日本裁判官ネットワークブログ
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1 わが家で再び猫を飼うようになってから1か月余りが経過した。わが家でも,わが事務所でも猫談義と笑いが絶えない。妻も3人の女性事務員も大の猫好きである。若い男性弁護士もどうやら猫好きのようである。近くわが家で夕食会を開くことになった。猫好きのみんなが,話題の主の「クー」と対面するためである。そして本当の目的は,猫を連れに行ってくれ,猫を飼いたい思いにじっと耐えてくれた事務員の4歳の女の子をご招待して,元気ないたずら猫に育っていることを見て貰い安心して貰うことである。
2 猫は生後5か月位の雌猫なので,もう大人猫並みの大きさである。近く避妊手術を受けさせようかと考えている。この猫は甚だ動きが俊敏で,家の中を弾丸のように走り回っている。いつも私の後を付いて来るので,パソコンを置いてある部屋や,トイレなどに一緒に入らないように素早くドアを閉めるように心掛けているのに,いつの間にか中に入っていて,「ニャー」と鳴いて驚かされる。
3 最近は随分いたずら猫になってきた。いつも「いたずらをしたい」という顔付きである。「猫は飼い主に似るのだから,いたずら猫になったのはあなたのせいだ。」と妻が言う。わが家はふたりとも,「子供は 思い切り可愛いがって甘やかして育てるとよい子に育つ」という子育て論の持ち主である。ふたりの子もそのように育てたが,この考えは間違っていなかったと思っている。
4 以前飼っていた猫は,わが家が郷里で1年間借家住まいをした時に,庭の隅に住みついて,粘り勝ちでわが家の住人になった生後6か月位の野良猫(捨て猫)であった。いつも一番早く帰宅する小学6年生の次女が玄関の戸を開く音を聞きつけると,すごい速さで2階から階段を駆け下りてきて,玄関にちょこんと座って,次女を迎えたのだそうであるが,次女はその猫を可愛がって,襟巻きにしたり,耳を引っ張ったりしておもちゃにし,いつも猫が「ニャーニャー」と悲鳴をあげていたものであった。
5 「クー」は,夜寝ている妻の顔に飛びついてじゃれたり,胸に乗ったり,襟巻き風になったりして,妻を熟睡させないらしい。これは困ったことである。先日私がシャツやジャンパーなどを1階の長椅子の上に放置して寝たところ,朝まで私のジャンパーの中に入り込んで寝ており,妻は1晩安眠できたということであった。そこで一計を案じて,私が着替えた汚れた下着とシャツとジャンパーなどを,猫が寝やすい形にして,猫の寝床にしているが,妻が安眠できる日が増えたという程度のようである。
6 猫の餌は固形餌をメインとしているが,おまけとして1日1本の小型の竹輪か,一掴みのシラスボシか,小さな袋に入った削りカツオを食べさせている。私が頻繁に調理し,私の夕食弁当のおかずになっている安価な「イカナゴの醤油煮付け」も大好きであるが,すっかり舌が贅沢になったのか,固形餌だけで済まそうとすると,怒って「ニャーニャー」とうるさい。わが事務所には,私がコンビニで見つけて衝動買いした「ねこの小言」と「猫語の教科書」という2冊の本があり,妻は(事務員も)それらの本を読んで,「自分は猫語が分かる」と思っている節がある。そして,猫がニャーニャーとうるさく鳴いていると,「また猫用の竹輪を盗んで食べたでしょう。」と言って,私には猫語が分かるんだからと言う顔付きをしている。私は「食べてないよ。濡れ衣だよ。」とは言うものの,実は3日に1回くらいは,ピンハネして竹輪を半分ほど盗み食いしているのであるから,妻の眼力(猫語力)も「さすが!」というべきであろうか。(ムサシ)



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1 昨年夏ころ,当番で回ってきた刑事の裁判員裁判事件の国選弁護事件で,2件続けて自白事件を担当した。いずれも私が主任弁護人となり,1件は妻と,1件はわが事務所の若い弁護士と組んで2人で担当した。裁判所の担当部は別であった。
2 裁判員裁判でない刑事事件では,検察官が証拠である書証を大量に提出し,事実を認めている被告人の供述調書が何通も提出され,弁護人は原則としてそれらの書証などを全て証拠とすることに同意し,検察官がその要旨を法廷で述べた後,先に弁護人から被告人質問がなされることになる。
3 そのため被告人質問が開始される段階では,検察官の立証は既に終わっており,被告人が行なった犯行の内容は,既に詳細に証拠となっているのであるから,弁護人は,事実関係に関して被告人に確認しておきたい事実,被告人に有利な事実や事情を取り上げて,要点を絞って質問すれば足るのである。
4 ところが,裁判員裁判事件では,原則として証拠は全て法廷で口頭で述べることが要請され,後で裁判員が汗を流して書類を読む必要がないように配慮されている。そうすると,犯行を認めている被告人の詳細で大量の供述調書は証拠として提出されないことになり,被告人に対する法廷での口頭による質疑応答を裁判員が直接耳で聞いて判断することになるのである。
