日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
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1 私は昭和62年4月に夫婦で高知に転勤した。和歌山の次の2か所の任地では殆ど釣りをする機会がなかった。その次の高知では裁判所内が裁判官を初めとする釣り師で溢れており,主として船釣りをする機会に恵まれた。船釣りは初めての経験だった。
2 高知の裁判所では,年1回裁判所のレクレーションとして,ある土曜日に裁判所内の希望者で船釣大会が行われており,高知での4年間私も熱心に参加した。船釣り用の竿とリール,36リットルの大型クーラーを購入した。
3 私は船に酔う体質なので酔止薬を飲んだ。そして初めて船に乗ったとき,ある小さな事件が起こった。船を何艘か頼んで沖に出て,太平洋でアジとサバを狙うのであるが,サビキ釣りといって,やや大きめの針に餌に似せた紙様の疑似餌が取り付けられた針が5~6本付いた釣糸の先に,撒き餌を入れる小さな籠がついており,撒き餌で魚を集めて,魚を騙して釣る詐欺的釣法なのである。
4 釣り場に着いて竿を出しても最初はなかなか釣れなかったが,その内撒き餌の効果でサバの大群が浮上してきて入れ食い状態になった。大きさは約25センチでサバとしてはやや小振りであるが,それが2匹も3匹も同時に針にかかるのでとても重い。辺りは騒然としてまるで戦場のような騒ぎである。すごい勢いで大型クーラーにサバが増えてゆく。私も極度の興奮状態であった。
5 ところが快調に大型リールを巻いていた私の右腕が突如けいれんして動かなくなったのである。アジはおとなしく,走り回ることはないが,サバは元気で,辺りをグルグル円を描いて泳ぎ回るので,たちまち何人かの糸が絡んでしまった。「こらそこっ,何をしているか。早くリールを巻かんか!」と船頭に怒られた。しかしリールを巻こうにも全く右手が動かない。焦った。やっと竿を上げて,けいれんが治まるまで暫く休んでいた。しかしこれで音を上げてなるものか。再びおそるおそる竿を出し,ペースを落としてしぶとく釣った。大型クーラーはほぼサバで一杯になった。
6 サバで一杯の大型クーラーを車に積んで,意気揚々と宿舎に帰ったところ,妻に「こんなに釣ってどうするのよ。」とまた怒られてしまった。そして宿舎の裁判官に配ることにしたが,調理済みで配ろうと思っても,数が多すぎて調理などできはしない。「好きなだけ取って下さい。」と言って,調理しないままで引き取ってもらったが,それでも沢山余ってしまい,暫くはサバばかり食べて暮らす羽目になってしまった。
 その後私は重さ3キロの鉄アレイを2個買い込んで,釣りに備えて腕を鍛えた。そしてその後の釣り会で腕がけいれんすることはなかった。
 そのダンベル体操は,後に減量法としてブームになったりしたが,その前に私は既にダンベル体操をしていたのであり,20年後の今でも続いている。もっとも目的は釣りから減量に変更した。
7 高知では別の機会に,裁判官数名で船で真鯛釣りに行ったことがある。そして45センチの真鯛を1枚釣ってきた。他にイサキやシイラなども釣った。
  妻は,釣り師は釣った魚を自分で料理するのがルールであると主張する。妻の父親も釣りが好きで,自分で料理するというのである。そして和歌山のときから私が釣った魚は自分で料理した。
  そして初めて釣った真鯛についても自分で料理し,サシミを作ることになった。ウロコを落として内臓を取り,形が崩れて見るからにまずそうな天然真鯛のサシミが,少しずつまな板の脇の皿に盛りつけられた。ほぼ1人前くらいのサシミができたと思ってふと皿を見ると,全くサシミがなくなっている。驚いて振り返ると,小学生と保育園の2人の娘が醤油の皿を手にして,パクパクとおいしそうにサシミを食べていたのである。
8 結局サシミのかなりの部分を子供達が平らげた。とても美味しかったそうで,「お父さん,またタイを釣ってきて。」ということになった。家族はすっかり味をしめて,我が家ではそれまで食べていた養殖タイを全く食べなくなり,落語「目黒のサンマ」で「サンマは目黒に限る」調に言えば,「タイは天然に限る」ということになってしまった。
9 その後も何回かタイ釣りに行って,45センチ1枚と30センチ2枚のタイを釣った。ところが妻は,「あなたの手つきではおいしいサシミができない。」などと言うようになり,2匹目の天然真鯛の料理からは私を押しのけて,真鯛に限り自分で料理すると主張するようになった。自分で定めたルールなのに,勝手に変更して平然としているが,これは特別な例外だというのである。
10 高知では家族で,投げ釣りでキスを釣ったり,小舟で堤防に渡してもらい,いろいろと釣った。長女が手にしていた細くて短い竿が折れそうになる位弓なりになって,「お父さん助けて!」と叫んでいる内に,玉網を構える前に糸が切れてしまったこともあった。「逃がした魚」の姿は見ていないが,惜しいことをしたものである。
11 高知での4年間に船釣りした回数は僅か10回程度に過ぎず,漫画「釣りバカ日誌」の釣りバカ氏には遙かに及ぶべくもないが,船釣りや家族で釣りをして楽しかった高知の日々は,私たち家族に鮮やかな思い出を残してくれたのである。
 昨年結婚した長女は,共働きの傍らでときどき夫婦で釣りに行っているとのことである。(ムサシ)


