かぶれの世界(新)

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行動履歴

2012-04-30 21:29:08 | ニュース

このところ読書意欲が全く湧かない。周期的にそういう「読書オフ」の気分になるのは何度も経験している。しかし今までの経験では、5月連休はむしろ読書意欲に溢れる時期で、読みたい本が積まれて読まれるのを待っている状態のはずだった。

今回の読書意欲の低下の一因として、読んでいる本が意欲をなくさせていると感じる。良い本でもそういう時がある。その場合の解決策として複数の本を同時に読んで調子を整えることがある。もう一つの対策は、普段は政治経済・歴史書などNFしか読まないが、気分転換に例えば藤沢周作の時代小説を読むことである。

一昨日、中央図書館に行き藤沢作品を借りた。数年前から藤沢周平物を読書意欲高揚剤に利用してきたので、もうそろそろネタ切れになってきた。読んだかどうか記憶が曖昧な本を窓口に持っていき、職員にカードを見せて私が過去に借り出したか調べてくれと頼んだ。こういう質問をする人は滅多にいないと思うが、今の私は馴れ馴れしくとりあえず頼んでみる。

彼女は若くてIT知識もありそうだったのもその理由だ。貸し出し記録は返却された時点で消してしまうという返事だった。どういう本を読んだか個人の読書履歴はある種の思想や性向調査になる恐れもある。個人情報保護の観点で情報蓄積を止めたのだろうと思った。

とりあえず「漆の実のみのる国」他を借りて、自宅のパソコンを開き読書録を調べた。約10年分のブログに投稿した読書録をピックアップし、その中にこの本があるかどうか調べた。息子は対象を狭めて検索する方法があるはずと助言してくれたが、検索法を考えるより読書録を総てチェックすることにし、力作業で2007年に読んだことが判った。忘れていても同じものを読むのは嫌だ。

読書録では金にならない。しかし、一度でも通販サイトで物品を購入すると、何を買ったか勝手に覚えていてくれ同種の商品を進める勧誘メールをしつこく送って来る。保険の更新時期になれば2-3ヶ月前からそろそろだよと教えてくれる。便利だったり、ウザイと感じたりする。

27日にNHKの夜の番組でネット経由の「行動履歴」を詳しく分析して、その人にピンポイントの商品やサービスを提案するネット・ビジネスを紹介していた。アマゾンでは以前からそういうサービスがあったが、今では個人の血圧や体重などを登録して健康管理の助言をするサービスまであるそうだ。今話題になっているマイナンバー法案が成立すれば応用が一気に広がりそうな気がする。

米国の社会保障番号がそういう役割を果していた。勿論、個人情報漏洩については気をつける必要があるが、得られるメリットの方が圧倒的に多いと私は思う。Googleの異なるアプリケーションの個人情報統合も損得あるが、プラスの面を伸ばして行ってほしいと思う。いつか、図書カードにもマイナンバーが登録され図書館で私の読書履歴が確認できる日が来るかもしれない。

しかし、気になることもある。私のブログ記事で賛同した別のサイトのブログ記事を、全く関係の無いはずのフェイスブックで私が推薦していると紹介されていた。ちょっと気持ち悪い。その程度なら我慢するが適切な個人情報保護は必要であり、悪用には厳罰で臨むとしても得られる便利さは失いたくないと思う。■

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虚しき小沢無罪とバルサ敗退

2012-04-27 10:44:18 | ニュース

書く前から軽薄な内容だと分っている。それでも小沢氏の無罪判決について何か意思表示したいと思って書いている。

東京地裁の小沢元民主党代表の無罪判決がどういうものだったかは、検察官役を努めた指定弁護士の感想が端的に説明している。争点になった法律違反は全て認定されたが、小沢氏が関った証拠が無かった。専門家にとっては予想された判決であり、寧ろ土地購入を巡る政治資金不正が全て認定されたのが驚きをもって受け止められたようだ。真っ黒なのに白と認定された。

つまり、部下が不正を行い上司に報告したのは間違いない、しかし、上司が不正と思ったかどうか判らないから法的には無罪だという。だがそんなことは関係ない人達がいる。無罪判決が今後の政界に与える影響分析などマスコミは政局報道一色、予想した通りはりきっている。予測したとはいえ三流報道を見るのは醜いものを見るような気分になる。

こういう時に私の「皮肉の力」が増してくる。これって、バルサ敗退と同じだ。事実上の世界一を決定するチャンピオンリーグ(CL)準決勝で、72%の保持率と4倍ものシュートを打ち圧倒的に攻めながら、決定機を逃しチェルシーに負けた。何度もゴールに迫ったが最後の最後は止められた。

美しいパスを交換しても点が取れなければ敗者になる。一旦、敗者になると過程は無視され敗者の扱いを受ける。ファンは肩を落とし、敗者には敗者の扱いが待っている。そう考えれば我が三流記者の政局報道も、世界最高レベルのスポーツ報道と肩を並べるではないか。

昨夜、急に歯痛が我慢できなくなりラジオやICレコーダーに残っている録音を聞き、少しだけ強い酒を飲み、テレビをつけたり消したりした。痛みは朝まで続くと思われたが、そのうち意識がなくなった。最後に記憶しているのはMLB中継でマリナーズがタイガースを4-0でリードしていた。

目が覚めて起きると朝の8時前、歯の痛みはどこかに行っていた。昨夜の歯の痛みは私を支配していた。だが、痛みが無い今はそれが全てだ。私も原因追求などしない、今日何を食うかだけに集中しよう。それが本能だ。記者諸君も本能に駆られて頑張って走り回っているのだから。■

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世界企業が次々と生まれる米国の何故

2012-04-26 11:52:05 | 社会・経済

この記事は、ここ数日の日本経済新聞の記事を見て浮かんだストーリーを紹介するものです。次から次へと世界規模の新しいビジネススタイルを生み出す米国は凄いなーと驚き、一体何でそういうことが「突然変異で無く継続して出来るのか」いささか表面的だが、その訳を探ってみたい。

急成長するITビジネス群

アップルが2413月期決算を発表し、段違いの収益力を見せ付けた。地区別の売り上げが米州131.8億ドル、欧州88.7億ドル、日本26.6億ドル、アジア101.5億ドルと世界中で売り上げを伸ばし、特にアジアで倍増し本拠地の米州を追い抜く勢いである。その儲け方が半端じゃない。

一方、SNS最大手のフェイスブックの利用者数が3月末に1年前の6.8億人から33%増えて9.1億人になったと、米証券取引委員会(SEC)に提出した新規株式公開申請に関る修正報告で明らかにしたと報じられた(上場は5月半ばから6月にずれ込むと噂されている)。

新世代ITビジネスが更に新ITビジネスを生む循環

ITが新しいビジネスを生み、同時に既存ビジネスのあり方を変えた。その新しいビジネスが代替わりして、新世代ビジネスを生んだ。私が90年代半ばに米国赴任したクリントン時代に、最初の転換を目の当たりにした。それを基にして2代目、2代目を基にして3代目の米国発ビジネスモデルが生まれ続けている。

これらGoogleやフェイスブックは、あっという間に世界企業になった・・・フェイスブックはIPO前から時価総額と利用者数からみて巨大な世界企業がかつて無い速さで突如現れると予想されている。というより、彼等は初めから世界市民を顧客にする世界企業としてスタートしたと言う方が正しい。米国発だけど、無国籍名ビジネスだ。

何故そんなことが可能なのか、米国の物づくり産業の衰退や金融ビジネスの行き詰まりを指摘する声があるが、私には、このようなグローバル・コンセプトを有するビジネスが次々と代替わりして生まれる米国の凄さを感じる。寧ろ強くなっていると。そして又、新たに重要な動きが生まれたように感じる。

最新世代ビジネス

それは24日の囲み記事(一目均衡)「ネット資金調達、米国の賭け」だ。シカゴ郊外の24歳の若者がネット上で不特定多数の人から集めた寄付を元に最新鋭の機械を導入し、顧客の身体にぴったり合うジーンズを受注後3日で出荷する会社を立ち上げた。総額400万円を資金調達、そのうち4割が海外からだという。

この「クラウドファンディング」と呼ばれる資金調達が全米に広がっているという。ベンチャーキャピタルに却下されたアイデアが、SNS経由で新しい資金調達の道を開き、従来なら見捨てられていた新しいビジネスが誕生する。この羨ましい環境の背景を上記の囲み記事を直接引用させて頂き以下に紹介したい。

優れたアイデアに創業の機会を与える

 クラウドファンディングは既存の金融へのアンチテーゼとも映る。金融危機はプロへの不信を生んだ。理解できない複雑な金融商品よりシンプルな投資機会。特定の金融機関やファンドにリスクが集中する枠組みの外側での小口投資で、貸しはがしも続く中小向け金融の穴埋め役ともなる。

 もちろん中身は玉石混交で不正の余地も多分にある。証券市場の情報開示強化の振り子を逆に戻す要素もはらんでいる。出資者が損失を被る経験が増えれば、ブームはあっという間にしぼむだろう。しかし、それでもやってみるのが米国だ。多少粗くても火をつける賭け。挑戦し続ける姿は日本からはまぶしく映る。そしてもし成功すれば、その枠組みの世界標準を米国が握る。

米国式民主主義のDNA

機会を与えられた若い企業が米国だけでなく世界で受け入れられるのは何故か。90年代に米国で働いた時、トップ自らが先頭に立ちビジネスプロセスをキチンと理解しITで強化する姿を目の当たりにした。私には新鮮だった。だが昨今の動きを見ると、それ以上の何かを感じる。

次々と新世代の世界企業が生まれるのは、米国式民主主義、自由で(機会)平等かつ自助・自立精神に満ち溢れたDNAが新ビジネスに組み込まれる土壌があるからと思う。彼等は初めから世界の顧客の価値観・ニーズに合致するコンセプトを持ったビジネスを立ち上げたというべきなのだろう。

傲慢な米国企業

だが、そのDNAが故に国境を越えると、時には無邪気で身勝手に映り、時には政権にとって危険な存在になる。中国がGoogleの活動を制限し、フェイスブックやツィッターはアラブの春の原動力になった。我々の価値観から言うと良いことだが、一方でそれが個人の生活に関ると全て良しとはいえないのも現実だ。

最近Google検索のサジェスト(予測)機能が個人の生活に悪影響を与えたと日仏で訴訟されGoogle側が敗訴したと報じられた。しかし、Googleは問題となった機能を訂正する動きが無いという。これは正に米国企業が時に見せる傲慢さは、「独自の強みとその技術に絶対的な自信」を持ち中々振り返ることが無い。時に破綻するまで突き進む。私も何度か頭にくる経験をした。

日本はガラパゴス化するしかないのか

それも合わせて米国の強みだろうと私は思う。それでは日本発ビジネスに世界に受け入れられる普遍的な何かがあるだろうか。人は安定を求め大企業で働くことを望み、米国ほどの自助・自律精神はない。「すりあわせ」を特徴とするものづくりにいつまでも固執しなければならないのは、それ以外に何も無いことの裏返しのように感じる。

一方日本的なものを追求すると、ガラパゴスと揶揄される。日本で成功しても世界に普及せず、何れ海外からの商品やサービスに圧倒される。メインストリート・ビジネスが日本から生まれるのは無理なのだろうか。近年アニメのようなサブカルチャーがクールジャパンと評価される。日本的とされるサービス産業が進出したアジアが好調で1~3月に好業績を上げた、何か新たな動きの兆しであろうか。■

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田舎暮し雑感12春(番外)

2012-04-24 23:20:02 | 日記・エッセイ・コラム

帰京後1週間たった。それでも田舎暮し雑感のタイトルにしたのは訳がある。2月半ばからの2ヶ月間の田舎暮しで運動能力が一気に低下したと感じたからだ。先週土曜日にバドミントンの練習に参加して、身体がまるで動かないのを実感した。「飛んで来たシャトルをただ返してるだけ」と酷評された。ただでさえ筋力が衰えたのに、体重が増えて尚更動きが鈍くなった。

天候が回復して気分が良くなった今日の午後、ジムに行き汗をかいてみようと思いついた。家内のタンスに間借りしているスポーツ着を取り出して、お気に入りのシャツを着ようとするとカメ虫がポタッと音を立てて畳の上に落ちた。1週間何も食べてないはずなのにゴソゴソ動いた。慌ててティッシュペーパーで包み取りゴミ箱に捨てた。刺激すると悪臭を放つのでこれが一番良い。

帰宅と同時に届いた宅急便で送った衣料品の中に、かめ虫は「無事」生き残っていた。荷を開いてタンスにしまった時私には何の臭いもしなかった。その翌日、家内が私の持ち帰り品が臭いと文句を言われたが、まさか田舎から虫を持ち帰ったとは思いもしなかった。一昨日青山通りから表参道を歩いた時、雑踏の中でした私のおならを感づくくらい臭いに敏感な人だからだと。

つまり田舎からのお持ち帰りは、「カメ虫とお腹の周りの脂肪」という訳だ。

お腹周りは生化学指標と運動能力に累乗で効いてくる。体重が2kg増えて68kgを超えた。2kgの脂身がお腹の周りに付いたと思うとかなり深刻だ。ジムでトレーニングの前に血圧を測定すると、脈拍数が93と異常に高かった。ジムまで自転車で来たので多少は脈拍が速くなって当然だが、以前は60台に収まっていた。心肺機能の低下は明らかのように感じた。

次にバイクで体力測定した。意外にも心肺機能はそれ程低下していなかった。最大酸素摂取量は昨年9月の59.3に比べ54.7だった。何か変だ。負荷を上げても脈拍は思ったより急上昇しなかったのが理由だと思うが、このギャップは測定方法に依存した結果のように感じる。

その後のエキササイズで明らかに低下したのは「持久力と筋力」だった。今日はトレーニング再開の日だからウェイトトレーニングは下半身を省略し8割程度の重さにしたが、正直それが精一杯だった。年齢設定を去年の30歳から40歳にして、脈拍を125-136に設定して負荷をかけ1時間のバイクを漕いだが昨年500cal台だったのが、437kcalしか行かなかった。2kgの脂身をなくすと元に戻るだろうか。■

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覚悟のない原発反対(続)

2012-04-22 15:37:57 | ニュース

5月5日に北海道電力泊原発3号機が定期検査に入り、国内の原子力発電所が全て稼動を停止する。連日の報道を見る限り、最も原発依存が高いとされる関西電力の大飯原発34号機が5月の連休中に再稼動するのは難しそうだ。もうこうなったら覚悟したほうがいい。

国内で稼動する原発がゼロになる可能性が日増しに高くなっている。だが、原発再稼動を批判しその可能性が限りなく高まっているのに、その結果何が起こって何を準備しなければならないか、依然として具体策が私には聞こえてこない。誤解を恐れずに無責任な推測をすると、次に起こりうる電力料金値上げに大多数が反対の声を上げ混乱に陥るだろう。

懸念は料金値上げだけではない。原発を全て止めた場合の痛みを受け入れられず、支離滅裂な反対運動に立ち往生する姿は勘弁して欲しい。予想される電力供給不足に対し、僅かに橋下大阪市長が市民には節電を我慢してもらうとコメントしただけで、酷暑になった最悪ケースの具体的なプランなど無い様に感じる。

私から見ると、再稼動した場合としない場合の両方を検討し、何が起こるのか、何を対応すべきか誰も議論しないで、ひたすら神学論争をしているように聞こえる。こういう時にどうにも日本のメディアは頼りない。不便でも海外の「クオリティペーパー」と読み比べないと平衡感覚を失いそうだ。彼等の見方の一つは、原発ゼロで日本がどこに向かいどういう国になるかで、私もそこに注目する。国内では安全論争ばかり、全体が見えてないように私は感じる。

実際のところエネルギー調達と言う観点では、商社等が原発ゼロを前提に先行して化石燃料の調達に動いているという。当座の代替燃料は石油と液化天然ガス(LNG)のほかに選択はない。リスクは気候だけではない。既に大震災前の15-30%増の化石燃料輸入がこの数ヶ月続いている。その費用増加は年間で3兆円を上回ると推測されている。

世界第3位の石油輸入と第1位のLNG輸入国が輸入量を急に増やしたら、ちょっとしたきっかけで価格が更に高騰する恐れがある。1週間に世界12カ国からのタンカーが日本に向かい、その90%以上の原油がホルムズ海峡を通るという。緊張が続くイラン情勢が悪化しこの海峡が閉鎖されると、価格高騰や天候がどうであろうと日本は干上がってしまう。北朝鮮どころではないのである。

海外メディアの見方は日本が原発ゼロを続けると、気候変動とかエネルギー価格高騰にイラン等の地政学上のリスクなど、色々な状況変化に対し国の脆弱性が著しく高まるとみている。この脆弱性は財政悪化を招き、企業活動や雇用から国民の生活水準まで程度の差はあれリスク要因となる。政府の再稼動の動きの背景は正にここにあると思う。

原発ゼロを意思決定するのなら、供給可能なエネルギー量に見合った生活や経済活動を2段階か3段階に分けて準備することだと信じる。特に電力不足が予想される関西地区は先頭切って最悪ケースに対応できる準備をすべきだ。政府が再稼動を進めている以上、自治体には役割分担を超えてそうする責任がある。

個人的には1000年に一度の原発事故を恐れるなら、2年前の酷暑といわずせめて100年に一度の天候不順くらい万全の備えをすべきだ。住民や企業のコスト負担も先送りせず議論をすべきだろう。一般論で言うなら、受け入れるかどうかは議論しても意味が無い、中長期的には経済的合理性のないやり方は存続できない。

原発ゼロにすべきではないと私は考えるが、仮にそうなった時にエネルギー消費レベルを下げ、コストを支払う覚悟はある。高齢化で不可避の経済シュリンクと財政悪化がより早い速度で進むのも我慢しよう。だが、苦い薬は飲まない習い性が身に付いた世論は悪あがきしそうだ。若い世代には企業の海外シフトや雇用喪失に備えるよう強く勧めようと思う。■

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