日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
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先日の死刑の刑場の公開には少なからず衝撃を受けました。

裁判官を長くやってきましたが,その正確な実態はまったく知らなかったからです。刑場に向かう階段があるなどと聞いていましたが,間違っていました。

赤い色のテープで印された実施場所の表示も初めて見るものでショッキングでした。

裁判官が死刑の実情について知らないということがいいことか,ということも含め,死刑の是非について議論する上で,可能なかぎり情報公開をすすめることは是非必要と感じましたがいかがでしょうか。
                           死刑制度について考える「花」
            

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 日本裁判官ネットワークのHP(http://www.j-j-n.com/)を更新しました。8月号です。今月号には、裁判所、検察庁の支部について、北海道で行われたシンポジウムの報告があります。支部問題は,地域住民の利便性と裁判所・検察庁の効率性,人的資源の適正配分が絡む難しい問題です。この問題に,ご意見,ご感想があれば,是非お寄せください。特に,支部経験の裁判官,検察官(現、元)のほか,支部周辺における開業弁護士および行政機関等の方々で,寄稿をお願いできる方は,ぜひご連絡ください。
 なお、日本裁判官ネットワークのHPでは、「法曹&市民の声」コーナーを作っています。司法についての建設的な意見があれば、分野を問いませんので、是非投稿してください。

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7 かくして私の新減量作戦は,愛犬の「14歳の抵抗」によりあえなく失敗した。しかし私は今年の5月ころ,テニス大会後の懇親会の席で,大勢の前で,その場のなりゆきから「年末までに必ず10キロ痩せて見せる。」と大言壮語したのである。何としても痩せねばなるまい。これしきのことで挫ける訳には行かないのである。
8 犬との散歩は30分で切り上げることになったが,不足分の30分の散歩をどう続けるか。犬との散歩を終えて帰宅した後,再び歩いて家を出て,いろいろなルートで30分の散歩を試みたが,街中を歩くというのは余り快適ではない。
9 そこでふと思いついて,家から自転車で岡山後楽園まで行ってみた。約4分で入口付近の自転車置場に到着できる。同園の外の川沿いの道を歩いて1周すると速足で約20分かかる。また同園は6月から10月までは午前7時30分に開園するが,実は私は,65歳になると市から無料配布される「シルバーカード」なる無料入場券を持っている。
10 そこで同園の外周と,同園に入園して,いずれも約20分歩いてみると,とても快適であることが判明した。腰に小物入れをセットし,メモ帳の他にデジカメなどを入れておき,気に入った景色を写真撮影などもする。先日は園内の蓮の花を撮影したが,気に入った写真で季節感のあるものは,「半切」の大きさに引き伸ばして,今後季節を2週間先取りする時期に,少しの期間事務所の額に飾られることになる。
11 後半の散歩を終えて自転車で帰宅すると,約30分が経過している。これでほぼ1時間ということになる。毎朝1時間の散歩を確保するのは,仕事とのからみ具合で必ずしも容易ではない。早朝散歩が犬の散歩の30分だけで終わる日も少なくないが,そのような日は夕方か夜,30分の散歩を追加することにした。
12 この新方式の1日1時間の散歩はこの8月初めから開始したばかりである。とにかく1年間頑張って継続してみることにした。犬との30分の散歩は,サボルと犬が怒ってうるさく吠えるので,サボルことはできないし,既に10年以上続いていることである。残る30分の散歩は,工夫して粘り強く柔軟に頑張ってみようと思っている。散歩用の新ルートや30分のサイクリングコースの開拓,寄附会員状態のプールやサウナの活用も工夫して,多彩で意欲的な計画を立案したい。我が家には,私専用の自転車がなかったので,決意表明としてママチャリの新車を購入した。
13 家から自転車で約10分の所で,県庁のすぐ近くの川岸に夏目漱石の石碑があり,漱石が胃潰瘍の手術後,生き延びることができた感慨を,伊豆の修善寺で詠んだとされる「生きて仰ぐ 空の高さよ 赤とんぼ」という俳句が刻まれており,その上部に「我輩は猫である」の猫の小さな銅像が設置されている。景色も良く,私の好きな場所である。漱石逗留の地の記念ということで立て札もあり,大学生であった漱石が夏休みに1か月ほど兄の妻の実家のある岡山市を訪れた明治25年に,偶々岡山市が大洪水に見舞われた話などが書かれている。自転車なら,この石碑まで足を伸ばすこともできるし,犬の抵抗で散歩を断念した1キロ余の快適な桜並木の下の細道を通ることもできる。
14 とにかく1年間,毎日1時間の散歩,サイクリング,水泳などを頑張って10キロ痩せるのである。最もこれまでさんざん「痩せるぞ。」と公言して減量に失敗してきた私のことであるから,当面信用してくれそうな人はいそうにない。ただし既に最近3キロ痩せたことや10余年前に10キロ痩せた実績のあることを付言しておきたい。(M)


