かぶれの世界(新)

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ワクチン接種の進捗に現れた地域差

2021-06-28 21:48:12 | ニュース
例によって根拠が曖昧な私の妄想です。

今日の日本経済新聞朝刊はワクチン接種の進捗は地域差があり、山口・佐賀が先行し北海道・栃木が最も遅くなる見通しと報じた。都道府県の現役世代の6割が2回目の接種を終える推定時期のバラツキが私には興味があった。クイズの謎解きみたいに考えてみた。

一目見て気付いたのは西日本の方が東日本より接種のペースが速いことだ。トップ10が山口・佐賀・石川・岐阜・和歌山・鳥取・島根・岡山・山形・宮崎と続いた。山形を除き全ては西日本だった。私が最初に思ったのは、明治維新の新旧体制の色分けで県民性として接種を速めたと。明治維新の主役だった薩長土肥は山口1位・佐賀1位・高知11位・鹿児島17位だ。

記事によると山口は県知事の指揮のもと医師会、佐賀は自治体と医療機関との連携が指摘されている。つまり政治と医者が密に連携してワクチン接種をスムーズに進めている、考えてみれば当たり前のことが出来ているということだ。下位の北海道は広くて遠い、栃木は出遅れが原因らしいが、私にはやることをやってない印象だ。

現実は職場接種が進めば大都市圏の接種が相対的に加速するという見方を記事は紹介している。多分、そうだろう。だが、経験のない危機に直面した時のリーダーと専門家及び関係する人達が一致して危機に対応するか、あれこれ問題点を指摘するが皆バラバラに動くか指示待ちに状態になるかの差が予測に現れたと私は推測する。

このようなろくでもない妄想でも出来るのは日本経済新聞が徹底的に具体的なデータを追及して記事にしているからだと思う。あるべき姿を論理的に追及し、或いは専門家の意見を引用する、それだけの報道スタイルは私には納得できない。例えば、緊急事態宣言下での対策と感染者数の増減との関係について1年半も経過したがもっとデータに基づく対策を取れないものだろうか。■
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カブレから孫子の未来へ

2021-06-27 23:04:51 | 日記・エッセイ・コラム
今回も健康ネタです。5日くらい前に右手首が痒くなった。痒い部分が目立たない程度に少し赤く腫れていた。念の為に母が使っていた万能薬のメンソレータムを塗った。多分、10年以上前のものだ。しかし、翌日になると痒みが上腕に広がっていた。それでは2年前にドラッグストアで買ったxxを塗った。

どうも原因は実家の真横にある山裾の墓掃除をした時か、或いは庭の手入れ時に野草に触れて何かにカブレたのだと思い返した。今回は梅雨に入り湿度が上昇した時に関係すると思ったが、昨年は9月の秋雨が続いた時に墓掃除した後だったと気付いた。どうも原因は同じだと思う。

原因はともあれ、翌日は更に顔にもかぶれが移った。寝ている間に顔をボリボリ掻いた為だと思う。そして最終兵器のはずの昨年9月に墓掃除の後買ったステロイド系の軟膏を塗った。ドラッグストアの薬剤師はこれでだめなら医者に行けと言われた。

だが、最終兵器も即効性はなかった。昨年時間がかかったのを忘れていた。今日の午後、念の為同じドラッグストアに行き薬剤師に再度相談した。彼女に状況を説明し勧められたのは、顔面へのステロイド系塗り薬を止め、新しく飲み薬との併用することで当面の対応として納得した。

振り返ると、昨年と同じカブレを症状と治療を忘れてしまい、ゼロから治療をスタートした。近年カブレに関わらず以前苦労した経験を忘れ同じ失敗をすることが多くなったと感じる。この健忘症が更に悪化したら肉体的にオーケーでも田舎での一人暮らしは間違いなく難しくなる。

相続した実家や不動産とお墓を守るのは自分の仕事だと思い年の半分は田舎で暮らしてきた。更に、子供にも引継ぎを期待して機会あるごとに説明してきた。だが、東京生まれの息子が引退する年齢に達するまで私が健康でいる可能性は極めて低いしボケが進むだろう。

2週間前の私の誕生日に、早世した父や祖父に比べ長生きして孫の顔を見た私は幸せだとLINEを打つと、息子はひ孫の顔まで見てから死ねと元気づける誕生祝を返してきた。だが、肉体的には生きていても、ひ孫となると20年以上生きることになる。奇跡的に生きていても絶対ボケてる。

我が国の人口は昨年87万人減少した。高齢者の比率がどんどん高まり、東京の世帯数はついに1.95人になったと報じられた。働く世代への高齢者の負担は今後益々大きくなる。そんな中でひ孫の顔を見たいというのは、個人的には子孫に対して無責任な気がして素直になれなかった。■
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ワクチン接種予約できた!

2021-06-25 21:40:00 | 健康・病気
4月に帰郷してすぐに国や自治体のワクチン接種の関係部門に電話で問い合わせた。その頃は実家のある大洲市ではまだ接種が始まっておらず、住民票の無い私はまともに扱ってくれなかった。市の担当者は市民優先の方針が明らかで、私のようなよそ者に聞かれて答えに困っている様子だった。

マイナンバーカードで全国共通の手続きで接種管理する計画が中止になり、自治体が接種券を発行して管理すると聞いた時からある程度こうなることを予想していた。その後自衛隊が大規模会場で接種するニュースが流れ、一旦東京に戻り接種することにした。だが、それもダメだった。

暫くして8月に子供の家族が田舎に来てくれると連絡があった。彼等が田舎に来る前に、私が7月中旬から8月初旬に帰京して家族パーティをすることにした。同時に自衛隊の大規模会場で接種を受ける積りだったが、この時期は2回目の接種しか対応しないことが分かった。

調べてみると自宅のある自治体の大規模接種もこの時期に2回目接種のみ対応することが分かった。7月になると個別病院で接種を受けるしか選択がなかった。私が苦労している様子を見て、家内が電話でも問題なく予約出来ると助言してくれた。掛かり付け医じゃなくても問題ないらしい。

最初の病院は希望する日にちが合わなかったが、看護婦さんが私が困っている状況を聞いてどうすればいいか丁寧に教えてくれた。当初テレビで報じられた高齢者の混乱は起こりようがなかった。次にデータセンターなどの高層ビル内にあるクリニックで、希望通りの日程でネット予約できた。まさか、コンピューターセンター内に病院があるとは思わなかった。

予約が取れて気分が落ち着くと、ここに来てワクチン接種は順調に進み病院によっては日程やスタッフに余裕が出て来たと実感した。看護婦さんの落ち着いた受け答えは、4月頃の田舎の自治体の担当者の受け答えとは違った。多分、今なら彼も穏やかな受け答えをして私がどうすればいいか調べて対応してくれたのではと思う。■
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不都合な真実は、好都合な真実

2021-06-24 15:34:26 | ニュース
平井デジタル改革担当大臣のシステム発注をめぐる内閣官房会議の発言について、週刊文春が暴露記事を書き、対して平井大臣が反論して波紋を広げている。事の真偽は別として、私はこれを機会に菅首相の目玉政策である日本のディジタル化にブレーキがかかることを心配する。

今迄に報じられた国家レベルのディジタル化政策は断片的にしか承知してないが、今やらなかったら日本が新興国にさえ遅れを取ることになる最重要政策だと理解する。20年前までIT事業に関わった私も記事の通りの発言なら大臣にはむかっ腹が立つ。だが、何が大事か考え踏み止まるべきだ。

何があってもディジタル化が停滞するようなことはあってはならない。それは孫子の時代の日本を貶めることになるからだ。一大臣の暴言の追及の余りに国家の最重要政策を潰すということはそういうことだ。平井大臣は与党きってのディジタル通、だとすれば我が国のIT人材は限られている。

私は大袈裟だが明治維新時に優れた人材が勢力争いに巻き込まれ命を落とした歴史を思い出した。中でも坂本龍馬の暗殺は余りにも有名、彼が生きていたらその後の歴史はどうなったろうか。明治維新後の歴史を辿ると、その後の日本は次々と歴史を担う人材が出て来たと感じる。寧ろ、日本が道を誤ったのは改革に成功し国力を付けた頃からだ。

2000年以降の世界の発展と日本の停滞を見比べると、高度成長時代を経て世界2位の経済大国になった時から何が重要なのか見誤った日本の姿が浮かんでくる。成功の後に国の在り方を見失う、細部にこだわり大筋を見逃す、この繰り返しが停滞を生んだと感じる。

日本の政治と国民やマスコミはコロナ禍の対応に戸惑い右往左往している。ある人の不都合な真実は、他人の好都合な真実になり争う。政治の不都合な真実は、マスコミには食い物にする好都合な真実になった。国を挙げて取り組むべきコロナ対応が揚げ足取りの材料になっている。お互いに力を併せ難局に取り組む姿を是非とも見てみたい。■
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60年ぶりの邂逅

2021-06-22 15:19:56 | 日記・エッセイ・コラム
何時もの様に川沿いを散歩していると、橋の途中の歩道に寄せて停車した軽トラの横で巨大な布らしきものを上げ下げして泳がせている老農夫を見た。物珍しいモノには必ず口出しする性格の私は何か聞いた。彼は田植えの苗を育てる為に苗床に覆っていたカバーを乾かしているのだという。

田植え前に農協が一括して苗を育てて農家に配るというのが最近のやり方だが、彼は3町歩以上の田んぼを管理しており自分で苗を作るのだという。私が子供の頃は集落ごとに共同苗床で苗を育て各戸に分配、その後農協が一括して苗を供給していたと聞く。そこまで言って「お宅はサダノブじゃないの?」と彼は聞いた。頷くと「俺はオカザキ、覚えとらんか?」と続けた。

私はそういう名前の同級生がいることすら覚えていないのに、彼は私が遠くから近づいて来る時にもう思い出したという。一体どういうことか。若い頃物覚えのよかった私だが、最近の物忘れの酷さは家族の間では定評がある。彼は更に続けて、私は小さくなったという。私はかなりの早熟で中二がピークで成長が止まり、確かに今はその頃より3センチ背が低くなった。

その後は同級生たちの近況を聞いた。懐かしい名前が出てきて誰それが亡くなったとか教えてくれた。その時出てきた名前の一人も記憶がなかった。彼自身も糖尿病になり一時透析を受けていたが、奥さんの言われるとおりに生活習慣を改善して治癒したという。そんな話は聞いたことがなかったが、元気づけられる話だった。奇跡的だと大袈裟に驚いて分かれた。

その日は私が74歳になって二日目で、彼とは中学時代から一度も会ったことがなく正確には59年ぶりに出会ったことになる。しかも、橋の上では長々と話を続けたが、申し訳ないことにいまだに中学時代の彼の顔を思い出せない。帰京したら卒業写真をチェックしてみよう。よく言えば今に集中して生きている、悪く言えば興味がないと同級生でもすぐに忘れるのが私だ。ヒドイ男だ。■
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