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今週末の3月1日(土)夜9時から11時40分まで、フジテレビ系列で放送。公開からまだ1年ちょっとですが、最近は早いですね。
周防正行監督には、昨年の例会に飛び入り参加で議論に参加していただきました。
その模様は、上記アドレスのホームページの「オピニオン」の中の
例会報告・映画「それでもボクはやってない」を巡って
をご覧下さい。
映画は、キネマ旬報、毎日映画コンクール、東京スポーツ映画大賞、などなどの賞を総なめ。日本アカデミー賞の最優秀映画賞こそ逃しましたが、このシリアスな映画で数々の受賞はさすがです。
私たちとの懇親会で、監督は「映画賞を取れば、また多くの人に見てもらえるから嬉しい」旨おっしゃっていたのが印象的でした。
いよいよ満を持してテレビ初放送。どれだけの人が見てくれるのでしょうか。放映前後の解説等にも注目です。
(チェックメイト)

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先週の土曜日、高校の同窓会があったので、出席した。

 1年に1度開催されており、これまで時々参加しているので、一別以来初めてという人はそれほど多くないが、なかに、40数年ぶりに会う友がいた。40年というと,まさに相当な年数だが,それでも当時の面影が残っていて,名前を確認すると,確かに「友達」だった。そして,一堂に会すると、やはり、話は当時のころにもどっていく。受験戦争といわれた時代ではあったが、勉強したことよりも、柔らかいボールで野球(三角ベース)をしたり、柄にもなく入った柔道部で、毎日投げられてばかりしていたことを、なつかしく思い出す。

 不思議なのは,少し不良ぽかった者が教師になったり、教育委員会に勤めたり,とぼけた感じの学生が精神科医になったりしていることだ。それぞれがどのように人生を歩んできたか、想像するだけでも楽しい。私自身も、そのころから駄洒落をいっては人を笑わすことを生き甲斐にしていたので、自分が「裁判官」になっていることが信じられない。同窓生にそれとうち明けても、最初はなかなか信じてもらえず,一般の人が裁判官に対して抱いているイメージが固定化しているのがよくわかった。裁判官であることがわかってしまうと,今度は,医者や,原発会社の管理職等になった人から,裁判所は医療や原発のことをわかっていないのではないか,と厳しい攻撃をしばしば受ける。批判が正当かどうかは別として,こうして異業種の人と話をするのも,楽しい。

 楽しいといえば,青春時代をともに学び,遊んだ女性と,何十年ぶりに会えるのがなんといっても楽しい。同窓会に参加する最大の理由だろう。ほのかな,あこがれの気持ちをずうっーと持ち続けていたものの,手紙ひとつだせないまま,消息不明となっている彼女が現れたら,どんなにか素敵なことだろうと思うのだが,現実にはそのようなことは起こらない。いや,実は10年ほど前にそういうことが起こったのだが,残念なことに,彼女の参加はその年だけで,次の年からはぷっつりこなくなってしまった。世の中は,そんなにはドラマは起こらない。

 普通の友達であった女性の何人かは,毎回出席だ。かわいかった女子高生も,今は,お孫さんのことを楽しそうに話する。そして,きまって,我々男性を○○君と呼びかける。そう,女性から「君呼び」されるのは,おそらく,同窓会だけであろう。普段は聞けない言葉の響きが,私をあの時代に連れて行く。しばし,その心地よさにひたる。映画「母べえ」のなかで,かっての恩師である「父べえ」から「杉本君」とよばれた取調べ検事が,「おれを侮辱するのか」とどなる場面がある。おなじ「君よび」のなんという格差。

 最後にある元教師が発言した。「教師を定年退職したあとは,中国の辺鄙な田舎に行って子供を教えるのが夢であった。それが腎臓を悪くし,週3回透析する身体となって,いけなくなってしまった。今日は,来ようか来まいか迷ったが,皆さんに会えるのを楽しみにきた。来年参加できるかどうか,わからないけれど,きょうは来て本当によかった。」と。友よ、来年もきっと会おう。  (風船)

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いわゆるロス疑惑事件の手続について

 三浦元被告人がサイパンで逮捕されたとのニュースにはやはり驚きました。
 たしか無罪が確定したはずだが,という記憶と,もう27年前の事件かという感慨とが交錯しました。