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前の投稿にあぶれましたので,続きです。

 註釈全書(新版)(上)589頁�B参照】。

 この有力説によると,洞爺が起訴された日から再審無罪判決の確定まで,時効は停止していることになるのではないでしょうか? 洞爺に対する起訴が平成20年2月だということですから,同年8月8日の時効完成まで5ヶ月間以上の時効期間が残っておれば,洞爺に対する再審無罪判決の確定日を平成22年1月1日とした場合,検察官は同年5月までに牛山を起訴できたということになります。 この有力学説によると,姉小路さんの小説が成り立ちませんから,「被告人が犯人ではない場合(人違い)は,公訴時効は停止しない」とする学説【前記小野清一郎他・ポケット註釈全書(新版)(上)589頁�B参照】に立つ必要があります。 公訴時効に詳しい方,ご教示をお願いします。    瑞月



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 当ネットの例会にも来てくださったことがある著者から,表題の新刊を贈呈されて読みました。公訴時効制度の問題点を,実感をもって突きつける力作です。

 粗筋を大骨だけにして紹介すると,以下のとおりです。
 伊東美保子は平成5年8月9日に殺害されたが,捜査は迷宮入りし,15年の公訴時効の満了日である平成20年8月8日(北京五輪開催日)が迫ってきた。被害者美保子の異父弟である迫田健作は検事になり,同五輪開催まで342日という時期(平成19年9月1日ころ)に姉殺害犯人の捜査を再開した。そして,姉美保子が常勤講師として勤務していた私立高校の教頭洞爺忠彦に姉殺害を自白させ,平成20年2月に洞爺を起訴した(公訴時効完成までに5ヶ月を余していたと読める)。
 洞爺は一審の途中から否認に転じたが,一,二審で有罪判決(懲役12年)を受け,上告を取り下げて服役した。その後,姉美保子の教え子だった牛山猛が真犯人であると名乗り出,牛山の犯行を裏付ける証拠が卒業記念タイムカプセルの中から出てきたので,再審が開始され,洞爺の再審無罪が確定した。
 迫田検事は,牛山が公訴時効完成により起訴を免れたため,検察官を退職したうえ,牛山に対し損害賠償請求の民事訴訟を提起することとした。牛山は,実は,洞爺の身代わりに犯人と名乗り出たものであったため,牛山と洞爺は迫田元検事の損害証請求に恐れをなし,洞爺は牛山を共犯に引き込んで迫田元検事を殺害した。
 迫田元検事は,自らの身を挺して,公訴時効完成により処罰を免れた犯人を刑事処罰に追い込むため,洞爺と牛山による殺害計画を察知しながら,同両名の手に掛かって殺されたものであり,同両名の犯行であることを示す物的証拠を残して死んだので,同両名は迫田元検事殺害の罪で処罰を受けるに至った。

 実際の刑事手続からすると,少し現実離れした点もありますが,小説ですので,目をつむりましょう。
 ただ,法律論として気になる点がありました。182頁に「平成20年8月に時効完成」とあり,その理由は「洞爺が犯人でない→洞爺に対する起訴は無効→時効は停止しない」としている点です。
 特定の犯罪について起訴があれば,被告人が犯人ではない場合(人違い)であっても,公訴時効は停止する,という有力学説があります【小野清一郎他・ポケット註釈全書(新版)(上)589頁

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 お盆休み、久しぶりに、高校の同窓会がありました。32年ぶりに会う同級生もいて、懐かしい限りでした。もう孫ができるかという人もいれば、子供がまだ数か月という人もいて、結婚年齢が広がっていることを感じさせられました。

 いろんな話をしてきたのですが、その中で特筆ものは、同級生の中に、検察審査員候補者の通知が来たという人がいたこと。地方裁判所から、裁判員候補者の通知が来たという人は見かけませんでしたが、裁判員裁判や検察審査会の話題は、昨年以来、こうした会合でとても盛り上がります。候補者通知があった人がいればなおさらです。やはり、自分が関与するとなると、関心の持ち方が違いますね。厳しい質問を受けることもありました。同じ経験をされている司法関係者は多いのではないでしょうか。

