日本裁判官ネットワークブログ
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1 私は,かつてたばこを1日2箱吸うヘビースモーカーであったが,今から30年余り前にキッパリと止めた。そして今,「健康のためにたばこを吸う?」などと,妙なことを言い出したのである。私は「健康オタク」を自称しており,これまでも何かと「健康遊び」を実行してきたが,このたびその「健康遊び」を強化しようということである。
2 たばこは1箱440円位のようである。1月で約1万3000円になり,健康被害も無視できないことになる。ガンは約10年かけて発症するのだそうである。
3 たばこを吸うと肺ガンや色々な健康被害の原因となる。しかしたばこを吸ったことにして,煙草代相当額を全額健康のために投入することにすると,何か面白いことが起こりそうな気がする。たばこを吸ったつもりになると,この資金の投入が全く惜しいという気持ちにならないで済む。これは名案ではあるまいか。私はこのたびいろいろと考えて,更なる「健康遊び」として,「たばこ代健康法」を実験することにしたのである。さしたる動機はなく,ふとした思いつきに過ぎない。
4 私は以前から,健康に有用な3食品として,納豆,豆腐,ヨーグルトをセッセと食べることにしてきたが,「たばこ代健康法」の一工夫として,最近ヨーグルトに含まれている乳酸菌やビフィズス菌を多く摂取しようと考えて,そのカプセルを飲むことにしたのである。私はもともと自称「快便児」なのであるが,このカプセルの飲用を開始してから,その傾向は強まっており,腸が活性化している実感があって,甚だ痛快である。
5 最近,米ぬかの抽出物である「フェルラ酸粒」を,通販で購入して飲んでいる。健康雑誌の影響である。「脳活性食」とか,「認知症防止剤」とか言われているので,脳の老化防止効果があるということなのであろう。何せまだ認知症の気配はないので,健康遊びとして甚だ気楽な話である。しかし楽しみではある。
6 抗酸化作用の強いポリフェノールとして「アスタキサンチン」がある。これは鮭に含まれている赤色の色素であるが,ビタミンCの約6000倍の抗酸化作用があるとのことであり,サプリメントも案外高額である。もう何年も飲んでいる。
7 私は,昨年夏に緑内障と白内障の治療をかねて左眼を手術し,今年1月に白内障の治療のために右眼を手術して,それぞれ一応成功した。私は10年以上も前から,両眼の健康のためにブルーベリーから抽出された紫色の色素であるアントシアニンの錠剤を飲用してきた。直接目の健康に効果があったという実感には乏しいが,各種の目に見えない効用があったに違いないと思っている。アントシアニンはビタミンCの約50倍の抗酸化作用があるとされており,「たばこ代健康法」の重要な内容になる。
8 私は以前から,ミネラル入りの総合ビタミン剤を飲んできた。そして最近本気で減量するための努力の一環として,お茶の「ヘルシア」を2日に1本飲むことにした。
9 私は,これまで散歩その他の運動や,野菜果物などの摂取に気を配ってきた。その結果かどうかは定かではないが,70歳を過ぎても髪は黒く,血糖値も正常である。そして今回の「たばこ代健康法」のために,前記の金額を全額使い切ることにした。効果の有無などどうでもよい。妻と2人で,とりあえず半年間実験するつもりである。まだこれでもたばこ代相当金額を全部使い切る計算にはならず,「たばこ代健康法」も案外大変で,更なる頑張りが必要になりそうである。もっとも,気楽な実験なので,「やはり止めました」ということになるかも知れない。(ムサシ)



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18 憲法や法秩序を無視するような政治の暴走は,一時的に成功するかのような状況となることがあったとしても,結局長続きする筈はない。主権者である国民はそこまで愚かではないし,政治の暴走は必ず早晩破綻するに違いないと私は思う。
