『折々のことば』4/20

2015-04-20 10:54:17 | 「折々」読んで
『折々のことば』4/20

もう止めようと思うのですが、見ず知らずの大先生にも
失礼ですしね。
ところが、これしきの言葉に手も足も出ないか、と
思われそうで、適当に切り上げられません。

今日のお言葉は、内田樹先生

『「わからないもの」を受け容れ、自分の中に未聞の言明や
心性をむりやりねじ込んでゆく』

解説には「わからないけれどこれは大事というものを
掴むこと。「わかる」の意味はそこにある。」
・・・ん~、すみません、です。


広く言って、勉強には、キーポイントを表わす言葉があります。

分かる=分からない
難しい=難しくない
好き=嫌い

他にもあるかもしれませんがその話は別の機会に譲り
取敢えず上記のうち大変なのはなにか。

分かる、ですね。

自分で納得できているつもりのことでも本当に分かっているか
奥が深いことです。

だから分からないものは呑みこみづらい。

いつになったら分かるのか。
永遠に分からないことを、格言のように覚えておくのか。
凡人には到達し得ない世界ですね。

普通は、難しいことを何とか咀嚼しようというのが「勉強」で
(意味もなく難しい事)を直観でさける能力は大切です。
妙な新興宗教などにとらわれないで済みます。

先に書いていますが、今の私には「嫌いなもの」に
チャレンジしてみたいですね。

分からん話は分からんので、避けます。

自民党の偉い政治家の話のようなの。
分かんないけれど大事なんでしょう、
でもね。。。。
飲みこめるか、っつーの。

『折々のことば』4/19

2015-04-19 10:27:21 | 「折々」読んで
『折々のことば』
あきっぽい私はそろそろ卒業したい、
でもね格好のブログネタがなくなるわけで困りもします。

昔の家庭はカレンダーより日めくりのほうが多かったように
思いますが、我家だけだったのでしょうか。

毎日違う格言のようなものが書いてありました。

生活はきちんとしなさい。
お隣さんとは大きな声で挨拶を。
天罰を恐れなさい。

・・こんな感じでしたかね。
もっと平凡でかつ実利的だったかもしれません。

鷲田センセイの『折々のことば』も日めくり格言か
と言えば怒られちゃいそうですね。


『わたしたちは絶壁が見えないよう、何か視界を遮るものを
 前方にたてかけたあと、安心して絶壁のほうへ走っている』
                      パスカル

パスカルらしい言葉ですね。
まったくその通りです。

ただ、パスカルといえば日本では江戸時代前期の人、
鎖国が始まり、慶安のお触書が出、という時代です。

いつになったら絶壁にブチ当たるのでしょうかね。


逆に今までにも色々痛い思いをしているなら(世界大戦とか)
今、我々が前方に隠す絶壁とはそれらを上回るものでしょう。

恐ろしい世界。

『折々のことば』4/18

2015-04-18 09:51:36 | 「折々」読んで
『折々のことば』4/18

ここまで悪口めいた感想ばかり書いていますが
勉強にならない、のですね。

良く知ってることばも・・!、なんてことがないので
ついイラっとします。
引用された人が悪いのではなく筆者の問題です。

今日は私も好きな大瀧詠一の超有名作でした。


『夢でもし逢えたら素敵なことね』
              大瀧詠一

「夢で逢えたら」もう半世紀もたつ歌なんだ。
つい先ごろもセルフカバーが話題になりました。


鷲田先生はご自分が死んだときに葬式で流してほしい曲と
仰います。

好き好きですけれどねえ。

私にはもっとほんのりとした恋歌にしか聞こえません。

食事をしている時にシモのはなしがでる、なんて大嫌いな私。
先生がお亡くなりになろうが、かんけーねえ。

第一、夢ってのは生きてるから見ることができるもの。
死んだ奴が逆に現世を夢見る、なんて趣味に合わない。

『折々のことば』4/17

2015-04-17 11:25:56 | 「折々」読んで
『人間には生きていく上でいろんな苦労があるよね、どの苦労を選ぶ?そのセンスを重視するのです。』
             向谷地生良