 なお、私は、支部長裁判官として、支部に併設されている検察審査会での宣誓に立ち会うのですが(検察審査会法16条)、その際、検察審査員等の権限、義務等について説明する機会があります。そうした機会における反応を見ていると、今年は、検察審査員等の方々の予備知識が、昨年までよりも相当多いのではないかという印象を持っています。検察審査会の起訴議決についての報道が続いたためでもあるでしょうね。同窓会の印象とつながるところです。

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1 私はこの10年余り,午前7時ころからの早朝30分愛犬と散歩することを日課としてきた。この散歩は犬の生理的欲求から不可欠であり,台風の日でさえも欠かさない日課であるが,私にとっても犬にとっても,貴重な健康法となっている。ところで最近,私は健康増進のために散歩量を増やしたいと思うようになった。毎日30分の散歩では減量効果としては不十分であると感じているためである。
2 30分の散歩が健康のために効果があることは日々実感しているところである。この散歩の際に,50メートルのスロージョギングを10回,合計500メートル走ることにしてきた。数年前にそのためのとてもよい方法を編み出したのである。それはジョギングの際に,両足をワンセットで1から35まで数えると70歩となるが,1歩が約70センチであるために,これで約50メートルとなる。走り始めるとアッという間に35になるので,苦しいという感覚はなく,一瞬物足りない感じさえするが,この500メートルのスロージョギングを欠かさなくなってから,真夏の過酷なテニス大会においても,殆ど苦しい思いをしなくなった。ついでに脱線すると,真夏のテニスの際に濃い色のサングラスを使用すると体感温度が10度位低くなり,酷暑のテニスが,まるで軽井沢などの高原の涼風の中でテニスをしているような錯覚に陥るので,お勧めである。サングラスをはずして汗を拭く時には,余りに強烈な日差しに驚くことになる。
3 ただ30分の散歩と500メートルのスロージョギングでは痩せない。正確ではないかも知れないが,ある元最高裁判事が毎日1時間の散歩を継続された結果,1か月で1キロ,合計で7キロの減量に成功されたという話を自ら書かれていたのを拝読したという記憶がある。1時間の散歩で1日30グラム,1か月で1キロ減量という計算になる。
4 そこで私は,朝の散歩とは別に夜11時から1時間,夜の町を散歩することにした。しかし1週間は実行できたが,これはかなり無理で,続けることができなかった。仕事に支障を生じたのである。
5 いろいろと考え実践もしてみたが,無理をせずに継続するためには,犬との30分の早朝散歩を1時間に増やすことが,最も効率的であるという結論になった。そこで1時間の早朝散歩を開始した。家から川原まで500メートル,川原を1・5キロ,往復すると丁度4キロで,1時間の散歩になる。右手に岡山後楽園の木々を,左手に桜の名所となっている桜並木を眺めながらの散歩は甚だ爽快で,一歩一歩が健康に向けて驀進しているような気分で愉快である。スロージョギングも20回,合計1キロに増やした。1年後には10キロ減量していることは間違いないと思えた。
6 ところが異変が生じたのである。私は「青年と荘犬」の散歩という気分で,颯爽と1年計画の試行的早朝大散歩作戦を開始した。川原を歩いて,ある大橋の下で折り返すのであるが,1週間が経過したころのある日,橋までの中間点付近で犬が立ち止まり,動かなくなってしまった。綱を引っ張っても,足を踏ん張って抵抗する。考えてみれば愛犬ももう14歳の老犬である。いささか無理な計画で,単なる「老人と老犬」の散歩に過ぎなかったということか。そこで計画を変更し,犬との散歩は当初の30分の散歩に戻したところ,犬の機嫌も直り,10年以上続いている散歩が復活したのである。(M)


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私の家は代々神道ということで,神棚がありますが,仏壇はありません。

