日本裁判官ネットワークブログ
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1 昨年の1月からこの3月までの間に,中学,高校時代からの親しい友人が3人も死亡した。寂しい限りである。
2 私は高校を卒業後郷里を離れてからは,かなりの期間を東京で過ごし,多少の変転を経て裁判官になり,転勤で全国を転々とした。そして平成11年4月に38年振りに郷里に帰り,郷里の裁判所に勤務するようになった。そのころから,東京で会社員として勤務していた高校時代の友人が,盆と正月に帰省する際に2人で飲酒歓談していたが,翌年から高校の親しいクラスメイトに範囲を広げて,帰省する友人を囲む会にして,約10人足らずで飲酒歓談してきた。とても楽しい会であった。
3 その後その会は継続し,10数年が経過した。そして2~3年前から,東京に住む友人が帰省しなくなった。正確なことは書かないが,病気療養中とのことで,東京まで見舞いに行きたいとの手紙も出したが,果たせないでいるうちに,友人が死亡したとの連絡があり,驚いてしまった。仕事の都合で東京での葬儀に出席できず,友人ら3名連名で長文の弔辞を速達便で送ったが,葬儀で読み上げられたとのことであった。
4 この1月に,高校の友人グループの1人が死んだ。その会は今後も年2回継続することになっている。そしてこの3月には,田舎の中学校の友人が死亡た。いずれも葬儀に参列した。死因は,2人はガン,1人は脳梗塞である。
5 考えてみると,もう70歳を超えているのだから,いつ何が起きても不思議ではないということであろうか。そうであれば何が起きても悠然と受け止めるという覚悟が必要なのであろう。
6 しかし,3人の友人の死という予定外の事態を受けて種々わが身を反省することになった。私は「健康オタク」を自称しているが,何か改善すべき点はないか。いろいろと考えてみた。そして2点を改善することになった,1点はもう少し痩せようということである。「ちょい太」がよいなどと誤魔化してはいるが,もう10キロ痩せることにした。今80キロは切っているが,70キロを切ることになる。もう1点は飲酒量の減量である。名実ともに飲酒量を「百薬の長」とすることにした。飲酒量は日本酒1合に限定することになった。アルコールの量にすると30グラムまでである。
7 最新の週刊誌(「週刊現代」平成28年4月9日号)に,ガンの治療薬に関する面白い記事が掲載されているので,一読されるようにお勧めしたい。夢のガン治療薬「オプジーボ」がとても効果的であり,順次保険適用の範囲が広がっているというものである。日本では既に皮膚ガン,肺ガンへの保険適用が行われており,肝臓ガンへの適用も間近だろうとされている。これは免疫療法であり,人体に備わっている免疫システムがガン細胞を退治するというものである。人体が保有する「キラーT細胞」がガン細胞を攻撃すると,ガン細胞はその攻撃を弱めるシステムを有しているため,効果が十分でないが,「オプジーボ」を点滴することで,ガン細胞が有する防御システムを破壊するということのようである。
8 この新薬の開発に着手してから15年が経過しており,あらゆるガンに効くとされているようである。かつて人類が結核を克服したように,ガンを克服する日も近いだろうというのであるが,いろいろと期待して待つことにしたい。(ムサシ)