ま、一読、そうだろうな、という引用です。
終わりの、センス云々の文はなくてもよいけれど。

「・・どっちに転んでも苦労。・・目の前のどの苦労とどう向き合うかを
 大切にしたい。」発想の切り替えだそうです。

ふーん、昔からみんなそうだけれどねえ。
どうせなら甲斐のある苦労を、と思ってきたでしょ。


「苦労」ってマイナスの語感の言葉は一体何でしょうか。

イケメンの若者はもてて「苦労する」でしょう。
モテナイ君は「そんなの苦労じゃない」

お金持ちは資産運用に苦労されるのかも。
でも、苦労なのかなあ。


苦労って、当事者の価値感による面もありそうです。

大袈裟に言えば、神様の視点からいえば人間には苦労はない!
のかもしれませんね。
もしくは、人が、苦労と勝手に思うだけ。

「どんな苦労を選ぶか」ってマイナスすぎませんか。
どう転んでも苦労の人生って、ヤだね。

苦労が生まれればそれはその時に引き受ければよい、のです。
「備え」はもちろん必要だけど。

「折々のことば」4/16

2015-04-16 20:17:10 | 「折々」読んで
『いい専門家とは、いっしょに考えてくれる人のことです』
                                 フォーラムの参加者

フォーラムで会場にいた人から戻ってきた返事だそうです。
間違いがないことばですね。

ただし、(原発事故後に開かれたフォーラム)と
書いてあるところから推察できるのは
「原発に不安を持つ一般人にとって」の答と思われます。

「専門家」の定義もどうなっているか分かりませんが
場所が場所だけに「定義」を細かく、とはいかないでしょう。

ただね「いい」とは何であるか、これくらいは明確にして
おいて欲しかったですね。

鷲田先生は「専門家も専攻の分野に引きこもっていてはだめ」と
言われます。
その通りでしょうね。


ただ、できれば(←こればっかり)同じ時に
専門家とは反対の方向で『いい素人とは?』も
はっきりと確認させるべきではなかったか。

専門家が「上」・・風な発想には嫌気がさします。

専門家、とか一般人とかの区別の問題じゃないのですね。
一人の人間として、どう生きるかが問われているのです。

『折々のことば』4/15

2015-04-15 14:34:01 | 「折々」読んで
今日も、当たり前の「ことば」でした。

『自分の経験から学ばねばなりません。しかしそれだけでは小さすぎる』
                         やなぎみわ

多くの「ことば」は前後、何らかの文章と結びつき
筆者の言わんことを表します。
よって、文脈が分からないと様々に解釈できる「ことば」の
切り取りようができあがります。

それも自由でしょう。
Time is money.だって思うように使えばよろしい。

「ことば」を紹介する側には基本の前提です。

上記のことばもそうです。
至極、当たり前な内容ですけれど。

ただし、であるがゆえに紹介する際の解説は
狭い道に入る事を避けるのが常識でしょう。
場合に寄れば偏ったところへ導くからです。

鷲田氏はこう説かれます。

(自分の存在を確認すべく、自分の過去をほじくり
 その世界は縮こまる)

ふーん、そんな場合の「ことば」だったのか。
そうなのかなあ。

(私には他の人たちとの関係も存在することを認識し
 視野を広げないと)

