柴田武『ホンモノの敬語』

2012-12-28 10:19:21 | 本の話
本の話も大分書きましたね。
ただ、ブログをお読みいただく方には
あまり(受け)が宜しくないような気がします。

私としては「こんなに素晴らしい本がある」と思えば
何か、書きたくて書きたくて、
著者の方への感謝と尊敬もキリがありません。
「素晴らしい方がおられるなあ」

山中博士がノーベル賞をとると、何だかこちらまで
嬉しくなっちゃうのと似ていますね。

また個人的なメリットとして、読後の再確認ができる
ということがあります。
幾冊も並行して読むとさすがに全体像の把握が
弱くなりがちになりますから。

趣味に余りに偏っているかと最近は本の話を控えてきました。


TVなどでもよくお見かけした国語学者、柴田武先生の
角川新書版『ホンモノの敬語』

面白かったですね。
ナルホドと勉強になります。

あとがきには
『世の常識とも、学会の定説とも違う、新しい目・・』
とあり、面白い話がテンコモリになっています。

時折は再読すべき本ですね。


最後の方にオマケみたいに俳句の話が出ていました。

かの有名な芭蕉の『古池や蛙とびこむ水の音』
この蛙は一匹か複数か。
あまりに有名な話題ですが、柴田先生も勿論、一匹派。

俳人の金子兜太センセ(嫌いじゃ。ただ珍奇であればよい
という安物の現代美術家みたいなイメージ)は
複数派と書いておられます。
一匹なら平凡なんだそうです。
ふ~ん。安物政治家のレッテル貼りだね。

柴田先生は金子氏の悪口なんか書いておられません、為念。


次いで芭蕉の『かれ朶に烏のとまりけり秋の暮』
このカラスは一羽か複数か?

この句の(前身)『枯枝に烏のとまりたるや秋の暮』
こちらのカラスは単数か複数か?

この二つの句には幸い画がついていて
単数・複数の答えが分かるのです。

もちろん芭蕉がそうイメージしたというだけで
それに縛られる必要も特にないのではありますが
普通、俳句を親しむ者なら答えは決まっていますね。

ピンとこないようでは、俳句を楽しむに欠ける処が
あるように私には思えますね。
国語の先生方、如何ですか?

リクツではないところが日本文化なのですが。

さて答えですが
『・・とまりけり・・』は一羽です。
『・・とまりたるや・・』はもちろん複数
画には二十七羽いるそうです。

(総合的なイメージで答えは決まってきます。
 この二句でいうと動きのあるなしが一番違いますね)

さすがの金子センセも画があれば何も言えないでしょう。


日本語における単数と複数にはもっと奥深い面があり
「日本語に単複の区別はない」という常識がいかに
浅薄か、この本を読めば分かります。


敬語の話に触れないでエピソード程度のボリュームの
単複の話で紹介するのは失礼でした。
ただ敬語の話は短い文では難しくて。
スミマセン。

真木悠介著作集

2012-10-27 10:17:25 | 本の話
電子書籍の時代になりつつあるとか。
本の整理整頓に場所や時間をとるよりも
優れた面がありそうですね。

母の家に置いたままの(=捨てた)多量の本を思い出すと
紙の文化の限界も感じます。

では私がこれからモバイルでの読書をするか?
時の流れにオンチな人間ですから、ありえません。
普通の本の方が頭に入り易いような気がするのです。

ご飯で育った人間がパンでは物足りないようなものでしょう。

ただ、何らかの形で情報ストックは必要かもしれません。
紙での整理は限界があるし、頭はガタガタだしね。


『真木悠介著作集 Ⅰ』が先日届きました。
岩波の本は高いのですが、欲しくて欲しくて・・

若いころ読んだ真木の文章が印象深いのですね。

冒頭からぶっとびます。
「何て名文なんだろう、はあ~!ふ~。」

思想的な中身が濃くて、それでいて叙情的で。
充実していますね。

本の出来も宜しい。
読みやすいですね。

こんな本を手に取ると液晶画面で読書ということが
いかにもお手軽に(薄っぺらく)思われます。
頭に入りそうに思えないのですね。
旧時代人のノスタルジーかもしれませんが。


