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かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感2025(8)甥の来訪

2025-05-24 16:48:32 | 日記・エッセイ・コラム
一昨日の午後、自転車で山間部の小街の中山経由で瀬戸内海沿岸の上灘まで走った時、私は新しい次元のサイクリストになったと宣言した。7時前に気分良く実家に戻った時電話にメッセージが残されていた。シャワーを浴びてパジャマに着替えたところでベルが鳴り、家内の姉の息子から明日来宅したいと確認があり了解した。彼は4月に帰郷以来家に招き入れる初の来客だった。

東京自宅の家内に連絡すると、彼女の姉の亭主が昨年亡くなり一周忌の為に長野から帰郷したと教えてくれた。全く忘れていた。私は歳のせいかこの2-3年の間に認知症が進み何もかも記憶が曖昧になった。自分の子供や孫達の事でも記憶が怪しい、家内の姉は松山の介護施設、その亭主は数年に一度顔合わせするだけだった。甥だけは東京で仕事してたので若い頃から何度も会っていた。

久しぶりに会った彼とは話が弾んだ。既に60歳を超えたが彼は現在も1日6時間働いていると聞いていささか驚いた。私は55歳で早期退職(建前は定年)して都の経営コンサルを暫くやり、その後市主催のITのボランティア教師をし、その後は母の介護を兼ねて年の半分は帰郷するようになった。定年後は彼の様な責任のある仕事はする気にならなかった。まさに「田舎暮らし雑感」に入った。

だが甥は私のブログを読んで自分も同じ様な生活している部分があるという。彼も起床後食事を済ませるとまず市場動向をチェックから始めるという。共感するものを感じて書斎に案内して、パソコンを開き私のやり方を見せた。その途中で私が使っているメーラー(Biglobe)の迷惑メール処理の問題を指摘すると、彼は既にその対応としてGoogleに切り替えたという。

私も是非そうしたいが無理と言うと、彼は一つ一つメルアドの切り替えをやって処理したという。私は連絡先が多くて面倒くさくてメルアド変更等とてもやれないと応えたが、よくそんなこと出来たなと内心感心した。私は長年使っているアプリが結構沢山あって、不都合な所は不便でもマニュアル処理で対応して新しいアプリに切り替えをしてない。新しいものに切り替える元気が出ない。田舎暮らしではこんな話を出来る人はいない、というか知らない。

彼はお土産だといって長野県産のインスタントで作れるゼリーやスープ、煮豆をくれた。私には何も用意してなかったので、彼の車で一緒に「十夜が橋」の食堂に行って名物だという「金曜カレー」を食べた。今まで気になっていたが一度も行ったことがなく、この機会に行こうと誘った。店に入ると中身は「海軍カレー」だというが、味は特別な作りというより私には普通のカレーだった。

食事を終えるとそのまま別れたが、一周忌の為に何もしなかったと後から気付いた。後期高齢者の認知症のせいにするのも何だが、この数年何もそれらしきことをしてない。良いのか悪いのかも分からない。運動能力にばかり気にしてサイクリング等に打ち込んでいるが、記憶力や計算力頭は全く気にしてない。朝食後に日経土曜版の数独をトライしたら上級者の問題(15分)の問題に47分もかかり、初級者のレベルにも達せずがっかりした。悔しいけど、まあ、そんなものか。■
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新・やり過ぎ男

2025-05-23 20:17:45 | 日記・エッセイ・コラム
数年前まで自転車で走ったコースを再度走る挑戦を今までしてたが、それはもはや再挑戦ではない普通の事だと1週間前に投稿した。決してサイクリングが嫌になった訳ではない。寧ろ後期高齢者になる前まで楽しんだ様に人生初のコースを自転車で走って楽しみたいと思うようになった。

そして昨日新たなコースを走る挑戦をした。2時過ぎに実家を出て国道56号線で内子町まで走り、続けて自転車で初めての立山、中山(伊予市)と徐々に坂を上り、その先にある道の駅を過ぎて左折して県道221号線の急坂を一気に下って瀬戸内海に面する上灘まで降りた。

近年は一段高い高速道路を走る路線バスに乗り、瀬戸内海沿岸の上灘までの谷を山頂の窓から覗く感じで見る風景がとても好きで、いつか行ってみたいと思っていた。自転車で走るとは考えてなかったが上記の高山を走って最早高山は挑戦ではないと思った時から、又もや思い付きでワンランク上の道を走ることにした。

中山の商店街で工事中の作業員に道を確認して無事県道221に取り付いた。集落の坂ををちょっと登り後はほぼ急坂を下るだけ、暫く走ると点々と集落があり綺麗な作りの民家があった。民家のある付近は急カーブがあり、たまにすれ違う自動車が怖かった。更に走り続けると緩やかな坂に変わり、民家が立ち並び広めの田畑が続き、やがて旧双海町の街並みの先に瀬戸内海が見えた。

その先は何度も見たことがある美しい夕焼けの瀬戸内海の風景だった。それはそれで美しいけど何度も車で通って見慣れた「日本一美しい夕焼け」の海だった。長々と続く瀬戸内海沿いの道を走り長浜に着いた頃はさすがに走り疲れた。5時間弱走ったことになる。そこから夕闇の肱川沿いの道を走り実家に戻ったのは7時前だった。

振り返ってみると印象に残っているのは、内子町から立山まで国道の狭い歩道の横を轟音で走るトラックに怖くて震えたこと、そして中山から上灘までの山腹の集落を繋ぐ山道だった。距離的には今治から尾道まで走ったと思った、後期高齢者として。それと、上灘(旧双海町)にある役場に勤めた家内の父親を思い出したことだ。■
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田舎暮らし雑感2025(7)

2025-05-20 20:01:44 | 日記・エッセイ・コラム
田舎にある実家は場所選びから始め農家が住み易い造りになっていると思っていた。言い換えると四国の盆地の暑い夏に農民が涼しく過ごせるような造りになっている。だが、ここのところの気温変化に私の体が付いて行けない様だ。10時前にベッドインするが暑苦しくて中々寝付けず、掛け布団を冬用から夏用に取り換えたり、逆に毛布を掛けたりして12時過ぎ頃まで忙しい。

そして2-3時頃に疲れ果てて眠り込み、一旦4-5時頃にトイレに行きその後7時頃までぐっすり眠る。少なくとも手持ちのスマート時計の記録は朝方ぐっすり寝たデータを記録している。トータルで睡眠量が足りてるのか、今月に入り気温が上昇し始めて睡眠量が不足して倦怠感がある。当初は運動のやり過ぎで疲れが取れないかもと思ったが、単純に睡眠不足なのかも知れない。

しかし、昨日今日の気温上昇は半端ないと感じる。テレビの天気予報は全国的に夏日どころか、30度を超える真夏日が報じられて驚いた。だが、実家のあちこちに置いてある温度計は25度にも達してない。なのに、今日の昼食後にテレビのMLB野球中継を見てると汗が出て来た。

昼食後に倦怠感で元気が出ず少し居眠りした。2時過ぎにやり残した事を気分転換を兼ねて外出し対処することにした。まず毎朝ご先祖の位牌に挙げていた線香が無くなり100円ショップに行き買った。その後農協に行って預金を下ろし、先月請求を受けた青色申告会費をファミマで支払った。

農協やファミマに実用自転車で川沿いの散歩道を行くだけで汗をかいた。女性職員に「今日の暑さは堪らないね、大変でしょう」と言うとよくぞ言ってくれたという感じで応じてくれた。ファミマでその後アイスキャンディを買うと、彼女は笑いながら今日はもうそれしかないねと言った。

その後、実家に戻り数日間まとめて溜まっていた洗濯物を取り入れ片づけた。それだけで汗をかいた。ベッドの上で洗濯物を整理してクローゼットにしまった。数日前までこんな冬ものみたいなジャケットをよく着てたもんだと思ったが、これからどうなるか不安だ。夕方のテレビニュースは大洲市が最高気温31.4度だったと伝えてた。おやまあ!■
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縮小する田舎町

2025-05-19 20:29:17 | 日記・エッセイ・コラム
午前中に買物をしに松山に行き親友と食事をした。自動車事故で廃車して以来利用している宇和島バスの営業所に行き待合所で時間潰しをした。何故か営業所前の広場にバスが1台もいなかった。不思議に思い係り員に何故か聞くと、松山南高の遠足でバスは全て貸し切りで出払っているという。

「エーッ、何で松山の高校が宇和島バスで遠足?松山の高校だと伊予鉄バスじゃないの」と聞くと、営業所は南高に近く便利なので集合場所にすると徒歩で歩いて来る生徒も沢山いる、つまり便利な集合場所なのだという。論争する積りはないので、成程と相槌を打って話題を変えた。

そういえば昨年だったか帰郷した時、実家のある大洲から松山まで伊予鉄の路線バスは1日1本に減っていた。1日10本以上ある宇和島バスみたいに便利な路線バスは他にない、JR鉄道の松山駅もショッピング街から遠く、私の実家からも大洲駅までも遠いと、便利なのは宇和島バスだけと絶賛した。

