日本裁判官ネットワークブログ
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取調の可視化については,すでにその必要性は社会の共通認識となり,あとはその範囲や方法,代替捜査手法の要否についての議論に移っており,可視化の議論そのものが限られた範囲にとどまっていた時期よりは,かなりの進展がみられると思います。

可視化は,密室で被疑者,参考人がどのような取調を受けたのかが,後日裁判の場で明らかにできないことから被疑者等に結果的に不利な認定がなされやすい,という現実を改善しようとするもので,被疑者の防御権の確立に寄与するものと考えられます。

ところで,最近あるシンポで,イギリスの供述心理学者のお話を聞きましたところ,イギリスでは供述心理学者が中心となって捜査官向けの取調マニュアル(頭文字をとってPEACEマニュアルというそうです。)を作り,取調官はそのマニュアルの習熟度に応じてより困難な事件に対応できるようになっている,とのことでした。

私が,注目したのは,マニュアルの内容もさることながら,現実にマニュアルどおりの適正な取調がなされているか検証するためにも取調の可視化が必要である,と指摘されたことです。

警察庁,あるいは最高検察庁が,いくら適正な取調を励行するよう呼びかけ,あるいは立派なマニュアルを作成しても,現実にそのとおりおこなわれているかが闇の中では,結局適正な取調は実現しないでしょう。

適正な取調により厳正な処罰を求める立場からも取調の全面可視化は必須と思われます。

                                   どちらから読んでも「ないなかしかしかないな」という標語に口が開いたままの「花」                   



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1 平成23年8月20日(土)付けの朝日新聞によると,裁判員裁判において被告人が起訴内容を否認したケースを最高裁が調査した結果,全国平均で35・5パーセント,判決を受けた2126人のうち756人が否認したということである。否認率が最も高かったのは大阪地裁の55・8パーセント,判決人数181人中101人が否認したという。
2 この数値は私にはかなりの驚きであった。同新聞には裁判員裁判が始まる前の同種統計による比較が記載されていないので,調査しないと正確なことを述べることはできないが,裁判員裁判より前の否認率はかなり低かったのではあるまいか。私の印象ではこれまで否認率は1割以下だったのではないかという感じがある。裁判員裁判になってから否認率は高くなったということなのだろうか。そうだとするとなぜなのかという疑問が出てくる。もっともこれまでの捜査のあり方に問題があり,否認率が低すぎたのであり,裁判員裁判になって強引な捜査が行われなくなり,正常に戻ったという見方ができるのかも知れない。
3 裁判員裁判が始まったころは,自白事件ばかりが先行して審理されており,今後否認事件の審理が行われるようになると,審理が大変になるだろうという報道がなされていた。そしてその後否認事件の審理が増えたという報道もあったが,私は否認率がこんなに高いとは思っていなかった。
4 否認事件が多い理由はよく分からないが,否認事件では,争点や証拠などを整理する公判前整理手続きに時間がかかる。証人の数も増え,評議にも時間がかかるだろうし,審理が長期化することになる。裁判員の負担はもとより,裁判官,検察官,弁護人の負担も増えることになるだろう。大阪地検では,検事や事務官は未明まで残業をすることが多いという報道である。
5 この報道によると裁判員裁判はかなり無理な状態が続いていることになり,そのうちパンクするのではないかと心配である。裁判員裁判で否認した756人のうち,無罪判決はこれまでたった1件だけだとのことである。
6 どこにどのような問題があるのかについてはよく分からないが,とにかく異常で大変なことになっているのではないのだろうか。私は裁判員裁判には大いに期待しているので,この新聞記事を読んで心配している次第である。(ムサシ)



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http://mobi.tv-asahi.co.jp/dwide/i/nextweek/0167/index.html

