展開になるのか目が離せない感じです。
担当裁判官のご苦労も大変なものがあると想像します。

ところで,私もすでに殺人事件を国選で受任し,9月から公判前整理手続きが始まります。

弁護人の複数選任もあっさり許可され,さらに若手弁護士をパソコン関係の補助者として弁護人席に座らせて欲しい,との上申もしております。

まだ記録の謄写ができていないため,本格的な検討はこれからですが,殺意や責任能力を争うことになるかも,と感じています。

被告人を弁護人の隣にとか手錠の事前解錠とか,これまで実現不可能と思われた改善が次々となされているところに,裁判員裁判実施のパワーを見せつけられる思いです。

弁護士としても,裁判員裁判の定着のために責任ある行動をとらなければと,肝に銘じているところです。

                            「花ジュニア」

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 今日からいよいよ始まりましたね。NHKで,「同時進行裁判員裁判」と題する番組が1,2時間おきにあったようですが,私は仕事で残念ながら見ることができませんでした。でも,こんな番組が1日組まれるのは,選挙か大事件のときだけでしょうね。
 後で,各社の報道を見ると,今日1日だけでもいろいろあったようです。49人の人に呼出しをしたら47人が出席したこと(予想以上の出席率ではないでしょうか。),被告人の手錠姿などは裁判員に見せなかったこと,被告人が弁護人の横に座ったこと(従来は弁護人の前か,弁護人から離れて,傍聴席の前でした。),当該事件は自白事件ながら,目撃者の証人尋問があったこと(自白事件なら,従来弁護人の対応により調書で済ますことも多かったのではないでしょうか。),立証過程で,大型モニターには殺害された被害者の傷口がコンピューターグラフィックのイラストとして映し出され,検察側はモニターに沿って致命傷になった胸や背中の傷について説明を加えたこと,検察官は遺体の写真説明も行ったこと,裁判員に選ばれなかった候補者の方々の記者会見があったことなど,なかなか興味深いものでした。裁判員の方々には,辛い場面もあったとは思いますが,刑事裁判を主宰したことのある人間からすると,いよいよ刑事裁判が変わっていくという実感を持たざるを得ませんでした。
 私は,たまたま,今日所属裁判所で,検察審査員の方に宣誓をしてもらう行事がありました。裁判員裁判が初めて行われる日ですから,裁判員裁判の意義をお話ししながら,検察審査会の意義や権限強化のお話をしました。司法に民意を反映させる新制度の第1日目に,所属裁判所で同じ趣旨の制度のお話ができることに,身が引き締まる思いがしたものです。
 皆さんは,今日の裁判員裁判実施についてどのような感想を持たれたでしょうか。反対だったり,複雑な感想を持たれた方もおられるかもしれませんね。今後数多くの事件が審理されますので,今日や明日以後の感想など,どしどしこのブログにコメントをお寄せして下さい。私たちも,コメントから学ぶことがあり,今後どこかでコメントを生かせる場面があるかもしれません。宜しくお願いします。


 

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1 平成19年9月施行の改正道路交通法で,飲酒運転に対する取締りが厳しくなり,交通事故による被害者の死亡事故が顕著に減少しているようで,結構なことである。飲酒運転をした本人だけではなく,同乗者など周辺の関係者も処罰されるなど,道路交通法65条で酒気帯び運転の禁止に関する各種の規定が定められた。

2 禁止されているのは,飲酒運転をするおそれのある人に車両を提供すること(65条2項),そのおそれのある人に酒類を提供したり,飲酒をすすめること(同条3項),飲酒運転車両に同乗すること(同条4項)などである。

3 ところで先日弁護士会の法律相談で,客が車で来店していることを知りながら,食堂の経営者が客の注文を受けてビールを提供したことにより,確か罰金30万円の処罰を受けたばかりではなく,食堂の経営者本人の運転免許が取り消され,その取消期間が1年間となったという。そして車が運転できなくなり,食堂経営に必要な物資の運搬ができず,食堂の経営が困難となって困っているが,何とかならないかという相談を受けた。

4 私も,食堂の経営者が客に酒類を提供すると,場合によっては,刑事処罰を受けることになることは承知していたが,酒類を提供した者自身の運転免許が取り消されることになることは知らなかったため,「そんなことは聞いたことがないので,調べてあとで連絡する。」と答えて,調べたのである。

5 まずインターネットで調べると,同様な場面で食堂経営者の運転免許が取り消されたケースは珍しくないようで,取消期間も1年とは限らず,2年というケースもある。私はすっかり驚いてしまった。刑事の処罰は納得できるところではあるが,運転免許の取り消しは,たちどころに食堂経営に顕著な困難をもたらすおそれがあることになる。悪いのは飲酒運転する本人であるのだから,このような免許取消が必要かどうか,直ちには理解が困難であった。このような免許取消を知っているかについて,弁護士仲間に聞いてみると,知らない人が多いようである。

6 結論としては,飲酒運転に係る車両等提供,酒類提供,同乗などをした者は,刑事処罰を受けるだけではなく,自らも運転免許取消・停止の行政処分を受けることになっているので,要注意ということになる。(ムサシ)


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