そして私は,最高裁で無罪が確定した事件でまた逮捕できるのか,とその手続に非常に関心を持ちました。
 重罪について時効がない,というカリフォルニア州の制度は理解できますが,日本で無罪が確定した事件について新証拠が見つかったということで,アメリカで処罰に向けた手続を始めることは,国それぞれが持つ司法権の独自性として説明可能でしょうか。 

最近,日本で重大犯罪を犯してブラジルに逃亡した犯人について,ブラジルで代理処罰の裁判が開始されたとの報道がありましたが,仮にそこで無罪になった被告人が来日したとしても,そのとき同じ罪で逮捕するということにはならないでしょう。代理処罰に関する両国間の取り決めの趣旨に反することになると思われます。

 日本とアメリカとの間では,捜査共助や犯罪者引き渡しの条約が締結されているに過ぎませんが,捜査はあくまで裁判の準備活動ですから,捜査段階の両国の調整が詳細になされていることは,相互の裁判制度を尊重する,ということを当然の前提としているといえないでしょうか。

 日本の憲法39条後段「同一の犯罪について,重ねて刑事責任を問はれない。」という二重処罰禁止の規定が,アメリカの憲法修正第5条「何人も,同一の犯罪について,再度生命,身体の危険に臨まされることはない。」(アメリカ大使館ホームページから)の規定に由来することは周知の事実ですから,日本の裁判制度を尊重する限り,アメリカで有罪に向けた手続をすすめることは,アメリカの憲法にも触れる可能性があります。

日本の裁判制度を無と評価するなら別ですが,一体どのような解釈で今回の手続が進められているのか,その説明には今後も関心を持っていきたいと思います。「花」

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 今年の冬は寒い。例年なら,小春日和というか,寒さの中休みのような日があるものだが,今年はそれがほとんどない。寒い日がずっと続いている。地球温暖化も,一直線ではないということか。
 温暖化と言えば,二酸化炭素削減に向けてのわが役所の態度は厳格である。室温20度を断固維持しているのである。決してそれ以上に室温が上がることを許さない。部屋によっては,ベストの上にカーディガンを羽織って執務していても,なお身体の芯が冷えるときもある。ある日,音を上げて,冷暖房を管理している会計課の係員に電話した。「もう少し暖かくして貰えないか!」。すると,係員が飛んできて,寒暖計を見せながら「このとおり20度ですから,これ以上はダメです!」。(果たして,この部屋が20度もあるか疑問に思ったが,係員の気迫に押されて何も言えない。)
 この冷厳なる姿勢は,ノーベル環境保護賞ものである。この夏,北海道で開かれる温暖化防止のためのサミット。各国首脳も「わが社」の意気込みを見習うべきだ。

 寒いとは言っても,通勤路の庭先では,いつのまにか,木蓮の蕾が膨らみ始めている。あと1か月もすれば満開である。それから桜が咲いて,春本番となるのだ。ある高名な作家の小説に,「桜が散り,それから,木蓮が咲き始める」とあった。これはおかしい。木蓮が3月の半ば過ぎに咲き,それが終わる頃,桜が開花し始めるのだ。春到来の順序である。
 この寒さもそう長くはない。春は,もうそこまで来ている。(蕪勢)

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 この1週間では、何かと話題になることの多い鳩山法務大臣が、法曹3千人問題で法務省内に検討組織を立ち上げたことが注目されました。法相は、衆院法務委員会で、「3000人では多すぎるとの観点などを考慮して総合的に検討すべき課題だ」として今月、省内に検討組織を立ち上げたことを明らかにしたとのことです(朝日)。この動きは、1/26のブログでも取り上げましたが、実際に組織が動き出したといってもよいでしょう。関連して、2/10のブログでは、日弁連会長選挙を取り上げましたが、法務省と日弁連が、この問題では歩調を合わせることになるのでしょうか。新聞の論調は、法曹人口を抑制することには大体批判的なようです。
 関連して、「新人弁護士の年収減少、出来高払いも…司法試験合格者増加で」(読売)との報道もありました。日本弁護士連合会(日弁連)が、弁護士の採用状況についての調査結果を発表したもので、「昨年就職した新人弁護士の年収は減少傾向にあり、固定給のない出来高払いの新人弁護士も7・85%に上るなど、司法試験合格者が増加する中、厳しい状況が裏付けられた。」「調査結果によると、新人弁護士の平均年収は、2006年は600万円台が59・62%と最も多く、次いで500万円台が14・56%となっていた。しかし昨年は600万円台が36・15%に減少する一方で、500万円台が27・1%に増えるなど、減少傾向がくっきり。今回初めて実態調査を行った「出来高払い」の弁護士も7・85%に上った。」(読売)とのことです。こうした状況が、法曹人口を抑制する動きの背景になっているのでしょう。でも、果たして、収入や就職の問題で、法曹人口を抑制することに説明がつくのでしょうか。他の国で、いったん増やした法曹人口を抑制する政策をとった国があるのでしょうか。
 他にも、 裁判員制度導入延期を 仙台弁護士会有志が決議案提出との報道(河北新報)もありました。仙台には、「裁判員制度に反対する在仙弁護士の会」があるようで、河北新報によると、同決議案の発議は、同会所属の弁護士42人によるもので、仙台弁護士会の全会員(284人)の約15%を占めるとのことです。仙台弁護士会は、東北地方の代表的弁護士会だけに、同弁護士会で決議されるのか注目されるところです。韓国では、国民参与制度が始まり、日本でも、実施が1年余に迫った段階ですが・・・。
 全体としては、最近、改革疲れが法曹界に広がってきたと言えるのではないかと思います。