似た感覚の本を思いうかべました。

芳賀徹著『與謝蕪村の小さな世界』中央公論社
昭和61年に上梓されています。

内容もツクリも大変に品が良い本ですね。
『真木著作集』も近い雰囲気がありますが
出来はやはり違いますね。

こんな本だと、本棚を眺めては落ち着きます。
持っているだけで嬉しいのです。
もちろん折に触れ読み返します。

芳賀先生も「あとがき」で、出来るならば
「あまり大きすぎず、分厚すぎず、といって薄くもなく、
手に持ってちょうどいい重さの四六版で、しかも
その装丁にも中身にも・・(蕪村らしさが漂う)」
そんな本を作りたかったと書いておられます。

今、仮に出版しておくが・・と謙遜されていますが
素敵な本です。
こんな本を手にすると文庫本が好きな私も
優劣を認めなければなりません。

活字だけが本ではなく、本の存在が人に訴えるものがある
それを実感できます。
文庫本の手軽な「手のひら感覚」も悪くはないですが。


日ごろ古本を読むことの多い私ですが、たまには
新しい本も読みます。
読むのが、はかどりますね。

やはり新鮮さがあるのでしょう。
新しいとオイシイのは食べ物と似ているかもしれません。

今野真二著『百年前の日本語』岩波新書

百年ほど前の「書き言葉」の事情を学者らしく簡潔に
纏めて頂いています。
(課題があるかどうかは私ごときには分かりません)

頭の中が整理されますね。

私の少ない読書歴から言うので例によってアヤシイのですが
この本が(一点集中)で日本語を解き明かして頂けるならば
より幅広い視点での分かりやすい本もあります。

樺島忠夫著『日本語探検』角川選書

日本語の表記について基礎的な知識を得られます。
勉強になりますね。

これをまず読んで、次に『百年前・・』が
学生の勉強としては入り易いと思います。


ただ、漢字とか、言葉のありかた、などを勉強するだけではなく
日本文化というものを捉えるヒントがあるように思います。
・・上記の2冊とも。

それがあるから良い本だといえるし、頭に入り易い。


上記4冊、お勧めの本であります。
なお「与謝蕪村・・」は文庫もあるようです。

長谷川時雨

2012-09-28 09:13:07 | 本の話
手元に長谷川時雨の本が一冊だけあります。
1983年の岩波文庫『旧聞日本橋』

まだ岩波文庫にカバーが付かず、緑の帯が付いていました。
ロウ紙(?)は劣化して赤茶け、ボロボロです。

最初は昭和10年、岡倉書房から出版されています。
83年、岩波文庫から出されるにあたり、
旧仮名遣などを改めてあります。残念。

正字正假名ならもっと気分良く読めるのにねえ。

帯には「大江戸の名残をとどめる日本橋界隈・・
自伝的回想。滅びゆく下町の情緒を見事に写す」
こんな本ですから、文字も余計に大切です。

『舊聞日本橋』がカッコいいですよね。


文章が良いのです。日本語ってのはこうだった。

・・などと生意気を言いますが、実は調べないと分からない
言葉も数多くあります。
昭和10年の本がこれですから私も情けない。

時雨さんは明治12年生まれ。
父は刀を差していた人物ですから、その長女の回想録に
江戸情緒がたっぷりと残ることは当然です。
学歴は代用小学校のみ。

記憶力の良いこと、文章の上手いこと。

引用しましょうか。

「敷石を二、三段上って古板塀の板戸を明け一足はいると、
真四角な、かなりの広さの地所へ隅の方に焼け蔵が一戸前
あるだけで、観音開きの蔵前を二、三段上ると、網戸に
白紙(かみ)が張ってある。」

これだけの描写をここまで簡潔にできますか?
明治の古い屋敷が彷彿としてきますね。
しかもリズムが良い。
ヒチコックのカメラワークも思わせます。


多くが小さなころの回想ですが、彼女が十七位の時に
おきた日清戦争の始まりの部分はこうなります。

「人は何かあると、家の中になんぞいられるものはないと
 見える。・・・
  戦争だ!
 と誰かが叫んだ。みんなが駈けてゆくさきは交番だった。
 何か張紙がしてあって、巡査さんが熱そうな顔をしていた。
 交番の前は、遠くから黒山の人だかりでもみあっていた。
 そろそろ帰ってゆくものもあって、その人たちは、青く
 ひきしまった顔附きで家へと急いだ。今思えば、宣戦布告と
 召集の張紙であったのであろう。もう涙ぐんでいる娘さんや、
 前垂れを眼にあてている女(ひと)もあった。
 何しろ下駄の音は絶え間なく走った。」

緊張感を小気味良いほどに描いています。


上記引用は、本の紹介としてはまったく不十分なものです。

数多く描かれているのは、良くも悪しくも、日本人の姿。
失われてしまった和の文化です。

ご自分が始めた雑誌『女人芸術』の埋め草的な文章を
集めたものが本になったそうです。
制約が多い中、これだけの文が書けるとは素晴らしい。

本当は引用すべき人間描写は長くなるので割愛します。
お手軽に青空文庫ででもお読みください。

それにしても日本人は変わってしまったようです。
ほぼ私の祖父母といえば、ついこの間なのに。

小林信彦の最高作品

2012-07-28 10:09:28 | 本の話
文春文庫『侵入者』所収
6話ある中の最後「みずすましの街」は面白い。

とてもよい出来です。
文庫本で60頁ほどなので、すぐに読めます。
読みやすい文体ですしね。

小林信彦はフィクションもノンフィクションもある程度は
読んでいるつもりです。(多少ヌケがあります)

この「みずすましの街」は彼の小説としては最高作では
なかろうか、という気がします。

読みやすさを求め、また、文を粋に削り込む矜持がある作家ゆえ
中身の濃さと表現の簡潔さがマッチしています。
直木賞候補になっただけのことはありますね。

トリッキーな、場合によれば作り過ぎた感がする作品が多い中
これは「いかにも小説風」
コアなファンからは「物足りない」「センチメンタルすぎる」と
言われるかもしれませんね。

とてもよく練られていると思われるのですが、筆者の想いが
強く反映しているので、統一感がよく出ているのです。

多少古風な印象になるのはやむをえませんし、実験作なるものを
嫌う人間には、受け入れやすい物ができたということでしょう。

「健さん、寅さん」の世界でもありますねえ。


人間を強烈に狂わせる戦争、というものが初めはいかに簡単に
身の回りに迫ってくるか、一つの家族、街、から見た物語です。

創作でありながら「真実」

小説とは、かくあるべし。

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』

2012-06-27 15:20:11 | 本の話
久しぶりに本の話です。

大分前に読んでいたのですが書くタイミングが
つかめずにいたのです。


新刊本やベストセラーの紹介はメディアで行われています。
私はそれほど新しい物へのフットワークもありません。
むしろベストセラーのほとんどは価値が薄い一過性のものと
思いますので、お金を割きたくはありません。

そこで、余り古すぎないけれども、ごく最新の本ではない
物の中から、これは面白いというものをブログで紹介して
きました。

特に新書は玉石混交がひどく、勉強しなければならぬのに
無駄な時間を使うことが多いので、本の内容がよいという
情報は大切だと思っていました。
(とあるオッサンの感想ですが)

新書でも一般向けとはいえ著者の人生をかけた学問の
エッセンスが詰めこまれたものが散見されます。
(新書ブームになってかなりアヤシイのですが)

フィクションに対して面白さを感じることが減ったので
新書などを読むことも増えています。

でもね、私がブログに投稿することにどれだけの意味が
あるんだ、という気にもなるのです。
それから、上から目線の投稿になってやしないか、もね。

本当は私が今まで読んできた中で好きな本を告白する方が
よほど良いものを紹介出来るでしょう。

ただ、思い出し・探し出し・読み返し・・これもタイヘン。
いま読み返して大したことがなかったら、も考えます。

あれやこれやと(本の話)が中断気味になる理由です。
投稿はネタギレの時くらいかなあ。


『銃・病原菌・鉄』草思社文庫

名著であり、かつ有名、読まれてもいますね。

ダーウィンの『種の進化』が出て以降人の目が変わったように
『学問のすゝめ』を読まねば明治の会話が成り立たなかったように
もはやこの『銃・・』を読まねばこれからの常識に取り残される
そんな気にさせる一冊です。

特に世界と向き合う時には必要ではないでしょうか。

これから勉強を始める高校生や大学生は必読。

文庫で上下あわせて900頁の分厚さです。
しかも1頁の文字数も多い。

ただ、読めば分かるように新書レベルの内容ですから
どんどんと読めます。(中身は深い)
むしろあっさりとし過ぎていて物足りない処もあるほど
ですから、難解で多量というのではありません。
著者自身も「駆け足で書いている」と言ってます。

