5 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (教え子より) 2007-12-08 00:58:07 ご両親を立て続けに亡くされた先生のご心中お察しします。僕も半年前父を亡くしました。朝何気なく「行って来ます」と言葉を交わしたのが最後となりました。夕方突然倒れ、知らせを聞いてすぐ自宅へ戻ったのですが、意識が戻らぬまま61年の短い一生を終えました。先生のお母様とは違い父は長年糖尿を患い年々徐々に具合を悪くしていたので、そう長くは生きられないことが分かりつつも優しくやれなかった自分を不甲斐なく思います。あと一年生きていれば、自分の司法試験合格を見せてやることができたのに、と思うと悔しくてなりません。幸い母は健在ですので、その分母に孝行しようと思っています。そして、自分は健康に気をつけて長生きしてみせるぞ、とも思っています。気をつけてさえいれば大半の病気は防げることも、父を間近で見ていて学んだ気がします。 返信する 「裁判官」も人の子 (喜多川 歌麿) 2007-12-08 10:55:28 有り難うございます。「裁判官」も人の子、であって、嬉しいお話を。しかし、現実は『また読書その他の自己研鑽や合議での議論を通じるなどして,裁判官が法律的にも人間的にも大いに実力をつけてほしいものであるが,そのためにも裁判官にはもっともっと心身の余裕が必要であると思うのである。』とのように、厳しいものがありますね。人が人を裁く、という困難なお仕事、それだけに「余裕」は絶対要件と御意見に賛同します。でも、何故、裁判官は現在のような厳しい環境におかれるようになってしまったのですかね? 返信する Unknown (人間に備わる良心) 2007-12-08 18:10:53 AとBは会社を興し会社取締り役で株45%づづ所持、Cが10%を。会社はAB2人で運営すると弁護士面前で口頭約束。Bは株主総会の議長は交替制でBがその日議長で、株主総会日、株を半分以上Aが所有したと分かり株主総会延会をAに告げ帰宅。しかしAはそれを無視、議長が帰宅したのでに代わりAが議長代理になると株主総会を始め、その株主総会でBを解雇。Aは約束などした覚えないとし、商法上株売買は禁止出来ないとし、Cの株を購入、Bを解雇したもの。①2人で会社運営の約束があるが証拠は第三者の証言のみで、株売買は商法上許される行為か?②労働基準法法上の解雇権乱用であるが、解雇は許される行為か?③憲法財産権の保障上Bの財産である会社経営権は守られるか?④Bの立場になった場合Aの行為は許される?又ゆるされないだろうから、どう告訴する?裁判官になったつもりで良心(裁判官の)に基づいてお答え下さい。この設問ではAの行為が許されると聞きます。裁判官の良心は法の下に、民間人の正義良心は法の上にあります。良心からAが正しいとなんて決定できません。自分の良心が傷つき狂うと思います。裁判員制度なんて民間人には悪影響です。どう思われますか? 返信する Unknown (Unknown) 2007-12-08 23:12:55 「ジャッジ」のあとにやってるドラマも面白いです。土曜9時枠のNHKドラマは良質なものが多いですね。 返信する Unknown (Unknown) 2007-12-10 16:30:09 心が亡びると書いて忙しい、と読みますが、裁判官は忙しすぎだと思います。単純に裁判官の人数を増やせば済む問題なのでしょうか?それとも処理件数を見て評価してしまう人事の問題もあるのでしょうか?まぁ、様々な要因が重なった結果なのでしょう。裁判官に限りませんが、仕事ばかりに追われていては感受性が退化していきます。感受性を持てないほどに追い詰められてよりよい仕事が出来るとは思えません。本人の努力以前に余力を持てる仕事量にしていくべきではないでしょうか。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
僕も半年前父を亡くしました。朝何気なく「行って来ます」と言葉を交わしたのが最後となりました。夕方突然倒れ、知らせを聞いてすぐ自宅へ戻ったのですが、意識が戻らぬまま61年の短い一生を終えました。
先生のお母様とは違い父は長年糖尿を患い年々徐々に具合を悪くしていたので、そう長くは生きられないことが分かりつつも優しくやれなかった自分を不甲斐なく思います。あと一年生きていれば、自分の司法試験合格を見せてやることができたのに、と思うと悔しくてなりません。幸い母は健在ですので、その分母に孝行しようと思っています。
そして、自分は健康に気をつけて長生きしてみせるぞ、とも思っています。気をつけてさえいれば大半の病気は防げることも、父を間近で見ていて学んだ気がします。
「裁判官」も人の子、であって、嬉しいお話を。
しかし、現実は『また読書その他の自己研鑽や合議での議論を通じるなどして,裁判官が法律的にも人間的にも大いに実力をつけてほしいものであるが,そのためにも裁判官にはもっともっと心身の余裕が必要であると思うのである。』とのように、厳しいものがありますね。
人が人を裁く、という困難なお仕事、それだけに「余裕」は絶対要件と御意見に賛同します。
でも、何故、裁判官は現在のような厳しい環境におかれるようになってしまったのですかね?
単純に裁判官の人数を増やせば済む問題なのでしょうか?それとも処理件数を見て評価してしまう人事の問題もあるのでしょうか?まぁ、様々な要因が重なった結果なのでしょう。
裁判官に限りませんが、仕事ばかりに追われていては感受性が退化していきます。感受性を持てないほどに追い詰められてよりよい仕事が出来るとは思えません。本人の努力以前に余力を持てる仕事量にしていくべきではないでしょうか。