日本裁判官ネットワークブログ

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最高裁が判例統一をしない場合

2007年12月06日 | チェックメイト
平成10年に施行された新民事訴訟法で、最高裁への上訴は、以前はフリーパスに近かった高裁判決に対する上告の範囲は狭められ、逆にほとんど閉ざされていた高裁決定に対する抗告の範囲は広げられました。
その結果、最高裁が判例統一は時期尚早ではないかと考える場合、318条の上告不受理決定(法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められない)という形で先送りするケースが出て来たようです。
他方で、337条の許可抗告(法令の解釈に関する重要な事項を含むと認められる場合)は、高裁の判断で許可してしまうものですから、最高裁が時期尚早と思われる判断を迫られるケースもあるようです。
一種の逆転現象が生じかねないかも知れません。
それにしても、下記は同一事案で同日決定、かつ同一小法廷だそうですから、かなり珍しいケースではないでしょうか。
当ネットワークにもお付き合い戴いている馬場先生が提起された裁判です。(チェックメイト)

(神戸新聞から抜粋)
「体罰教員の情報公開訴訟 最高裁、判断を二分」
兵庫県教委が体罰の報告書の大部分を非開示とした決定に対し、神戸大大学院教授が取り消しを求めた訴訟で、最高裁が十一月、県教委の上告を退け体罰を加えた教職員名などの開示を命じた判決が確定したが、同じ日、同様の事案を争った別の訴訟で、最高裁が教授の上告を棄却し、教職員名などは個人情報に当たるとの判決が確定していたことが四日、分かった。体罰教職員の名前は開示か非開示か-。司法判断が分かれ、県教委の幹部らは頭を痛めている。
 神戸大大学院の馬場健一教授(45)=法社会学=が二〇〇一年一月、一九九五-九七年度の報告書で大部分を非開示とした県教委の処分取り消しを求め提訴(訴訟A)。さらに〇四年一月には、〇一年度の報告書を対象に提訴(同訴訟B)した。
 加害教職員名や校名の開示の是非が争われたが、訴訟Aの高裁判決は「(体罰で教職員が)懲戒処分を受けたことなどが分かると、公務員の立場を離れた個人の評価も低下する」との理由で「個人情報に該当する」と判断、非開示が妥当と結論づけた。
 一方、訴訟Bの高裁判決では「県の諸活動を県民に説明する責務は、違法・不当と評価されるような公務員の情報についても向けられている」と指摘。「懲戒処分を受ける立場に置かれた情報だから非開示というのは県の条例の趣旨に明らかに反する」とした。
 訴訟Aは馬場教授が、Bは県教委が最高裁に上告したが、いずれも十一月二十二日、「上告理由に当たらない」などとして棄却され、両高裁判決が確定した。

朝型人間の楽しみ

2007年12月05日 | 風船
おととい初登場した「風船」です。少し、自己紹介をします。典型的な朝型人間で、この10年間は、12時前に寝て、5時ころ起床する毎日を続けています。以前は、朝食前にひと仕事をしていましたが、今は、メールを見たり、朝風呂にはいったり、新聞をみたりしていると、あっという間に「朝食」の時間になってしまい、起案をするのはせっぱ詰まったとき位です。朝型人間の楽しみは、朝一番早く「新聞」を読んで、誰よりも早くニュースを知ることでしたが、最近は、ネットで、夜の間に、新聞の速報が読めるので、その楽しみは少し薄れました。いただいたメールに対しての返事を起床後すぐにすることも、多いのですが、ときどき、午前4時前くらいに返信を出して、あとから、夜を徹して仕事をされているのですか、といわれましたので、少し控えています。今の楽しみは、愛読している新聞小説の続きを読むことです。もともと小説を読むのが大好きなのですが、起案に追われるようになると、小説に没頭できないので、新聞小説を読むことで、その不満を解消しています。司馬遼太郎の「坂の上の雲」や「疾ぶが如く」も新聞で読みました。今、読んでいるなかで、面白いのは、辻原登の「許されざる者」(毎日新聞朝刊)、夢枕獏「宿神」(朝日新聞朝刊)それに、諸田玲子の「女いくさ」(読売新聞夕刊)です。最後のは、裁判所の図書室でよんでいます。ここまで、書いて、新聞をとりにいき、「大阪知事選に、橋下弁護士擁立へ」という記事に、びっくりしています。コメントは差し控えますが、話題性には欠かない方ですね。「風船」の由来は、次回以降に。(風船)