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6 私は昭和17年生まれで,先の戦争で私の居住地がアメリカ空軍のB29戦略爆撃機約140機に空襲され,昭和20年6月29日未明,私は雨霰と落とされた焼夷弾で火の海となっている市街地を,母に背負われて逃げ惑って,幸運にも生き延びたという,命の危険を体験した者である。その空襲で当地では約1700人が死亡し,市の大半が焼け野原になり,2万戸を超える民家が焼失したということである。被害は甚だ甚大だったということになる。私は当時2歳半であり,具体的な記憶はなく,後日母から様子を聞いたものである。
7 市内は一晩で焼け野原になり,わが家と親戚の家3軒が全焼し,財産はほぼなくなった。父は民間人として満州に出兵しており,その留守家族7人が一旦は死を覚悟した状況下で,幸いにも全員生き延びた。
8 敗戦後捕虜になっていた父が2年後に生還した。家業は廃止され,父母は近郊で未体験の農業を始め,大変苦労したようである。子供らは農業の手伝いをし,また勉強を頑張って親孝行することが子供らの共通の目標になっていた。私は無謀な戦争が遂行され,国民が人的にも物的にも多大の損害を受けたことに対し,政府や軍の幹部に対し,激しい怒りと憎しみの感情を抱いて成長した。
9 先の戦争では,国民の多くが直接間接の被害を受けていると思われる。そのような体験を有し,戦争に反対する強い思いを抱いている者として,今何をなすべきなのであろうか。戦争をすると,その勝敗にかかわらず,余りにも被害は大きい。勝つ戦争ならしてもよいということには決してならない。戦争は絶対にしてはならないと思うのである。
10 そして,戦争に対してそのような具体的な激しい感情を抱く者であれば,このたびの訴訟では,弁護士として原告代理人になることは当然のこととして,自ら原告になるべきではないのかという思いが強い。おそらくそうすることになるだろう。東京で予定されている訴訟では,原告代理人になることの意思は表明してある。(ムサシ)

 



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1 平成27年9月19日未明,参議院の議場の混乱のなか,集団的自衛権行使を認める安全保障関連諸法が可決成立したとされ,同28年3月29日に施行されることとなっている。違憲だという声が圧倒的に強かった法律であり,歴代内閣も違憲だとしてきた。そして何よりも,憲法の専門家である憲法学者の圧倒的多数が違憲だとしている法律である。このような法律が,国際情勢が変化し、集団的自衛権行使の必要性が強まったという程度の理由で,従来違憲とされてきた内容の法律が,簡単に合憲になってしまうことはあり得ないことである。単に国会議員の多数で,「合憲である。」として無理矢理押し切ってしまったということに過ぎない。
2 山口繁元最高裁長官は、「集団的自衛権行使は違憲である。」とされ、安倍内閣は「法治主義とは何か、立憲主義とは何かを弁(わきま)えていない。」と厳しく批判された。内閣としては,国民に対し,なぜ合憲であるといえるのかについて,もっと丁寧に説明しなければならなかったと思う。そしてその前に,憲法学者の半数以上が合憲であると納得するように,憲法学者を説得するか,憲法学者が合憲だと認める内容に改めるべきではなかったかと思う。安倍総理は,違憲かどうかは「最高裁判所が決めることだ」と主張するが,最終的な判断者はそうであるとしても,明白に違憲であるような内容の法律等については,予め議論し批判し,時に阻止することが必要だということであろう。
3 安保法制の必要性について,賛否いろいろと意見の対立がある。必要説が全く理解できにわけではない。しかし政権担当者は誠実に憲法を遵守し,国民の声に耳を傾けて,謙虚な姿勢で国政を担当し,国民の期待に応えてもらいたいと思う。違憲の疑いが強い法律を,国会の多数で強引に押し切って成立させるようなことがあったはならない。
4 全国各地の弁護士会は,安保法制違憲訴訟を提起する方向で動いており,各種団体との連携もなされている。私が所属する弁護士会所属の弁護士も,数回の準備会を経て,この3月8日に訴訟提起を目指して団体を発足させ,記者会見が行われた。
5 私は,違憲の可能性が強い安保法制が強引に議決された経過をみて,わが国の政治に強い危機感を抱いており,強く失望したということになる。主権者である国民は,しっかりと政治を監視しなければならない。私は一国民として,また一弁護士として,この事態の中で,自らどのように考えてどのように行動するのかを真剣に考えることにした。そして後日,自らを恥じたり,後悔したり反省することのないように,自覚して対処したいと思っているのである。(ムサシ)

 



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