19 人類は比較的近い過去の歴史の中で,もっと極端な政治の暴走と悲惨な結果を経験している。第一次世界大戦に敗北したドイツは,帝政ドイツが崩壊した後の1919年8月にドイツ共和国憲法を制定した。これがワイマール憲法であるが,この憲法は,国民主権を規定し,自由と正義のもとで内外の平和に貢献し,社会進歩を促進させることを目指しており,社会権保障を志向するなど,現代憲法への転換がなされ,その後に制定された諸外国の憲法の模範となったとされており,当時世界で最も民主的な憲法とされていたとのことである。
20 ところが1929年の世界恐慌で大量の失業者が溢れたという事情などもあって,ドイツでは急速にナチスが勢力を伸ばして,1933年1月にヒトラー内閣が誕生した。そしてその僅か2か月後には「全権委任法」が成立したのである。この法律は,ヒトラー内閣にワイマール憲法に拘束されない無制限の立法権を付与したものであり,憲法違反の法律であるが,ワイマール憲法は改正や廃止の手続きが取られることなく,事実上停止状態になった。つまりワイマール共和政は崩壊したということになる
21 なぜそのようなことになったのか。それには理由がある。初期のヒトラは国民から熱狂的に支持され,民主的手続きを経て首相に就任しているのである。1934年には,大統領と首相を統合した「総統」職を新設して,自らその職に就くために国民投票を実施したところ,賛成票は実に90%を超えたというのである。
22 ヒトラーは,失業率30%,失業者600万人を抱えて麻痺していたドイツ経済を4年間で,アメリカに次ぐ世界第2位の活気に溢れた経済に一変させたという。それは奇跡的な成功であったものであり,当時の経済学の理論に反した方法で成し遂げられたというのである。ヒトラーは有効需要を国が生み出すという経済政策を推進したのであるが,それは経済学者のアドバイスを無視して,社会保障と福祉を中心にして,生産力の拡大と完全雇用を目指した失業抑制政策であり,ヨーロッパの各国の失業者が1個のパンを求めてうめいていたときに,ドイツ経済を活気に溢れた経済に一変させたというのである。
23 ナチスドイツには,シャハトという天才的な経済担当者がいたのだそうで,第一次世界大戦の敗戦で,賠償金の支払いで不況のどん底であえいでいたドイツを,アッという間に救ったというのである。その成功は,失業をなくしインフレを抑えたということである。
24 それから40年後に,当時世界の最先端を行った経済学者であったガルブレイスは,「ヒトラーの経済政策は,現代の経済政策を予見していた。」と評価したそうであるが,「それはヒトラーの経済学の知識によるものではない」とも付け加えたという。
25 ヒトラーには優れた才能があったということではあるのだろうが,一体彼はなぜ致命的に間違ったのか,ヒトラーを熱狂的に支持した国民にはどのような責任があったということになるのか,興味を覚えるところではある。(ムサシ)



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1 近く5月の連休がやってくると,孫たちもわが家にやって来る。そうするとわが家の庭の草花は殆どむしり取られて,無残な姿になる。チューリップも水仙も矢車草も紫露草もなくなることになりそうである。それらの花々は,満面の笑みを浮かべた女の子の両手のひらに捕まれて,わが家の大き目の花瓶に生けられることになる。
2 わが夫婦が私の郷里にマイホームを所有するようになったのは平成8年のことであるから,丁度20年が経過した。当時長女が高2,次女が中1であった。私は当時姫路市に単身赴任し,平成11年4月から自宅に住むようになった。姫路から土日に帰宅したり,自宅に居住するようになってからは頻繁に,草花の苗木を衝動買いするのが趣味となり,セッセと苗木を買って来たのである。家の庭の草花が増えるので,大いに結構なことなのではあるが,私の熱意と気力は主として苗木を購入するところで尽きてしまい,苗木を自宅の玄関の前まで運ぶと,それで目的を達成したかのごとき思いとなり,「まあ,明日植えればよいだろう。」ということになったのである。
3 苗木を購入するのは概ね土曜日であることが多いので,翌日である日曜日になると,突然私の心は,「忙しい。仕事をしなくては」ということになって,苗木を植える気力が低下し,植え換えていないままの苗木に,ジョロで水を掛けるなどして日を過ごし,結局枯れてしまうという事態がよく繰り返された。