とういことで,私には,お盆休みは直接には関係ない,ということになります。

とはいえ,近隣のかなりの店はお盆休みに入りましたし,同じ中小企業の弁護士事務所もお休みのところが多いようです。

裁判所も基本的にはお盆休みは関係ないのですが,裁判官の夏期休廷がこの頃に集中し,職員が有給休暇を取るのも自然にこの時期が多くなります。

その結果私の事務所はこの時期は開店休業で,久しぶりにのんびりと事務所ですごしています。

やはりこのような慣習は必要と感謝しつつ感じております。
  
                          事務所内整理などをする「花」

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15 出張の帰路,CDで落語を聞いた後は,日替わりで好きな音楽のCDを聞く。賠償千恵子や小椋佳などを中心にいろいろな人のCDを車に積んである。賠償千恵子の歌声は澄んでいるが,とても暖かい音色で,心に染み入るように感じる。6枚組のCDを買った。「遠くへ行きたい」や「誰もいない海」など懐かしい名曲が多く,彼女の歌を聴いていると青春時代へタイムスリップしてしまう。

16 小椋佳のCDも沢山持っている。先ごろ,「2010小椋佳コンサートツアー邂逅(かいこう)」の公演が当地でもあり,わが事務所の5人全員で聴きに出かけた。彼の朗々した歌声に感動した。彼の声もとても暖かく,軽妙な語り口のおしゃべりとあわせて満員の聴衆は拍手喝采であり,さすがであった。私はカラオケでも小椋佳の歌を好んで歌っている。彼については,書きたい材料は沢山あるのだが,今回はこの程度にしておきたい。

17 その他にも加山雄三や石原裕次郎その他,随分前にカラオケ練習用に買ったCDが沢山ある。帰途これらの曲を聴きながら鼻歌風に歌うのも,案外楽しいし,居眠り運転防止にも効果がある。

18 最近カラオケ用の新しい持ち歌が欲しい気分である。近くその選曲作業をすることになるだろう。そのうち新曲で,かねて宿題となっている「K点超え」を目指したいものだ。また名曲で,熱唱したいが,なかなか上手に歌えない曲が沢山ある。かねてから密かに練習して,みんなを驚かせてやろうと思っていたが,その機会がなかったし,工夫もしなかった。出張の機会を活用して,難曲の名曲の歌唱力アップ作戦を試みることになりそうである。たとえば「愛の賛歌」や「君といつまでも」などである。発声法の勉強から始める必要があるかも知れない。
 確かドイツ映画の主題曲で,「忘れな草」という名曲がある。「君の愛なくば,この世に生きる甲斐なし」というような歌詞である。その曲に関してあるテレビで見た記憶では,確か坂上次郎さんが病気のリハビリにこの歌を歌ったと言っていたように思う。この曲はイタリアのカンツォーネであったかも知れない。この歌を人前で朗々と歌い,拍手喝采を浴びるようになりたいと憧れるような,とても素敵な歌である。「わすれな草」も練習して,いつかみんなを驚かせてやろう。

19 出張の帰路の最後は,わが愛車をカラオケボックスにするのである。大声で新曲や難曲の練習をすることになる。大声で歌いながら居眠り運転をすることはあり得ないから,当面居眠り運転をすることはないだろう。窓を閉めておけば,騒音防止条例違反にもなることはあるまい。
 かくして,これまでおっくうであったマイカー長距離出張が,貴重なトレーニングタイムに変貌し,楽しみになりそうである。とりあえずは,しばしばCD店に出かけて,名曲や新曲や落語のCDの整備に励むことにしたい。(ムサシ)


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 明察という言葉は,この本によれば算術の計算結果が正解であった場合に使うようです。
 天地明察は,天文学についての計算上の推定が実際の観測結果に合致する,という意味と思われます。

 角川書店から刊行されたこの本は,ベストセラーとなっているようですが,読んでがっかりするベストセラーが多い中で,これは大変読み応えのある本でした。

 かなり実話に近い話と思われますが,江戸時代に生きた碁の天才が,数学,天文学に打ち込み,日本における観測結果に基づく正確な大和暦を完成させるというストーリーです。

 感心したのは,作者が江戸の町,人の様子を,あたかもそこに住んで生活しているかのような視線で生き生きと描いていることです。

 江戸時代というとなんとなく科学が遅れていた,という印象ですが,数学や天文学に打ち込み実証的な科学を打ち立てようとした人々がけっこういた,という事実にも驚かされました。
 
