日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
ホームページhttp://www.j-j-n.com/も御覧下さい。
 



  いまや「オレオレ詐欺」は日本全国を荒らし回っている。個々の事件の被害額が大きく、その被害総額は極めて多額に上るだろう。

 周知のとおり「オレオレ詐欺」という犯罪は次のようなものといえるだろう。すなわち,被害者と全く関係のない犯人が,老人の住居に電話をかけて,「オレだよ,オレ」などと言って老婦人等にその電話の主が息子あるいは孫だと思いこませ,被害者が「○○ちゃん」とその名前を口走ると,その時点から「○○」になりすまし,金銭的な窮状を訴えて同女から多額の現金をだまし取る知能犯である。 

 この犯罪の特徴は、次のような点にある。すなわち、

 第1に,老人特に老女を狙った犯罪である。不思議なことに,私が知る限りでは,電話に登場する犯人(電話の声も被害者宅へ訪問する使者も)は例外なく男であり,被害者はほとんどが60歳代ないし80歳代の女性である。

 第2に,犯人は被害者の子や孫を装い、以後会社の金を使い込んで仲間と一緒に株を買ったが失敗した,金を戻さないと会社を辞めさせられるとか,電車の中で鞄をなくした,すぐに支払いが必要な金が下ろせないので立て替えて欲しいなどと言い急ぎの金に困っていることを訴えて被害者をだますもので、人の心の隙を巧みに突いてくる。犯人は,当然被害者の息子又は孫とは声が違うことを自覚しているから,これをカムフラージュするために,風邪を引いてのどを痛めていると弁解するのが普通であり,また,ターゲットである母や祖母から本当の息子又は孫に電話連絡をしないように対策を立てている。それは,予め,自分の携帯電話を壊してしまった,新しい携帯電話の番号はこれこれですと伝えるという準備工作をしている。したがって,ほとんどはその翌日に、上記のだましにかかるのがこの犯行の常道である。

 第3に,被害額が極めて多額である。1件100万円から数百万円が多く、中には数回にわたって一千万円を超える被害を受けた人もいると聞く。老人家庭の生活の蓄えである多額な現金を依頼を受けた数時間後にはポンと渡す「気前のよさ」には,戦中戦後に育った貧乏性の私などは驚くばかりである。被害者である老婦人がいかに動揺しているかは想像するに難くない。

 第4に,組織犯罪であり、組織の中枢に捜査の手が及ばないように、手足である実行犯の獲得などは計算し尽くしている。犯罪組織は,予め実行犯が捕まることを予想しているので,実行犯の獲得は,行きずりの者をわずかな報酬で引き込んで被害者方に行かせることが多く,最近は高校生が使われることさえあるという。使いの者には組織に関する情報をできるだけ教えないようにし,すべて携帯電話で指図しているので,実行犯が捕まっても,中々組織の中核にまでは捜査の手が及ばないようである。このように実行犯は使い捨てであるため、いくら実行犯が逮捕されても、今のところこの種事件の根が絶たれそうな様子はない。

  「オレオレ詐欺」は,当初銀行あるいは郵便局の口座から犯人が予め準備していた他人名義の口座に振り込ませる形で金銭をだまし取るのが主流であって、これは「振り込め詐欺」ともいわれた(なお,警察庁等が「振り込め詐欺」と呼んでいる詐欺罪の類型には、オレオレ詐欺のほかに架空請求詐欺、融資保証金詐欺、還付金詐欺が含まれるようだ。)。しかし,警察庁・法務省の「振り込め詐欺撲滅アクションプラン」に基づく活動、すなわち老人たちが携帯電話片手に犯人の指示に従ってATMを操作・送金し、被害にあうことに対してATM周辺の警戒を強めたことや,匿名化した携帯電話や預金口座をなくすための取締り等が進んだことも効果があったのか、最近ではこの形態の犯行は激減したというのが実感である(犯罪白書平成23年版では、上記の広い意味の「振り込め詐欺(恐喝)」の認知件数は、平成20年には約2万件あったものが、平成21年には約7500件、平成22年には約6600件となっているが、オレオレ詐欺類型の認知件数の動向は明らかでない。)。

