かぶれの世界(新)

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世界はバブルに向かっているか

2014-07-31 22:41:56 | 社会・経済

-6月期の米GDP速報値は年率換算で市場予測(3.0%)を大きく超えて4.0%増と高い成長を記録、米国経済が3%台の安定成長に戻るとの観測も出て来たと報じられた。消費の持ち直し、企業投資・在庫積み上げ活動が貢献したという(日本経済新聞)。

その直前にIMFはFRBの拙速なゼロ金利解除に警告する形で、予測を下方修正しており必ずしも楽観的な見方一色という訳でもないと感じる。30日のFOMCでは予定通り量的緩和の縮小を決定したものの、数字的には強い雇用状況にも拘らず異例の厳しい認識を示したという。イェレン議長が「超ハト派」的姿勢を示したと豊島逸夫氏は同紙に書いている。それで良いのだろうか。

世界市場はIMFから新興国まで、イェレン議長のハト派的金融政策の継続を切望している様に感じる。だが、一方でリーマンショックから6年もの長きにわたる金融緩和でマネーがジャブジャブになり、実体経済を遥かに上回る金融取引という現在の状況に、私は秘かに恐怖を感じている。バブルが起きるか起きないかではなく、いつ起きるかだと。

もしかしたら、バブルはもう起こっているかもしれない。金融緩和がバブルの要因となるかも知れないのに、「バブルは崩壊してみないと、バブルかどうか分からない。」というグリーンスパン元米連邦準備理事会(FRB)議長の有名な言葉がしばしば引用される。バーナンキもイェレンも言ったかどうか知らないが、基本同じ考えの様に私は感じる。彼等はバブルが弾けたらどう収めるかが仕事と思っている。それでは困る、無責任だと私は思う。

バブルはどこで起こるか分からない。上記の様に米国は大した経済成長でもないのに、NYダウジョーンズは史上最高値を記録した。従来の判断基準を見るとPER(株価収益率)は16.9近辺であり企業業績に見合った株価といって良い。だが、企業業績自体がバブルにのっかてたらPERが正常だといっても意味がない。

今、新たなサブプライム市場が注目されている。今度は低所得者向けのサブプライム自動車ローンだ。その残高がじわじわと増え、自動車の販売増につながっているという(日本経済新聞7/30)。何故凝りもせず支払い能力の疑わしい連中に融資しているのか。自動車市場がサブプライム・ローンで活況なら、業績連動で株価が高くなったPER値を見ても安心できない。

金融緩和で有り余ったマネーを手にした投資家が、超低金利下でサブプライムのような少しでも利回りの高い金融商品を求めている。日米などの長期金利が異例の低空飛行をする中、南欧の国債やハイイールド債が買われている。日本の個人投資家も例外ではなく、ハイリスク・ハイリターンのハイイールド投資信託が売り上げランキングの上位にあるらしい。

金融緩和で金余りになった世界が一斉に、高利回りを狙って高リスク商品に投資している。世界はバブルに向かっていると私は感じる。だが、今ならイェレン議長に打つ手がある。神様と言われたグリーンスパン元連銀議長がリーマンショック後に厳しい評価を受けたように、数年後にイェレン議長が非難される事態にならないよう祈りたい。■

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野球王国異変

2014-07-29 17:31:25 | スポーツ

 高校野球の地区予選が終盤に入り、連日甲子園出場校が報じられている。ここ愛媛県は自称「野球王国」と称し熱心な高校野球ファンが多い。私が若い頃は愛媛から出場した高校は殆ど例外なく甲子園で活躍した。松山商業を始め西條、今治西、宇和島東とか最近は済美などいわゆる強豪と呼ばれる高校が沢山あった。野球小僧の私も熱心に応援した。

 だが、近年は甲子園に出ても1回戦か2回戦で敗退することが多くなり、「野球王国」というには恥ずかしい成績が続いている。甲子園での通算成績はいまだに高い勝率をキープしているそうだが、過去の成績が貢献している為で近年の成績を反映している訳ではない。今や「野球王国」というのは地元テレビだけではないかと思う。しかし、これが異変という訳ではない。

 今年の愛媛県地区大会で異変が起こった。シード校が全部負けてしまい、今日の決勝戦はおよそ誰も予想しなかった松山東対小松という組み合わせになった。松山東は県内きっての進学の名門校、小松は小さな町の公立校で野球で知られている伝統校ではない。この異色の組み合わせが何故起こったのだろうか。

