日本裁判官ネットワークブログ
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     最近,といっても本年1月27日と6月5日のことですが,大阪地裁でGPS捜査について,前者が適法,後者が違法とする興味深い証拠決定が相次いでだされました。しかも,決定文を読むと同一事案で,同一の捜査方法について,共犯者が別の裁判体に係属したため,判断が分かれたようです。
    組織的な窃盗団の事件ですが,前者の合議体は,GPSの精度が低いこと,得られた位置情報を記録として蓄積していないことから通常の張り込みや尾行等と比較してプライバシー侵害の程度が大きくない,機器の取り付けにも重大な違法性はないと判断しましたが,後者の合議体は,本件のGPSは,電波状態の良い場所では,数十メートルの範囲で位置を把握でき,それなりに精度が高い,データの蓄積も可能である,尾行や張り込みと異なり,私有地やホテル内などの位置情報も得られることを考慮すると大きなプライバシー侵害を伴う捜査であり,事前に令状の請求が必要,と判断しました。
     合議体の判断が分かれたくらいですから,この問題は今後も議論が続くと思われますが,私が注目したのは,後者の決定で指摘されている,この捜査方法の極端な保秘という実態です。GPS捜査をしていることは捜査報告書に一切記載せず,位置情報等のメモは捜査終了後に廃棄する,この捜査を行っていることは検察官にも知らせず,そのため裁判所も弁護人の指摘があるまで知らなかった,というのです。裁判所が,これでは「GPSを使用した捜査の適法性に対する司法審査を事前にも事後にも困難にする」と慨嘆するのも頷ける感がします。
    昨今,話題となっているドローンも捜査に利用される時代が近いだけに,科学的機器を用いた捜査の在り方にはいろいろ注意が必要なようです。
                                                                                                      花改め子鉄



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元裁判官,しかもかなりのエリート畑を歩いた瀬木比呂志氏の著作(講談社現代新書刊)ですが,このセンセーショナルな副題にはかなり引きました。

前作の「絶望の裁判所」もかなり手厳しく裁判所や裁判官を批判する内容でしたが,いささか感情的な部分も感じられ,実証性が乏しいのでは,と感じました。

近作も表題からして,同様なものかと読み出したのですが,自分の担当した裁判を冷静に分析し,最高裁などの判決例を,その論理や証拠との矛盾を指摘する部分は,なかなか鋭く実証的な印象を受けました。

恵庭OL殺人事件に対する再審棄却決定に対する疑問の部分は約20頁に及び迫力があり,著者の真面目な裁判官の側面が彷彿とさせています。

名誉毀損の慰謝料額があるときを境として突然上がったことへの疑問や,原発訴訟についての最高裁主催の協議会の内容が偏っていたことがもたらす危険性などを指摘していますが,私も同感でした。

本書は,制度的改革などの部分の分析には私としては異論もありますが,判決例の批判を読者に分かりやすく説明しようとしている姿勢は評価できると思いますし,題名にかかわらず一読の価値があると思いました。

                                                              花改め「子鉄」



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3月29日付けの朝日新聞朝刊の「記者有論」という余りなじみのない欄に「最高裁長官退任 改革の意思受け継いで」という題名で、さいたま総局長渡辺雅昭氏が書いた記事が目にとまりました。

同記者の論旨は、長官が強い指導力を発揮して司法改革をすすめた、しかし、例えば裁判員裁判で供述調書朗読が横行するのはおかしい、と長官が言い出すまで現場の裁判官から声が上がらないのは嘆かわしい、長官の強いリーダーシップが現場を萎縮させた矛盾は確かにあるが、現状に甘んじる裁判官に人権を守る重大な職責は期待できない、怖い長官が去ったと安心するのではなくなぜ長官がげきを飛ばし続けたかに思いを致して欲しい、と裁判官の奮起を促すものでした。

最近のベストセラーとなっているらしい「絶望の裁判所」でも、前長官は矢口元長官より強権的と批判されていますが、どうでしょうか。

今回の司法改革には、いろいろ批判すべきところもありますが、裁判員裁判や労働審判の導入といった司法に対する国民参加の促進は、主権者たる国民が司法権を身近に、しかも自分たちが責任を持つべき課題であるという自覚を促した、という点で画期的であり、今後も着実に定着していくであろうことにあまり異論はないことと思われます。