  最近は「オレオレ詐欺」の「振り込め詐欺」類型に代わる形態として,子や孫を装った犯人の「使いの者」が被害者方に赴き,直接現金を受領するものが主流になってきたといえる。この「使いの者」は,会社の同僚,友達,税務署員,弁護士などと称して被害者方へ赴くのであるが,彼らには身分証明書を示したり,名刺を渡したりする者はほとんどない。また彼らの中には決して身なりがよいと言えない者いるようだし,最近では高校生までが動員されているというから,ここで怪しいと気付かないのは被害者側の注意力のなさも大きい。この形態の犯行でも,実行犯は被害者に顔を見られるし,被害者に求められて書いた領収メモに指紋を残すことがある。また,実行犯はいくつもの事件を掛け持ちするので検挙される可能性は決して低くない。

 実態はわからないが、犯人が予め被害者情報をつかんでいる気配がある場合もあるように思われる。このような犯罪組織には,さまざまな名簿を集めている名簿業者から,老人のリストを買い,これでターゲットを決めるものがあるように聞く。こういうことが案外多いのかもしれない。

 このような被害は日本全国で日々起こっている(ただ,国民生活白書平成20年版によると,オレオレ詐欺は東京都を初め千葉県、埼玉県などの関東地方で特に多いという。)。

 最近では,前記のようなお決まりの準備工作をしなくても,オレオレ詐欺が成功しているケースもあるように思われる。もとより、犯人から電話がかかった段階から現金を渡すまでの過程で、怪しいと見破り,警察に連絡した結果検挙に至ったケースも少なくないであろう。しかし,このような老人を狙う悪質非道な犯罪を阻止し,組織の根を絶つような名案はまだ見つかっていないのではなかろうか。今のところ、警察による地道な捜査を続けることと(犯罪白書によると,平成21年以降振り込め詐欺全体の検挙率は相当高率になってきたようだ。)、狙われる可能性のある老人やその家族が十分注意し、怪しいと思ったら直ちに警察に通報するようなことしか手がないのだろう。

  それにしても,このような被害が繰り返されるのをみていると,現代の我が国の親族問題が浮き彫りにされるようである。その特徴の①は,核家族化の中で,親子や祖父母と孫の接触が希薄になっていることである。いかに「風邪を引いてのどを痛めた」といっても,息子や孫のしゃべり方の特徴などで,電話の主が子や孫でないことが聞き分けられなものだろうかと思う。子の親不孝の隙を犯人に付け込まれているといえないだろうか。②は,なぜ被害者は誰にも相談せずにこのような大金を即刻渡すのだろうか。「孫」の場合は,なぜ親に相談したのかと尋ねないのだろうか。また、なぜ自ら大金を渡す前に親(息子)に連絡をしないのだろうか。母性本能の強さゆえに,子や孫のピンチと思いこむと動揺して冷静さを欠いてしまうのであろう。③さらに,どうして,子や孫に直接渡すと言わず,見ず知らずの人が大金を取りに来るのを許すのだろうか。また、使いの者に身分証明をきちんとさせることなく不用意に大金を渡すのだろうか。私なら,「こんな大金を貸してくれというのなら自分で取りに来なさい」と一喝しそうである。昔の父親や祖父であれば,直接事情を聞き,説教の一つも垂れてから渡すものではなかろうか。実際には,実母や祖母である被害者が自分でこられないのかと聞いても,「今手が離せないので」という程度の言い訳で許してしまっているのではないだろうか。子育ての甘さ,けじめの弱さを犯人に突かれているような気がするのである。