5 これまでの裁判では,被告人に対する質問は,被告人の味方である弁護人からなされることが当然のこととされてきた。それは甚だ当然のことであった。その前提としては,被告人が犯行を認めている何通もの被告人の供述調書が証拠として採用され,裁判所に提出されているということである。
6 ところが裁判員裁判においては,検察官は,被告人の供述調書を裁判員が読むのは事実上不可能であるので,証拠として提出せず,簡単に要約した報告書を提出するだけで,詳細は法廷での被告人に対する質疑応答を,裁判員が直接法廷で聞いて,心証を形成するという方式になっている。
7 そして被告人に対する質問を,犯罪事実(罪体)と情状(刑の重さ)に関する部分に分けて,それぞれを弁護人,検察官という順序で質問することになっている。
8 私が担当した事件は2件とも,そのような順序で質問がなされ,事件は結審し,判決がなされた。
9 その後,裁判所の一方の部からの要請があり,今後の参考にしたいということで,審理のあり方その他について,意見を聞きたいということであった。
10 そこで私は,罪体に関する被告人質問を弁護人からすると,被告人が有罪であることの立証を,検察官でなく弁護人がすることになって甚だやりにくいので,罪体に関する被告人質問は,先に検察官にやって貰いたいと強く要望した。裁判長は「なるほどそうですね。」ということではあったが,そうすることにはならなかった。
11 ところがつい先日,当地の弁護士会の刑事研究会で,裁判員裁判について議論した際に,私が前記のような発言をすると,2つある刑事部のうち,私が前記の意見を主張した部では,罪体に関する被告人質問は当然の如く検察官からなされることになっており,別の部では,弁護人が何も言わないと,弁護人からの被告人質問が行なわれることになるが,弁護人から「罪体に関する被告人質問は検察官から行なって欲しい。」と主張すると,そのようになされているということであった。
12 昨年夏ごろ,私と妻が強く主張した結果そのようになったものかどうかについては明らかではないが,私はその話を聞いて,何となく嬉しく思ったという次第である。(ムサシ)



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22 トレーニングは,頑張るにはエネルギーが必要であるし,頑張り過ぎると続かない。人生はやむなく病気になることもあるが,意識的な努力によって病気を避けることもある程度は可能である。どうせ人生は1回しかないのだから,できれば病気にも認知症にもならず,死ぬまでかくしゃくとしてそこそこ長生きして,家族に余り迷惑や心配をかけずに,悠然と死を迎えたい。これは「人生の達人」ともいうべき境地であり,目標とする価値のあることではないかと思うのである。
23 人生をかくしゃくと過ごすためには,後で手抜かりがあったと後悔することのないように注意し,いろいろと工夫し努力するのがよいと思う。そこでさりげなく,いつの間にか多くの実践をしてしまう「トレーニングの達人になれ」ということになる。私もいずれ「毎日が日曜日」(エブリーサンデー)の生活になるが,今は「見ていろ,その時が来れば無茶苦茶頑張りしてやるぞ。スポーツも読書もあれもこれも,今できないでいることを狂ったように頑張ってやる!」などと思っているが,その気持はズッと持ち続けて,いざ暇になったら,「することも,する気力も消え失せた」ということにならないようにしようと思っている。
24 トレーニングとはいえないことも含めて,この際健康法の工夫について少し述べておきたい。
(1)まず起床直後の「歯のすすぎ」である。洗面所で水を口に含んで強く10回歯をすすぐ。これを3回,合計30回繰り返す。歯磨きして寝ても,睡眠中に数億個の歯周病菌が増殖するので,それを洗い流すという趣旨である。これは高血圧防止や女性の原因不明の流産防止の効果があるとされている。
(2)その後すぐにコップ1杯の水かお茶を飲む。起床直後と睡眠前の1日2回必要とされているらしい。これは脳梗塞(のんちゃん)と心筋梗塞(しんちゃん)防止策である。睡眠中の汗などで水分が不足して血液が粘っこくなる。起床前後の時間帯は「魔の3時間」と呼ばれているそうで,この時間帯に「のんちゃんとしんちゃんがよく遊びに来る」(某弁護士の体験談)のだそうである。我々ものんちゃんとしんちゃんとは親しい友人にはなりたくないから,遊びに来たら毅然として追い返さなければならない。寝る前の1杯は汗をかいても大丈夫なように,起床直後の1杯は不足している水分の補給である。私はこの話を読んで,なるほどとガッテンしたのである。