しかし、裁判は自分たちがするものという感覚の従来の裁判官の意識には、そのような改革が容易には受け入れがたいことも想像に難くありません。

現場から司法改革に向けた声やアイデアがなかなか出てこないこともそのようなところに起因していると思います。

だからといって、上からの押しつけで本当の改革でなされるとも思えませんが、真の改革に向けた地道な活動には気の遠くなるような時間が必要です。

竹崎長官はそのようなジレンマをかかえた時代の長官として、国民のための司法の実現は待ったなしの課題と考えたのではないかと勝手に推察します。

その意味で渡辺記者の記事に共感をしました。

ただ、同記者が指摘した現状に流されやすい体質は、裁判官のみならず、弁護士、おそらく検察官にもある、あるいは私にもある法曹全体のものかもしれないと、自戒しなければ、とも思います。                                                 子鉄あらため小鉄



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明けましておめでとうございます。久しぶりの「花」改め「子鉄」です。
先代の「花」が老衰のため彼岸に逝ってしまったため,跡目に就任した柴犬の名前が「子鉄」となりました。名前の由来は知る人ぞ知る漫画「じゃりン子チエ」の日本語をしゃべりめっぽうけんかに強い猫の名前です。
しかし,実際の「子鉄」は飼い主に似て,至って臆病,無口な性格です。どうぞよろしくお願い致します。

さて,皆さんは,黒木亮という小説家の書いた「法服の王国」(産経新聞出版)という本をすでに読まれたでしょうか。

裁判所や裁判官の実態に関心がある方にはお勧めしたい本です。

この本は,原発訴訟に関与した人々,特に弁護士,裁判官を軸に話しを進めながら,昭和43年以降現在までに,裁判所に起こった実に様々な出来事,事件,たとえば長沼ナイキ事件,平賀書簡問題,青法協問題,宮本判事補再任拒否問題,全国裁判官懇話会の活動,行政事件をめぐる担当裁判官中央協議会問題,最高裁人事局の実態,原発運転停止判決に至る過程,司法改革をめぐる最高裁内部の暗闘等を,虚実織り交ぜながら,最後まで飽きさせずに描ききっています。

私が感心するのは,法律専門家ではない作者が,いくら多量の資料(巻末の参考資料には日本裁判官ネットワークの2冊の本も含まれています。)を読み込み,多数の人から取材したとしても,よくここまで裁判所と裁判官の雰囲気を正確に書けたものだ,という点です。

部外者が内部の実態を小説にする場合には,面白くなる反面,的外れがよくあるものですが,この本にはそのような部類の記述は見当たりませんでした。

私が裁判官になったのが昭和43年で,この本の描いている時代とほとんど重なることの思い入れを差し引いても,いろいろな出来事にまつわるその当時の裁判所の雰囲気,裁判官の思いや動きなどは,私の体験に照らしてほぼ正確といえます。

これまで司法の危機や司法改革にはあまり関心を寄せなかった人からも,この本は面白かったと感想を聞くと,改めて事実の持つ重みと迫力を知らされます。

まだ読まれていない方には是非是非お勧めしたい一冊です。

付録
事実の持つ重みと迫力では,木谷明著「無罪を見抜く」(岩波書店)もなかなかのものがありますよ。



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先日,立川市の郊外にある中央大学で開催された刑法学会のワークショップ「裁判員制度について-審理及び評議のあり方を中心として」に参加してきました。

まず立川駅からモノレールで15分ほどの大学の広大さに驚かされたました。付近にもいくつかの大学がありましたが,いずれも自然に恵まれた広い敷地に近代的なビルを林立させた,ある意味理想的な教育施設と見えました。しかし,目的の法学部までかなり歩かされたこともあり,やはり不便だなーと実感しました。教員や学生も大変ではないかと感じ,最近大学の都心回帰が始まっているの肯けました。

裁判員裁判も理想を掲げて出発しましたが,いろいろ実務的な問題点も発生しているのではないかと心配になり,現職裁判官が語る実情と問題点が聞けるのでは,と思ったのが参加の動機でした。

木谷明・元裁判官が司会進行役で,現職の地裁裁判長がお二人,裁判員裁判の現状を熱く語ってくれ,意義のある研究会でした。

若手の裁判官が裁判員裁判の発展のためにいろいろ工夫を重ねているようでした 。

現在,運用上の問題点として①公判前整理手続の長期化②調書朗読の増加③検察官手持証拠のリスト開示④充実した評議⑤判決の在り方などが指摘されていました。

①については,公判に提出されない供述調書の記載をめぐって検察弁護側が無駄な釈明合戦をすることも長期化の一因ではないか②については,旧来の刑事裁判を懐かしむ法曹がなお多いと感じる③については任意開示が増加しているとはいえ,公判開始後に未開示の重要証拠の存在が判明することもあるからルール化が必要④については,裁判員に付せんに意見を書いてもらい,張り出すことにより,意見の匿名性確保と同時発表が可能であり,付せん方式も有効である⑤については,判決をより簡潔にしかも評議の結果を反映させるようにしたい