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 (本稿は,釣り考(1)(平成20年2月15日)に続くものである。)
6 ところで私の初任時の裁判長は,たばこを吸われない方であったが,翌年転勤され,新しく喫煙される裁判長が赴任された。
 その方は酒も煙草もお好きな方で,釣りもされた。私と気があったこともあって,随分親しくしていただいた。金曜日の夕方,よく飲みに連れて行っていただいたが,2人で飲むときの費用負担は6対4という協定が成立していた。
 余談になるが,その裁判長はスポーツ万能で,野球,ソフト,テニス,ゴルフなど何でもお出来になった。囲碁も5段で打たれていたと思う。更に余談になるが,仕事も大変よくお出来になり,しかも速かった。ある難しい刑事合議事件の否認事件で,確か翌週火曜日に判決宣告という状態で,主任として判決を書くことになっていた私が,土曜日の夜徹夜して判決の原稿を完成させ,日曜日の午前中に和歌山の裁判長の宿舎に届けたことがあった。しかし翌月曜日の朝には,「ちょっと手を加えといたから見てくれ。」と言われるので,原稿を見ると殆ど全文を書き換えてあったのである。しかもとても明快で分かり易い文章になっており,驚嘆してしまった。
 その裁判長は,もともと大学の工学部に入学されたのに,法曹の道に進みたいと思うようになり,大学3年生で法学部に転部され,その後麻雀ばかりしていたのに4年生の時にストレートで司法試験に合格してしまい,余り勉強もしていないのに合格してしまったので,このまま司法研修所に進んだのでは申し訳ないと,法律の勉強をするために1年留年されたというのである。「まさか麻雀するために留年されたんじゃあないでしょうね。本当に法律の勉強をされたんですか。」とからかうと,裁判長はニヤニヤとされ,答えはなかった。
7 私が釣具を買うために1年前にたばこをやめたという話をすると,その裁判長は,「僕もたばこをやめようかな。」とおっしゃった。そしてその次の日に,新しいたばこの箱からたばこを1本取り出し,おいしそうにふかしていたが,やがてそばにいた司法修習生に,「君はたばこを吸うかね。僕は妻に禁煙をプレゼントすることにしたから,君にこのたばこをやるよ。」と言ってたばこの箱を差し出した。
 それから1時間も経ったころ,その裁判長は,「君,済まんがさっきのたばこを1本くれんかね。」と言って,多少バツが悪そうに,たばこを1本貰って吸った。部屋にいた人はみんな,裁判長に気付かれないようにクスクス笑った。そしてその日の夕方までにそのタバコ1箱を全て裁判長が吸ってしまったのである。まことに愛すべき裁判長というべきであろう。
8 かくして裁判長の禁煙は見事に失敗してしまった。私は「裁判長も釣具を買って禁煙をされませんか。」と勧めたのであるが,裁判長は給料が高額であったために,その小遣いでたばこを吸いながら,釣具を買うことができてしまったのである。禁煙が成功するためには,給料が安く小遣いが足りないことが必要であるということかも知れない。あるいはたばこを吸わないことで浮いた金銭を何かに使いたいという明確な目的と強い動機が必要なのだろう。
9 そのころはまだたばこの発ガン性についてあまり議論されていなかった。健康のためという理由でたばこをやめることは案外難しいが,私の小遣いはたばこを吸いながら釣具を買うには足りなかったことと,たばこをやめてでも釣具を買いたいという強い衝動があったから禁煙できたということであろう。
 その後のたばこの有害性に関する議論を考えるにつけ,当時の私は健康に関して無知・無関心であり,先見の明があったわけではなく,偶然で単に幸運であったというだけのことに過ぎないが,私は妻のお陰で30年前に禁煙に成功したことを心から感謝している。その後私は1本もたばこを吸っていない。たばこはあらゆるガンの最大の原因とされており,たばこを吸うことは緩慢な自殺行為であるとさえ言われている。たばこを1本吸うと10分寿命が縮まるという説もある。
10 その後私は釣用の足として50CCのオートバイを購入するに至った。妻に10万円を借りて一括支払いをして,妻に月5000円ずつ返済していたが,半分ほど返済したころオートバイを盗まれてしまった。ハンドルロックをしていなかったために,直結で盗まれたのである。警察に被害届けを出したが,返ってこなかった。オートバイを盗まれたことから,妻を拝み倒して支払いもストップした。いわゆる踏み倒してしまったのである。夫婦喧嘩の際には今でも妻からその残額を請求されることがある。
11 和歌山では,磯や堤防や砂浜からよく釣れた。チヌとアジとキスが中心であった。船釣りはしなかった。紀州釣りというチヌのヌカダンゴ釣りもマスターした。ただヌカダンゴ釣りは海を汚すので,和歌山以外ではやっていない。 和歌山の裁判所宿舎の裁判官5~6人と私とで釣会を行い,宿舎の裁判長の部屋で釣った魚で懇親会をしたこともある。
 また私の釣具で,大阪の宿舎の若手裁判官夫婦10人余りで,淡路島の民宿に一泊で釣りとテニスの合宿をしたこともあった。
12 その後20年余が経過したころ,私が敬愛していた裁判長も禁煙に成功されたが,その数年後に亡くなられた。多少禁煙が遅かったのかも知れない。私と一緒に禁煙されておれば,今なお健在でおられるのではないかと思うと甚だ残念で,あの時強く禁煙を迫っておけばよかったと後悔した。私もあの時禁煙していなければ,今こうして健在でいることはできなかっただろうと思うことがある。(ムサシ)