 警戒してかかれば、必ず、「風邪を引いたので声がおかしい」、「携帯電話が壊れた」という定型的な文句を初めとして、大金であるのに今日のうちに金が欲しいなどと言うこと、自分では取りに来ず、使いの者に取りに行かせることなど疑わしい点はすぐに見つかるはずである。しかし、息子又は孫だ思いこませ警戒心を麻痺させるところに、オレオレ詐欺の本質があるといえるだろう。一旦騙されてしまうと,冷静に、警戒心を持ってという注意だけでは十分な対策にならない点にオレオレ詐欺の難しさがあるといえる。

  このような被害を免れるためには,被害者になりうる年齢の母や祖母を持つ者(特に男性)が家族間の日常的な接触を怠らないことが大切なのではなかろうか。実際に被害を被った老婦人たちも、息子らと頻繁に電話をし,家族の様子を聞いていたら,このような「見事な騙され方」はしなかったのではないかと思うからである。

 



コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )




法制審議会は,2月24日,公訴時効の廃止または期間の延長について法務大臣に答申をしたということが報じられました。殺人等の凶悪事件の真犯人が生きているのに,訴追ができなくなるという不条理さから,時効廃止を希望する被害者の遺族の方々の気持ちは十分理解できるつもりですが,時効廃止等にはメリットとデメリットがあるようで,遺族の方々の熱意・悲願に答えるということだけを主に考えて突っ走ってしまうと大きな問題が残るように思います。
 
 東京新聞の2月26日付け社説も,国会の徹底審議を求めています。これによると,内閣府の世論調査では、殺人などの時効が現在25年であることについて、約55%が「短い」と答え、そのうち半数が「時効廃止」を求めている,「逃げ得は許さない」という社会意識の高まりがうかがえる,としています。たまたまインターネットでみた市民の賛成意見では,被疑者・被告人=真犯人という固定観念が前提にあって,「犯人の逃げ得を許さないという正義感」が直接に時効廃止意見に結びついているように感じられました。もしこれが賛成世論の根幹をなしているとすると,いささか短絡的に過ぎる危険性を感じます。

