日本裁判官ネットワークブログ
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 年賀状の時節。パソコンの住所録に入れた名前が間違っていると,その間違いは何年も続く。受け取る方は毎年イヤになる。「いつも間違いやがって!」と。自戒しなければいけない。

 私の名前は「△△武是」である。「たけよし」と読む。太平洋戦争中に生まれた私に,「強く正しい」大日本帝国の礎となれ,親の「願い」の籠もった名前である。しかし,なかなか正確には読んでくれない。せいぜい「たけこれ」がいいところ。「ぶぜい」などとカッコよく読んでくれた人には,むしろ二重まるをあげたい。

 先日,とある相手と連絡をとり,郵便物を受け取る必要があった。電話で,先方が住所と名前を尋ねてきた。応対したカミさんが「武士の「ぶ」,それに,良い悪いという意味の「是非」の「ぜ」です」と,丁寧に教えた。

数日後,その郵便物が届いた。
宛名には,なんと,「△△武非様」とあった。
こんな名前をつける親がいるか! バカタレ! 責任者でてこーい!
 
皆さん,よいお年を。(蕪勢)


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 季節感のないまま、年の瀬も早や一日となった。
どうにか仕事も一段落して、年賀状を書いている。

 年々歳々、今年こそは、郵便局の指定する12月20日までには、出し終えようと決意するものの、結局は仕事等を優先する結果となり、12月30日前後の2,3日、年賀状書きに追われるのがここ10何年かのお決まりコースになってしまっている。
 約500枚を手書きすることは短時間ではできないので、表書きも裏書きもパソコン印刷に頼ることになる。
 肉筆で書く部分を少しでも多くしようと思うのだが、時間切れで「本年もどうぞよろしく」と書き添えることすらできないで投函してしまうこともあった。
 科学技術の進歩は大したもので、今年は、新調したプリンターが、約30分で表書きを完成してくれた。これで明日にかけて肉筆で書き添える時間が例年よりは多くとれる。


今年の漢字には「偽」が選ばれた。
不二屋が消費期限切れの牛乳でシュークリームを製造販売したことが発覚したことに始まり、ミートホープが偽牛ミンチを出荷していた事件、比内地鶏の原材偽装事件、「白い恋人」・「赤福餅」の賞味・消費期限改ざん事件、料亭船場吉兆が消費期限切れの生菓子を販売するなどしていた事件等、食品偽装の発覚が相次いだほか、有価証券報告書の偽装などが明らかとなり、国民が、「ブルータス、おまえもか」という不信感を持ったことが背景にある。

内部告発による情報提供が保護されるよう法整備がされたことから、透明化が進んだ結果でもあり、今年になって急に「偽」が進んだわけでもないと思われる。
しかし、姉歯構造計算書偽造事件をはじめ、種々の偽装事件が明るみに出て、企業のコンプライアンスが日常的に叫ばれる中で、これまでの悪習を断つことなく平然と続けていた感覚はどこからくるのであろうか。
偽りでも隠し通せばどうにかなるという確信がさせたのであろうか。
「悪事千里を走る」とか「真理は時の娘」とか「天網恢々疎にして漏らさず」といった古今東西の格言が頭をよぎる。 


 訴訟においては、双方が「相手の言っていることはすべて偽りである」「正直者がばかを見るような判断をしないで欲しい」などと相互に言い合う場面も少なくない。
 そして、双方の供述の齟齬が見方の相違による結果であることも多いが、どちらかが虚偽の主張をしているとしか考えられない状態で、自由心証による事実認定をせざるを得ないことがある。
その場合、裁判官は動かせない事実、資料を基礎にしながら、さまざまな角度からの推認をし、自己検証しながら、事実認定作業をすることになるが、虚偽の事実を述べて自ら墓穴を掘っているケースもあり、また、その人の虚言が紛争を大きくしてしまったと見られるケースもあって、「偽り」の持つ「負」の価値を思い知らされる。

来年は、「偽」などというやるせない漢字とは無縁の年であって欲しいと願う。
(あすなろ)

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 昨年に続き,今年の10大ニュースです。今年もいろいろなことがありましたね。ご意見は何かとあろうかと思いますが,① 司法自体の構造変化をもたらすもの,② 司法が政治や社会に大きな影響を与えたこと,③ 司法関係で大きなニュースになったことなどの視点で選んでみました。全体としては,裁判員裁判をはじめとした改革の準備や実施が進み,その影響が出始めたこと,それに合わせて司法が映画や本で取り上げられることが多くなったことが今年の特徴でしょうね。
 また,何月の出来事と入れることができない継続的な動きのニュースが多かったですね。そのため,何月の出来事であるかは省いているニュースも多くなっています。なお,今年も,10番目は控えめに入れました。参考までに,昨年(平成18年12月27日欄)の10大ニュースも最後に載せておきます。昨年と比べて,今年の特色を考えてみてください。(瑞祥)