とはいえコース料理のようにテーマにそった一つ一つの
章を、それなりにたっぷりと味わえる本ですね。

駆け足とはいえ、知らなかったことも沢山あります。

何より、理系的な目で見る世界史の明晰さが素晴らしい。

引用します。
「歴史から一般則を導きだすのは、惑星の軌道から一般則を
導きだすことよりもむずかしい、ということは否定できない。
しかし、むずかしいけれども絶対に不可能とは思えない。」

入門書のように易しく、かつ重要な指摘が満載された
「お得な」必読書です。

「読んでない? はアー!?
 話になんないよね」

学生のころの私ならこう連発して嫌われていたでしょう。

ときおり、もっと進んだ友達に「お前、その程度で」と
バカにされたりもね。

『英語のしくみが見える英文法』

2012-06-16 10:41:47 | 本の話
酒井典久著『英語のしくみが見える英文法』文芸社

まだ読了はしていないのですが面白い本です。
勉強になりますし、頑張ろうという気もわきますね。


先日、新潟県長岡市から封書が届きました。

手書で宛名書きがしてあり、御机下、と
近年では珍しい脇付をして頂いています。

そこまで偉くはないが・・と思いつつ中を拝読しますと
酒井先生ご自身の著書案内でした。
ビッシリと「宣伝」され、近頃これまた珍しい「手作り感が
いっぱい」の文面です。

半信半疑でネットを検索してみました。
まことに失礼な話で申し訳ないのですが封書だけでは
本に手が伸びない空気でしたので。

(これって私もどっぷりと既成概念に浸かっている証拠で
 自分の目が曇りきっているという話ですけれど)

ネットですぐ検索できました。
まあ、悪いことは書きませんが、悪くはない本であろうと
およその見当がつき、発注することにしました。
本屋しかない時代ではこうはいきませんね。

B5版220頁余りで税込1680円は高くありません。
(税が10%になると@1760でしょ、きついなあ)

2005年3月に初版第1刷、2011年3月に初版第8刷という本が
手元に送られてきました。

著者は長年高校の教師をされ、後に研究家として執筆などを
なさっているようです。

本の体裁がとても読みやすくなっており、これならば
高校生でも読めそうです。
構文の変化がよく分かりますね。

封書には沢山の情報がつまっていて分かりづらい面も
ありましたが、この本ならば安心です。


相当に個性の強い(例えば度のきついまん丸眼鏡で)
ムナカタシコウみたいに話が面白い先生かなあ?

それとも第二内科の下村教授みたいなゴリゴリ?
面白くも何ともない処が笑えちゃうみたいな。

少なくとも「みんな読んでくれよ、目が覚めるから」という
気持ちがしっかりとつまったお手紙であり、著書は労作です。

勝手読みをしますと、英語も言葉なんだからこんな
感覚でできているのではないか、そんな主張に思えます。

ときおり授業で
「こんな感じだろうと思うよ、でも間違ってるかもしれない
から、君らが大きくなってチェックしてみたらいい。
大嘘もあるかもしれない。
たぶんある程度までは大丈夫だろうとは思うけれどね」
こんな話をして、根拠があやふやでも
(大胆な、大胆すぎる)ことを喋ってきましたが
そんな私の気持がいくぶんか楽になる著書でもあります。


高校の英語をざっと習ったあとに高3くらいで読むのが
よいのかなあ。
それとも英語の授業が気に入らない生徒は早く読むべきかな。

英語は日本語とは違うコワイもの、と思わせられがちな
中高の文法授業ですが、人間の脳みそは同じようにできてるん
で、必要以上に怖がらなくてもいい、ということです。

『チンパンジー』

2012-02-18 11:45:21 | 本の話
中村美知夫著『チンパンジー』中公新書

出版されたときかなり評判になったと記憶します。

面白い本ですね。
考え方の勉強になります。


個人的にチンパンジーは好きではなく
手元に置いてあるものの、食指が動かない本でした。

何日か前、各新聞が一斉にチンパンジーの研究を報道し
ある新聞は仲間のために行動する優しい面を
別の新聞は、そうだけれども要求されないと助けない
という冷たい面を見出しにしていました。

