日本裁判官ネットワークブログ
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 裁判員裁判も実施後1年を迎え、マスコミでは、特集なども花盛りです。東京大学の
春の学園祭「5月祭」でも、ゼミ有志主催で、「裁判員裁判で日本の刑事裁判は変わる
か」と題する企画がなされます。この企画に、裁判員経験者3人と共に、当裁判官ネッ
トワークのメンバー・サポーターも招かれます。裁判員経験者の生の声が、しかも3人
からお聞きできるので、招かれる私たちも楽しみです。裁判官側の感想も紹介できれば
と思っています。

 企画の要領(予定)は下記のとおりです。
            記   
日時 5月29日(土)午後1時半~
時間 3時間程度
場所 東大本郷キャンパス法学部21教室
主催 川人博ゼミ有志
テーマ 裁判員裁判で日本の刑事裁判は変わるか。
進行 1 裁判員裁判全般の説明
   2 裁判員裁判への取り組み
   3 パネルディスカッション(2時間弱)
     パネラー
      学生2名,裁判員経験者3名,裁判官1名,弁護士1名

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 裁判員制度施行一周年の5月21日を期して,東京・大阪・名古屋高裁(但し,大阪は20日開催)で,裁判員裁判を担当した裁判官の意見交換会が行われた。それだけなら何と言うこともないが,画期的なのはこれが報道機関に公開される形で行われたことだ。中でも,大阪高裁管内の意見交換会は,以下の記事から見ても,「ほう,裁判官からそう言う発言が出される時代が来たか」と思わされ,この記事を読んだだけでも,裁判員制度をより充実させていきたいと改めて思わされる。
 記事中で笹野裁判官が触れておられる「付箋方式」だが,判例時報の2052号(昨年11月11日号)で「裁判員裁判とコミュニケーション研究会」が提唱しているもので,要するに裁判員に意見を大型の付箋に書いてもらい,それを評議室のホワイトボードに貼りつけてから議論を進めるというものだ。なぜそんなことをするかというと,ただ口頭で議論するだけだと,どうしても裁判員の「発言力」に差があることは否定できず,一部の裁判員同士,一部の裁判員と裁判官の議論で進展してしまいがちになる。そうなると,表向きは盛り上げっているようでも,「評議の質」が向上しない。全員の議論がホワイトボードに並べられると,裁判員も今何をどう議論しているのかわかりやすい。判例時報の当該号の16ページに「付箋方式」での量刑評議の模擬実践例の写真が載っている。東京方面でも一部の裁判官が実践しておられるようである。
 まず,人の意見を聞く前に,自分の意見を書いてもらうと言うことは,緊張している裁判員にとって頭の整理にもなり,初対面の人の前でいきなり口で意見を言わされる緊張感を和らげる側面もある。手前味噌で恐縮だが,日本裁判官ネットワークが数年前に立命館大学で行った模擬裁判では,まず裁判員の方にアンケート用紙様のものを配って意見を書いていただいてから,それを基に評議するという試みを行った。そうした工夫の延長線上にこのようなノウハウが生み出されたことは感慨深い。
 さて,大阪の裁判官がどんな小ネタをしこんだのか,機会があれば是非聴いてみたい。

 「小ネタ仕込む…裁判員和ますのに裁判官も工夫」(5月20日読売新聞より)
 施行から1年を迎えた裁判員制度を巡り、担当する刑事裁判官が感想や工夫を述べ合う意見交換会が20日、大阪高裁で開かれ、報道機関に公開された。
 「裁判官も大きく成長できる」と評価する一方で、「負担を減らすため、1事件の抽出人数を絞り込むべきだ」と見直しを求める声もあった。
 大阪、京都、大津の3地裁で裁判員裁判を担当する裁判長4人と大阪地裁の若手裁判官7人が参加した。
 この1年を振り返り、大阪地裁の中里智美裁判長(50)は「これまでの裁判に比べて手間はかかるが、必要な手間だと思う。当然と思っていたことについて、原点に立ち返ることが多い」と感想を述べた。同地裁の安永武央裁判官(39)も「裁判員との熱心な議論で、裁判官も大きな成長ができる。(従来の)裁判官裁判でついた垢(あか)が落ちる感じだ」と絶賛した。
 裁判員の緊張をほぐす工夫も披露され、若手裁判官は「和気あいあいの雰囲気をつくるため、話題になる小ネタを事前に仕込んでいる」「裁判官の顔写真付きのプロフィルカードを作って配っている」などと明かした。裁判長からも「『審理中にトイレに行きたくなったら、いつでもメモを回して』と、開廷前に声をかけるだけでも効果はある」との意見が出た。
 若手裁判官から、発言が少ない裁判員の意見をどう引き出せばいいかを尋ねられた大阪地裁の笹野明義裁判長(57)は、「裁判員全員に、付せんに意見を書いてもらい、張り出すようにしている」などと述べた。
 大阪高裁によると、管内の6地裁2支部では、制度施行から今年3月末までに、対象事件で334人が起訴され、90人に判決が言い渡された。
(くまちん)