○ 今年の司法10大ニュース

1 裁判員裁判の実施への取組みが進む(部分判決制度導入の法改正,模擬選任手続の実施,裁判員に量刑資料提供・裁判員のための警備強化・裁判員候補者からの質問に民間委託で対応などの各方針提示,裁判員のための介護施設の紹介,取調べの可視化の動き,自白調書不提出の場合もありうるとの最高検試案発表,保釈率の上昇,民間企業で裁判員のための休暇制度の創設など)。

2 薬害肝炎訴訟,政治も動かし解決へ(大阪高裁の和解案骨子,政府が議員立法へ,原告ら側も受け入れへ)(12月)。そういえば,今年は,残留孤児訴訟も,与党のプロジェクトチームが出した支援策を,原告らが受け入れた動きもありました。

3 新旧60期司法修習生,司法研修所卒業。不合格も多いだけでなく,就職できない「宅弁」も発生。これに関し,各地の弁護士会で法曹人口についての決議。

4 裁判もの大ヒット(周防正行監督映画「それでもボクはやっていない」,北尾トロ著「裁判長!ここは懲役4年でどうすか」(文春文庫),長嶺超輝著「裁判官の爆笑お言葉集」(幻冬舎),ドラマ「パートタイム裁判官②」(TBS),連続ドラマ「ジャッジ~島の裁判官奮闘記(NHK))。裁判への関心の高まりか。最高裁も映画「裁判員~選ばれ,そして見えてきたもの」を作る。

5 証券市場に関係して,重要な決定・判決が続く。証券市場に甚大な影響も。(ブルドッグソース事件決定,ライブドア・村上事件判決など)

6 犯罪被害者が刑事裁判に参加する制度の創設(平成19年6月27日法第95号,1年6か月以内に施行)(6月)

7 ADR法施行(4月)。国民生活センター,医療分野(東京3弁護士会,9月),大阪弁護士会(9月),日本証券業協会(12月)等において,ADR設置又はADR認証申請の方向。裁判所や法務省の労働審判・筆界特定制度などのADRも順調な滑り出し。

8 世間を揺るがした年金分割問題で,第三者委員会に全国で弁護士投入。基準は,民事裁判的なものに(6月)。法曹人口増の中では,大事な動き。
 
9 法廷警備等の問題が深刻化。法廷で裁判官が襲われ,法服が破られる事件(5月,東京地裁が刑事告発),藤沢簡裁で放火事件(7月),弁護士事務所で殺人事件(大阪,9月)などが発生。

10 日本裁判官ネットワークの岡山総会開かれる。長嶺超輝さんの講演のほか,総会でブログ充実や季刊誌発刊の方向性が決まる。(12月)
 
そのほかにも,奈良の少年事件で法務省,奈良家裁が動き,結局刑事事件になったこと,年金分割が始まり家裁実務が動き出したこと(4月),鹿児島志布志町の選挙違反事件(2月,鹿児島地裁),北方事件(3月,福岡高裁),富山の再審事件(11月,富山地裁高岡支部)などで,無罪判決が続いたことも記憶に残ります。

○ 昨年(平成18年)の司法10大ニュース

1 法テラス(日本司法支援センター)業務開始(10月)
2 最高裁,貸金業規制法43条(みなし弁済規定)の任意支払について厳格解釈の判決(1月)
3 最高裁長官交代,プラス誤報有り(10月)
4 新司法修習生,修習開始(11月),一方で旧司法修習生大量の合格留保(9月)
5 裁判員裁判の実施への取組が進む(部分判決制度,選任手続イメージ,地裁刑事部の担当,裁判員裁判の実施支部の内定など)
6 裁判官報酬にも中央と地方における民間の給与格差反映(4月)
7 起訴前の国選弁護制度開始(10月)
8 竹中省吾大阪高裁部総括判事,住基ネット判決後に自殺(12月)
9 ミスター司法行政,矢口洪一元最高裁長官逝去(7月)
10 日本裁判官ネットワークの名古屋総会開かれる。下澤元判事の退官記念講演会も(9月)


