日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
ホームページhttp://www.j-j-n.com/も御覧下さい。
 



1 家のアサガオが咲き出した。今年は比較的庭の手入れに熱心である。6月初旬にアサガオの苗を10本ばかり買ってきて,プランターに植えた。支柱を立てて網を結びつけた。その苗が私の背丈よりも高くなり,つい先日咲き出したのである。この花を見ると,「夏が来た」という実感が湧くような気がする。

2 昨年のアサガオのこぼれ種からも10本近くの苗が伸びたので,支柱を立ててやった。結構庭がアサガオで賑やかになっている。塀の外の通り沿いの細長い花壇にも,5本くらいニョロニョロと蔓が伸びており,通行人がふと立ち止まって,わが家のアサガオを眺めそうな風情である。この夏はできればわが家を「アサガオの家」にしたいと思っていたが,期待どおりになるかも知れない。

3 あれは長女が小学1年生のときであったと思うが,四国のある裁判所の支部に勤務していたころ,木造一戸建ての宿舎に住んでいた。その年の夏の子供の理科の宿題に自由研究というのがあった。そこで宿舎の東側の壁一面に,アサガオの苗を20本近く植えて,支柱を立て,そのアサガオの花の数を数えて表にしたことがあった。最初は数個の花が咲いていたが,最盛期には毎日200個以上の花が咲いて,数えるのが大変で大騒ぎした記憶である。アサガオの花はこんなにも沢山咲くものかと驚いたものである。小学1年生が数を数える練習をするには最適で,懐かしい記憶となっている。この自由研究は,子供1人に1度は使えるような気がする。そのころを懐かしんで,今年はアサガオの花の数を書きとめてみようかと思っている。

4 確か茶人千利休が,アサガオの花を一輪だけ生けて,豊臣秀吉を接待したという話があったように思うが,あれは何を意味したのだったか知らん。調べてみることにしよう。

5 「アサガオや おもひを遂げし ごとしぼむ」(日野 草城)
                                 (ムサシ)

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




一日遅れのブログです。
実は家族で可愛がっていた雑種の犬「花」が交通事故で死んでしまいすっかり落ち込んでおります。

たまたま,私たちが留守にしていた日曜日の夜,豪雨と激しい雷に驚いて,雨の日にいつも置いている2階ベランダから飛び降り,後ろ足を骨折したのになおパニック状態で歩き続け,自宅から約2キロ程度離れた国道2号線上に出てあえない最後となったようです。
昨日警察からの連絡で遺骸を確認し,涙が止まりませんでした。

夜中に探し回り,その後近所のあちこちに「尋ね犬」のチラシを貼らせてもらい,インターネット上に迷い犬のデータをのせてもらうなど,多くの方々のお世話になりましたが,残念ながら間に合いませんでした。

昨日今日と,一緒にいるはずのものがいない喪失感で家族の生活のリズムが狂ってしまい,なかなか元に戻るのに時間がかかりそうです。


動物を飼っておられる皆さん,よくよく大切に注意深くして,このようなことにならないようご注意ください。

                         「花」の冥福を祈りながら   

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 最近,司法研修所で開催された「債権法改正」の研修に参加しました。何年か前から債権法(民法)改正の検討が進められているという話を聞いたことはありましたが,詳細についてはほとんど理解していませんでした。しかし,研修を受けてびっくり。民法の総則(法律行為,期間,時効等),債権について,かなりの手直しが予定されているようです。
 
 目につくところを,順不同で拾い出してみると,消費者契約法の民法への取込み,錯誤の効果は無効から取消しへ,債務不履行に関する過失責任主義の転換,不安の抗弁権・事情変更の立法化,約款規制,法定利息を固定方式から変動方式へ移行,中間利息控除の場合の法定利息2段階方式の採用,債権時効の整理(10年と3年),合意による債権時効期間の設定の許容,債権譲渡の対抗要件変更(第三者には債権譲渡登記),契約における危険負担の廃止(反対債務からの解放は解除に一本化),瑕疵担保責任における契約責任化(原始的不能契約も有効,特定物ドグマの放棄等),ファイナンス・リースの立法化,下請負人の注文者への直接請求権の新設等々。他にも,重要な改正が提案されているようです。