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 最初にあの発言を聞いた時は、「冤罪」とは他に真犯人がいる場合をいうのであって、あの事件はそもそも真犯人も何も存在しない空中楼閣の捏造(でっち上げ)だったとの見識を示されたのかと思った。どうも、そうではなかったようだ。
 特定の事件を「冤罪」と呼ぶかどうかは「冤罪」の定義しだいだから、「他に真犯人が現れた場合に限る」とか「いったんは誤って有罪の確定判決を受けた場合に限る」などと極端に狭義に定義すれば、これに該当しないと言い張ることはいくらでも可能である。ただ、あの事件は、普通に使われる語義からすれば、紛れも無い「冤罪」だったというべきだろう。言葉遊びは慎み、猛省しなければならない。
 それとともに、この議論を聞いていて不安に思ったのは、逆に「冤罪」をあまりにも広義に定義し過ぎてしまう傾向がないだろうか、ということだ。
 もし「無罪」イコール「冤罪」と呼んでしまうと、かえって「無罪」のハードルを不当に釣り上げてしまうことにもなりかねない。あくまで、有罪認定をするのに合理的な疑いが残れば「無罪」と判断しなければならないのである。その場面で「冤罪」(無実の罪)かどうかを議論しだしたら、ミスリードになりかねない。
(チェックメイト)

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 5年位前、近所にスポーツジムが開店した。糖尿病の持病を持つ私としては、医者から運動の重要性を指摘されていたこともあって、早晩入会するつもりをしていたが、家内が早速にも(もちろん、私の不承不承ではあれ承諾を得た上であるが)、「家族会員」の入会手続を済ましてきたことに驚くとともに、無駄遣いならないかとの懸念を抱いた。

 しかしながら、当初はともかくとして、半年をすぎた時点で、一番多くジムに通うようになったのは、ほかならぬ、この私である。初期の段階では、ランニングマシーン、「自転車」さらには、筋トレのマシーンにも挑戦していたが、最近はもっぱらプールである。私のメニューは、プールで20~30分泳ぎ、ジャグジーで身体をぬくめ、そのあとお風呂に入り、最後はサウナて汗をかくという段取りだ。正味1時間ないし1時間半にすぎないが、心身ともにリラックスできるので、やみつきというか「人生の習慣」のようになってしまった。

 なによりも、泳ぎ出すと、なにもかも忘れるのがいいかもしれない。大江健三郎は、泳ぎながら、イエーツの、スィフトは航行をおえて休む、そこでは野蛮な腹立ちも胸を切りさくことはできぬ、世の人よ、できうるものならば模倣せよ、かれは人間の自由につかえた、といった意味の短詩をよく思い浮かべるらしい(朝日新聞昭和61年8月9日夕刊「しごとの周辺」)が、私は詩歌はもとより、目下起案中の事件のことも忘れて、ただ泳ぐだけである。それでも、スタイルの素晴らしい女性スィーマーが同じコースに現れると、胸騒ぎものであるが、そのようなことはあまりないので、多くは忘我のうちに時間がすぎてしまう。水泳の効果は抜群で、血糖値を食べる割には危険値まで上昇するのを防いでくれるし、風邪もひかなくなった。昔は、自転車がなにより好きであったが、高齢化にともない、水泳が一番になってしまった感がある。

