法王庁の抜穴

「法王庁の抜穴」(アンドレ・ジッド 新潮社 1952)

訳は生島遼一。
装丁は1994年に復刊されたときのもの。
デザインは新潮社装幀室。

最近、手元にあるフランス小説を立て続けに読んでいて、今回は「法王庁の抜穴」。
本の後ろに書かれたあらすじはこう。

「ローマに治療に来た無神論者アンチムに起こった奇蹟に、喚声と揶揄が乱れ飛んだ。悪党「百足組」が仕組んだローマ法王の幽閉詐欺事件に巻き込まれた善良な凡人アメデは、予期せぬ遺産を手にした美貌の若き私生児ラフカヂオの動機なき殺人の犠牲に……。錯綜する皮肉と風刺の傑作長編」

これを読んで、勝手に冒険小説のような本かと思っていたら、ちがった。
名作を読むといつも思うことだけれど、「まさかこんな小説だったとは」。

全体は5章に分かれ、章ごとに中心となる人物が代わる。
第1章は「アンチム・アルマン-デュポワ」。

舞台は1890年。
アンチムは46歳の秘密結社員で無神論者。
半身不随の治療のため、ローマで暮らすことに。
妻ヴェロニックとのあいだに子どもはなく、ネズミをつかった妙な実験に精をだしている。

ところが、ある夜アンチムは不思議な夢をみる。
と同時に、病が癒えてしまう。
これを機に、アンチムは信仰の道へ。
しかし、アンチムはエジプトに地所をもっており、最近鉄道が通るというのでひと財産を期待していた。
この鉄道の仕事は秘密結社の掌中にあり、信仰の道に入ったアンチムは当然のことながら結社の支持は受けられず、破産の瀬戸際に。
アンチムは、宗教界の援助を期待するが、いいように利用されただけに終わる…。

この第1章を読んだだけでも、冒険小説とちがうことは明らか。
ひとことでいうと、皮肉なユーモアが全体を席巻している。
人物の描写や事実関係の説明は猛烈にうまい。
こみいったことを軽がると説明してのけている。
この、すこし作者が身を乗りだした感じで、でも熱くもならず冷たくもならず、微笑と皮肉をもって、ありきたりなストーリーを手際よく語るという態度は、全篇を貫いている。
よく途中でペースを乱さなかったなあと、ジッドの語り口のうまさに感心。

第2章は「ジュリウス・ド・バラリウル」。
ジュリウスはアンチムの義弟で小説家。

「そのもちまえの品位、気高さはその書くものにもよくうかがわれるが、こうした高尚な天性のために、ついぞ小説家らしい好奇心を行くがままに走らせ、徹底させたことがないようだ」

と、描写されるような人物。
現在、アカデミの会員になることを狙っている。

さて、義兄に会ったのち、ローマからパリに帰ってきたジュリウスに、高齢の父、ジュスト-アジェノオル・ド・バラリウルから一通の手紙が届いていた。
内容は、ラフカヂオ・ルウキという青年に会ってもらいたいというもの。
そこで、ジュリウスは陋屋に住むラフカヂオを訪ね、自分の著作を浄書してもらいたいともちかける。

ここで、視点が切りかわって、ラフカヂオの視点に。
ほれぼれするような、見事な切りかえだ。
19歳の青年であるラフカヂオは、もらった名刺から図書館で「現代人名辞典」を調べ、ジュリウスの経歴を確認。
たまたま、その上の項目に外交官だったジュリウスの父の経歴も載っており、ラフカヂオははっとする。
ラフカヂオには父はなく、「小父さん」と母が呼ぶ5人の男たちがいるばかりだった。
しかし、ジュリウスの父は、ちょうど自分が生まれたとき、ブカレストに赴任している。

ラフカヂオは名刺屋に、「ラフカヂオ・ド・バラリウル」と名刺をつくらせ、途中出くわした火事のアパートから子どもをすくいだすと、ジュスト-アジェノオルのもとへ。
ジュスト-アジェノオル伯爵は、ラフカヂオの前で名刺を引き裂きながらいう。
ラフカヂオ・ルウキという男につたえてもらいたい、こんな紙切れをもてあそぶ了見なら、わしはあの男を警察に訴えて詐欺師として逮捕させる。
続けて、こうもいう。