 以下,検討不十分ですが,思いつくままに私の感じた問題点をあげてみました。

1 殺人等の事件で時効が廃止されると冤罪が増える,あるいはその原因になるという意見があります。日弁連会長もそのような内容の談話を発表していました。私も,確かにそのような面はあると思います。
  時効制度の存在理由を考えてみると,時間が経つと関係者がいなくなる,あるいは関係者の記憶が曖昧になる,証拠が散逸するなどの問題にあるなどといわれます。これは具体的にはどういう問題なのでしょうか。
  訴追側の証拠についてみると,時効が廃止され25年以上の長期間が経って,これまで起訴できなかった殺人事件が起訴に持ち込めるようになるとすれば,それは極めて偶然に有力な物的証拠が見つかるということしか考えられません。例えば,犯罪現場に遺留された証拠から付着物のDNA鑑定などが実施されて犯人のDNA型が明らかになっていたが,一致するDNA型は登録されていなかったが,偶然のことからこれと特定人のDNA型とが一致したというようなことでしょう。足利事件でも弁護人がDNA鑑定をした資料の適切に保存をするように裁判所に申し入れをしたことがありましたが,DNA鑑定の資料が保存状態が悪いまま長年放置されたり,再鑑定の資料が残されていなかったりすると,元の鑑定資料の取り違えや入力ミスなど人為的なミスは避けがたいものですから,そのような疑問が出ても,再鑑定ができないという問題もでてきます(3月20日付の朝日新聞には,特定人のものとしてDNA型データベースに登録された情報が別人のものであったため,誤った逮捕,捜索がなされたという記事が載っています。)。
  足利事件の時代に比べてDNA鑑定の精度が飛躍的に高くなった現在においても,殺人現場から採取された資料から検出されたDNA型が被疑者のそれと一致したというだけでその人が犯人とは断定できない場合があります。犯罪と切り離せない物に残された物質(例えば,被害者の着衣に付着した血液)で,その時に付着したとしか考えられないものから被告人のDNA型が発見された場合であれば,犯人性の証明はほぼ決定的といえるかも知れませんが,場合によっては,犯罪が起こった時と別の機会に犯行現場を訪れた被疑者が細胞片を含むDNA鑑定の資料を遺留したという可能性もあるからです。例えば,前科・前歴のない新米の空き巣狙いが指紋や手あか等を遺留することだってあり得ます。
  他方,被疑者(真犯人とは限らない。)の側から言えば,詳細な日記を付けている人でもない限り,もっと早く被疑者とされていればアリバイが主張できた場合でも,長期間経ってすでにその日のことはかなり記憶が曖昧になり,あるいは無くなっているのが普通です。また,親が死亡したり,家を建て替えたときに関係資料も捨ててしまったりして散逸し,家族,知人など当時の事情を知る者も死んでしまって誰も自分のアリバイや有利な事実を証言するものがいないということは十分考えられます。
  また,被告人が捜査段階から徹底して否認していれば,単純に証拠物や目撃証人の証言で被告人が犯人と立証できるかどうかという証拠評価の問題になりますが,これに虚偽自白であるとされる被告人の捜査段階の自白が絡んでくると大変複雑なことになります。犯行日時からそれほど長い年月が経っていなくても,犯行時の記憶が曖昧で(被疑者が真犯人でなければ,大いにあり得ることです。),アリバイが主張できないことが被疑者にとって非常に不利な事情となります。アリバイが曖昧なことを追及されて,自白に追い込まれたという事例は,現実にあったのではないでしょうか。自白内容が虚偽であれ,いったん自白をすれば,被告人にかかった疑いを法廷で打ち消す負担は極めて重いものです。時効制度を廃止するなら,このように確実に予想できる被告人の不利益をどのように埋めるのかを制度設計上考えておくべきではないかと思うのです。少なくとも現在の制度においてもなお残っている,誤判の要因を助長することにならないような配慮が必要ではないでしょうか。
  このように,公訴時効撤廃の前提として,まず最低限取調べの可視化だけでも保証すべきでしょう。鑑定資料の保存態勢も重要ですし,残された資料がないため再鑑定ができない鑑定を決定的証拠には使えないというルールも必要ではないかと思います。
  他方,目撃者がいたとして,その供述だけでは犯人を特定できないが,新しく発見された証拠物やこれについての鑑定結果と相まって被告人を特定することができる場合があります。しかし,長い年月が経ち,その目撃者が死亡している,あるいは老齢で事実上証言能力がないことが十分考えられます。その場合には,刑事訴訟法の規定(321条1項2,3号)で,捜査段階での供述調書が証拠として採用されることになるでしょう。これも被告人にとって大いに不利益な問題です。証人に対する反対尋問ができないからです。反対尋問ができない供述の証拠採用を制限し,参考人調書取調べは録画されていることを要件とするとか,裁判官に尋問を求めるなど参考人が死亡する可能性も考慮した刑訴法226条,227条を拡張した証人尋問の規定を置くことも必要かも知れません。

2 公訴時効が廃止されたり,長期化すると再審が困難になる面もあるように思われます。従来は弘前大学教授夫人殺人事件のように,時効が過ぎたからこそ真犯人が説得に応じて名乗りでてくることもありましたが,時効がなくなれば,その可能性がなくなるだろうと思うのです。富山・氷見事件のように,時効期間内であるのに真犯人が出てきたというのは法定刑として死刑のない強姦事件だからであって,死刑になる可能性があれば,恐らく,真犯人の自白は絶無ではなくともほとんど期待できないだろうと思います。