 おそらく、これからも、水泳は、私の同伴者として、これからも寄り添ってくれるであろう。もちろん、水泳の難点がないわけではない。一番の問題点は、ひと泳ぎすると、どうしてもビールが欲しくなり、その誘惑に負けてしまうからだ。そして、ビールを飲んでしまうと、水泳で筋肉をつかっているためか、たちまちに、睡魔がおそってくるのである。お酒に弱くなったせいもあるが、缶ビール一杯で、「スィーマに睡魔」と洒落をいういとまもなく、寝入ってしまうことも再三である。でも、このときの、幸福感は、何事にもかえられないほどだ。後で、やらなければならない仕事が残っているのに気付くのだが、まさにあとの祭りである。これから先、このような形で「後のまつり」を何度祝うことになるであろうか。                 (風船)

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先日報道された韓国の国民参与裁判制度には驚きました。韓国で議論されているというのは前に聞いたことがありましたが,もう第1号の裁判が始まり,即日判決となったというのですから,びっくりしました。
 
 そこで,にわか勉強をしました。崔鍾植九州大学准教授の書かれた論文(季刊刑事弁護53号登載ー大変明快でわかりやすいものです。)を読んで,おおよそどんなものかがわかりました。

 まず立法過程ですが,陪審,参審制度とも違憲論があるため,今年からとりあえず両制度を混用した第1段階試験運用過程を始め,2011年に法曹界,学会,市民団体で構成される仮称「国民司法参与委員会」でさらに検討を加え,最終的形態が決定された後,憲法改正が行われ,2013年から正式に施行される,というのです。そのスピード感と実証的発想には頭が下がります。

 今回の裁判の実情ですが,重大事件について陪審員(法定刑の重さ,否認かどうかなど
によって5人から9人)が選任され,有罪の評決は陪審員のみで,全員一致で行う,というところは陪審そのものですが,有罪の場合の量刑は裁判官と討議する,陪審の量刑意見は参考にとどまり,裁判官を拘束しない,有罪について全員一致とならない場合は,裁判官の意見を聞いた後,陪審員のみの多数決で決する,しかし,その意見も裁判官を拘束せず勧告的意見にとどまる,陪審の意見と異なる判決をする場合は,被告人に陪審の評決結果を告知し,違う判決をする理由を説明し,かつ判決に記載しなければならない,というもののようです。

 陪審の形をとりつつ,裁判官の意見がかなり強く反映するということになりそうですが,最後の説明義務のところで事実上は陪審の評決が尊重される可能性も高いように思われます。今回の第1号事件でも,検察官の懲役5年以上の求刑に対し,2年6月,執行猶予付きの評決に裁判官も同意したと報道されています。

 この制度の運用状況は,日本の裁判員制度に大きな影響を与える可能性があり(今回の裁判に法務省から韓国領事館に派遣されている検察官が傍聴していたとの報道もありました。),目が離せないといえそうです。「花」

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  山田洋次監督の「母べえ」を,ある女性と一緒に観た。
寅さんが死んだ後も,監督の一連の作品は相変わらず好調である。今回の映画も前評判に違わない。
 暗く悲しい時代の重いテーマを扱っているのに,監督の目は決して深刻になっていない。明るさが救いである。子役達がいい,いつもとうって変わった髭ぼうぼうの坂東三津五郎がいい,鶴瓶の演技も存在感があった。(そうか! カアべえにはツルべえが合うわけだ!)
 しかし,何と言っても,元祖サユリスト世代の老ジャッジには,やはり吉永小百合が一番よかった。日本の母を見事に演じきっている。

 母べえは,針仕事をしながら,獄中の夫への文を,二人の子どもに口ずさむ。抑えのきいた静かな語り・・・。澄み切った悲しみが胸一杯に広がる。モーツアルトの愁いに満ちたの旋律のように。

 吉永小百合は,最初に話があったとき,年齢からして無理だと監督に断ったが,監督のたっての頼みに出演することになったという。わが同学年の吉永小百合だけは,まだまだ十分に若い。

 「それでもボクはやっていない」の周防正行監督と裁判について語りあった実績を持つわが裁判官ネットワークである。今度は,吉永小百合さんを招いて,「母べえと裁判員制度」という深淵かつ,何だかよく分からないテーマで例会を持てないものか。老ジャッジの妄想は発展する。
「そしたら,サインが貰えるのに・・・」
 一気にミーハーに変身するところが情けない。
ちなみに,一緒に映画を見た女性は,何を隠そう,わがカミさんでした。
(蕪勢)


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 文科省が小中学校の学習指導要領改定案を発表した。
40年ぶりに理数科を中心に授業時間を増やした。日本が知識集約型あるいは科学立国の道を歩むことを考えると理数科教育を充実させることは必然だろう。
ただし、子供たちを科学に引きつけ、科学に馴染ませる実効的な教育をするためには、現場での自由な発想による創意工夫が不可欠である。
指導要領は相当細かく規定されているようだが、これをマニュアル的に実施すれば教育目的が達成できるものではないだろうし、杓子定規に実践することを強制することは、百害あって一利なしということになるのだろう。
教師自身が主体的に教育方法を考え、自ら楽しみながら、生き生きと教育に打ち込めるような環境が保障されることが大前提となるのだろう。
疲れ果てて、ただただ指導要領を形だけなぞっているような教育現場にだけはならないで欲しい。
 