 私も研修で触れたばかりで,理解が十分ではないのですが,この改正の方向性がどの程度実務に影響するのかまだ図りかねるところです。ただ,法律家にとって,民法の学習は基本であり,おそらく,法律家になる前に,ほとんどの法律家が最も学習の時間を費やしているのは民法だと思います。その法律について,かなり頭を切り換えていかなければならなくなるかもしれませんね。年を取るとつらいものですが,民法や民法理論を改めて学習する楽しみもあります。

 今のところ,学者が中心になって改正の提案をされているのですが,今後どのような手順で進むのかも興味あるところです。法制審議会等を通じて,本格的な改正作業に入るのはいつ頃なのでしょうか。また,そもそも改正作業に入るのでしょうか。

なお,今回の改正案を作った学者中心の改正検討委員会の議論の過程は,ホームページを参考にして下さい(http://www.shojihomu.or.jp/saikenhou/indexja.html)。また,同委員会の成果は,別冊NBL No.126「債権法改正の基本方針」(438頁,3675円)にまとまっています。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




1 離婚事件などの夫婦の紛争では,夫が家事・育児に殆ど協力しないという内容が少なくない。共働きかどうかに関わりなく,家事・育児の大半は妻の仕事とされている家庭が殆どであろう。夫が家事を頑張っている家庭もあるし,最近では夫が育児休暇を取ることもあるが,稀有な例である。わが家は共働きであり,他の家庭と同様に,これまで家事は主として妻の仕事であった。私は比較的家事を頑張る方ではあるが,客観的には補助的な家事労働の手伝い人に過ぎなかった。

2 ところで私どもは仕事上の理由で5年間別居生活を送り,昨年4月に別居が解消した。その5年間は私が自炊生活を送ったため,私の家事の腕前は自称「免許皆伝」の域に達した。洗濯などは言うに及ばず,料理なども結構本を買い込んで研究したので,「玄人はだし」とまでは言えないが,男の料理として結構本格的ではないかと思っている。

3 ところで妻は昨年4月に地元の大学の教壇に立つようになり,昨年8月には弁護士登録をして,この1年多忙な日々を送ってきた。そしてこの4月からは仕事で超多忙状態になっており,毎日いつ帰宅するのか甚だ不規則である。私も結構忙しい身であるが,妻の多忙という事態を前にして家事の大半を私が分担しようかと思うに至り,ここ暫く様子をみていた。そしてついに緊急事態として,「当分の間家事は全て私がする」ことを密かに決意した。勿論このことは妻には話していない。

4 そこで私は毎朝6時に起床することにし,妻が起床する前に家事の全てを片付けることにした。起床後すぐに風呂に点火し,週日2日は洗濯機を回す。その騒音を防ぐために,洗濯機がある場所のドアを閉めて,妻の睡眠を妨げないようにする。そして週2日のゴミ収集日,月各1回の資源ごみと埋め立てごみの日にはごみを出し,午前6時30分には約30分の犬の散歩に出かける。帰宅後は庭に出て,毎日約10分間水撒きや草取りなどの庭の手入れをする。

5 その後風呂に入って汗を流し,ついでに洗濯物を干し,その後で台所に立つ。そして主として私の昼食と夕食の2食分の弁当を作る。弁当は野菜と果物中心で,蛋白質は魚肉と豆腐,納豆などと,健康上の高度な工夫がなされている。弁当を作りながら朝食を済ませる。午前7時半過ぎ家事が終了したころ妻が台所に顔を出す。

6 ところで家事の殆どを私がこなしているのであるから,妻は当然に私に足を向けては寝られない筈である。日々当然にまず感謝の言葉が発せられるべき筈だ。ところが発せられたのは感謝の言葉ではなく,あれこれの苦情であった。さすがに私もこれには驚いてしまった。
 食器は洗ってあるが,洗った食器が山になったままで片付けていない。私が料理すると,ガスレンジが汚れたままで放置され,汚くなる。洗濯した後,洗濯物を干さないままに忘れて放置してあることがある。犬と猫の毛を梳いてやらないので,あちこち家中に抜けた毛が落ちていて汚い。妻の帰りが遅いので,遅くまで起きてテレビを見ながら待っていると,「あら何しているの?」と来る。まるでだらしない生活態度を非難されているかの如くである。

