かぶれの世界(新)

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アジアカップ(続)

2004-08-30 13:35:35 | 国際・政治
 アジアカップの直後、反日中国観客が起こした騒動の政治的な側面についてマスメディア、とくにTVは過剰と思える反応をしたが新聞は概して抑制気味であった。 その後世の中の関心はアテネオリンピックに移り、もう議論されることもなくなった。  メディアは当然暴走した数千人に焦点を当て繰返し同じシーンを放送したのだが、残り90%以上の観客について田原真司氏がNBに興味ある記事を書いていたのでその抜粋を以下に紹介する。 要約すると鄧小平改革の結果生まれた持つものと持たざるものの階級、即ち、スタジアム内の中国経済の急成長で生まれた富裕層とスタジアム外の売れるものなら何でも売ろうという貧民層である。 経済成長の安定化と冨の配分の不平等の克服についての中国政府の取り組みは今後5~10年の世界経済の行方を左右するものであり注目される。  

 入場者数6万人余りのうち、試合後の反日騒動に加わったのはせいぜい数千人。中国人サポーターの9割以上は、ゲームが終わるとさっさと家路に就いた。 スタジアムの門前で若者たちが気勢を上げているすぐ脇を、はるかに多くの人数が一瞥もくれずぞろぞろと帰っていく。公安当局の警備が厳しいので、面倒に巻き込まれないようにしている様子でもなかった。むしろ本当に関心がないのか、あるいは騒いでいる連中と一緒にされたくないように見えた。

 実は、アジアカップの入場券の価格は、北京市民の物価感覚で考えるとかなり高額だった。一番安い席でも200元(約2600円)。最も高い席は2000元(約2万6000円)と、平均的なサラリーマンのほぼ1カ月分の給料に相当する。しかも、決勝での日中対戦が決まると、入場券はたちまち売り切れ、ヤミ市場で定価の2~3倍で取引されるプラチナペーパーと化した。試合が後半に入ってからダフ屋に聞くと、そ
れでもまだ定価400元のチケットを600元で売っていたほどだ。 つまり、スタジアムの中で観戦していた中国人サポーターの多くは、高価な入場券を買えるだけの購買力を持つ、中産階級以上の富裕層だった。

 こうした豊かな人々は、「改革開放の総設計師」と呼ばれたトウ小平氏が生み出した新たな階層である。78年12月、トウ小平氏は中国共産党の重要会議で「一部の地域、一部の企業、一部の労働者や農民の収入が先に多くなり、生活が先に向上するのを許容しなければならない」と提唱した。いわゆる先富論である。海外からの投資受け入れに有利な沿海部や、一生懸命に努力する個人が先に豊かになること認め、中国経済全体の発展の牽引車にしようとしたのだ。 先富論の理想は、先に豊かになった者がやがては貧しい者を助け、最終的に「共同富裕」を実現することである。アジアカップ決勝の夜、反日騒動の中心にいたのは、チケットを買えず場外で応援していた学生らしき若者だった。しかし、スタジアムから出てきた豊かな人々は、彼らに同情するわけでも、逆にたしなめるわけでもなく、どんどん立ち去っていった。

 そしてもう1つ、同じ場所にいながら騒動に全く無関心なグループがあった。スタジアム周辺の群衆を目当てに集まった物売りたちだ。入場券の値段をつり上げたダフ屋はもちろん、中国の国旗から応援用のラッパ、アイスクリームやミネラルウオーター、子供のおもちゃに至るまで、売れそうなものなら何でも売っていた。  物売りたちの多くは、国有企業のリストラで失業したり、地方から出てきたが仕事が見つからない貧しい人々である。騒ぎがエスカレートし、警官隊とのもみ合いが始まっても、物売りたちは眼中にないかのように商売を続けていた。彼らの頭の中は、今日の生活を支えるカネを稼ぐことだけでいっぱいだったのだろう。

  トウ小平氏の先富論は、中国に驚異的な経済成長と生活水準の向上をもたらした。しかし同時に、貧富格差の拡大という矛盾も生んだ。工人スタジアムの前で目にした、互いに無関心なグループのコントラストは、富める者と貧しい者の間の深い溝を感じさせた。


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Summer Reading 2

2004-08-29 16:38:24 | 本と雑誌
 8月初旬に東京に戻った。 東京は田舎(愛媛県)より暑かった。 異常に暑い毎日で仕事を探す気にもなれずアテネ五輪中継を見、残りの時間を読書に当てているうちに涼しくなってきた。 何を読んだか紹介すると私が如何にポリシーなく本を選んでいるかのように見えるかもしれないが、 選択のルールがないわけでもない。 ノンフィクションが好きである。 若いころは漱石や鴎外、海外作家の小説もよく読んだが、何時のころかフィクションは作り物で役に立たないと言う多分功利主義的な発想で読まなくなった。 多分、仕事特に経営管理が主要な仕事になってからだと思う。 今は安く手に入る中古本や図書館を活用している。 これは収入が激減した身ではやむを得ない。 しかしそれでも読む本は大体手に入る。 全く不満はない。  能書きはそれまでとし夏休み読書結果を紹介する。

1.世界の中心で、愛を叫ぶ  片山恭一著 2001 小学館
 家内が買ってきたべストセラー本を読ませてもらった。 まるで少女漫画を見るようなノリで読む小説で、「Notebook」とか「マディソン郡の橋」よりも更に軽い、しかし読後不思議と気持ちがきれいになった気がした。 ミントチョコレートみたいなもんか?

2.気骨  呉士宏著 2002 日経BP
3.ラッキーマン  マイケル・J・フォックス著 2003 ソフトバンクパブリッシング
4.フィラデルフィアの野口英世  浅倉俊生著 1989 三修社
 この3冊には共通点がある。 何れも普通の人から成功の道を辿り始めたところが、さわりで面白いところである。 「気骨」では大病を患い教育もない看護婦が85年頃中国進出していたIBMに採用されて女性経営者として成功の階段を上り始めるあたり、「ラッキーマン」ではカナダの田舎の青年がハリウッドに来て待ちに待った役をとり人気俳優になるキッカケを掴むあたり、野口英世がフィラデルフィア大学に押しかけ研究者としての道を始めるところである。 特にマイケルが父親とバンクーバからLAまで国道5号線を往復するくだりは98年にシアトルからサクラメントまで同じ道を通って家族で引越し旅行した事が思い出され懐かしく思った。 多分テーマはパーキンソン病にかかったマイケルが病気を公表し財団を作って同じ病気にかかっている人達の為活動をするところである。 当時ずいぶん話題になったそうで、米国に住んでいた私は知らなかったが、99年にLAに行った時家内は彼の病気のことを知っていたの思いだした。 しかし、本としての面白さは別の所にある。 そういうもんだ。

5.悪名高き皇帝たち(ローマ人の物語Ⅶ) 塩野七生著 1998 新潮社
6.機器と克服(ローマ人の物語Ⅷ)  塩野七生著 1999 新潮社
 塩野さんは私が最も好きな歴史小説家である。 彼女の歴史小説は司馬遼太郎と同じく歴史を解釈するが、解釈した部分を明示しながらその時代を生き生きと描き出す。 歴史上の人物の心理にまで迫りながら大局を失わない。 昨夏シーザが考えアウグストが実現したローマ帝政が確立したⅥ巻でこのシリーズの読書を中断していたが、夏休み読書が進むにつれ続きが読みたくなった。 Ⅶ巻はを、皇帝世襲制の混乱の中から定着する仕掛けが作られるまでの紀元1世紀である。 Ⅷ巻で初めて著者が著名な歴史学者タキトゥスが好きでないことが判った。 ネロなど悪名高い皇帝たちの業績は業績で認めようじゃないかというのが彼女の基本的な捕らえ方で面白いし納得できる。 血塗られた時代でも基本に戻るべきところのある帝国の偉大さは変わらず以後も数百年帝国は続く。 大英帝国も200年とは続かなかった。 関連した書物を読みもっと咀嚼してから続きを読もうと思っている。

7.ロンドン・ペストの恐怖  D.デフォー著 1994 小学館
 1995年ロンドン50万人の6分の1の命を奪ったペストが始まり翌年収束するまでを市内に住んでいた「ロビンクルーソー」の著者のデフォーが書いた記録である。 防疫体制がないに等しかった当時のロンドン市等当局の冷静な対応には感心する。 当時の伝染病に対する恐れが理解できる。 若いときパリで起こったペスト(カミュ著)を読んだのを思い出した。 伝染病でバタバタ人が死んでいくときの恐ろしさは、昨年の中国政府のSARS対応の混乱を見ても今も変わらない。

 今回のお薦めは「気骨」と塩野さんの著作である。 「気骨」は文化大革命後の生活や、鄧小平後中国共産の中に企業家精神が育っていく様子が生き生きと描写されており興味深い。 同時に中国の中での企業家としての限界(もしくは建前かもしれないが)も見えてくる。 私のハイテックの世界での経験では既にこのような企業家がドンドン輩出してきており中国経済成長を支えており、次の世代も沢山育っている。 たたき上げの中国現代企業家の素顔が見える稀な本である。 塩野さんの本はどれでもお薦めで何でも良いので手始めに 1冊読んでみてファンになったら徐々に関連する書物を読み西洋史の知識を広げ又塩野さんの本に戻ると良いかも。

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アテネ五輪サッカー敗退

2004-08-29 12:19:54 | スポーツ
アテネ・オリンピック 男子サッカー敗退

 36年ぶりのメダルを期待された日本サッカーチームは、予選リーグ2連敗で早くも敗退が決まり熱狂的なファンを失望させた。 近年サッカー人気は国際Aマッチ中継番組がプロ野球中継より高いTV視聴率をとるまで高まり、TV放送局は挙ってサッカー関連の放送をするようになった。 五輪サッカーは23歳以下のチームで構成され言わば二軍チームなので、多くのサッカー先進国ではそれ程関心をもたれていない。 しかし、五輪好きの日本ではAチームと同じか場合によってはそれ以上に関心をもたれ、TV等マスコミの露出度が高く活躍が期待されてきた。 一方海外では日本チームの評価はそれ程高くなく、今回の結果も驚きの目で見られていない。 このギャップは何か少し論じてみたい。

1.敗因
 先ず純粋にサッカーとして敗因を辿ってみたい。
1)実力不足、相手が強かった
 TVでゲームを見た限り相手のほうが強かった、 実力どおり順当な結果であったと言える。 2試合とも立ち上がり早々に守備の乱れを衝かれ失点し、それ以降一度も追いつくことなく負けている。 個人、チームとしての力のどちらでも相手が勝っていた。 日本チームの個人技が劣ることはある程度予想できたのだが、攻守にバランスが取れチームとしての力はあると思っていた。 
2)戦う姿勢不足、弱気だった 
 サッカー後進国時代のDNAである守りに入った時の日本チームのひ弱さが露呈された。 チームは立ち上がり硬くなり失点後は精神的な切替えがうまく出来ず、予想以上に普段の力を出す事が出来なかった。 アジア地区予選で苦しみながらも勝ち抜いたのに何故弱気になったのか? 思うに、アジア予選では相手チームは初めから守備を固めミスに付け込んで確率高く得点する攻撃の強いチームに対してタフな守備を一度も経験せず、突然強烈なパンチを喰らっておたおたしてしまった。 戦う前からチーム全体にアグレッシブに攻める姿勢がなかった。 嵩にかかった攻めに対して初めから守りに入ったときの弱さが出てキチンと対処できなかった。 個人技が劣るといってもそれ程大きな差があるわけではなく、もっと強い気持ちがあれば少しの差でマイボールにしたりチャンスも作れたはずである。 
3)指揮官の経験不足、選手と一緒にパニクッた
 立ち上がりにチームに戦う姿勢を持たせるのは指揮官の責任である。 試合前に何が指示されたか判らないが、少なくともスターティング・ラインアップは守りに重点をおいたものであったが、序盤にあっさり得点を許しわれを忘れ素早く切替が出来なかった。 相手から見て最も脅威となるスピードのあるシステマチックな攻撃が選手交代によって後半見られたが手遅れだった。
4)決定力不足、今に始まった事ではない
 決定力不足は前から言われていたことがそのまま結果に現れただけの事で、むしろ2試合で5点は上出来だった。 しかし決めるべきときに決められなかったのは敗因の一つであると言える。 勝つためには得点機会に対してもっと高い確率で枠の中にシュートを打ち点に結びつける決定力が必須である。

 2連敗直後の失望に任せて書いた上記の敗因は多少感情的な所もあるが基本的に間違えてないと思う。 その後ガーナに勝ち、同じ予選リーグを勝ち抜いたパラグアイとイタリーが二、三位に入ったことで少し慰められた。 今回優勝したアルゼンチンは頭抜けて強かったが、組合せによって日本が決勝リーグに残るチャンスはあったといえる。 そう意味では今回の成績は順当な結果の範囲に入っていると思う。 しかし若いと言っても監督も選手もプロであり、結果を出せなかったことを受け止め次のステップに進んでもらいたい。 まだそのような議論があまりされてないようだが、貴重な経験と言う抽象的な言葉だけでなく当事者である監督も選手も協力して結果と原因を冷静に分析し手を打つべきである。 

 アテネ五輪は過去最高のメダルを獲得すると言う素晴らしい結果となったが、サッカーだけでなく野球やバレー、ソフトボール等球技の成績が個人競技に比べ振るわなかった。 夫々に異なった事情があるだろうが、球技の力が落ちたと言うよりも科学的訓練や、有望な個人を支える強化システムの導入により相対的に個人競技のレベルが上がったと言うべきであろう。 経営コンサルタントの立場で見るとスポーツのグローバリゼーションといういう市場動向の中で有望種目の選択と集中投資を行い成果を出したということであろう。そういう視点から見ると個人競技と異なり団体競技の力をどう高めていくか課題が多い。 野球チームの失敗は国内のシステムにかかわる基本となる戦略の誤りであり根が深いといわざるをえない。 バレーボールはそもそもマスコミが作り上げたバブルが大きく膨らんだだけの発展途上の実力不足チームであり結果を責めるのは酷である。 その中でサッカーは比較的明確な戦略としっかりした実行体制を持っているので期待できる。 
   


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アジアカップ

2004-08-08 14:28:54 | スポーツ
 アジアカップは日本が連覇した。 今回はスポーツとしてだけでなく政治絡みでメディアでの露出度がかつて無く高く、サッカー好きの私も初めて全試合のTV中継を見た。 優勝した事もあるが予想以上に日本チームの強さを実感し満足した。 一方中国サッカーファンの度を越した日本チームへの反応の仕方に大変興味を覚えた。 

1.日本サッカーの実力は上がったのか?
 厳しいゲームを乗り越える過程でチームとしての一体感が出て強くなったと感じた。 従来、日本チームはスマートで洗練されたゲーム運びをするが、追い込まれ逆境になるとズルズルと後退し負けてしまう精神的に脆さがあると見られていたと思う。今回、リードされても落ち着きを失わず最後まで点を取り返す強い意思を感じ、結果を出した。 そうなるとファンとしては、これは本物か、一時の精神的な高揚がもたらした結果か、持続力のある強さか、と言うことが将来オールジャパンのへ大事な問いかけとなる。 これに対する私の分析は次のとおりである。  
 ジーコの自主性重視方針の浸透と川口の凄みのあるセービングが触媒となって化学変化が起こった。  大会前の練習期間を十分に取り、直前の欧州遠征で非常に良い結果を出した事が化学変化を起こしやすい環境を作ったと言える。 私はニュージャパンは新しい段階に入り、今後継続していく言わば新種に生まれ変わったと思う。 答えはイエス、実力は上がった。 かつて欧州の強いチームと戦ったとき個人技に優劣は感じないが、肝心なところでの集中力で大差がつく例を何度も見たが、もうそれ程か弱くはないという見る側にも変な安心感を与えるレベルになってきたと思う。 これは世界の頂点に立ったことのある男だからこそチームに植え付けることが出来た精神であると思う。 最近まで日本選手にはまだまだその領域に達していない、難しいと言われていたことである。 

2.ニュージャパンの課題はないのか?
 実際のところ山ほどある。 今後、所謂中田英等の欧州組や久保等傑出した個人技を持つプレーヤを含めたニュージャパンを機能させる作業がある。 化学変化が今回と同じく1ヶ月の共同合宿を必要とするなら非常に難しいだろう。 実際、最強のブラジルと言えどもワールドカップ予選は寄せ集めチームとしてやっと通過し、本大会の中で力をつけていくと言う例を見た。 日韓ワールドカップでブラジルは本大会の予選リーグすら化学変化途上だったと思う。 しかし、日本はそんな状態では実力的に本大会への出場権を得られないかも知れない。 
 予選を乗り切る為には、一方で、一人でゲームの流れを変えることができる傑出したプレイヤー、特にストライカーが必要である。 ワールドカップ予選前半では久保だった。 加えて、選手全体にセカンドボールが取れる強さを身に付けるよう望みたい。 今大会でも接触プレイの直前で日本選手は緩んだように見え中東のチームにボールを取られ、事態を打開できないシーンが何度もあった。 怪我を恐れての事で長い目で見るとそのほうが賢いと言う意見もあろうが。 
 もう一つの懸念は守りに入ったときの弱さがまだ残っていると言うことである。 これはまだ新種になりきれてない部分である。 今大会でもバーレーン戦で後半逆転後急にボールが回らなくなってしまった。 名手中村も急に狭い地域でボールを持ちすぎ追い詰められてボールを取られ再三ピンチを招いた。 受身になったときの彼はがっかりするほど弱い。 0対0ならチームとしても頑張るのにリードして守りに入ったときの弱さは何とかしなければならない、多分中田や小野がカバーする事になるのだろうと期待したい。

3.中東の変化と中国サッカー
 今回、中東のサッカーが着実に変化しつつある事が明らかになった。 従来の個人技と速攻だけから、欧州人監督の指導でその特徴を生かしつつもシステマチックなゲームプランを持ち込み、特にスピードのあるサイド攻撃は見てて非常に脅威であった。 今までの日中韓の東アジア優勢の構図は崩れつつあると言うのが実感である。 中国のサッカーはフェアでオーソドックスなスタイルであり、現在は攻めの形がサイド攻撃に限られ決定力に欠けているが将来性を感じさせる。 個人的には、中国が強くなる時代はすぐ近くに着ており、それはバスケットボールのヤオミンのようなス-パスターの突然の出現から始まるのではないかと思う。 中国経済の発展によりスポーツ、特にサッカーへの投資額が今後急増しそれに比例してサッカーが強くなるだろう。 卓球やバドミントンでは手に入らない巨額の収入を求めて、短期間に裾野として世界最大のサッカー人口を持つ国になろう。 韓国のファンは今回残念だった思うがイランとの戦いは決して侮れない事を証明した。 失望する事は無い。 

4.中国サッカーファン
 会場内外での騒動はアジアカップのニュースをスポーツ欄から政治・社会面にまで広げサッカーに興味の無い人の耳目まで到達した。 結果的に世界中に醜態のニュースを広げ識者の眉をしかめさせ、北京オリンピックの成功に一抹の不安を持たせる事になった。 スポーツと政治を切り離して考えよとは言うものの歴史的にサッカーほど政治的な感情を引き起こさせるものは無い。 私は右寄りではないが、正直なところ、石原知事の言うようにその程度の民度だからしょうがない、共産党独裁の政治体制維持のために必然的に起こったことだと決め付けに同意する部分がある。 天安門事件後の愛国教育、特に94年からのその一環としての反日教育の必然的結果であると言うのは事実であろう。 一方で、日本からの3兆円にも昇るODA支援は全く触れてない事には政治的意図がある。 しかしそれだけでは片付けられない事があると思う。
 知事の言うとおり中国と言うのはそんな国だと言えばそれまでだが、私は日本が第二次大戦をキチンと総括しなかったことが一因であると考える。 そこを曖昧にしたため毎回戦争責任を引き合いに出されるのを避けなければならず、必要以上に税金を使って支援を与え追及を斟酌してもらうように、日本外交は相手国の問題に対して曖昧で言うべきことを言わないスタイルを続けて来た。 人権問題など口が裂けても言えない。 戦時の当事者が政権内に残ればそういう道しか残されていなかったのだろうし、かといってイラク戦争でも明らかになったようにバース党全員追放など実際のところ不可能だった。 何れにしろこのアプローチは当座の取り繕いとしては効果があるだろうが長期的に日本の弱みの源泉でありいつも残念に思う事である。
 ここまで背景を説明した後言わせてもらえば、この騒動の敗者は中国で一番損をしたのではないだろうか。 日本ファンはあの混乱の中で日中友好を唱え中国ファンに比べ中国風に言うと「大人」振りを発揮、サッカー優勝以上のものを得た。 結果として、中国政府はその限界を露呈したと言ってよい。 しかしWTO加盟し北京五輪を迎える中国には後戻りは出来ない。 12億以上の人口を抱える中国で今回騒動を起こした人の数など本の一握りであり冷静に対応すべきである。 中国の数の怖さは0.01%の跳ね返りと言っても十万人以上いることになるが、同じ比率で親日家を作ろうというのが建設的である。 同じ反日教育をした韓国とは若者が中心となって2002ワールドカップを上手くやることが出来たのだから中国と出来ない理由は無い。    

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Doris & Me (Janet Seidel)

2004-08-06 15:11:44 | 音楽
At first I had a kind of a fresh dejavu when I heard Janet's voice after checked in an English style cozy B&B at Blue Mountains, Australia last September, a week before my daughter's wedding in Sydney. At first I thought it was Doris Day but soon realized it a bit warmer and more transparent than my memories and I got to like this style. I repeat-played the CD at every breakfast and every whole evening asking my wife for turning TV off. I don't know if she liked it but at least she never disagreed. It was Doris Day featured one by Janet Seidel, new to me.

We went to Sydney for our daughter's wedding at weekend and I never forgot to get the CD there. Janet was so popular over there that I could find her easily on a best shelf spot just beside Synatra at HMV. When I'm at den for doing something after getting back to Tokyo, I often use her songs to create a relaxed atomosphere. It snaps my room creative very quickly.

I am a baby boomer in Japan after the war and strted hearing Doris Day late fifties. Her songs were every day life at that time. She was a golden girl who gave an American dream across the world after the war with always happy ending Hollywood movies as well as her liquid voice and intimate style. No message but be happy kind of. It was great, then. Particularly, I liked Que Sera Sera. Then this Janet. I strongly feel she loves Doris. I believe this is why I felt something deep in my heart never awaken for more than forty years suddenly started resonating.

Janet's interpretation successfully gives me a contemporary jazz taste without spoiling original bright and sunny world with every hope people had just after the war. Technically she is a better singer, making you feel safer. It's strange that Janet made me want to listen to Doris again. Then I found Janet's Doris is better than Doris's Doris. I should say much better. It could happen, but I felt sad without knowing an exact reason. Anyway, I like both and recommend them both to baby boomers and to younger generations.


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