日本裁判官ネットワークブログ
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最近の名張毒ぶどう酒再審請求棄却決定について,裁判所が検察・弁護側が論及していなかった理由で判断した,との報道がなされています。先の小沢さんの無罪判決でも明確な争点となっていなかった違法性の認識で結論が左右されたように感じました。

裁判官が記録や証人尋問の結果を精査して,検察官や弁護人が気がつかなかった論点に気づくことはままあることです。

しかし,それが結論を左右する重要な論点である場合には,なんらかの方法で当事者に明らかにして,双方に意見を述べさせる必要があるのではないでしょうか。

裁判官が気がついた論点が思い込みに過ぎない場合もあり得ますし,分析が不十分なこともないとはいえません。

とりわけ公判前整理手続が導入され,当事者に争点と証拠の絞り込みを要請する以上,それ以外の争点で決着をつけるのは慎重を要すると思います。裁判官の職権判断に限界を設けないと,争点整理の意味がなくなるおそれがあるからです。

私の思いつきですが,審理の最終場面で法曹三者による公判後整理手続を行う必要があるように思います。

                                                                               「花」                                                                          

 



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 当ブログ5月11日欄に掲載している6月17日(日。法曹会館。13時から)のシンポジウムにおける佐藤幸治先生(司法制度改革審議会会長・京大名誉教授)の記念講演の演題は、「司法改革の経緯、成果、そして課題」です。演題は今回のシンポ全体のテーマにもさせていただきますが、ご講演は司法制度改革全体を振り返るものでとても貴重です。法曹三者、司法修習生、法科大学院生、ファンクラブの方々ぜひご参加ください。特に裁判官の方々、お待ちしております。身近なところでお誘いあわせの上ご参加ください。



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1 犬との散歩が犬の事情で中止になり,私の意思が弱いためか,もともと散歩が好きでないのか,とにかく私ひとりでの散歩は困難で,運動不足状態に陥った。これ幸いと散歩をさぼっていると,何だか気持ちが落ち着かず,その対策を練っている最中である。何せ古希が近くなっているのに,自然のままで髪は黒く(もっとも内部的には密かに手を打ってあるが),最近は友人たちから「異常」だと言われている私のことであるから,老化防止対策に手抜かりは許されず,運動不足を放置するわけにはいかない。
2 そこで先日の日曜日の早朝(と言っても午前7時過ぎのことであるが),ついにサイクリングに出かけた。かなり前には,犬との散歩が続いていたころでも,土,日の早朝サイクリングを続けたこともあったが,妻との仕事上の別居が解消した数年前から,妻との週1早朝テニス練習が始まり,その結果サイクリングも中止されていたのである。このところ妻の多忙のためテニス練習が中断状態なので,久しぶりにサイクリングに出かけたが,甚だ快適であり,長期間サイクリングのことを忘れていたことを後悔した。ひとりでの散歩は甚だおっくうであるが,不思議なことにサイクリングは全くおっくうではなく,甚だ快適であることを再確認することとなった。
3 家から約500メートルの所に岡山後楽園がある。その正門前を通り過ぎて蛇行する旭川の本流に沿ったその外周の緑の桜並木をくぐり抜けて,なお緑の深い散歩道を少し進み,「月見橋」という名の橋を渡ると岡山城に出る。外壁が黒塗りで烏城(うじょう)とも呼ばれる。昭和20年に空襲で焼け落ちて,鉄筋で再建された。その石垣の下の旭川との間の細道の樹木のトンネルをくぐり抜けると県庁の脇に出て,大通りを越える。
4 更に川岸を500メートルほど進むと,夏目漱石の句碑がある。漱石が胃潰瘍の手術後,生き延びることができた喜びを,伊豆の修善寺で詠んだとされる「生きて仰ぐ 空の高さよ 赤蜻蛉」という,私の好きな俳句が刻まれており,その上部に「我輩は猫である」の猫の小さな銅像が安置されている。広々とした空間の中を流れ遙かに旭川が蛇行しており,景色も良く,私の好きな場所である。漱石逗留の地の記念ということで立て札もあり,大学生であった漱石が夏休みに1か月ほど亡兄の妻の実家のある岡山市を訪れた明治25年に,偶々岡山市が大洪水に見舞われた話などが書かれている。もっとも数年前にあるテレビで,「修善寺の大患」の後で,肉好きだった漱石がカツドンを食べて死んだと放送していた記憶であるが,真相の調査未了で,宿題のままとなっている。
5 そこからの帰路は 対岸の160本余の桜並木の大木の下の舗装された約2キロの細道を,ビュンビュンと思い切り高速ですっ飛ばす。後楽園の深い緑と岡山城を左手の対岸方向に眺めながら,緑の森と広い空と清流に囲まれた視野の中にゆるやかに湾曲した小道で,土手の中段にあり,散歩する人も余り多くない。
6 すぐ近くにこんなにも快適なサイクリングコースがあることをすっかり忘れていた。久しぶりにコースを走行して一種の感動さえ覚えた。土,日の週1回ではもったいない。犬の散歩の代わりであるし,所要時間も同じ30分である。出勤の準備は前夜の就寝前に済ませて,雨の日以外は「毎朝サイクリング」に挑戦してみたい。朝6時起床,6時半から30分でというのはどうだろう。これは名案だ。デジカメを携帯して,事務所に飾る写真を増やすことにしてみよう。キッと大幅減量もできるに違いない。(ムサシ)