などの現職の意見が非常に印象に残りました。

                                                              たまに勉強する花



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中坊さんが亡くなられたとの報道に接し,大変残念な思いがしました。

何度かお話しをお聞きする機会がありましたが,森永ヒ素ミルク事件の思い出を語るときは涙し,2割司法の現状の改革を訴えるときは口角泡を飛ばし,そのわき上がるようなエネルギーといつも弱者の立場から考えようとする姿勢に圧倒されたものでした。

とりわけ,裁判員裁判を始めとして司法に広く国民の直接参加を認めようとする構想を実現するためのご努力は並大抵のものではなかったと推察されます。

中坊さんの真骨頂は,それを単に理念に終わらせず,実現するための道筋を具体的に考え,そのための戦略・戦術あるいは必要な妥協を常に忘れなかったことではないか,と私は個人的に思っています。まさに実務家中の実務家であったといえます。

裁判所改革にも強い関心と必要性を語っておられただけに,この分野での改革半ばで斃れられたことは残念としかいいようがありません。

将来の第2次司法改革にも是非ご活躍いただきたかった巨星でした。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

                                                               中坊さんに大いに影響を受けた花



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弁護士になって裁判結果がなかなか自分の思ったとおりにはならず,非力を感じることがよくあります。

しかし,最近,約3年前の事件について,社会復帰調整官から処遇終了の申立をしたとの連絡を受け,ほっとしたことがあります。

いわゆる老老介護の末の殺人事件の女性被告人ですが,幸い裁判員裁判で執行猶予になりました。

ただ犯行時も判決時も重度の鬱病で,自殺のおそれがあり,医療観察法による通院措置決定がなされ,社会復帰調整官が中心となって医師,

社会福祉士等と連絡調整をしながら,本人の治療と社会復帰に向けた努力がずっと継続されました。

特に毎年の犯行時と同じ月あたりが危ないとも言われていました。

私も時折訪問して激励などしておりましたが,2年くらいたつと少しずつ明るい表情に変わっきている,と感じられるようになりました。

医療観察法による長期の見守りが成功したと思います。そのような場面では法律家はあまり役立ちませんね。

処遇終了決定が出たら,本人と祝いたいと思っております。

                                                                  たまには役に立つ「花」



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最近の名張毒ぶどう酒再審請求棄却決定について,裁判所が検察・弁護側が論及していなかった理由で判断した,との報道がなされています。先の小沢さんの無罪判決でも明確な争点となっていなかった違法性の認識で結論が左右されたように感じました。

裁判官が記録や証人尋問の結果を精査して,検察官や弁護人が気がつかなかった論点に気づくことはままあることです。

しかし,それが結論を左右する重要な論点である場合には,なんらかの方法で当事者に明らかにして,双方に意見を述べさせる必要があるのではないでしょうか。

裁判官が気がついた論点が思い込みに過ぎない場合もあり得ますし,分析が不十分なこともないとはいえません。

とりわけ公判前整理手続が導入され,当事者に争点と証拠の絞り込みを要請する以上,それ以外の争点で決着をつけるのは慎重を要すると思います。裁判官の職権判断に限界を設けないと,争点整理の意味がなくなるおそれがあるからです。

私の思いつきですが,審理の最終場面で法曹三者による公判後整理手続を行う必要があるように思います。

                                                                               「花」                                                                          

 



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裁判員裁判で無罪とした判決の控訴審が一転して,破棄有罪とした事件について最高裁第1小法廷が2月13日に一審支持の判決を出しました。

控訴審は基本的に事後審であり,破棄するには一審判決が不合理である具体的理由が必要である,その理由が明確ではない控訴審判決は破棄を免れない,としたもので,ある意味では当然ともいえる判決ですが,私は大変感銘を受けました。

ひとつは,第1小法廷には,金築,白木両氏という裁判所を代表する刑事裁判官が在籍し,どちらかといえば保守的と評されていたようですが,裁判員裁判の意義を高らかに評価する格調高い判決を出したことに,時代の変化と最高裁の権威を感じました。