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私の大学時代からの友人で,現在某高裁で刑事の裁判長をしている彼に「孝行をしたいときには親はなし」とはよく言ったものだと話したことがある。私が勝手に退職したことから親に勘当され,未だ志を果たす前の勘当中に相次いで両親を亡くし,その後婚約者と運良く一緒に試験に合格し,合格と婚約を報告した父母の墓前で号泣したという話をすると,その友人は,それを「風樹の嘆(ふうじゅのたん)」というのだと教えてくれた。私はそんな言葉は知らなかったので,よく勉強しているなと驚いたものである。早速国語辞典で調べてみると,「親に孝行しようとした時には,既に親がなく,孝行できないという嘆き」と書かれていた。更に中国の「韓詩外伝」中の「樹静かならんと欲すれども風止まず,子養わんと欲すれども親待たず」が語源とあった。
 その彼はなかなかの読書家とみえて,藤沢周平の著作は全部読んだと言っていた。その中のベストは「蝉しぐれ」だというので,かなり前に私も読んでみて感動した。その後「蝉しぐれ」はテレビや映画にもなり好評だった。
裁判官ネットワークにも読書家の裁判官が何人もいるが,裁判官は一般に多忙でなかなか思うようには読書ができない現状にある。「最近の裁判官は余り本を読まない。」という批判があると聞いたことがあるが,判決を書くのに追われて本など読んでいられないということであろう。
 私はテニスを趣味としているが,私の友人の裁判官が以前はよくテニスをしていたのに,最近はテニスをしないので,「土,日はどう過ごしているのか。」と聞いたところ,「当然判決を書いていますよ。」と笑いながら答えた。言外に「聞かなくても判っているでしょうに」という意味に聞こえた。
 2001年(平成13年)6月に出された司法制度改革審議会の最終意見書で,法曹人口について「飛躍的な増大を図っていくことが必要不可欠」であるとされ,裁判官と検察官についても「大幅に増員することが不可欠である」とされているのに,小幅な増員に止まっており,一向に裁判官の大幅な増員がなされていない。その理由の一つとして「大幅に増員すると裁判官の質が低下する。」と言われているようである。しかしある程度そうなることは当初から判っていた筈のことであるし,そんな理由で意見書を無視して裁判官(と検察官)を大幅に増員しないで済んでしまうというのも不可解な話である。この国は一体どうなっているのだろう。
 近く裁判員制度が施行されるため,民事担当の裁判官が減員となり,刑事担当へと配置換えがなされている一方で,この数年民事事件が大幅に増加していると言われている。このまま行けば裁判官の負担は増える一方であり,一体今後どのような事態となるのか甚だ心配である。現に司法試験の合格者が大幅に増えて,弁護士だけが年々大幅に増加しているのであるから,どうみても今後事件数が飛躍的に増加することは自明の理といえよう。今後裁判官はどのような生活を迫られることになるのであろうか。
 採用時の裁判官の質の問題もさることながら,裁判官が多忙で焦ると仕事の質は低下することになる。また採用後ろくに勉強も読書も出来ず,十分自己研鑽ができないことになるとやはり裁判官の質に関わってくることになるだろう。
 裁判官が昼夜も土日も仕事漬けの生活というのではなく,仕事から離れて計画的に自分で法律の勉強をしたり,読書をしたり,更には趣味を楽しむだけの,ある程度の余裕が必要である。そうでなければ法律的にも人間的にも実力をつけることは困難であるし,裁判官が「よい仕事をしよう。」という姿勢や意欲を維持することも困難であろう。
 裁判官の仕事がやり甲斐のあるものであることは疑いのないところであるが,裁判官が仕事を頑張るだけでなく,タップリ読書したり,趣味を楽しんだり,裁判官としての充実した生活を味わって暮らせるような余裕が持てることが望まれる。そうなってこそ質の高いよい仕事ができるというものである。またそれが司法改革の大きな狙いであった筈であるし,多くの裁判官もそれを期待していた筈である。今がその好機である筈なのに,それが実現できないのであれば,今後もそれを期待できないことになりそうである。
 早く裁判官が存分に読書できる条件が整備されることを切に願うものである。(ムサシ)


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産経連載「君たちのために」第39回(07年12月26日大阪版夕刊)

                         弁護士 井垣康弘

悩める親たちのために

田村裕著『ホームレス中学生』のお母さんの子育てを「母親の普通の愛情」だと説明させてもらった。すると、早速読者(母親)からお便りをいただいた。

「紙面を読んでいる最中から涙があふれ、切り抜いて職場の昼休みにまた読み、1人声を押さえて泣きました。(育てた男の)子どもがそんなささいなことをうれしく思ってくれているとは知りませんでした。子どもにはお金を掛けるなど特別なことをしてやらないとダメな親だと思い込んでいましたが、今まで自分が実際にしてきたことで良かったんや!と自信が持てました」。

このお便りは、うれしかった。田村裕少年のお母さんは、「子育て」をたっぷり楽しまれた。この読者も、ご自分のこれまでの「子育て」に自信を持つことで、今後の息子さんとの関係が豊かなものになり、かつそれが人生の楽しみの1つになるだろう。

市民講座で、少年たちによる「リンチ傷害致死事件」について、具体的な例をあげて講演したことがある。5人組のうち4人が傷害致死で刑事・民事の責任を負ったが、1人はその場から逃げて、何の責任も負わなかった。その子は、険悪な雰囲気が高まり、今にもリンチが始まろうとしたその瞬間、「ボク、塾の時間や」とうそを付いて一目散に走り去った。

講演のメインテーマは、加害者4人と被害者遺族との間の謝罪や償いのための対話(修復的司法)であったのに、参加者からの質問は「どうすればそのような機転のきく賢い子どもに育てることができるのか?」と逃げた子どものことに集中した。「ごく普通に愛情をそそいで育てたら、子どもは非行に走りません」と力説したが、全く納得いただけなかった。