係員は競争相手の伊予鉄バスが不便だと聞き喜び、実は彼は八幡浜市出身で近年八幡浜の人口が激減して農業や工業高校と合併して一校に減ったという。私は子供の頃祖母の妹の嫁ぎ先の八幡浜に良く行った、そこの愛宕中学はどうなったか聞くと合併したと聞きショックだった。

帰宅してネット検索して調べると、八幡浜市は1950年当時人口7万人だったが、現在は2.7万人に激減したという。実家のある大洲市は子供の頃3万人だったが、その後長浜市と合併し5万人になった。普通高校に加え農業高校と私立高校合わせて3校ある。ネット検索によれば現在大洲市の人口は3.7万人だというから、八幡浜市の人口の減り方は尋常じゃないと思った。

こんなに人口が減っては八幡浜から松山への路線バス客が激減したのも理解できた。バスの乗客だけじゃない、中小学校や高校へ行く子供達も減ったということだ。地図を見ると港と市街地以外は殆ど山間部しかなかった。一昨年サイクリングで長浜から伊方町に向けて海岸線を走り、途中で山間部に向かい保内町から八幡浜市を走った時の寂しい町の姿を思い出した。

近年、実家に戻った時の寂れた田舎の姿をみて驚き失望する。だが、かつての旧大洲市内は農地が広がっていたが、今では農地の真ん中を走る国道沿いはショッピングモールで囲まれ農地が消えた。その姿は寂しいが、それだけ大洲市には若い人の為の仕事があるということだと思った。■
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田舎暮らし雑感2025(6)

2025-05-16 19:50:49 | 日記・エッセイ・コラム
一昨日は天気予報通り終日好天で朝から長めのサイクリングをしたかった。1週間前に出石寺にサイクリングした時は挑戦だと思ったが、昨日は何気なく自宅から肱川沿いに西大洲まで走り、高山の急坂を走って上須戒に下りた。何度か急坂で押し歩きしたが気楽で挑戦だとは感じなかった。

昨年の秋に初めて高山の標高約400mの(多分産業)道路を走り切った時は、急坂を走り切れるか不安だった記憶があるが、今回は余り気にならなかった。取り敢えずこの程度のサイクリングは挑戦ではないと思い、従って記事の投稿場所も今回から「田舎暮らし雑感」に移した。

どっちにしろ、走っている間は楽しかった。風景だけではない。山を下りた所で出会った老婆との会話は楽しかった。峠を越えたところの傾斜地にあった美しい集落名は打越だと彼女は教えてくれた。そこから上須戒迄の急坂を下る速度は恐怖だった。その上須戒も山間部だが、潮田八多喜路線を下ると八多喜に親戚があると伝えると彼女は仲間と思ったのか俄然興味を持ってくれた。

そして一晩寝て昨朝は何処にも疲れは感ぜず筋肉等体に異常は無かった。何時もの様に食事と洗濯し、パソコンを開き体重や血圧と市場動向をチェックした。その時、夕方には昨年迄のルーチンの一つだった山裾歩きを挑戦しようと思った(これは挑戦)。但し、絶対に無理な歩きはしないで。

和田地区から登り山裾に入り集落から集落へ山裾道を歩き国道56号線に出た。約1万歩余りの山裾道だが何の疲れも感じなかった。帰宅前に国道56号線沿いのマーケットプレイスに買い物に向かった。このところ朝夕の気温差が大きく体が変化について行けず寝不足気味だった。久しぶりに「島村」に行って多分お店で一番安価な夏用の半袖パジャマを買った。着心地は悪くなかった。

このところ物価高ばかり報じられているが、ケチな私には気にならない。長い間の一人暮らしで安価な食料でも気にならない。最近は食料は安価なものや頂き物で十分だ。やる気が起こらない時には家内に倣ってカップヌードルやインスタント食品を食べる様になった。衣類もかつてサラリーマン時代の着古しや、息子たちのお上がり、若い時のバドミントン等のスポーツウエアで十分だ。久し振りにお金を使ってパジャマとかワークマンの作業衣を買った。これらは丈夫で役に立つ。

高齢者の田舎の一人暮らしと言っても、私はテレビや新聞を見てニュースをチェックしテレビドラマや映画を見るだけ。廃車したといっても実家から自転車で買い物に行けるし、メールやスマホで家族と連絡が取れる。昔からの友人はまだ元気な奴がいて元気に田畑で働いている。私は先祖から受け継いだ実家や農地とか山林を何とか子孫に残してやりたい、ちょっと自信がないけど。■
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