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20年振りの刑事裁判担当
 今年の4月から,サラ金に対する過払事件に追われた民事担当を離れて,20年振りに刑事事件を担当することになった。簡易裁判所なので略式起訴による罰金刑が多いのだが,窃盗,暴行,傷害等による公判請求(通常の起訴)も多い。窃盗罪の法定刑は懲役10年以下だったが,平成18年の刑法改正で,50万円以下の罰金刑が選択できるようになったので,被告人の身柄を拘束して公判請求された窃盗事件であっても,検察官が罰金を求刑することが少なくない。罰金刑と懲役刑との分かれ目の量刑相場が,まだよくつかめないのだが,この点はもう少し経験を積んでから書きたいと思う。
 刑事裁判官の仕事は,無罪の者を処罰しないことと,過大な刑罰をチエックすることだと考えているので,検察官が罰金刑を求刑した場合,被害者の立場に配慮して懲役刑を選択するようなことはしない。
 民事で交通事故の損害賠償請求事件をたくさん経験してきたが,その証拠として,当該交通事故の略式命令(自動車運転過失致死傷罪の刑事裁判)の記録の一部が提出されることが多かった。略式命令の「罪となるべき事実」は,起訴した検察官と略式命令を発した裁判官が当該交通事故について認定した事実を示しているものだと考えていたので,民事裁判の証拠としてもそれなりに尊重していた。無条件に略式命令の罪となるべき事実を受け入れていたものではないが,これを左右するに足りる証拠が民事裁判で提出されない限りは,略式命令の罪となるべき事実に添った認定をしていたと思う。
 しかし,自分が略式命令を担当するようになって,考えが変わった。略式命令の罪となるべき事実は,起訴検察官の事実認定であって,略式命令を発した裁判官の認定ではない,ということだ。起訴検察官の認定に疑問を抱いても,被告人に不利益な認定でなければ(すなわち,被害者にとって不利益な認定であっても),検察官の起訴事実を容認して略式命令を発しており,略式不相当(刑事訴訟法463条1項)として,正式裁判をすることはしていない。
 例えば,信号機のない見通しの悪い交差点を南から東へ右折した四輪車が,東から西へ対面進行してきた二輪車と衝突した交通事故において,検察官が四輪車運転手の過失を「徐行義務違反」と捕らえて起訴したが,自分は「四輪車がキープレフトしなかった」点が直近過失だと判断した場合,後者の過失の方が重く,罰金も多額になるから。検察官が起訴した過失のままで略式命令を発するという具合である。であるから,民事裁判では,被告人に有利な略式命令の事実認定には,引きずられないようにしもらいたいものである。
被害者参加がある地裁の刑事裁判からすると,ズレているという批判があるのだろうか?
瑞月

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最高裁刑事局が、裁判員裁判経験者のインタビューの動画配信をしています。率直な感想が
多いように思います。5月祭での企画に通じるものがありますね。当日は、3人が生出演のようですので、より具体的、詳細に感想が聞けるのではないでしょうか。学生の皆さんが、うまく引き出してくれるといいですね。
http://www.saibanin.courts.go.jpの動画配信コーナー


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お知らせした五月祭の企画が紹介されています。第83期五月祭常任委員会のウェブサイトです。ぜひご覧ください。他の企画もおもしろそうです。模擬裁判もあるようです。
http://www.a103.net/may/83/visitor/show.php?id=421

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1 今日,NHKのTVで日曜討論を見た。「司法改革」について討論がなされていた。面白かったが,いろいろと疑問もあった。最初に刑事事件の公訴時効の廃止等の改正について議論がなされた。「被害者の遺族からすると,証拠上も真犯人であることが明白な犯人が,公訴時効期間を逮捕されずに逃げ切れば罪に服することがなくなることは許せないという感情はよく理解できる。」という意見が出された。ただ余りにも拙速な改正ではないかという意見も出された。私も,もっと時間をかけた慎重な議論が必要ではなかったかと思っている。

2 最近,冤罪事件が多いことに関して,「真犯人を逃してはならない」ことよりも,「犯人でない者を誤って処罰してはならない」という原則の方が重視されるべきではないかという意見が出され,共感した。そして捜査の可視化の動向について議論された。前検事総長は,「全てを可視化するのは困難であり,ゼロではないが,100でもない,程よい結論があるのではないか」という意見を述べた。事件によっては,膨大な初動捜査が必要となり,その全ての可視化は技術的に不可能であるという例を挙げていた。もとより技術的に不可能である場合まで,可視化ができないことは当然のことであるが,「可能な限り」ということにならざるを得ないだろう。
 日弁連会長が,「少なくとも重大事件については,全面的な可視化が必要である」と述べたのに対して,江川紹子氏が,「日弁連が,全事件と言わずに,重大事件に限るような発言をされたのは不可解」と異論を述べて,面白かった。江川氏は,被告人の立場からは,全ての事件が一生に一度の重大事件ではないかというのである。また同氏は,「被害者の遺族としても,真犯人として処罰された者が,実は冤罪で,真犯人ではなかったということになると,その被害者の遺族の精神的苦痛は余りにも大きいのではないか」と述べ,なるほどと思った。

3 裁判員裁判が成功であったかについては,前検事総長は,「最大の心配点はクリアーしたと言ってよいのではないか。」という意見を述べていた。「国民の信頼は確保できたと言ってよいのではないか」という意見である。今なお反対意見も強く,裁判員として,事件に関わりたくないという国民も多いが,実際に裁判員として事件を担当した裁判員の90パーセント以上が,裁判員を経験したことを肯定的に評価しているという,最高裁の統計を根拠にしていた。

4 私は最近,当番弁護士や国選弁護人として,刑事事件を担当することが案外多いが,わが国の刑事裁判については,これでいいのかという,甚だ強い疑問を抱いている。刑事控訴審の在り方に限らず,一審裁判についても疑問が多い。その趣旨で書かれた,元裁判官の本を沢山買い込んで勉強しているので,いずれいろいろと書くことになりそうである。わが刑事司法は,「疑わしきは被告人の利益に」ではなく,「疑わしきは被告人の不利益に」という原則が機能しているのではないかと感じることが多いということである。(ムサシ)


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