白木裁判官の補足意見は,特に裁判員裁判制度の施行後は,と断ったうえ,高裁裁判官が自分の心証通りに一審判決を変更する,これまでの慣行を強く諫めています。

いわれてみると,私もかつて高裁の裁判官のころに,最終の事実審理であることを考慮して,かなり自分なりの心証を形成して一審判決を破棄していたような気がします。もっとも一審判決が余りにひどいと感じたときだけだと自己弁護していますが。

裁判員裁判が改めて控訴審の在り方を刑事訴訟法の原則に戻るよう促しているようです。

裁判員裁判制度は,証人中心主義という本来の刑事訴訟を回帰させたように,計り知れないエネルギーを「持っている」のではないでしょうか。

                                                                   何も持っていない「花」

 



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先日こんな経験をしました。

あるホームレスの被告人の国選弁護を担当しました。被告事件は罰金求刑があり,判決日に釈放されることが確実でしたが,帰るところが無ければまた再犯になりかねない,ということで判決前に生活保護申請をしてみよう,ということになりました。

知り合いの不動産業者に安い家賃の住宅を紹介して貰い,その住宅のある市役所に申請しようとしたところ,ホームレスをしていたところを管轄する別の市役所に当座の費用や権利金等を出して貰うための申請をしてほしい,との指導がありました。

そこでその市役所に行きましたところ,ホームレスでもテントを張るような定住状態でない場合は,現在地あるいは相談地で申請を受け付けるはずだ,と頑張ります。

地方財政が厳しい折から,できるだけ負担を減らすための対応と思われましたが,そのとばっちりが被告人にきたのではたまりません。

私はどちらでもよいから,市役所同士で話をつけて欲しいと申し入れましたところ,担当者が電話で約30分間やりあった末,結局当座の費用をホームレス地の市役所が,その後の生活保護費は居住地の市役所が出すということになりました。

二カ所の市役所を行ったり来たりの状態で,裁判所に判決言い渡し期日の変更を申請するなど,疲れましたが,言い渡し後は被告人は無事に新住居に住めようになり,大変喜んでもらえました。

しかし,明日の生活費も無い人たちを惑わせるような,お役所の妙な縄張り争いはやめてもらいたいものです。

                                                寒空を行ったり来たりして風邪をひきそうになった「花」

 



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今年1月に開かれると報道されている最高裁の弁論に注目しています。

千葉地裁が一昨年の10月に言い渡した覚せい剤の密輸入事犯についての無罪判決に,検察官が控訴し,東京高裁が昨年3月30日に逆転有罪判決(懲役10年,罰金600万円)を宣告しました。

問題は,一審が裁判員裁判であったのに,高裁の三人の職業裁判官が,証拠の評価が異なるとして一審を破棄していきなり有罪を宣告できるのか,という点です。

もし何の留保もなしにそのようなことが可能とすると,一審で6人の裁判員が懸命に議論したことが全く無視されたことになり,国民の新鮮な感覚を反映した裁判を目指す裁判員裁判の意味が無くなります。

一審の有罪判決を控訴審で無罪とする場合に比較すると,無罪判決の控訴審での破棄は被告人に対する打撃が大きく,特に慎重を要するといわざるを得ません。

一審の証拠評価が誤ってると判断する場合には,一審に差し戻して再度裁判員裁判に付すべきでしょう。

この事件について最高裁が弁論を開くことを決定したそうですから,裁判員裁判の判決について控訴審のあるべき姿が示されることは確実と思われます。

裁判員裁判の発展について,控訴審がブレーキとなってはなりません。

以上が,私が新年早々の最高裁に注目する所以です。

                                                   本年もどうぞよろしく 「花」

 



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取調の可視化については,すでにその必要性は社会の共通認識となり,あとはその範囲や方法,代替捜査手法の要否についての議論に移っており,可視化の議論そのものが限られた範囲にとどまっていた時期よりは,かなりの進展がみられると思います。

可視化は,密室で被疑者,参考人がどのような取調を受けたのかが,後日裁判の場で明らかにできないことから被疑者等に結果的に不利な認定がなされやすい,という現実を改善しようとするもので,被疑者の防御権の確立に寄与するものと考えられます。

ところで,最近あるシンポで,イギリスの供述心理学者のお話を聞きましたところ,イギリスでは供述心理学者が中心となって捜査官向けの取調マニュアル(頭文字をとってPEACEマニュアルというそうです。)を作り,取調官はそのマニュアルの習熟度に応じてより困難な事件に対応できるようになっている,とのことでした。

私が,注目したのは,マニュアルの内容もさることながら,現実にマニュアルどおりの適正な取調がなされているか検証するためにも取調の可視化が必要である,と指摘されたことです。