3 時効が廃止されれば,従来のように法的なけじめにとどまらず,社会的なけじめ,節目というものもなくなります。いつまでも特定の事件に捜査人員を割くことは不可能ですから,形ばかりの捜査態勢でいつまでも捜査が続けられることになるのは必然でしょう。そうなると,警察から殺人等の疑いを掛けられている人の立場はどうなるでしょうか(それが真犯人なら自業自得でしょうが,そうでないのに疑いを掛けられている人も多いでしょう。)。警察としては,例えばX氏から何度か事情を聞いたきりで決め手に欠けるために放置していることがあるとします。さりとて,あなたは白ですとは言えないとすると,X氏にとってはいつまでも決着が付きません。裁判で無罪判決を受けても,世間からは決して「白」とは見てもらえないのが社会の実情でしょう。そうすると,警察の当事者が退職し,あるいは転任して,事実上「お宮入り」になった事件として忘れてしまったとしても,いったん疑いを掛けられた人は,社会的に「疑惑の人」というレッテルを貼られたままであることは現状でも十分想像可能です。これに加えて,時効が廃止されれば,法的には起訴される可能性が残っているのですから,警察に疑いを掛けられた人は「主観的」にはどこで監視されているかもしれないという,極端に言えば,針のむしろに座っている意識のまま一生を終えることになるでしょう。そのような不安感は当事者でなければわからないでしょう。被害者側に十分配慮することには異論がないのですが,真犯人とは限らない被疑者側に過酷にならないような配慮も必要ではないでしょうか。

 死刑を含む罪の時効期間が25年に延長されて5年余りしかたたないのに,このような問題の手当なしに今時効の廃止を急ぐ必要はあるのでしょうか。
                               

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 最近,静岡地裁浜松支部における裁判員の記者会見での発言をきっかけに「裁判長の誘導」を批判する記事が散見されるようになりました。このようなことは,模擬裁判でも指摘されたのを聞いています。時間が足りなくなって結論が出ていないと,裁判長はつい結論を出すことを急いで,裁判員のペースと合わなくなってしまうことがありました。心しなければならないことです。ところで,回覧された裁判員裁判の記事の中で,中日新聞「話題の発掘 ニュースの軌跡」ここがおかしい!裁判員制度 裁判官まるで誘導役という特集記事をみて,ひっかかるものがありました。この記事には誤解も含まれているのではないかと思ったので,皆さんのご意見を伺いたいと思います。

 それは千葉の強盗致傷事件(平成21年9月18日判決)に関して触れられた部分でしたが,裁判員の会見の際の「私は下着窃盗ではないかと思っていたが,裁判長の強盗になるという説明を受けて納得しました」という趣旨の発言を引用し,これを静岡地裁浜松支部での「重要な点を決める際に,裁判官から『法律で決められている』といわれちゃって」「見えない線路が敷かれている気がした」という裁判員の発言と並べて,「千葉地裁の裁判員裁判でも”線路”が垣間見えた。」と評議における裁判長の態度に問題があるかのような取り上げ方をしているものでした。
 他の新聞の記事から事案を見ると,被告人の男が,女性宅から下着を盗み,車で逃げようとしたが,目撃者の男性にドア越しに胸ぐらをつかまれたために,腕にかみついて5日間のけがを負わせ,強盗致傷で起訴されたものです。弁護人は,窃盗と傷害を適用すべきであると争いましたが,判決では強盗致傷が認定されました。判決後の会見で,複数の裁判員からは,「これで強盗と?」と思ったが,裁判長が,強盗にもいろいろあると説明して下さったという趣旨の発言があったようです。この裁判員の発言をとらえて,中日新聞の記者は「裁判長が検察官の味方をしたように聞こえた」と論評して制度運用の疑問点の一つに加えているのです。しかし,裁判員の会見を引用した別の新聞記事を見ても,裁判長は強盗にも色々あることを丁寧に説明したようにしか読めませんでした。