来週土曜日の9時からテレビ朝日系列「土曜ワイド劇場」で放送です。
なかなか面白そうです。



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 NHKのBSプレミアムに,午前7時15分から「フォト川柳」という番組がある。
 ひとつ,その真似をしてみたいと思い,今日,5月29日午後の囲碁将棋アワーで,碁の金秀俊八段と向井千暎四段の対局を見終わってから,ない智慧をしぼって次の一句をひねり出した。
 「誰の手か一目でわかるペア争碁」
 註釈を加えると,ペア争碁とは男女が一組となり,もう一方の男女の組と勝負を争う対局である。同じチームでもお互いに相談することは許されず,男女が代る代る一手ずつ打たなければならないところに難しさがある。画面には,盤上に石を置く対局者の顔は見えず,手だけが現われる。その手を見れば男の手か女の手かは一目で分かる。手にはもちろん,もう一つの意味もある。
 金・向井の対局では,解説者の小林八段も多くのファンと同様,向井が勝てばうれしいと,けしからぬことを口にした。
 新進気鋭の千暎四段は,向井四姉妹の末の妹だそうで,これまで女流棋士が男に勝つことはきわめて希であった棋界で,男女の実力差がなくなったことを証明して新風をもたらした女流の星として,注目される人気棋士である。
 小林八段は,自身が向井さんと対局したときには,その八段の家族までが向井の勝ちを望んでいたという。
 当然,損な役回りを背負わされたのが相手の金八段である。
 私も何とか向井に勝たせたいと思い,はらはらしながら局面の進行を見守った。
 最初から白の向井が押し気味で,黒の金は苦戦していると小林八段が評し,私もむろん判るはずはないのだが,こう打てば白が優勢になるのではなかと何度も思った。
 やがてすさまじい劫争いが始まり,白がここで劫を解消してしまえば莫大な実利が得られるのではないかと思う局面が続いたが,白も黒も全く妥協せず,最善の手を求めてお互いに相手の劫立て応じ,延々と劫争いを続けた。
 お互いに10分の持ち時間があるが,1分以内に打たなければ,その都度持ち時間が1分ずつ減っていくという早碁だから,すごい。
 ついに黒が白の劫立てに応じず,劫を解消して実利を得たため,白の敗色が濃くなったと解説者は言うが,むろん私にはわからない。
 しかし,ついにただ一手のゆるみが勝敗を決し,白はきれいに投げた。
  向井千暎,惚れ惚れする負けっぷり
  敗れても颯爽たり向井の碁
  安全牌ついに振らずに向井散る
  意地っ張りついに安全牌振らず 一手のゆるみで負けた千暎の碁
  颯爽と意地張り通す四段には 勝っても損とぼやく八段
 以下に掲げるのは,いずれも私自身のヘボ碁の体験を詠んだもの。解説の必要はあるまい。
  敵さんは知ってた狸の腹鼓 いつ覚えたとわが頬叩く
  劫だけは逃げたつもりの勝手読み,下駄かけられて呆然とする
  あのカモがいつ覚えたとしびれる手 鼻曲がりそうなイタチの腹付け
 

(これは,サポーターの山田眞也さん(15期元裁判官)から当ネット・コーディネータへ,6月に郵便で送られてきた手書きの投稿ですが,タイピングするのが遅れ,夏休みになって,ようやくデータ化したものです。投稿代理人・小林克美)



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裁判員裁判もどうやら日常的な出来事になりつつあり,日本の国の形の一つになったようです。

とりわけ,若い裁判官,検察官,弁護士諸兄が,先輩の経験や古い判例を参考にできない分野だけに,自分たちの活躍分野だと自覚して,いろいろ創意工夫を加えるなど積極的に取り組んでいる姿には本当に頭が下がります。

裁判員裁判はこれまでの刑事裁判の欠陥を根本的に改めるエネルギーを持っています。

供述調書の氾濫,取調の可視化,人質司法,検察官手持ち証拠の開示,漂流裁判などの諸問題について,改革の動きが出ていますが,いずれも市民にわかりやすい司法を目指す裁判員裁判の運用をにらんでのことと考えられます。

今後の刑事司法は若い法曹の夢が生かせる舞台となるでしょう。

ただ,最近争点以外の部分について供述調書の朗読時間が増えているとの声が聞かれますが,大変懸念される事態です。

供述調書の長い時間の朗読は裁判官でも眠たくなるのですから,ましてや裁判員に真剣に聞いて心証を形成して欲しいと願うことは無理なことです。

争いが無い部分についても,簡潔な被告人質問等で立証するように直接主義を徹底する工夫することか求められているのではないでしょうか。

                                                          裁判員裁判に期待する「花」

 

 

 

 



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1 先日のお盆休みのころ,毎年恒例としている一泊の人間ドックで検査を受け,一応無事に生還した。これでこれから一年間,何とか無事に生き伸びられるだろうと保証された気分である。とはいっても人生にはいつ何が起こるか分からないが,今年も一応自分でなすべきことと決めている「年1回人間ドックで検査を受ける」という基本作業をなしたので,これで予期せぬ何かが起こったとしても,「まあ仕方があるまい」と,それほど後悔することもなく,笑って対応できるだろうという,落ち着いた心境であるといえようか。

2 一年前と比較して,いろいろな数値が改善されており,それなりにこの一年の努力の成果を認めることができた。飲酒量も減り,ガンマGTPの数値は大幅に改善されていた。血糖値もゴーヤジュースのお陰で,一応正常値である。食事の量も随分減らしているつもりであるが,少ししか痩せておらず,これだけは「人生不可解」な思いでいる。これからの1年の健康面での目標を減量に絞ることにした。どこかに隙があるに違いない。

3 最近何人もの友人から,血糖値が高いという話を聞いたので,セッセとゴーヤの資料を郵送している。人間ドックの担当医である友人も,ゴルフをやっているのに血糖値が少し正常値を超えているということであったので,ゴーヤの効果とゴーヤジュースの作り方を説明しておいた。

4 私の髪は依然として黒い。この秋には久しぶりに高校の同窓会があるが,友人達はきっと皆老人,老女風になっているに違いない。「前期高齢者の時代が人生の黄金期であり,今我々は人生の黄金期を生きているのだ。」とか,「年を取らない方法」などをぶって,少し楽しんで来ることにしよう。密かに憧れていた女性の同級生も沢山いるから,いいチャンスでもあるので,それまでの2か月間に急速減量に挑戦してみることにした。(ムサシ)

 



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裁判官ネットHP(http://www.j-j-n.com/)を更新しました。諸般の事情により、6月号を定期にお送りすることができませんでした。お詫び申し上げます。今回は、6月号と8月号の合併号です。玉稿が並んでいます。ぜひご覧ください。



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1 先日のニュースで,ある大学生がインターネット上に飲酒運転したことについて書き込んだところ,書き込みを見た人から大学に「不謹慎だ」,「学生への指導をしっかりすべきだ」といったメールや電話が18件寄せられ,大学は「大学の名誉を傷つける不適切な行為」であるとして,学生を3か月の停学処分にしたという。学生は,飲酒して帰宅後,簡易投稿サイト・ツイッターで,実は飲酒して自転車に乗ったのであるが,自転車とは書かず,「飲酒運転は久しぶりでハラハラした」と書き込んだので,あたかも自動車かオートバイを飲酒運転したと思わせる内容であった。
2 大学は,停学処分とするに際して学生に弁明の機会を与えた筈であるから,自転車の飲酒運転であることを承知のうえで,3か月の停学処分に処したものと思われる。
 自転車の飲酒運転は道路交通法で禁止されているが,ごく日常的に誰もが行なっている行為であり,一般に格別危険な行為だとは認識されておらず,自転車の酒気帯び運転は強い非難の対象にはなっていないと言ってよいだろう。飲酒のための外出に際して,自転車で出かけるのは止めておこうと考える見識ある人は少ないだろう。
3 道路交通法では,飲酒運転は自転車も含めて禁止されているが(法65条1項),自転車の酒気帯び運転は処罰されず(法117条の2の2第1号),自転車の酒酔い運転は5年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられることと規定されている(法117条の2第1号)。飲酒した後で酒に酔って自転車に乗ると危険な状態である場合は別にして,普通の人は自転車に乗って帰るだろう。
4 大学は,飲酒運転したのは自動車やオートバイなどではなく,自転車であることを知りながら,ツイッターの記載内容が「大学の名誉を傷つける不適切な行為」であるとして,学生を3か月の停学処分にしたことになるが,私には処分が適切であったとは思えない。世間の人も,自転車の飲酒運転であると分かっておれば,そんな非難はしなかったであろうから,非難する前提が誤っていたのである。学生の行為は世間に誤解を与えたものであり,「不適切な行為」ではあったと思われるが,事実を正確に記載しておれば強く非難されるような行為ではなかったのであるから,停学処分というような重い処分ではなく,口頭注意処分程度のもっと軽い処分でよかったのではあるまいか。
5 この件に関連して六法で道路交通法を調べて遊んでいると,面白い条文を見つけた。何人もしてはならない行為として「道路において酒に酔って交通の妨害となるような程度にふらつくこと」(法76条4項1号)という規定があり,5万円以下の罰金に処せられることになっている(法120条1項9号)。そうなるとウッカリ飲みにも出かけられないことになりそうである。
6 その大学生はおそらくふざけて,敢えて誤解を与えるように「自転車」の飲酒運転であることを書かなかったものと思われるが,事実に反する記載をして世間の批判を受けたというだけで「不適切な処分」をすることになれば,大学自体も見識を問われることになりかねない。「あれは自転車のことらしい」ということになれば,笑い話で済むことである。その程度のことは許してやってもよいのではないか。大学当局も大学自体を守ることに焦って,重い処分を急ぐのではなく,学生をもっと大切にしなければならないと思う。せち辛い世の中であり過ぎても困ったものだという話である。(ムサシ)



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 お久しぶりです。情けないことになにか目前のことばかりに追われて,ついご無沙汰しておりました。
 さて最近読んだ本に「ダンゴ虫に心はあるのか」があります。奇抜な題名に惹かれて買ったのですが,ダンゴ虫に想定外の障害を,たとえば水に囲まれた板の上に置くとか,複雑な迷路に置くとかすると,ダンゴ虫のうち一部は水に飛び込んだり,高いところによじ登ったりという,ダンゴ虫にとって生死にかかわるよう決死的行動にでる,という実験結果から,そのような行動をとることは通常のダンゴ虫の生活では抑制され,表面化しないが,想定外の環境に置かれると,そのような普段は表面化しない,ある意味で理解しがたい行動を決断する場合があり,それがダンゴ虫の心といえるのではないか,という内容でした
 心の意味をそのように定義してしまうことには大変疑問を持ちました。
 ところが相前後して,供述心理学の権威・浜田寿美男氏の「自白の研究」という著書を読み,重大事件について虚偽自白をしてしまった被疑者は,そうでなくても非日常的な拘禁状態の中で,さらに取調官から強く自白を迫られ,自分の弁解を信用してもらえない絶望感や家族等を守りたいなどの気持ちでいったん自白すると,その後はいろいろな情報をもとにストーリーを取調官とともに作りあげることがあるのではないか,との心理学的分析があることを知りました。
 人間も非日常的な異常な環境に置かれ,そこから脱却できない絶望感を感じると,普段は考えられない行動,すなわち虚偽のストーリーを捜査官との協働により作りあげる,というような行動に出ることがひょっとするとあるのかも知れない,と両書籍に奇妙な符合を感じた次第です。
                    
                                   心について研究中の「花」



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1 私は硬式テニスをもう35年もやっている。遊びテニスなので余り上手くはない。ストレス解消と健康にはかなり役に立っている。私はスポーツは得意なので,本気でテニスを上達する気になっておればもっと上達できただろうと思うが,その気にならなかったのは多少不思議な気もする。最大の理由はこれまでの人生で,仕事が忙し過ぎたためではないかと思う。余り本気で一つのスポーツに打ち込む気にはなれなかった。加えて大学では卓球部であったし,職場のソフトボール大会では何回も優勝ピッチャーになるなど案外活躍したり,水泳も好きだったりで,テニスに打ち込む余力はなかったということであろう。
2 35年前に,当時婚約者であった妻と一緒にテニスのラケットを購入した。司法試験に運良く一緒に合格して間もない頃である。以来テニスとの付き合いは長い。今でも土,日に妻と2人で壁打ちに出かけたり,コートを借りて2人でテニスをしたり,所属しているテニスクラブに出かけて,メンバーと遊び試合をすることもある。年に10回くらい法曹テニス大会に参加している。
3 ところが,私は15年ほど前に「正常眼圧緑内障」なる眼の病気に罹患し,眼科医院で治療を続けてきた。医師は私が強度近視であることが原因だろうと言われている。症状は徐々に進行しており,視野の一部が欠けて行く。左眼は余り不自由を感じないが,近視の度が強い右眼は,視野の中に見えない小さな島があり,テニスボールが一瞬消えるのである。心眼ということでもないが,消える魔球と戦うのは容易ではない。
4 一時期本気でテニスからの引退を考えたこともある。試合は大体ダブルスなので,ペアーに迷惑をかけることになる。ところがこれも不思議な伊達効果で,最近引退しないことに決めた。逆にもっと上達してやろうと考えるようになったのである。消える魔球も,どうやら顔の角度を少し変える工夫で,かなり見え易くなることが分かってきた。少々見えにくくてもクヨクヨせず,練習量でカバーできるのではないか。十分な練習もしないで落ち込むのは愚の骨頂というものである。見えにくいことで落ち込むのと,少々見えにくくても練習量でカバーしてやろうと前向きに考えるのとでは,気分が全く異なる。物事は気持ちの持ち方次第で随分感じが違うものだと実感した。これはテニスに限ったことではあるまい。何ごとにも前向きな姿勢が大切だということであろうか。
5 ウイークデイに練習することは困難であるが,土,日の壁打ちや遊び試合を大幅に増やして,テニスをもっと上達して,皆さんを驚かせることにした。現実にはどうか知らないが,映画では盲目の剣士だっているし,そういえば盲目の法律家だっている。人間というのは不思議な生き物であるから,その心構え次第で,不可能を可能にすることができるかも知れない。まして私はまだ盲目ではなく,仕事もできれば,車の運転もできるのである。
6 かくしてまた,新たな決意で新たな努力をすることになった。どのような結果になるかは分からないが,頑張ってみよう。そういえば私の人生の目標の中に,かくしゃくと生きて90歳までテニスをするという項目があったのをスッカリ忘れていたようで,反省しきりというところである。(ムサシ)



