かぶれの世界(新)

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複合トレイルの記憶

2020-10-14 20:06:20 | 日記・エッセイ・コラム
冨士山ハイキングを終わり故郷での山歩きのコース選択は新しいバージョンに入った。昨日は今迄に歩いた3コースを纏めて歩いた。和田・西和田・徳森の端から端まで7km、山裾迄のアプローチが長いので3コース纏めて歩いてもそれ程の距離にはならなかった。

だが、今日は覚悟して歩いた。朝起きて大洲盆地が霧に包まれているのを見て急いで食事し、7時20分にポシェットにキャンディと柿を2個入れて出発した。行先は中久保(子供の頃別府と呼ばれた)、我が家の北側にある山の中腹の集落だ。そこから見た雲海の大洲盆地を見たかった。かつて歩いた南アルプスの破風山から甲武信岳に行く途中雲海に覆われた盆地の美しい姿を思い出した。

実家から昔通った小学校に行き、その裏の集落を通り山に登り始めた。校門に子供を迎える先生がいた。集落に佇む民家は数軒しか残ってないが、どの道も全て舗装されていた。約1時間半歩くと山中に大きな農園が出現した。集落とは関係ない農業法人が経営する工場っぽい造りだった。

そこから暫く歩くと目的の集落に着き、偶然にも数人の知人に出会った。農地バンク経由で貸した田で稲作をするK氏、同級生の妹で先輩と結婚したYさん、話が合った主婦と夫々に楽しく近況を確認した。集落に9軒残り、実質6軒が農林業を営み、如何にして生き残るか奮戦中という。

山林は間伐された様子がなく、雑木林や竹林が広がりつつある。ここでも猪が出現し、猿や鹿などの被害も増えているという。K氏は猟銃の免許も持っており、丁度講習に出かけるところだったという。Y夫人は私の妹は評判の美人だったと言い、例によって私もこんな美人いたっけと返した。彼女の兄は同級生で一緒に野球をやった仲だったが、今は透析を受けているのだそうだ。

話に夢中で気が付くと目的の雲海は消えて薄い霞の中に大洲盆地が見えた。盆地の中に広がる田んぼの中に鉄道や高速道路、国道沿いと山裾に建つ商店街や住宅地が拡がっていた。それはそれで見ごたえがあった。盆地の外側の神南山や冨士山などの山々が囲む箱庭的風景は素晴らしかった。

帰りはただ延々と山を下り一駅遠くの小貝地区に下山し、いつもの散歩道を歩き実家に戻った。3時間かけて2万歩13km歩きと長いお喋りだった。それでも今迄よりはより本格的な山歩きで、90年代によく歩いたシアトル郊外のレニア山麓の山歩きを思い出した。レニア山周辺のハイキングコース50選を紹介するガイドブックの半分近くをカバーした。

冒頭に紹介したように赴任地でも山歩きに慣れ、ガイドブックの3つのハイキングコースを合成して歩いた時を思い出す。レニア山の西側にあるCarbon川沿いに車で走り上流のIpsut小川から足を延ばし、Seattle公園とSpray公園(広大な山花のスロープ)を周回するコースで万一の備えテントを背負って歩いた。

3つ併せるとアプローチが共通で実質30kmの上級コースだったがその頃は私も若かった。実は後半のガレ場で中年女性3人組みに出会い、米国赴任後初めて積極的にアプローチした記念すべき山歩きで今でもよく覚えている。それから23年経っても記憶に残る山歩きだった。■
コメント
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