いったん、まとめ

2006-07-27 10:14:24 | 教えない
「教えない」は現代向きではない?
う~む、そうかもしれません。

でも、逆にそういう時代だからこそ必要ともいえます。
differentiation(差別化)にもつながります。

とある時代の教育のあり方は、その前の時代の影響を色濃く残して
いるハズです。時代が変わったといっても人間は引き続き、生きて
いってますから。

明治になって日本が西洋に追いつけと発展する要因のひとつに人々
の教育レベルの高さがあります。それは江戸時代の寺子屋教育のレ
ベルの高さを地盤にしたものであったはずです。

きちんと勉強する姿勢があったところへ、人々を平等に教える社会
の仕組みができあがり、封建社会から解き放たれた明るさがエネル
ギーを与えたのです。

もう一つ、それに似た発展期が第二次世界大戦後の日本です。
戦前からの、勉強の姿勢としては地に足がついたものとして完成し
ていたところへ、学校制度が改革されてより多くの教育機会が与え
られ、そこに戦後の自由な希望に満ちた社会の空気が上昇気流を
生んだのです。これが現在の日本の経済繁栄に直結しています。

私は戦前の教育の軍事的な部分や、儒教的な抑圧の強い空気は苦手
ですが、戦前の教育の全てが悪かったとは思いません。

むしろ、その影響が薄らいでゆく80年代以降に問題が多く出てき
たことを考えるべきでしょう。遺産を食いつぶした感があります。

私たち団塊の世代やその下の世代までは、戦前からの教育の長所と
戦後教育の長所とを合わせて受けた世代ではないでしょうか。
そして、遺産を食いつぶした世代でもありそうです。

もちろん、両手を上げて戦前バンザイではありません。江戸時代も
明治から昭和前期も教育に問題はありました。
クールに見れば良いところ「も」あったと思うのです。

昔からのものは古臭くて現代には役立たない、ということはありま
せん。連綿と受け継がれ磨き上げられてきた考え方、やり方には
宝物が沢山埋まっています。食いつぶしかけている遺産を見なおし
時代へ繋ごうという意識が「教えない」なのです。
(大きくでましたね)

明治の初期、大学の講義は外国語で行われ、当時の学生の語学力は
素晴らしいものがあったそうです。先達は英語でベストセラーを書
いていますよね。その彼らの学力の礎が素読に代表される古来の
学習だったのです。
漢文の勉強をしたから英語ができる!
文法の共通点、などというより勉強の姿勢づくりが大きかった。


「教えない」は姿勢作りを重視しますが、それ以外にも長所があり
ます。
苦労して勉強する分、つかんだ内容を脳に刻みこめるのです。

本当に理解できているか、納得したか、使いこなせるか、自分から
応用にすすめるか、、こんなレベルをしっかりさせるのです。

すぐに教える方が、取り敢えずは解決が早いでしょう。
ただ、自分できちんと刻み込んでおかないと、混乱、剥落・・・
暫くたってみると、結局何も出来ないという人も多いのです。

一見、時間がかかりそうな「教えない」が結局早いのです。

中学生で塾に週2回くる子であれば、学校より先にゆきます。
古いけれど「急がばまわれ」かなあ。