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1 このところ運動不足が続いていた。その結果体調に変化があったわけではないが,何となく気力の充実を欠くような気がしていた。運動不足の原因は愛犬のムサシ(16歳)が歳をとって散歩を嫌がるようになり,この数か月散歩が中断しているためである。
2 わが家には,猫のウリと犬のムサシがいたが,3年ほど前に喧嘩友達のウリが死んでから,急速にムサシの老化が進んだような気がする。わが家では平成7年にウリの方が先に家族となったとき,まだ子猫であったウリは野良猫であったが,品の良さもあり,どこかの飼猫であったのかも知れない。借家したばかりのわが家の庭の隅に頑張って住み着き,粘り勝ちでわが家の一員となったのである。
3 それから1年後に,自宅を新築して転居した際,子供らの強い希望で,今度は柴犬の子犬を飼うことになった。よちよち歩きでまだミルクを飲むチビで,ムサシが幼いため,ウリと仲良しになるのではないかという期待もあった。しかしウリは1歳年上であったが小柄で,ムサシの体格がウリと同じくらいに大きかったためか,ウリの方が気を許さず,結局二匹は喧嘩友達になったのである。
4 それから13年余が経過し,平成21年8月にウリが14歳で死んだ。ところが不思議なことに,それまで若々しく見えたムサシが,ライバルを失って急速に老け込んだのである。平日の散歩は続いたが,休日の長距離散歩を,途中で足を踏ん張って拒否するようになった。その後も少しずつ老犬風になり,最近では川原に降りる30段の階段でよろめくようになったため,3か月前ころからムサシの散歩は中止された。
5 ところがもう一つ不思議なことに,散歩健康法論者の私も,それきり散歩をしなくなったのである。自分一人での散歩には案外気力を要する。どうやら私の散歩健康論も,その程度のレベルに過ぎなかったようである。そこで私は,私の健康のために,また子犬を飼いたいと提案したが,妻は即座に拒否した。
6 そこで私は散歩に代わる当面の健康対策を検討した。私ども夫婦はどちらもテニスを趣味としているが,このところ主として妻の多忙のために,以前のように週1回の夫婦テニスの練習が困難となっている。そこでテニスもまだ続けるつもりではあるが,当面の対策としていくつかの実験を開始した。いずれも以前実行していたことではある。その一は週1回土か日の早朝30分自転車に乗ることである。近くに快適なサイクリングコースがある。その二は週1回,事務所まで1キロの距離を自転車か徒歩で出勤することである。その三は週1回夜プールで泳ぐことである。プールの会員であるのにサボっていたのである。できれば週1回夫婦でテニスの練習もする。そして無理をせず,しかし工夫と粘りで頑張ることになり,約1か月が経過した。今のところ続きそうである。
7 わが家には,結婚して関東地方に住んでいる2人の娘がおり,長女は2人目を妊娠中であり,次女は最近2人目を出産した。そして遠からぬ夏の数日,わが家は4人の孫で賑やかになる時が必ず来る。その時にタイミングを合わせて,わが家にチビ犬がいて,孫たちが争ってチビ犬を抱っこすることになれば,犬のお陰で,「またお爺ちゃんちに行きたい。」とせがむに違いない。私の健康法にも役立つ。その頃にはムサシも生きているかどうか。そうなると妻も孫のために犬を飼うことを拒否できまい。これは名案である。「策士」である私は,密かにこの「秘策」を更に練り上げることになるだろう。(ムサシ)