 今大会は春の甲子園に出た今治西が第1シード、春の大会の地区優勝校の西條が第2シードだった。他の2校を含め4つのシード校と、150kmの球を投げる超高校投手安楽を擁する済美も決勝に勝ち残れなかった。そういう時は戦いながら大きく成長する無名の傑出した投手がいるはずと昼食をとりながら暫く決勝戦の中継を見た。

 ところが驚くなかれ両校の投手はストレートの速度が夫々120km台と110km台だった。目を疑った。この程度の球威ではいくら投球術が優れていても勝ち残るのは難しい、何か秘密があるのではと思ったが中継を見ても私には分からなかった。松山東の練習量が限られているらしく、殆どの選手は高校野球選手としては筋肉量が少なく体の線が細かった。良く決勝に残ったと思った。

 試合は見た目通り良く鍛えられた体つきの選手が多い小松が勝ったらしい。だが小松も甲子園で1勝を挙げるのは難しいと思った。何試合も見た訳でもないのに思いつきの印象で申し訳ないが、何だか愛媛県の高校野球が小粒でひ弱になった感じを受けた。野球王国どころか全国クラスにも届いていないと私は思った。これでは勝てないと。

 愛媛県の高校野球が全盛期時代は、特別才能に溢れたスーパースターがいなくとも練習量でどこにも負けず徹底的に鍛えられたディフェンスで守り勝つ印象があった。相手のミスに付け込み鉄壁の守備で競り勝つ、そんな印象があった。それが勝率の高いチーム戦略で、全国レベルでも通用するやり方だった。

 だが、今はプロですぐ活躍が期待出来るような桁違いの凄い選手がいる。彼を中心に鍛えられたが選手いるチーム、これが全国レベルで勝っていく強いチームの型ではないだろうか。一生懸命やっている選手や関係者には申し訳ないが、我が地区大会の決勝戦はそのレベルに達してないことを示したように思う。残念ながらそういうチームがいなかったということだ。■

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私はこうして英語を学んだ

2014-07-27 22:02:12 | 日記・エッセイ・コラム

 中学生になって1学期を終わり期末テストの結果が学校のロビーに張り出された(私の時代は普通のことだった)。私は多分学年トップか2番だったと思う。私は大満足で意気揚々と家に帰ったが、父母に通知簿を見せると彼等は私の英語の点数が他の学科に比べ酷く悪いのに気付いて心配したようだ。文句を言われた記憶はないが、トップの成績を褒められた記憶もない。

 だが、父は2学期が始まる前に手を打っていた。どこで調べたのか英語の先生用の教科書の解説本とレコードにポータブル・レコード・プレイヤーを頼んでもないのに買ってくれた。無理やり押し付けられた訳でもなく、「これ参考になるよ」くらいの感じでくれた。

 プレイヤーが手に入ったのでポップスのドーナッツ版レコードが欲しいというと、父は買ってくれた。私の初レコードは父が買ってくれたヘレン・シャピロの「悲しき片思い」だった。今思えば良く調べて買ってくれたもんだ。お蔭で2学期になると英語の成績は急上昇し得意科目になった。私はポピュラーソングと一緒に入って来たアメリカ文化に憧れ、その後は英語の勉強が寧ろ好きになった。

 その後英語はずっと点数を稼げる得意科目になったが、会社勤めを始めて意識が変わった。希望したコンピューター技術者になった私だが、先進技術が総てアメリカ発の英語で入って来る状況に圧倒された。20代から30代初め頃にかけ会社が主催する自主研修プログラムに参加し主にビジネス英語や技術英語を学んだ。その頃結婚し子供が生まれた。

 30代半ばを過ぎると管理職になり仕事漬けになった。英語の勉強の為の勉強はしなくなったが、仕事の為に英語の論文や技術資料を読む機会が増え、普通の英語ではないが結果的には生きた英語を学んだと思う。この頃に新聞社が主催したコンピューター業界の為の米国視察旅行に社費で参加し、米国企業や大学及び展示会を見学する機会を与えられ勉強の動機付けになった。

 その頃古本屋で英語のエロ本を手に入れ次々と読破し、変わった英語の勉強になった。根が助平な私は一見普通のペーパーバックの読書に励み、自宅で読んでも家内は横文字の本を勉強しているくらいにしか思わなかったはずだ。一方で地道な勉強もした。英語教育雑誌の提供するヒアリングの練習の為のテープが役に立った。仕事上読む英語ばかりでヒアリングも上達したかった。

 40代になると資材購入の責任者として海外の会社との取引をすることになり、それまでの読む英語から本物のビジネス交渉になった。といっても、英語の堪能な帰国子女の部下や代理店が間に入ってくれ交渉が進み、彼等の助けを得て最終的な判断をする役目だった。しかし、何度も繰り返すうちに海外ビジネスマンとの交渉のやり方やボディランゲージが分かり、言葉以上の知識を身に付けたと思う。人と通じ合うには大事な能力だったと思う。

 若い人に比べ言葉としての英語は上達しなかったが、総合的なコミュニケーション・スキルはそれなりに身についた。米国ビジネスマンの発想や文化を理解した上での交渉をそこそこやれるようになったと思う。そうなると、会社は薄情で私を一泊三日の弾丸海外出張に行かせ、単独交渉を強いるようになり、終いには素人の私に米国シアトルのオペレーションをみさせた。酷い話だが、私は普通では出来ない良い経験をさせて貰えるチャンスだと思い嫌ではなかった。

 海外赴任の半年前に実用的な英語勉強をさせて貰った。会社の自主研修プログラムで、サバチカル中の南カ大教授が先生の英文速読コースだった。ペーパーバック1冊を1時間弱で読んで粗筋を説明するのが目標だった。英語文書を読むのに日本語の5-10倍もかかっては仕事にならない。それが半分になるだけで効率が大違い、米国での仕事に役に立った。

 海外赴任後は英語の勉強もくそもない、単語を繋いだだけの滅茶苦茶な英語と(部下に)言われようと、間違いなく相手を理解し意志を伝え実績を上げるだけ。会社が若い優秀なスタッフをつけてくれたので何とかなった。最も上達したのは度胸だけかもしれない。仕事以外では日本人村には近寄らず、英語しか使えない現地の人達に積極的に近づいて行った。

 度胸がつくと落ち着いて相手の話を聞くようになり、それで英語がより理解できるようになったと思う。日本人スタッフと良く行ったタイレストランの人気娘と、赴任後2年後位たって偶然にも地元のフィットネスクラブ出会った時、私の英語がよく分からずやっていけるか心配したと言われた。そんなに酷かったのかと改めて実感した。

 私の英語は長い間勉強した積りだが、文法無視の単語羅列型だったようだ。というか、当時の教育システムでは英語で話す勉強など殆どなかった。読み書きに比べ話し方を教わった時間が極端に少なかった。度胸を含めた総合コミュニケーション力で米国赴任時代を乗り切ったと思う。

 多分、英語力はこの頃がピークだったと思うが、帰任後4年に退職し海外支援ボランティア活動に参加するためTOEICを受験すると895点だった。それ以降英語は不要となったが、リーマンショック直後には海外の投資情報を必至になって読み漁った。又、イチローが大活躍した頃は現地の評価を知りたくて地元新聞の記事を沢山読んだ。英語を勉強してきたのが別のところで役に立った。

 25年前だったかに長男が中学生になった時、家内に英語の成績が良くないと聞かされた。やっぱり私の子供だと思った。父のことを思い出した。その時はNHKラジオの英語教育番組を勧め、彼は毎日早朝番組を聞き成績が改善したようだ。他の子供達も同じ番組のお蔭で英語が苦手にならずに済んだ。その後は私の様に日常から英語が必要な仕事にはついていない。私も原文のペーパーバックを読むこともなくなった。■

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米国の二重基準

2014-07-26 10:59:38 | ニュース

 イスラエル軍がパレスチナ自治区ガザに地上軍を投入以来犠牲者はうなぎ上りに増え、ガザ当局者によると810人の死者が25日報告された。エジプトの仲介案が拒否された後、昨日ケリー国務長官は国連事務総長とエジプト外相らと7日間の人道的停戦を提案したという。

 ウクライナ情勢に比べて米国の曖昧な姿勢が象徴的だ。ウクライナ上空で撃墜されたマレーシア航空機の犠牲者は300人足らず、一方ガザでは約3倍の犠牲者が出ている。こともあろうに国連が運営する小学校が攻撃され子供15人が死んだ。虐殺されたといっても過言ではないが、そうは報じられてない。

 演説上手で知られいつも弁舌さわやかなオバマ大統領が、イスラエルのガザ地区への軍事作戦で市民の犠牲者が増大していることを「深く懸念し」即時停戦を求める(誰でも言いそうな印象浅い)声明を発表した。本音は、イスラエルに対して「ハマスに打撃を与えた、もう十分だろう、早く停戦してくれ」といったところだろう。

 たったそれだけか、ウクライナ騒乱でロシアを厳しく非難する姿勢と随分違う。大統領は歯切れが悪いだけではない、二枚舌を使い分けている。ロシアが親ロ派の暴走を止められなくなり困っているのと、ガザにおける米国とイスラエルの関係はそう違った構図ではない。

 昨夜のニュースステーション(テレ朝)が米国の二重基準と厳しい批判をしていた。古館氏の単細胞な正義感が売りで時に非常識な位偏向発言をする解説者の組み合わせの番組は好みではないが、この見方は常識的で的を得ていると思った。イスラエルに対する基準が他国とは違うという、最早わかりきっていることだけどあえて指摘する姿勢は悪くない。

 私が懸念するのは国際社会、特に欧州が知らん顔をしているのが気になる。日本はともかく。発端はイスラエルとハマスの緊張関係で起こった不幸な出来事だが、イスラエルはこれを待ってましたとばかりに徹底的にハマス叩きに利用した。ロシア軍が国境を越えてウクライナの侵入した位の衝撃と捉えるべきだと思う。例によって欧州は対岸の火事としか思ってないのかも。■

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独居老人の夏は続く

2014-07-25 22:57:07 | 日記・エッセイ・コラム

梅雨明け直後から気温が急上昇した。各地で熱中症が報じられ、子供とともに一人暮らしの高齢者は注意するようテレビやラジオは伝えている。とは言っても、1週間に一度のジョギングは私の田舎暮らしのルーチンになっており、暑くなったからと言ってこの習慣を止めたくなかった。

しかし、熱中症は怖い。夕方6時頃まで待っていつものコースを走り始めた。急ぎ歩きの方が速い位ゆっくり走った。山の端に近づいているのに夕日の陽射しが熱く感じた。いつもすれ違う犬を連れて散歩する人達が殆どいなくなった。5km先にある肱川沿いの小学校のもう少し先の涼み小屋まで来るともう走れなかった。水を全身に被り小屋のへりに座り込んだ。

帰りは歩きと走りを繰り返しながらやっとこさ実家に戻った。もう薄暗くなっていた。直ぐにシャワーを浴びたが、その後何をやるのもかったるかった。しかし、誰もいない。自分で食事を作るしかない。冷凍してあるご飯、冷奴、サラダ、味噌汁、チキンソテーなどをノロノロと作って食べた。皿洗いは先送りした。何年か後の自分の姿をシミュレーションしているような気分だった。

深夜になっても気温が下がらず、今迄ずっと我慢していたエアコンをつけて寝た。28度に設定して11時過ぎに4時間タイマーセット、扇風機と併用して寝た。最近は寝つきを良くする為に寝酒を復活したが余り効き目が無かった。しかし、エアコンのお蔭で前日まで寝苦しかったのが嘘みたいによく眠れた。

だが今日はもっと暑かった。天気予報がいう午後の暑さを見越し、11時過ぎに食料の買い出しに出かけた。往復5-6kmの距離を歩いた。麦わら帽子にショートパンツという格好だが、暑さを我慢できず途中の理髪店に入って髪を短くして貰った。予定外の出費でその後スーパーのレジに並ぶと現金が足りなかった。レジのオバサンは「良くあることよ、大丈夫」といってレジを打直してくれた。実は何度も恥ずかしい経験をして、私は恥ずかしいとも何とも感じなくなった。

実家に戻ると直ぐにシャワーを浴び、下着を全て着替えた。買って来た惣菜で簡単に食事を済ませたが、その間にも汗が止まらず着替えた下着が濡れた。2階の書斎に上がると台所よりも熱気がこもっていた。扇風機に当たりながら買って来たハイサワーを飲んでテレビを見ながらベッドにひっくり返った。こんなだらしない過ごし方はしたくなかったが暑くてどうにもならない。

 夕方洗濯物を取り入れていると、犬を散歩させてきた近所の知人が通り掛かり、今日は今年一番の暑さで37度あったといった。その後ニュースを見ると全国で最も暑かったのは39度、愛媛県内ではここ大洲市が36.7度だったそうだ。独居老人の夏は続く。■

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