かぶれの世界(新)

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遠い昔が甦った後悔

2020-10-04 20:43:46 | 日記・エッセイ・コラム
ノーベル賞のシーズンがやってきた。毎年のように日本人受賞者が出るというのに、その度にマスコミ等の関係者は日本の研究環境の劣化の警鐘を鳴らす。大学院で博士号を目指す研究者が米中韓の半分以下というニュースを見た。その最大の理由は日本には博士号を取得した研究者の適切なキャリアパスがない為という。

バブルが弾けた90年代頃に余裕が無くなった企業はビジネスに直接貢献しない研究に批判的な声が社内外から聞こえてきた。当時、日本企業は世界一の研究費を使っていた。退職前の2000年代初めに子会社で管理者として勤めた時代に、世界的に有名なF研究所を退職し畑違いの私の職場で働き始めた若者が慣れない仕事で苦労している姿を見た。

彼はその後悩んだ(多分)末に退職していった。私は彼の悩みを聞いて相談に乗ることもなく傍観者の立場を貫いた。退職した前後の事情も知らない。だが、日本企業で研究者を専門能力を生かす場を作ってやらなかったというおぼろげな記憶を後悔とともに思い出す。

私も就職前の実習(インターン)で柄にもなく物性関係の研究所で働いた。研究所の雰囲気はその後働いた製品開発部門に比べてのんびりした印象が残っている。開発部門は製品仕様・原価・納期が決まっており、納期が近づくと深夜まで残業するのは当たり前の斬った張ったの職場だった。

私の物事の基準はどうしても最初の職場だった製品開発の経験から来ている。しかし、ニュースで見た昨年ノーベル賞を受賞した吉野教授は役に立つかどうかより先ず真理追及と言われた。多分その通りだろうが、会社の余裕がなくなると続かなくなった過去も否定できない。

私も開発現場ではそこそこ優秀だったと思うが、自分の能力を超える発想や目標に対して理解して受け入れる柔軟さがなかったかもしれない。私には理解できない高い目標を語る息子に対しても支援するより、私の理解可能な範囲の対案を示して全く別の芽が生まれるのを潰したかも知れない。■
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