25 朝トレとして次の6種目を提案したい。全部実行すると10分を要する。簡単な内容ではあるが,強い決意がないと続かない。今私は毎朝必死になってこれを頑張る実験をしている。これしきのことができないようでは,「わが国で十指に入る健康オタク人」と自称する資格はないと思うからである。
  ① 軽い柔軟体操。体や腕の回転,前屈など。
  ② 腰の回転。左右各30回。これを続けているとギックリ腰などの腰痛を防止できる。
  ③ ダンベル体操 ダンベルは3キロのものがよい。5キロのものだと重すぎて続かない。8種類の運動各10回。
  ④ 青竹踏み30回。
  ⑤ 室内自転車漕ぎ100回。室内自転車が必要となるので買った。
  ⑥ スローステップ30回。
    自宅の階段の最下段を利用して,ゆっくり30回昇り降りする。
   この朝トレの継続は案外容易ではない。どうしても朝全部できないことも多いので,それなりの工夫が必要となる。
   まずダンベルは,3キロのもの2個を事務所にも置いてある。朝できなかった日は,夕方事務員が帰った後でやる。スローステップは昼休みにトイレに行くついでに事務所の階段で密かに実行できる。家でできなければ事務所で密かに,しかし必ず行なう。夜の帰宅後は,不思議なことにその気力が湧かないことが多い。これらは全てトレーニング一覧表に記載することでチェックする。私は自分のことを「トレーニング一覧表に操られている不老ロボット」と称しているが,これはまさしく執念以外の何者でもあるまい。(ムサシ,なお続く)



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17⑥ 土,日の活用について(続き)
   オ テニスについて
     私は司法試験に合格した直後から偶然友人に勧められて硬式テニスを始めた。運良く一緒に試験に合格した当時の婚約者(現妻)と,合格後それぞれ生活費や結婚資金稼ぎのために,司法研修所に入所するまでの間アルバイトを始めたが,それぞれテニスのラケットを買った。以来テニス歴は38年を超えた。
     当地の法曹テニスは甚だ盛況を呈しており,毎回30人近くが参加して年10回程度のテニス大会と,大会の日には必ず懇親会が行なわれ,懇親会参加者は必ず挨拶して好き勝手に面白可笑しく話をするので,とても楽しい会であり,職業柄蓄積するストレス解消には最適であるといってよい。私は死の直前までかくしゃくとしてテニスコートに立ちたいと考えているのである。
     それゆえ週1回を目標に,夫婦で県営テニスコートを1面借りて,1時間の練習や遊び試合をすることになっており,時に壁打ちもする。土,日の午前中に週1回予定が組まれているのである。
18 これだけ書いてくると,一般的には結構運動を頑張っているということになるだろうが,意識的な努力で記憶力の低下を阻止し,アルツハイマーや認知症を拒否して,健康長寿を目指そうという壮大な目標からすると,この程度のことでは到底目標達成には程遠いという気がする。しかし他方で最近の私は,強い意欲と緻密な工夫とそして時間的な余裕があれば,脳の老化防止や健康長寿は不可能ではなく,意識的努力で十分達成できるのではないかという,確信のような思いを抱くようになっている。そのためにも健康オタク人として,わが国の十指に入ってやろうと密かな野望を抱くに至っているのである。もっともそれを認定する方法はないので,自分で勝手に「十指に入っているに違いない」と思えるだけの努力をするというだけのことである。
19 スポーツを頑張り,頭を使う意識的な努力を積み重ねると,記憶を司る脳の海馬(かいば)が発達し,大きくなるという実験結果があるそうである。テレビで見た説明では,ある脳のトレーニング教室のようなところで,週1回程度所定のルールで歩く際に,「100-(引く)3」などと計算しながら歩くというトレーニングを継続すると,一定の期間後(1年後などという長期間後であったと記憶しているが)には,ほぼ全員の海馬が大きくなっていたというのである。また一定量の運動を継続していると,脳細胞を殺す蛋白質であり,アルツハイマーの原因とされているアミロイドベータの蓄積を防止できるとの説明がなされたという記憶である。
20 今後「脳科学」は飛躍的に進歩すると思われる。ガンの防止と治療,万能細胞の研究などについても飛躍的に進歩している報道を見ていると心躍るものがある。あと5年もすれば,そして10年後には必ず,健康や病気に関する状況は一変する可能性がある。そうであるなら,我々もそのような希望のある未来が来るまで,しぶとくかくしゃくとして生き延びなくてはなるまい。
21 どうせ努力しても無駄であるかも知れない。しかしひょっとすると大きな効果があるかも知れないのであるから,まあ人生を充実させ楽しむという意味で,遊び心でいろいろと工夫し,努力してみるのも「おつな」ことではあるまいか。(ムサシ,なお続く)



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