日本裁判官ネットワークブログ
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26 ヒトラーは政治権力を握ると,他政党や党内外の政敵を弾圧し,極端な独裁政権を樹立して,政敵などを殺害粛正し,ひいては第二次世界大戦を引き起こした。そしてユダヤ人などの民族的な虐殺政策と狂気の独裁政治を推進し,結局敗戦して自殺したのである。これはヒトラーの特殊な個性による部分が多く,また時代背景も異なるし,現在の日本がこのようなことになるなどとは思わない。しかし少なくとも,憲法を改正することなく,結果として憲法よりも法律の効力を優先させたという点では,現代のこの日本において,かつてのドイツと同じことが起きており,異常事態だということになる。
27 私は戦前の日本の歴史も,極端な政府の暴走であったと思っているが,ヒトラーと同じように,憲法をないがしろにし,憲法違反をしたのかどうかはよく知らない。
28 ヒトラーを支持したドイツ国民は,余りにも軽率で愚かで無責任であったと私は思う。そしてその結果としての悲惨な「つけ」は国民が支払ったのである。またわが国の戦前についても同様であると思う。軍部が無謀な戦争に突っ走り,戦争に反対すると治安維持法等で逮捕された。しかし私は,そうなった歴史については,やはり日本国民の責任が大きいと思うのである。仕方がなかったでは済まされない。そして歴史の教訓は大切にしなければならず,愚かな歴史は繰り返してはならないのである。政府の暴走を放置してはならない。主権者である国民がしっかりと自覚して政治を監視しなければならないし,国民には大きな責任があるのである。
29 憲法の規定に反する法律は無効である。これは明確なことである。現在の日本においては,現政権が暴走し,憲法違反という事態が生じているということである。歴代の政権も,憲法学者の殆ども,そして国民も,これまで日本国を挙げて違憲だとしてきた内容の法律を,国民が納得できるような説明もなく,国会の多数で強引に押し切って法律を成立させてしまったものであるから,そのような政治を信頼できる筈がない。わが国が良識ある理性的な現代の法治国家であり,立憲主義国家であるためには,まず国会と内閣が憲法を厳守するという強い決意を持つことが必要である。国会と内閣は,主権者は国民であることをよく認識し,謙虚に国民の声に耳を傾けて,国民が納得するような見識ある政治を行なうことが求められている。
30 国民は主権者である。国民一人の力は大きいわけではないが,国民のひとりひとりが,自分は主権者であることを自覚して行動するならば大きな力になるということである。
31 歴史を振り返って見ても権力を握ると人は変化し,堕落することが多い。 違憲であるかどうかの判断は,最終的には裁判所ないし最高裁の判断になるにしても,その前の段階で憲法の専門家である憲法学者の意見は尊重されるべきであると思うのである。憲法学者の圧倒的多数の意見を無視して,それに反する結論の法律を,国会の多数で押し切るような政治は,到底まともな政治ではないし,まともな国家である筈がない。やはり国民は,呑気にボンヤリしていてはならず,戦争に巻き込まれる前に目覚めなければならないと思うのである。(ムサシ)

 



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1 5月の連休中に次女とその子2人が4泊5日でやってきた。上が男の子で来年小学1年生入学,下の女の子は子供の日が誕生日で,4歳になった。孫は全部で4人いるが,長女の2人の子は今回は来ることができなかった。孫が4人揃うと大変なことになる。
2 早速「虫取網はないか」と注文が来た。そういえば,うかつにも以前あった虫取網もいつの間にか処分してしまったようで,見つからなかった。しかし以前私が熱心に釣りをやっていたころの,鮎用の柄の短い網と,チヌ用の玉網が見つかった。庭では丁度アゲハ蝶の幼虫が羽化するシーズンである。2人の孫は,その網でアゲハ蝶を捕らえようとしていたが,うまく行かなかったらしい。「おじいちゃんはアゲハ蝶だ。捕まえろ。」と言って,2人の孫がそれぞれ網を持って追いかけてきた。「ヒエー,助けてくれ。」と言って庭を逃げ回ったが,とうとう私の頭は,同時に2本の網の中にスッポリと捕獲されてしまった。「助けてくれ。」と頼んだが,なかなか許してくれなかった。
3 その後間もなく,下の女の子が,昔母親たちが使った小さな籠を見つけてきて,花を摘んで籠に入れ始めた。あっという間に籠は摘み取られた花で一杯になった。それをどうするかと思って見ていると,台所のガラス容器を取り出して少し水を入れ,その上に花を並べて行ったのである。青とピンクの矢車草,金魚草,紫露草,シラン,ヒナギク,ペチュニア(朝鮮朝顔)などでが40~50個ある。花飾りは案外綺麗にできた。「おじいちゃんも手伝って」と,何度も庭に呼ばれて,花飾りは4個になった。なかなか見事である。庭には矢車草の大きな株が5株あり,1株に100個以上の花が咲いていたので,庭が悲惨な事態にはならなかった。孫は花の部分だけ摘んで,枝を折ることはしなかったのである。そういえば,以前も同じようであったことを思い出した。
4 次の日の昼前に,家から500メートルの所にある岡山後楽園まで5人で歩いて出かけた。車で行くと,孫たちが余り疲れないので,朝5時過ぎに起きるので,親がグロッキーになってしまう。孫たちを疲れさせる作戦であった。公園の入口近くで,美味しい桃の冷凍ジュースを飲んだ。公園の中を半周位したとき,皆で広い芝生に寝転んで大の字になり,青い空を見上げた。久しぶりにジックリと空を見た。夏目漱石が重症の胃潰瘍から生還した伊豆の修善寺の大患の後で詠んだ俳句である「生きて仰ぐ 空の高さよ 赤とんぼ」を思い出した。風が心地よい。孫たちは靴下と靴を脱いで芝生の上を走り回ったり,ごろごろと転げ回って,オオハシャギをしていた。2人の孫の肩車もさせられた。重かった。梅入りで少し酸っぱくて美味しいソフトクリームも食べた。
5 夜は長男とオセロゲームをした。駒の白と黒を使って,挟んだ駒を自分の色にひっくり返して,駒の色の多さで勝負が決まる。案外手強い。「クソ-,負けてたまるか」,「チビのくせになかなかやるな」,「その手は桑名の焼き蛤」,「しまった,その手があったか」などと,ふざけて大騒ぎした。結局夜3敗,次の日の早朝5時半から3敗,通算6連敗である。「ワーイ,勝った,勝った!」と長男が大喜びしたことは言うまでもない。
6 最後の日は空港まで車で送りに行った。空港で昼ご飯を食べて,所定の時刻に孫たちは飛行機の搭乗口に向けて去って行った。夫婦で手を振って見送った。それから約2時間後に,次女から電話があった。無事羽田空港に着いたこと,長男が「帰りたくない。」と言って飛行機の中で大泣きしたという報告であった。また遊びに来るように伝えて貰ったが,わが夫婦の心が温かい思いに溢れたこともまた言うまでもない。(ムサシ)

 



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