アスペルガー症候群をご存じてすか

2007年12月04日 | 
アスペルガー症候群について,昨日3日の朝日新聞に芦屋大学の井上敏明という先生が書かれていました。一部引用しようと朝日のホームページを見ましたが見あたりません。私の勤務地が地方ということでおそらくだいぶ遅れて出た記事と思われますが大変良い内容でした。アスペルガー症候群は最近の重大少年事件ではよく原因の一つとして報道されていますが,要するに器質的な原因で対人関係がうまくできない子どもたちのことをいいます。しかし少年審判でそのような症状であると鑑定されたからといって何も解決するものではなく,レッテル貼りの危険も感じます。井上先生は,そのような子どもたちには特定の分野で優れた能力を発揮する場合があるとして,ニュートン,アインシュタイン,織田信長を例にひきながら,その子の特性を受け入れ,無理に矯正しようせず,むしろ伸ばすことが大切と述べておられます。少年審判を担当するものとして参考にすべきと思いました。HANA

プログに初挑戦

2007年12月03日 | 風船
ネットワークに所属している裁判官ですが、皆さんがしているプログという珍しきものを、「アナログ人間でもしてみんとて」(初めて)するものです。

私も1日に開かれた例会に参加し、長嶺超輝さんの「裁判官の爆笑お言葉集」をめぐるお話を拝聴しました。本の中身もさることながら、この本に「爆笑」をつけた人は、プロの「商売人」だと思いました。新書版という形で手軽にみてもらい、かつ「商業出版」である以上売れなければならないわけですが、「裁判官」「爆笑」「お言葉」の取り合わせの見事さに脱帽しました。説諭ないし訓戒の性質上、「爆笑」はありえないのに、それでもあえて「笑いをつける」度胸はおそらく裁判官にはないと思います。

事柄の性質上、刑事事件からの採用が多かったわけですが、民事裁判やそのほかでも、いやむしろ、そちらの方が「爆笑」にふさわしい例があるようにも思います。当の裁判官は、真面目に話したつもりが、思わずまわりの笑いを誘った例があつまればいいですよね。続編を期待しています。 (風船)

泣くこと,泣けること,泣きたいこと

2007年12月03日 | 蕪勢
 長嶺超輝さんをお招きしてのネットワークの12月例会。いくつかの興味深い話が聞けました。

 「裁判官の爆笑お言葉集」は,それこそ「爆発的」な売れ行きで著者の予想をはるかに超えたそう。「爆笑」は著者の考えたタイトルではないとのこと。確かに,内容は大変生真面目なもので,著者のお人柄も誠実そのもの。読者からは「泣けました」との感想がかなりあったそうです。

 その夜の懇親会。例会に駆け付けてくださった周防監督とお話しする機会があった。青少年の性の意識が話題になった時,監督は,ケータイ小説を下に作られた映画「恋空(こいぞら)」が大ヒットしていることを語られた。その映画が,中高校生に大きなブームを呼び,「感涙」が日本中を覆っているという。監督は,その感動現象に戸惑いを覚えておられる様子。ぜひ一度見てみたい。

 翌日のネットワークの総会。ブログやHPで私どものメッセージをどう伝えるか議論となった。参加して下さったファンクラブのUさん,「とにかく,若い人達は「泣く」場面に飢えているんですよね。」と一言。

 感涙することがめっきり減ってしまった老ジャッジは,「泣くこと」の意味についてあれこれ想いを巡らせています。
(蕪勢)

昨日、今日、明日へ

2007年12月02日 | あすなろ
 はじめまして
初投稿する裁判官ネットワーク会員の判事あすなろです。

 昨日は、岡山で、「裁判官爆笑お言葉集」の著者長峰超輝氏をお招きしてトークとディスカッションが行われました。
 会場からもさまざまな発言があり、午後2時から午後5時までの3時間にわたり、休憩もとらずに話が盛り上がりました。
 

「裁判官は弁明せず」というのが私たちの伝統であり、裁判書のみによって説明責任を果たすべきものといわれてきました。

 それはそれで正しい面を持っていると思います。
しかし、裁判官が当事者の言い分に十分に耳を傾け、親身になって身を乗り出して審理をするならば、
そこに必ず、感性が動員されることになり、
悲しみ、喜び、怒り、敬意、感動等が生まれるはずです。
それをすべて覆い隠し、淡々として、無表情で裁判するというのは裁判が人間の営為である限り不自然であると思います。

裁判の場も人と人との関わり合いの場であることは否定できません。
人と人との触れあいによる相互作用が働く場面であり、一期一会の場面であることに変わりはありません。
「法は人なり」です。
裁判官が冷静さと公正を保ちながら、謙抑的に、自らの想いを表現することが必要とされる場面があることを痛感しました。


 今日の午前は、岡山で引き続き裁判官ネットワークの総会が開かれました。
裁判官ネットワークの輪をどのようにして広げていくかが真剣に討議されました。
裁判官懇話会が幕を閉じた今、多くの裁判官が自主的に研鑽し合う場を作らなければ国民に開かれた裁判所への展望は開けません。