実は少し前にNHKの番組でこの実験を流しているので
珍しくも何ともない「ニュース」ではあったのですが。


ガラスで実験用の「檻」を2つ並べて作り(ABとします)
チンパンジーを一頭ずつ入れておきます。

A、B二つのうち片方にだけストローや杖が置いてあり
置いていない方の一頭は、お隣に「道具」を渡してもらわないと
その道具を手に入れられません。

ガラス檻の、見えるけれども手が届かない処に好物を置くと
まず自分の手を伸ばします。

・・届かない。

お隣の杖があれば取れます。

檻の境に設けてある窓からお隣に手をさし入れて「それ頂戴」
とやると様子を見ていたお隣は杖を渡してやります。
まったくの利他行為。

とはいえ、苦労しているようだから「この杖を使えば」
という親切もしくはオセッカイまではしないのです。
頼まれればしてあげるのがチンパンジー流のようですね。

してあげられるのにしない、のか、気づく頭がないのか
そのあたりは彼らに訊いてみないとなりませんね。


面白いことの多いチンパンジーの世界ですが
その研究にも様々なアプローチがあります。
著者の中村さんはアフリカの生息地に出かけて
ひたすら自然の中の彼らを観察されます。

「動物社会学」というのでしょうか。

どうせ(チンパンジーはこんな行動をしますよ)という例が
報告されており、知っている事も知らない事も羅列してある
のだろう・・わざわざ読まないでも、ねえ・・

ところが、予想と全く違う面白さでした。

チンパンジーを観察しながら「人間」が見えてくるのです。

それも上記の「頼まれれば理解して助けるのは猿もやるんだ。
人間も・・」という単純な(人間が見える)という話とは
まったく違うレベルです。

具体的なチンパンジー観察に入る前の第一章を読むだけで
「目からウロコが落ちます」

我々がチンパンジーを見るその(視線そのもの)を改めて
考えると人間の物の捉え方=考え方の偏りが浮かんできます。
「なんという頭の固さで物をみているのだ!」

我々が日々おかし易い素朴な発想は、あまりにも当たり前
であるだけに、かえってそのことに気づかないのです。

「やっぱりヒトが偉いね」

学者すら無自覚にそれに似た発想をしているのではないか。

ん~、面白い!
書く方はタイヘンだったでしょうけれど。

『ゲノム サイエンス』

2012-02-05 09:56:14 | 本の話
榊佳之著『ゲノムサイエンス』講談社BLUEBACKS

副題は、ゲノム解読から生命システムの解明へ。
2007年5月発行です。

未読の箱に入ったままでした。
手にとっても「ヒトゲノムは分かったんですよね」と
何だか分かったような気がして今一つノリませんでした。

もっと早く読んでおくべきでしたね。

各国政府首脳の共同宣言で「ヒトゲノムを配列が全て
解読された」と発表されたのが2003年4月です。

この本はかなり早いタイミングで出ていますね。
著者は日本における第一人者、東京大学定年を機に
出版されたそうです。
一般人にゲノム科学を解説された「力作」ですね。

ワトソン・クリックの二重らせん構造発見から
ほぼ半世紀、驚異的な科学の進歩が分かり易く書かれ
勉強になります。

といっても細かい話になると「ん~、分からん・・・」
「ふ~~ん、・・sigh・・」

そうかDNA配列が分かっただけではまだまだなんだ。
本には「はじまりのおわり」と書いてあります。

1000ドルゲノムプロジェクトとか、すごい話も
進んでいて、倫理面など科学者だけの話ではないと
痛感します。

他にも出版時点での展望も多く示されており、示唆的です。

その後を勉強しなくちゃいけませんね。

日本語を知るために、柳父章の本

2012-01-17 18:20:34 | 本の話
八幡橋のところにある『古本市場』で300円
柳父 章著『翻訳語成立事情』岩波新書

第1刷は1982年です。

タイトル通り幕末~明治の翻訳語が成立した様子を
書いてある本ですが、それだけでなく、言葉とは
あるいは日本語の特色、ひいては文化のありようまで
考えを広げさせてくれる本です。