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日本裁判官ネットワーク主催

平成司法制度改革を振り返るシンポジウムのご案内

 今回は,参加資格を法曹,学者,司法修習生,法科大学院生及び当ネット・ファンクラブ員に限定します。

  日時:平成24年6月17日(日)午後1時から19時ころまで
 

 場所:法曹会館 〒100-0013 東京都千代田区霞が関1-1-1 法務省赤煉瓦の東側 TEL:03-3581-2146

 1 記念講演(13時から14時半ころまで)
   【佐藤幸治】司法制度改革審議会会長(京大名誉教授)をお招きして,今次の司法制度改革を振り返る講演をお願いしています。

 2 パネルディスカッション(15時から17時まで)
   民事裁判改革,刑事裁判改革,裁判官人事制度改革,法曹養成制度改革などについて,現職裁判官,弁護士,学者らが討論します。

 3 懇親会(17時半ころから約2時間)
   会費は,ベテラン法曹1万円,その他の法曹6000円,その他の方は4000円の予定です。

     連絡先 TEL:090-6061-0830 小林克美

 



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 4月後半に所用で東京に行った際に、昼間に空き時間ができたので、東京ヴォードヴィルショーの久しぶりの新作「トノに降る雨」を三軒茶屋のシアタートラムで鑑賞した。

 東京ヴォードヴィルショーは、地元の演劇鑑賞団体で「竜馬の妻とその夫と愛人」を鑑賞したのが最初で、その際、あめくみちこさん(「カーネーション」の周防の娘役は良かったなあ)の実物の美しさを含めて、いたく感激したのであるが、それ以来数回の例会では私の評価は下がり基調、どうも「竜馬」を超える作品に出会わないと感じていた。

 しかし、今回は、久しぶりの新作と言うだけあって、なかなか笑わせて泣かせるお芝居に仕上がっており、私の中でも「竜馬」はしのがないまでも、二番目に良いくらいの評価である。できれば地元の演鑑で取り上げて、多くの人に見てもらいたいと思わせる。

 時は、織田信長が尾張国をようやく統一しようという頃の設定。織田家の近隣の領主が主人公、ちょっとした運命のいたずらからその地位に就いた男が、極限的な状況の中で苦悩し、ついには領民のために重大な決断をするにいたる。施政者として危急時に領民のために何をなすべきなのか、今次の社会状況に鑑みても、胸に迫るものがある。弁護士急増の弊害が顕れる中、日弁連の舵取りに右往左往する執行部を重ね合わせたりして。

 とはいえ、いささか腑に落ちない点も残る。ラサール石井氏の演出は、特に前半でベタな笑いを狙っているが、ちょっとベタ過ぎるきらいが。また、パンフレットによれば、台本は稽古場に徐々に届けられる形式で作られ、つまり最初から各配役の展開が定まっていなかった面があるらしく、それが足かせとなったかのような箇所もある。すなわち、後半の展開を考えれば、領主のキャラ設定が、前半ではちょっとベタ過ぎやしないか、後半と落差がありはしないかと芝居の展開につれて気になってしまう。

 何より、今回の芝居、B作氏は主役を譲って脇を固めるべきではなかったか、B作氏は、「いい人」よりも「悪い人」で光るのだが、と生意気にも思う。

 舞台を引き締めているのは、何と言っても領主の母親役の松金よね子さんである。地方巡業に出た場合、よね子さんは来てくれるのかと心配になる。井之上隆志さんの存在感もすごい。栗田桃子さんも、「父と暮せば」とはかけ離れたコメディエンヌとして健闘している。あめくさんが、新国立劇場の「負傷者16人」に客演中で見られなかったのが残念(今度東京に行ったら、これを見よう)。

