かぶれの世界(新)

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東京郊外の生活2023-24(9)

2024-03-31 11:21:06 | 日記・エッセイ・コラム
3月も今日で終わり、年寄りの決まり文句みたいだが、時間の経つのは早い。昨日は終日「黄砂の日」だった。先月中頃から我が家の洗濯物は花粉症対策で部屋干しにした。花粉症のない私は冬物を洗濯して外干ししタンスにしまう積りだったが、家内の指示で全て部屋干しした。

天気予報で警告された黄砂が周知徹底されたのか、昨日の午後散歩に出た時に見た風景には少し違和感があった。ビルも一軒家も殆ど洗濯物が見えなかった。急に暖かくなった東京も開花宣言されたので、桜を見る積りで競馬場や多摩川、市立公園等を散歩した。

だが、僅かに競馬場内の公園でのみ桜の開花が少々感じられただけで、どこにも華やかな桜の開花は見かけられなかった。その代わりに驚いたのは多摩川の河川敷だ。先日まで目立っていた河川敷の補強工事で林立するクレーンやトラックが全ていなくなっていた。

替わりに進入禁止の柵が取り払われ河川敷の草原に沢山のテントが張られ、折畳みいすに座りバーベキューを楽しむ人達や、バドミントンやキャッチボールをする子供達がいた。彼等には桜が咲いているかどうかではない、屋外に出て食事をし楽しく遊びたいのだろうと思った。

記録に残したいとスマホを取り出して写真を撮ったが、写真を見ると4時半ばにしては若干うす暗かった。日の沈む西の奥多摩の山並みや丹沢山塊も春霞の向こうに薄く見えたが、富士山は全く見えなかった。だが、繰り返すと空全体がうす暗く西の空が黄色く広がっていた。

多摩川から離れて何時もの散歩コースを歩き始めた5時頃には早くも夕闇が迫ってきた。いつもとは違う夕焼けだった。確認に為に再度撮った夕焼けの写真は私が見た現実の風景よりも暗く、暗闇の中で蝋燭の火が光っているように見えた。

初夏の暑さの中を歩く積りの薄着で家を出たのだが、帰宅すると汗で下着が濡れていた。

起床時の寝室の室温が日々上昇していたが、昨朝はついに20度と越えていた。今朝は何と22.4度だった。2月は例年になく暖冬で桜の開花は早まるとの予想が、3月は寒さが戻り開花予想が外れ、ここに来て暖かくなり2月の暖冬で開花が遅れたと、ああ言えばこう言う予想だ。

何れにしても東京だけじゃなく全国的に開花予想が外れて、それでも全国的に桜なしの観光客が増えているという。われわれ人間も天候と同じに好い加減なのかもしれない。■
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春の憂い

2024-03-29 20:23:06 | 日記・エッセイ・コラム
日曜日の芦花公園での家族会の前後から何故か気分が優れない。体調を示すデータがあるとすれば、翌日から起床時の室温は18度台、湿度は60%前後、血圧は130前後で、体温は6.5度と安定していた。一つだけ異常なのは、家族会の翌日の月曜日からずっと便が緩くなったことだ。気分が優れず月曜日の取引先との打ち合わせはキャンセルした。

気分転換を兼ねて水曜日に長めの散歩をした。府中街道から南多摩に行き川崎街道を北上し途中で急に便意を催し、付近にトイレが見当たらず我慢できなくなって多摩丘陵の茂みに入って大便をした。恥ずかしながら我慢する間もなく大量の緩い便が出てしまった。周りの枯れ葉を拾い集めて便が見えない様に被せたが、却って誰かが踏んづけて迷惑かけたかもしれない。

実は所謂野グソはこれが初めてではない。2003年に退職後の20年余りの間に、ジョギングの途中二度ばかり野グソをした。一度目は多摩川の河川敷に対岸の稲城市からしか見えない木陰に隠れてやった。二度目は実家のある大洲市の肱川の河川敷にある畑の区切りの生垣の陰だった。二度とも胃の調子は悪くなかったがトイレまで遠くて我慢が出来なかった。

今回の問題は家族会以降この数日間ずっと便が柔らかかっただけでなく、元気が出ないというか気合が入らなかったことだ。今日の朝早く眠りが浅かったせいか昨夜の雨音が気になって何度か目が覚めた。4時半ばに目が覚めた時は原因不明の音が気になり、異常がないか調べようと言って家内を起こした。彼女は雨のせいだと言ってまともに聞き入れなかった。

