2010年 ことしの一冊たち 下半期

7月

「マンハント」 1958年8月創刊号
「酔いどれ探偵街を行く」は全部読む前に図書館に返す日がきてしまった。けっきょく本屋で買ってきた。

図書館関係本2冊
「図書館 この素晴らしき世界」(藤野幸雄 勉誠出版 2008)
「図書館ラクダがやってくる」(マーグリート・ルアーズ さ・え・ら書房 2010)
「図書館 この素晴らしき世界」はまだ手に入れてない。あと、ことしもう一冊とり上げようと思い、できなかった図書館本がある。
「図書館 愛書家の楽園」(アルベルト・マングェル 白水社 2008)。
この本は図書館というより、愛書家、あるいは大量の蔵書についての本。著者は博覧強記で、おびただしい逸話が語られるのだけれど、それが引用というより、召喚といいたくなるような文章で記されている。とても魅力的なのだけれど、メモをとるのにこんなにむつかしい本もなく、けっきょくとり上げるのをあきらめた。図版もたくさんあり、書物や蔵書や読書について興味のあるひとには、ぜひ薦めたい。

「小説のために」(コリン・ウィルソン 紀伊国屋書店 1977)
ことしは文学史ブームも起きた。「ミメーシス」にとり上げられた作品のリストもつくりたいと思っていたのだけれど、できなかった。

「ボローニャ紀行」(井上ひさし 文芸春秋 2008)
井上ひさしさんが亡くなられたので、とりあえずこの本を読んでみた。

井上ひさしさんの講演を聴いた話
一度だけ、井上ひさしさんの講演を聞いたことがある。それについてのメモ。


8月

「機械探偵クリク・ロボット」(カミ 早川書房 2010)
売れたのかなあ。

「世界文学全集 37」(集英社 1966)
この本はお買い得だった。ジーヴスの短篇タイトルについて、「あとでしらべておこう」なんていって、まだ調べていない…。

「黄金の仔牛」(イリフ、ペトロフ 東京創元社 1957)
「十二の椅子」に負けていないと思うが、どうか。

「マレーシアの冒険」(ジャン・エシュノーズ 集英社 1996)
このあたりから、フランス小説ブームに突入。


9月

「愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える」(マンシェット 光文社 2009)
マンシェットは素晴らしかった。

「法王庁の抜穴」(アンドレ・ジッド 新潮社 1952)
こんな小説だったとは。

この30年で日本の読書環境は激変した
・雑誌「現代の図書館」(48巻1号 通巻193号)に掲載された、永江朗さんによる記事についてのメモ。

「彼方」(ユイスマンス 東京創元社 1975)
ユイスマンスもはじめて読んだ。不思議な小説だった。


10月

「クレランバール」(マルセル・エーメ 白水社 1956)
戯曲のほうが、エーメはとっつきやすいかもしれない。問題は、そもそも戯曲を読むことがとっつきやすいかどうかだけれど。


11月

神田古本祭りにいった話2010
「ドガに就て」(ヴァレリィ 筑摩書房 1977)はとても面白かった。

「老教授ゴハルの犯罪」(アルベール・コスリー 水声社 2008)
なんだって、こういう小説を読んでいるのか。われながら不思議だ。

橋の上から身を投げようとしているひとを止める話
「幸福論」(アラン 集英社文庫 1993)におさめられた清水徹さんの文章によれば、「橋のうえで若い娘が身投げしようとしていた。ひとりの哲学者が通りかかって、スカートを摑んで娘をひきとめる。そのあと、この二人はどのような対話をかわしたか?」というテーマで、アランは生徒に論文を書かせたそう。その一番短い論文がマルローのものだったとまでは、この文章には書いていなかった。

「書棚と平台」(柴野京子 弘文堂 2009)
「本は、これから」(池澤夏樹/編 岩波新書 2010)という、いろんなひとたちが「本」についての考えを記した本が最近でた。この本にも柴野さんの文章が収められていて、この文章は理解できた気がする。

図書館は出版営業を妨げているか
・雑誌「出版ニュース」(2010年8月中旬号)に掲載された記事についてのメモ。


12月

「いと低きもの」(クリスティアン・ボバン 平凡社 1995)
なんとなく、フランス小説は時空間を無視する傾向があるように思う。

「OPUS(オーパス)」上下巻(今敏 徳間書店 2010)
このマンガは連載当時、ほんとうに楽しみにしていた。作者が亡くなったおかげで読めるようになったのは皮肉な話だ。

ことしメモをとった本は以上。
ブログではとり上げなかったけれど、こんなフランス小説も読んだ。

「コーヒーの水」(ラファエル・コンフィアン 紀伊国屋書店 1999)
作者はカリブ海マルティニック島のひと。それまでクレオール語で書いていたが、フランス語でもクレオールの現実は表現できると考え本書を執筆したそう。内容は、多彩なエピソードが語られるけれど、全体としては判然としないというもの。判然としないのは、時間順に書かれていないから。時間順に書かないのは、入植者がくるまで、もともと島には歴史がなかったということを反映させたからだそう。でも、これだと読者に負担を強いるのではないかと思った。「百年の孤独」が時間順に書かれていなかったら、あれほど受け入れられたかどうか。

これは余談だけれど、たしか橋本治さんが「百年の孤独」の感想で、「田舎では不思議なことが起こるに決まっている」といった意味のことを書いていたのを思い出した。一刀両断とはこのことだと、読んだとき思ったものだった。

さて。
後半は忙しさのせいもあって、ほとんど更新できなかった。
記事自体も長大化の傾向をみせていて、更新の妨げにひと役買っている。

もう少し軽く書いて、頻繁に更新するべきか。
でも、あっさり書くと、本の内容がまったく思い出せなくて、メモをとったかいがなくなってしまうし。
このブログも長くなってきたので、とり上げた本の索引をつくったりしたいのだけれど。
とまあ、いろいろ悩ましいことがあるのだけれど、今後の課題ということに。

ことしの更新はこれが最後。
なにかの縁で読んでくださったかたは、どうもありがとうございます。
来年も折をみて更新していきたいと思います。
では、皆様、よいお年を。


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