4 妻は,苗木を買って来た人が責任を持って植え換えるべきと,甚だ正当な主張をして,私は何度も苦情を言われた。私を信頼していると何度も苗木を枯らしてしまうという事態となることが判明してからは,3日間程度の間に私が植え換えない場合には,諦めて,妻が自分で植えるようになったのである。仕様のない亭主だと愛想を尽かしたに違いない。
5 ある時妻に,「申し訳ないことをしているので,お詫びの印に家出でもさせていただきましょうか?」と言うと,妻は「是非お願いします。」と答えた。その後私は家出したままで,家出は解除されていない筈なので,私の心はまだ家出中であり,私の心は,わが家の屋根の上で寝ているのではないかと思われる。
6 しかし変な亭主のお陰で,わが家の庭や塀の外の花壇は,結構綺麗な花が咲いているということになる。わが家の塀の外は幅約50センチの細い花壇となっている。私は主としてその花壇に植えるためにセッセと苗木を買って来るのである。今も結構賑やかに草花が咲いている。三色すみれ,ペチュニア(朝鮮あさがお)などが咲いているし,間もなくカーネーションやナデシコ,キキョウなどが咲きそうである。通行人が暫し足を止めてその花を眺めていることもある。今年も例年のように,キキョウやナデシコが窃盗の被害に遭うことになるのだろうか。
7 孫が庭の花を手折ることについては,複雑な思いもないわけではない。しかし折って捨てるのであれば許せないに違いないが,手折って小さな両手を一杯にして,花瓶に生けてくれるという話なのである。そんなことを許してくれる所はそうあるまい。「おじいちゃんの家に行って,花を一杯折って,花瓶に生けてあげよう。」と小さな胸を弾ませて,連休を楽しみに待っているのであれば,それを咎めるのは何とまあ心貧しきことであろうか。「おじいちゃんも手伝ってあげようか?」と言って,私も孫と一緒に,大はしゃぎして庭の花を無茶苦茶沢山折ることにしようと思っているのである。(ムサシ)



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11 集団的自衛権行使を認める安全保障関連諸法が,平成27年9月19日に国会の多数で可決成立し,同28年3月29日に施行された。違憲だとする国民の声が甚だ強く,歴代内閣も違憲だとしており,憲法の専門家である憲法学者の圧倒的多数が違憲だとしている法律である。それを国会議員の多数で,「合憲である。」として無理矢理押し切ってしまったということである。甚だ強引な政治の暴走であり,異常事態である。この国は狂ってしまったのであろうか。
12 与党のある国会議員は,「学者の言うとおりにして平和が守れるのか。」という趣旨の発言をしたということである。この言葉を言い換えると,「憲法を守れば,平和が守れるのか」とも,更に言い換えると,「平和を守るために必要であれば,憲法を守らなくてもよい。」と言ったと同じことになるだろう。現憲法では平和を守ることができないので,国会の多数で憲法違反の法律を成立させ,憲法違反であることを承知のうえで,「合憲だ」と言い張っているということであろう。
13 まともな立憲法治国家であれば,いかなる場合であっても憲法は守らなければならない。これは不動の鉄則である。憲法を守ったために平和が守れなかったというのであれば,それは仕方がないことである。しかし「どうすれば平和が守れるのか」という問いに対する正解は容易に見つかるわけではない。
14 集団的自衛権行使を容認すると,日本国本土に対する直接的な攻撃を防止できる可能性は高まるように思えるが,海外で活発に活動するようになるであろう自衛隊が,海外で攻撃されて,わが国が戦争に巻き込まれる危険性は飛躍的に増えるのではないのだろうか。テロ攻撃を受ける不安も,飛躍的に増大するという気がする。
15 かつてドイツにおいて,ヒトラーは憲法に優先する法律を制定し,世界を唖然とさせたことがあるが,現在の日本においても,法的に同じことが起きていることになる。現代国家において,どうしてそんな非常識なことが平然とできるのであろうか。
16 違憲の法律かどうかで意見が分かれる場面において,多少強引な国会での法律の採決が許されるのは,憲法学者の意見が大きく分かれているというような場合ではあるまいか。一体わが国はまともな立憲主義の法治国家といえるのであろうか。私はこの日本において,健全な常識からは信じられないような,甚だ無責任な政治の暴走が進行していると思うのである。主権者である国民は,このような事態を放置してよいのかということになる。