 そういえば正確な書名は忘れましたが,山口繁元最高裁長官が江戸時代のの判決を分析された本を書かれ,江戸時代の判決の意外な合理性に感心したことがありました。

 江戸時代は多面的で豊かな社会だったのかも知れません。

                              昔に懲りだした「花」 

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 昨日,当ブログでお薦めしました今井判事の力作ですが,アマゾンのHPに商品の紹介が出ています。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/product-description/4792388279/ref=dp_proddesc_0?ie=UTF8&n=465392&s=books
 その中で,本のカバーの折り返しとして,松尾浩也東京大学名誉教授,韓国大法院裁判研究官 ユン ガンヨル部長判事,韓国国立警察大学校 リ トンヒ教授の各推薦文が掲載されています。後2者を引用します。ユン部長判事「日本の現職裁判官が韓国の司法制度に関する単行本を発刊したことは史上初だ。韓国の司法制度に対する幅広い関心と愛情を基に,両国の国民の司法参加の制度について深く分析,比較した論文集である。韓国の裁判官らは,大きな関心を持ってこの本の発刊を見守っている。」,リ教授「「韓国の国民参与裁判制度と日本の裁判員制度をリンクさせ,実証的な比較検討を行った上で,具体的な提言に及んでおり,他に類書を見ない価値ある論文集だ。韓国においても制度の見直しに当たり,本書の指摘は極めて有益なものと確信している。」。これらを見ると,韓国でも日本の判事の本が読まれる可能性が高いですね。喜ばしいことです。なお,リ教授は,昨年6月6日,日本の裁判員裁判の実施を記念して,日本裁判官ネットワークが大阪弥生会館で,「韓国の国民参与裁判について」と題して行った講演とディスカッションにお招きした講師の方です(他の企画もありました。)。当日の興奮が蘇ってきて,とても懐かしいですね。


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本日の報道に,裁判員ネットワークが設立されると出ていました。
冒頭に「日本」がつくかどうか確認していませんが,我がネットワークの親戚のような名称でほほえましい限りです。

検察審査員経験者による協力会が年々活発な活動を続けていることは比較的良く知られていますが,裁判員経験者にも同様な組織ができないものかと密かに期待していた一人として大変喜ばしいニュースです。

裁判員には守秘義務がありなかなか経験談を語るにも気を使うことが多いと思いますが,経験者同士なら話が弾むことも多いと思います。

4年後に予定される裁判員制度の見直しについても,裁判員ネットワークの寄せる意見は重みを持つと予想されます。

日本裁判官ネットワークとしても,暖かく見守りたいところです。

                     本日から東西対抗法曹テニス出席のため東京                     に出かける「花」

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 先月半ば,毎日新聞の「ひと」欄で,大阪地方裁判所の今井輝幸判事が紹介されました(http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20100713ddm008070057000c.html)。最高裁判事や高裁長官は別として,下級審の裁判官が全国紙の「ひと」欄に紹介されることはあまり記憶にありません。それほど珍しいことだと思います。
 今井判事が紹介されたのは,当ブログ(平成21年2月10日,5月17日,同月20日各欄)や日本裁判官ネットワークのホームぺージ(http://www.j-j-n.com/,オピニオンjudgeの目その23)で何回か紹介したことのある韓国の国民参与裁判についての論文と,同裁判についての新たな書き下ろし論文を1冊の本にまとめて,出版されたからです。その本の名は,「韓国の国民参与裁判-裁判員裁判に与える示唆-」(イウス出版/発売 成文堂)といいます。この本がとても力作で,ブログ読者の皆さんにも,この夏の読書の1冊に是非加えて頂きたいと考え,紹介させて頂きます。専門家の論文集なのですが,とても読みやすい本です。

 今井判事は,独学で韓国語を勉強し,日本の裁判員裁判より約1年5か月前に実施された韓国の国民参与裁判に,日本の誰よりも早く関心をもち,同裁判を日本に紹介してこられました。しかも,私が感心するのは,今井判事が文献やインターネットで情報を集めて勉強されただけでなく,多忙な中,休暇を使って,実際に韓国に渡り,事前に調べておいた裁判所に出かけ,目指す事件が傍聴券配布事件になるのではないかと心配しながら,どうにか傍聴席に座り,実際の国民参与裁判を最初から最後まで傍聴した上で,レポートされていることです。その行動力には敬服します。本の中の「第7章 初の本格的否認事件を傍聴して」がそのレポートなのですが,とてもリアルな内容で,これを読むと,国民参与裁判の具体例がよく理解できます。また,他の紹介論文も,データを駆使し,国民参与裁判の全体像を多角的に紹介しています。今回書き下ろしをされた「第4章 国民参与裁判の動向」「第5章 裁判員裁判に与える示唆」は,国民参与裁判を研究し,日本でも自ら刑事裁判を担当されている今井判事ならではの整理だと思います。

 このように,国民参与裁判を取り上げる理由として,今井判事は,本のはしがきに「ほぼ同時期に市民の刑事裁判への参加の制度を導入した我が国と韓国が,この分野において緊密に情報や意見を交換していくことは,両国の法の発展のために有益なことであり,一層の交流を図る必要があるという点です。」「我が国の研究者,実務家は,比較法的にはこれまで,欧米諸国に目を向けがちであったと思います。しかし,東アジアの中で特にお隣の韓国の法の発展には,率直に言って目を見張る部分もあり,我が国にとって示唆を与える点が見受けられるようになってきています」と書かれています。そういえば,自分の過去を振り返ってみても,大学や司法試験の勉強の中で,アジア諸国の法律制度や法律実務を学ぶことは皆無に等しかったといえます。法律の体系書に、そうした諸国の法律制度等の紹介が記載されていることもほとんど記憶にありません。しかしながら,成長が著しい国ですから,法律実務の面でも,研究者,法曹がもっと交流しあえるようになれると,日韓の新しい関係を築く一助になるのではないかと思ったりもします。

 なお,冒頭で述べたとおり,私はこの本を読んでみて皆さんに紹介したと思ったのですが,さらに期待を膨らませたのは,今井判事の本の韓国版,すなわち,韓国の判事又は研究者による「日本の裁判員裁判-国民参与裁判に与える示唆-」が出版されないのか,ということです。今井判事の本には,76頁の注(11)に,韓国の大法院が全国の判事836名を対象として行った内部アンケート調査において,国民の刑事裁判参加の制度導入に賛成する者に対し,具体的に導入すべき制度を質問した結果,裁判員裁判は24.2パーセントの支持を集めていたとのデータや,国民参与裁判にとって我が国の裁判員裁判の実施状況が参考になると指摘する韓国の研究者は少なくないとのとの実情が紹介されています。本の出版が実現すれば,先ほど述べた交流はより進むのでしょうね。実は,知らない間に,日本の法廷を見に来られ,もう出版の準備をされている韓国の判事又は研究者がおられるかもしれませんね。


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 裁判員裁判を機に,刑事裁判における通訳の正確性の問題がにわかにクローズアップされ始めた。通訳の仕方により,言葉のニュアンスは大きく異なり,そのことが裁判に影響する危険性は,裁判員裁判で公判中心主義の審理になった場合,一層大きい。遅ればせながら,裁判所の中にも問題意識が生じ始めたことは,一歩前進ととらえたい。
 さて,この話題に関連して,私がふと思い出したのは,裁判官時代に民間企業へ一時研修に行っていた時代に見聞した話である。その会社のある部門では,フィリピン人の方と接触する機会が多かったのだが,注意事項として以下のようなことを言われた。日本人は同僚や部下を励ます際に肩を叩くことが多いが,フィリピン人の方にそのような行為は絶対にしてはいけない,なぜなら,フィリピンでは人の肩を叩くのは相手を侮辱する行為だから,というのである。
 なぜこの話を思い出したかというと,外国人被告事件においては,言葉のニュアンスの正確性もさることながら,その国特有の文化や習慣の問題を見落とすと,大きく判断を誤ることも起こりかねない。
 例えば,フィリピン人の被告人が「いきなり肩を叩かれたので,頭に来て犯行に及んだ」と述べた場合に,上の様な背景文化・習慣の話を知らなければ,我々の被告人供述の受け取り方は大きく変わりはしないだろうか。
 もちろんそんなことは,通訳の問題というよりも,弁護人が調査して主張すべきことではあるのだろうが,弁護人のできることには限界がある。そういう意味で,外国人事件(特に重大事件)については,弁護側で通訳の正確性をチェックするとともに文化背景に遡った助言ができるようなスタッフが必須であると思う。裁判所にはそうした補助者が法廷に同席する必要性を理解して貰い(現状では否定的な裁判体が多いようであるが,検察官の横に検察事務官が殆ど常に補助者としていることとの均衡も考えて欲しい。),法テラスあたりにそうした補助者のネットワークを形成していただけるとありがたいのだが。

余談 昔,酒の席とはいえ,「外国人の量刑は日本人に比べてはるかに重くする。三国人には目にもの見せてやる。」と宣われた刑事裁判官がおられた。現在は退官されて某ロースクールで教鞭を執っておられるが,さぞかし国際人権感覚豊かな講義をしておられるのであろう。
(くまちん)


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