今回、『ホームレス中学生』が出版されたおかげで、親が楽しんで子育てしておれば、何の心配もいらないことを理解していただけたと思う。

しかし、実際に「悩んでいる親」はたくさんいる。我が子の「非行」に悩んだ親たちの自助的活動の中から生まれたNPO法人に、非行克服支援センターというものがある。ここが、年3回定期雑誌の発行を始めた(私も編集委員である)。「ざ ゆーす」(新科学出版社(840円)といい、書店で注文もできる。

創刊号は「子どもの問題と家族」を特集している。その中の1つに、評論家の芹沢俊介さんの「子どもにとって家族とは」という原稿がある。小さい子どもが親の側に来て「ねえ」と言ったときに、今していることを止めて即座に「なあに」と対応すべきである。それをしないで、「ちょっと待って」と言い、結局そのままになってしまうことが積み重なると、子どもは「親ないし大人」を信頼しなくなり、その結果は恐ろしいとのことである。この話は良く分かる。一読を強くお勧めしたい。


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産経連載「君たちのために」第33回(07年11月14日大阪版夕刊)

                      弁護士  井垣康弘

母親の普通の愛情


「どうしたら子どもを非行に走らせないことができますか」という質問を受けたら、私は「ごく普通に愛情をそそいで育てたら、子どもは非行に走りません」と断言するが、納得してもらえず困っていた。

だが、最近出版された田村裕著『ホームレス中学生』に登場するお母さんの子育てを「普通に愛情をそそぐこと」の具体例として説明すると、全員が即座に「分かった!」と顔が輝く。本当に助かる。

田村少年は、中学2年生の夏、一家が突然「解散」して公園でホームレス生活をせざるを得なくなった。公園の草やダンボールまで食べたが、飢え死に寸前の状態で、コンビニのパン売り場の前に行き、よだれを垂らした。盗むか盗まないか迷いに迷った。

そのとき、小学校5年生のときに死んだお母さんの顔が浮かんだ。お母さんが見ていたらどんな顔をするか、それを考えると、どうしても盗む気になれなかった。腹の虫が負けて公園に帰ると幸い、パンの耳を鳩にあげているおじさんに出合い、それを分けてもらって食べ、命がつながった。

 田村少年は、「あの日、もしパンを盗んでいたら僕の人生がどうなっていたかを考えると、ぞっとする。お母さんが見ていてくれた。お母さんが止めてくれた。お母さんが守ってくれた」と喜ぶ。

 ところが、このお母さんが、
ごく普通のお母さんなのである。田村少年の頭を何度も巡るお母さんとの温かい思い出が30ほど書かれている(幼児期に万引きをして叩かれたことも入っている)が、主なものを要約させてもらう。この親子関係が田村少年の万引きを阻止したのである。

◇外で遊ぶのが好きで、いつも服や靴下をドロドロにして帰ったが、お母さんは「もう、こんなに汚して」と口では言いながら、うれしそうな表情を浮かべていた。そして真っ白に洗濯してくれた。

◇(よく忘れ物をするのに)僕が大好きだった牛乳だけは一度も買い忘れがなかった。

◇お風呂で、頭のてっぺんから足のつま先までしっかり洗ってくれた。湯船に一緒に浸かると、僕の肩に手でお湯をすくってチャプチャプ掛けてくれた。すごく好きで、とても気持ち良かった。至福の時間だった。毎日お母さんと一緒に風呂に入った。

◇幼稚園のころからお母さんがスーパーのレジで働き出した。毎日迎えに行った。晩ご飯の買い物をしてお母さんと手をつないで一緒に歩いた。安心感に満ちた楽しい帰り道だった。

◇湯豆腐は苦手で、「熱くて食べられへん」とダダをこねると、豆腐をフーフーして食べさせてくれた。それだけで不思議と豆腐を美味しく感じた。お母さんの不思議な愛の調味料(だった)。

◇こたつで寝ると、布団まで抱っこしていってくれるので、
何度もこたつで寝たふりをして抱っこしてもらった。

◇小学校5年生のとき、お母さんは病院でがんで亡くなったが、最後まで家族に心配を掛けまいと笑顔だった。


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長嶺超輝著「サイコーですか?最高裁!」を読む(その2)

前回のあるなしクイズ
「下級裁判所の法廷にはあるけれど、最高裁の法廷にはないもの」
の正解は「証言台」だそうです(58頁)。
最高裁は法律審ですから、書面審理しか行わず、証人等の尋問は予定されていないので、確かに基本的に不要なのです。

なお、こちらには「のぞき窓」という答も寄せられました。実際にそうかどうかは未確認ですが、もしかしたらこれも正解かも知れません。もちろん傍聴席はありますが、傍聴希望者が自由に法廷のドアの外まで行って、中の様子を見てから入るような体制にはなっていませんから。

もっとも、理論上は、最高裁でも事実審理をしなければならず、証人尋問の必要が生じ得る特殊な事件があるのだそうです。
それは、どんな事件でしょうか。
答はまた次回に。
(チェックメイト)


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裁判員制度について(続)

裁判員制度に対する私の「推進」意見について、「人生幸朗」さんの、ネットの裁判官ですら、制度ができれば推進するしかないのか、との意見に考え込んでいます。
まず、ネットのなかにも、裁判員制度に反対の方もおられますので、ブログでの意見は個人的意見にすぎないことを確認させてください。

