かぶれの世界(新)

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田舎暮し雑感11秋(2)

2011-09-29 23:41:18 | 日記・エッセイ・コラム

コスモス満開、と思ったら栗の木が

今回実家に戻って最も恐れていたのは、背丈以上に伸びた雑草の処理を早急にやらないといけない事態になることだった。周りは実際に農作物を作り収穫している田畑だから、その中に背丈以上の雑草が生えているとまずい事が起こる。クレームがつくのは必至だ。

そう予想して6月に帰京する前に、隣の農家に畑を耕しコスモスの種を蒔くよう頼んでおいた。昨年は自分でやって失敗したが、今年はプロの農家に頼んだ結果コスモスは見事満開だった。頼んだ農夫によると、好天時に畑を耕し数日おくと雑草の根が枯れそこで種を蒔いたので上手く行った。もう一方の斜面の畑もコスモスが咲いていた。一旦上手く行くと次年からは手間がかからない。

だが、今度は斜面の横にある山林の栗の木が大きくなり過ぎて、その横にある民家まで枝が伸び落ち葉が大量に飛んで迷惑を掛けていた。昨日の神社掃除を一緒にやった後クレームを受け、迷惑を掛けたと謝り、出来るだけ早く栗の木の処分をすると約束した。だが、どうするか思案中。

一難去って又一難、通風再発

先週の金曜日に突然右足に痛みを感じた。8月中に東京で受けた健康診断で尿酸値が跳ね上がっていたので、いつか通風の症状が出ると覚悟していた。従来と違い右足だが、血行の悪い親指や小指辺りじゃなく、足の内側に痛みを感じた。内側に痛みを覚えたのは初めてのことだ。

水曜日に台風の被害を見たいと散歩コースを遠回りし、翌日の木曜日も遠くのスーパーに徒歩で買い物に行った。併せて2万5千歩程度歩き水分補給が不十分で血を濃縮させて通風が発症したと思う。何時通風が発症してもおかしくない高尿酸値で、医者から警告を受けた想定内のことだ。

運が良いことに今回は最も軽い症状だった。夜眠れないほどの痛みではなかった。月曜日には痛みがひき始め、火曜日は母を見舞いに行き午後は国土調査に立ち会った。昨日は予約していた庭師と庭の手入れをした。だが、万が一のことを考えて日曜日と今日のバドミントン練習は休んだ。激しい運動で汗をかいて血が濃くなると痛みが悪化するかもしれないからだ。

再び庭師

国土調査が終った頃に携帯が鳴った。実家に戻った時に予め依頼した庭師からで、翌日だったら出来るけどどうかと聞いてきた。水曜日は早朝から上記の神社掃除が予定されていたが、出来るだけ早くやっておきたいと9時頃からでとお願いした。黙っておくと職人は朝が早い。

昨年一緒にやった経験で庭師が全部やるのではなく、話をしながらコツを教わり1日で終る範囲でやって貰った。松等の難しい木は100%やって貰い、月桂樹は私がやった後庭師が追加して手入れする、サツキやツツジは1本だけ例示して貰い、別の日にそれを参考に私が残りを仕上げる。二人で楽しく庭の手入れをしていった。彼は私より一回り年上で元気な間は毎年やると言って、差し出したお礼の半分だけ受け取って帰っていった。■

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介護録11秋(1)

2011-09-28 22:48:45 | 健康・病気

3ヶ月ぶりに見た母に変りは見られなかった。10日前に実家に帰った翌日、とりあえず家の内外を人が住める状態にした。その翌日松山にある施設を訪問した。私の顔を見て最初母の反応がなかったが、私が喋り始めると手を振って遮った。その場にいた介護士は慰めてくれたが、その日は最初からご機嫌斜めムードだった。

その後看護婦・介護士等の話を聞くかぎりでは母の状況は悪化してなかった。母の部屋を覗くとベッドサイドの鉄製の手すりにクッションが巻き付けてあった。ベッドと車椅子の間を乗り移る時顔を打ち付けたと思われる痕を何度か見かけたが、クッションを巻いた後は見られなくなったという。

昨日訪問した時は迷ったけど先日亡くなった近所のオジサンのことを話した。その時母は一瞬正気に戻ったように元気だった頃の表情をした。トラクターに乗って野良仕事中に気分が悪くなり翌日亡くなった、ちゃんと母の名代でお通夜に行ってきたとまで言って話題を変えた。

母の表情にそれ以上の変化は見られなかった。実家の家の中や庭の様子を報告したかったが、又母の機嫌が悪くなるのが恐くて、施設の人達に変わったことがないか確認して早めに帰宅した。午後から国土調査(国調)が予定されていたので母の記憶を確かめたかったのだが次の機会にした。■

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死に方のお手本

2011-09-26 21:42:08 | 日記・エッセイ・コラム

このブログに時々登場する近所のオジサンの一人が亡くなった。一昨日の午後買い物に出掛ける途中の消防団詰め所に人だかりがあり救急車が止まっていた。暫くすると担架が運び込まれ、けたたましいサイレンを鳴らして救急車は走り去った。もしかしたらと思った通りオジサンだった。