 少年審判において、非行少年に感じた共通の問題点がある。
それは、自己表現能力の乏しさである。自己の内面を的確に表出する表現能力を持ち合わせていないことから、暴力やいじめや暴走行為や種々の非行が自己を表現する歪んだ方法になっていると感じさせるケースが少なからずあった。

来年からは、否応なしに裁判員裁判が始まる。死刑宣告も考えられるような重大事件について、裁判官3名と、選挙人名簿の中からくじで選ばれた国民6名が、対等の立場で評議して、有罪・無罪及び量刑を決するというのっぴきならない共同作業をすることになる。
 人の話を聞かず一方的に自己の意見を述べ固執する人、主体性がなく無批判に大勢に流される人、考えを整理することができず、混乱してしまって決断ができなくなる人、自己の考えを表現する能力に乏しい人、論点を噛み合わせて話をすることができない人で構成される裁判体ができたとすると、評議は煮詰まらず、裁判員裁判は、原則拘束期間である3日間では到底終局しないばかりか、誤審の危険を孕む。


 可塑性に富む時期に、討論能力、自己表現能力を培っておくことは極めて重要である。
人の話をじっくりと聞く能力、情報を整理しながら正確に理解して吸収する能力、論点に集約して考える能力、自己の考えを整理してまとめる能力、自己の考えを的確な言葉や表情に乗せて表現する能力、そして、種々の価値観の存在を許容しながら、これを検証し、納得のいくまで考え抜いて自己の考えを築き上げる能力は、平和で民主的な社会の基礎となるものであるが、ひいては裁判員制度成功の基礎になると思われる。
 
 国語科目を中心とした「読み」「書き」「聞き」「考え」「話す」主体的な訓練と体験の学習を充実させて、討論能力、自己表現能力を育てていただきたいと思う。
(あすなろ)

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 今週は、12日に、お隣の韓国で、国民参与裁判が始まったことが一番のニュースのように思います。もちろん、外国のことですので、ブログのニュースに取り上げるのはいかがというご意見もあるでしょうが、刑事裁判に国民参加制度がなかった国で新たに取り入れ、しかも文化的に日本と近いことは否定できないですから、来年に迫った裁判員裁判の実施に向けてとても参考になると思い、一番のニュースとしました。
 韓国の制度は、陪審制と参審制を組み合わせた制度で、対象は、重大事件のようで、こうした面では、日本と似ていますが、① 被告人が裁判官による裁判と選択できること、② 裁判官が陪審員の判断とは異なる判決もできるなどの点で、日本と異なる点もあるようです。
 いずれにしても、韓国は、日本より少し先駆けて、各方面で司法改革を実施してきましたので、その先行きは、注目されるべきでしょう。法曹人口の面でも、司法試験合格者増を実施しており、韓国の法律家の中で不安、不満もあるようです。ただ、合格者減にはなっていないようです。
 他には、志布志事件での法務大臣の発言が大きく取り上げられましたね。