7 何を言うのか。心配して起きて待っているのが分からないというのか。「あら何しているの?」ではなく,「心配かけてごめんなさい。」だろう。
 「なるほどケチをつけようと思えば如何ようにもつけられるものだなあ。」と感心してしまった。

8 私も人の子。感謝されるべきときに感謝の言葉もなく,文句が来ると当然に腹が立つ。妻の大変さは事務員もよく承知している。私はしばしば「今日も家事は僕が全てこなした。ウウウ!できた亭主!」などと言って,自分に対して感動しているという泣き真似をして事務員を笑わせているのである。ところが感謝の言葉がない。腹も立つ。

9 普通なら夫婦喧嘩になるところであろうか。しかし講談調に言えば,「そこでムサシは考えた!ベンベン!」ということになるが,きっと毎日の大変さにイライラしているのだろう。私に感謝はしているが,感謝の言葉を素直に口にする気持ちの余裕がないのであろう。それならばニコニコしながら感謝の言葉が出るまでジット待つことにしよう。「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」。これは徳川家康の心境か。「鳴かせてみせよう」とはせず,怒りの表情も決して見せず,ジット笑顔で待つのである。

10 妻が文句を言えば,私の方に言い分があろうとも,私はすぐに謝ることにした。これを名付けて「奥義無抵抗土下座の術」という。これは良好な夫婦関係を維持するための高度な秘術である。「夫はいかなる場合にも,妻に優しくなければならない。」。この言葉は,家事事件の依頼者が男性の場合に私が常に言っている言葉である。

11 私のケースでは本気で妻に謝るわけではなく,単に妻から感謝の言葉が出るまでジット我慢して待つという作戦に過ぎない。より正確には,「奥義無抵抗土下座・舌ペロリの術」と言う。これはよほど修行を積んだ達人にしかできない高度な技である。
 今暫くは,自分に対して「お主できるな!」などと,マラソンの有森裕子さんのように,「自分で自分を褒めてあげる」という人生の達人の日々を過ごすことになりそうである。しかし間もなく大学は夏休みに入るし,妻にも余裕が生まれるだろう。待ちわびているその日もそう遠くない日にやって来そうな気配ではある。(ムサシ) 

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )




 故郷はいいものである。昨日,祖母の13回忌,父の7回忌で帰郷した。久しぶりで,祖母や父の遺影,それに仏壇をおがみながら,昔を思い出していた。

 関西や北陸には,浄土真宗の僧侶を「ごえんさん」と呼ぶ地域があるようであり,私の故郷もそうした地域にあるが,実家が檀家になっているお寺の「ごえんさん」も,法事でお経を唱えた後に,祖母や父の思い出話をしてくれた。その中に,孫・息子の私が知らない話があったりして少々驚かされた。

 例えば,私の故郷は,浄土真宗の信心深い地域なのだが(昨年11月10日の瑞月さんの書込みに対するコメント参照),祖母の嫁入り道具には,蓮如上人の「御文」五帖が入っていて,大事にしていたというのである。そういえば,毎晩,年端もいかない孫の私も,お経につきあわされたが,その後には,必ず祖母の「御文」朗読があって,私は意味もわからず眠たい思いをしていたものである。祖母が「御文」を嫁入り道具として実家に持ってきていたのは以前から知っていたが,五帖全部を持ってきていたとは初耳であった。あれを全部聞かされていたのか・・・。
 父は,地域の役員をよくやっており,小学校の100周年には,記念行事のために走り回っていたが,その中で,小学校に校訓がないとして,アンケートを採ったことがあったとのことであった。そして,アンケート結果をもとに校訓となるべき言葉を選び出し,学校とどんな交渉をしたのかは?であるが,努力の甲斐あって,小学校設立100年目にして初めて校訓を作ったとのこと。そういえば,小学校には,件の校訓が掲げられており,校舎の外からでも眺めることができる。そうか,あれは父が尽力したのか・・・。