「あなたが利口らしいことはわかったし、あなたが醜くないことはうれしく思う。あなたが今日やった向こうみずなことをみればなかなか元気もいいようだ。それも悪くない。…」

ジュスト-アジェノオル伯爵は、ぶっきらぼうな愛情を示しながら、私生児としてラフカヂオを認知する。
本書のなかの名場面だ。
そして、ラフカヂオは4万フランの年金を得ることになる。

第3章は「アメデ・フリッソワル」。
と、こんな調子で紹介していたらきりがないので簡単に。
ジュリウスの妹、ギ・ド・サンプリ伯爵夫人のもとに、ひとりの僧侶があらわれる。
この僧侶はニセ僧侶。
じっさいは、ラフカヂオの元学友プロスト。
怪人のようなこの男は、法王が秘密結社の手により誘拐、監禁されており、救いだすにはお金が必要なのだと、ことばたくみにもちかける。

伯爵夫人は法王幽閉の話を、親戚の(アンチムの妻ヴェロニックや、ジュリウスの妻マルグリットの妹)アメデ・フリッソワル夫人につたえ、夫人は夫のアメデに。
アメデは善良な心のもち主で、金ではなく、自分のからだを差しだすべきだと、単身ローマに潜入する。

第4章「百足組」では、このアメデの珍道中が語られる。
南京虫に襲われ、ノミに襲われ、蚊に襲われて、3晩眠れずにアメデはローマに到着。
このあたりは、完全にユーモア小説。

ところで、「百足組」というのは、「法王幽閉詐欺」計画の実行組織のこと。
「百足組」の網に早ばやと引っかかったアメデは、すぐプロストの監視下に置かれることに。

最終章の第5章「ラフカヂオ」では、ふたたびラフカヂオが登場。
突然、ぎょっとするようなことをやり、物語は終結にむかう…。

ここまで長ながと紹介してきたけれど、各章は要するにメロドラマだ。
それも、とても面白いメロドラマだといっていい。
端役だと思っていた人物が思いがけない活躍をしたり、登場人物たちが思いがけない出会いかたをしたり、じつに見事な手さばきだ。

でも、これが全体を通じてだとどうなるか。
なんとも、判然としない作品になってしまう。

あとがきによれば、ジッドはこの作品をレシ(茶番)と読んだとのこと。
この作品をひとことであらわすのに、これ以上のことばはない。
ジッドは、自分の書いた作品のことをよくわかっていた。

ただ、読後の感想はもったいないだ。
こんなにメロドラマ的シチュエーションを描くのがうまいのだから、いっそ茶番を貫いてくれればよかったのに。
完全にメロドラマにしてしまえばよかったのに。

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コメント
 
 
 
所蔵はしているんですが・・・ (fontanka)
2010-09-17 21:22:24
昔、誉めている人がいて、古書店で購入はしたんですが、読みにくく→挫折。
夫がジイドが好きだったらしく、いろいろあるんですが、もう読むことはないんじゃないか自分というか、持っているのを忘れてました。


 
 
 
賞味期限切れ本好き (タナカ)
2010-09-17 22:32:07
こんにちは。

いま元気に活躍しているひとの小説に、ほとんど興味がないんですよね。
読めるか読めないか、ぎりぎりくらいの本を読むのが楽しいです。
個人的にそういう本を、「賞味期限切れ本」と呼んでいるんですが。
読んでみて、「おっ、まだ食べられるじゃん」と思ったりするのがいいんですよ。

ただ、こういう読書をしていると、ひとと本の話ができなくなりますね。
こうしてコメントをいただけるのはうれしいです。

「法王庁の抜穴」が読みにくいというのはわかります。
説明や描写の分量が多いし、それが皮肉めいて書かれていますから。
それに、作者がときどき顔をだしますし。
逆に、そういうのが好きなひともいるというのもわかります。

それにしても、いまどきジイドを読んでいるというのは、かなり珍しいかもしれませんね。
「法王庁…」は手元にあったので読んだのですが、(しかも石川淳訳の岩波文庫版まででてきた)、じゃあ、これから「狭き門」を読むかというと、うーん…。

名作は読んでみると思っているのとちがうので、そこが面白いです。
次はユイスマンスの「彼方」について書こうと思っているのですが、いやあこの本も思っていたのとぜんぜんちがかったなあ。
 
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