以下、あくまで私個人の意見です。
私は、もともとは陪審賛成論で、参審制度には懐疑的でした。しかし、審議会の審議がすすむうちに、比較的早い段階で陪審制度の採用が遠のいてしまいました。私は、その時点で、仮に、参審の方向に行くにしても、陪審制の長所とすべき部分がとりいれられればいいなあ、と思うようになりました。結果的に、裁判に関与する市民が無作為抽出で選出されること、裁判官3人に対して市民が6人も参加する制度になったことに、不十分にせよ、市民参加の制度としては評価できると考えました。喜びすぎたかもしれませんが、この裁判員制度が失敗すれば、陪審はもちろん、市民参加の制度は革命でもおきなければ実現できないと思いました。それゆえ、その後は、裁判員制度の推進派になったわけですが、市民のみなさんから、問題が多すぎるのではないかとの意見が、その後も続出しています。
 私自身、もう一度、この問題について、腰を据えて考えたいとおもっています。 具体的な問題点については、次回以降に述べたいと思います。(風船)


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22日の土曜日,電子速記研究会という速記官の集会に東京まで行ってきました。
 裁判員裁判には速記録がどうしても必要だというのが私の持論で集会でもそのような発言をしてきました。特に評議の場面で,書記官や速記官に必要な録音録画箇所を検索してもらうのにそれほどの時間は要しないとは思いますが,評議室から書記官,速記官をいちいち呼ぶのでしょうか。時間的ロスのみならず,議論や思考の中断が避けられないように思います。現在の速記官の作成能力からすると評議開始までに文字の速記録を作成することは十分可能です。文字化されたデータは必要な箇所を目でほぼ瞬時に探し出せます。
迅速性が必要な裁判員裁判で供述の確認に無駄な時間はとれないのではないでしょうか。また当日,中途難聴者の会の方が,裁判員裁判に参加したいが,会場で実演されたような同時速記字幕のようなものを是非用意してもらいとの要望もありました。
 この点からも速記反訳プログラム「はやと君」を使った速記が必要と感じた次第です。「花」

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 村上春樹ファンにはまたまた心躍る本が出た。「走ることについて語るときに僕の語ること」という長いタイトル(文芸春秋社)。帯には「村上春樹がはじめて自分自身について真正面から語った」とある。確かに,マラソンランナーでもある小説家の日々を語ってその息づかいが伝わってくる。マラソンに向けてのたゆまぬトレーニングと克己心もやはり並のものではない。いまやノーベル文学賞の有力候補者に挙げられている。彼の小説の主人公についてもそうだが,このエッセイにも一貫して流れる小説家のひたむきな頑固さ,それでいて前向きで潔い生き方は,私にとって,人生の応援歌のように聞こえてくる。今夜はクリスマスイブ。私にはどんなサンタが来るのだろう。
 心に沁みる素敵な一節に出会った。全部引用したいところだが,そうもいかない。
 「いろんな人がいてそれで世界が成り立っている。他の人には他の人の価値観があり、それに添った生き方がある。僕には僕の価値観があり、それに添った生き方がある」。只,そのような相違が人と人との大きな誤解に発展して「心が深く傷つくこともある。これはつらい体験だ」。しかし,年齢を重ねることで分かったことは,「僕が僕であって,別の人間でないことは、僕にとってのひとつの重要な資産なのだ。心の受ける生傷は,そのような人間の自立性が世界に向かって支払わなくてはならない当然の代価」ということだ(34~35頁)。
(蕪勢) 


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先回、自己に何らの落ち度もないのに難治のC型肝炎に罹患した薬害被害者の想いを汲んだ最大限の救済措置がとられるよう希望する趣旨の投稿をしたところ、想定外の反響があった。
 国及び製薬会社による薬害被害者の救済の必要性を語ったつもりで、医師の責任の点については全く念頭になかったところ、思いがけず、医師の方々から医療訴訟に関連した御批判をいただいて驚いた。ブログに投稿し始めて3度目になるが、このブログを様々な分野の方々がご覧になっていることを改めて認識し、ありがたいと感謝するとともに、表現方法の配慮の視点を持たねばならないことを再認識している。
 寄せられたコメントから、医師の方々の中に医療訴訟に対する不信感を持っておられる方が少なからずあることを改めて実感している。
 相互理解を深めるため、各地で、医療者側と裁判所の関係者を含めた医療に関する連絡協議会が、定期的に持たれているところではあるが、そのうちに、このブログでも相互理解を深めるために医療関係訴訟についても触れてみたいと個人的には思う。
 
 さて、本題に戻るが、薬害C型肝炎集団訴訟では、第1次和解案による和解は決裂したが、大阪高裁が第2次和解骨子案を出す方針であると報じられた。
 マスコミに公開しながら和解手続きを進めて行く結果となっていることが興味深い。
 和解の方法については、同席和解方式(当事者が同席のもとで和解を進める方式、透明性を確保し当事者の主体性を引き出すことができるといわれる)も採用されてはいるが、個別面接方式(当事者は相互に対面せず、裁判官が各当事者と個別に面接して和解を進行する。情報は裁判官を通じてしか相手方に伝わらない)が実務では多く行われている。
 今回の方法は、「公開方式」とでもいうことになろうか。
 
 薬害エイズ訴訟では国と製薬会社が被害者全員に一律4500万円を支払うとの和解が、薬害ヤコブ訴訟では国が被害者全員に一律350万円を支払うとの和解が成立し、今回の薬害C型肝炎訴訟でも原告らは被害者一律救済を求めている。
 本件とは態様を異にするが、ハンセン病訴訟では、熊本地裁において、国と原告らが和解して、国において謝罪し、ハンセン病発症後の期間等に応じて解決金を段階的に設定した上で国がこれを支払うことを合意し、今後提訴するハンセン病患者あるいはその遺族に対して和解による解決金を支払う準則についての取り決めをし、これに基づき、その後提起された多数のハンセン病訴訟において和解解決がなされた。
 
 今回の薬害C型肝炎訴訟の和解については、双方が、血液製剤投与の期間を限定して期間外の投与者について解決金を少なくするかどうかについて見解が対立し、今後提起されることが予想される訴訟の原告らとの関係をどうするかについての問題があるが、双方ともに和解によって早期に薬害被害者の救済を図ろうとしている点では共通している。
 例えば、①今後の薬害防止についての厚生行政の指針等を盛り込んだり、②(C型肝炎の肝細胞癌末期までの進行には相当程度の時間があることから、)完治のための治療法を発見するための研究開発費用や当面の治療費用に当てるための基金を被告らの支出によって設ける条項等将来に向けての解決条項を入れるなどして、原告らの一律救済の要求の調整を図ることはできないのだろうか。
 
 是非とも相互に知恵を絞り、接点を見出して和解成立に漕ぎ着け、早期救済を図って欲しいと思う。
 
 ここまで書いたところで、政府が議員立法によって一律救済を図ることを決定した旨報道された。政治のダイナミズムが問題点の解決地点まで情況をいっぺんに飛び越えさせた。
 さらに医療科学の進歩が被害者たちの完治地点まで情況を飛び越えさせることを願う。
(あすなろ)


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 今週も,第1のニュースは,当ブログでも話題を呼んだC型肝炎に関する薬害肝炎訴訟でしょうね。
 新聞を引用しながら紹介しますと,先週13日の大阪高裁による和解骨子案に対して,原告ら側が和解の修正案を大阪高裁に提出しました。被告の国と製薬会社が「被害を防止できなかった責任」を認めて謝罪し、今後提訴する人を含めて血液製剤の種類や投与の時期を問わずに感染が立証された患者に症状別の和解金を支払う内容となってます(以上朝日)。一方,国は,舛添要一厚生労働相が,20日、大阪高裁から示された和解骨子案の中で、国と製薬会社が責任を認める対象から外れた被害者の救済のため、30億円を支払うことを表明しました。舛添厚労相は「事実上の全員救済。政治決断だ」としていますが、原告側が求めた「全員一律救済案」をそのまま受け入れたものではないため、原告側は「被害者が線引きされた」と反発。和解協議を打ち切る意向を示しました(以上産経)。その上で,大阪高裁は,、原告らと被告国との双方の修正案を検討した上で、新たに第2次和解骨子案を提示する意向を示しました(以上時事通信)。
 スモンやハンセン病に次ぐ裁判であるために,横田裁判長の裁判体の第2次和解案が注目されます。年内に決着するのでしょうか。

 第2のニュースは,法曹人口増に絡むニュースです。法曹人口増のために,司法修習生の大量採用になっておりますが,大量の不合格問題が新たに発生していることは,以前からお伝えしているとおりです。
 これも,新聞を引用しながら紹介しますと,法科大学院を卒業した新司法試験組が初の司法研修所卒業試験を受験し、59人が不合格になりました。今回の試験は、旧司法試験に合格しながら司法研修所の卒業試験で不合格となった「59期」「旧60期」の再受験組69人も受けましたが,再受験組は17人が不合格でした(以上朝日)。一方弁護士会では,中国地方弁護士連合会,中部地方弁護士連合会に続き,埼玉弁護士会でも,年間の司法試験合格者を3000人程度に拡大する閣議決定の見直しを求める決議を発表したようです(以上産経)。
 弁護士さんが大変なのはよくわかりますが,司法改革の全体にかかわる問題なので,個人的には,「ちょっと,待った」と手を上げたいのが本音です。

 最後に,司法が国政や社会に影響を与えたニュースを(以下引用は上記と同じ)。
 複数業者から借り入れる多重債務者問題の解決を図るため、改正貸金業法が19日に本格施行されました。同日には新たな自主規制団体「日本貸金業協会」も設立され、過剰融資の歯止めを目指します。同協会は消費者金融や信販会社など4063社が加盟し、過剰融資を防ぐため毎月の返済総額を借り手の月収の3分の1、あるいは年収の36分の1以内に抑える総量規制を実施します(以上産経)。
 ここのところの積極的な最高裁判例が法改正に結びつき,その実施も始まったというところでしょうか。