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1 裁判官で釣りを趣味とする人は案外多い。ただ忙しいので現実にはなかなか思うようにはできないようである。私の趣味もテニスと釣りということになっている。私は田舎育ちで,小学生のころ家の近くの農業用の溜池でよくフナを釣っていたから,釣りは好きである。
 釣りの効用としてはストレスの発散などとなるのだろうが,私の場合は,それに加えて珍しい効用があった。それは「釣りのお陰でたばこをやめた。」というものである。何だか「風が吹けば桶屋が儲かる」という類の話のように聞こえそうだ。
2 私はかつてヘビースモーカーであったが,釣りのお陰である時キッパリとたばこをやめたのである。私は大学に入学して間もないころ,遊び心でたばこを吸うようになったが,大学を卒業して行政官庁に勤務していたころ,ヘビースモーカーになった。そのきっかけは甚だ単純で,私の下宿から駅までの500メートルの通勤途中にパチンコ屋があったというだけのことである。そして帰宅途中にパチンコ屋の角を曲がらずに,歩く距離を短縮するためと称してパチンコ屋の中を斜めに突っ切って帰宅していたのであるが,そのうちいつも玉が出ている台が5~6台あることに気が付いた。私はそれを手帳にメモしておいて,そのどれかの台が空いているときだけ約30分玉を弾くことにしたところ,殆ど負けることはなく,成果を全部私が好んで吸っていた「ハイライト」に交換したため,自宅の机の上が常時たばこの山になっていたのである。自然に喫煙量も増えて1日2箱以上吸っていた時期がかなりあった。その状態が長期間継続しておればただでは済まなかったと思われる。その後行政官庁を退職し,小遣いも乏しくなったうえ,下宿も変わり,幸いなことに近くにパチンコ屋もなかったので,全くパチンコをしなくなったという単純な理由で,喫煙量は1日1箱程度に減っていた。
3 私は昭和53年4月に裁判官になり,最初の任地として和歌山地裁に赴任した。妻も同期の裁判官で,妻の任地は大阪地裁であったから,大阪の宿舎に住み,和歌山まで片道1時間半かけて通勤した。毎日旅行しているような気分であったが,往復3時間の通勤はなかなかきつかった。
 着任後1か月のころ,一期先輩の裁判官から釣りを誘われた。「和歌山は釣りのメッカでよく釣れる。」というのである。私も大いに気持ちが動き,釣りをしたいと思った。そこで釣具を購入するために小遣いを値上げしてほしいと妻に頼んだ。ところが妻はキッパリと拒否してこう言った。「あなたはたばこを吸っているのだから,たばこをやめて買ったらどうですか。」。なるほどそれは名案ではある。もしも実行できればの話であるが。
4 忘れもしない昭和53年5月15日の給料日に,私は人生最後のたばこを1箱吸った。そして勤務時間終了後,急いで大阪の宿舎に帰った。宿舎から100メートルの所に釣具屋があったのである。そして早速約6000円のチヌ竿1本とリール,釣針など,とりあえず釣りができる道具一式を買った。そしてその次の日曜日に,いそいそと和歌山に釣りに出かけたのである。よく釣れてとても楽しかった。
5 その次の給料日には魚を入れるクーラーを買った。その次には玉網を買った。その間月に1回の割合で釣りに行ったが,釣具を磨いたりしながら必死にたばこを吸いたい気持ちと戦った。やがて3か月が経過したころには,殆どたばこを吸いたいとは思わなくなっていた。その後も毎月釣具を買ってゆき,釣竿も10本を超えた。かくして私は完全にたばこをやめることができたのである。(ムサシ)(この項続く)





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 ブログに初登場した際、アナログ人間であることを標榜したが、そのひとつの証左として、いまだにケータイを持たずに生活している。もっとも,ケータイに触ったことがないわけではなく,役所の職務の必要上、ケータイの所持を義務づけられたことがある。その折りは、家を出る際、その都度、忘れてはいないかと、確認するのが苦痛であった。忘れることも何回かあり、そんなときに限り、緊急連絡があったようで、かえってトラブルが生じたりした。あとで、ケータイはもってこそ「携帯」なので、不携帯では困りますと注意を受けたこともある。本当に厄介なしろものである。

 どうも,「携帯」という形態がなじめず、肌に合わないのだ。街を歩いていて、いきなり「もしもし」と呼びかけられたと思ったらケータイの会話だったことが少なからずあり、そのたびに心の平穏を侵されたようで、腹がたつ。こちらの都合も考えずかかってくることから、電話が大嫌いだといったのは、たしかサマセット・モームだったと思うが、自宅でもそうなのに、外出した際にでも、いつ何時、かかってくるかもしれない、という恐怖を携帯するのは真っ平だという気持がどこかにある。

 最近では、電話よりも、むしろ「メール」が主役になっているようで、周囲に対する迷惑も「騒音被害」の面では解消されたことはそれなりに喜ばしい。しかし、電車を待つプラットホームでも、あるいは、進行中の車内でも、メール画面に食い入ったり、脇目もふらずに文字を打っている姿は、どうしても好きになれない。他人の姿はどうでもいいのだが、携帯を持ってしまうと、そのような姿を世間にさらしかねなくなるのがいやなのだ。

 そんなわけで、周囲がケータイだらけになっても,当分は持つまいと思っていた。ところが、先週の土曜日、亡父の法事を泉北の実家で執り行ったとき、ちょっとしたハプニングが起こった。母と、我々夫婦と、娘だけのこじんまりとした法事であったが、お坊さんのお経を聞いている間に、雪が降り出し、食事の会場に行こうとするころには5センチ近く積もって、タクシーを呼んでもきてくれないという事態に直面した。母も妻も足が悪くて、雪道を歩くのは大変なのだが、とにもかくにも、バス停まで歩いていった。折からバスがきたのだが,これからの道中,電車への乗換え等を考えると,そのままバスに乗っても前途が思いやられ、乗ろうか乗るまいか逡巡した。ちょうどそのとき、乗客を乗せたタクシーが目の前を通過したのを見た娘が、瞬時に携帯でタクシー会社に連絡をしたところ、たまたま付近で乗客を降ろしたばかりのタクシーがいて、運良く乗ることができた。タクシーに乗らなければ、おそらくずいぶん難渋したと思われるのに、携帯一本で助かったのである。

 偶然もあったが,携帯のおかけで、無事、時間どおり、目的の場所に到着することができた。そのとき、携帯も悪くないな、と正直思った。そして、いま、携帯を持とうかな、という気持になりかかっている。                                              (風船)

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