警察庁,あるいは最高検察庁が,いくら適正な取調を励行するよう呼びかけ,あるいは立派なマニュアルを作成しても,現実にそのとおりおこなわれているかが闇の中では,結局適正な取調は実現しないでしょう。

適正な取調により厳正な処罰を求める立場からも取調の全面可視化は必須と思われます。

                                   どちらから読んでも「ないなかしかしかないな」という標語に口が開いたままの「花」                   



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裁判員裁判もどうやら日常的な出来事になりつつあり,日本の国の形の一つになったようです。

とりわけ,若い裁判官,検察官,弁護士諸兄が,先輩の経験や古い判例を参考にできない分野だけに,自分たちの活躍分野だと自覚して,いろいろ創意工夫を加えるなど積極的に取り組んでいる姿には本当に頭が下がります。

裁判員裁判はこれまでの刑事裁判の欠陥を根本的に改めるエネルギーを持っています。

供述調書の氾濫,取調の可視化,人質司法,検察官手持ち証拠の開示,漂流裁判などの諸問題について,改革の動きが出ていますが,いずれも市民にわかりやすい司法を目指す裁判員裁判の運用をにらんでのことと考えられます。

今後の刑事司法は若い法曹の夢が生かせる舞台となるでしょう。

ただ,最近争点以外の部分について供述調書の朗読時間が増えているとの声が聞かれますが,大変懸念される事態です。

供述調書の長い時間の朗読は裁判官でも眠たくなるのですから,ましてや裁判員に真剣に聞いて心証を形成して欲しいと願うことは無理なことです。

争いが無い部分についても,簡潔な被告人質問等で立証するように直接主義を徹底する工夫することか求められているのではないでしょうか。

                                                          裁判員裁判に期待する「花」

 

 

 

 



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 お久しぶりです。情けないことになにか目前のことばかりに追われて,ついご無沙汰しておりました。
 さて最近読んだ本に「ダンゴ虫に心はあるのか」があります。奇抜な題名に惹かれて買ったのですが,ダンゴ虫に想定外の障害を,たとえば水に囲まれた板の上に置くとか,複雑な迷路に置くとかすると,ダンゴ虫のうち一部は水に飛び込んだり,高いところによじ登ったりという,ダンゴ虫にとって生死にかかわるよう決死的行動にでる,という実験結果から,そのような行動をとることは通常のダンゴ虫の生活では抑制され,表面化しないが,想定外の環境に置かれると,そのような普段は表面化しない,ある意味で理解しがたい行動を決断する場合があり,それがダンゴ虫の心といえるのではないか,という内容でした
 心の意味をそのように定義してしまうことには大変疑問を持ちました。
 ところが相前後して,供述心理学の権威・浜田寿美男氏の「自白の研究」という著書を読み,重大事件について虚偽自白をしてしまった被疑者は,そうでなくても非日常的な拘禁状態の中で,さらに取調官から強く自白を迫られ,自分の弁解を信用してもらえない絶望感や家族等を守りたいなどの気持ちでいったん自白すると,その後はいろいろな情報をもとにストーリーを取調官とともに作りあげることがあるのではないか,との心理学的分析があることを知りました。
 人間も非日常的な異常な環境に置かれ,そこから脱却できない絶望感を感じると,普段は考えられない行動,すなわち虚偽のストーリーを捜査官との協働により作りあげる,というような行動に出ることがひょっとするとあるのかも知れない,と両書籍に奇妙な符合を感じた次第です。
                    
                                   心について研究中の「花」



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昨日の関西の新聞各紙に「被災地ボランティアに温情判決」というような記事がでていました。

大阪高裁(上垣猛裁判長)が、大麻取締法違反の被告が一審判決(懲役1年6月の実刑)後に、友人らと協力して、東日本大震災の被災者のため募金や物資を集め日本赤十字社に送ると共に、宮城県で9日間ほどがれき撤去の作業に従事たことを原判決後の事情として考慮して、執行猶予の判決をした、というものです。

実は私が現職当時に、同じような発想で阪神淡路大震災のボランティアをした被告人に再度の執行猶予を付した判決をしたことがありましたが、大阪高裁で破棄されました。

犯行に直接関係しない事実を量刑に考慮するのは適当ではない、との理由でした。その後水戸地裁でボランティア判決がありましたが,これも東京高裁で破棄され、その後同様の判決は出ていない状況でした。

未曾有の大震災に再びボランティア活動を量刑に反映する判決があらわれたことに、深い感慨を覚えています。

                      震災法律相談の研修を受け、現地入り準備中の[花」



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