再度ベッドに入り起きたのは7時半ばで外に出て見ると、二階の屋根から落ちてきた滴が一階の窓のひさしに当たった音だった。二階の部屋では雨音が聞こえず、一階の寝室だけ異常に大きい雨音に聞えた様だ。もう5年以上住んでるのに何故気が付かなかったのだろうか。私が起きる前に家内からこの顛末を聞いた息子は「オヤジのボケが進んだ」と言い放って出勤して行ったという。

午後になって天候は一変して快晴になり気温が急上昇した。3時過ぎに散歩に出掛けようと外に出ると、春着では暖かすぎる暖かさに引き返し初夏のワークマン作業衣に着替えて出掛けた。それでも小一時間歩いたところで汗をかいて帰宅した。家に戻ると「春の憂い」も回復した。■
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桜の蘆花公園(!)

2024-03-25 16:20:06 | 日記・エッセイ・コラム
予定より少し遅れて蘆花公園で孫の誕生日を祝って家族パーティを開いた。地元の桜まつりは空振りと伝えたが、蘆花公園の桜は3分咲きなので予定通りパーティをやると娘から連絡があった。京王線の窓から見た調布などの街々の通りや公園も桜が咲いている様子はなかった。

家内と息子は千歳烏山駅で降りて迎えに来てくれた娘の夫君の車で蘆花公園に向かった。私は蘆花公園駅まで行き、幸田文や徳富蘆花ゆかりの公園まで初めて歩く道を楽しんだ。駅から南に歩く5分間はお洒落な中層ビル街、そこから先は普通の住宅街という雰囲気だった。

15分程度歩き左折すると蘆花恒春園に到着した。公園に入っても開花した桜は見えなかった。だが、スマホで連絡を取りながら園内の「花の丘」に行くと、開花した桜の木の下に家内と息子に娘の家族に合流し、やがて長男家族も遅れて合流した。長男の嫁は急な仕事が入り参加できなくなった。狭い花の丘のエリアには桜を楽しむ人達で一杯だった。

早咲き桜の木が数十本、5分咲き以上の開花、小鳥が桜の花の枝から枝を飛び回っていた。全ての桜の木の下には何組ものパーティがシートに座り桜を楽しんでいた。子供達が準備してくれたパーティ用の食事は普段食べない洋風のパテなどで口に合わなかったが、アルコールにツマミの積りには悪くなかった。何れにしろ私の費用だ。

一通り食事を済ませると子供や孫達は隣接する花の丘から一段下の広場に行って、キャッチボールやバドミントンを始めた。私も酔い覚ましを兼ねて遅れて参加し、4月から小3になる娘の子供とバドミントンをやった。彼は野球やサッカーなどボールゲームが得意で運動神経抜群の負けず嫌いな子供で、バドミントンも上手にこなした。

私は30代の頃だったか世田谷区民大会のバドミントンに参加して、下部クラスで優勝したとアピールしたが誰も聞いてくれなかった。それもそのはず8才の孫とシャトルを打ち合うだけで私の体が付いて行かず、ヨレヨレになった。それはそれで思い出になりそうなのだが。

そのあと娘夫妻宅に行き雑談を続けたが何を話したか余り覚えてない。記憶してるのは夫君が6月に会社行事でカリブ海旅行に嫁を連れて行くかどうか、その場合家内に孫の面倒をみて貰えるか聞かれ、こんな機会は滅多にないから是非行くべきと家内も私も勧めた。子供は子供でお婆ちゃんと一緒の生活も良い思い出になると。

孫達三人は成長するにつれて三人三様、夫々好みも異なってきた。三人ともスマホやゲームに熱中し殆ど会話をしなかった。誰かが下の孫に三年生になったら目標は何かと聞き、私が勉強より可愛い女の子と友達になれというとシカトされた。中学生になった上の孫が、ジーちゃんは女性にすぐに声をかけると家内に言いつけたと聞いた。

4時過ぎに解散して買い物を済ませて自宅に戻る頃には雨が降り始めずぶ濡れに濡れた。夕食を済ませ入浴後早めにベッドについたが、何故か疲れを感じ深夜まで眠れなかった。今朝起床後も体がだるく約束していた取引先との打ち合わせをキャンセルした。あと何回家族パーティが出来るか、帰郷前に孫達との登山(多分最後の)を長男から確認された。■
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桜のない桜まつり(?)

2024-03-24 11:38:36 | 日記・エッセイ・コラム
今日の蘆花公園で開催予定の孫(娘夫婦の子)の誕生会に備え、昨日家内に頼まれて市内を歩き回り桜の開花状況を調べた。自宅を出て市民球場・桜通り・市民公園から新小金井街道を歩き競馬場を経て何時もの遊歩道という、謂わば繁華街の外周を一回りした。だが、例外的に桜通りの早咲き桜2,3本を除いて桜の開花は見られなかった。

それでも市民公園の広場には出店で一杯で、まるで満開時の「市民桜まつり」のような人出だった。この人達は何を見に来たのだろうと思ったが、歩き回る子供の姿が沢山見えて救われた気がした。桜通りは土日はホコ天になって歩道には灯篭が立っていたが少し物悲しかった。所々にテントが張られ、要所に警備員や黄色のジャンパー姿の市役所の係員らしき人を見かけた。

ホコ天が切れる交差点の女性係員に「残念だったね」と声をかけた。例年4月初めに桜まつりがあったが、昨年は桜が散った後のまつりになってしまった。それではと、今年は先月の暖かさで3月23‐4日に前倒しすると、皮肉にもこのところの寒さで開花が遅れた模様だ。そんな会話の後で彼女は「よく見ると、ところどころに1輪咲いてる」と言い「分かってるよ、ご苦労様」と言って別れた。

それから競馬場もその先の地域公園も桜は咲いてなかった。公園から出て行く幼児連れの母親に声をかけたが、「桜まつり」をやっていることすら知らなかった。「市民公園でお祭りやってて出店が出てて子供が喜ぶと思うよ、明日までやってるよ」と若干宣伝気味に言って分かれた。

今日は娘の子供の誕生パーティを兼ねて蘆花公園に行く積りだが、天候は怪しい。花曇りといえば聞こえがいいが、スマホの予報は小雨が降る場合もあるらしい。個人的には最悪の場合、桜の開花を楽しめず雨が降る恐れがあると思うと気乗りしない。だが、楽しみもないではない。

50年以上東京郊外に住んで一度も蘆花公園駅に下りたことがない。テレビドラマのロケで利用されることが多い様だ。何しろ初めて行くところはどこでも楽しい。それはそれで楽しい。■
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私的・投資のトリセツ

2024-03-22 11:33:27 | 社会・経済
3日前のニュースはどのメディアも日銀がマイナス金利を解除したと伝えていた。要因は賃上げと物価上昇の好循環、一方でゼロ金利が不採算事業を生き残らせ経済を低迷させて来た為と高く評価していた。経済や政治業界は長い低迷の時代から普通の金融政策に戻ったという。

だが、日銀がマイナス金利を解除し金融正常化したにも拘わらず、翌日の為替市場は円安に振れ1ドル151円半ばまで下落した。私は海外の株式や信託投資が殆どなのだが、何故か先月半ばから1カ月にわたり所有するIT関係株が殆ど下落していた。途端にこれで普通の世界に戻っただけのことだとの報道を聞いて、相変わらず彼等はコロコロ変わるなとがっかりした。

その後も為替市場は昨日のドル150円台、今朝は151円台に戻るといった具合にドルの強さが目立つ。実はそれが私の投資の基本であり、リーマンショック以降の投資をドルベースに変えて損を取り戻した考え方だ。当時も日本のお金はタンス預金といわれ株式市場を動かしているのは海外投資家だと言われた。ならばと素人の私は外貨ベースの投資に徐々に切り替えていった。

このところの日経平均株価は4万円台を突破した恩恵を受けることはなかった。だが、私は残念とも悔しいとも思わなかった。というのも昨年はドルベース投資の考え方が最大限の効果を発揮し、IT株高と為替ドル高のダブルパンチでこれまでの全ての損失を取り戻したからだ。

更に今年になっても1月は好調だった。だが、2月半ばから急に状況が変わった。頼りにしていた米国のIT株に変調が起こり、私の不得意なAI関連に移動して行った。それまでの「IT株高ドル高」のダブル高が消えてしまい、普通に上げ下げして実質損が蓄積する動きになった。

そして、マイナス金利解除がやってきて、私の投資は株価が円高(ドル安)の為替損で打ち消されるつまらない状況になるのを覚悟した。しかし、今朝の米国市場はドル高(151円半ば)になり従来のIT株も値上がりし、かつてのダブル高が復活していた。今日のところは。

理屈は分からないが、助かった。多分、評論家はそれなりのもっともらしい理屈で解説するだろう。そして私は彼等の言うことを理解しようと努めるが、今後の市場の動きをじっくり眺めるだけに留める。そして、何ら具体的な売り買いに反映させず様子を見続けるだろう。■
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