間違いとは言えないでしょう。

けれど、自分というものはもともと他者との関係で
出来あがっている部分が大きいのです。
自分だけの独自なものってそんなにはありません。

自分と他者とを区別する見方は単純すぎませんか。


自分は他者との関係でできあがっていることを前提に
それでも、まず自分から出発するのが、道です。

そのうえで、自分の中に取りこめていなかった他者を
視野に入れることが大切。

私ならば、今日のことばは、こう思えますね。

『折々のことば』4/14

2015-04-14 10:35:32 | 「折々」読んで
『折々のことば』4/14


『時は金なり』
     ベンジャミン・フランクリン

Time is money.
もとからある古い格言を仕立て直した言葉だそうです。
preciousでもgoldでもなくmoneyちゅーのが米人らしい。

ちょっとばかしセコイゆえ逆に有名になったのかな。
なにも先生に取りあげて頂かなくても皆周知で、
わざわざ、取りあげるのにはヒネリを利かせたいため。

解説では「これを人に「与える」という視点からすれば、
気前よくなれとの格言にもなる」
のだそうです。
申しわけないけれど、よ-分からん。

続けて「育児でも介護でも・・ケアの本質には・・
自分にとってもっとも大事なもの、つまりは時間をあげる
ということがある。」と文を結んでおられます。

けっこうセコイ話ですねえ。

もっとも大事なものを上げるつもりでケアしている、って
押しつけがましくありませんか。

そのうえ、時間を上げてればよい、という臭いもします。

もっとも大事なものといえば「こころ」
これを共有するからケアになるのです。

それとも今の「介護」はそこが抜けてるのも多いか。
タイムイズマネーじゃ、有り難く思え、ってね。

『折々のことば』4/13

2015-04-13 11:02:19 | 「折々」読んで
『折々のことば』4/13を読んで。


『激情を表に出さずにいれば、やがて潰える。怒りをぶちまける前に10数えよ』
                         ウィリアム・ジェイムズ

部分的には文句のつく余地はありません。
仰る通り。

対人関係で自分の感情をそのままに出して
世渡りが上手く行くとは思えません。
上手に嘘をつくほうが、円満。

アタマにくることがあっても多くはいつか消えます。
目の前の人間だっていずれ、おさらば。
会社などでは場合に寄り長い付き合いも生ずるでしょうが
限度はあります。

私など気が短いので耳に痛い言葉ではあります。

が、果して有害無益な感情が備わっている、のでしょうか。
痛みが人間に必要なように、怒りも大切な感情です。

だから上手にコントロールせよ、ということなのでしょう。

下手に呑み込んでばかりいれば、心にヘドロが溜ります。
スポーツなどでは発散しません。
怒るしかありません。

近頃は「怒るな」ばかりの教育ですね。
それは片手落ちのように思います。
どう怒るか、こそが大切なのです。

鷲田さんは、表で笑顔をつくれば心も笑顔になる、と
説かれます。
よおーく耳にしますが、いつも正しいか?

笑顔をつくりながら腹は煮えくりかえる、なんてことも
しばしばあるのが人間でしょう。

『折々のことば』4/12

2015-04-12 10:18:50 | 「折々」読んで
『折々のことば』4/12は子供の言葉を引きます。

『大きな海が来るよ』
              ある2歳児

続けて、友人が子供を始めて海に連れて行った時の言葉、と
書いておられます。

大人には動かない大きな海が、動いて見えたということ。

けれど子供に、波という認識、もしくは言葉が無かっただけ
なのでは、と思ってしまいます。

「そういえばわたしの次男もはじめて列車に乗ったとき
 「線路が走っている」と口走った」
続けて
「どちらがほんとうは動いているのか?認識論では存外
難しい問題」

その認識論とやらでは難しいのか・・・はてさて

どちらも動いている、もしくは動いて見える、という
単純な話です。

「子どもは小さな哲学者。」と結ばれます。

いえなに、大人が薄ぼんやりしてしまっているだけ。

『折々のことば』4/11

2015-04-11 09:46:07 | 「折々」読んで
鷲田清一氏の連続コラムですが4/11は下の紹介です。

『身体髪膚之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり』
                   中国の古典「孝経」

懐かしいですね。

これこそ2行に分ければと思うのですが、なんでかなー。
中国の古典と、つける神経もなんでかなー。


中学に入ってすぐ漢文の授業が始まりました。
わが学校は私立ゆえ少し変わっていたのかもしれません。

上記も印象深いことばです。
何しろ、たぶん中1ですからね。

身体髪膚受之父母
不敢毀傷孝至始也

これに続いて、身をたて道を行い・・

漢文は(も?)苦手でした。
後で思えば日本語の勉強だったのですけれど
当時は何で勉強させられているのかと疑問でした。

しかし上記の文を覚えていることは気にはなった内容
だったのでしょう。
自己中心の子供に世界のありようを考えろ、と
言うのですから。

しかも「孝」なんてことに価値を知ることの少ない
戦後すぐの教育を受けてきた者です。


異質であれば刻まれるということでしょうか。
私には大切なことばになっています。

それにしても鷲田センセ、言うこともなかったようで
何じゃ、その「解説」