 ところで,蛇足になるかも知れませんが,強盗には,例えば,犯人が万引き窃盗をしたつもりが,これを見とがめた被害店の店員に呼び止められた際に,逮捕を免れようと店員に抵抗して強い暴行を加えると,窃盗が発展して強盗の扱いになるものがあり,これを「事後強盗」といいます(刑法238条)。相手に怪我をさせた場合には強盗致傷となって裁判員裁判の対象事件になるのです。
 したがって,千葉地裁の事例も事後強盗による強盗致傷として起訴されたのです。もちろん,暴行の程度が軽い場合は,その事件の弁護人のように強盗とするのは問題だ,窃盗と傷害と認定すべきだと争うこともよくありますし,検察官が初めからそのような起訴をする場合もあります。もちろん,暴行の程度が軽いから,「被害者の抵抗を抑圧した」とはいえないと考えて強盗にはならないというのは立派な意見です。もし,このような事実を踏まえた意見を裁判長が法律解釈だとして無視したりすれば,問題だと思います。しかし,裁判員の常識では,窃盗と傷害ではないかと疑問を持ったとしても,法律解釈上は強盗致傷になるということはあり得ることです。法律解釈自体については,法律専門家である裁判官の意見を尊重してもらう必要があります。中日新聞の特集記事は,当たり前の評議の経過についての裁判員の説明が誤解されたのではないかと懸念されます。なお,報道記事には,判決で小坂裁判長は、被告の行為を「犯人を捕まえることをあきらめさせるのに十分な強さがあり強盗罪の暴行に当たる」と認定したとあり,判決でも問題のポイントについて丁寧な説明がなされたことが窺えます。マスコミの皆さんも,裁判長が事実認定を含めて自分の見解を押しつけたのか,それとも法律について説明しただけなのかを良く判断して論評してもらいたいものだと思った次第です。                 (ミドリガメ)



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 いよいよ裁判員裁判が始まりましたね。思いつくままに感想を述べてみます。

○ 上々の滑り出しでよかったですね。

 第1に,傍聴希望者が沢山来てくれたこと。関心の高さを示しています。法廷の傍聴席が狭く,せっかくきてくれたのに傍聴できなかった人が気の毒でした。
 第2に,裁判員候補者の出席率が大変良かったこと。覚悟を決めて休暇を取ってきてくれて,選任されないで帰る人のことももっと考えなければいけませんね。
 第3に,抽選とは思えないほどに裁判員及び補充員のレベルが高かったこと。模擬裁判で裁判員を頼んでもこれほどの人がそろうだろうかと思うほどでした。日本国民のレベルが高いと言うことでしょうね。
 第4に,裁判員経験者の記者会見での発言もまじめなものだったこと。補充員から裁判員になられた方も渋くてよかったですね。案の定記者会見のアンコールまでされていましたが,こういう人生経験豊かな方でなければ,この事件の被告人の酌むべき点を見出すことは難しいかも知れませんね。
 第5に,女性裁判官の存在も光りましたね。女性裁判員が雰囲気に早く打ち解けるのに大変役に立ったようでした。これからもできるだけ女性裁判官を一人構成に入れるようにしたいですね。
 いずれにしても,良いことがそろって,願ってもない第1回の裁判員裁判ができ,この制度にとっては素晴らしい出発になりました。

○ 第1回の裁判員裁判の初日に合わせて裁判員制度反対のデモもありましたが,判決後に反対者の立場からのコメントが報道されなかったことと,裁判員の記者会見で反対されている理由について感想が聞かれなかったことが残念でした。

○ 一つ気になったのは,抽選の結果裁判員の男女比が1対5とアンバランスが余りにもひどかったことです。今回は被告人が男性,被害者が女性でしたので,被告人も男女差が気になったのではないかな。もしかしたら,そのことが被告人の言い分が聞いてもらえず,刑が重かったことにも影響があったと考えたのではないかとも想像します。
 事件によっては,今回と逆に男性優位になって公平でないと見られることもあるのではないでしょうか。いっそ男女3対3になるように抽選することも考えられますが,裁判官も含めた男女比率も問題になるのでそう簡単ではありません。何かアンバランスを解消する工夫がないものでしょうか。立法論ですが,まず,男女の比率だけを表示して,裁判官も含めて男女のアンバランスが著しい場合は,被告人・弁護人,あるいは検察官から,これでは被告人に不利益な判断が出るおそれがある,あるいは公平な裁判ができないおそれがあるという異議を出してもらい抽選をやり直すことも考えて良いかも知れませんね。


