日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
ホームページhttp://www.j-j-n.com/も御覧下さい。
 



私の大学時代からの友人で,現在某高裁で刑事の裁判長をしている彼に「孝行をしたいときには親はなし」とはよく言ったものだと話したことがある。私が勝手に退職したことから親に勘当され,未だ志を果たす前の勘当中に相次いで両親を亡くし,その後婚約者と運良く一緒に試験に合格し,合格と婚約を報告した父母の墓前で号泣したという話をすると,その友人は,それを「風樹の嘆(ふうじゅのたん)」というのだと教えてくれた。私はそんな言葉は知らなかったので,よく勉強しているなと驚いたものである。早速国語辞典で調べてみると,「親に孝行しようとした時には,既に親がなく,孝行できないという嘆き」と書かれていた。更に中国の「韓詩外伝」中の「樹静かならんと欲すれども風止まず,子養わんと欲すれども親待たず」が語源とあった。
 その彼はなかなかの読書家とみえて,藤沢周平の著作は全部読んだと言っていた。その中のベストは「蝉しぐれ」だというので,かなり前に私も読んでみて感動した。その後「蝉しぐれ」はテレビや映画にもなり好評だった。
裁判官ネットワークにも読書家の裁判官が何人もいるが,裁判官は一般に多忙でなかなか思うようには読書ができない現状にある。「最近の裁判官は余り本を読まない。」という批判があると聞いたことがあるが,判決を書くのに追われて本など読んでいられないということであろう。
 私はテニスを趣味としているが,私の友人の裁判官が以前はよくテニスをしていたのに,最近はテニスをしないので,「土,日はどう過ごしているのか。」と聞いたところ,「当然判決を書いていますよ。」と笑いながら答えた。言外に「聞かなくても判っているでしょうに」という意味に聞こえた。
 2001年(平成13年)6月に出された司法制度改革審議会の最終意見書で,法曹人口について「飛躍的な増大を図っていくことが必要不可欠」であるとされ,裁判官と検察官についても「大幅に増員することが不可欠である」とされているのに,小幅な増員に止まっており,一向に裁判官の大幅な増員がなされていない。その理由の一つとして「大幅に増員すると裁判官の質が低下する。」と言われているようである。しかしある程度そうなることは当初から判っていた筈のことであるし,そんな理由で意見書を無視して裁判官(と検察官)を大幅に増員しないで済んでしまうというのも不可解な話である。この国は一体どうなっているのだろう。
 近く裁判員制度が施行されるため,民事担当の裁判官が減員となり,刑事担当へと配置換えがなされている一方で,この数年民事事件が大幅に増加していると言われている。このまま行けば裁判官の負担は増える一方であり,一体今後どのような事態となるのか甚だ心配である。現に司法試験の合格者が大幅に増えて,弁護士だけが年々大幅に増加しているのであるから,どうみても今後事件数が飛躍的に増加することは自明の理といえよう。今後裁判官はどのような生活を迫られることになるのであろうか。
 採用時の裁判官の質の問題もさることながら,裁判官が多忙で焦ると仕事の質は低下することになる。また採用後ろくに勉強も読書も出来ず,十分自己研鑽ができないことになるとやはり裁判官の質に関わってくることになるだろう。
 裁判官が昼夜も土日も仕事漬けの生活というのではなく,仕事から離れて計画的に自分で法律の勉強をしたり,読書をしたり,更には趣味を楽しむだけの,ある程度の余裕が必要である。そうでなければ法律的にも人間的にも実力をつけることは困難であるし,裁判官が「よい仕事をしよう。」という姿勢や意欲を維持することも困難であろう。
 裁判官の仕事がやり甲斐のあるものであることは疑いのないところであるが,裁判官が仕事を頑張るだけでなく,タップリ読書したり,趣味を楽しんだり,裁判官としての充実した生活を味わって暮らせるような余裕が持てることが望まれる。そうなってこそ質の高いよい仕事ができるというものである。またそれが司法改革の大きな狙いであった筈であるし,多くの裁判官もそれを期待していた筈である。今がその好機である筈なのに,それが実現できないのであれば,今後もそれを期待できないことになりそうである。
 早く裁判官が存分に読書できる条件が整備されることを切に願うものである。(ムサシ)


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




産経連載「君たちのために」第39回(07年12月26日大阪版夕刊)

                         弁護士 井垣康弘

悩める親たちのために

田村裕著『ホームレス中学生』のお母さんの子育てを「母親の普通の愛情」だと説明させてもらった。すると、早速読者(母親)からお便りをいただいた。

「紙面を読んでいる最中から涙があふれ、切り抜いて職場の昼休みにまた読み、1人声を押さえて泣きました。(育てた男の)子どもがそんなささいなことをうれしく思ってくれているとは知りませんでした。子どもにはお金を掛けるなど特別なことをしてやらないとダメな親だと思い込んでいましたが、今まで自分が実際にしてきたことで良かったんや!と自信が持てました」。

このお便りは、うれしかった。田村裕少年のお母さんは、「子育て」をたっぷり楽しまれた。この読者も、ご自分のこれまでの「子育て」に自信を持つことで、今後の息子さんとの関係が豊かなものになり、かつそれが人生の楽しみの1つになるだろう。

市民講座で、少年たちによる「リンチ傷害致死事件」について、具体的な例をあげて講演したことがある。5人組のうち4人が傷害致死で刑事・民事の責任を負ったが、1人はその場から逃げて、何の責任も負わなかった。その子は、険悪な雰囲気が高まり、今にもリンチが始まろうとしたその瞬間、「ボク、塾の時間や」とうそを付いて一目散に走り去った。

講演のメインテーマは、加害者4人と被害者遺族との間の謝罪や償いのための対話(修復的司法)であったのに、参加者からの質問は「どうすればそのような機転のきく賢い子どもに育てることができるのか?」と逃げた子どものことに集中した。「ごく普通に愛情をそそいで育てたら、子どもは非行に走りません」と力説したが、全く納得いただけなかった。

今回、『ホームレス中学生』が出版されたおかげで、親が楽しんで子育てしておれば、何の心配もいらないことを理解していただけたと思う。

しかし、実際に「悩んでいる親」はたくさんいる。我が子の「非行」に悩んだ親たちの自助的活動の中から生まれたNPO法人に、非行克服支援センターというものがある。ここが、年3回定期雑誌の発行を始めた(私も編集委員である)。「ざ ゆーす」(新科学出版社(840円)といい、書店で注文もできる。

創刊号は「子どもの問題と家族」を特集している。その中の1つに、評論家の芹沢俊介さんの「子どもにとって家族とは」という原稿がある。小さい子どもが親の側に来て「ねえ」と言ったときに、今していることを止めて即座に「なあに」と対応すべきである。それをしないで、「ちょっと待って」と言い、結局そのままになってしまうことが積み重なると、子どもは「親ないし大人」を信頼しなくなり、その結果は恐ろしいとのことである。この話は良く分かる。一読を強くお勧めしたい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




産経連載「君たちのために」第33回(07年11月14日大阪版夕刊)

                      弁護士  井垣康弘

母親の普通の愛情


「どうしたら子どもを非行に走らせないことができますか」という質問を受けたら、私は「ごく普通に愛情をそそいで育てたら、子どもは非行に走りません」と断言するが、納得してもらえず困っていた。

だが、最近出版された田村裕著『ホームレス中学生』に登場するお母さんの子育てを「普通に愛情をそそぐこと」の具体例として説明すると、全員が即座に「分かった!」と顔が輝く。本当に助かる。

田村少年は、中学2年生の夏、一家が突然「解散」して公園でホームレス生活をせざるを得なくなった。公園の草やダンボールまで食べたが、飢え死に寸前の状態で、コンビニのパン売り場の前に行き、よだれを垂らした。盗むか盗まないか迷いに迷った。

そのとき、小学校5年生のときに死んだお母さんの顔が浮かんだ。お母さんが見ていたらどんな顔をするか、それを考えると、どうしても盗む気になれなかった。腹の虫が負けて公園に帰ると幸い、パンの耳を鳩にあげているおじさんに出合い、それを分けてもらって食べ、命がつながった。

 田村少年は、「あの日、もしパンを盗んでいたら僕の人生がどうなっていたかを考えると、ぞっとする。お母さんが見ていてくれた。お母さんが止めてくれた。お母さんが守ってくれた」と喜ぶ。

 ところが、このお母さんが、
ごく普通のお母さんなのである。田村少年の頭を何度も巡るお母さんとの温かい思い出が30ほど書かれている(幼児期に万引きをして叩かれたことも入っている)が、主なものを要約させてもらう。この親子関係が田村少年の万引きを阻止したのである。

◇外で遊ぶのが好きで、いつも服や靴下をドロドロにして帰ったが、お母さんは「もう、こんなに汚して」と口では言いながら、うれしそうな表情を浮かべていた。そして真っ白に洗濯してくれた。

◇(よく忘れ物をするのに)僕が大好きだった牛乳だけは一度も買い忘れがなかった。

◇お風呂で、頭のてっぺんから足のつま先までしっかり洗ってくれた。湯船に一緒に浸かると、僕の肩に手でお湯をすくってチャプチャプ掛けてくれた。すごく好きで、とても気持ち良かった。至福の時間だった。毎日お母さんと一緒に風呂に入った。

◇幼稚園のころからお母さんがスーパーのレジで働き出した。毎日迎えに行った。晩ご飯の買い物をしてお母さんと手をつないで一緒に歩いた。安心感に満ちた楽しい帰り道だった。

◇湯豆腐は苦手で、「熱くて食べられへん」とダダをこねると、豆腐をフーフーして食べさせてくれた。それだけで不思議と豆腐を美味しく感じた。お母さんの不思議な愛の調味料(だった)。

◇こたつで寝ると、布団まで抱っこしていってくれるので、
何度もこたつで寝たふりをして抱っこしてもらった。

◇小学校5年生のとき、お母さんは病院でがんで亡くなったが、最後まで家族に心配を掛けまいと笑顔だった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )