かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感13夏(4)

2013-07-24 23:31:36 | 日記・エッセイ・コラム

先月実家に戻り冷蔵庫を覗くと、白い芽が伸びたジャガイモが沢山あった。母に教えてもらったのを思い出し、だめもとで家庭菜園に植えた。周りの雑草に隠れて気が付かなかったが、ジャガイモらしき茎と葉っぱ数本伸びていた。大きさにばらつきがあり、どうなったら取り入れるのか分からない。農業カレンダーを調べると2月種まき、6月取り入れになっている。どうしたもんか。

梅雨明け後全く雨が降らず、気温が上昇しっぱなしだ。熱中症を恐れて庭の手入れや農作業を殆どやっていない。田畑で農作業する人も先ず見かけない。先週「中干し」といって有害なガスや酸を取るため、水を抜いてひび割れの田んぼが目に付いた。中干しは一斉にやる。田んぼ沿いの道をジョギングした昨日にはもう水で一杯になっていた。私の身体はまだカラカラ、中干し状態だ。

今月に入ってずっと別棟の太陽熱で沸かした風呂に入っている。これだけ暑い日が続くと太陽熱で暖められた水はそのままだと火傷しそうに熱い。夕方散歩で汗をかいて外から戻り、母屋に入らず別棟の風呂小屋に入りシャワーを浴びてさっぱりする。その後暫く山から吹き降ろす涼風に当り身体を冷やすと気持ち良い。

2月から持ち越しになっていたサンルームの検討を先月から再開した。ホームセンターのアレンジで、地元の大工さんとエクステリア専門店に来てもらい夫々見積をもらった。結論は2月に来てもらったサッシメーカーの代理店の見積が最も安かった。その時はインターネットで事前に調べた相場の倍程度で予算と合わなかったが、最初に差し戻された。秋までに決めれば良い。

夏休みになっても外で遊ぶ子供達を滅多に見かけない。たまに見かける通中の中高生は挨拶をしてくれるが、意外にも小生らしき子供達は挨拶を返さず寂しい。知らない人と口を利くなと教えられているのではないかと思う。私の孫が金曜日に3歳になり都内のホテルで家族が集合して食事会をすると連絡があった。田舎の子からも挨拶されないし、何だか取り残された感じだ。■

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八つ当たり2013参院選

2013-07-23 23:32:54 | 国際・政治

今回の参院選は衝撃的な結果なのに、事前に予想された通りだった。投票率が低いというのも予想されていた。ここ愛媛県は戦後最低の投票率49%という結果だった。かつては都市部より地方の方が投票率が高かったはずだ。一体何が起こっているのか。16日に投稿した記事「青年よ、政治を目指せ」で指摘した若者世代の投票率は調べた限りではデータが無い。どうも低かったようだ。彼等は一体何を考えているのだろう。

自民党の第一の勝因は経済政策への期待だったのは間違いない。その中で37人の新人議員がいる。昨年の衆院選では119人もの新人がいたから、併せて156人もの新人議員がいる計算になる。この人達の素性とバックグランドが今後の安倍政権をどう支えるかとても気になる。小泉チルドレンは上滑り、小沢チルドレンは最悪だった。安倍チルドレンはもう少しまともになって欲しい。アベノミクスが上手く行かなくなった時に彼等の本性が見えてくるだろう。

第二の勝因はアベノミクスに対抗する代案を野党が示せなかったことだ。民主党の失敗や維新・みんなの連携不調より、代わりの政策を打ち出せなかったのが決定的だった。個人的には生活・社民などの議席ゼロは痛快だった。テレビでこの人達の顔を見ることも、無責任な意見を聞くことも無いだろうと思ったら、直後の討論会(NHK)に出てきた。事前の約束事だったのだろうが、議席ゼロの結果を踏まえて出演辞退するぐらいしろと言いたい。これからはないだろう。

テレビ等の報道は選挙後2日目の今日から早くもクールダウンした。ネジレが解消された歴史的な結果にもかかわらずだ。政治ニュースといえば民主党トップが留任するかどうかだけというのは情けない。国内の報道は安倍首相が先ずは経済に軸足をおいた政権運営をすると一致しており、それではニュースにならないと見ているようだ。

欧米メディアは従前と比べ日本の選挙結果を取り上げる頻度が高かった。彼らは日本の右傾化に関心を持ち、ナショナリストの安倍首相政権がそれを推進すると予想している。極端に言うと記事は二つのパターンに分かれていた。一つは選挙結果を受けてアベノミクスが更に進むという見方、もう一つは右傾化が進み戦後日本の平和主義国家が変化するという見方だ。後者の記事の多くを日本人記者が書いていることに注目すべきだと私は思う。■

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弾丸海外出張

2013-07-20 15:24:29 | 旅行記

月曜日に昼飯を食う約束の友人から昨日メールが来た。急用で台湾に行って来る、月曜日までには戻るから、昼飯は予定通り食べよう、という内容だった。朝トラブルの第一報が入り対応していたが、一向に埒が明かないので現地で立会い処理することにしたのだという。

サラリーマンならこう早くは行かない、さすがオーナー経営者は違うと思った。だが、実はサラリーマンの私にも似た経験を何度もした。違うのは、私の場合は自主的ではなく行かされていた。それは突然というだけでなく用事を済ませて直ぐ帰る、今の言葉で言えば弾丸出張だった。

80年代後半から海外関係の業務を担当した私は、毎月のように米国出張するようになった。行き先は東海岸のボストンと西海岸のシリコンバレーが多かった。最初頃は数人のチームで旅行し、旅慣れたメンバーが宿や足の面倒を見てくれ、会議のアレンジも誰かがしてくれた。

だが慣れてくるうちに定期的な会合だけでなく、突発的な単独渡航か、多くても二人で出張するようになった。金曜の午前上司に呼び出されて明日の会議に代理で出てくれ、チケットは準備させてある、月曜日に結果を聞かせてくれという無茶な命令をたびたび受けた。特に40過ぎの私に厳しかったのが西海岸への1泊3日の旅だ。

社内の旅行エージェントで手続きをし、打ち合わせ資料を持って自宅に帰って下着など簡単な準備を済ませ、成田に向かった。この頃は海外出張といっても通勤カバンに毛が生えた程度の小さなバッグだった。荷物を預けたりすると手続きに時間がかかりすぎる。

金曜日の夕方のフライトに乗り寝る間もなく資料を読み、土曜日の早朝サンフランシスコに到着した。レンタカーを借りて101を南下し予約したホテルにアーリーチェックイン、日本から送られて来たファックスを受取り、昼飯を済ませ取引先に向かい会議や交渉した。

会議を始めて3時前後からいつも猛烈な睡魔に襲われたが、たった一人なので絶対に眠れない。通常5時前には打ち合わせを終り夜はディナー、日本と同じ仕事の延長で重要な情報がここで出てくるから油断できなかった。この頃は睡魔を通り越して疲れでフラフラ。当時の米国人は意外にも日本式の接待に慣れていた。この頃、日本企業は最大の顧客だった。

ホテルに戻ると疲れているはずなのに時差ぼけで眠れずベッドで悶々と過ごした。恥かしながらホテルのエロビデオを良く見た。翌日曜朝食を済ませ11時前後の日本行きフライトに乗った。結論が出てない時は空港の会議室を取って会議を続けたこともあった。当時残業等しないという噂の米国人も土日仕事をした。西海岸の企業家達はクレージーといわれるほど働いていたと思う。

帰りの飛行機の中で日本封切前の映画視聴が無料だった。見たかったが、先ずレポートを書いた。当時はアルコールや化粧品の内外価格差が大きく、弾丸出張のお土産は機内調達した。アルコール好きの家内は私には強過ぎるワイルドターキーやハーパーとかを渡すとご機嫌だった。

自宅に帰り風呂を浴びて家内の手料理を食べると妙に懐かしく感じた。その夜は爆睡した。翌日、朝一で上司に出張報告すると嵐が過ぎ去ったように一仕事終わった気になった。時々、何でこんなつまんない事の為に出張したんだと叱られた。サラリーマンはつらい。だが、金曜日からの案件が溜まっており、午後は海外出張など無かったように部下の報告を聞き仕事に集中した。

こんな無茶な日程の出張は長く続けられない。弾丸出張をやったのは長くとも5年間位だったと思う。その後はもっとゆったりした日程で海外出張したと思う。それでも当時は「こんな日程、やってられない」とは思わなかった。出来るのは限られた人だけと意気に感じていたかもしれない。

香港に行った友人はまだ若い、しかもオーナー経営者だ。サラリーマンだった私みたいに「やらされてる感」はないようだ。自分で考え、自分で決めたのだと思う。そこに違いを感じ、凄いなーと感心した。友人が突如海外出張に向かったのを見て、昔の私を思い出した。今の私にはとても出来ない。■

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2013年大胆占い2Q見直し(補足)

2013-07-19 11:28:09 | 社会・経済

今月初めに年頭の「2013年大胆占い」を見直した時、腰痛と通風で椅子に数分しか座れず集中してじっくり考えられない状況だった。見直しが適切だったか、表面的だったのではないか、ずっと気になっていた。今、読み返して見て大きな間違いはなかったと思う。だが、踏み込み不足だった部分があるので、その後の変化も加味して私のマネー世界観を補足しておきたい。

QE3縮小は金融相場正常化の第一歩

世界レベルで俯瞰すると、リーマン・ショック後の世界市場はずっと「金融相場」だった。先進国・中国の中央銀行が史上最大のマネーを注入して、世界市場は薬漬にされ生かされている患者のようにマネー漬にされ、生命を保ち徐々に回復途上にあった。しかし、薬漬に慣れた患者は投薬を先々止めそうだと聞いただけで、パニックを起こし病状が良くなっているのに熱が上がった。

今世界で最も注目される男、バーナンキ連銀議長が用心深く進めているのは、この薬漬けの患者の薬を徐々に減らし「普通の生活」に戻そうとしていることだ。世界はまだリーマン・ショックのPTSDから抜け切らずチョットした言葉の変化にも一々反応するので、彼は細心の注意を払って言葉を選び今後の治療方針を患者に説明し徐々に落ち着かせてきたというのが現状だ。

だが、世界市場は異常なマネー漬け

この例え話のマネー漬がどの程度凄いかというと、地球規模でみて80年に総マネー量は総GDPの1.2倍だったのが、2012年には3倍に膨張した(日経718)。増えた分が何処に行ったかというと大部分が資産に向かい、物の値段は余り変わらないが、株や不動産の価格を押し上げた。従って、バーナンキがマネー供給を減らすと言って株価が急落したのは当然の理だった。

これに関連して東京と大阪の証券取引所が16日に合併し、新しく統合された東証は上場企業数や株式売買代金が世界第3位になったと報じられた。だが、これは上記マネーの総量の反映ではない。世界を駆け巡る大量の投資マネーにとって現物株の取引はその一部、エネルギーや農作物などを含むデリバティブの取引高における日本取引所の扱い高は世界17位だという。これが2012年に3倍に膨張したというマネーの行き先だ。私が現役の頃とは違う世界だ。

新興国は既に大打撃

QE3縮小の影響が実体経済まで及んでいるのは新興国だ。日本経済新聞(7/16)は新興国の外貨準備が急減しているとトップで報じた。バーナンキ議長の量的緩和縮小発言以来マネーが新興国から流出し、外貨資産を取り崩して自国通貨を買い支えている為だという。インドネシア・インド・ブラジルやロシアなどの外貨準備が2年前の欧州危機以来の下落だという。

外需の伸び悩みで輸出が落ち込んだ中国もマネー流出が起こり、上海株価急落に見舞われ経済成長を維持する為に投資拡大等の内需刺激策が求められている。しかし、「シャドウバンキング」対応に取り組む中国は構造改革により投資依存から脱却を目指し引締めを維持している。中国経済成長鈍化は資源国などの世界経済への影響は避けられないが、私は習政権の経済政策は基本的に正しいと思う。しかし、影響度の大きさを考えると何とか軟着陸させて欲しいと願う。

巧妙で微妙なバランス

バーナンキは経済を正常に戻そうとしているだけだが、急激にやると副作用が大きくなるので徐々にやると後で修正した。しかし、この一連のやり取りの中で薬(金融緩和QE3)が減らされるのは時間の問題だと市場は織り込み始めた。議長と市場の認識が近づいてくるとコンセンサスが形成され、意外とQE3の出口戦略は早まる可能性(今年中)が出てきたと私は占う。具体的には、様子を見ながら縮小していく手段をとることになるだろうが。

視点を書き出しの高さに戻してみよう。今、世界各国はリーマン・ショック後の膨張した財政・金融政策からの脱却を始めたといってよい。米国は一連の減税廃止と歳出削減で財政赤字が劇的に縮小し始めた。GDP比財政赤字は2009年度10%、13年度4%、14年度3%以下になる見込みという。ユーロ圏の財政赤字も今年GDP比3%になるという。蛇足だが、我国にもこの早さが欲しい。それを阻むのが高齢化の下で進む政治のポピュリズムだと思う。

さて、政策の見直しは新興国からのマネー流出の裏返しになるはずだが、実はFRBとECBのマネタリーベース合計は変わらないという。従って日銀の異次元緩和は金融市場の安定化に貢献するという期待がある。正直なところそう上手くは行かないと私は不安だ。個人的な話だが、退職金をつぎ込んだ金融資産の一部を先月末売却した。暫く様子見を決め込む積りだ。それがこの記事に対する私自身の信憑性の反映である。あくまでも占いの見直しの補足と思って欲しい。■

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腰痛拡散

2013-07-17 22:38:50 | 健康・病気

田舎に来て1ヶ月になる。最初の数日で腰痛が再発した。立っていると何とも無いのに、椅子に座ると腰の左側に痛みを感じた。いわゆる坐骨神経痛の症状で、以前「椎間関節嚢腫」と診断された。その時は数ヶ月かけて徐々に痛みが痺れに変化しながら下肢に移動し、そのうち皮膚感覚が鈍くなって消えていった。

今回も同じパターンを辿った。痛みが痺れになって左足に拡散していった。違うのは変化が数倍の速度で起こったことだ。気温が少し下がった昨日の夕方、症状改善後2度目の10kmのジョギングをやった。以前と同じ速度でどんどん走るという具合にはいかず、7kmをゆっくり走り、残りは歩いた。約1ヶ月間思い切って運動しなかったので、体力が落ちたせいかこれで精一杯だった。

今朝起きて恐る恐る足腰の具合を確かめたが、筋肉の張り以外に痛みは無かった。左足のふくらはぎの外側辺りを触ると、薄いベールがかかっているように皮膚の感度が鈍くなった気がした。それだけだった。多分、今回の腰痛はこれで完全に終わりだ。医者は、根本治療は嚢腫を手術で処理することだといわれたが、今のところ自己流の嚢腫ダイエットは上手く行っている。■

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