トラックターで畑仕事をしていて気分が悪くなり帰宅中のことだったらしい。自宅まで数十メーターのところで気分が悪くなり座り込んでいたらしい。その日も朝夕は涼しかったが昼の日差しは強かった。後から聞くと、翌朝3時過ぎにはもう亡くなったという。

昨晩、地区の連絡係りのオバサンがお通夜と葬式の時間を伝えに戸別訪問してきた。昔からのしきたりで葬儀には地区として参列・香典は不要、行くなら個人としてだと確認した。同じ地区だが、違う組内なのだ。私は個人で行くことにした。

今朝ゴミ出しに行った時、彼の息子と会った。オジサンは私の母より1歳上、息子は私より2つ下のはずだから、全く同じ年代を生きてきたことになる。オジサンは家族がいくら止めても畑仕事を止めなかった、昨年買った新しいトラックターをまだ使いこなしていたという。

息子は無理やり農作業を止めるとオジサンは怒り狂って大変だったので、ある程度言って後はオジサンの好きなようにやらせていたという。私は彼の顔色を見計らって、「こんなこと言うのは何だけど、オジサンは見事な死に方だったね」と言った。

死ぬ直前まで仕事して、野良仕事中に死ぬなんて、百姓の死に方のお手本みたいだと言うと、彼はその通りだと答えた。「長い間寝込んで家族に負担をかけなかったこともあるが、無理やりオヤジに仕事をさせないで不満を抱きながら死なせなかったのがよかった。」私は母のことを思い出して胸が痛くなった。

開始時間から2時間弱遅い時間にお通夜に伺った。親戚や近所の人達で混雑する時期を避けたいと思ったからだ。この辺のしきたりでご馳走とお酒が用意されており、子供が駆け回る雰囲気が私は好きだ。オジサンは安らかで起き出してきそうな顔だった。見事な死に方だと思った。■

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恐怖に震える三重苦の世界

2011-09-24 14:40:57 | 社会・経済

下がるものは何でも下がった

昨日のダウ平均は37.65ドル高で3日ぶりに反発して終ったが、今週のダウ平均は約737ドル(6%)下落し、2008年10月以来の最悪の週だった。日本列島を縦断した台風の行方もさることながら、世界の株式市場の連鎖下落はリーマンショックの悪夢を思い出させ気になって仕方がなかった。株安は欧州・アジアに連鎖し、実物経済の下ぶれ不安から原油など商品価格の下落を招き、株価下落の埋め合わせから金が暴落した。

この2年かけて組み替えた景気変動に強いはずの私の金融資産は、初めの頃は組換え効果を発揮して下げ幅は大きくなかった。しかし先々週に山中湖で楽しんで東京に戻った頃から雲行きが怪しくなり、田舎に来た直後から猛威を振るった台風とシンクロで私のボトムラインがみすぼらしくなっていった。昨日庭の大草を刈り取って一息ついたこの週末に、一体誰のせいか考えてみた。勿論台風ではなく、株式連鎖下落の犯人は誰かについて。

世界は三重苦に直面

日本経済新聞(9/21)は「世界が直面しているのは欧州の債務危機、米国のデフレ懸念、新興国のインフレ懸念」と3つの懸念を報じた。私は年頭の大胆占いで3つのリスク(中国不動産バブルが軟着陸できるか、欧州のソブリン危機がスペインまで波及するか、米国経済回復が巡航速度に乗れるか)のどれか一つでも扱いを誤まると世界経済は二番底に入ると予測した。こんなことでえばってもしょうがないが、私の予測が当たる最悪事態が現実の可能性として見えてきたようだ。

欧州の金融政策と財政政策のまとまりのなさは随分前から指摘されてきたが、依然として根本解決せずにズルズルと先送りされている。ギリシャはEUに加盟してはならない国だったが、今追い出す訳には行かない。しかし、追い出したいという国民の声が独・蘭から北欧や東欧まで広がっている。EU全体として財政は健全なのに解決できないのはその為だ。民主主義体制下で国民と会話を続けながら対策を小出しで打ち出し、今後もズルズルと危機が続いていく可能性が高い。

米連邦準備理事会(FRB)は21日長期国債の保有比率を高める「ツイスト・オペ」の導入し金融緩和の強化策を示した。だが、米ダウ平均は予想の範囲内として大幅反落した。量的緩和の第3弾(QE3)を打ち出せないFRBに、市場は金融政策の限界を見て失望した。FRBが示した厳しい現状認識と、財政赤字をめぐる議会との駆引きで思い切った財政政策が打てない米政府。追加緩和で米景気の下支え効果は得られるか、二番底を回避しても低迷は続きそうだ。

中国だけでなく新興国全体に経済成長減速が指標にはっきり現れてきた。物価上昇抑制と経済成長の二者択一に迫られる事態が対応を難しくしている。これを反映して新興国の株価下落幅は先進国よりも大きく(香港-9.2%、韓国-7.8%、台湾-7.0%)、リスクマネーは逃げ足速く引き上げて新興国・資源国通貨は急激に下落した。ブラジルレアルや豪ドルの下落幅は特に酷く20%以上の下落を記録した。

人は聞きたいニュースを探す

だが、市場の反応はパニックとまでは言わないが、やや過剰なように感じる。リーマンショックの亡霊が彷徨して市場が恐怖で震えているようだ。冷静になれば、実際のところFRBのツイスト・オペは現時点で採りうるベストの施策であり、即効性には疑問があるもののその規模は予想以上に大きいという評価もある。ツイスト・オペはQE2時に次のステップとして敢えて残した施策であり、むしろドルの信任を高め次の有事に対応できる余地を残したという専門家の見方に私は組する。

巨額の資金を保有する機関投資家が株式の比率を落としたというのが今回の株価下落の直接的な原因である。だが、悪い材料のみ並べて悲観的になりすぎた結果を反映したと冷静な見方をしている識者も多い。株式から逃避して行った資金を見る目安として、米国のPER(株価収益率)が2000年の24.3から13.2まで低下した(日本経済新聞9/21)。業績が悪かったという訳ではないのだ。因みに日本では2000年35.8が13.6に下落した。ドイツは9台、ブラジルは8台、中国は10台だという。悲観的なのはグロバル・トレンドなのだ。

個別企業のPERを見ると最悪だった一昨日はマイクロソフト9.3、フォード5.7であのグーグルでさえ18.8だという。これはいくら何でも低すぎる。が、今買うと絶対儲かると楽観もできない。そう思って買うともっと下がったなんてことになりそうだからうっかり勧められない。一方で、今こそリスクを取って勝負に出ようと動いている企業は多い、それが証拠に8月企業買収が再び活発になったという報道がある(日本経済新聞)。市場のセンチメント(リスク・オフ)に比べ、企業はリスク・オン・モードにあり、現在の足元は決して悪くない。何時もの様に最後に楽観的な予測で終わりたい。■

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台風一過(追加)

2011-09-22 23:56:52 | 日記・エッセイ・コラム

ュースを見て田舎の私を心配して昨日朝方に電話をくれた家族に、その同じ台風が夕方の東京の麻痺させているニュースを見て、今度は私が安否を確認する電話を入れた。今までにない経験だ。ニュースは最も厳しい場所に焦点をあてて報じるのでその地域は全て同じかと心配するが、実際は個別に異なり聞いてみないと分からない。お互い無事を確認した。

一夜明けて今朝は日差しが戻り溜まった洗濯物を干し、家中の戸を開けて風を通し湿気を逃がした。その後郵便局と農協に行き、預金通帳に記帳し母の介護費・光熱費・農業支出等の支払いと残高を確認した。先々で台風の被害状況を聞いたが、予想したより被害は少なかったようだ。

最早顔見知りになった農協の窓口によると、最近は農機具が進歩して倒れた稲でも借り入れできるのだそうだ。私が心配するまでもない。用事を済ませると少し遠回りして、帰りは川の右岸を歩いた。昨日氾濫で1万人が避難した肱川の支流の矢落川である。暖かい日差しで少し汗ばんできた。左岸のすぐ近くに山が迫っておりその間の狭い農地が冠水した。右岸からは大洲盆地が広がり遠目には冠水した様子がない。

岸で測量中の技術者らしき男性に聞くと、堤防の真ん中辺りのドロ跡まで水位(約3m)が上がったという。右岸に最近作られた貯水池が役に立ったという(畑にコンクリートを打った為雨を吸収できなくなり貯水池を作ると批判したことがある)。水門を閉じて雨水を貯水池に溜め氾濫を防げたという。遠回りして貯水池まで行くと、既に水が抜かれて底が見えていた。

一方左岸側の冠水は、山からの雨水を流す小川と支流の合流点の水門を開けていたので逆流が原因だった。水門の開け閉めはその近くに住む人の判断によるという。危うく床下浸水を免れた近所の知人に聞くと、水門を閉めると山からの雨水の逃げ場がなくなり冠水する、根本解決はポンプで排水するしかないという。一昨夜の大雨に間に合うような能力のポンプはどんなものだろうか。

今回被害が大きかったのはニュースで流れた本流の肱川沿いの地区だったそうだ。川幅は広く堤防も強化されているのに何故か聞くと、上流のダムの放流で一気に水位が上がった為と上記測量員は答えた。それじゃダムが無い方が良いことになると、私は納得できなかった。それが理由で上流にもう一本ダムを作る推進派の声が聞こえてきそうだ。

貯水池から戻る途中の水田で神主や巫女さんがお払いをしていた。道端に停車している車には椿神社とあった。当地では有名な松山のあの神社だ。何かの行事かと聞くと個人の依頼だという。出張サービスもやるとは知らなかったと言うと、大柄な巫女さんが声に出さずに笑った。収穫前のお払いを個人で頼む人はどういう人か、農夫らしき二人はここらでは見かけない人だった。■

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