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 7月2日の日本裁判官ネットワーク主催シンポジウム「裁判員裁判の量刑」にパネリストとして出ていただいた田口真義さんです。先日お見かけしたお顔が新聞に出ていましたので、引きつけられました。連日の引用で申し訳ありませんが、8月2日付け朝日新聞の「耕論」(テーマは「裁判員の守秘義務」)に、論者として登場されていたのです。

論者は、ほかに日弁連裁判員本部事務局次長、法科大学院長(元裁判官)でした。田口さんは、裁判員の経験から、守秘義務のあり方について発言されています。テーマの関係では本筋ではないかもしれませんが、最後に、「もう1つ提言したいのは「裁判官も語って欲しい」ということです」とのくだりには目新しさを感じました。先日のシンポで何かを感じていただけたのかもしれません。田口さんは、「裁判官も会見に出て、意見や感想を語ってもらえれば、市民と司法の距離はぐっと縮まるはずです」と述べておられます。それが実現するかはともかくとして、裁判官による裁判員制度に関する意見交換会の結果が最高裁のHPで公開されています。田口さんの提案にもつながる面があるので紹介しておきます。各高裁毎にとりまとめていますので、下記ぺージの最下段「裁判員裁判に関する裁判官意見交換会の結果についてー東京高等裁判所開催分、大阪高等裁判所開催分、名古屋高等裁判所開催分」の各高裁ファイルを開いて是非ご覧下さい。http://www.saibanin.courts.go.jp/topics/09_12_05-10jissi_jyoukyou.html

それにしても、田口さんが不動産業を営んでおられることは、今回の朝日新聞で初めて知りました。 重要事項説明、接道義務、構造計算など法律に係わることは、お仕事柄案外身近なのかもしれませんね。また、分野は違えど、法的な感覚や法律の運用の一端を経験していただいたことが、日々の生活やお仕事に役立つといいですね。裁判員の経験を日常で生かしていただくのも裁判員裁判の1つの目的かもしれません。



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昨日(8/1)の朝日新聞に、「民事裁判改革―審理充実へ知恵集めよ」との社説(http://www.asahi.com/paper/editorial20110801.html)が掲載されました。裁判員裁判の関係で、刑事裁判が注目され、何かと取り上げられることが多いのですが、民事裁判について朝日新聞の社説で取り上げられましたので、民事事件を担当している者としては、個人的には久々の社説であると感じつつ、少し嬉しくなりました。

  

社説は、裁判迅速化法の関係で、最高裁が2年ごとに実態を検証した4回目の報告書を取り上げ、興味深い内容であるとしています。そして、「法廷侮辱制度」、弁護士の「専門認定制度」、「弁護士強制制度」などの仕組みを取り入れるかどうか、検討を進めることが盛り込まれたとしています。社説で印象深かったのは、弁護士強制制度について、「裁判を受ける権利の制約に映るかもしれない。だが司法システムをどう効率よく運営し、全体の利益を図るかという「鳥の目」をもつことも大切だ。」との指摘です。なかなかこれができないのですが・・・。

  どの制度も1つ1つが大きな影響を持ち、その採否は大議論になりそうです。ただ、3月の当ネットのシンポジウムでも出ましたが、民事紛争解決制度について、新たなステージで議論すべき時代かもしれませんね。今後の議論の行方が注目されますし、法曹人口の拡大など人的資源の変化も視野に入れながら、いろいろな場で議論が盛り上がるといいですね。



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