「ただ、この翻訳語はどう作られた」という話だけでは
今一つ面白くないなあと思い、読み始めて驚きました。

私の勉強不足、思い込みの強さゆえ無視していた本です。
必読書でした。
もっと色々と読むべきでしたねえ。
今更遅いけれど。

本の(まえがき)に明確にこう書いてあります。

「日本の学問・思想の基本用語が、私たちの日常語と
 切り離されているというのは、不幸なことであった。
 しかし、そこには漢字受容以来の、根の深い歴史の
 背景がある。・・(他面そのお蔭で)・・近代以後
 西欧文明の学問・思想などをとにもかくにも急速に
 うけいれることができたのである。ところが・・
 いろいろとかくれた歪みが伴っていた。」

p3には
societyに相当することばが日本にはなかったので
翻訳に苦労した、とあります。

無いものを日本語にし、分からせようという苦労とは
想像を絶することですね。

さらにやっと翻訳が定着しても、「社会」という
その翻訳語が示す現実がすぐに日本に出現したわけでは
ないのです。

筆者の柳父(やなぶ)さんは我々は無意識に使っているが
もっと意識した方がよいと指摘されるのです。

すぐに「そうなんだろうな」と表面的には納得しやすい事
かもしれませんが、案外、深い部分に影響が出やすい。
一見「分かった」と言いやすい分だけ危険かもしれません。
特に文化を日々生きているときの感違いは大きいかな。


本書で取り上げられている翻訳語は
社会・個人・近代・美・権利・自由・存在・自然・・・

あまりにも分かっているつもりの言葉ですから逆に
気をつける必要がありそうです。

また、言葉そのものだけではなく、使われ方にも
焦点があてられています。

p22にはこう書かれています。
「ことばは、いったんつくり出されると、意味の乏しい
ことばとしては扱われない。意味は、当然そこにあるはずで
あるかのごとく扱われる。使っている当人はよく分からなく
ても、ことばじたいが深遠な意味を本来持っているかの
ごとくみなされる。分からないから、かえって乱用される。」

言葉の持つ背景や問題点、文化の意識下にあること、など
目からウロコが落ちる、とはこのことです。
古来、舶来を有り難がるのは言葉も同じだった・・


じっくりと繰り返し読む本ですね。


私の読解力の問題なのか、論が早すぎてよく分からない処が
少しありました。
はしょってる、かなあとも思うのですが叱られるかな?

『万葉集を解読する』

2011-12-17 10:30:40 | 本の話
爽快です。
月並みな表現ですが、目からうろこが落ちます。

これから万葉集の歌に出会うたびに
この本のことを思い浮かべるでしょう。


NHK BOOKS『万葉集を解読する』佐々木隆著

じつは以前この本の1,2頁程度で挫折していました。
最近ふとまた読み始めて、ハマった。

論証がウルサイ気もしないではないのですが
どうしても必要な部分ですから暫くして慣れました。

以前は自分勝手に「万葉集の歌をいくつか解説してある本で、
味わいかたを学ぶものだ」
と思いこんで読み始めたのです。

予想と違う本でしたので心理的に遠ざけちゃった。

頭が固い証拠です。

出遭いは大切にすべきですね。
でないと一生パスしたままになっていたかもしれません。
なんて勿体ない!


国文学の授業、半年分を一冊にされたと書いてあります。
こんな勉強もあったのですね。
(学生時代に出会っていたら苦労したでしょう)

万葉集は全てを漢字で表記してあります。

万葉仮名で、アならば必ず阿、などと決まっていれば
だれも苦労はしないのですが、音読みの字、訓読みの字
から始まってさまざまな「言葉遊び」まで表記は
大変に複雑なようです。

この本は漢字だけで現された歌をどう読むか、から
歌の解釈、観賞までの関係を述べてあります。

単なる思い付きで、こうも読めるではダメですから
厳密な考証が必要であり、かつ、文学的な能力も
要求される、という大変高度な学問のようです。

一般向けのこの本でも結構とっつきにくいのですが
噛めば噛むほど味わいが増しますね。

難しい部分はナナメ読みして取敢えず読んじゃう
という手が効きません。
その代わりに解説をじっくりと読んでいくと
古代人の感覚、心、ユーモアなどが次第に見え始め
いつの間にか幾首もの万葉歌を観賞出来ている
そういう本なのです。

もちろん、日本語の勉強、歌の勉強にもなります。
何度も読み返さねばならない本でしょう。

漢字と読みと解釈、この三つがあって初めて
万葉集が分かり始めるようです。
本当はそこからきちんとしないと日本語のセンスが
育たないかもしれません。

ん~、大変だね。