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1 あれは今から約15年前のことであったと思う。私は鳥取県米子市にある裁判所の裁判官として勤務していた。家族とともに妻が裁判官として勤務していた松江の裁判所の宿舎に住み,東方約30キロの米子市までマイカー通勤していた。米子市には名峰伯耆大山があり,私はすっかり大山が気に入った。そしていつの頃からか,金曜日の夕方の勤務終了後,西方にある宿舎には向かわず,東方約10キロの大山に向かって車を走らせるようになった。そして間もなく大山の地理を裏道も含めて熟知するようになったのである。そして暫くして妻と2人の子供に,大山に小さな山小屋を取得したいと申し出た。しかし即座に反対され,私の計画はあっさりと葬られたのである。
2 その後私の郷里である岡山市に自宅を建てて,ローンを返済し終えたころ,私の胸に老後を大山で過ごしたいという熱い思いが再びくすぶるようになった。そして私は密かにその資金の捻出のための工夫をするようになったのである。私は5年前から仕事の関係で妻と別居しており,犬と猫とで単身お留守番生活を送っている。基本的に自炊をしており,本やテレビの料理番組で研究したため,料理の腕も随分上達したが,結構食材などを買っている。
3 私はいろいろと工夫して資金捻出のよい方法を思いついた。それは釣り銭は一切使わず,全て預金するという秘策である。買い物は全てお札でする。そうすると必然的に無駄遣いが減る。そしてお釣りの硬貨は使わず,テニスボールの空き缶に溜めておき,それを預金するための特別の通帳を作った。名付けて「大山山荘計画預金」という。この方法で月2万円から3万円が預金できるようになり,既に2年が経過したからそこそこの預金ができていることになる。そして山内一豊の妻の如く,この預金には一切手をつけないことになっている。
 私は毎月20日に事務員に頼んで預金して貰っているが,事務員から通帳を返却され預金額を確認するときにはこの上ない喜びを感じている。まるで何かの小説のように,毎夜蝋燭(ろうそく)の灯りの中で,壺から一両小判を取り出して,「1枚,2枚」と数えて「ヒッヒッ」と1人で怪しく笑いながら悦にいっている「因業(いんごう)おやじ」のような気分である。この預金通帳は妻にも子供にも秘密となっている。
4 しかし頑張って3年で約100万円を溜めたとしても,1000万円を溜めるには30年が必要となる。しかも1000万円では足りないだろう。これでは到底間に合わない。私個人の全資産を投入することにすればできないわけではないが,遊び半分で実現するところに意義がある。余り本気になると,また家族の反対に直面しそうである。一体どうしたものか。
5 私は「因業おやじ」方式で,とにかくできるだけ早く「大山山荘計画預金」通帳に500万円を溜めることに決め,そのために新たな工夫をした。「節酒預金」なる方法を考案したのである。飲酒量を減らすという健康上の工夫も兼ねて,飲酒しない日には飲酒したつもりで1日1000円を預金に加えるというものである。まさしく一石二鳥というべきであろう。
6 それでもまだ遅すぎるだろう。奇策として貯めた預金を全て投じて宝くじを買うという方法もあるが,おそらく失敗し後悔することになるだろう。最後で最大の秘策は妻に半額出資を説得することであろうか。
 かつて婚約に際して,私は必死の思いで妻を口説いたことがある。そして我ながら驚く程の才能を発揮した。今回もその手がある。それはどんな手か。
 大山の山小屋の2階のバルコニーに2脚の藤椅子を並べて,妻とゆらゆらと揺れる椅子に並んで腰かけて,沈み行く真っ赤な夕日を眺めながら,2人で芋焼酎の梅お湯割りを飲むというものである。時には満天の星空を,できれば天の川を眺めながら,出会った頃のように溢れる思いをとめどなくお喋りするのである。これは妻に対して「再びの恋をする」ということであろう。人生の終盤にこのような幸せな時間を夫婦で共有するという提案なのであるから,さすがに妻もこれを拒否することなど到底できないのではあるまいか。そして次の世代が必要としなければ,売ってしまえばよいのであるから,資産としての意味もある。借金を残すことさえなければ問題はない。
7 時には多くの友人を集めて,境港の堤防でうんざりするほど小鯵を釣ってきて,唐揚げにしてビールパーティをする。大山登山をしたり,近くのテニスコートでテニスをしたり,大山の秋を散策するのである。また大山山荘を書斎にして本を書くというのはどうだろうか。これらは人生の黄金期が60歳から80歳であるという説を完全に証明することになるのではないだろうか。
 そういえば,「大山山荘計画はどうなっているか。まだ招待状が来ないが。」などという催促もたびたび受けており,「もう少し待ってくれ。」などと,まるで実現間近であるかのごとき詐欺師のような返事をしている。
8 70歳を目標に一定額の資金を作り,これだけ貯まったと妻に計画を打ち明ける。そして妻にも同額の出資を頭を下げて頼むのである。それでもダメと言うなら「貸してくれ」と頼むのはどうだろう。そして不足分は銀行から借りるか,方法はいくらでもあるだろう。小さな山小屋でよいのだから,不足額もそんなに多くはないのではあるまいか。大山山荘が米子の裁判所の競売に付されないかを調査する方法もある。
 大山山荘計画は私の「秘策」の成否にかかることになるが,実現が遅いと楽しむ期間が短くなり過ぎるから,早めの見切り発車が必要となるだろう。週末ないし老後を大山で過ごすという私の夢が夢のままに終わる公算も大きいが,とにかく秘策を実行してみることだろう。それにしても頑張ってきた人生のご褒美に大山山荘をというのはいささか贅沢ということになろうか。(ムサシ)