 「ごえんさん」の話の後には,いつもの会食があったが,私は,親戚の人たちから裁判員制度のことを尋ねられることが多かった。これもご時世であろう。年の近い人たちが集まってきて,賛否や運用方法について意見が飛び交ったが,最後「こんなに裁判のことが身近に感じられるようになったのは,裁判員制度のおかげ」と自然に衆議一致したのが印象的であった。
 
 懐かしい人にも沢山会い,接待のお酒もつぎ回り,いささか疲れたものの,祖母や父のおかげで,総じていい1日だったと感じて帰ってきたら,新大阪駅のタクシー乗り場がなにやら騒がしかった。見ると,最近マスコミでよく拝見する顔がくっきりと・・・「あれ,東国原宮崎県知事だ。橋本大阪府知事と会見でもするのかな。」と思いつつ,これは今日のおまけかなと感じて帰途についた。



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




8 彼は麻雀に狂ったお陰で司法試験に合格できたと自慢している。こういう話を現在受験勉強をしている学生たちにすると有害無益以外の何物でもないだろう。実際彼は就職2年目に,ロクに勉強もせずに試験に合格してしまった。私もその年の最初の試験(短答式試験)は合格したが,論文試験で不合格となったものの,結構手応えはあったので,不合格なままに退職して試験勉強に専念する決意をするきっかけになったのであるが,彼は自分が余り勉強しなくても合格してしまったことが,私が退職という常識的に不可解な行動を選択した原因になったのではないかと,後日彼は私に謝罪したものである。

9 そしてその年の12月1日,冬のボーナス支給の基準日に二人で辞職願を出して,ボーナスを貰って辞職した。資料室で一緒に辞職願を書いた。彼は合格して前途洋々の辞職,私は不合格で無職という他人や親から見れば理解困難で気の狂ったような,全く明暗を分けた形の辞職であった。

10 その後私は,親に相談もせず勝手に退職したとして親から勘当され,その1年ないし2年後の未だ志を果たす前に,病気や交通事故で相次いで両親を亡くし,そのショックで勉強を頑張りきれないなど,予期せぬ不遇な青春の日々を過ごしたのであるが,その後婚約したり,婚約者と同時合格といういささかドラマ風な経過を経て,私も無事志を果たし,夫婦で裁判官になった。そして既にその協議会の前の段階で,様々な場面で彼とは裁判官としての再会を果たしていた。

11 その協議会の二次会の席上,私は長官に次のように言い付けたのである。「長官,○○君は,麻雀に狂ったお陰で試験に合格できたと自慢しているひどい奴なんですよ!」。この話にも,長官も同席していた裁判官も興味を示した。その理屈を彼はこう説明した。
 最近司法試験の制度は変わったので,旧司法試験ということになるが,当時は二次試験の論文試験が難関であった。論述式の問題が7科目につき各2題出題されて,1科目2時間で解答するのであるが,問題を見た彼の頭には書きたいことが泉の如く溢れ出して整理に手間取り,やっと1題目の問題に自信作の答案が書けた時には,既に1時間半以上が経過しているというのである。もう1題を30分足らずで書くので,1題目の答案がいかに優秀でも,2題併せると不合格になるという,主として時間配分の失敗で,これまで合格できなかったというのである。2題で3時間なら絶対に自信があったと彼は言った。

12 ところが就職して麻雀に狂って勉強をサボったお陰で(?),彼の頭は問題を見ても書きたいことが溢れなくなったというのである。そこでほどほどに筋を纏めて答案を書いたところ,時間も余り,書いた答案も見直しができた。そして定員約500人中,2桁の優秀な成績で合格したというのである。なるほど麻雀のお陰で合格できたと自慢するのも無理はないし,一応理屈はあっているということであろうか。しかしこれは一体頭がよいということなのか。一体こんな合格の仕方が許されてよいのだろうか。世の中には変な奴がいるものだなと感心した。しかし素直に納得しがたい話ではある。

13 この話を聞いて,長官も他の裁判官も一様に爆笑したが,納得しつつも釈然としない表情であった。彼は今,某地裁の所長として活躍している。司法試験は,その後内容も変化し,時間に関する事情も当時と同じではない。しかしこの話は,面白い話ではあるが,現在の新司法試験の受験生に話すのは有害無益ではないかと,いささか躊躇を覚えるのである。(ムサシ)