裁判員裁判と量刑問題
とくに検察官の求刑をどう考えるか。

○ 第1回の裁判員裁判の報道を見て,私が気になった一番大きな問題は量刑です。裁判体の構成がその事件によって全く違う以上,個別の事件で重いとか軽いとかが生じるのは想定の範囲内です。私が考えている問題は,もう一歩踏み込んだ「検察官の求刑の機能」のことです。

 これから述べることは,私の独自の意見で皆さんにそうではないと叱られるかも知れませんが,従来,検察官の求刑というのは国家の訴追機関である検察庁の意見としての重みを持っていたということです。法定刑,従来の同種事件の量刑の実情,さらにその種の犯罪の動向,国民感情なども加味するかも知れませんが,これらを踏まえて検察組織としての求刑基準に従って求刑意見が形成され,上司の決裁を受けているのです。したがって,被害者の代理人の意見とは全く重みが違うということです。

 私の経験から言うと,これ自体犯罪の性質及び態様を中心としてかなり類型的に形成されていると感じられるもので,被告人の側の事情は余り酌まれていないので,私はおそらく最大限に見積もってこれくらいという趣旨の意見だと思っています。検察官の提示した公訴事実がそのとおり認定された場合であっても,裁判所は被告人に有利な様々な事情を十分に取り入れて量刑をするので,実際の宣告刑は大なり小なり求刑を下回ったものになる必然性があるのです。現実の量刑は求刑の8掛けとか7掛けとか揶揄されていますが,検察官の求刑はある意味で上限を提示し,宇宙のように広いわが刑事法の法定刑の中で量刑のアンバランスを防ぐための大きな役割も果たしていたと思うのです。そのような意味では,刑事裁判実務において検察官の求刑は尊重されてきたといえるでしょう。たまに求刑どおりあるいはこれを上回る実刑判決があると,これ自体なんら違法でないにもかかわらず,検察官は驚いて,裁判官が変わっているのか(半分冗談です。),求刑が軽かったのだろうかと部内で真剣に検討するということを,噂ですが,聞いたことがあります。

 ところで,東京地裁で行われた第1回の裁判員裁判では,検察官は懲役16年の求刑をし,判決では懲役15年が宣告されました。おそらく大方の実務家や法学者は「重い」と思ったでしょう。法廷を傍聴していない私にはその是非は論じられませんが,感覚的には重いと思いました。ただ,被告人には余りよい情状はなかったかもしれないけれども,昔から「泥棒にも3分の理」といいます。どんな被告人にも何か有利に酌むべき点はあるものです。従来求刑から2,3割は減らす刑が多いと言われるのはそういうことだと思います。私は,裁判員は検察官の求刑をどう考えたのかな,裁判長はどう説明したのかな,ということが気にかかりました。しかし,もし,裁判員において上記のような求刑の役割について理解がなかったとすれば,さらに本件では被害者代理人の女性弁護士が懲役20年の意見を述べているのですから,これを平気で16年以上の意見が出されたのではないかと想像するのです(あてになりませんが。)。検事OBのコメンテーターとしても有名な方が,裁判員裁判では,情状が悪いときは従来よりも重く,情状が良いときはより従来よりも軽くなる可能性がある,量刑のばらつきが大きくなるだろうとしながらも肯定的な感想を述べていました。この問題は,被害者参加の新制度と共に刑を重くする要素となる大きな問題点ではないかと考えるのですが,みなさんはいかがでしょうか。(ミドリガメ)


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )