かぶれの世界(新)

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馬肉バーガーと欧州バカ同盟

2013-02-27 14:54:11 | 国際・政治

先のダボス会議やG7/G20等で欧州関係者の発言が麻生副総理ならずとも癇に障った。お前に言われたくないと思った。機会を見て皮肉の一つ二つ言いたいと思ったら、日経編集委員の菅野氏が欧州で大騒ぎの馬肉バーガー事件と引っ掛けて書いた皮肉の効いた記事(2/25)を見て小気味良く思った。

ところが、欧州では留まらない深刻な事態が発生した。昨日の朝起きて円相場が急騰のニュースを見て驚いた。書斎に行かずとも居間のタブレットで一体何が起こったのか直ぐ分かった。イタリアの総選挙結果がどの党も上院で過半数を取れず政局混迷、他の南欧諸国に危機が波及するかもと世界市場を揺るがしていた。欧州危機を再燃させ長期化させる恐れが出て来た為だ。

年初に投稿した「2013年大胆占い」で何と予測したかを急いでチェックした。「今年も世界経済は欧州次第、だが期待はない、危機がドライブする後手の政治が続く」とあり概ね予測通りだ。だが、2月に危機再燃とは早すぎる、来るとすれば年央の独選挙と予測した、こんなに早く来るとは。

モンティ首相の緊縮政策が市場の信頼を得て小康状態にあったが、イタリア国民は緊縮生活にうんざりしてスキャンダルまみれのベルスコーニ元首相とコメディアンの急進派グリッロを選んだ。中道左派と右派の連立政権が仮に成立しても、政策が全く異なる両党では安定した政権運営が出来るはずもなく、数ヶ月で再選挙になる恐れがあるという。欧州危機再燃が頭をよぎった。

ユーロ圏経済規模第3位のイタリアの財政危機は、何とか踏みとどまっているスペイン等の南欧諸国に波及し、更には欧州危機が再燃する恐れだ。そうなれば新興国から日米まで立ち直りかけた世界経済に影響を与えることは必至だ。昨日の世界市場は軒並み大幅下落した。

この欧州のドタバタを象徴する事件が先週から欧州メディアを騒がせている。馬肉入りの偽装ハンバーガーが欧州の各地で発覚し、消費者の抗議を受けて大規模な製品回収が起こっているという。犯人追求の為に製品納入ルートを辿ると、原材料調達から加工まで規制が異なる欧州各国の業者を経由した複雑なルートが浮かび上がった。誰が犯人か中々特定できない。

この馬肉入りバーガーの問題は、一つの商品が複数の国と企業を経由して作られるグローバル・サプライチェーンが惹き起こした。EU内なら話題のTPPより断然貿易の自由度が高い。リーマン・ショックの引き金となったサブプライムが金融技術で形を変え世界各国の金融機関に行き渡った。そして足元の欧州では、一つの金融政策の下で異なる国の財政悪化がユーロ危機を引き起こしたのと同じ構図だ。不良債権や馬肉、毒がブラックボックス化され見逃される仕組だ。

欧州の問題は危機が勃発してから何年も経つのに、何時までたっても抜本的改革ができない。今回は誰がいけないのか、EUなのか、イタリアの政治家か、それともイタリア国民か。私は欧州そのものだと思う。つまり、欧州の歴史と教訓から引き継がれた遺伝子を持つシステムや人々である。端的にいうと賢い人々が考え抜いて作った「欧州バカ同盟」といいたい。

鼻から欧州を馬鹿にしたような題名にした。イタリアの総選挙結果が巻き起こした混乱に呆れてやや感情的になったかもしれない。だが、これは欧州の遺伝的な持病であり今後も続く難病だと覚悟した方がいい。偉大な歴史を持つイタリア国民は生活苦で誇りを捨てたのだろうか。まるで小沢一郎とタケシに国を預けるようなことをした。日本もえばれたもんではないが。■

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ご近所の「崩壊の予感」

2013-02-25 23:07:26 | 社会・経済

年暮れのクリスマスパーティに集まった家族が、2歳の孫一人に30代5人、60代が2人だったことが将来を暗示していると感じて、折角のパーティを心から楽しめず暗然たる気持ちになった。http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20121224 

田舎にきて1週間、ご近所の人達と近況を確かめて同じ気持ちになることが何度かあった。

散歩のため家を出ると、近くの長老の家の勝手口から奥さんが出てきて塀沿いに歩く姿を見つけた。元々足が悪くビッコをひいて歩いていたのだが以前と違うように感じた。よく見ると片手で塀にもたれながら右手の杖で前方を探りながら歩いていた。目がそこまで悪くなったのだろうか。