 山口良一演じる落武者による前説が凝っている。「このような場所で携帯電話の電源を入れておくと、敵に居場所を察知されてしまいます」と言って、実際に携帯に出て、敵に切られる芝居をする。このネタ、うちの演鑑の前説で使えるかな。笑。実際、マナーモードにしていたって、携帯の画面が光るだけでも、気になるものなのだ。ちょっとした気配りで楽しい観劇。

(くまちん)



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今年の憲法記念日を迎えるにあたっての、最高裁長官の談話です。震災と裁判員裁判が

中心です。是非ご覧下さい。

http://www.courts.go.jp/about/topics/kenpoukinenbi/index.html



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1 最近は結構同窓会の機会が増えている。この1年間に小学校,高校,大学のクラス会,大学の2か所の寮の同窓会などが行なわれ,結構忙しかった。実は私もいつの間にか「古希」が近づいているのである。できるだけ出席するように努力しているが,やむを得ず欠席することもある。
2 先日,寮の同サークル10人足らずの少人数の同窓会に出席した。この会は最近毎年行なっている会で,今回で3回目であったが,みんな楽しみにしているようで,飲酒歓談し大いに盛り上がった。東京のある中華料理店で同窓会を行なった後,今回初めて近くのカラオケ店に行った。そして寮歌や懐かしい童謡,歌曲などを沢山歌った。カラオケに合わせてみんなで肩を組んで合唱し,大いに盛り上がってとても楽しかった。寮歌のほかに,童謡「ふるさと」,「かあさんのうた」,「高校三年生」,「星影のワルツ」,「惜別の歌」などを歌った。
3 私は,このことに味をしめたということになる。つい先日の小学校の同窓会でも,私の主張で,30人くらいで肩を組んで全員合唱をしたのである。同窓会の開催場所が田舎の集会所のような所なので,おそらく挨拶用のマイクはあるだろうが,カラオケはないかも知れない。そうすると歌詞を用意しておく必要がある。そこで同窓会の前日の土曜日に歌集を作ることにした。全員の歌集を用意するのは大変なので,カラオケがない場合には,私が取り仕切ることにして,1冊だけ歌集を作った。
4 私は案外歌は好きで,カラオケにも時々行くが,以前私の家には歌集は沢山あった筈なのに,なぜか見つからず,本屋で買ってきた。そして事務所でコピーしたり切り貼りをして,結構時間をかけて準備した。
5 小学校の同窓会は今回で3回目であったが,小学校卒業後実に50数年が経過している。しかも草深い本物の田舎の小学校の同窓会であったし,私は小学校4年生までは,同級生が10人という,「二四の瞳」よりも小さな分教場に通学していたのである。
6 私は近況の挨拶の中で,「まるで高性能のタイムマシーンに乗って,50数年の時を越えて小学生時代に戻ったような気がする。今後もたびたびこのタイムマシーンに乗せてほしい。」と述べた。また「定年退職をして退職金を貰ったりして,金銭的にも時間的にも初めて好きなことができるのであるから,前期高齢者である今が人生の黄金期だ」とか,「病気などしないでピンピンと生きてコロリと死ぬという「ピンコロ人生」を目指そうではないか」などと話したが,ついでに,私がいろいろと健康論をぶつくせに,一向に痩せない肥満体であることから,ある友人に,「君の人生はピンコロ人生ではなく,トン(豚)コロリ,すなわちトンコロ人生だ」と一本取られて大いに反省したが,一向に体重は減らないことを述べると,その場は爆笑の渦となった。
7 閉会の30分前頃から私の提唱で,肩を組んで全員合唱をした。恐れていたとおり,カラオケの装置はなかったので,私が歌集を片手にマイクを握ってリードした。「瀬戸の花嫁」も加わって7局歌った。私は今後も同窓会などの色んな局面で,肩を組んで全員合唱できるように,密かに準備体勢を工夫しておこうと考えている。それにしても同窓会で多くの懐かしい友人たちに会うと元気が湧いてくるような気がする。(帰ってきたムサシ)



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