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われわれ、裁判官ネットワークへのご意見、ご感想を拝見していますと、離婚に際しての子供の親権・監護権を巡っての、当事者からの不満の声が最近とみに多いように思います。特に,離婚紛争の渦中にある父親から,どうして子供の親権者になるのに,父親と母親とで「格差」があり,原則として母親になってしまうのか,という不平・不満であり,子供に対して従来から愛情を持って接してきて,妻(子供にとっての母)以上に面倒もみ、子供もなついてくれるのに、離婚となると,引き離されてしまう結果になるのは納得がいかないという訴えが目立ちます。

現在の家事事件のなかで、最も、裁判官(家事審判官)や家庭裁判所調査官を悩ましているのが、この子供の監護を巡る問題です。具体的な事件についてお話しはできませんので、以下、一般論になりますが、述べたいと思います。

一般論をいいますと、ごく常識的のことになりますが、親権者をどちらにするかは、父親と母親がどれだけ子供に愛情をもっているのか、これまでの結婚生活において、子供に対してどのような養育態度であったか、今後、子供を養育していくについて、生活環境、経済的能力等はどうか、親が昼間働いている間の、監護補助者となるその両親(子供からみて祖父母)の監護能力はどうか、さらには、こども自身の希望はどうか、といったことを総合的にみて判断します。昔から、親権者の選択について、母親優先の原則といわれていましたが、最近の少子化の趨勢のもと、子育てをしたいという父親が増え、またその両親すなわち祖父母もまだ元気で「孫」を育てたいという希望も強く、「子供が小さいからお母さんに」という、単純な論理では解決しにくくなっています。離婚紛争にかかわる調停委員会でも、そうしたことを十分承知のうえで、双方の言い分をきいたうえ、話し合い解決をめざし、時に調停委員会としての意見をいうこともあると思いますが、私の考えでは、原則としては、意見を押しつけるのは妥当ではなく、当事者が自分の判断で選択すべき問題だとおもっています。したがって、そこで双方がどうしても親権者は自分がなりたいと主張すれば、離婚訴訟で決めるしかありません。

 あくまで、一般論ですが、母親が監護者として不適当な事情が認められない場合、父親が親権者の点だけで裁判をするのはどうかと考えて、諦めることも少なくないため、結果的に母親が親権者になるケースが多くなるように思います。その場合、母親が、父親に対して子供との「面接交渉」をこころよく認めれば、父親も不承不承であれ納得するのですが、それが認められない場合に、対立が深刻化し、話し合いでの解決が困難となります。

 こうした場合、裁判所(調停委員会あるいは離婚訴訟の担当裁判官)としては、、面接交渉に消極的な母親(親権者が父親が相当な場合には父親)に、「夫(妻)」としては問題があったかもしれないが、「父親(母親)」としてはそれほど問題がないから面接交渉を認めてはどうかと、説得するのですが、感情的対立もあって、それを認めない当事者がまだまだおられます。面接交渉の問題は、とことん争われますと、「審判」でしか解決できないのですが、その強制執行をどうするかという点で隘路があり、今、家庭裁判所の裁判官や調査官が最も頭を悩まし、心を痛めている問題といってよいでしょう。当事者の方からみると、裁判所のやり方にご不満が残るかもしれませんが、裁判官及び調査官は、具体的事件において、子供の福祉を第一に考え、妥当な結論になるよう努力していることを理解していただきたいと思います。

翻って、日本の民法が原則としてきた、離婚の場合の「単独親権」について、このままにしていいのか、という疑問が、最近提起され、それに関する書物もでています。早晩、真面目に取り組むべき問題といえるでしょう。      (風船)

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長嶺超輝著「サイコーですか?最高裁!」を読む(その1)

前著「裁判官の爆笑お言葉集」がベストセラーになった長嶺超輝さんの新著(光文社)から、あるなしクイズを出題。

「下級裁判所の法廷にはあるけれど、最高裁の法廷にはないもの」とは、さて何でしょう?

これはかなりの難問と思われます。
最高裁の法廷を見た事がない人はもちろん、何度も法廷に立った事がある私でも、思い浮かびませんでした。
答は次回に。
(チェックメイト)


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