後ろから何度か声をかけたがはっきりした返事がなかった。前に回って念のために名前を名乗り長老の様子を聞くと、腰の痛みが悪化して入院したという。そういう奥さんの顔が酷く老けたぼやけた感じがして、いけないものを見たようにハッとした。前歯が1、2本欠けていた。

お大事に!と声をかけて急ぎ足で散歩を続けた。長老の家は40-50代の息子が同居しているが、彼等二人共独身だ。今は家事全般をやっている奥さんが動けなくなったら食事などどうするのだろうか。その日は遠くなさそうに感じた。長老は子供達の為に農地を買い集めているが、この先20年たって二人は60-70代の独身だったらどうなるのだろうか。

た事情の家は他にもある。隣とその隣の家のオバサンは今年90と80になった寡婦の独居老人がいる。近くに息子夫婦が住んでおり、農繁期など時折出張ってきて手伝っている。更にその隣の農家は50代の独身男性が一人住んでいる。余談だが政府はこういう農家に補償している。農業の為というより老いて行く農家の為だ。

長老の奥さんはアルツハイマーの症状が進み転ぶことが多くなったとオバサンが教えてくれた。転んだ彼女を助けようとして長老は古傷の腰痛が再発、昨年から入院したまま。奥さんは転倒した時に歯が欠けたのだろうという。そういいながら彼女も昨年末肺炎で入院したと付け加えた。

息子は去年お見合いしたが上手く行かなかったという。私が水を向けると、オバサンの知り合いの息子はフィリピン女性と結婚した、彼にもチャンスはあると思うと答えた。私はそうあれば良いけど、かなり疑わしいと思った。そして20年先に何が起こるかも想像した。

実は都会でも似た事情がある。自宅の向かいの家は30代後半になる息子と母親の二人暮らしだ。隣の家の一人息子は定年退職して独り暮らし、母親は郷里に戻られたそうだ。反対側の隣の家の老夫婦はご主人が亡くなり、奥さんは入院、息子二人は別居し時々家の様子を見に来る。

都会の自宅も田舎の実家のどちらの周りも、子供の姿を殆ど見かけない。昨日、隣町で一緒に食事をした義弟は、彼の通った小学校のクラスがたった18人しかいない、全校でも100人余りに減ったと嘆いていた。最近高層マンションが急増している都心でも、一方でかつてのニュータウンなどの団地の高齢化が進んでいる。

一体どうすれば良かったのか、一体誰の責任だろうか。これからどうすれば良いのだろうか。安倍政権が適切な人口増加政策を打っているかまだ不透明だ。不謹慎なジョークを最後に一つ飛ばしたい。これも団塊の世代の責任だというなら、これから頑張って子作りするか?■

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田舎暮らし雑感13春(1)

2013-02-21 21:48:05 | 日記・エッセイ・コラム

 3ヶ月ぶりに実家に戻った翌朝は雨だった。玄関のドアを開けるとムッとする生暖かく湿った外気が私の顔に、家の中の冷たい空気を後頭部に感じる妙な感覚が一瞬よぎった。その温度差が玄関や台所の窓ガラスの「外側」に水滴が吹き出していた。家の外内で逆転現象が起こった。

 朝食を済ませ直ぐに強い雨と霧の中を車で松山の介護施設に向かった。霧が濃く視界50m程度といった感じで高速道路は時速50kmに制限されていると表示されていた。いつもは峠を越えると天候が変わるのだが、その日は施設に着くまで雨も霧も変わらなかった。

 母は要介護レベル4になったと昨年末通知を受けたが、会ってみると機嫌は悪かったが酷く悪化した感じはなかった。担当看護婦も同じような印象を受けているようで一安心だった。担当介護士は若い男性に代わっていた。彼の案内で母の部屋を見せてもらった。母の衣類が丁寧にたたんでしまってあるのを見て、彼が母を丁寧に介護してくれていると感じた。

 その帰りに久しぶりに友人に会って食事をした。変わらず元気そうだった。会う度に相手の様子を見て老いた自分を感じる、仕方がないのだけど。私のブログを読んでハワイに行ったことを知っていて、久し振りのはずなのに何だか不思議な気がした。実家に戻ると雨は上がっていた。

 翌日は、昨年実施した国調(国土調査)の結果を反映した図面の確認の為、市役所に行った。本来は先週までに確認の回答を返す必要があったが、東京に送られてきた小さな図面では判読し難く、事情を話して延期してもらい火曜日に直接市役所に出向いた訳だ。

 実際に調査を担当した森林組合の調査員も立ち会って、大きな図面を見て旧番地がどう合筆されたか説明を聞くと地番と地図の関係がやっと分かった。しかし、江戸時代からの先祖の墓地が他人名義になっており、勝手に名義変更できないと説明された。誰も知らない名前の持ち主がいて確認が取れず、境界が不明で曖昧な部分が図面に残されていた。・・・でもハンコを押した。

 それが終ると、ガソリンスタンドに行き風呂とストーブ用の灯油を買った。実家にはエアコンは6台あるのだが、大きな家なので補助として更に石油ストーブ2台と電気コタツ2セットある。風呂はシャワー室を含め3つもある。全部灯油で賄っている。灯油はポリタン4つに計60リットルで5700円、馬鹿にならない金額だ。これだけあって一人で住むのはジョーク、全く不経済だ。

 帰りに全国チェーンの古本屋が出店したのを見つけ嬉しくなった。一つ文化の香が増えた感じだ。やっと実家の独り暮らしできる体勢を作ったので、今日の午後散歩を兼ね出掛けてみた。外見は倉庫みたいだが中は見慣れた棚揃えだった。しかし肝心の読みたくなるような古本は全くなかった。古本屋の品揃えはその土地の文化度を反映する、それは傲慢で私の趣向に合わないだけ。

 がっかりして実家に戻る途中、コーヒーを卸す倉庫の片隅に小さなコーヒーショップを見つけた。74円で試し飲み出来るという立て看板を見つけ、フラフラとお店に入った。イエメン産のモカ何とかといってブレンドで酸味を円やかにしたものという。試飲した酸味のないモカは気の抜けたビールみたいだったが、売り子のオバサンに乗せられて一袋買う羽目になった。■

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私的・聞いてはいけないこと

2013-02-20 22:40:42 | 日記・エッセイ・コラム

聞いてはいけないこととは、個人的で濃密な歴史に関ることが多い。私にもこんな経験がある。帰郷する前日のバドミントン練習の後、仲間が文庫本を貸してくれた。私は、普段小説は読まない。歴史やビジネス等の硬い実利的な本しか読まないので断わったが、彼は良い本だから是非読めと勧めてくれた。百田尚樹の「永遠のゼロ(0)」だった。600ページ弱の長編だ。

松山行きの飛行機で読み始めた。特攻で戦死したゼロ戦パイロットの実の祖父の最後を辿る孫の姉弟を描いたものだ。若い時に昭和史や戦記物を好んで読んだ私には馴染みのある世界だった。彼らの祖父が26歳で戦死したという書き出しを読んだだけで、私は祖父のことを思い出した。貸してもらって良かったと思った。まだ読み終わっていないが、私も読書をお勧めしたい。

著者は私よりほぼ一回り若いが、多分私とそう違わない時代背景で育ち価値観が形成されたと読み始めて思った。小説では彼の子供の年代を主人公にし、彼の父親世代を理解させようとした。そういう小説の背景を私は感じ取って、自分に重ね合わせて読み進めた。

私の祖父が死んだのは大正時代、同じ26歳だった。水兵だった長兄が早世し跡を継いだが、祖母と結婚し私の父が生まれた後直ぐに死んだそうだ。鴨居に頭がぶつかるほど背が高く、メガネをかけた神経質そうな写真しか、祖父の事を私は知らない。数年前、生帽に黒マント姿の若き日の祖父の写真と残されたコメントを見つけ、彼がどんな青春時代を送ったのかと思った。

小説の主人公の母親のように、祖母も祖父の死後一度は再婚したそうだが直ぐに離別したという。分かれた理由は二人の間に子供が生まれたら財産分与をどうするのか問われ、子供が出来て話がややこしくなる前に分かれたという。大正時代の旧家を守る立場の寡婦と周りの価値観がそうさせたのだろうと想像した。

祖母が夫の死後50年以上も寡婦となり、息子(私の父)の死後も母と一緒に家を守って来たと聞かされていた。祖母の死後暫くして母が祖母の再婚のことを教えてくれた。再婚は曽祖父が勧めたというが、その後の離別も祖母に他の選択は無かったのかもと思う。その心内がどうだったかは誰も聞いてはいけないことだったと私は思う。今、私は知らなくて良かったと思う。

その後、彼女が夫を失い乳飲み子を抱えて旧家を守った健気な姿と、戦前小作だった近所の人達は何かあると相談に来て彼女の判断を頼った、地域のゴッドマザー的存在だったと懐かしがる声を何度も聞いた。その話を私がすると母は急に機嫌が悪くなったのを覚えている。‘偉大な’祖母に仕える母が如何に難儀したか綿々と苦労話を聞かされた。

母は祖母が如何に立派だったか何度も私に言い聞かせたが、私が母に対して祖母が立派だったと言うのは許せなかったようだ。それも聞いてはいけない微妙な心の襞だったようだ。一方で子供心に祖母と母は父を凄く愛しているが競ってはいなかったと思う。小説に戻ると、主人公の義理の祖父がまだ生きていて、実の祖父のことを調べるのは気にしなかったという件がピンと来ない。

私は中卒業後直ぐに実家を出たので両親や祖母と過ごした期間は短く、祖父や曽祖父母のことを聞く機会も稀だった。実家に住んでいれば親戚や近所の人達から聞くことも出来たはずだ。小説を読みながら祖父のことを何も知らない自分に気がついた。だが、今となっては私自身が高齢者となり、祖父のことを知っている人は誰も生きていそうもない。■

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新世代ノマドじーさん

2013-02-15 18:46:15 | デジタル・インターネット

  昨年7月に娘がi-Padを貸してくれて半年以上たった。最初は私の不器用な指が狙ったところに行かず、平らな疑似キーボードでは誤入力が多くて効率が悪かった。タブレット・リテラシーがないとつい最近まで嘆いていた。だが、娘に返却する時期になった今頃になって、替りのタブレットが欲しくなった。<o:p></o:p>

  理由は操作性とか効率化とかではなく、タブレットでネットとつながる時間が広がったからだ。20年近く前にノートパソコンが世に出たころ、会社のデスク以外に自宅やホテルの部屋でも仕事ができると評価された。仕事は会社だけでするものではなくなった。それでも私にとっては、座って机の上のパソコンに向かうという利用シーンであり、仕事をする点と点を結ぶものだった。<o:p></o:p>

  だが、タブレットを使ってみると、電車の中でも、食事中のテーブルでも、車の中の助手席でも、世の中何が起こっているか、ニュースやマーケットの最新情報を即座に分かるようになった。情報のビューアーとしてパソコンのある部屋でなくとも、テレビを見ながら、食事をしながら、タブレットを覗くようになった。新世代の「ノマドじーさん」になった気分だ。<o:p></o:p>

  私にとってタブレットの特徴は操作性とか効率の向上より、私がネットと繋がる時間を増やしたことである。そして意外と実用的だった。先月ハワイ旅行した時もホテルのWiFi経由でネットと繋がり、市場動向とメールを調べる一方でレストランをチェックし、帰りのフライトにWebチェックインした。私の利用シーンが「点と点」から「面」へ広がったのを実感した。世界中でタブレット販売急増してるのは同じ理由だろうか。<o:p></o:p>

  主な利用方法であるビューアーとしては操作性とか入力効率が必ずしも最重要ではなくなった。その意味では私にも便利で必須のガゼット(玩具)になった。娘にi-Padを返せと言われ、明後日に田舎に行く前に自前のタブレットを買うことにした。ヘビーユーザーの末の息子の意見を聞き、彼の持っている複数のマシンを体験しNEXUS 7を買うことにした。<o:p></o:p>

  私の使い方は90%がネットとメールチェックだったので、最初どのマシンでも大差ないと感じていた。半年以上i-Padを使っていたので、操作が類推できるi-Pad miniにしようと思った。だが、どのお店に行っても在庫がなく、オーダー後1-2か月待ちと聞いて諦めた。<o:p></o:p>

  買ってまだ数日だがNEXUS 7のメーラーの方が私には便利だ。Gmailとかそれに関連するギャラリーや予定表が使い易いのは当然として、メーラーとブラウザーとの切り替えがスムーズに行くし、1タッチで削除できるのがいい。私の使い方はまさにパソコンの延長線上にある。全体に処理速度はパソコンより早くイライラしなくて済む。<o:p></o:p>

  今思い返すと店員はメーラーのことをよく知らなかったようだ。きっとこの手の機械ではメーラーは大事じゃないのだろう。息子はNEXUS 7は自由度が大きくいろんな使い方が出来るというのがいいという。彼は私のような使い方なら16GBモデルで十分と言われそうした。だとしても、私もいずれ映像や動画のビューアーとして利用したい。 <o:p></o:p>

  これからこの玩具を携帯するつもりだ。「進化したノマドじーさん」(?)になるかもしれない。i-Padより一回り小さい割にスクリーン上の文字はスマホより読みやすい。だが、スマホと違って問題なのはWiFiのサポートがどの程度広がっているかだ。田舎に行って自宅でしか使えない事態にならないことを祈りたい。話は違うがタブレットを買った隠れた心配は、パスワードの設定がまた増えてもう数十種類になることだ。忘れると深刻なものもあるが、自信がない。■

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