17 憲法違反であるとされる法律をどうしても成立させたいというのであれば,遵守すべき手順がある。その手順を踏むことの賛否はともかくとして,まず憲法自体を改正すべきことになる。わが憲法を改正するためには,衆参各議院の総議員の各3分の2以上の賛成で国会が憲法改正を発議し,国民投票の過半数の賛成が必要であることになっている(憲法96条1項)。わが憲法の改正はそう簡単にできることではない。勿論私が憲法改正に反対であることも言うまでもない。(ムサシ)

 



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1 今年の4月2日は全国的に好天で,多くの所で桜が満開となった。土曜日でもあり,その日以降は雨や曇りの日が続くという予報であったため,絶好の花見の日になったようである。私もわが家から300メートルの所にあり,桜の名所となっている岡山後楽園の桜並木で花見をするつもりでいた。屋台でタコテン(タコのテンプラ)を買って昼間からカンビールを飲みながらブラブラと花見をするつもりでいたところ,高校時代の悪友から呼び出しが掛かり,花見は止めて,夜3人で飲みに出かけ,久しぶりのカラオケを楽しんできた。私の「月1カラオケ健康法」は,今のところ「年3カラオケ健康法」となっており,まだ努力が足りない状態である。
2 この冬は天候不順で,各種の花の開花時期がおかしい。そして今,いろんな花が満開である。わがやの狭い庭もとても賑やかになっている。水仙やチューリップや真っ赤な花桃や木蓮などが咲いている。薄い青色の背の低い花が庭一面に咲き乱れているが,名前はまだ知らない。今度この花の写真を撮影して拡大し,事務所の額に飾ることにしよう。また私の好きな濃い青色の矢車草が,今年はなぜか庭を席巻している。事務所の花瓶にも矢車草が飾られている。近く美味しいお弁当を買って,事務所の皆で毎年恒例になっている花見に出かけることになっているが,かなり桜が散っているかも知れない。今が春爛漫ということであろうか。
3 5月の連休には,孫たちがわが家にやって来ることになっている。わが夫婦の子は女の子2人で,それぞれ結婚し,孫が2人ずつで全部で4人である。上の子はどちらも男の子で,今年小1入学と来年入学,下はどちらも女の子で,どちらも3歳である。昨年も孫が勢揃いしたが,4人で競争してわが家の庭の花を手折り,大きな花瓶に生けたので,庭の花は殆どなくなってしまった。今年もそのようなことになりそうである。
4 孫たちの年齢が遊び仲間として丁度よいようで,私は4人の孫たちの攻撃対象になる。「オジジをやっつけろ!」と叫びながら全員が棒などのような凶器を持って襲ってくるのである。「何,負けるものか。待て!」などと言って反撃し,追いかけたりするが,結局いつも「まっ!参った。助けてくれ!」と降参して戦いは終わることになる。「ワーイ,勝った,勝った!」と孫たちは大喜びしているが,わが家の客間の障子は破かれて,穴だらけになっている。
5 あれは長女の下の女の子がまだ1歳になる前のことだったと思う。わが夫婦と,2人の子供それぞれの家族が東京の池袋にある次女夫婦の家に集合したことがあった。その帰途,山手線で池袋駅から東京駅に向かう途中,空席がなくて吊り皮を握って,私と長女が並んで立っておしゃべりしていた。長女はダッコ紐のようなもので,女の子を抱いていた。そして私が「アレッ」と思ってふと見ると,長女に抱かれている孫が,よそを向いたままで,私の背広の襟を掴んでいたのである。そっと孫の顔をのぞき込んで,小さな声で名前を呼ぶと,その子は恥ずかしそうにして,手を離した。しかし間もなく,また同じように,よそを向いたままそっと私の背広の襟を掴んだのである。私は,「心がとろける」とはこんな感情のことを言うのかなと,しみじみと思ったのである。
6 孫たちもどんどん大きくなるに違いない。私は密かに,「時よ,止まれ!」と思っているのであるが,私の願いは到底叶う筈もない。(ムサシ)



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