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1 あれは今から約15年も前のことである。私たちは夫婦裁判官として別々の裁判所に勤務していた。そのころその地方の高等裁判所で,裁判官による協議会が行われ,夫婦で参加した。有意義な協議会が行われ,懇親会の後スナックで二次会が行われることになった。時の高裁長官はとても気さくな方であったし,妻の司法研修所のクラス教官であったことなどから,長官も二次会に参加されたが,そのためもあってか,二次会の参加者は甚だ多く,大盛会となった。

2 その二次会の席には,裁判官になる前からの私の友人も参加していた。大学を卒業して行政職の国家公務員になった時の同期で,私よりも先に司法試験に合格して裁判官になっていた。その友人が,「長官,実は私とムサシ君は,同じパンツを穿いた仲なんですよ。」と言ったのである。長官はニコニコされながらも怪訝(けげん)な表情で,「同じ釜の飯を食った仲という話はよくあるが,同じパンツを穿いた仲とは一体どういうことかね?」と聞かれた。妻も近くで怪訝そうな顔をして聞いていた。

3 同期入省者は9人で,他にも在学中司法試験を目指していた者は何人かいたが,私と彼の2人だけが,なお司法試験を諦め切れずにいたのである。就職後3か月の新任研修があり,夕方5時になると解散となり,ほぼ毎日皆で麻雀をすることになった。麻雀は2卓で8人なので1人あぶれる。私も麻雀はできたのであるが,できないことにして麻雀はせず,帰宅してセッセと司法試験の勉強をしたのである。

4 彼は在学中は超真面目人間で,麻雀をしたことはなかったそうで,「世の中にこんなに面白い遊びがあるとは知らなかった。」などと言って,就職後は余り試験勉強もせず,周囲の心配を余所に,麻雀に狂っていたのである。私もある時「お前,本気で合格する気があるのか。」と彼を叱りつけたことがあったと彼は言う。しかし結果として彼は麻雀のお陰で試験に合格できたなどと自慢しているのであるから,世の中というのは結構不思議なものである。

5 私は3か月の新任研修終了後も,仕事が終われば急いで下宿に帰り,セッセと勉強をしていたが,彼は残業や麻雀などに明け暮れて,ロクに勉強はしていなかったようである。しかし私が頑張って勉強していることは気にはなっていたようで,時に私の下宿を偵察に来た。「おい,勉強を頑張っているか。たまには酒でも飲もう。」と言って,酒瓶をぶら下げて私の勉強を邪魔しに来るのである。私は「勉強の邪魔だから帰れ。」と言うのに,「まあまあそう固いことを言うな。」と言って,無理矢理酒を飲むことになり,挙げ句の果てに,「今日は泊めてくれ。」と言って勝手に泊まり,翌朝「下着を借りるぞ。」と言って勝手に私の粗末な下着入れの引き出しを開けて,洗濯してはあるものの,決して純白とは言えないパンツやシャツを取り出して,着て帰ったのである。こうして彼は,何回か私のパンツとシャツを「借りた」と称して着て帰り,決して返却することはなかった。返却されても処置に困っただろうが,どうやら彼はその後も洗濯して下着を使っていたのではないかと思われる。

6 ところが私のパンツやシャツには,全てマジックインクで黒く名前が書いてあった。私は在学中寮生活を送り,一本の物干し竿に複数の学生が洗濯物を干したので,名前を書いておかないと紛失する恐れがあり,パンツに名前を書くのはごく当たり前のことだったのである。ところが,やがて結婚した彼のパンツに,ムサシという名前が書かれたものが何枚も出てきたのである。新婚の奥さんは,彼と私の関係を只ならぬ仲と疑って,「一体どうゆうことなの?」と柳眉を逆立てて,彼に詰め寄ったというのである。

7 二次会のスナックの席で,彼は皆の前でこのような話をした後で,「ムサシ君!お前なー,パンツに名前など書くなよな。お前のお陰で妻に変な疑いをかけられて大変迷惑した。」と私に苦情を言ったのである。その場は大爆笑の渦となり,長官も笑い転げておられた。妻も大笑いをしていた。(ムサシ)
(本稿と次回稿は本人の査閲済みであることを付記しておきます。)



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )